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◇お茶猫2006年12月09日 00時38分10秒

 
お茶を飲んでいる最中 満足した顔

うちでは中国茶を頻繁に飲むのだが、数年前に台湾に行って台湾式の工夫茶のセットを購入してきて以来、時間のあるときなどに台湾式でお茶を楽しむことがある。
最初に茶道具をお湯で温め、小さな急須にたくさんの茶葉を入れて、小さな湯のみで何度も何度も飲むのだ。道具を温めるときに本式では専用のすのこのようなものを利用して、お湯をためておけるようにするのだが、うちのは急須用の受け皿しかないので、道具を温めるときに出るお湯はその都度コバルトブルーのどんぶりに捨てるようにしている。
お茶を二煎三煎と何度も入れるので、急須にあまったお茶もそのどんぶりに入れる。お茶を飲み終える頃にはどんぶりの中には薄いお茶が入っている。

お茶を飲み終えてしばらくそのままほおっておくと、うちの猫がいつのまにかどんぶりのお茶をごくごくと飲んでいることがある。最初は、自分の食器の水ではないので怒られると思っていたらしくひどくびくびくしていたが、最近は堂々と飲むようになった。
普段自分の食器から水を飲むよりも数倍ごくごくと飲む。どんぶりが置いてあると自分の食器からは水を飲まず、必ずどんぶりから飲むのだ。そのどんぶりが好きなのかと思い、ある日どんぶりに水だけ入れて置いておいたが、お茶が入っていないとそのどんぶりからは飲まないのだ。うちの猫はお茶が好きらしい。

獣医さんにこのことを話すと、普段猫が口にしないようなものはあまり与えない方がいいと言っていたが、ひどく薄いお茶だし人の身体にもいいものだから、うちの猫がそれが好きなら飲ませてもいいと思い好きなようにさせている。18歳という高齢になり、肝臓や腎臓が弱くなってきているので、何かそういう薬効のようなもがあり、それを知っていて飲んでいるようにさえ思える。

最近は、飲み終えたときにとても満足した顔をするのでいつか写真に取りたいと思っていたが、先日やっと撮影に成功した。
人間の年齢で言うとすでに90歳を超えているので、お茶でもなんでも飲んで長生きしてほしいと思う。

◇声帯が虹を描く2006年12月09日 00時44分19秒

 
横浜みなとみらいホールで巻上公一さんが出演した「声帯が虹を描く」を見に行った。
これは横浜みなとみらいホールのJust Composed in Yokohamaの一環で、同時代音楽の紹介に積極的な演奏家を迎え、現代の旬の音を紹介するコンサートのひとつとのことらしい。

巻上公一さんの超歌唱のコンサートは今までも何度も見たが、こういった本格的な音響設備の整ったホールで見たのは初めてのことだった。
観客も、ホーメイや口琴の好きな人たちではないし、当然ヒカシューのファンとも違っていて、年輩の人が多く見受けられ、巻上さんの出演する催しで知った顔が一人もいないというのも初めてのことだった。

今回のコンサートは、『声』をテーマとしたもので、ドイツのタダイスト シュビッターズの音響詩や、ジョン ケージの実験的作品、本格的な声楽アンサンブルによるミサ曲、トゥバのホーメイのバリエーション、超歌唱アンサンブル、このコンサートのためのオリジナル曲など、楽曲自体は8曲ほどだったがその内容は盛り沢山だった。

第一部の最初は、巻上さんによる前衛的な超歌唱が続き、第一部の最後で本格的な声楽アンサンブルによるミサ曲が歌われる。黒い衣装に身を包み整然と並んだ声楽アンサンブルが舞台にあらわれると、客席に巻上さんが超歌唱をしながらふらふらと現れ、舞台に寝そべったり、壁の音響用の反射板に向かって歌ったりするのだ。その光景は、クリスマスを祝う聖歌隊のそばで、(言葉は悪いけれど)酔っぱらいのおじさんがそれに合わせて気分よく歌う姿のようだった。
巻上さんの超歌唱的表現は、正統派を絶対的と思っている人にとってはひどく異端に感じると思う。最近でさえモンゴルのホーミーなどが知られるようになり、正統派の声楽的表現方法だけが声の表現ではないのだということを漠然と知ることができるが、それらは常に別なものとして認識されているように思う。
それが、この舞台では正統派に対する異端を表現しているかのようで、声の表現の中で常に問われる「正統派の声楽的発声と前衛的発声表現」の違いを見ているように感じた。

第二部の最初で、巻上さんはトゥバの青い衣装に身を包み、ホーメイのバリエーションを行うのだが、音響設備の整った会場でその声はプロペラのようにぐるぐると会場を回るかのように心地よく響き渡る。
それまでは変な帽子をかぶって変な声を出し、正統派の声楽アンサンブルに変な行動で参加していた人が、突然異国の衣装ですばらしい声を披露したのだから、会場は度胆を抜かれたようになっていた。

次のチャクルパ ナビでは、公募により無作為に選抜された18人の普通の人たちが声のパフォーマンスを行うというもの。舞台にいるのは、小学生らしい男の子から50代くらいの女性まで男女取り混ぜてのメンバー。巻上さんの指揮で声の連想ゲームやキャッチボールを行うような手際でパフォーマンスが繰り広げられ、事前の「会場の人たちも手伝ってください」との説明により、巻上さんが突然客席に振り返って指揮をすると、客席の人たちがそれに合わせて声を発する。それは波打ったり、くるくると回ったりとさまざまな指示がされるのだが、声を発する楽しさに、参加することでより声による表現のコンサートに親近感がわいた。

最後に、このコンサートのために作曲された野村喜和夫さんの「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」という詩をモチーフとした曲を、声楽アンサンブルと、超歌唱素人アンサンブルが一丸となっての舞台となり、巻上さんはソロパートと詩の朗読を担当した。
正統派の声楽アンサンブルによるちゃんとした歌の中に、超歌唱素人アンサンブルの人たちが表現する詩の世界。それは街中に流れるクリスマスの曲の合間に、雑然とした喧噪のごとく。日曜の夕方のデパートのようで、年末の繁華街のようで、幼稚園のクリスマス会のようだった。それらの中にいながら、意識はものすごく遠いところにあって、意識がとんで景色が逆さに見える時のような心地よい厭世感の中にいる気分だった。そこに巻上さんのソロや詩の朗読が入ると、ふっと現実に戻されるような、もっと遠くに連れていかれるような感覚が交差した不思議な感覚が更に深まっていくのだ。

このコンサートは、巻上さんを含めた三名の選定委員による構成で行われたものとのことだが、会場の多くの人たちは声楽アンサンブルの正統な声楽を期待してきた人も多くいたようで、巻上さんの最初の前衛パフォーマンスにびっくりし、声楽アンサンブルとの絡みで(いい意味でも悪い意味でも)興味を持ち、ホーメイで度胆を抜かれ、素人超歌唱アンサンブルで親近感を持ち、「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」で声の可能性の深さに納得したような印象を持ち、常に舞台の上にいた巻上さんの思うつぼにまんまとはまった気がしてしまった。

◇鼻うがい2006年12月20日 23時14分26秒

子供の頃、オレンジ色のゴムのチューブで水を吸い込み、鼻を洗う器具が家にあった。母の家系は鼻が悪い人が多かったせいもあり、私も子供の頃は蓄膿っぽかったので、強制的に鼻を洗わされていた。
一応、塩水を使うのだが、濃度が低かったせいなのか異常に鼻が痛く、水泳のときに鼻に水が入ったときのように鼻が痛くなるので、私はそれが大嫌いだった。

結婚して旦那が鼻の調子が悪くなったので、母が子供の頃使っていた鼻洗い器を送ってくれたことがあったが、私は子供の頃の記憶がよみがえってくるようで、それを使うことはなかった。旦那もその器具は調子が悪いようで、うちではすぐに使わなくなってしまった。

関東に来てから、冬の暖房は石油ファンヒーターを利用していたが、身体の調子が悪くなり、鼻や喉の調子もおかしくなってきたので、うちでは数年前からパネルヒーターを利用するようになった。それでも、冬は喉や鼻の調子が思わしくない。加湿器を利用していた時期もあるが、加湿器を使うと次の日部屋の結露がすごくなり、カビの発生度も高くなるので、最近は使わなくなってしまった。

去年、小林製薬から「ハナノア」という鼻うがいを簡易的にできる器具付きの薬品が販売になった。子供の頃のトラウマで鼻うがいを避けてきたが、冬になるとずっと風邪の症状が続くことや、鼻や喉の調子が悪いことから一念発起して試してみることにした。
付属の容器に薬剤を入れて、蓋についた穴を鼻の穴にあてて薬剤を鼻に流し込む。なるべく上をむいて、薬剤を口から出すようにするらしいが、なかなかうまくいかないのと、薬剤が鼻から喉に流れ込む感じが嫌で、反対側の鼻の穴から出すように使っている。
昔使った塩水とはちがって、鼻が痛くなることはない。なれてくると、使った後に鼻がすーっと通って楽になる。
外から帰宅した後は、鼻うがいとうがい、手洗いをまめにするようにしたおかげで、今年は鼻と喉の調子がいつもよりは楽なように思う。
風邪も少しはひいているみたいだが、いつものようにずっと調子が悪いようなことはないようだ。

今年は鼻うがいで、なんとか冬を乗り切りたいと思っている。


小林製薬「ハナノア」HP
http://hint.kobayashi.co.jp/hananoa/



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