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◇トルコ旅行記 〜6月4日 カザフスタンスタイルのトルコ料理で夕食〜2007年08月02日 03時44分03秒


レストラン「BUHARA」。
ここの料理はカザフスタンスタイルで、トルコ料理よりはスパイシーだったが本当に美味しかった。

■レストラン「BUHARA」


GREENSで買い物をすませ、さっきまでチャイを飲んでいたレストランに戻ると、店の前では先ほど私たちに親切にしてくれたギャルソンがまだ立っており、私たちが本当に食事をしに戻ったので大変驚きそして喜んでくれた。さっそく店の中に案内されると、中には地元の人達ばかりが談笑をしながら食事をしている。観光客は私たちだけのようだ。
使い古して写真もぼけ気味のメニューが運ばれてきて、お勧めは何かと訊ねると羊がお勧めだと言う。イスタンブールに来てから毎日のように羊を食べているので違ったものが食べたかったが、ここの料理はカザフスタンスタイルなので、トルコのものよりスパイシーでヨーグルトソースととても合うという。トルコの料理はヨーグルトがふんだんに使用されていると聞いていたのだが、イスタンブールではまだヨーグルトソースのものを食べていなかったのでメインは羊のヨーグルトソース、前菜にスパイシーサラダを注文する。
その他に何か変わったものはないかとメニューを見ていると、「Humus」と書かれた料理がある。このまま読めば「フムス」と読めるのだが、ギャルソンの言っているのを聞くと「ホムス」と聞こえる。「フ? ホ?」と発音を確認するが、どう聞いても「ホムス」としか聞こえない。私達の中では「ホムス」とは口琴のことなので、その名前だけで私たちはその料理がなんなのか確認もせずに注文した。

最初に運ばれてきたのはやはりパンだったのだが、ここのパンはインドのナンのようなものがふくらんで出てきた。ふくらんだパンに出会うのはイスタンブールでは二度目だったが、ここのは巨大なパンがふくらんでいたので驚いた。味は濃い目のナンのような感じ。小麦の味が濃いのだが、これがスパイシーなサラダや羊によく合う。
Humusは何か穀物をディップしたもののようで、ゴマの風味がきいて美味しかった。最初はジャガイモだと思っていたが、帰国して調べてみたらひよこ豆をディップしたものらしい。ごま油がたくさん使用されているようでこってりしている。これも肉やパンにつけて食べると、また違った味わいで美味しい。すっかりHumusのファンになってしまい、帰国してからも自分で作ったりトルコ料理店やギリシア料理店などでメニューにあるのを発見したりしている。



   

レストラン「BUHARA」のメニュー。
価格改正があったのか、値段がマジックで手書きで書かれている。
   
     
 

スパイシーサラダ。ちょっと辛いが、色々な野菜が香辛料で味付けされていて意外にさっぱり味。
 
ふくらんだパン。
     
 

Humus。ひよこ豆とゴマとゴマ油の風味が美味しい。油がけっこうたく使われているのでこってりしている。
 
スパイシー羊のヨーグルトソース。スパイシーな味付けにヨーグルトソースがぴったり。ヨーグルトソースは肉の下にひかれている。


食事が終ってチャイを注文して飲んでいると、ギャルソンのおじさんが「食事はどうだったか?」と聞いてきたので「とても美味しかった」というボディランゲージをすると大変喜んでいた。英語で「私のwebサイトで紹介したいので、店の外の写真を撮っていいか」と聞くと、「もちろん」と言って店の名刺をくれた。

イスタンブールの食事はシンプルでさっぱりしているけれど、ここの料理は基本的にスパイシー。でも辛いというのではなく、香辛料がふんだんに使用されていて複雑な味と香りが美味しかった。何よりギャルソンのおじさんの親切とサービスのよさは、私たちのイスタンブール滞在の中ではビカ一だった。古い店内は地元の人達で賑わっているけれど、余計なBGMもないしゆっくりゆったりと食事をすることができる。この日は非常に疲れた一日だったし、嫌なことも嬉しいこともいっぱいあった日だったので、最後の食事で気持ちよく過ごせたことが嬉しかった。
後で、ホテルで友達になったご夫婦にこのレストランのことを話したところ、彼らもここを発見することができ、食事をして大変美味しかったと喜んでいた。イスタンブールにもう一度行くことがあったら、またここで食事をしたいと思った。

帰り道は、スルタンアフメットまでの下り坂を歩いていく。途中、イスタンブールで数えるほどしか見かけない犬が道ばたで寝ていた。この犬はいつも同じところで同じポーズで寝ていて、起きているのを見たことがない。近付いてみたが死んでいるのかと思うくらいぐっすり寝ている。トプカプ宮殿で見た犬と同じように耳に認識票のようなものをつけているので、後でオスマンさんに聞いてみたら「あれは虫よけの薬を投与しているという印」だと教えてくれた。イスタンブールでは、犬にはそ虫よけの薬を投与するのが義務付けられていて、耳に認識票のない犬は危険らしい。また、イスラムの宗派の中には犬に直接触ってはいけないものもあるとのことで、それでも触りたいときは服の袖をのばして服の上からさわるのだという。それでも、道ばたでぐっすり熟睡できる犬や、車がばんばん通る街中でも普通に暮らしていける犬や猫を見るにつけ、イスタンブールの野良犬・野良猫達はなんて幸せなのだろうと感心してしまう。オスマンさんは、「イスタンブールは猫のパラダイスだ」と言っていたのが印象的だった。



道ばたで熟睡していた犬。耳の白いのが認識票で、ピアスのように耳に穴をあけてつけられている。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月5日 プリンス諸島行き定期船に乗る〜2007年08月09日 05時44分59秒


2007年6月5日現在のプリンス諸島行きの船の時間表。Eさんがトラベルインフォメーションでもらったのを撮影させてもらった。
※ クリックすると大きく表示します。

■ビュユック島に行く


この日はイスタンブールから船で一時間半ほどのところにある、プリンス諸島に行くことにする。この諸島の存在は、NHKのトルコ語講座で案内人が行ったのを見て知った。テレビの中では馬車に乗り、トルココーヒーを注文するというのを紹介しており、のんびりとしたその風景が大変印象深かった。
プリンス諸島は、マルマラ海にあるイスタンブールから一番近いリゾート地。9つある島のうち、船で行けるのはクナル島、ブルガズ島、ヘイベリ島、ビュユック島の4つ。
前の日にオスマンさんにどの島がお勧めか聞くと、彼はビュユック島がいいと言う。そして、彼が大事にしているというプリンス諸島の案内小冊子を貸してくれた。

朝7時半にいつものようにホテルの地下食堂で朝食を食べていると、「日本人ですか?」と日本語で声をかけられた。その人は私たちよりも少し早くから滞在していたアジア人の女性で、いつも西洋人の男性と二人で食事をしている人だった。これまで何度か食堂でお会いしていたが、軽く朝の挨拶を英語でする程度で話をしたのは初めてのことだった。「そうです」と返事をすると、「いつも日本人かなあと思っていたのだけど、確信がもてなかったので今まで声をかけられなかった」と話してくれた。彼女はM・Eさんと言う日本人だが、ドイツ人のご主人E・Eさんと結婚されて現在はドイツに住んでいるとのこと。これまでどこに行ったなどと話しているうちに、彼女達もその日プリンス諸島に行く予定だということを知った。
これまでイスタンブールからプリンス諸島に行く場合どこの港から船に乗るのか、聞く人によってエミノニュからという人もいればカバタシュからという人もいたが(ガイドブックにはエミノニュから船が出ていると書いてある)、Mさん達がインフォメーションで聞いたところによると、エミノニュは船着場が多くプリンス諸島航路の船着場は駅からも少し歩かなければならないが、新市街にあるカバタシュからだと乗るのが判りやすくいいらしいことが判り、私たちもそこから船に乗ることにした。Mさん達は、どこの島に行くかまだ悩んでいるとのこと。もし途中でお会いしたらご一緒しましょうと、特に約束もせずに食堂を引き上げた。

朝9時40分頃スルタンアフメットからトラムヴァイに乗り、ガラタ橋を通って15分ほどでカバタシュに到着する。駅のまん前に桟橋があり、船着場の入口には人がごった返している。時間と料金をはっきり調べていなかったので時刻表を確認していると、旦那がトルコ人の男性につかまっている。この人はビュユック島のレストラン「アリババ」の客引きで、観光客を捕まえては名刺を渡している様子。旦那が時間や値段を聞くと「40」と言うので旦那はそれを船の料金だと勘違いし、またぼったくりだと思って「高すぎる!」と抗議したが、それは次の船が10時40分に出港するという説明を勘違いしていたことが判明。「料金じゃなくて船の時間だよ」と笑われていた。そして、切符を購入する場所や名刺に帰りの船の時間などを親切に書いて教えてくれ、もし島に来たらぜひレストランに寄ってくれと言った。



 

カバタシュの船着場。ここからのプリンス諸島行きの船は定期船なので、観光客と地元の人でごった返している。
 
乗船コイン。
     
   

カバタシュの船着場に隣接するカフェのテラスから見た風景。

   


切符売り場で乗船コインを購入し、出航までにはまだ少し時間があるので隣接するカフェでお茶をしながら待つことにする。船の料金はビュユック島まで一人2YTL(約186円)。乗船コインはトラムヴァイのコインに似ている。トルコの乗り物は、紙の切符ではなく大抵このコインを自動改札機のような機械に挿入して入口のゲートが開く仕組みになっている。紙だと使い捨てだが、コインだと回収してまた使用できるので経済的だと思った。

カフェに入るが店の人が案内してくれる様子はないので、勝手に海を眺めるテラスの席を陣取り注文を取りにきてくれるのを待つが、なかなか注文を取りに来てくれない。旦那がカウンターまで「注文したいのでメニューをくれ」と言いに行くと、「席で待つように」と言われもどってくる。しばらくして愛想のないギャルソンがやってきて注文を聞くのでチャイを二つ注文する。
船着場の入口は人でごった返していたが、店の中は人があまり利用していない様子。船着場側の席では外で売っているドネルケバブで朝食を取る人などがいるが、私たちのいた海側のテラス席はお茶をしながらぼーっと海を眺める西洋人が数人いるだけだった。
この日のイスタンブール地方は雨の予報だったが、薄曇りではあっても大変良い天気で安心する。暑すぎることもなく寒いこともない。




船から乗客が投げるエサを目当てに船についてくる海ネコ。彼らのエサをとる技術は大変高いが、乗客のエサを投げる技術はあまり高くないので、多くのエサが海にうかんでいた。エサは街中で売られているパン。

■Eさんご夫妻との再会


出航の時間がせまり船着場に戻ると、改札の前は人で更にごった返している。日本だと整然と列を作って順番を待つが、トルコではその列は大変曖昧だが、気にする人は誰もいない。その列の中にEさんご夫妻いるのが見えて声をかける。
ゲートにコインを入れて船に乗り込むが、席はどこもうまっていて立っているしかない。Eさんご夫妻はまだどこの島に行くか迷っている様子だったが、ビュユック島にご一緒することになった。ビュユック島は車の乗り入れが禁止されており、交通手段は自転車か馬車しかないらしい。だが、私たちが島で自転車を借りて周るつもりだと言うと、ちょっと躊躇されている様子でもあった。

船の中では、一杯1YTLのチャイのサービスがある。お盆にチャイを乗せて売りに来るのだが、たまたまカバタシュの船着場でEさんご夫妻が会ったレストラン「アリババ」の客引きがその係で、彼らにチャイをフリーサービスしてくれたついでに私たちもご相伴に預かった。
立ったままチャイを飲みながら窓の外を見ていると、乗客が外に向かってパンを投げ、それを船と一緒に飛んでいる海ネコが見事にキャッチしている。仙台に行ったとき松島巡りの船でも同じような光景を見たが、細かい島を眺めるマルマラ海の風景も松島とちょっと似ているような気がしてしまう。海ネコの数はどんどん増えていってちょっと怖いくらい。海の中を見るとくらげが浮かんでいて、こんなところにもくらげがいるのだなあと、あたり前のことを思ってしまう。



 

海におちたエサも海面をとびながらゲットしている海ネコ。
 
仙台松島を彷彿させる風景。


ビュユック島はプリンス諸島航路の終点なので、途中で下船する人がいて空いた席に移動すると、奥の方から楽しそうな歌声が聞こえてくる。Mさんと二人で様子を見に行くと、地元の高校生が小さなジャンベを演奏しながら踊り歌っている。あまりに楽しそうなので一緒に踊りたかったが、ちょっと恥ずかしいので遠くで見ていると、高校生の一人がにっこり笑って手を振ってくれた。船の中での大騒ぎにそれを戒める人は誰もいない。演奏も歌も踊りもとても上手なので、逆にその光景をみんな楽しそうに眺めているのだ。日本だったら「うるさい」と思う光景も、旅先では楽しい光景に変わっているのが不思議に思える。
Eさんご夫妻とお話をしているうちに一時間半はあっという間に過ぎてしまい、船はビュユック島の船着場に到着した。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月5日 ビュユック島でのサイクリング〜2007年08月11日 04時23分17秒


ビュユック島地図。全部周ると自転車で3時間~5時間くらいかかりそう。
※画像をクリックすると大きな画像で見られます(800x1158)。

■ビュユック島での昼食

ビュユック島に到着した時間は、ちょうどお昼の12時15分。食事をしようと船着場を出て左手の海沿いのレストラン街を歩く。街中に入れば手ごろなロカンタなどがあるようだったが、船着場でも船の中でも親切にしてもらったことだし、だまされたと思って「アリババ」に行こうということになった。お昼時なので途中のレストランでも熾烈な客引き合戦があったが、目的地は決まっていたので笑顔で誘いを断る。途中で向こうから馬に荷物をひかせているおじさんが来たので「馬だ馬だ」と言って近づいていったが、子供の頃家の前を馬車が通っているとき(私の子供の頃は、まだ馬車が道を通っていたのだ!!)、馬子のおじさんが「荷物をひいている馬にさわると、突然あばれるかもしれないので危ないから触ってはいけない」と注意された記憶が瞬時に頭をよぎり、馬に触る一歩手前で触るのを辞めてしまった。すると馬をひいていたおじさんが私にハイタッチをしてきて、それがとても嬉しかった。
目的のレストラン「アリババ」に到着し席に着くとさまざまな魚を見せてくれ、手ごろな大きさの魚を選んで焼いてもらった。その他にぶどうの葉のドルマ、タコとオリーブのサラダ、ナスとトマトのサラダ、魚のケバブと選んだ魚をグリルにしてもらったのを堪能した。私達は食後にチャイを、Eさんご夫妻はトルココーヒーを注文し、ビュユック島での行動について話し合った。料金は全部で90YTL(約8370円)ちょっと高めだったが、久しぶりに二人以上で食べた料理は大変美味しかった(写真は撮り忘れてしまったが)。




ビュユック島中央にある休憩所の馬車の駐車場。

■ビュユック島周遊

私たちはレンタサイクルを借りて周遊するつもりだということを改めてEさんご夫妻に告げると、彼らもそれに同意してくれたので更にご一緒することになった。本当だったら楽に馬車に乗って優雅に周遊する方が楽だしそれもまた楽しそうで、Eさんご夫妻はどちらかというとそちらに興味がありそうだったのでちょっと申し訳なく思ったが、自転車で周ると小さな発見をすることができるのが楽しみだった。

船着場からまっすぐ時計塔のある街中へ歩いてちょっとすると、レンタサイクルの看板が見えたのでさっそくそこで自転車を借りる。私の中のレンタサイクルのイメージでは、しょぼいママチャリでペダルが異常に重かったりするのかと思っていたが、そんなことはまったくなく立派な前後輪ギアチェンジ付きのマウンテンバイクが店先に並べられている。サドルの高さもある程度調節できるが、西洋人向けのバイクが多いので背の高いEさん以外は小さめのバイクを選ぶのに一苦労だった。利用料金は1時間で一台3YTL(約279円)。
この時の馬車の料金はまったくわからないが、後でネットで調べたところ2005年の夏の馬車の料金は短いコースで25YTL、長いコースで35YTLだったらしい。2005年の春にはもう少し安かったらしいので、今はもっと高いのだろうと思う。旅行会社のオプショナルツアーなどだと、ビュユック島馬車での周遊観光が船代、食事付きで一人25000円するものもあったので、それから考えるとフリーで来るのはそれほど難しくないし、ちょっと贅沢して馬車に乗ったとしても格段に安いといえるかもしれない。

どこの島でもそうだが、島の道は急な坂道が多くギアチェンジしてもけっこう辛い。結局上り坂のほとんどは自転車を押して歩くことになるのだが、古い小さな教会や道端に咲く花を愛でながら自転車をこいだり歩いたりするのはなかなか楽しかった。自転車など乗るのは本当に数年ぶりのことだったが、下り坂を風を切って疾走するのは気持ちがいい。車が通らないので空気がとても綺麗だし、ふだんまったく運動しない私でも身体を動かすことが心地よく感じる。海に面した道に沿った建物は綺麗な色で塗られた壁が素敵なリゾート風の建物が多く、防風のために松の木が植えられていて、松という木はどこでもこういう活躍をしているのだなと思ったりする。
途中馬車に乗る観光客が私たちを横目で見ながら走り去っていく。

島の地図はイスタンブールでは入手できず、唯一Eさんがレンタサイクル屋でもらった絵地図が頼りだ。途中で案内地図の立て看板はあるのだが、絵地図と微妙に違っていたりするので案内地図にある現在地と道が本当に正しいのかちょっと不安になってしまうが、島の道は単純なので帰れないことはないだろうと道を進んでいく。私達が案内地図の前にいたとき、アジア人のカップルが後ろからやってきて英語で「今どこですか?」と訪ねられたが、私達もはっきりとわからないので場所を指差し「メイビー…」と言ったら、そこは地図上にある現在地と書いてある場所とは違う場所だったので、かえってその人の不安をあおる結果になってしまった。しかし、それ以上説明できる英語のボキャブラリーは私にはないので困ってその場から離れると、Eさんが親切に彼等に説明をしてくれた。彼等は韓国人のご夫婦のようだった。

ぽつんと一軒ある売店で水を買うのにトルコ語に挑戦して笑われたり、大きなお屋敷の前でここがどんなところなのかじろじろと眺めて推測したりと色々なわくわくを体験する。途中の松林の公園の中では、同じように自転車で周る人や歩いて周る人が休憩をしており、ビーチボールで遊んだり、歌を歌ったり、木陰で昼寝をしていたりする。こういうのは、馬車では絶対に味わえないものだと思ったりした。



 

レンタバイク屋。(紙の看板の奥がお店)
 
街外れにあったギリシア正教の教会(跡?)。十字架の横棒が二本あるのがギリシア正教の印だと教わった。
     
 

上り坂は歩いて行く。
 
松林の公園で休む人達。


途中でやはり現在地が確認できない不安と、昔ここの島に島流しにされていた偉い人のお屋敷跡がどこにあるのかを知るため、営業していない売店を見つけそこに人がいたので聞いてみる。その人は英語が話せなかったが、地図を見せて指差すと、トルコ語で現在地と行き方を指で地図をなぞって教えてくれた。
島の中央部に位置する休憩所に着くと、旅行ツアーなどのオプショナルを申込むとここで休憩することになっているのか馬車がたくさん停車している。その近くの案内板を見ようと近づくと、そこだけ土の色が違うのでよくよく見てみるとそれは全て馬糞だった。私は馬糞の山の中に思いきり足を踏み入れていて、旦那に「これ全部馬糞だよ」と言われて初めてあわててしまう。馬糞はほとんど草なので水はけをよくするためにここにまいているようで、全て乾いていたのがせめてもの救いであった。
Eさんの持っていた地図で現在地を確認し、そこから島を周遊する長いコースと街へ戻る短いコースを選択しなければならなかったが、ここまでくるのに一時間かかっているので帰りの船を心配し短いコースで街に戻ることにした。当初の目的地だった昔のえらい人がいたという建物は、もう少し手前の細い路地に入らなくてはならなかったらしく、この休憩所からだと更にきつい上り坂をのぼった先にあることが判明。帰りの体力を考え、結局見ないで過ぎてしまった。

下りの続く道をしばらく行くと農場があり、オリーブの木の畑があったりゆるい草地の丘に馬が放牧されているのが見える。もう少し行くと島の墓地が見えてきて、入口の門のそばの建物の屋根に海鳥の子供が立っているのを発見する。このあたりは馬車のルートから外れているのか、馬車があまり通らない。
しばらくしてまた馬車の通る道に出て、花の咲くゆるい上り坂を自転車を押して歩いていく。このあたりは島の東側にあたり、古く朽ち果てたリゾート風やギリシア風の建物が多く、さらにそれらを修理して売り出しているのが多く見られた。こんなところでのんびり余生を送るという選択も悪くないのだろうなとちょっと思ったりした。



 

島中央の休憩所前の案内板の下は馬糞の山。茶色く見えるのは全て馬糞であるが、私は知らずに平気でそこに足を踏み入れてしまった。
 
島の墓地の入口。大きな鉄の門が周囲と隔絶するように据え付けられており。「犬に注意」の標識が貼られている。
     
 

墓地の入口にあった建物の屋根にいた海鳥の子供。
 
道端に咲いていた綺麗な花。Mさんが名前を言っていたが失念してしまった。
     
 

島の東側で見られた、木造のリゾート風の廃墟。
 
同じく島の東側で見られた、ギリシア風の廃墟。こちらは石造り。もしかしたら教会か集会所のようなものだったのかもしれない。


街に戻り、自転車はちょうど2時間で返却することができた。Eさんと支払いに行き、Eさんは20YTL札で支払いたいと言っていたので私たちの分12YTLをEさんに渡そうとするが、全部で24YTLと言われたことにEさんは納得できない様子でお店の人に抗議している。一人一時間3YTLで4人で2時間借りたのでお店の人の言うことは間違っておらず、Eさんは疲れのあまり勘違いして計算ができなくなってしまっていたのだ。とりあえず会計は別々にすることにし、私は先に支払いをすませてお店を出たが、自転車に誘ってしまったことを気の毒に思い申し訳なかった。しかし、今回の島での旅で私たちと一緒だったのがとても楽しかったと言ってもらえたのでほっとし、私たちも同じように思っていたのでとても嬉しかった。

つづく

◇トルコ旅行記 〜6月5日 ビュユック島からの帰りに〜2007年08月13日 07時44分13秒

カフェでずっと私の隣に座っていた猫。

■ビュユック島のカフェで船を待つ


ビュユック島周遊の後に入ったカフェの前には小さな囲いの芝生があり、そこに猫がたくさん客のおこぼれに預かろうとしている。「猫が見たいので芝生側の席に座りたい」と英語で言うと、「好きな席に座っていい」と言われる。自分のつたない英語がすんなりと相手に伝わることに違和感がなくなってきていることに気づく。
アイスクリームとチャイを注文し、帰りの船の時間まで休むことにする。運ばれてきたアイスクリームはやはり伸びるタイプではなく、ベリーとバナナとチョコ味のトリプルだった。

オープンエアの席に面した芝生の中庭には、さまざまな模様の数匹の猫がいてたまに客が投げてよこす食事のおこぼれをじっと待っている。私たちは猫にあげるようなものは何も頼まなかったのでただ眺めているだけだったのだが、そのうちの白黒の猫が私の座っていたベンチの席の隣に来て、ずっと座っている。たまに顔を覗き込むと「何かくれるの?」という顔で私の顔を見るが、何もくれないことを知ってもやはりずっとそこに座っている。顔の模様は違うが、なんとなくうちの猫に身体の模様が似ている。うちの猫は便秘と年のせいで肝臓と腎臓が弱っているため、毎日投薬が必要で旅行中ずっと病院に預けている。せまいケージでの入院生活なので、今ごろどうしているのかとちょっと心配になってしまう。



 

船の時間を待つ間に利用したカフェ「シャヒン・ビュッフェ」。
 
中庭にたくさんの猫がお客のおこぼれに預かろうと待ち構えている。
     
 

カフェから見える島の入口付近にある時計塔。
 
ここでも、トルコのサッカーチームの優勝を祝う旗が街中に掲げられていた。本当にトルコ人のサッカー熱はすごいらしいことを感じる。


■ビュユック島からの帰路

船の時間が近づいてきたので、船着場に行く。途中水を買いたいと思うが、細かいお金がなく財布には100YTL札しか入っていない。手近な店で「二本買うから大きなお札で払いたい」と言っても断られてしまう。
船着場前の商店街で民族風の洋服や雑貨などを売っている店があり、かわいいパンツを見つける。模様はかわいいのだが、デザインがかなり変わっている。ふんどしのように後の布を股のところで前にもってきて、前の布を後にもっていき、それぞれ腰で紐で縛って着用するというデザイン。女性としてはトイレに大変困る仕様になっている。横のスリット(というか、横が全部前後にわかれている)がすごくて中に何か着けないと外で着ることができないように思うが、値切ってみると希望価格でOKと言われてしまい、28YTL(約2600円)のところを20YTL(約1860円)で購入した。
おかげでお金が細かくなったので、無事乗船コインを購入することができた。



 

帰りのビュユック島の船着場で船を待つ人達。
 
次の船着場では半分の人しか乗船できず、半分の人達は次の船を待つために取り残されてしまった。


帰りの船は来た時以上に人が多かったが、幸い最初から席に座ることができた。次の船着場では待っているお客の半分しか乗船できず、船が出たときは半分の人がとりのこされた状態なのにびっくりする。

しばらくすると、船内の一部から突然物売りの声が聞こえてくる。見ると、一人のトルコ人の男性が新式の皮むき機や日本製の扇子などを売っている。皮むき機は刃のところがセラミックになっていて、日本でもよく見かける野菜の皮が薄くむけるというもの。扇子は扇の部分が布や紙ではなく全て木製(竹製?)のもので、どうみても中国製にしか見えない。皮むき機も扇子も20YTLだというのだが、日本だったら100円ショップでも売られているものだった。それでも、何人かのイスラムの衣装を着た女性が扇子を購入して嬉しそうにしていた。
Eさんご夫婦に「あんな皮むき、日本だったら100円ショップにあるんだけどなあ。ドイツにも100円ショップみたいなお店ってあるんですか?」と聞くと、最近できたということだった。彼らが日本に帰ったときも、100円ショップがいったいなんなのか最初は判らなかったらしい。イスタンブールだと10リラショップになるのだろうが、少なくともスルタンアフメット付近ではそういう店は見かけなかった。10年前に台北に行ったときはこの手の店を夜市でも見かけたので、日本の100円ショップ文化もまだまだヨーロッパ進出は果たしていないらしい。



 

船の座席に密着して備え付けられた、古い温水式のストーブ。
 
救命胴衣の着用方法の説明パネル。日本のものと微妙に違っていて楽しい。
     
   

船から見えたブルーモスクとアヤソフィア(たぶん)。
   


Eさんご夫婦ととりとめのない話をしながら、船から見える風景や船内の備品に興味を覚える。特に救命胴衣の着用方法の説明パネルと、冬になったら活躍するのだろう座席に密着して備え付けられた温水式の古いストーブが見ていてなんとなく面白かった。救命胴衣のパネルは、日本だと朱色が主に使用されているが、オレンジと青の配色は新鮮に映る。イラストの男性の顔も日本のものとはちょっと違っている。ストーブは長い年月を経て味のある雰囲気があり、古い船の窓の木わくにマッチしている。
帰りの船は行きと違い、海鳥にエサをあげる人もいなければ歌を歌って陽気にしている人達もいない。みんな静かに談笑しながら、港に着くのを待っている。船の窓からブルーモスクが見えてきて、ガバタシュの船着場が近いことを告げている。

カバタシュの船着場に到着し、私たちは新市街に行くことにしていたので「今日は本当に楽しかった、またホテルで会いましょう」と挨拶をして、カバタシュのトラムヴァイの改札でEさんご夫妻と別れた。



 

カバタシュ駅コンコースの非常口案内板。“非常な人”が日本の人とは違っており、非常さも微妙に違う。
 
車椅子優先エレベーターの案内板。車椅子に座っている人がなんだかうなだれている。
     
 

カバタシュ駅への階段を示す案内板。下りであることがはっきり理解でき、軽快に階段を下りる人が素敵だ。
 
カバタシュ駅前の駐車場の案内板。料金がトルコリラで書かれているが、通貨単位が「YTL」ではなく「TL」なので古い貨幣単位なのだとしたらものすごく格安なのでないかと思ったりした。


カバタシュの駅はトラムヴァイと新しい地下鉄の二つの路線がある大きな駅なのでコンコースも広く、そこに掲示されている日本のものとは微妙に違うアイコン掲示に興味を示し撮影をすることにする。特に面白かったのは、非常口のアイコンだ。この非常口のアイコンはもともと日本でデザインされたものが世界標準になろうとしているのだが、微妙にその国によってデザインが違う。“非常な人”の非常さがだいぶ違うのだ。
ここの駅の非常口のアイコンは、ホテルのものともちょっと違っておりかなり筋骨逞しい人のように見受けられた。その他、車椅子優先のエレベータの“車椅子の人”がなんだかうなだれているように見えたりと、人の目も気にせずばしばし撮影してしまった。
一度船着場に戻ってトイレを探すがなかなか見つからない。誰かに聞きたかったが、みんな忙しそうにしているのでなかなか声をかけられない。船着場の若い係員を見つけて話し掛けると、彼は英語が話せないとのこと。旦那が立小便をするジェスチャーをすると、彼はやっと理解してくれてそのジェスチャーを笑って旦那の肩を叩きながらトイレの場所を教えてくれた。

無事トイレもすませ、世界で一番短いという地下鉄に乗って夜遅くまで賑わっているという新市街に繰り出すことにする。それまで良かった天気も曇ってきて、一雨きそうな雰囲気。傘は持ってきているができればなんとかもってほしいと思いつつ、私たちもトラムヴァイの改札に向かった。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月5日 新市街・イスティクラール通りで買い物をする〜2007年08月23日 02時08分33秒

世界一短い地下鉄「テュネル」。

■世界一短い地下鉄に乗る。


トラムヴァイでカバタシュ駅からカラキョイに戻り、カラキョイから出ている「世界一短い地下鉄」テュネルに乗って新市街に行くことにする。テュネルの駅は、トラムヴァイのカラキョイの駅のすぐ近くにあり、入口もホームも古くて薄暗い。この地下鉄が開通したのは1875年のことらしく、当然乗車コイン「ジェトン」の自動販売機はそれよりももっと後に作られたのだろうが、自動販売機もゲートも何もかも古い。まるで地下倉庫の一画に駅のホームがある感じで、ホームには広告もなければ何もなく、ただむきだしのコンクリートの壁がじっとりしているだけだった。
カラキョイ駅からテュネル・メイダス駅までの一区間しかなく、車両は2車両だけで丸の内線の旧車両を更に古くして小さくした感じ。一区間しかないのに、0.9YTL(約84円)と料金はちょっと高めだ。
一円玉よりも小さなジェトンは、注意していないとすぐに落としてなくしそうで、案の定旦那はジェトンをゲートに入れようとして失敗し、薄暗闇の中に落としてしまった。ちょうど地下鉄がホームに入ってきたところでゲートは人の出入りがはげしく、薄暗闇の中で小さなジェトンを探すのは一苦労だった。ゲート脇の乗務員がいる窓口からその様子を見ていた駅のおじさんが親切に探して拾ってくれたため、なんとか買いなおさずにホームに入ることができた。
テュネルは朝7時から夜9時までの運行で、このときすでに8時を回っていたため、帰りは地下鉄を利用できないのが残念だった。

昔の列車のような直角の椅子に座っていると、向かいと隣の席に外国人の8人連れの団体さんが乗り込んできた。私の向かいには、30代くらいのアラブ系のような顔立ちの黒髪の女性が座った。
車両の中は何故か蚊のような小さな虫がとびかっている。手で払っても後から後から周囲をとびかってくるので、壁にとまったのを見て素手で叩き潰したら、向かいに座った女性がそれを見てびっくりして「グレイト」と言って親指を立てて喜んでいた。

地下鉄はあっという間の2分ほどでテュネル・メイダス駅に到着した。





新市街を走る旧式のトラムヴァイ。

■新市街・イスティクラール通り


テュネル・メイダス駅から地上に出ると、目の前に大きな商店街のイスティクラール通りがあり、そこに旧式車両が走る新市街トラムヴァイが走っているのだが、「なんかかわいい路面電車だねー」などとのんきなことを言っていたら、それが目的のトラムヴァイであることに気づいたのは電車が出てしまってからのことだった。新市街の目玉であるタクシム広場は、テュネル・メイダスの駅からトラムヴァイでイスティクラール通りを抜けた3つ目の駅である。歩いていってもいいのだが、空はまだ明るいけどぽつぽつと雨が降り出してきている。それでもにぎやかな商店街はかわいい電飾で装飾されていてそこを歩いていくのも悪くないと思い、折りたたみ傘を取り出して次の駅までイスティクラール通りを探索することにした。

イスティクラール通りのお店は、旧市街と違って建物自体は古いが垢抜けたディスプレイがされている。商品も現代的なものが多く、日本の小さな地方都市の繁華街といった感じ。小さな商店も多いが百貨店風のお店も多い。夜も遅かったこともあり、観光客よりは現地の人やこの界隈をうろうろしている人が目立っている。
大きな壁のある場所にはびっちりとコンサートや映画などのポスターが貼られており、マリリン・マンソンのポスターがあったりして「こんなところでもアメリカ人のロックコンサートをやるのだなあ」とごくあたりまえのことを感心したりした。
道端では楽器を持って弾き語りをする若者などがあちこちに点在しており、中南米の民族衣装を着てペルーの歌を唄っている人や、アコギでスモーク・オン・ザ・ウォーターを熱唱する二人組などがいたりして楽しい。スモーク・オン・ザ・ウォーターの二人組のうちの一人のギターには、何故か漢字で「愛」とでっかく手書きの文字が書かれていた。



 

イスティクラール通り。
 
イスティクラール通りの小さな商店。遅くまで営業しているのは旧市街と変わらない。
     
 

壁にびっしりと貼られたイベントのポスター。
マリリン・マンソンのコンサートがあったらしい(写真右)。
これを撮影していると、通りにいたトルコ人に笑われてしまった。



しばらく歩いていると、右手に綺麗な本屋を見つけたので入ることにする。トルコの楽器の本と料理の本がほしかったので覗いてみると、各国の言語に訳された料理の本がいろいろあって楽しい。トルコの楽器の本がなかなか見つからないので、レジの人に色々と質問して探してもらったが、日本語に訳されたものはなかった。トルコ語のものは当然あったのだが、ものすごく分厚いので購入を断念した。探してくれた店員さんは、ものすごく親切に注文を聞いてくれ、まるでコンシェルジュのよう。日本でもこれくらい親切に本を探すのを手伝ってくれる店員さんが、大きな本屋にいたらいいのにと思ったりした。
ここの店は、本のほかにもCDが売られていたのだが、旧市街の土産物屋で見た価格よりもずっと安い値段で売られている。やはりスルタンアフメットあたりは観光客向けの店が多いので、値段も高めなのだと知り、もう少し値段を調べてから購入すべきだったとちょっとだけ後悔した。

本屋を出た頃にはすでに外は真っ暗になっていて、雨も多少はげしくなってきていた。時間もすでに9時をまわっている。不思議とお腹がすいていないが、とてもタクシム広場まではたどりつけそうになく、この日はイスティクラール通りを適当なところまでいって、タクシム広場は次の日に行こうということになった。
しばらく歩いていくと、右手にのびるアイスクリームの店があり店内でも食べることができるようだった。しばらく店の前をうろうろしてアイスクリームがびよんと伸びているのを眺めていたのだが、多少寒かったので腹具合がおかしくなるのを躊躇してしまい、次の日タクシム広場に行ったときにしようと結局食べなかった。今から思えば、次の日は予定を変更して新市街には行かなかったので、この時食べておくべきだったのだ。結局この後もう一軒のびるアイスクリームの店をみかけたのだが、のびるアイスクリームは食べず仕舞いに終ってしまったのだった。ああ、後悔!。



 

お菓子屋のドライフルーツ売り場。いちじく、マンゴー、あんずなどさまざまなドライフルーツがある。
 
お菓子屋のナッツ売り場。日本のでんろく豆のようなものや、春日井のグリーン豆そっくりのものもあったりして面白い。


またしばらく歩いていくと、右手に大きなショーケースが両側にあるお菓子屋を見つけ、入ってみる。そこにはさまざまな種類のナッツやドライフルーツ、ロクムなどが売られている。ロクムは1kgで25YTLと、エジプトバザールよりも旧市街よりも安い価格で店頭表示されていた。お店も明るく綺麗で清潔な雰囲気。お店の店員も異常に明るく、バザールのときのようなあやしげな雰囲気はみじんも感じられなかった。
他の店もそうだが、ここの通りは全体的に旧市街やバザールよりも値段は安めな感じがする。店頭表示価格ですでに安いので、旧市街やバザールがいかに観光客向けに高く値段設定してあるかがうかがえる。お店のお客も観光客よりは現地の人の方が多いようで、たくさん買い物をするのであればこちらの方がよかったのかもしれないと思ったりした。

ロクムはすでにたくさん買っていたので、ナッツを購入しようと色々と試食する。緑豆に塩のコーティングがされている“春日井のグリーン豆”のようなものや、醤油味ではないかと思われる“でんろく豆”風のものまである。もちろん、塩で味付けしただけのピスタチオやピーナッツ、アーモンドなども売られている。ドライフルーツは、ショーケースからはみださんばかりに山積みされており、あんず、ぶどう、バナナなど種類も豊富だ。パッケージも真空パックにしてくれ、湿気の心配のないように包装してくれるのも嬉しかった。
私の父が大変なナッツ好きなので、お土産にしようといろいろとりまぜたものを1kg購入したらものすごいでかい真空パックが出てきてびっくりしてしまう。その他にお土産のお菓子の箱詰めとアンズといちじくのドライフルーツを200gづつ購入し、30ドルというところを25ドルに負けてもらったのだがドル札がちょうど23ドルしかなく、「これしかドルがない」と空の財布を見せると「ノープロブレム」と言って23ドルにしてくれた。私たちが会計している間に、小学生くらいの女の子が5YTLコインを持ってナッツを買いに来ていた。表示価格そのままで購入していったので、私たちが買った価格が安いのか高いのかがちっともわからないが、「ノープロブレム」と笑っていたということはもう少し値下げできたのだろうかと思ってしまった。しかし、これだけ買って2800円弱なのを考えるとかなり格安なので、あまり深く考えないことにしたのだった。




夜のガラタ塔。


通りのお店もちらほらと閉店になり、小さなドラックストアのような商店ばかりになってしまったので、この日はホテルに戻ることにした。雨はすでにあがっているが、テュネル・メイダス駅を過ぎた地下鉄沿いの坂道はけっこう急ですべりやすく、道も暗くて少し怖かった。小さなロカンタは空いているが、そのほかの店はほとんど閉まっている。通りにロカンタもなくなったところには、ハマムなどがちらほらあるばかりで、道は外灯もまばら。たまにすれ違う人がみんな悪い人なのではないかと思ってしまう。途中右手にガラタ塔がライトアップされているのが見え、なんとなくほっとする。
坂道をおりきったところに大きな道が現れ、トラムヴァイのカラキョイの駅が見えてきて本当にほっとする。電車を待つ間「今日の夕飯はどうしようか」と相談するが、なんだか疲れすぎていてあまりお腹がすいていない。トラムヴァイでスルタンアフメットまで戻り、駅の近くのドネルケバブ屋で3.5YTLのドネルケバブとアイランで夕食をすませてしまうことにした。

ホテルまでの帰り道、最初にロクムを買った店でトルコ石の指輪とネックレスを買ってもらった。この手の貴金属を買ってもらうのは、結婚して初めてのことである。
指輪はなかなか合うサイズがなく選ぶのに苦労したが、お店の店員は熱心に選んでくれた。金属部分がシルバーのものだったので、値段もそれほど高価ではない。もしかしたら石も偽物かもしれないが、石がとても綺麗だったのでそんなことはどうでもよくなっていた。二つで75ドルのところを60ドルにしてもらい、お土産用に箱入りロクム500g、15YTLを一つ購入した。ロクムは新市街でナッツを購入した店で買ってもよかったのだが、やはり味がこの店の方がよかったのだ。
指輪を選んでいる最中に一度店の外へ出てディスプレイされている棚をみようとしたら、店の入口に10cmはあろうかというでっかいなめくじがいてびっくりした。

この日は10時すぎにホテルに戻り旦那は疲れてすぐに寝てしまったが、私は写真の整理とネットでメールのチェックをするためにフロントに下りていたので、ホテルの夜のスタッフと夜半すぎまでおしゃべりをしていた。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月6日 古代東方博物館に行く〜2007年08月26日 19時32分30秒


トプカプ宮殿付近の裏道。

■撮影した写真が消える

前日の夜に写真をいつものとおり一度ホテルのパソコンに移し、メモリを介して自分のパソコンに移したのだが、なんだか様子が変。パソコンに写真を移動した後に急にネットが遮断される事態に陥り、その後ネットが利用できなくなってしまった。それはホテルの全てのパソコンがそういう状況になっていたらしく、パソコンを使用している時にホテルのスタッフが私に様子を聞きに来たが、その状況をうまく説明できず、結局写真は自分のパソコンに移さずにカメラのメモリにそのままにしていたのだ。
この日の朝にはネットは復旧していたが、ホテルのパソコンはどうやらウイルスに感染したらしく、ホテルのパソコンから自分のパソコンに写真を移動することができない。とりあえずできるところまで移動したのだが、その時メモリを初期化するのを忘れてしまったのだ。結局、この日撮影した写真の一部はウイルスに感染していたせいでファイルを消去せざるをえなくなり、多くの写真がなくなってしまったのが残念だ。
ここに掲載している写真は、もちろんウイルス駆除をして安全にしている。





イスタンブールで一番高級なシーフードレストランの入口とそこにいた猫。

■イスタンブールの裏道を歩く

この日は本当だったら新市街に行く予定だったのだが、空は朝から雨模様。朝食から部屋に戻ってきたときには横殴りの激しい雨が降っており、街を散策するのは無理そう。朝食のときにビュユック島に一緒にいったE夫妻が、「古代東方博物館と考古学博物館は大変面白いらしいので、是非行くといい」と勧めてくださったので、新市街は諦め博物館巡りとグランドバザールに行くことにする。
出かける頃には雨はあがっていたが、空は相変わらずどんよりと曇っていていつまた雨が降り出すかわからない。いつも通っていたレストラン街の裏の道を行くと、右手に「イスタンブールで一番美味しくて一番高級な魚料理の店」だとオスマンさんが教えてくれたシーフードレストランがある。赤い魚の看板がかわいくてどんな店なのか入ってみたかったのだが、ちょっと食べると数万円かかることもあると聞いて、入ることができなかった店だ。看板の中を覗いてみると急な階段の先にベンチが並んでおり、外から見るとキャンプ場の休憩所みたいに見える。なんでこんな店がイスタンブールで一番高級なのか。高級ホテルの客もここで食事をするらしいが、ガラタ橋にあったシーフードレストランの方がずっと立派に思えてしまう。

ここのレストランの前に猫の兄弟がいて、魚の看板の下でなんだか営業外の客引きをしているように見えた。




レストランの看板。




古代東方博物館の窓の外で求愛していた鳥。

■古代東方博物館と考古学博物館

トプカプ宮殿の東隣にある古代東方博物館と考古学博物館、陶板博物館は同じ敷地にあり、チケットも共通チケットで一人5YTL(約465円)だった。ゲートを入って左手が古代東方博物館、右手にあるギリシア様式の建物が考古学博物館、古代東方博物館の奥が陶板博物館でその脇にギリシアの彫刻が点在する売店のある公園がある。順路に従って、最初に古代東方博物館に入る。建物の前にまぬけな顔のライオンの石像が置いてあったりして面白い。
中に入ると、ギリシアやエジプトの影響を受けたと思われる石像やタイル絵、古代の土器や道具、遺跡の様子が描かれたパネルなどが展示されている。中は明るく、フラッシュをたかなければ写真撮影も許可されている。
二対で一つの石像になっている小さなスフィンクスや、ライオンの石像が狛犬のように設置されているのが興味深い。土器の文様はバックギャモンの盤のような模様で、このあたりで発生したというバックギャモンはこの土器の模様から生まれたのではないかと思ったりもした(真偽の程は不明)。
タイル画の展示されている絵のところで、空想上の生き物であるという犬なんだか猫なんだかきりんなんだかわからない動物の絵があり、近くにいたスタッフに「これは犬なのか?」と質問したが、「パネルに書いてある説明を読め」と言われて結局わからなかった。

人間を模した石像はみんなひげをはやしていてこけしのような形をしており、手を腹のあたりにおいているものが多い。向かい合わせにおかれた対の人間の石像は、片手に剣を下げている。どこかの神殿か宮殿の前で何かを守っていたのだろうか、なんとなく筑波山神社の門にある古代の兵士の像を思い出してしまった(筑波山神社の門には、通常仁王象があるところに兵士の像が置かれている)。
その他はほとんどが動物を模した石像だったが、ライオンが多いのはエジプトの影響が強いせいかと思った。そのほとんどが対になっており、建物の前に置かれているのを想像すると狛犬のようだと思った。それにしてもライオンがモチーフとして多様されているのにも、日本でいうところの獅子が聖なる動物であるというものと似ていると思ったりする。



 

二対で一つの石像であるスフィンクス。
 
ライオンのタイル絵。
     
 

出土した土器。模様がバックギャモンの盤のよう。
 
遺跡の様子が描かれたパネル。
     
 

謎の空想上の動物。
 
猫の像。これは土で作られた陶器のようだった。
それにしても猫科の動物が多く、猫が神聖な動物として扱われていたのだということが想像できる。
     


剣を持った人の像。
この像は向い側に同じ像が展示されおり、
対になっていることがわかる。



建物の二階の休憩所の窓の外を眺めていると、窓枠の上に鳥がいた。そこに木の枝をくわえたもう一羽の鳥がやってきて、窓枠の上の鳥に木の枝を渡している。どうやら木の枝を渡しているのはオスのようで、メスに求愛している様子。オスが去ってしまうと、メスは受け取った木の枝を下に落としてしまった。オスが再びやってきて木の枝を渡すが、メスはオスが去ると受け取った木の枝をことごとく下に落としてしまう。そのうちオスが戻ってこないうちにメスはどこかに飛び去ってしまった。

つづく

◇トルコ旅行記 〜6月6日 考古学博物館に行く〜2007年08月28日 03時06分51秒

考古学博物館。

■考古学博物館

近代的で明るい雰囲気の東方美術館のまん前に、それと対照的な重厚なギリシア様式の建物の考古学博物館があり、そこに移動する。
中に入ると、鬼の形相の石像や苦しげな表情の人の首などが展示されており、なんだかとても重苦しい。古代東方博物館に展示されていた石像が黒っぽい石が多かったのに対して、ここの石像は石灰のように白っぽいものが多く、ギリシア神殿のイメージが強い。黒っぽいものもあるにはあるが、その多くは棺おけだったりする。

ここの一階の展示は古代の棺おけやミイラ、神殿のリレーフや石像などが中心になっており、宗教的な展示物が強い。イスラムというと宗教的な偶像物を否定しているイメージがあったのだが、政教分離体制をとるトルコでは古代の別な宗教下にあった時代のものもきちんと保存しているようで、そのあたりは非常に興味深かった。イスラム教というと、日本では非常に遠い宗教の一つのような感覚があったので、聞きかじりの宗教的イメージでは全ての他宗教を否定しているように思っていたのだった。

それにしても、展示されている石像の多くはどうしても苦悶している表情が多いのが気にかかる。苦悶していなければ、たいていは怒っているように見える。神殿などにあったものなのだから、満面の笑みをうかべているものはないにしても、ちょっと笑みを浮かべているのは入口の鬼のような石像くらいで、ちょっとぞっとしてしまう。怒っているのは、日本の神社にいる仁王様や不動明王などは怒っている顔をしているので、なんとなく理解はできるのだが。
棺おけの多くは人型になっており、頭部にはエジプトのミイラが入っていた棺おけと同じような人の顔が彫刻されている。その表情は無表情なのだが、モナリザのような曖昧な薄笑いを浮かべているようにさえ見え、生きているときは苦悶し死してやっと安楽できるということを示唆しているようにさえ思えた。


 

考古学博物館の入口正面に展示されている像。鬼のような顔をしており、首をはねた動物を逆さ釣りにして持っている。
 
苦悶するような人の顔。
     
 

遺跡の様子を示したパネル。
 
ミイラ。
     
 

ヒエログリフに覆われた棺おけ。
 
エジプト風の彫刻が施された棺おけの頭部。
     
 

神々が彫刻された棺おけを入れる箱(?)。この手のものは、戦いの様子を彫刻したものなど、さまざまなものがあった。
 
日本の家屋の屋根にある鬼瓦を彷彿させる、棺おけを入れる箱の屋根の彫刻。


古代東方博物館にあった彫刻の多くは、稚拙なものが多く形もかなりデフォルメされているのだが、ここの彫刻は大変写実的で細かい。特に棺おけを入れる箱と思われるものに彫刻されているものは、今にも動き出しそうである。
興味深かったのは、箱の蓋の部分の彫刻。ただの四角い蓋のものもあるのだが、ある時代のものは神殿を模しているのか建物の形をしている。屋根の部分が三角になっており、日本の瓦屋根のような彫刻がほどこされているものもある。鬼瓦にあたる部分には人の顔や魔よけと思われるモチーフが彫刻されており、日本の鬼瓦の魔よけに意味を持っているので、意味的には似ているのではないかと思ったりした。
階段のところにライオンの対の石像があったのだが、これも阿吽の形を示している。古代東方博物館でも思ったが、ギリシアの文化の中にも中国や日本の文化と共通するものが存在していることが不思議に思った。以前日本書紀にある話がギリシア神話に共通点が多いという話を聞いたことがあり、どういう経緯でギリシアと日本の宗教的文化の交流があったのだろうかというのに、興味をそそられた。

ところで、私たちがこの旅行のために購入したデジタルカメラは、顔が綺麗に撮影できるという顔撮影モードというのがついている。人の顔を自動的に検知するという機能なのだが、人の顔でないものにその機能を使っても反応しないのだ。ただし、人の顔のようなものには反応するので、ライオンの石像などには反応していたのが面白く、そのまま撮影を続けていたのだ。すると、とうてい人の顔でないようなところ、例えば建物の壁などにその機能を使って撮影したところ、ちょっと見た限りでは何もないのに人の顔としてカメラが感知するのである。よくよく見ても人の顔のようなシミもなければ、そういう造形をしているわけでもない。何もない壁の一画が顔であると判断してしまうらしいのだ。場所を少しずらすと顔検知は行われない。その位置に戻すと顔であるとカメラは言い張るのである。
ミイラや棺おけが展示されている建物なだけに、これはぞっとしなかった。

一階展示室の奥には、トルコ正教時代のタイル絵や真っ白い大理石の十字架をあしらった扉なども展示されている。石像が展示されている部屋では、美術学校の生徒がおのおの石像の前に座ってデッサンしていたり。トルコの小学生も見学に来ていて、すれ違うたびに「こんにちは」と挨拶してくれたりする。


 

阿吽のライオン像。
     
 

怒ってる?
 
とても怒ってる!
     
 

修復中のキリスト教のタイル絵。十字架やマリアの姿が描かれている。
 
星座をあしらったタイル絵。
     
 

口琴のような形の石塔。
 
十字架のある大理石の扉。


二階には、遺跡から発掘された太古の道具などが展示されており、素焼きの壷や矢じりなどが展示されているのだが、その一つ一つが口琴のような形をしていて楽しい。
トルコには口琴の文化はないようだが(一部のごく限られた地域にだけあるらしい)、シベリアなどで口琴を意味する「ホムス」という名前の料理に出会ったり(しかしもともとこれはトルコの言葉ではないようだが)、口琴に似た模様や形に出会ったりするのはなかなか興味深い。もちろんこれは口琴を模しているわけではまったくないだろうし、何か違う意味のあるものなのだろうと思うが、何かに酷似した形のまったく違うものを見立てて楽しむのも一興だった。



 

二階に展示されていた、口琴のような形の素焼きの道具。
 
古代の矢じりなどの道具。真中の道具がベトナム口琴のような形をしている。


しかし、ここの博物館もフラッシュをたかなければ写真撮影は許可されているのだが、韓国からの団体客が部屋に入ってきたとき、子供が展示室で騒いでいてスタッフに注意されているにも関わらず、子供と一緒に遊んでいる親や、フラッシュ厳禁と書かれているのに思い切りフラッシュをたいて展示物の前で記念撮影する人など、マナーが最悪でうんざりしてしまった。
二階にあがると、観光客が減って静まり返っていてほっとする。
階段のところには、地元の小学生が描いた博物館の展示物をイメージして作成された絵画が展示されていたが、日本の小学生の描く造形との違いに興味を覚える。



地元の小学生の絵画の展示。


こちらの博物館はあまりに広くて、途中で飽きてしまう。二階の休憩所で休憩し、入口付近の吹き抜けになったところにあるトロイの木馬の実物大模型を見ていると、西洋人のカップルが写真をとろうとしているが、カメラの操作がうまくできないようでなかなか撮影できなかった。



一枚の絵のような女性。窓の外には陶板博物館が見える。

■写真が消えてしまう


向かいの陶版博物館に入り、すばらしいタイルや皿などを楽しむ。その後、敷地内にある公園でジュースを飲んで一休みしてお昼を食べに行くことにした。お昼は朝にE夫妻から教えてもらった、地元の人達が利用するというデパートの食堂に行くことにした。敷地内の一番奥にある管理事務所でトイレを借りようと建物に入ると、入口に核廃絶などのイラストのポスターが貼られていて、写真を撮る。
外に出て旦那がトイレから戻ってくるのを待っていると、しゃれた鉄の飾り枠のついた事務所の窓に猫が座っていて、中で働いている人の様子をずっと眺めている。それを眺めていると、中にいる事務のおじさんが気が付いてこちらをじっと凝視していたので、軽く会釈すると向こうにちょっと笑って会釈を返してくれた。
庭には薔薇の花が咲いていたり、紫陽花の花が咲いていたりとさまざまな写真を撮ったのだが、陶板博物館からこの日のお昼までの写真が消失してしまった。ポスターの写真や道ばたの石の壁の中に巣を作っていた鳥の写真など、気に入っていたものも多かったので、本当に残念でならない。




陶板博物館


つづく



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