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◇トルコ旅行より帰還2007年06月09日 00時56分37秒

帰宅したときの象足
 
トルコ旅行に行ってきた。
海外旅行は実に7年ぶり。
行く一週間前に、首都アンカラでテロ事件があり、行く直前まではひやひやしていたものの、長時間のエコノミーにも耐え、なんとか無事に楽しんできた。
今までの旅行の中で一番楽しく、一週間の滞在の間にたくさん友達もできた。ガイドブックなどを読むと、じゅうたん屋などの日本人相手の客引きが多く怖いというようなことも書かれていたが、それ以上に人々とのふれあいが楽しかった。
帰るときに、非常になごりおしく感じて、日本に着いたときに違和感を感じたのも初めてのこと。

帰国して家に戻ってみると、歩きすぎと食べすぎとエコノミー症候群で、帰宅したら写真のごとく象のような足になってしまった。通気性の良い軽い靴をはいていったのだが、足の甲にあせももできて、すれて血も出ていたりする。
身体もなんだかケバブ臭がしていて、カバンの中がまだトルコのにおいでいっぱいである。

明日以降から、少しづつトルコ旅行記をまとめてみたいと思っている。

◇トルコ旅行記 〜行く前から到着まで〜2007年06月10日 06時04分55秒

ホテルのバルコニーから見る夜景。
到着した日の夜はちょうど満月で美しかった。
■行くまで

7年ぶりに一週間ほど平日に休みがとれるチャンスがきて、旦那とどこに行こうかと画策していた。 私たちはリゾートが苦手で、遺跡もあまりハードなのは途中でばててしまい具合が悪くなってしまう。適当に観光地で街が綺麗で食べ物が美味しいところと考えていたところ、NHKの語学講座でトルコ語を放送していたのを見て、「そうだ トルコに行こう」ということになったのだ。
最初は、口琴のある国へとか、せっかくロシア語を習っているのだからロシア圏へとも思ったのだ。
でも、誰も知っている人がいない食べ物の美味しい国に行ってみたいという欲求にかられてしまった。

トルコは結構広い国で、トロイの遺跡やカッパドキアなど見所も多い国だ。全て周ることもできるが、せっかく行くのならひとつの場所でゆっくりとその国にひたりたいと思い、イスタンブールだけの滞在にすることにした。

正直、イスラム圏に行くのは不安もあった。
近くの国では、政情不安定でしょっちゅうテロや内乱も起こっている。事実、私たちがトルコに行く一週間前に、観光客をターゲットとしたテロ事件が首都アンカラで起こったりもしていた。
でも、テロだったらどこの国へ行っても多いか少ないかの違いだけで、事件に巻き込まれるときは運が悪いときでしかないに違いないし、例え日本にいたとしてもそれは同じだ。

それにしても、ネットやガイドブックでトルコのことを書かれているものを見ると、良いことももちろん書かれているが、結構悪いことも書かれている。 観光客(特に日本人)をターゲットにした絨毯屋や旅行エージェントが道でしつこく声をかけてきて、ついていくと高い品物を売りつけたり、空港でホテルの送迎案内人を装って別なホテルに連れていかれるというようなことだ。
日本にいるときには、英語もろくろく話せないくせに外国人と話すことをほとんど苦にしない性格の私だが、身の危険が伴う場合は別である。出かける直前まで不安感はぬぐえなかった。
旅行会社から日程表が届いたとき、希望していたホテルではなかったことや(最初に希望は聞くが、指定はできないと言われてはいたが…)、空港からの送迎つきなのに送迎する人の名前も書かれておらず、案内のパンフレットもほとんど文字だけで写真などがまったくなかったりで非常に不案内だった。不安感は更に高まっていった。
親や友達にトルコの領事館や旅行会社の連絡先を知らせ、何かあったらよろしくと頼んで出かけた。




■成田国際空港からイスタンブール アタチュルク国際空港

事前にガイドブックで調べたところ、日本円をトルコの通貨トルコリラ(YTL)に替えるには、一度ドルかユーロにしなければならないと書いてあった。とりあえず事前にある程度まとまった額をドルに替えて成田に行ったら、成田の両替コーナーで円からYTLに直接替えられるではないか。両替の手数料は結構高額なので、これにはショックを受けてしまった。持っていたドルをYTLにしてもらえるかと聞いたところ、一度円にしてからYTLにしなければならないと言われ、ばかばかしいので円をYTLに替えてもらった。 銀行でドルに替えてもらったときよりもレートも良く、ちょっと損した気分。

 
トルキッシュ・エア  
JTBの窓口に行くと、往復の航空券を渡され、イスタンブールの空港でJTBのバッヂをつけている案内人がいるのでその人を探すようにだけ言われた。「その他に注意はないのか」と聞くと、「特にない」との返事。「空港で案内人を装った人がいるみたいだから連絡先とか名前を教えてほしい」と言うと、「ここでは情報がないのでわからない」と言われて呆れる。
添乗員つきのツアーは年輩の人が多く、その人たちには荷物チェックの列でもひどく丁寧に案内しているが、個人ツアー客はほっておかれてなんだかひどくナーバスになってしまう。私たちの後に、年輩の個人旅行の二人連れが来て「おはようございます」と声をかけられたが、まともに返事もできない。


飛行機はトルコ航空だが、JALのコードシェア便である。JALのコードシェアなのにJALのマイルがつかず、トルコ航空はスターアライアンスにも加盟していないので、今回の旅行ではそれまで貯めているマイレージにはマイルがまったくつかなかった。

飛行機の入口で、トルコブルーの機内用スリッパが配給される。エコノミーだったのでこのようなサービスを期待していなかったのだが、これは嬉しい。席に着くと、席が異常に狭い。JALの国内便の小さめの飛行機くらい。真中の4人がけの席の二つが私たちの席で、隣は荷物を預けるときに挨拶をしてくれた年輩の二人連れだった。

予定より少し遅れて13時15分頃飛行機が離陸。上空で安定するまでに時間はそうかからず、最初にコールドドリンクのサービスがあり、水、ビール、ワイン、オレンジジュース、トマトジュースのほかに、トルコの名物でもあるチェリージュースがあった。温かいものがほしかったが、チェリージュースにチャレンジする勇気はなく、オレンジジュースを注文する。
その後、機内用の靴下などのセットが配給される。靴下のセットは去年旦那がスカンジナビア航空を利用したときにもらったものを持っていっていたのを利用する。エコノミーなので、このへんのサービスをまったく期待していなかったので嬉しかった。
そしてすぐに昼ご飯の機内食。日本からの便は洋食だがどちらかというと日本寄りのメニュー。旦那はビーフ、私はチキンを注文。食事のときにもドリンクのサービスがあったが、このときもコールドドリンクだけだったので、「温かいものはないか」と聞くと「ない」との返事。ちょっと考えていると「OK」と言って特別に温かいコーヒーを持ってきてくれた。チキンはおいしかったが、ビーフについていたご飯はぱさぱさでちょっと固め。トルコでは米は野菜なので、ご飯のメニューのほかにパンとクラッカーのようなものがついていてボリューム満点。平らげるのが大変だった。ついていたチーズが白チーズではなく、給食に出るようなプロセスチーズだったのがちょっと残念。食事が終るとお酒とホットドリンクの配給があり、食事のときにコーヒーを無理に頼んだせいか、キャビンアテンダントのお姉さんは「コーヒーでいいでしょ?」みたいな感じでほとんど強制的にコーヒーを置いていった。コーヒーの他には、紅茶や緑茶、お酒などがあったようだ。


 
最初の機内食のチキン。
左は上から、パン、デザートのムース、野菜サラダ。中央上左の黄色のはバター、その横は特別に出してもらったホットコーヒー、その下がパックのオリーブオイル、中央下はメインのチキン。右は上からクラッカー、のり巻き、カニカマボコのマヨネーズサラダ。
  最初の機内食のビーフ。
メインの皿は、ぱさぱさのごはんと牛のしぐれ煮のようなもの。
     
   
二度目の機内食。
左上のカップの中には、プロセスチーズ、その下はバター、ビーフ炒めと鮭(?)の焼いたもの、レモン。上中央はオレンジ、メロン、すもも、パイナップルのカップ。右上はパン。右下はごはんと鱈のような魚のクリーム煮。

   

食事も終わり、機内のモニターでヨーロッパの映画などを放映している。途中で機内放送用のヘッドフォンが配給されるが、耳充てのスポンジがへぼへぼですぐにとれてしまう。
隣に座った年輩の女性が話し掛けてきて、旅の予定などしばらく話し込む。旅なれている人のようで、話を聞くのは楽しかった。今回は最初から最後まで人のふれあいを多く感じた旅だったので、思えばこのときからその傾向はあったのかもしれない。男女のペアだったのでご夫婦かと思ったら、旦那様は亡くされて弟さんとの二人だけのガイドつきの個人ツアーで、イスタンブールからカッパドキアなど12日間の予定とのこと。私たちは一週間イスタンブールのみだと言うと、珍しいと言われた。中央の席だったので外の景色は全く見えず、この会話はナーバス気味だった気分を少し晴らしてくれた。
しばらくして機内が暗くなり、眠ってしまった。

目が覚めるとすぐにコールドドリンクの配給があり、思い切ってチェリージュースを注文してみると意外においしくてびっくり。すぐに朝食(?)の配給があったが、メニューの選択は聞かれず機械的にトレーがテーブルに置かれていく。メニューは肉と魚が中心で、メインの白身魚(鱈のような魚)のクリーム煮のようなものは、魚がぱさぱさであまり美味しくなかった。このときの食事のときにもドリンクのサービスは、特別に私たちはコーヒーにしてくれたのが嬉しかった(でも、本当言うとお茶が飲みたかったんだけど^^;)。

食事が終ると、331mlという中途半端な量のペットボトルの水が供され、着陸準備に入る。イスタンブール時間で19時43分到着。サマータイム中なので日本との時差は−6時間だから、日本時間だと11時20分。ほとんど半日飛行機の中にいたことになる。立ち上がると足がむくんで痛かった。気をつけてはいたが、やはりエコノミー症候群は避けられなかった様子。

飛行機から降りて、団体さんが添乗員さんの注意を受けているスキにさっさとイミグレーションに向かう。
異常に空いている窓口と、多少混んでいる窓口があったので空いているところに向かい、自分の番が来てパスポートを出すと、イミグレーション・オフィサーが何か言っている。英語のようだが早口なのとなまりがあるので聞き取りづらい。よくよく聞いてみると、「トルキッシュ オンリー」と言っている。そこはトルコ人専用窓口だったのだ。「ええええええ そーりー」とやっと理解してあわてる私を見て、イミグレーション・オフィサーのおじさんは「しかたないね」というような顔をし、笑ってパスポートに判子をドンと押して「バイ」と言って通してくれた。イミグレーション・オフィサーは日本でも怖い顔で事務的な人が多いのに、間違いを受けて笑って処理してくれたそれだけで、それまでのナーバスな気分は一度にぶっとんでしまった。
旦那も同様に通してくれた様子だったが、私たちがその窓口を通ったのを見て、その後日本からのツアーの添乗員さんがその窓口にツアー客を案内していたのでおかしかった。

荷物の到着を旦那が荷物受取コンベアのそばで待つ間に、カートを借りようと置き場に行くが、何か鍵がかかっていて使えない。私より先に来ていた日本人が何かコインを入れているようだったが、それが何かわからない。困っていると荷物係のおじさんが「ワンリラ」と言って助けてくれたが、コインの持ち合わせはなかったので、そのままコンベアへ向かうと、さっきのトルコ人のおじさんが「カート使っていないじゃないか」というようなアクションをして私を見たので、「あいはぶのーコイン」と言うと笑って手を振ってくれた。私のでたらめな英語もなんとか通じていたようだ。

団体さんをうまく避けて外に出ると、客待ちの人がひしめいている。人の名前を書いたカードを持っている人もいれば、そうでない人もいる。出てくる人に向かって叫んでいる人も多いが、何を言っているのかわからないので無視して歩いていくと、その先につくば時代の友人Tさんにそっくりな女性がいて目が合う。するとその人はJTBのバッヂをつけており、向こうから日本語で名前を聞かれたので「そうです」と答えると、「すぐにわかりました」と言われた。私たちの送迎案内人への合図はカバンにつけたJTBの札だったのだが、彼女にはほとんどそれが見えていなかったはず。名前を書いた札も彼女は持っていなかったのに、何故かお互いに目的の相手だとわかったのは奇跡のようだった。案内人の彼女の名前はセフギさん。発音を聞いたが、何回言ってもうまく発音できなかった。


つづく

◇トルコ旅行記 〜ホテル〜2007年06月12日 01時30分58秒

マルマラ海の夜明け。
■アタチュルク国際空港からホテルまで

空港の外に出ると、黄色のタクシーがたくさん止まっている。見るとほとんどがルノーのカングー。日本のタクシーは大きな高級車が多いのに、トルコのタクシーはミニバンかハッチバックの小型車が多い。目の前を走っていく車もルノーのカングーかメグーノが圧倒的に多く、プジョー206、307、シトロエンのC4、C3、フォルクスワーゲンなどが多く目に付く。たまにベンツなどの大きな車も走っていくが、ほとんどがフランス車の様子。写真を撮りたかったが、すぐに迎えの車が来てしまい撮ることができなかった。迎えに来た車もルノーの小型バスだった。

その日の客は私たちだけで、送迎案内人のセフギさんから、客引きや買い物のとき値引きするようになどの注意をひととおり受け、プレゼントだとオリーブの石鹸をもらう。お礼に機内で食べようと買って食べなかった日本のチョコレートをあげると、「豚のものを使っているものか?」と聞かれたので、成分表をひととおり読んであげて大丈夫なことを確認した。つくばにいたときのトルコ人の友達は、イスラム教徒だったけどトンカツ大好きだったので気にしていなかったが、やはりイスラムの人は豚を食べないのだなあと思う。
車は海沿いの大きな道を走っていく。時間は20時を回っているが、外はまだ昼下がりのよう。交通渋滞をしている車の列の間を、花売りが道路を歩いて薔薇を売っている。海には大きな船が沢山停泊していて、とても綺麗。

30分ほどでホテルに到着する。車を降りる直前にチップの注意を受けたので、セフギさんや運転手にもあげるべきかどうか迷ったが、あげて嫌な顔をする人はいないだろうと思い、二人で分けてくれと伝えて10リラ渡す。1リラがだいたい100円弱なのでチップとしては多いかとも思ったが、相場がよくわからないのと、細かいお金を持っていなかったので、帰りの分も合わせるということでよしとすることにした。しかしやはり多かったらしく、ホテルのフロントで私がポストカードを買おうとすると、彼女がお金を払っておごってくれた。




■Hotel Historia

宿泊先 Hotel Historia前にて

今回のツアーでは、高級ホテルや一般的なホテルの中でペンション風のプチホテルの選択肢があった。どうせならトルコ風の小さなホテルに泊まりたいと最初から思っていたので、このツアーにプチホテルの選択肢があったのも、ツアーにした決め手の一つでもあった。
イスタンブールのプチホテルは、昔の金持ちの屋敷や別荘を改築したものが多く、築数十年から100年以上経つものもある。小ぶりで多くて30部屋前後の部屋のところが多いらしい。

私たちが宿泊した Hotel Historiaは、イスタンブール旧市街のブルーモスクやアヤソフィア、トプカプ宮殿から近い立地にある、オスマン式に改築されたトルコ風マンションタイプのオリーブグリーンの綺麗なかわいいホテル。ロビーには昔の魚を調理する金色の調理器具や、蓄音機、古いトルコ式のサマワールなどの歴史を感じさせる骨董品が置かれており、24時間利用できる小さなバーカウンターとインターネットを使えるパソコンが置いてある。
ホテルの階段は白い大理石のゆるくカーブした階段で、内側が異常に狭く内側を昇る癖のある日本人には不向きなように思ったが、すぐになれた。
階段の途中の棚には、トルコの名産の陶器の皿や猫の置物がさりげなく置かれている。



 
ロビーのミニバーにあった、旧式のトルコ式サマワール。ロシア式のものとは少し違うとのこと。
私があまりにこれに執着しているので、ホテルスタッフが「持って帰れば?」と言うので、「ほんとに?」と聞くと、「マネージャーにおこられてもいいならね」と言うのでしぶしぶあきらめた。
  ロビー横の休憩所にあった猫の置き物。
これも古いものらしい。微妙に招き猫でかわいいが、顔が濃いのがトルコ風。
     
 
階段の地下1階から地下2階に行く階段の途中に飾ってあった、陶器の猫。これも招き猫風。これと同じポーズで色付けしているものを、土産物屋でみつけて購入することができた。
  ロビー階から地下1階に行く階段の途中に飾ってあった、魚柄の皿。色合いがとても綺麗。少しピントがぼけてしまったのが残念。


部屋に案内され、バルコニーに出るとそこからはマルマラ海が一望できる。ちょうど夕暮れ時ですばらしい眺め。 ホテルの部屋はこじんまりとしたツインルームだったが、シャワー用とはいっても無理すれば足を伸ばしてつかることもできるバスタブがあり、トイレも明るくとても清潔な感じ。トイレのドアの内側にポプリの袋がぶらさがっており、こういう心遣いが嬉しい。部屋も灯りをつけると普通に明るく、冷蔵庫もテレビもエアコンもドライヤーもついている。

インターネットで事前に調べたときには、ホテルのすぐ横を国鉄の線路が走っているため、うるさくて部屋を替えてもらったアメリカ人の話などがあったので、普段米軍の飛行機の音に悩まされている私としては、ちょっと心配ではあった。しかし、到着したのが金曜日でイスラムでは特別な曜日だったためか夜遅くまで街中が賑やかで、部屋までその音が聞こえてきた。マルマラ海に停泊している船の汽笛、鳥の声など色々な音が聞こえてはいたが、それらはまったく気にならず、かえって異国の地にいる雰囲気を満喫することができた。窓のすぐ下を走る電車の音も確かにがたごとと大きかったが、それほどしょっちゅう通っているわけではなかったし、昔線路のすぐそばに住んでいたときのことを思い出したりして、かえって「ここにも人が生活しているのだ」という安心感があったりした。

朝食は7時30分からだったが、初日の朝は目覚ましの設定ミスで5時40分頃たたき起こされた。しかし、おかげでバルコニーからマルマラ海の夜明けを見ることができた。海は静かで、遠くの船の汽笛の音と鳥の声だけが聞こえる。窓からは周囲のホテルや現地の人の住居も見える。だいたい二階建てで、三階にサンルーム風の屋上があったりする。
部屋のバルコニーからの景色はどの日も大変すばらしく、いつまで見ていても飽きない。すずめが遊びにくることもあるし、遠くをゆっくり船が走っていくのを見ることもできる。4日目の朝に雨が降ったが、悪天候の景色も悪くなかった。
線路の反対側のグレーの家の奥さんは、毎朝家の周囲をほうきで掃除し、洗濯物を外庭と屋上に干していく。だが、休みの日に屋上の掃除をしていた旦那さんが、屋上から直接ゴミを通りに放り出したりして、奥さんは次の日またそれを掃除していた。夜は遅くまでテレビを見ている様子を毎日眺めることができた。



 
明け方の海と町並み。遠くを船が航行している。   バルコニー下の景色。線路が隣接している向こうに、働き者の奥さんの家がある。夜には手前の窓からテレビの光が毎日もれていた。
     
   
バルコニーからの右手の景色。普通の家は地味な色が多いが、ホテルなどの建物は綺麗な色のものが多い。オレンジ色の屋根瓦が印象的。    


ホテルの朝食はブュッフェ形式で、丸いパンと大きなのを切ったパンの二種類、トマト、きゅうり、ヨーグルト、青と黒のオリーブ、二種類のサラミ、白チーズ、プロセスチーズ、ゆで卵、たこ型に切ったウインナ、チーズに春巻きを巻いて焼いたもの、チーズパイ、チョコレート、クリームチーズ、バター、三種類のベリーのヨーグルトソース、シリアル、牛乳、紅茶、コーヒー、オレンジジュース、チェリージュース。デザートははちみつがふんだんに使用されたでかいケーキを自分で好きな量切って食べるようになっているのと、スイカ、姫りんご、チェリー、メロンなどの果物が日替わりで出されていた。スイカは果物コーナーではなく、きゅうりの横にいつもあったので、もしかしたらスイカは野菜の仲間として認識されているのかもしれない。メロンはトルコでは嬉しい果物らしく、お父さんがお土産に持ち帰る特別なものと聞いた。
パンを焼く機械があったが使い方がわからずいつもスイッチを無駄にいじっては使用を諦めていたが、最後の日に顔なじみのアメリカ人が教えてくれ、最後の日だけ使うことができた。最後の日以外は焼かないパンを食べたわけだが、パンは焼かないでも十分に美味しい。パンにつけるものも色々種類があったので、毎日食べても飽きない。
紅茶(チャイ)は新式のサモワールに入っていたのだが、紅茶だけだと異様に濃く、飲んだ後歯茎がしぶしぶになってしまう。後でチャイの横の蛇口のお湯で好みの濃さに薄めて飲むのだと知ることになる。二日目からは無事、おいしいチャイを毎日飲むことができた。飛行機の中で躊躇したチェリージュースは、日本のチェリージュースのようにあまったるくなく、ちょっと酸味がきいてさっぱりしていて香りもいい。サーバーからグラスに移した直後は、ちょっとだけ発泡していたので最初はサイダーかとも思った。
食事中はチェリージュース、食後にはトルコ風に砂糖を入れたチャイというのが私の朝の定番になった。



 
食堂内庭。すみにレモンの植木があり、実がひとつなっていたが、途中でなくなっていた。   初日の朝食。きゅうりがでかくて、トマトも味が濃い。オリーブは毎日10個くらい食べていた。白チーズは、日本のカッテージチーズの味が濃い感じ。グラスはチェリージュース。


食堂は屋内に十分なテーブルと内庭に3つテーブルが置かれている。内庭は籐製の丸いガラステーブルと籐製の椅子が置かれており、リゾート風の壁と青い空がマッチしてとても綺麗。
最初の日は内庭のテーブルで食べたが、どこからかキジトラ猫がやってきて食べ物をねだる。見れば妊娠している様子。たこ型のソーセージをあげたが食べないので無視していると、足にやたらとすりすりしてくる。別な白黒猫がやってくると、くるなと威嚇する始末。内庭には他にもお客がいたが、執拗に私たちにだけ甘えてくる。靴に猫の臭いがついているのだろうか。あまりのしつこいので、食堂の中に入ってしまった。
次の日には猫はいなかったが、4日目に食堂の中にまで入ってきて食べ物のある棚にまで上ろうとするので、インド人のお客と協力して食堂から追い出した。

このホテルでは、宿泊客とのふれあいやホテルスタッフとのふれあいが楽しかった。特にホテルスタッフは、私のでたらめな英語にいつもやさしく対応してくれた。私の英語のでたらめぶりは相当で、「このパソコンを使ってもいいですか?」と聞きたいのに、「あなたはこのパソコンを使いますか?」と質問したりと相当ひどかったのだ。後で旦那に報告すると、「よくそれで解ってもらえるよね」と呆れるほどである。ここのホテルスタッフの親切は、イスタンブールの一番良い思い出の一つだ。


●Hotel Historiaの紹介 (Please click)
●Hotel Historia.com


 
食堂内庭を一階の窓から撮影。食堂は地下2階にある。
最終日は生憎の雨で、テーブルセットにシートがかけられていて残念。
  食堂内庭から空を眺めたら、となりの廃虚風建物の屋根に鳥がとまっている。この日は晴天でとても良い天気だった。
     
 
食堂内庭の日陰で寝ている猫。この猫はお行儀がよかった。初日に会ったお行儀の悪い妊婦猫は、あまりに動き回るので写真を撮ることができなかった。   食堂で妊婦猫に威嚇されて、内庭に入れないでいる猫。うちの猫に似ていたのでハムをあげたかったが、妊婦猫に恐れをなして周囲をうろつくだけだった。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月1日 初日〜2007年06月13日 02時46分45秒

ブルーモスクの照明に反射する鳥。

■6月1日 イスタンブール到着日の夜


到着した日、部屋に入って荷物をあけたりしているうちに日はとっぷり暮れてしまった。時間はすでに22時を過ぎている。ついさっきまで薄暗かったので、感覚的には夕方7時頃な感じ。6時間の時差があるので、時間的感覚がつかめない。機内で起きてすぐに食事をしたので、それが朝食の感覚だったが、実はあれは早めの夕食だったのだと気づく。あまりお腹はすいていないが、ホテルのミニバーでビールを注文して景気づけをし、その後23時すぎにホテルの周辺を探索してみることにした。ミニバーで出てきたビールはトルコのビールを期待したが、デンマークのカールスバーグだった。

ホテルを出て目の前の道をまっすぐ行くと、ブルーモスクが見えてくる。夜は毎日ライトアップしているのだが、見上げるとブルーモスクの塔のライトに鳥が群がって反射して光っている。鳥は夜は飛ばないものと思っていただけに、ものすごく驚いた。後でホテルで仲良くなったスタッフに聞いたところ、イスタンブールの鳥は夜でも飛んでいるとのこと。しかし、ライトにこんなに群がっていたのを見たのは、この日だけだった。トルコでは土曜日がお休みで金曜日は特別な日らしく、夜の街は特別にぎわっている。鳥も金曜日だったのでモスクに群がっていたのだろうか。

ホテル前のゆるい坂道を少し歩き、交差点を右折するとレストラン街になっている。交差点の角では、屋台のケバブ屋さんがお店を出している。狭い石畳の道の両側に、それぞれのレストランが道ぎりぎりまでオープンエアのテーブルを出しており、その間を車が平気で行き交っている。交通量はそれほど多くないが、車が来たときはみんなゆっくり道の端によけながら歩いている。道をまたいで上の方に大きな黄色と紺のストライプの旗が等間隔にはためいている。お店では特にBGMなど流していない様子で、特別うるさいわけでもないのに、人の存在感だけで熱気があふれている。
道端にはあちこちに猫がいてお客のおこぼれにあずかろうとがんばっているが、お客のガードはなかなか固い様子。港町のせいか、やたらと猫が多い。


 
レストラン街にいた猫。ちがう猫がお客の足下をうろうろしているのをじっと眺めていた。   黒ビールとチャイ。テーブルのランプとマットがかわいい。
夜は暖かくちょっと湿気がある感じ。この日は半袖でもあたたかかった。


レストラン街の中ほどにあるオープンエアのカフェに入り、私はチャイを旦那はEFESというトルコのビールを注文する。トルコはイスラムの国だけど、お酒の製造が盛んでビールもワインもとても美味しい。EFESは何故か黒ビールが運ばれてきたが、ギネスよりさっぱりしておいしかった。
お金を払おうとギャルソンを呼んだら、15歳くらいの少年が来てくれた。こんな夜遅くまで少年が働いていることに驚く。黒ビールは5YTL、チャイは2.5YTLだったので、10YTL札で払うと細かいおつりがない様子。少年はあちこちのお店をかけずり回ったがなかなか崩してもらえないようで、途中で「今細かくしてくるからちょっと待っていてほしい」とわざわざ言いに来てくれた。お釣りのうちからチップに1YTLあげたら喜んでくれた。

帰りに小さな商店で水とタバコを買う。いつも吸っているSALEM LIGHTがあったので「せーらむらいと ぷりーず」と言うとなんだか判っていない様子。店の人は英語が話せないわけではないらしいが、しかたないのでタバコの棚にあるのを指さすと「サレムライト」と言っていた。なるほど、これがトルコでの名称なのか。
タバコの価格は日本より高め。SALEM LIGHTは日本では320円だがここでは4.5YTL、日本円で410円くらいだ。タバコが高いからといってトルコの人が減煙に意識をはらっているかというと、そうでもない。男女問わず町中いたるところでタバコを吸っているし、男性は歩きタバコをしている人も多い。母国ではタバコを吸う場所が減りつつある西洋人も、ここぞとばかりにすぱすぱしているので、そのマナーはトルコ人より悪かったりする。このタバコが高いのはトルコのタバコではないためなのか否かは不明だが、タバコは思ったよりもトルコ人の生活に根付いているのだと感じた。レストランでは水たばこのサービスをする店も多く、価格は10YTL前後。水たばこを試しているのはほとんど西洋人だった。

水は500mlのペットボトルでこの店では0.5YTL、日本円だと46円くらいなので水は安いと思ったが、観光地や空港の中ではもっと高かった(空港の中では2.5YTLだった。ぼったくりにも程があるぞ!!)。ペットボトルの飲料水は軟水でおいしく、成分表を見るとアルカリ水のようだった。いくつかの銘柄があるが、メーカーによって微妙に味が違う。

アルコールが入りちょっと小腹がすいたので、行くときに見かけた屋台のケバブ屋で一本買う。作るのを待っていると、鉄板で肉を焼き、薄いチャパティのようなパンに野菜と一緒にくるくると巻いてくれる。出来上がったのは、全長が30cmもある巨大なケバブが紙にまかれたものだった。価格は3YTL(275円くらい)と安いんだか高いんだか判らなかったが、疲れて値切る気力もないのでそのままお金を払ってホテルへ戻り、ケバブを食べたら小腹どころではなくなってしまった。肉は羊で、味は塩だけ。日本で食べると変なドレッシングのようなものをつけられたりするが、それよりずっとさっぱりしていておいしかった。

その日は早く寝たかったが、腹がきつくてなかなか寝付けなかった。



 
巨大ケバブ。日本のもののゆうに3倍はあり、こん棒のよう。中身は野菜たっぷりで意外とヘルシー(?)。でも、夜中に食べるものではないと痛感する。   左が日本のセーラムライト、右がトルコのサレムライト。トルコの健康に対する注意書きはものすごくでかく、すでにたばこのパッケージデザインの域を超えている。
     
   
PINARという水の成分表。pH8.0、カルシウム22.0mg、マグネシウム1.2mgとある。    

つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日トラブル続出〜2007年06月14日 08時42分01秒

この日の進路。
画像をクリックすると、スルタンアフメット地区の大きな地図が表示されます。記事を見ながら、大きな地図で場所を参照してご覧下さい。

■6月2日の朝

前の日に携帯のローミングがうまくいかず、日本のソフトバンクに電話する。夕べの状態では、メールとWEBの送受信はできるが電話がかけられない。日本で保存しておいた国際ローミングの設定方法をもう一度確認したがうまくいかず、旦那の携帯だけがやっと電話できる状態だったので、そちらから電話して確認した。ソフトバンクの国際電話対応の担当者は、電話するとすぐに折り返しホテルに電話をくれた。なんのことはない、私の電話は国際電話送受信拒否設定をしてあっただけのことだった。
ただ、同じ国内にいる同じ契約の携帯電話でも、お互いに日本以外で電話をするときは国際電話をかけることになり、気軽に利用しているとかなり高額になる。トルコのローミングサービスは3社ほどあり、電話料は会社によって50円くらい価格差がある。
とりあえず一番安いTULK CELLに設定し、イスタンブールでの緊急の場合はできるだけ安いショートメールで対応することにした。イスタンブールではWEBにも対応できたので、緊急時にリアルタイムで為替を確認したりすることができ、お金はかかるけど結構便利だった。

昨年、旦那がノルウェーに出張にいったときも思ったが、ソフトバンクは元vodafoneのサービスが現在も残っているため、海外にはめっぽう強い。Docomoも最近は海外でも利用できる範囲が広がっているらしいが、vodafoneの強みはヨーロッパだ。3Gは利用できないまでも、最低でもロングメールが使えればなんとかなる場合が多い。普段自分が利用している電話機をそのまま利用できるのはありがたかった。


※ソフトバンクの国際ローミング及び国際電話の利用は、MySoftbankにて事前の申し込みが必要。
また、詳しい設定方法は機種によって異なるため、携帯版MySoftbankの海外での利用の記述を参照。
ソフトバンク・オフィシャルサイト http://mb.softbank.jp/mb/



その間旦那は、前の日に撮影した写真を、持参した小型パソコンに移そうとがんばっていたが、メモリーリーダーのデバイスが合わず、写真がうまく転送できなくていらいらしている。このままだと喧嘩になりそうなので、ロビーにある共用パソコンに一度写真を移し、USBメモリーに移動して更に小型パソコンに移すことで事なきを得た。デジカメは便利だが、沢山写真を撮ろうと思うとその他にいくつもグッズを持っていく必要があるので、便利なんだか不便なんだかわからない。デジカメのメモリの大きい容量のを2〜3枚買えばいいのだろうが、普段そんなに使わない事を考えると無駄な浪費は抑えたかった。
ホテルの共用パソコンは誰でも利用できて便利だが、セキュリティが十分でない様子でちょっと不安。本体前面にある二つのUSBのうちひとつは壊れていた。

出かける前に、旅行会社からもらった注意事項を熟読する。1YTLは日本円でだいたい90円くらい。公衆トイレは有料で1YTL。タクシーは初乗り運賃が1.73YTLなので、利用するときはきちんと料金がリセットされていることを確認することなどが書かれていた。都市化が進むイスタンブールだが、タクシーは観光客相手に前の客の料金をリセットせずに上乗せして請求するドライバーがいるから注意とのこと。

結局、この日は10時すぎにホテルを出ることになった。




■アラスタバザール→ヒッポドローム→アヤソフィアへの遠い道のり

ホテルの前の道のつきあたりに、アラスタバザールという小さなバザールがある。イスタンブールの観光地になっているグランドバザールやエジプトバザールほどの大きな規模ではないが、こじんまりしていて良い雰囲気。ホテル側から入ると、すぐにオープンエアのカフェがあり、揚琴とトルコの民族楽器の演奏が行われていた。
左手に行くと、絨毯屋や土産物屋が軒を連ねている。客引きを覚悟していたが、声をかけてくる人は少ない。トルコの魔よけの目玉ナザールボンジュや、ラクダの骨を彫刻した人形など魅力的なものも多かったが、その日はお土産を買う予定をしていなかったので、価格も聞かずに眺めるだけ眺めて通り抜けてしまった。

アラスタバザールの西側の出口を抜け、ブルーモスクの裏側を通り、ヒッポドロームに着く。
ヒッポドロームはブルーモスクのすぐ西横にある大昔の競技場跡。大昔はかなり広い競技場だったようだが、現在は小さな公園の中に高さ25.6mの二本の石柱と、途中でぽっきり折れた8mの青銅製の蛇の柱が残されている。石の柱は北側に切り石を積んだ今にもくずれてくるような気がする「オベリスク」、南側にヒエログリフの刻まれた柱がある。
ブルーモスクや美術館や博物館が隣接している地域なので、大きな観光バスが細い路地に続々と入ってくる。公園内には観光客の西洋人の他に、トルコの小学生が先生に連れられて遺跡見物をしている様子。その前を色とりどりの水あめのようなものをトレーに入れて売っているおじさんがいたりした。


 
中央にある、青銅製の「蛇の柱」。   北側にある、切石積みの「オベリスク」。
     
   
南側にあるヒエログリフが刻まれた石柱。    


ホテルから見てアラスタバザールを左に抜けてきたということは、私たちはブルーモスクの西側が現在地である(別ウインドウの地図[1])。この日の目標はトプカプ宮殿。トプカプ宮殿はホテルの北に位置するので、私たちはやや逆方向に来たことになる。しかし、旦那がホテルの位置を勘違いしていて、どんどん西側に歩を進めていく。急な坂道を登りきったところで道がなくなり、やっと勘違いしていることに気づいた様子(別ウインドウの地図[2])。途中で道端の日陰で休んでいるおじさんに道を聞き、やっとトラムヴァイの通りにでることができた。
しかし、道を教えてくれたおじさんは「トラムヴァイを右(東)へ」と言ったのに、左手に小さなモスクがあると言って旦那は左(西)へ行く。急な坂道を登ってきたのでいささか疲れていたため何も言わずについていくが、どう考えてもこちらの方向にトプカプ宮殿があるようには思えない。何度も旦那に「右(東)でないの?」と言ってみるが聞いてくれない。

来る前に見たイスタンブールの注意の中で、「街中で『地球の歩き方』などを広げていると、日本人だとすぐにばれるので要注意」というようなことが書かれていた。日本人は世界中から見て最強のイージーターゲットである。私たちのいたスルタンアフメット地区は観光地でもあるため、油断していると気軽に日本語で声をかけてくるトルコ人に、高級な絨毯屋に連れていかれてぼったくられるという強迫観念があり、できるだけガイドブックを出さないようにしていたのも道を確認できない要因の一つでもあった。
空港で入手した英語のイスタンブール市内の地図は、あまりにも範囲が大きくおおざっぱすぎて役にたたない。

トラムヴァイ沿いを西に向かってどんどん歩いていくと、小さなお墓から観光客が出てきて、通り沿いのその先にイスラム風の建物と、小さなモスクが並んでいる(別ウインドウの地図[3])。後で地図を確認すると、私たちは目的地のスルタンアフメット駅の西側の次の駅の手前まで思い切り遠回りしていたらしい。
日差しの強さと一時間たっぷり坂道を歩いたおかげで、ちょっとふらふらしていると、日陰で休んでいたおじさんが英語で「日本人か?」と声をかけてきた。客引きではなさそうなので「そうだ」と答えると、「日本のどこから来たか? 大阪か?」と聞く。「東京の近くだ」と答えると「good」と言って親指を立てて笑った。そのおじさんに再度道を確認し、言う通りにトラムヴァイ沿いを東(今まで歩いていた方向と逆)に向かって歩いていくと、道の向こう側にある公園のわきにTravel Infomationの看板を見つけて飛び込む(別ウインドウの地図[4])。この公園こそホテルから5分もかからない場所に位置し、ブルーモスクとアヤソフィアの目の前にあり、一時間ほど前私たちがいたヒッポドロームの端にあるすぐそばの公園だということを知るのは、この後すぐのことであった。(ちなみに、目的地のトプカプ宮殿は、Infomationのすぐ東向かいにあるアヤソフィアの裏にあり、ここから歩いて10分もかからないのだ。)

Infomationに入り「英語のフリーマップをください」と言うと、Travel Infomationのおじさんは「フリーマップだってよ」とちょっとばかにしたように言って詳しい地図を渡してくれた。
「日本人か?」と聞かれたので「そうだ」と答えると、そのおじさんは日本語で「自分は日本人の奥さんがいて旅行のエージェントをしている。イスタンブール以外に行きたいところがあれば相談にのる」と言うので、「すでに自分たちにはエージェントがいるし、旅行の日程もすでに決めてある」と答えると、それまで満面の笑みで話していた笑顔が急に消えて真顔になり「そうか」と言ってだまってしまった。
外国人から見ると、日本人は本音と建前があって本心がわかりにくいというが、このときトルコ人の思い切り判りやすい本音と建前を垣間見た気がした。親日家で親切なトルコ人が多いのは確かだが、この後このトルコ人の「満面の笑みが消えた後の真顔」をちょっと怖く感じるようになった。



迷った道で見かけた、街角の映画ポスター。
こういう発見は楽しいのだが、きつい坂道の途中で、日陰もなかったので、初日から息絶え絶えだった。


道を渡りアヤソフィアの前に出る。一時間半ほど前に目の前に見えていたブルーモスクが、噴水のある公園のすぐ目の前に見える。やっと目的地がはっきり見えた安心感もあってかもう疲れきって歩けず、「どこかに座りたい」と訴えるが「お昼までにはまだ少し間があるので我慢しろ」と諭される。
せめてチャイでも飲みたいと思っていたときに、噴水のある公園のそば(別ウインドウの地図[5])で赤いシャツを着た細身でイケメンの若いトルコ人の男性が日本語で「日本人か?」と声をかけてきた。この公園はスルタンアフメット駅のすぐそばで、日本で事前に調べたときにネットで「しつこい客引きとぼったくりのひどい危ない店」と紹介されていた旅行エージェントと土産物屋のすぐそばである。これはあからさまにあやしいと思い、とっさに
「ロシア人だ」と答えると、
「ロシア人?ロシアのどこから来た?」と、ロシア人だと言っているのに何故か日本語で攻防が続く。
「ヤクートだ」と答えると
「ヤクートってどこだ?」と聞くので
「ロシアの一番東側だ」と返事をする。
しかし、これはすぐに嘘だとばれてしまって、途中でお互いにふきだしてしまった。
彼は実際に絨毯屋(ネットで紹介されていた危ない店なのかどうかは不明)の客引きなわけだが、笑ってしまい仕事にならないと思ったのか、「自分は良い店を知っているので紹介したい」ようなことを言うが、何度か断ったら「イスタンブールを楽しんで」と言って去って行った。しかし彼とはこの後3回も同じ場所で出会い、それぞれ違う方法で客引きされることになる。

当初の目的地のトプカプ宮殿は、現在いるアヤソフィアのすぐ裏にあることは判った。ヒッポドローム以外にまだ何も見ていない私たちは、結局広大なトプカプ宮殿は後回しにして目の前のアヤソフィアに入ることにした。
アヤソフィアに入ると、すぐに休憩所がありドリンクなどが売られている。日陰のベンチはすでにいっぱいだったが、隅の方が空いていたので一番最初にカフェに駆け込む。私はトルコ名物のしょっぱいヨーグルトドリンク「アイラン(1YTL)」を、旦那はチェリージュース(1YTL)を注文する。私たちの前に会計をしていた西洋人が、10YTLを出したら「細かいのはないのか」と言われて小銭を出している。10YTLを出したら同じことを言われたが、小銭はあいにく持ち合わせがなかったので「のーこいん」と言うと、店員は「ノーコイン」と甲高い声で復唱して笑って5YTL札と1YTLコイン3枚でおつりをくれた。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 アヤソフィア〜2007年06月16日 05時39分04秒

アヤソフィア中央の部屋。
正面にメッカの方向を示すライトアップされたミフラーブ。天井に聖母マリアの絵が確認できる。

■アヤソフィア


アヤソフィアは、スルタンアフメット地区のブルーモスクとトプカプ宮殿の間に位置する。長い歴史の中でさまざまな宗教に利用されながらも、イスタンブールの象徴的な建造物の一つとなっているらしい。
ぱっと見ただけでは、向かいにあるブルーモスクと様式的にどのような違いがあるのかは判らないが、中にはギリシア正教の大本山として利用されていた当時の名残があちこちに残されており、現在は博物館として利用されている。
チケットは一人10YTL(日本円で900円くらい)。宗教的に複雑な背景のある建物だからか、入口で空港ばりの荷物チェックを受ける。
中に入ると最初に左右の出口に通じる通路があり、そこを抜けて更に中に入るようになっているが、石造りの建物の中はひんやりとしていて気持ちがいい。中は必要最低限のみで無駄なライトアップはされておらず、観光客がたくさんいるにも関わらず厳格な空気で満たされている。

中央の部屋は巨大なドーム型の天井まで吹き抜けになっており、その周囲を二階と三階のテラスで囲っている作り。一階正面の巨大なステンドグラスの下に、オスマン帝国時代に作られたメッカの方向を示すミフラーブがライトアップされ、南側の天井には巨大なグレーと青の羽毛のような絵が描かれており、これはもともと大天使が描かれていたとのではないかと思ったりした(詳細未確認)。中央の部屋の四方には巨大なコーランの丸いパネルが設置されており、キリスト教系の壁画とイスラム的なオブジェなどが不思議に融合している。

※アヤソフィアの詳しい情報はこちら。
Wikipedia「アヤソフィア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2



通路の上方にある壁に描かれたタイル画の写真を撮影していると、旦那が「コンタクトがずれた」と言って泣きながら位置を直そうと必死になっている。今回の旅行で「初老の初コンタクト」を購入しさっそくつけてみたが、慣れないためか一度調子が悪くなると復旧に時間がかかる。
しかたないので通路にある窓口形式の小さな土産物屋を眺めていると、さまざまな言語で書かれたトルコ料理の本が売られていた。通っているロシア語教室ではみんなトルコ料理が大好きなので、ロシア人の先生へのお土産にロシア語で書かれた本を一冊購入する。最初に中を見せてもらうのに渡された本は表紙にしわがついていたので、「しわのないやつとかえてくれ」とボディランゲージで訴えたら快く交換してくれた。

中に入ると巨大なドーム型の天井が一望でき、正面の天井に聖母マリアの絵が見える…はずなのだが、あいにく天井は修復作業中のためやぐらが組まれて、視野の半分は見ることができなかった。ガイドブックに書かれていた「マリアの手形」も、セキュリティの人に場所を聞いたりしたのだが、結局どこにあるのかわからず確認できなかった。
アヤソフィアはこれから博物館として展示物を本格的に陳列する作業が二階でも行われており、長い歴史の中で痛んだ壁画やタイルの修復が進められているとのこと。


 
修復作業中の天井。あちこちの壁や天井の痛みは、思った以上に激しい様子。   二階バルコニーから撮影。工事中なのが本当に残念。
     
 
一階通路の端の天井にあった、ギリシア正教時代の壁画。   もともと天使の絵だったのではないかと思わせる、羽毛(?)の天井画。
     
 
メッカの方角を示すミフラーブ。ギシリア正教時代は、ここに十字架があったらしい。
博物館の中は通路の小さいライトを除けばほとんど自然光だったが、ここだけはステージのようにライトアップされていた。
  正面の美しいステンドグラス。


アヤソフィアの中に入ったのがちょうど正午くらい。入口のカフェで飲んだアイランで胃が刺激されたためか、旦那がコンタクトでぐずぐずしているうちに私の空腹はすでに絶頂を迎えており、歩きつかれたのとで一つ一つじっくり確認したくてもどこか上の空。「空腹、同行者のドジ、アンラッキー」は夫婦旅行中の喧嘩の三大要素を十分に満たしており、普通だったら尋常ではない喧嘩に発展しているところだが、不思議と怒る気力もなくただぼーっと建物内の静かな空気にひたっているのが気持ちよかった。
写真が趣味なのか、床にはいつくばるようにして写真を撮っているカップルがいたりする。彼は一眼レフのデジタルカメラだったが、彼女は旧式の小型のデジタルカメラだった。

正面のライトアップされたミフラーブの前までくると、西洋人の小学生くらいの女の子が進入禁止のロープの中に入ろうとしているので、「どんとごー」と注意をすると、突然不明な言葉で私に向かって話し始めた。言葉は英語でもないようで何語か判断つかず、何を言っているのかまったくわからない。まるで劇でも演じているように激しいボディランゲージを加えて語りかけてくるが、私が注意をしたことによる不満を訴えているわけではなく何かを説明しようとしているかのように思えた。じっとその子の言動をうなづきながら見ていると、その子の保護者が来て「この子はダウン症で、私もこの子が何を言っているのかわからないんだ」というようなことを英語で話していた。
その子の保護者と旦那がしばらく世間話をしている間、私はずっとその子のことを見ていたのだが、彼女はまるで神がかっているかのよう。場所がライトアップされている場所でもあったのだが、後光がさしているようにさえ見えた。ギシリア正教時代もイスラムの今も、神に通じる場所でこのような奇妙な体験をしたことはなんとなく偶然ではないようにさえ思えた。しかもはた目から見ても彼女の行動はひどく不可解なはずなのに、周囲の人たちは誰もそれに気をとめる人はいない。たまに神の言葉を聞いて異言を唱える人がいるという話を思い出した。
旦那との世間話がひととおり終わり(やはりどこから来たのか?というような話だったらしいが、ダウン症についても話していた様子)保護者がその子を連れていってしまったので、彼女の説明は途中で中断されてしまった。手をひかれた瞬間に表情がかわり、まるで今までのことなどなかったように歩いて行ってしまった。

二階にあったタイルや壁画の写真展をみたり石作りの通路の北側の塔に登ったりしてアヤソフィアを二時間ほど見学し、再び二階に戻ってきたときは疲れきってしばらく座ったまま動けなくなっていた。話をするのも面倒くさい。旦那も疲れきって機嫌が悪くなってきている。旦那は自分で空腹に気付かない体質で、自分で気付いたときには限界を通り越していることが多い。ただ、空腹になると異様におおざっぱになって機嫌が悪いのですぐにわかる。こういうときは「お腹すいてないの?」と質問しても「すいてない」と言うに決まっているので、私がいかにお腹がすいてへとへとかをアピールするしかないのだが、それすらもする気力がなくなっている。
旦那は、私があまりにぐったりしているのでさすがに寝込むか怒り出すかの危険を察知したのか、南側に展示されている絵をあきらめて食事に行こう言ってくれた。

一階の土産物屋のある通路を南側に抜けたつきあたりに芝を刈る道具がへいに立て掛けてあり、その下で子猫がたくさん固まって寝ていた。そのそばでは、親猫がへいの隙間から何か獲物を狙っていた。



 
暑い中日陰で固まって眠る子猫。重なりあって6匹くらいいた。   子猫の横でへいの隙間から獲物を狙う親猫。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 作戦失敗〜2007年06月17日 04時48分25秒

6月2日のお昼ご飯。
左の皿がほうれん草炒め、中央上の皿が巨大なナスとチキンのチーズ焼き、中央下の皿がドマテス・ドルマス、右中央の皿がトマト味のピラウ、どんぶりにはジャジュク、右の籠はフリーのパン。

■ロカンタでお昼を食べる。

トラムヴァイの通りまで戻ると、西に向かって右手にはレストランが軒を連ねている。気軽なケバブ屋もあれば、ロカンタも多い。私たちのトルコ旅行の一番の楽しみは食事で、高級なレストランよりもロカンタに入るのが楽しみだった。ロカンタとは惣菜食堂のようなもので、すでに調理済みの食べ物が店頭のショーケースに並べられておりそれを自分で選んで注文するシステムの食堂のことだ。もちろんメニューもあるのでそこから注文しても良いが、目の前にごちそうが並んでいるとお店の人に好みなどを伝え、料理の説明などを受けながら注文するのが楽しい。だが、これは目がほしくなってついたくさん注文してしまう心理作戦のような気もする。日本にも似たようなシステムの食堂があるが、最近はなかなか姿を見かけなくなった。
たくさんある店の中からひときわショーケースの大きな店をちらっとのぞくと、中からかっぷくの良いおじさんが現れ、すでにお約束の質問となった「どこから来たのか?」と聞く。「日本からだ」と答えると、「スタッフには日本語の話せる人がいるから、安心して中に入って食事ができる」と日本語ができるというスタッフを指差し店に誘導する。
ご馳走を目の前にしてもう迷っている場合ではなかったので、そこに入ることに決める。そこはアヤソフィアからすぐのトラム沿いにあるジャン・レストランというロカンタだった。

日本語ができるというスタッフは「メルハバ」とトルコ語の挨拶をした後、片言の日本語で料理の説明を簡単にしてくれ、お勧めを聞きながら「シェアして食べるから」と一皿づつ注文する。
きゅうりをヨーグルトとにんにくで和えたトルコ風ヨーグルトスープ風サラダ「ジャジュク」、トルコのご飯「ピラウ」はトマト味のものを、トマトに米やひき肉を詰めて焼いた「ドマテス・ドルマス」、巨大なナスとチキンのチーズ焼き、ほうれん草炒めなどを注文するが、私たちはここで大きな間違いをおかした。
トルコのレストランは、席につくともれなくパンがサービスされる。おかずの量に関係なく、テーブルに着くと一番最初にパンが大量に運ばれてくるのだ。私たちはこのことを事前に学習して知っていたはずなのに、このときはあまりの空腹とイスタンブールで最初のまともな外食だったせいか、パンを自分たちの許容量に入れて計算していなかったのだ。米もよく使われているが、米はトルコでは野菜として扱われるため、ピラウを頼んでも主食はあくまでパンである。 帰国後、トルコの人たちのロカンタでの食事風景を録画していたビデオで確認したところ、みんなだいたいスープとおかずだけなど1品か2品程度注文しそれをおかずにパンを食べるというスタイルらしく、みんなけっこう簡素に食事をしている。
いくら空腹でもこれはちょっと欲張りすぎだろうと、旦那と二人でテーブルに並べられた料理を見て苦笑してしまった。一人前によそってくれる量もけっこうあるので、二人とは言ってもこの量は多すぎである。

それでも、テーブルに並んだ料理は空腹を度外視しても大変美味である。世界一美味しいというトルコのパンは非常にもっちりしていて、トルコの料理にとてもよく合う。特に自給率100%という野菜は素材そのものの味が良く、ナスの味は最高だった。トマトは大きくて皮が厚いためか、詰め物をして焼いても日本のトマトのように形が崩れることはないらしい。香辛料を使ってはいるが、味付けは非常にシンプル。素材の味を十分に堪能できるのが嬉しい。
なんとか全て完食したが、案の定お腹はみちみちになってしまった。食後にトルコの紅茶チャイを注文し、午後にそなえて500mlの水を一本持ち帰りで注文する。会計は、29.5YTL(記憶不確か。日本円で約2650円)くらい。
トルコ式にチャイには砂糖を入れて多少元気になったが、長時間の歩き疲れは前日にあまり眠っていないせいもありなかなか改善されなかった。




トプカプ宮殿の庭から見たボスポラス海峡の景色。

■撃沈する。

食事を終え、アヤソフィアの前を通り抜けてトプカプ宮殿へ向かう。
アヤソフィアからトプカプ宮殿への道のりはスルタンアフメット地区一番の観光のメッカである。行き交う人はほとんど外国人で、通り沿いにはトルコやイスタンブールのガイドブックや、トルコ名物のゴマパン、洋服やスカーフ、お土産物などを売っている露店が続く。

途中でナザールボンジュなどを売る店があったのでひやかしに覗いてみると、お店の兄ちゃんが小さな椅子に座ったまま声をかけてきた。トルコでの外国人への第一声はきまって「どこから来たか」の確認である。
観光初日の私たちは、この手の客引きを異常に警戒していたため、「日本人ではないということにしよう」という取り決めをしていた。私はほんの少しだけどロシア語を話すことができるし、旦那は英語ができるから、ロシアからの観光客だということにしていたのだ。広いロシアの中には、私たち日本人と顔かたちが似ている民族がたくさんいる。広大なロシアのたくさんある連邦国からあまり名前の知られていない国を選べば、トルコ人から見れば本当に日本人なのかどうかは判らないだろうという作戦だ。
最初に「コリア?」と聞かれて首を横にふると、「チャイニーズ?」と聞くので再び首を横にふる。「ジャパニーズ?」と聞かれて再度首を横にふる。「じゃあどこから来たんだ?」と聞かれて、「ロシア」と答える。しかし、慣れない嘘はつくものではない。
店の兄ちゃんを半分無視して店の品物を見ていると、兄ちゃんがいきなり日本語で「おばさ〜ん」と私に向かって叫んだのだ。そして私は不覚にも、その言葉に思い切り反応してしまったのだ。思わず振り向いた私を見てお店の兄ちゃんは「やっぱり日本人だ〜」と笑ったので、私たちはしまったとばかりふきだしてしまった。あまりにも体裁が悪いので、早々にその場を立ち去るしかなかった。

トプカプ宮殿の入口の門には、両側に一人づつ兵士が銃を持って立っている。私たちが門に着いたときには、左側に金髪で碧眼の兵士、右側にアラブ系の顔立ちの兵士が無表情に立っていたが、門は南を向いているのでどちらの兵士も顔が真っ黒に日焼けしている。ちょうど交代の時間だったのか、私たちが門を通りぬけた直後にさきほどまで門に立っていた兵士が足早に談笑をしながら追い越していった。立っているときは姿勢を正して微動だにしていなかったので、こういう人たちも休憩に入るときはリラックスして笑うのだなと思った。


トプカプ宮殿の庭で、疲れ果てて景色を眺める私(-_-)。
 
トプカプ宮殿は外門から広大な庭を抜けてその先にチケットゲートがある。門からチケットゲートまでは300mほどの距離。このとき私たちはガイドブックをよく読んでいなかったせいもあるのだが、その先にある宮殿内部はいくつかの建物や博物館にわかれており、どんなに足早に見ても2時間〜3時間はかかるらしいことを初めて知る。また、宮殿内を案内するガイドを利用する場合は、ある程度の人数を集めて移動するので待ち時間がある場合もあるとのこと。このときすでに15時をまわっており、閉館までに宮殿を全て周ることができるのかという疑問が頭をよぎる。
チケットゲートに入る前に情報をチェックしようと芝生の木陰に腰掛けたら、あまりにも景色がいいのと帰路に着く人の顔がどの人も疲労困憊しているのを見て、腰をあげる気力がなくなってしまった。
芝生の中では、大きな犬が木陰で昼寝をしていた。猫はどこでも見かけるが、犬はトルコに着いて初めて見た。よく見ると耳に何か確認票のようなものをつけている。

10分ほど休憩して「この体力では宮殿見物は無理だから、一度ホテルに帰って休みたい。トプカプ宮殿はまた違う日にしよう」と旦那に訴え、この日の宮殿見物は中止にすることになった。
この時には旦那はすでにトプカプ宮殿とホテルの位置をきちんと把握しており、最短のルートでホテルに戻ることができたが、トプカプ宮殿からホテルまでは歩いて10分ほどしかかからなかった。

帰りの下りの坂道で道路の整備の悪いところに足をとられてけつまずき、その様子を見ていた観光バスを誘導するおじさんが「マダ〜〜ム、大丈夫か?」と心配して声をかけてくれた。しかも日本語ではないにしろ私はここでもおばさん扱いであり、疲れきった意識の中で国際的にも私はおばさんなのだと自己認識してちょっとへこむ(まあ、当然といえば当然なのだが)。

ホテルに戻ると、二人のトルコ人男性が玄関前の外テーブルでチャイを飲みながらバックバャモンをしている。バックギャモンは20年程前にはまったが、その後プレイできる人に恵まれずここ数年はネットプレイだけで我慢しているゲームである。
興味深げに遠くから覗き込もうとすると、「チャイをごちそうするから是非テーブルに座って見ていきなさい」と笑顔で誘われる。見たい気持ちはやまやまだが今は身体を休めるのが先決なので返事に困っていると、旦那がすかさず「彼女はとても疲れている」と説明する。ゲームをしていたのはホテルのスタッフらしく私が興味を示したことを非常に嬉しく思っている様子で「待っているから部屋に荷物をおいて戻ってこい」と言うが、旦那が「とても無理そうだ」と言ったので彼等はとてもがっかりしてしまった。私が「しーゆーあげん」と手をふったら、彼等も笑顔で手をふってくれた。

出るのが遅かったのにくたくたに疲れ果ててものすごく早くホテルに戻ったためか、ロビーカウンターのスタッフが私たちを見てびっくりしている。鍵を受け取り部屋に戻ると、ベッドカバーが部屋の隅においてある状態で、まだ部屋の清掃が完全にすんでいなかったらしい。汗だくの身体で直接シーツの中に入るのは嫌だったので、ベッドカバーを自分でベッドに広げてその上に横になるとほどなくして眠ってしまった。



つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 メヴレヴィー教団の旋舞とブルーモスク〜2007年06月19日 04時51分49秒

メヴレヴィー教団の旋舞のステージ。
※クリックすると、WindowsMediaPlayerのムービーを別ウインドウで見ることができますが、一部のバージョンでは見られない場合もあります。

■メヴレヴィー教団の旋舞を見る

以前「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」という映画で、モスクの中でトルコのイスラム教神秘主義教団の一つメヴレヴィー教団の旋舞のシーンがあり、旦那はそれが大変印象深かったと言っていた(私は途中で寝てしまったので、うすぼんやりしか覚えていない)。男性が白いスカートを着て、すそを広げながら音楽に合わせてくるくると回って踊ることが祈りとなるというものらしい。
イスタンブールではガラタ・メヴラーナ博物館がその教団を知るための施設なのだが、この博物館でも旋舞を見ることができるのは月に一度とガイドブックには書いてあり、旋舞は見られないかもとあきらめていた。イスタンブールの中には、旋舞を見ることのできるレストランなどもあるようだったが、どこも高い値段だったので行く予定はまったくしていなかった。

トプカプ宮殿見学を諦めベッドに横になって3時間ほどで目が覚めると、比較的身体がすっきりとしていた。私が寝ている間に旦那は観光計画の見直しをしていたらしく、歩いてすぐのブルーモスクは夜でも見学が可能なのでこれから行こうということになった。

アラスタバザールに入って朝とは逆に右に行くと、ブルーモスクのまん前の公園に出る。アラスタバザールでは相変わらず揚琴の演奏が行われていて、水タバコのための練炭が階段に置かれていた。
ホテルを出た時間は19時すぎ。そのまま行けばモスクの夜の祈りの時間を避けて行くことができたのだが、ブルーモスクから公園をはさんだ正面にオープンエアのカフェがあり、そこから笛と太鼓で演奏されるトルコの古い音楽が聞こえてくる。カフェの前に観光客がむらがっていたので見てみると、店の奥の小さなステージでメヴレヴィー教団の旋舞が披露されていた。
カフェの前で入ろうかどうしようか躊躇していると、中から店員が出てきて「前の方の良い席が空いている」と教えてくれる。チャイは一杯トルコ式のグラスで1.5YTL。それほど高い値段ではなかったので、チャイでも飲んで舞踊を見ることにした。

ちょっと小腹がすいていたので、チャイの他に「バクラヴァ」というトルコのめちゃくちゃ甘いナッツ入りパイ菓子、トルコ名物のアイスクリーム「ドンドルマ」を注文した。
注文したドンドルマは昔日本で流行った「のびるトルコ風アイス」ではなかったが、ベリー味とバナナ味とチョコレート味のトリプルで、溶け始めるとそれが微妙にまざりあって美味だった。しかし、ナッツ入りの日本で食べたのより数倍は甘いバクラヴァと一緒に食べるのは非常にヘヴィーで、結局チャイをもう一杯注文しなければならなくなった。


 
ダンスを披露していたカフェの看板。トルコの古代の音楽家の名前が店名の由来のようだ。   トルコのアイスクリーム「ドンドルマ」と頭がきんきんするほど甘いパイ菓子「バクラヴァ」。
ドンドルマは、舞台に夢中になって最初に写真を撮るのを忘れ、気づいたときにはちょっと溶けていた。


ダンサーの男性は一曲おきに旋舞を披露する。あやしげに両手をあげて、物憂い表情でただひたすら片足をじくに回転する。白い衣装のスカートのすそが綺麗に広がり、ただ回っているだけなのに非常に幻想的である。振り返れば夕暮れの中、幻想的に浮かぶブルーモスクが一望できる。

20時30分にはモスクから町中にコーランが流れ、ブルーモスクでは21時までは礼拝の時間だったため、カフェの舞台は20時30分前に終了した。それまで舞台にいたダンサーは、ステージを降りた後私たちの左前方のテーブルに座ってコーラをらっぱ飲みしていた。舞台では非常にうつろで無表情だったが、椅子に座ったとたん明るいトルコの青年の表情に戻る。
私たちがブルーモスクに向かうために席を立つと、彼は私たちに気づいて手を振ったので私も笑顔で手を振って挨拶をした。会計はチャイ4杯とドンドルマ、バクラヴァとサービス料込みで29YTLだった。

Wikipedia「メヴレヴィー教団」:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%95%99%E5%9B%A3





夜のブルーモスク。
夜景モードで撮影。金色に輝いてとても幻想的。

■ブルーモスク

カフェ前の公園を抜けてブルーモスクへ行くと、モスクの前にある水道で礼拝者が足などを洗っている。この洗い場は大きな建物の前に必ずあり、それらは現在使用されているのかどうかわからない感じなのだが、建物の中に入るときは身を清める習慣があったのかもしれない。モスクの入口にあるものは古くても現役で、塀の一部が奥まっていくつか蛇口が並び、礼拝者はそこに並んでそれぞれ身を清めるのだ。形は違うが、日本で神社に入るときの手水のようなものなのだろうと思う。

ブルーモスクへ入ると、礼拝堂の入口に「現在礼拝中につき、信者以外は入れません」という看板が置いてあった。入口付近は観光客と礼拝者であふれている。観光客の中には巡礼者も多く、暑いのに黒い服で顔まで隠している女性や、スカーフをしている女性を多く見かける。
割礼式の帰りの巡礼者もいて、スルタン風のかっこいい衣装に身を包んだ子供連れの家族もいた。子供の写真を撮りたかったが、場所が場所なので言い出せなかった。

モスクの広い中庭の向こうに、黒い猫がいて観光客を眺めていたので写真を撮りに行く。真っ黒の顔に鼻のあたりだけ白い毛足が長く目も切れ長の猫。白いエプロンをしているようでかわいい。イスタンブールの猫は人が近づいても逃げる様子もなく、カメラを向けてもお構いなしなので、猫好きな私には大変嬉しい。
礼拝が終るのを待っている間に陽もとっぷり暮れて、モスクの塔には金星が見えてくる。その横を飛行機雲が走っていくのが見える。



 
信者以外立ち入り禁止の看板。さまざまな言語で書かれている。   夕暮れのモスクの塔。金星の上に飛行機雲が走る。
     
 
ブルーモスクの中にいた猫。
じゃりんこチエの小鉄のよう。
  礼拝堂の入口。礼拝が終わるのを待つ観光客と、礼拝に訪れた信者がごった返している。


21時が過ぎ、礼拝の人と入れ替えに観光客の入場を許可される。私はスカーフを持参していったが、多くの女性は入口でスカーフを借りている。レンタルのスカーフは微妙に色味は違うがどれもトルコブルーだった。もともときちんとスカーフをしている女性は巻き方がとてもかっこ良いが、観光客はにわかイスラム教徒になるためスカーフをしてもどこかだらしなくなってしまう。

ブルーモスクの内部はひんやりとして静まり返っており、礼拝を終えていない信者が奥のほうで祈りを続けている。観光客の話し声はみんなひそひそしていて、さすがに大声で話してる人はいない。キリスト教や仏教の寺院のように信仰の対象となる神様の像のようなものはどこにもないが、内部に流れている空気は神の存在を知らしめるような清浄な空気で満ちあふれている。
昼間に来ると外の採光が中のタイルに反射してブルーに見えることから「ブルーモスク」の名前がついているらしいが、夜に見ると白を貴重にした壁が黄色の電球に照らされ、ベージュを基調とした内装に見える。さまざまなタイルで彩られた独特の模様が大変美しい。
端の方には、昔のブルーモスクの銀細工でできたミニチュアが展示されており、その横には控え室で礼拝を終えたお坊さんが休んでいるのが、部屋のガラス越しに見えた。

ロシア人らしいカップルがお互いに写真をとりあっていたので、「めいあいへるぷゆー?」と声をかけると、一瞬伝わらなかったような顔をしたがすぐにわかってくれて、「Thank you. Please.」といって持っていたカメラを渡してくれた。それで「あふたー みーとぅ」と言うと「no problem」と言ってくれ、へぼへぼの私の英語が通じたことに驚いた。
しばらくすると、黒いイスラムの衣装を来た年輩の女性がボディランゲージで「写真を撮ってあげよう」と声をかけてくれた。カメラを渡して写真を2枚撮ってもらい、返してもらうときに「どこから来たのか?」と英語で聞かれたので「じゃぱん」と答えると、「Welcome to Istanbul」と笑顔で答えてくれたので、笑顔で「てしぇっきゅれでりむ、さんきゅーべりーまっち」とトルコ語と英語でお礼を言った。
でも、その人も英語はあまり話せない様子だったのでそれ以上会話はできなかったが、ボディランゲージで足が痛いのだというようなことを言っていた。その女性が座っていたところには「座ってはいけません」と書かれていたのでたぶんそれを見逃してほしかったのだろうと思い、にっこり笑ってその場を離れた。


30分ほど見学をし外に出るとあたりはすでに真っ暗。ブルーモスクに入る前にいたカフェでは新しいステージが行われている様子で、前とは趣向の違う音楽が流れている。ブルーモスク前の公園を抜けるところで、芝生の中に猫を見かける。自分では人間に気付かれていないつもりのようだったが、写真を撮ろうとするとめずらしく逃げてしまい、茂みの中から顔だけだしてこちらを伺っていた。


 
礼拝堂の中。照明の関係で黄色っぽく見えるが、昼間は外の採光でブルーに見えるらしい。   礼拝堂の隅に展示されていた、昔のブルーモスクのミニチュア。銀で非常に細かい細工が見事だった。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 ロクムと魚のケバブ〜2007年06月22日 01時24分13秒

トルコのお菓子「ロクム」。
いちご味、メロン味、ぶどう味(?)、レモン味、ナッツ付きミルク味、チョコ味、ピスタチオまぶしなど。ここの店のロクムは粉砂糖とココナッツがまぶしてある。

■ロクムを買う

ブルーモスクから出てきたときは、すでに21時30分を過ぎていた。モスク前の公園にいる猫をひやかしつつ歩いていくと、行く前に入ったカフェでは別なステージが催されており、その前を通り過ぎたところにお土産物屋がある。ふと見ると、店の奥にロクムのケースが置かれている。
ロクムとはトルコのお菓子で、人によっては「
ぎゅうひ」だとか「ういろう」だとか言うが、私は「ゆべし」が一番日本のお菓子に近いのではないかと思う(味によっても質感が異なるが)。粉砂糖をまぶした固めのゼリー状のお菓子で、味はフルーツのものや、ミルク味の生地にナッツを練りこんだもの、チョコレート味のものと色々ある。大きさも色々でケースのある店は量り売りしてくれるが、大抵のお土産物屋ではあらかじめ箱詰めされたものが売られていることが多い。

 
  おいしいロクム屋店頭。本当はアクセサリーやお土産物がメインのお店。昼は年輩の男性が、夜は新婚で無愛想な若い男性が店番をしている。この二人が親子かどうかは不明。
   
その店はトルコ石のアクセサリーなどをメインに売る店で、一見すると昔の駄菓子屋にあった縦型のお菓子ケースのようなロクムのショーケースは、店の一番奥の方に目立たなくおいてある。店に入ると店員は非常にうれしそうに対応したが、私が「ロクム」と言うとちょっとがっかりしたような顔をして「500gで15YTL。どれがいいか選べ」と答えた。「ちょっとまけてほしい」と言うと面倒くさそうに「量でおまけする」と言う。この店でロクムだけ買う客など相手にしたくないのか、それともそういう客の方が珍しいのか。
ショーケースの中には色々な色や大きさのロクムがあり、店員は面倒くさそうながらも非常に丁寧にロクムの味の説明をしてくれる。「どれがいいのかわからない」と言うと「取り混ぜてやる」と言ってでかいスコップでざくざくとロクムを袋に入れて計ってみると1kg超えてしまった。「1kgでもいいか?」と聞かれたが、とりあえずちょっと試してみたいだけだったので「そんなにたくさんいらない」と言うと、一番大きくて一番お勧めだと彼が言ったロクムを一番最初に袋から取り出し、700gで15YTLにしてくれた。

フルーツ味のロクムは、昔年寄りの家で出されたオブラートに包まれたゼリー菓子のような感じ。素材ははっきりはわからないが小麦粉を練って作ったような感じで、ミルクやナッツのものは濃厚で非常に甘くて数個でお腹がいっぱいになってしまう。それでもこの素朴な味がやみつきになってしまうのだ。チャイの砂糖を控えめにしてロクムをお茶うけにするのが気に入ってしまう。
この後、エジプトバザールや新市街などでロクムに出会うが、ここの店のロクムはココナッツの粉がまぶしてあって一番おいしかった。

帰路の途中で、この旅の中で一番お世話になった絨毯屋とお土産物屋を兄弟で経営する日本語堪能なオスマンさんに出会うことになる。 彼の店の前で声をかけられ仲良くなり、ひょんなことからお茶に呼ばれたのでそのお礼に買ったロクムをお裾分けした。彼は「ぼくの店でもロクム売ってるけど、量り売りしているものの方が美味しい。このロクムは味がいいね」と言って、ロクムと引き換えに自分の日本製で日本語OSのノートパソコンを貸してくれた。




この日の遅い夕食。
魚のケバブとつけあわせのフライドポテトとサラダ。フライドポテトはトルコ料理のつけ合わせによく使われていた。サラダは日本でよく見るものと同じだったが、野菜の味が非常の濃厚で何もつけなくても美味しい。フリーのパンはバゲットタイプではなく、ナンのような平べったいパンだった。

■魚の干物のケバブ

オスマンさんのところを出た頃には小腹くらいの空腹が中腹くらいにはなっていたので、せっかくだし食事ではなくお酒でも飲もうということになった。
最初の日にチャイを飲んだレストラン街で、メニューをチェックしながら「魚を食べてみよう」とホテルから近い「OCEANS 7」というレストランに入る。ここは到着した日に、トルコの太鼓をたたいて歌を歌っていたお客がいた店だ。長髪イケメンの黒いシャツの男性に路上の席を案内され、魚のケバブとワインを一本注文する。ワインはトルキッシュ・エアの機内で飲むことができるワインと同じもので、辛口だけどフルーティでさっぱりした口当たりだった。


 
  この日飲んだワイン。
辛い白ワインは苦手だが、このワインはとても飲みやすかった。
   
ワインはすぐにきたが、食事がなかなかやってこない。トイレに行きたくなり席を立ち、戻ってみると旦那がごちそうの前で私を待っていた。私がトイレに立ったすぐ後に食事がやってきたようで、その間5分くらいのことだったのだが、路上の席だったせいかパンもケバブも少しさめてしまっていた。
ケバブは白身魚のようだが、鱈の干物を焼いたような感じ。ちょっと冷めているせいか固い。味はほとんどついていないので、テーブル上の塩コショウで好きに味付けするようだ。
海町で育って魚好きの旦那は「うまい」と言っていたが、私はもともと鱈のぱさぱさした感じが好きではなく(この魚が果たして鱈なのかどうかは不明だが)、固い上に細かくなった魚が歯の針金の隙間にもれなくはさまってしまい、歯列矯正中には非常に辛い食べ物だった。

つけあわせにレモンが半個ついていたのだが、このレモンが大変美味だった。日本でもこの手の料理にたいていレモンがついてくるが、私はいつももったいないと思ってしまう。でも、日本のレモンはワックスがついていたり、輸入のものだと危険な薬がついていたりするので、皮ごと食べるのを躊躇してしまう。トルコは野菜の自給率が100%だし、食べる野菜や果物はどれも非常の味がいいので、レモンも大丈夫だろうとかじってみると、すっぱいが刺激のあるいやなすっぱさではなく、甘みがあって非常においしかった。皮もかじったがほろにがくて美味だった。

この日OCEANS 7は非常に空いていてお客は私たちだけだったのだが、私たちの席の近くにお店の店員とその友人が座って談笑をしていた。
トルコ出身の世界的スター「タルカン」の出現の影響か、トルコ人の若い人は非常におしゃれな人を多く見かける。高橋由佳利の「トルコでわたしも考えた」では「トルコ人は禿げている人が多く、髭をはやすのが一般的」というようなことが書かれていたが、若い人で髭をはやしている人はそれほど多くないし、禿げている人もあまり見かけない。特に若い女性はものすごくおしゃれですきがない。
でも、観光客相手に働く多くのトルコ人の男性はお世辞にもスタイルがいいとは言いにくく、どちらかというと日本人と似たような体型の人が多い。若い人でも身体は痩せていてもお腹がぷっくり出ている人が多く、背もそれほど高くないし足も長くない。みんな非常にラフなスタイルをしている。そういう中で、この店の若い店員はみんな長髪で、髪もきちんとスタイリングされており、おしゃれなシャツを着て痩せていてイケメンである。腹も出ておらず、一昔前に六本木や赤坂でうろうろしていた若い人のような感じ。途中で髪を金髪に染めた女性がやってきたが、この人も非常にスタイルが良くて美人である。
私が魚のケバブと格闘をしていると、美人が私をちらっと見てにこっと微笑んで小さく手を振ってくれた。近づきがたい雰囲気だったのに、やっぱりトルコ人はフレンドリーなのだと思った。

0時を過ぎたので、お会計をして店を出る。ケバブとワインで33YTL(3000円)ほど。
前の日にタバコを買った店で水を買い、写真の整理をしてその日は早く寝てしまった。



つづく

◇トルコ旅行記 〜イスタンブールで出会った友だち〜2007年06月27日 01時08分47秒

オスマンさんのお店の店長(?)。オッドアイのワン猫「ぷりちゃん」。



■オスマンさんとの出会い


今回のトルコ旅行では、当初ガイドブックを中心に調べていたので、ほとんどネットで調べるということをしなかった。ネットの情報はあたりはずれが多く、トルコのように状況が流動的な国ではサイトに掲載されている情報がその時は通用しないことも多いからだ。
とりあえず行ってみればわかるだろうと余計な情報を調べることをせず、行く2〜3日前に現地の注意事項だけをサイトで調べただけだった。

サイトで調べたときにひとつだけ非常に役に立ったサイトがあった。
危ない店や客引きにあったときの対処法などが判りやすく書かれており、必要なところだけプリントアウトして持っていった。このサイトはトルコに何度も個人旅行に行っている女性のサイトで、女性だけでトルコを旅する注意事項や簡単なトルコ語も書かれていて、ここで入手した情報のおかげで色々助かったこともあったのだ。 このサイトは「ぷるぷるトルコ」というところで、トルコを何度も旅行している「さやさん」という女性が運営しているらしい。

「ぷるぷるトルコ」 http://tabiatama.cool.ne.jp/turk/


スルタンアフメット地区のフォーシーズンズ・ホテルのすぐそばに、ARTEMiSというオスマンさんのお店がある。
彼は二度ほど日本に滞在し、流暢な日本語はその時覚えたとのこと。前述のさやさんとは友達で、mixiでトルコ関連のコミュニティを運営していたりする。「mixi知ってる?」との言葉に、まさかイスタンブールでmixiの名前を聞くとは思わなかった。

前の話でも書いたが、オスマンさんに出会ったときは「いつもの客引き」だと思った。彼に話し掛けられたとき、私は英語で「私達はこれからホテルに戻るところだから」と言ったつもりだったのだが、それを聞いたオスマンさんと旦那がびっくりして、あわてて旦那が何か訂正をしている。そして旦那が私に「その英語は違うよ」と言ったときに、オスマンさんが「ぼく日本語わかるんだよ」と言い出したのだ。このとき私は「私達と一緒にホテルに行きましょう」という意味のことを言ったらしい。「それは大変危ないよ」とオスマンさんは笑って日本語で話し出した。
旦那の前で堂々と逆ナンパする妻に旦那は半ば呆れていたが、オスマンさんが「日本語が話せる」と自分から言ってくれ私の間違いを笑って指摘してくれたことで、この人は悪い人ではないと思ったのだった。
そして、私がオスマンさんの飼い猫「ちびちゃん」に非常に興味を持ち猫が大好きだということを知ると、とても珍しい猫を飼っていることを教えてくれた。猫の非常に多いイスタンブールで、ちびちゃんは珍しく首にトルコブルーの鈴をつけていたので、一目で飼猫だとわかったからだ。他の猫は地域の人たちには大事にされているが首に飾りをつけている猫は皆無で、飼猫なのかのら猫なのかの区別がつかない。ちびちゃんを見たときに、飼猫と一目でわかるようにしていることがとても珍しく思えたのだ。

三日目の夕方、一通り観光をした後オスマンさんのお店を訪れると、店の前の隅にあるケージからちょっと毛足の長い白い猫を取り出して見せてくれた。猫はオスで名前は「プリンス」。「日本人はみんなぷりちゃんと呼ぶよ」と彼は教えてくれた。
この猫は、トルコのワンという地域にだけ生息する「ワン猫」という猫で、白く長い毛並みと右の目がブルー左の目がゴールドというオッドアイが特徴の猫である。非常に珍しい猫で、現在はワンからの持ち出しが禁止されている。オスマンさんは持ち出しが禁止される前にイスタンブールに連れてきたとのこと。実家のあるワンに帰ると、もっとたくさん飼っていると言っていた。
絨毯屋の前にしかれている見本の絨毯の上にぷりちゃんを放すと、ちびちゃんもやってきてじゃれ合う。見ると、ちびちゃんはお腹が大きいらしい。「ぷりちゃんの子供がもうすぐ生まれる」と言っていた。
ぷりちゃんとちびちゃんはこの通りの人気者らしく、絨毯屋の隣のレストランの店員はちびちゃんが店に来ると遊んであげたりしている。それを見てオスマンさんはちびちゃんをその都度呼び寄せて注意しているので、人気者ではあるけれどものすごく気を使っているのだなと思った。オスマンさんは、日本語で話をするときはちびちゃんを「ちびちゃん」と呼ぶが、トルコ語でのときは「チビゲ」と呼んでいる。「ゲ」がトルコ語で「ちゃん」なのか、それとも別な意味があるのかは聞きそびれてしまった。



 
オスマンさんが兄弟で経営する絨毯屋「ARTEMiS」。
店頭のじゅうたんで休んでいるのは、ちびちゃん。
  絨毯屋の向かいのお土産物屋「ARTEMiS」。オスマンさんの弟さんムスタファさんが、私達のためにチャイを運んでくれるところ。
     
 
オスマンさんとワン猫ぷりちゃん。
オスマンさんの顔が半分なのはご容赦ください。

  ちびちゃん。首のかざりがかわいい。現在妊娠中。
     
店頭のじゅうたんの上で和むぷりちゃんとちびちゃん。



この後私たちはオスマンさんのお店で買い物をし、「僕たちは友達だから」と言ってかなり値引きをしてくれた。後で別な店で同じ物を売っているのを見かけたが、オスマンさんは偽物の場合ははっきりと偽物だと言ってくれたので、こちらとしても安心して買い物をすることができたことになる。

イスタンブールではたくさんの客引きに出会ったが、二日目の朝に出会った一人の客引きが私たちがはっきり返事をするのをためらっているのを見て、日本語で「困ったなぁ〜」と笑いながら言ったのがとても印象に残っている。この客引きがなぜこんなことを言ったのかというと、たぶんこの客引きが出会った日本人の多くが吐いた「困ったなぁ〜」という言葉を何度となく聞いたからなのだとこの時思ったのだ。
日本人は「ノー」をはっきり言えない人種だと思われている。『買う予定はないけどちらっと見るくらいはしてみたい。話を聞くくらいならいいだろう』というのが日本での買い物の一つの方法であるからだ。日本でもそれを逆手にとった商法が問題になることもある。
多くの日本人は嘘が下手だし、はっきり断ることも苦手だ。だから客引きに親切にされてその代償にお店に行こうと誘われると、「いやです」とは言いにくいのだ。私たちがロシア人のふりをして失敗したように、嘘をついてもすぐにばれてしまう。向こうは何百人という観光客を相手にしている強者だ。「もう買ったから」と言っても実際に買っていなければ顔に出るのだろうと思う。

オスマンさんのところで買ったものは全てきちんとした説明があり、自分が納得した価格で安心して予定のものをあらかた購入できたことは大変ありがたかった。買い物のためにあちこち回る手間が省けたのも大きかったが、通りや大きなバザールに行って店の前を通って話し掛けられたとき「もう買ったからいらない」と堂々と言うことができただけでも、心の重荷がひとつおりたのだ。
堂々としていれば、向こうもそれ以上は突っ込んでこない。だます目的で話しかけてきた客引きでも、話にのるつもりがまったくない意思表示をはっきりすれば、トルコ人特有の親切が顔を出すことも多かった。その後は客引きに話し掛けられるのが怖くなくなり、逆に楽しむ余裕さえできてきたのだ。

私たちが買い物をした次の日にオスマンさんのところに遊びに行くと、オスマンさんの友達だというイスタンブール在住の日本人男性が知り合いの若い日本人女性旅行者を連れてやってきた。女性はオスマンさんのお店のすぐそばの商店の二階のドミトリーに泊まる予定とのこと。一泊1500円と言っていたのでかなり安い。普通、女性一人でドミトリーに泊まるのはかなり勇気のいることなので、オスマンさんが「女性なのに勇気がある」と感心していた。
彼女は次の日からカッパドキアに移動する予定だと言う。別れ際に「また会いましょう」と言ってくれたが、残念ながらその後彼女に会うことはできなかった。

その後私たちは滞在期間中ほとんど毎日オスマンさんのお店に出没し、チャイや果物をご馳走になったりした。オスマンさんは私たちが仕事のじゃまをしているのに嫌な顔一つせず、「もう友達だから」と言って歓迎してくれた。おじゃまだとは思いつつも、オスマンさんのところで過ごす時間がとても好きになり、このゆっくりと流れるイスタンブールでの時間を心地よく思った。

私達とお店の前でチャィを飲んでいる間も、彼は通りかかる観光客に声をかける。英語で話し掛けることが多かったが、フランス語のときもあればドイツ語のときもある。アジア人のときは韓国語、中国語、日本語を使い分ける。「通りかかった人がどこの人かわかるの?」と聞くと、「だいたいわかるよ」と言う。韓国人と中国人と日本人は、服装と顔でわかるらしい。ただ、西洋人の場合だいたい判るけどはずれることも多いらしい。これを聞いて私も通り行く人を観察してみた。アジア人は中国人は比較的わかりやすいのだが、韓国人と日本人の違いはなかなかわかりづらいものの、韓国人の女性は肌が非常に綺麗なのですぐにわかるようになった。
でも、思い返してみると彼は私達には最初から英語で話し掛けてきたのだ。旦那が「自分達にはどうして英語で話し掛けてきたの?」と聞くと、「あなたたちが英語で返事をしたから」と答えたがこれは答えになっていない。たぶんあの時私達はでかいサングラスをかけて帽子を目深にかぶっていたので、アジア人だということは分かっただろうがどこの国かを確信することができなかったのだろうと推察した。

滞在中彼は大変親切で、聞けば知っていることはなんでも教えてくれ、地元の人が利用するスーパーマーケットの場所や、プリンス諸島の見どころなどを教えてくれた。私達がプリンス諸島に行く前の日も、「大事なものだけど貸してあげる。必ず返してね」と言って、プリンス諸島に渡るための情報を書いた小冊子を貸してくれたりもした。
その日あったことを話してその中でトルコ人のいやなところがあったりすると、「そういう人たちがいるから日本人が警戒する。トルコ人として恥ずかしい」と悲しそうに言っていた。「日本人だって同じだよ」と言うと、「日本人はやさしいから」とかばってくれたりもしていた。
持参していった口琴を演奏してみせると、大変興味深く私たちの話も聞いていた。
オスマンさんのお兄さんやいつもチャイを運んでくれる弟さんたちとも顔見知りになり、いつも笑顔で迎えてくれた。
私たちが帰国する前の日にバックギャモンをしようと言って勝負したが、案の定めちゃくちゃに負けてしまった。「ぼくはゲームではとても非情だよ」と笑っていた。
短い期間だったけどオスマンさんのおかげでイスタンブールの旅行がとても有意義だったし、行くまでの怖く思っていたほとんどのことが楽しみに変わった。彼の親切ももちろんだが、彼にとっては普通の何気ないことでも私達は毎日いやされたわけで、本当に彼に感謝している。

最後の日は朝から雨だったが、空港へのピックアップの時間は午後だったので、午前中にお別れを言いにお店に行った。ホテルで友人になったドイツ人と日本人のご夫婦と4人でお店にうかがうと、オスマンさんは黒いジャケットにおしゃれなシャツを着ていて「今日はおしゃれをしているのね」と言うと「たまにおしゃれするんだよ」と笑っていた。
それまでずっと良いお天気だったので「最後の最後で雨に降られちゃった」と言うと、「あなたたちが帰るから空も泣いてる」と名残惜しそうにしてくれた。
私たちが彼のお店を出る頃には雨は上がり、いつものイスタンブールの青空が広がっていた。



つづく




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