Copyright & 2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
 無断転載を禁ず
Google
WWW を検索 げきだんしらかば を検索


◇友達のお嬢さん2008年02月06日 08時36分56秒

10年ぶりに古い友達にあった。
彼女とは、つくばに行く前に今住んでいる町に暮らしていたとき、同じ職場だった人だ。数年前に結婚し、今では3歳と1歳未満の二人の女の子のお母さんだ。
私の友達は男の子のお母さんが多いので、女の子と会うのはなかなか新鮮だった。

車から降りたとき外まで親子で出迎えてくれたのだが(私が道に迷ったので)、会ったときに「こんにちは、はじめまして」と挨拶し、「わたしはN子です」とはっきり自己紹介したのには驚いた。そして駐車場から家まで「ご案内します」と手をつないで案内してくれたのだ。3歳でここまで物怖じしないのはすごいと思った。

友人はお昼をご馳走してくれると言ったので、私はケーキを持参した。その他に、お姉ちゃんのN子ちゃんには絵本とヨーロッパの指人形、妹のKちゃんには音の出るおもちゃをお土産に持っていったのだが、絵本はいたく気に入ったようで、滞在中に6回読まされた。まだ全ての文字を読むことができない彼女だったが、絵本の中身は一度で覚えてしまったらしく、2回目以降からは読むときに内容を先に説明してくれた。
指人形の一つに女の子があったのだが、髪型がN子ちゃんに似ており、彼女はそれを「自分だ」と言って一番かわいがっていた。

夕方になり、ディズニーのお姫様に耽溺しているN子ちゃんはアクセサリーで着飾り、自分はシンデレラだと言ってこれからパーティに行くのだと言ったりしていた。友達のオーロラは風邪で寝ていて、まだしたくできていないのだそうだ。絵本を読んだり指人形で遊んでいたときもそうだったが、彼女はとても女優なのだ。自分の世界があり、夢の世界と現実をいとも簡単に行き来する。お母さんはその変化に慣れっこのようだったが、突然シンデレラになったりN子ちゃんに戻ったりする変化はひどく見事だ。妹のKちゃんもお姉さんに合わせてネックレスをつけてみたりと楽しそう。彼女がシンデレラのときは、お母さんは名前を呼ばれ、「Aさんも早くしなければ」などと言う。

同じ年頃の男の子も、車や動くおもちゃで想像しながら遊んだりはするが、周囲を巻き込んで想像の世界に耽溺する子は、私の知ってる限りではあまり見ることはない。まして、初めて会った大人にそうした姿を見せてくれることはなかなかない。この年頃の女の子というのは、すごいなあと感動してしまったのだ。

この次に会うときは、お姫様グッズを持参してお姫様にさらなる磨きをかけてほしいなどと思ったりした。

◇連日の食品事件の弊害2008年02月07日 23時34分13秒

去年を象徴する漢字は「偽」だったが、この文字が意味するところは、食品業界に関する信頼が失墜したことだと思う。
店頭で販売している食品に、表示とは異なる混ぜ物がされていたり、最近では餃子に明らかに食品には使用されない毒が混入していたりしたわけだ。
食品の安全性が指摘されて久しいが、こうなってくると安全な食べ物を求めてパッケージに表示されている原材料や食材の原産国などを気にして見ても、まったく意味がないのだと思い知らされる。
今回の毒入り餃子の事件で、ひき肉と餃子の皮の売上がアップし、出来合いや冷凍の餃子の売上が落ちたと報道されているが、餃子の皮だって結局は出来合いだし、ひき肉だってなんの肉なのかが信用できなければ、結局同じなんじゃないかと思ったりするのだ。

今回の事件のように明らかに毒であるものは毒と認識されるが、添加物なんかは毒じゃないのかと思ってしまうと、何も食べられなくなってしまう。
数年前からできるだけ食品添加物の使用されていないものを食べたいと思うようになり、味噌汁のダシも昆布や干ししいたけ、にぼしなどで取り、肉もひき肉などは買わずに塊で購入して自分で加工するようにしているが、それでも食生活からまるっきり添加物を切り離すことは難しい。食品添加物を気にしだすと、本当にきりがない。

最近、スーパーなどに行っても、見るもの見るものが美味しくなさそうに見えて仕方がない。昼食など面倒くさくてコンビニの弁当売り場に行っても、ちっとも食べたいと思わないのだ。
食品添加物に気を使っているとはいっても、やっぱりたまにはカップ焼きそばのチープな味を食べたくなったり、面倒なときにはレトルトのカレーだって食べる。以前はそれはそれなりにチープな味わいが美味しいと思ったのに、最近はちっとも美味しいと思えなくなってしまった。

美味しいものを食べるのは大好きだ。気力があるときは、何時間も肉を煮たり、何日も味噌やヨーグルトに漬け込んだりすることもいとわない。美味しい食材を売ってるお店があれば懇意にするし、外食するのも大好きだ。
でも、食材そのものの信頼が揺らいでしまうと、なにもかもが美味しくないように思えてしまうのは本当に悲しい。
食品添加物が使われていようが、食材が外国産のものであろうが、その表示が正しくて、そのものを納得して食べることができれば、何も問題はないのにと思う。

食品業界の問題は家庭の食のあり方の問題でもあると思う。ふだん食べているものの素性や中身に無頓着で、事件があれば気にするけれど、のど元過ぎれば熱さを忘れてまた同じことの繰り返しというのが、日本の食をどんどんおかしくしているような気がしてならない。
神経質になる必要はないけれど、ふだん自分達がどんなものを食べているのかを少しだけ気にするだけで、だいぶ違ってくるような気がするのだが。

◇再入院2008年02月14日 14時28分58秒

連休中の日曜日、再び腹痛に襲われ再入院した。
この日は救急患者が多かったようで、電話しても当直の医師が電話中で話ができず、救急車で病院に行くことになった。病院に行くと消化器内科の医師はその日の当直ではないようで、アレルギー科の医師が対応してくれたのだが、連休中ということもあり入院を勧められる。この症状が出る原因はわかっているので、入院しなくても痛みが治まれば平気だと主張したが、病院が休みの間にまた何かあったら困るからと言われたのだ。

月曜日になってその日の当直の医師が対応してくれ、採血やらレントゲンやらを再びとるはめになったが、結局のところいつも通り痛みが治まればけろっとしている。しかし、担当してくれた医師は、症状が続くのでこの際だからきっちり検査しましょうと言うので、CTなどの検査をすることになった。
検査の結果は結局、昔手術した個所の癒着が原因で腸の動きが鈍くなるためのもので、いつもの結果に落ち着いたのだったが、この医師は私の症状をきちんとふまえた上で、今後どういう治療をすればいいのか一生懸命考えてくれたのだ。
あちこちの病院で、「治らないから病院に来てもしょうがない」だの「病気のレベルが低い」だの言われた私に対して、消化器内科の領域では痛みが出たときに緩和するしか方法がないことが判っているのに、私の話に耳を傾けてくれどうにか治療をする方法がないものかと、自分の科のリーダーや他の科の医師とも相談してくれたりしたらしい。

少なくとも、私の症状を見てここまできちんと対応してくれた医師は初めてで、しかもこの医師は私の担当医師ではなく、たまたま当直にあたっていたので対応してくれた医師なのだった。
こういう医師に出会えるというのも縁なのだろうが、長い間この症状で苦しい思いをしている私にとっては、本当にありがたく、涙が出てくるくらい感激してしまったのだった。

◇バイクになった鹿の思い出2008年02月22日 01時51分19秒

ある日突然、ぱっと頭に昔の記憶がよみがえることがある。そのときだけでまた忘れてしまうことも多いのだが、ずっと忘れていたのに思い出したとたんに頭から離れなくなってしまうこともある。
「バイクになった鹿」の思い出は、ずっと忘れていたのにある日テレビを見ていたらぱっと頭によみがえり、その後ふっとまた思い出すということを繰り返しているのだ。そのテレビがどういう内容だったかは、すでに覚えていないのに。


この思い出は、鹿が実際バイクになったという話ではない。
二十数年前のある日、私は20年来の旧友Kと帯広の西二条通りを、広小路の西一条八丁目にあったD・Iという喫茶店に行くために歩いていた。
広小路に入り歩道のわきに停めてあったバイクをふと見ると、一台のバイクのシートに唐突に石が置いてあった。
石はそのへんにあるような小さな石だったし、バイクも特に変わったバイクというわけでもなかった。
しかし、街中で石を見るというのも唐突だったが、なぜ石がバイクのシートに乗せてあったのか大変不思議に思え、私たちの目はしばらくそこに釘付けになった。
シートが汚れないために何かかぶせてあり、それを止めるために置いてあったのが石だけ残ったのかもしれないし、道端に落ちていた石を誰かが無造作にバイクのシートにのせたのかもしれない。
いや、もしかしたら何かの目印かもしれない。誰かがバイクの持ち主に合図するためのものかもしれない……。
と、私たちの想像は膨らんでいく。

D・Iに到着するまでの間に、「あれはもしかしたら封印かもしれない」という話になった。もともとあれは鹿で、バイクに化身しているのを元に戻らないよう石で封印しているのだと。

D・Iに到着した私たちは、お店にあったお客さん用の落書きノート(昔の喫茶店には、こういうものがよくあった)に、二人で鹿がバイクに化けた話を交代で書いていき、コーヒーを飲み終えて帰る頃には一大話が出来上がっていた。しかし、どういう理由かは思い出せないが、その話は途中で終わってしまったのだ。

その後私が一人でD・Iに行ったとき、ある顔見知りの常連さんに「あの鹿の話の続きはないの?」と聞かれた。最初はなんのことかわからなかったのだが、落書きノートに書いたその話が常連さんの間で小さな話題になっていたらしい。話をKと二人で書いているときにそれを見ていた従業員が、私たちが書いたものだと話したらしいのだ。
後で再びKとお店に行ったとき、その従業員が「あの話の続きが楽しみなのに」と私たちに言ったのだが、その話に対するテンションは二人の間ではすでに終わっていたので、想像力も尽きていたのかもしれない。結局私たちがその話の続きをノートに書くことはなかった。


と記憶はここで終わっている。
私が気になるのは、あの話がどんな内容だったかなのだ。話の大筋は覚えているのだが、ノートに書いた物語の詳しい筋は覚えていないし、D・Iはすでに閉店しているのでそんな昔のお客様ノートが残っているとも考えにくい。一緒に書いたKがこの話を書いたこと自体覚えているかどうかは不明だし、たとえ彼女が覚えていたとしても、確認したところで昔話に花が咲く程度のことで、どうということはないのだろうとも思う。

ただ、なんとなく思い出して確認する術のないものが、ちょっと気になるだけのことなのだろう。
それでも、この思い出自体はなんとなく私の中ではいい思い出だったりするのだ。

◇春一番の江ノ島2008年02月25日 00時04分35秒

春のかすみの中の夕刻の富士山
 
 
昨年イスタンブールに行ったときに同じホテルで知り合った、ドイツ在住のドイツ人と日本人のEさんご夫婦から里帰りされると連絡があり、江ノ島で会う約束をした。去年の夏に帰国されてから半年振りの再会である。旅行中に知り合いになったご縁だが、お互い遠くに暮らしているのに、帰国の度にこうして連絡をもらえるのは嬉しい。

約束の日の江ノ島海岸は強風で波がもんどりうっている。海岸と江ノ島を結ぶ橋を車で走っていると、波しぶきがフロントガラスにかかるくらい。天気は良く気温は低くないのだが、風のせいでかなり寒く感じる。
約束した江ノ島の入り口の橋の欄干のあたりで待っていると、風が強いのにたくさんの観光客が行き来している。中には半そでのシャツ一枚で歩いてくる外国人もいたりして、見ているだけで寒くなってしまう。彼らが通り過ぎるときに剥き出しの腕をみたら鳥肌がたっていて、何故そんな無理をしているのか不思議になってしまう。

Eさんご夫婦が約束の場所に到着し、お互い再会できたことをお互い握手して喜びあった。江ノ島がお好きだということでこの場所を指定されたのはEさんだったが、江ノ島の中に入るのは数年前以来とのこと。ちょっとだけ観光しましょうと、参道を歩きエスカーに乗ることにした。

江ノ島はここ10年のうちに激しく変貌をとげている。昔は昭和ちっくな趣の残る場所だったが、いまやおしゃれな店が建ち並び、テレビなどでも「東京の近場の観光地」として頻繁に紹介されているため、テレビで話題のたこせんべいの店などは行列ができるほどだ。たこせんべいに並ぶ行列を横目に見て、エスカー乗り場に向かい、神社で参拝する。
辺津宮の前で小銭を洗い、穢れを清める輪くぐりをする。この輪くぐりも最近できたものだ。中津宮へ向かうエスカー前の花畑の通路に梅の木があり、五分咲きといったところ。奥様のMさんは、梅の香りがするとおっしゃっていた。

江ノ島の鳥居あたりではまだ風が強かったが、中に入ると防風林のおかげか風をそれほど感じない。最後のエスカーに乗ってサムエル・コッキング苑を抜けると、昔ながらの江ノ島の船宿街になり、やっと安心できる感じだ。この日Mさんはひざを痛めてらしたので、風も強いし岩屋に降りるのはやめましょうと、その手前でお茶をすることにした。途中、江ノ島名物の中村屋の海苔羊羹を食べ歩き用に切ってもらったのをほおばりながら、奥津宮で八方睨みの亀などを見て、岩屋の降りる手前の「あぶらや」という甘味処で休憩することにした。

彼らとは、イスタンブールのホテルの食堂で声をかけられ、ビュユック島でご一緒したのである。ビュユック島とは赴きはもちろん違うが、車の乗り入れが禁止されている江ノ島の中を4人で歩いていると、なんだかそのときのことを思い出してしまう。心太やおやきをほおばりながら、最近のヨーロッパの様子や日本の様子などをとめどなく話していると、すぐに時間がたってしまい名残惜しい。

帰りは参道ではなく、裏道から鳥居まで抜ける道を通って帰る。夕刻になって遠くのかすみがだいぶ晴れてきて、茅ヶ崎側のえぼし岩や丹沢、富士山が一望できるところにくると、春のかすみのむこうにぼんやり富士山の姿が見えた。
帰宅してニュースを見ると、この日の強風は春一番だったことを知って、まだまだ寒いけど確実に春がやってきているのだと思った。

◇麺類のマナー2008年02月26日 01時52分59秒

子供の頃、スパゲッティを食べるときに麺をすすって食べると、母に怒られた。「スパゲッティはすすって食べてはいけません」と言うのだ。しかし、ラーメンやうどん、蕎麦を食べるとき、父も母も周囲の大人たちはみなすすって食べている。なぜスパゲッティだけすすってはいけないのかと聞いても、明確な答えが返ってくることはなく、「蕎麦やラーメンはいいけど、スパゲッティはだめ」の一点張りで、ひどく納得のいかない覚えをしたのだ。
その後、イタリア人も長いパスタをすすって食べることもあることを知り、あの叱咤はいったいなんだったのだろうと思ったりした。
それでも今では私も、イタリア料理屋などでパスタを食べるときにまるでうどんでもすするように食べている人を見ると、あまりいい気持ちがしないのは事実である。他の麺類なら平気なのになぜスパゲッティのときにはそういう気持ちになるのかというと、イタリア料理は西洋料理であり、西洋料理のマナーとしては麺をすすって食べるのはタブーであるという意識がどこかにあるからなのだろうと思う。

先日、ある蕎麦屋に行ったときのこと。店内はBGMがなく、隣の客の会話が直接耳に入ってくる。
私たちが席についたときには、右隣に親子4人の家族客と、左隣には年配の男性二人がお酒を飲みながら蕎麦を楽しんでいた。私たちが蕎麦にありついた頃には、家族客は食事を終えて帰った後だったのだが、年配の男性客の会話が耳に入ってきた。

A 「さっきいた客は、子供に蕎麦をすするなと教育していたな」
B 「蕎麦をすすらないで食うなんて、味気ないねぇ」

この意見には私も同感である。ラーメンなどでも、すすらずにレンゲにのせて食べる人をよく見るが、なんともまずそうに見える。見た目も良いようには決して見えない。
日本で知られている一般的な西洋料理のマナーとしては、麺を音をたててすするのはタブーであることは理解している。しかし、気軽なそばやうどん、ラーメンなどは、すすらないで食べるのとすすって食べるのとでは味自体も違ってくると思うのだ。
特に蕎麦に関して言えば、すすって食べるのこそ正しいマナーであるとさえ思っている。粋な江戸っ子は蕎麦にちょこっとタレをつけて、いきおいよくすすって食べるのが通とされている。タレをたくさんつけるかどうかは好みの問題だが、蕎麦をすすらないで食べるのほど味気ないものはない。

蕎麦粉を料理する文化は日本以外にもあるが、蕎麦粉を麺にしたてて食べるのは日本だけらしい。だとすれば、蕎麦は日本の食文化の一つであるし、食文化が違えばマナーも違うのは外国人だって理解できることだろうと思う。日本料理である蕎麦を日本国内で食べるのに、何も外国の文化に合わせて食べる必要はないと思うのだ。
以前つくばにいたとき、オーストラリア人とスウェーデン人の友人と蕎麦を食べにいったら、同席していた日本人の友人は「蕎麦は音をたててすすって食べるのがマナー」だと説明した。外国から来た彼らは“麺をすする”という行為自体ができなくて、一所懸命すすって食べようとがんばっていた。そして、私たちが蕎麦をすすって食べることについて、内心どう思っているかは確認しなかったが、特に嫌な顔もしなかったし、食べ終わってからもまた蕎麦を食べに来たいとさえ言っていた。

子供に「蕎麦をすすって食べてはいけない」と教育していた親がどういう観点でそういう教育をしているのかは判らないが、どうせ教育するならその国その国で食べるときのマナーが異なることや、日本食のマナーが全て外国で通用しないということを教えた方がずっと国際的ではないかと、そのとき思った。

◇今年も花粉症2008年02月28日 05時55分38秒

今年も花粉症になってしまった。
数ヶ月前から耳がかゆかったり、頭皮がかゆっかったり、目がかゆかったりはしていたのだが、くしゃみなどの症状がでていなかったので、今年はこのままやりすごせるかと思っていたが甘かった。今年の飛来量は去年の三倍とか言っていても、去年は少なかったし、大丈夫とたかをくくっていたのだ。
いつもの花粉症だと、だんだんと鼻の症状が重くなるパターンだったのだが、今年は鼻の症状が一気にやってきた。油断していたとはいえ、これは大変辛い。
頭痛がしてきたと思ったら、くしゃみが止まらない。止まらないくしゃみは鼻水を伴い、油断しているとたらたらとたれてくる。幸いなことに鼻詰まりはまだないので呼吸はできるのだが、喉にもきているようでくしゃみと咳が同時に起こる。

花粉症の薬はいつも漢方薬の小青竜湯を飲んでいたのだが、去年これを飲むと具合が悪くなった。小青竜湯を飲んでも劇的に症状が変わるわけではないのだが、普通の鼻炎薬よりはずっと身体に負担がかからないと思っていただけに、これはちょっとショックだった。
フマキラーからでている、「花粉 鼻でブロック」という鼻の穴に直接塗布して花粉の侵入をブロックするという薬は、鼻がすーっとしてなかなか良い感じだったのだが、鼻水が多いときは頻繁に塗らなければならないし、外出するときは麺棒を一緒に持ち歩かなければならなくて面倒だったりする。
いずれにせよ、外出時はマスクはかかせないし、「花粉 鼻でブロック」と併用して、帰宅時には花粉防止スプレーをしてハナノアで鼻洗浄をするしかないのだろう。

それにしても、早くこの憂鬱な季節が過ぎてほしい。



Copyright ©2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
無断転載を禁ず