◇愛妻の日 ― 2010年02月01日 01時17分38秒
今日(正確には昨日)1月31日は、愛妻の日とのこと。
1月の1が「i(あい)」で、31が語呂合わせで「さい」ということで、毎度のことながらだじゃれなのだが、「日本愛妻家協会」というところでは、いろいろとイベントを企画したりしていたらしい。
たとえば、「男の帰宅花作戦2009」とか「日比谷公園の中心で妻に愛を叫ぶイベント」などである。
また、1月31日午後8時9分に、世界一斉に夫婦でハグするという計画もあったらしい(後で知ったので、うちではしなかった)。
日本愛妻家協会
http://www.aisaika.org/index2.html
11月22日は「いい夫婦の日」だっけか。
お雛様、こどもの日、母の日、父の日、敬老の日とあるが、「妻の日」「夫の日」まして「夫婦の日」というのは今までなかったし、まだまだ定着しているとは言いがたい。
夫婦二人の時間をなかなか持てずに、もう何年も愛を語り合っていないという夫婦は、私の友人でも珍しくない。
すでに男と女の関係ではないのは仕方のないこととしても、空気みたいになっていて、そのありがたみさえ無関心になっている夫婦も多いような気がする。
日比谷公園で叫んだ夫の叫びは、本当に妻に届いているのか?
夫の自己満足だけで終わっては困る。
欧米では、子供を置いて夫婦の時間を持つのはごくごくあたり前のようで、映画などを見ていてもよくそういう場面に遭遇する。
日本でも、もっと夫婦が二人の時間を持てるようになればいいのにと思うのだが、もともとそういう風習のない日本では難しい。
ベビーシッターのような制度がないし、親や知人に預けるというのも限度があるし、周囲の理解が得られなければ子供を預けるのも気がひけるだろう。
何かがきっかけになって、子育てしている夫婦が気持ちに余裕をもつ時間を持てれば、子供の虐待なんか少なくなるんじゃないかと思ったりする(もちろん、そんな簡単な問題ではないのだろうけど)。
昔みたいに、子供をある程度ほったらかしていても、周囲の大人がきちんと子供を見ていてくれるという世の中でなく、逆に世の中の方が信頼できなければ、子供を守るのは親しかいない。
普段から夫婦がゆっくり話をする余裕があれば、お互いを観察することもできるようにも思うが、それも難しい現実があるのだろうと思う。
でも、子供がいてもいなくても、夫婦は一番最初で一番小さな家族なのに、夫婦がお互いを見なくなったらそれは家族といえるのだろうか。
愛を叫び、花を持ち帰るのが夫婦の二人の時間を持つきっかけになり、お父さんお母さんが「夫」と「妻」として二人で愛を語る時間をもてるきっかけになるように、「愛妻の日」や「いい夫婦の日」がそんな日に発展していってくれるといいと思う。
◇アデランスは誰でしょう ― 2010年02月02日 17時08分35秒
最近NHKばかり見ているので、なかなか面白いCMに出くわすことが少ないのだが、今回のアデランスのCMは久々のヒットだと思う。
東幹久、新庄剛志、山口智充の三人が、ラウンジの廊下を踊りながら歩いてくる。そして、この三人の誰か一人がアデランスらしい。
DAY編とNight編の二種類があり、それぞれ横並び順も違う。
しかし、夜も昼もなんだか含み笑いで、いまにも噴出しそうなのがおかしい。
しかも、照明のせいなのか、三人ともなんだか顔色まだらにが黒すぎないか?
現在「アンサー編」として、アデランスが誰だったかの種明かしCMが放映されている。
アデランスだった当人は、頭を丸刈りにしてかつらを装着したらしく、もともとハゲているわけではないらしい。
種明かしして、かつらをはずし丸刈り姿をアップでさらした当人のここでの笑顔は満面の笑みで、やっと暴露できてせいせいしたといった感じ。
アデランスのHPで、CMメイキングとか丸刈り当人のコメントムービーなども公開していて、面白い。
アデランスHP
メンズアデランス http://www.aderans.co.jp/mens/index.html
東幹久、新庄剛志、山口智充の三人が、ラウンジの廊下を踊りながら歩いてくる。そして、この三人の誰か一人がアデランスらしい。
DAY編とNight編の二種類があり、それぞれ横並び順も違う。
しかし、夜も昼もなんだか含み笑いで、いまにも噴出しそうなのがおかしい。
しかも、照明のせいなのか、三人ともなんだか顔色まだらにが黒すぎないか?
現在「アンサー編」として、アデランスが誰だったかの種明かしCMが放映されている。
アデランスだった当人は、頭を丸刈りにしてかつらを装着したらしく、もともとハゲているわけではないらしい。
種明かしして、かつらをはずし丸刈り姿をアップでさらした当人のここでの笑顔は満面の笑みで、やっと暴露できてせいせいしたといった感じ。
アデランスのHPで、CMメイキングとか丸刈り当人のコメントムービーなども公開していて、面白い。
アデランスHP
メンズアデランス http://www.aderans.co.jp/mens/index.html
◇節分にちらし寿司:レシピ ― 2010年02月04日 00時40分59秒
節分に海苔巻きを食べるという風習は、もともとは江戸時代の関西の風習だったのを、昭和に入ってから海苔屋が復活させたものだという。
コンビニなどで普段売っている手巻きの海苔巻きも、節分だけは豪華版になって予約販売される勢いで、いまや節分の恵方巻きは関東でもなじんできているように思える。
我が家でもここ数年、節分に恵方巻きを食べるというのをやっているのだが、今年は自分で作ってみようと思った。
しかし、海苔巻きだけでは夕飯にはならないので、海苔巻き自体は小さめに作り、残りはちらし寿司にすることにした。
お寿司の具は、かんぴょうと椎茸の甘煮、きゅうり、玉子焼き、スナップえんどう、ゆで海老、鶏肉のそぼろ、しょうがの甘酢漬けを用意した。
■ちらし寿司
■それぞれの手順
●寿司飯(二人分)
寿司酢は、茨城のお友達のglassy-appleさんから柚子を2キロほどいたいたのを皮と果実を搾って、同量程度の酢と混ぜて作った柚子酢を使った。
(glassy-appleさん、ありがとうございます。柚子酢は我が家で大活躍です)
米 2合
寿司酢 : 柚子酢 50cc(なければ普通の米酢)、砂糖 大さじ2、塩 小さじ半分
1.ご飯を普通より少し固めに炊く。炊くときに、昆布を入れてもいい。
2.ご飯が温かいうちに飯台か大きめのボールに取り、寿司酢の材料をよく混ぜてご飯に回しかける。
3.ご飯をしゃもじで切るように全体をまぜながら冷ます。
●かんぴょうの甘煮
かんぴょうは無漂白のものを用意した。無漂白のものだと、塩でもまなくてもいいと書いてあったのだが、それを見たのはもんだ後だった。
かんぴょう(20本ほど)
調味料 : 水・醤油 大さじ3、砂糖 大さじ2、みりん 大さじ1
1.軽く水で洗った後で塩でもんで、また洗う。(無漂白のものは塩もみしなくていいらしい)
2.2~3回ほどひたひたのお湯でゆでこぼす。最後にやわらかくなるまで煮る。
3.調味料をまぜて煮ふくめる。
※かんぴょうのゆで汁は、ダシとして利用できるらしい。
●椎茸の甘煮
干し椎茸をもどしたものが一番いいのだが、今回は冷凍してあった椎茸を使用。一度冷凍したものだと、味のふくみが早い。
しいたけ 3本
調味料 : ダシ汁80ccくらい、砂糖 大さじ2、醤油 大さじ1
1.石づきをとってスライスした椎茸を、ひたひたのダシ汁で煮る。アクが出てきたらとる。
2.砂糖を入れて弱火で2分ほど煮る。
3.醤油1を入れて煮ふくめる。
●きゅうり(巻き寿司用)
板ずりして、使いやすい太さに縦に切る。
●スナップえんどう
本来なら絹さやだが、歯ごたえを楽しみたかったのでスナップえんどうを使用。
すじを取ってさっと塩茹でした後、ななめに千切りにする。
●ゆで海老
塩を入れて沸騰したお湯にむき海老を入れ、赤くなってきたら取り出す。
●しょうがの甘酢漬け
3日ほど前に、酢と砂糖4:1の割合の漬け液に、皮をむいて千切りにしたしょうがを一度お湯でゆでこぼした後、さっと水気を切って漬け液に漬ける。
●鶏肉のそぼろ
鶏肉ももひき肉 100g
お湯 50cc
調味料 : 醤油 大さじ2、砂糖 大さじ1、みりん 大さじ1
1.お湯に鶏肉のひき肉100gを入れ、ゆでながらほぐす。
2.ほぐれたら、調味料を入れて、煮ふくめる。
3.ゆで汁が透明になったらざるにあげ、水分を切っておく。
●玉子焼き
錦糸玉子にしようかと思ったが、海苔巻きにしたかったので厚焼きのダシ巻き卵にした。
ちらし寿司には、ちぎって並べてみた。
味は卵4個に砂糖大さじ2のちょっと甘め。ダシは昆布と鰹節からとったダシを使用。
●ダシについて
ふだんは干ししいたけをピッチャーに入れてもどしておくのだが、あいにく今回は品切れだったので、昆布と鰹節のダシを使用。
料理をはじめる一番最初に、80℃くらいのお湯に昆布を細かく切って入れ、そこに鰹節をどばっと入れて放置しておく。火にはかけないこと。
昆布は、はさみなどでできるだけ細かく切る(切ったときに出る粉をのがさないように)。鰹節も細かい方がダシが出やすい。
15分~30分(鰹節が完全になべ底に沈んだ状態)もすると、いいダシがでている。急いでダシをとるときには便利。
さっぱりしたダシのときは、ある程度でダシ汁を濾したほうがいいが、醤油で煮たりする料理に使うのであれば、料理の最中はずっと昆布と鰹節を入れっぱなしにしておいた方が、時間が経つにつれて濃厚なダシになる。
ただし、あまり長時間おきすぎると、鰹節や昆布の臭いがでてくるので注意。
使うときは、なべ底に沈んだ鰹節と昆布の上に、リードのような厚手のキッチンペーパーを広げて沈ませておけば、ダシをすくうときに鰹節が侵入することもない。
■具材が完成し、ご飯が程よく冷めたら、海苔巻きは海苔でまいて、ちらし寿司は皿に盛り付けて、完成。
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ちらし寿司というのは、具材によって手間と時間に格段の差が出る料理だと痛感した。しかし、面倒だと思っていたかんぴょうの下ごしらえなどは、あまり時間もかからずすませることができ、ご飯を研ぐところから具材を用意し、海苔で巻いたり飾りつけるまで2時間強ですんだ。
何より、それぞれの具材は、醤油で煮るのと塩茹でするのと小鍋2つで事足りる。
気にしなければ、塩茹では一度にすませてしまうこともできる。
思いのほか簡単にできたので、ちょっとびっくりしたのだった。
ご飯も、炊いた後おひつに入れておいたら、いい感じに水分が抜けてくれた。
今回特に驚いたのは、柚子酢だった。
柚子そのものは、下手すると料理全部が柚子の風味になってしまうことがあるが、柚子酢にすると味がまろやかになり、香りも控えめで上品になる。
柚子酢にしておけば1年くらいもつらしいので、今後も楽しみだ。
巻き寿司は、楽しみにしていたかんぴょうを入れ忘れたが(食べてから気づいた)、玉子焼き、鶏肉そぼろ、きゅうり、生姜甘酢漬けなどを入れたもの。
写真を撮り忘れたのが残念だった。
今年の恵方は庚(西南西)の方角。西よりもちょっぴり南向き。
おじぎをして無言で食べたが、出来立てだったので途中でくずれてきてしまい、ゆっくりというわけにはいかなかった。
それに、海苔巻きとちらし寿司でおなかいっぱいだったので、豆まきの豆も年の数とまではいかなかった。
ふと、小学生の頃節分にうちに遊びに来ていた祖母が、年の数だけ豆を食べられないと、私にくれたことを思い出した。
◇デザイン変更 ― 2010年02月06日 07時26分20秒
2006年にこのブログをはじめて、この5月で4年になる。
当時ちょっと大きく辛いことがあり、自分を見失いそうになったのを整理するつもりで、このブログを開始した。
自分の原点とはなんだったのだろうと、最初に思いついたのが「げきだんしらかば」だった。
ここで気分を一度リセットする意味で、ブログのデザインを変えてみた。
前より見やすいかどうかは別として、なんとなく心機一転の気分でまた始めたいと思う。
デザインを変更した機会に、ブログのタイトルもひらがな表記に統一した。
劇団白樺という団体が実在するため、このブログ名はずっと気がかりでもあった(今まで苦情等があったわけでは、決してない)。
ブログ自体の登録名は、これまでもひらがなだったのだが(検索すると、ひらがなで表示されるのはそのせい)、タイトル画像には漢字でタイトルが書かれていた。
これを機に、タイトルもひらがなにしたので、多少は区別がつくといいと思う。
つたない未熟な私の文章を読んでくださる、大勢の皆様に感謝しつつ、今後ともよろしくお願いします。
当時ちょっと大きく辛いことがあり、自分を見失いそうになったのを整理するつもりで、このブログを開始した。
自分の原点とはなんだったのだろうと、最初に思いついたのが「げきだんしらかば」だった。
ここで気分を一度リセットする意味で、ブログのデザインを変えてみた。
前より見やすいかどうかは別として、なんとなく心機一転の気分でまた始めたいと思う。
デザインを変更した機会に、ブログのタイトルもひらがな表記に統一した。
劇団白樺という団体が実在するため、このブログ名はずっと気がかりでもあった(今まで苦情等があったわけでは、決してない)。
ブログ自体の登録名は、これまでもひらがなだったのだが(検索すると、ひらがなで表示されるのはそのせい)、タイトル画像には漢字でタイトルが書かれていた。
これを機に、タイトルもひらがなにしたので、多少は区別がつくといいと思う。
つたない未熟な私の文章を読んでくださる、大勢の皆様に感謝しつつ、今後ともよろしくお願いします。
◇1980年前後のラジオの記憶 ― 2010年02月07日 06時11分32秒
糸居五郎のオールナイト・ニッポン最終回(左)
The Wolfman Jack Radio Show(右)
車に乗るときはもとより、家でもわりとラジオをよく聞いている。
家でいつもエアチェック(死語)しているラジオ番組を、mp3に焼いて車のCDで聞くこともある。
よく聞いているといっても、チャンネルをいちいち変えるのが面倒なので、ここ数年はJ-WAVEとNHK-FMしか聞いていなかった。
友達とドライブなどに行くと、別なチャンネルがかかっていて、雰囲気が違っていたりするので、新鮮だったりする。
最近古い友達が、伝説のラジオDJ ウルフマン・ジャックのオリジナル・トリビュート番組を作って送ってくれた。
ウルフマン・ジャックは80年代のFENでよくかかっていたが、FEN(現在のAFN)は北海道で聞くことは困難を極めたため、洋楽好きな人間にとってはあこがれのラジオDJだった。
小林克也がラジオDJを主に行っていた頃、「先生」と呼んで番組中によくモノマネをしていたのが記憶にある。
あまりに懐かしく調べてみたら、現在InterFMという神奈川ローカルFMで、ウルフマン・ジャックの過去のDJをデジタルリマスターした番組を放映中とのこと。
選曲なども、彼が活躍していた時代のものをそのままオンエアするので、60年代から80年代が中心となっていて大変懐かしく、食事の支度をしながら最近毎日聞いている。
子供の頃、情報の少ない田舎町では、ラジオは貴重な情報源だった。
ラジオを聞くのがなんとなくかっこいい時代でもあり、MTV以前のラジオは音楽好きには必須アイテムであった。
今はほとんど聞かないが、小中学生の頃はもっぱらAMばかり聞いていた。
あの頃は、雑誌などこづかいの範囲内では何冊も買えるわけがなく、最新の情報と新しい曲を聞くためには、ラジオが一番早かった。
また、70年代は深夜放送全盛の頃で、オールナイト・ニッポンでもセイ・ヤングでも、当時人気のあるアーティストや音楽評論家、かけだしのお笑い芸人などがパーソナリティを勤め、その話術を楽しむのが流行していたのだった。
また、当時はまだまだラジオDJが花形職業だったので、人気のDJがたくさんいた。
AMよりも音が良いとされるFMなどは、エアチェック専用の雑誌が何冊もあり、オンエアされる曲を聞き逃さないよう、時間前にはカセットテープをデッキセットし、ラジオ放送を録音するのが当たり前だった。 もちろんラジオはモノラルだったし、タイマーなんてついていないので、みんなラジオの前でスタンバっていた。
実は、そうして録音したラジオのカセットテープが、今でも段ボールに入って我が家に存在する。
旦那のものもあるので、3箱ほどある。
聞けば懐かしいし、中には貴重なものもあるのけれど、ほとんどのものが好きなミュージシャンの曲だけを自分で編集したものや、レンタルレコードなどで借りたレコードの録音ものが多く、ほとんどはCDで再発されている。
ネットを探せば映像だって見ることができるし、とっておいてもただ懐かしいだけなのも解っているのだが、捨てられないのだ。
当時はカセットレーベルにも凝ったりして、自分なりにロゴをデザインしたりと、いろいろと工夫の跡が見えたりする。
捨てるには忍びないので、せめてデータ化しようと改めてカセットデッキを購入した。
しかし、数百本におよぶカセットテープの山を見ると、ため息ばかりが出てきてしまうのだ。
多くの人たちはたぶん、こんなカセットテープはとっとと捨ててしまっているのだろう。こんなバカなことを考えるのはうちくらいのものだと思っていたのだが、くだんの旧友が懐かしいラジオ番組をデータ化したものを送ってくれて、やっぱり昔の記録を捨てない人がいるのだと、心強く思ったのだった。
そんな中、ラジオ放送の番組そのものをとってあるテープは、ほとんど存在していないのが残念である。昔は、カセットテープも決して安くはなかったので、いかにして効率よく好きなテープを作ることが重要だったため、ラジオDJのMCは捨てられる運命にあった。
そんな感じで、私がいつも聞いていた番組を思い出してみたりした。
日曜日の昼にはMr.デーブマンのウイークリー・ポップス20(HBC)。
HBCのアナウンサーではないのに、HBCの顔とも言えたMr.デーブマン。ウイークデーは、洋楽と邦楽(今のJ-POPみたいなの。昔は洋楽に対して日本の曲は邦楽と呼んでいた。現在は雅楽などの民族音楽系の音楽を邦楽と指して言う場合が多い)全体のチャートで、日曜日に洋楽だけのチャート番組をやっていた。
70年代後半はアバやビージーズなど、ポピュラー・ミュージック系のものがチャートインすることが多かったが、80年代に入りニューウェイブ系のもの一色になっていった。
平日は、
22:00ころ サウンドストリート(NHK-FM)。
月曜日の松任谷正隆、佐野元春、火曜日の坂本龍一、木・金曜日の渋谷陽一を聞いていた。
坂本龍一はDJ初挑戦で、最初は滑舌が悪くぼそぼそ話して声も低いのに早口で、何を話しているのかわからなかった。しかし、そんなことを言えば坂本ファンに殺されるので、当時は口が裂けても言えなかった。
23:00 日立ミュージック イン・ハイフォニック(ニッポン放送/HBC)。
毎日、テーマに沿った曲を流すだけで、曲目紹介以外のアナウンスが一切ないのが特徴。民放AMにしては静かなトーンの番組だった。これで曲を全部流してもらえればFM並みだったが、ほとんどの曲は途中でフェイドアウトされていた。
23:30 小林克也のポップ・タウン・エキスプレス(文化放送/HBC)。
小林克也の真骨頂、ウルフマン先生のモノマネとテンポの良いしゃべりの中で、最新の曲が流れるのがかっこよかった。
彼はこの後、スネークマン・ショーの一員としてブレイクし、MTV時代を迎えてベスト・ヒット・USAでテレビに進出するのだが、ポップ・タウン・エクスプレスで渋いDJにあこがれていた私にとっては、スネークマン・ショーで初めて見た彼の姿に愕然としたのを覚えている。彼を初めて見たのは、スネークマン・ショーの「オーケーサインでコンドームを買う」というもので、うら若き中学生のハートを見事ブレイクしたのだった。
しかし、違う意味でスネークマン・ショーは大好きだったし、今でも小林克也は大好きです。
00:00 アタックヤング(STV)。
北海道ローカル深夜番組。月曜から金曜まで、道内のタレントと局アナウンサーがパーソナリティを勤めた。
月曜日は確か松山千春だったが、千春が全国区のオールナイト・ニッポンへ出演するのを機に、月曜日は当時ほとんど無名でまだ学生だった田中義剛が後を継いだ記憶がある。
当時、田中義剛は「俺は千春さんのようなフォークシンガーになるんだ」と、青森なまりでまくしたて、毎回自分のことばかり話すので辟易して、他の曜日も含めた番組そのものを聞かなくなった記憶がある。その後、全国区のテレビに登場したときは、松山千春のようなフォークシンガーとは程遠かったため、なんとなく裏切られた気持ちになった。
千春は曲は嫌いだったがしゃべりは好きだったので聞いていたが、他の曜日では洋楽好きな工藤浩アナウンサーの木曜日が楽しみだった。
The Whoが最初に解散したときにリクエストをして、葉書が読まれたときは嬉しかった。しかし、リクエストしたのは「My Generation」だったが、オンエアされたのはTommyの「SEE ME FEEL ME」だった。
01:00 オールナイト・ニッポン(ニッポン放送/STV)。
だいたい、オールナイト・ニッポンの一部の途中で眠ってしまうのだが、そのうち年齢を重ねるようになって、二部まで全部聞いてしまい、次の日の授業に差し支えるというのもしばしばだった。
月曜日の中島みゆきは、曲とキャラのギャップが毎週楽しみだった。
本当はがんばって二部の糸居五郎まで聞きたかったが、なかなか聞けなかった。
その他は、所ジョージ、タモリ、ビートたけしなどを聞いていた。土曜日のツルコーは内容がエッチで、いつも女子の内緒話のタネだった。
所ジョージもタモリもビートたけしも、まだ駆け出しだった
本当は、オールナイト・ニッポンと人気を二分していた文化放送のセイ・ヤングを聞きたかったのだが、北海道ではなぜかセイ・ヤングはネット局で放送しておらず、電波状態の悪い中で必死に文化放送にチャンネルを合わせたが、ほとんど聞けなかった。
土曜日はなんとかしてラジオ関東(現ラジオ日本)の全米トップ40から全英トップ20、ロックトゥディへの20:00から朝04:00までを聞くべく、大変な努力をして毎週聞いていた。
ラジオ関東はAMとはいえ、全国区のラジオ局ではなかった。なので、ネット局のない北海道では、大変に聞きにくい状況だった。
北朝鮮やソ連の怪電波と戦いながら、それでも1時時を過ぎるとなんとか音も入ってきて、全英トップ20の頃にはなかなかクリアに聞けていた。
当時の全米トップ40は、のちに全米トップ100に変わり、パーソナリティは湯川れい子。
全英トップ20のパーソナリティは、大貫憲章と今泉恵子(現 今泉圭姫子)。
ロックトゥディのパーソナリティは伊藤政則だったような気がするが、もしかしたら伊藤政則はロックトゥディの後番組だったかもしれない。
ロック三昧の後、4時からは「スゥイングジャズをあなたに」という題名だったか失念したが、スゥイング・ジャズばかりが流れる番組があり、徹夜の疲れを癒してくれた。
しかし、時代はMTVと進み、「音楽ビデオがラジオDJを殺す」とまで歌われた通り、ローカル放送局でもこの流れは無視できず、深夜にミュージックビデオ番組を放映したおかげで、だんだんとラジオから遠ざかってしまった。
今、再び昔のラジオ放送を聞いていると、今よりもずっと過激な内容だったり、CMなんかもローカル色が強かったり、しゃべりもパーソナリティ重視でいろいろと工夫がこらされていたりと、今のラジオとはだいぶ内容とスタイルが違っていることに気づく。
今のラジオはメッセージ性と情報性が強く、テレビの影響が如実に感じられる。
個人的には、NHK-FMの「ラジオ深夜便」と「渋谷陽一のワールドロックナウ」、秀島史香の出世番組 J-WAVEの「GROOVE LINE」が大好きだ。
番組に押し付けがましいメッセージがなく、パーソナリティの個性や、番組の内容の充実さが感じられるのが好きだが、最近はなかなかそういう番組も少なくなっているような気がする。
できれば、ラジオ深夜便の「ラジオクッキング」はずっと続けてください。
◇バンクーバーオリンピック 男子フィギュアスケートを見て思ったどうでもいいこと ― 2010年02月20日 01時53分24秒
今回の冬季オリンピック。
スポーツ観戦がまったく趣味ではないので、見て楽しいと思えるのはフィギュアスケートくらいしかないのだが、今回の男子フィギュアは見ていてとても面白かった。
男子フィギュアの中では、4回転を飛ぶか飛ばないかで論議が分かれているようで、名だたる選手がころころとジャンプに失敗する姿は、リンク自体に何か欠陥でもあるのだろうかと疑いたくなるほどだった。
あんなにジャンプを意識して、みんなが失敗してしまっては、競技にならないのではないのか。
その中で、無難に自分のできる範囲の技を完璧にこなし、プラス抜群の表現力を発揮した、金メダルのアメリカ エヴァン・ライサチェク選手は大変に素晴らしかった。
彼の演技は、ショートプログラムもフリーも彼のイメージにとても合っていたし、ジャンプも4回転はなかったものの、完璧に美しいフォームが際立っていたように思う。
特に、ショートプログラムの「火の鳥」での、炎を表現するマイムは圧巻だった。
本当に炎が燃えているようだった。
4回転を重視するのか、それとも全体の構成を重視すべきかは、ここで素人がどうこう言ってもしょうがないと思う。
世界王者を自認するロシアのプルシェンコ選手の「4回転がなければただのアイスダンスだ」という発言も、フィギュアスケートが「スポーツ」である以上は納得できる意見だと思う。
しかしそれを差し置いても、彼の一連の行動は、あれはアスリートとしてどうなの?と個人的には思ってしまう。
技の難易度の進化を望むことで、4回転ジャンプを飛ぶことに重視し、それを完璧に飛ぶ技術は大変なものだと思う。
その技術は世界一といっていいものなのだろうし、世間もそれを認めているのだろう。
しかし、いくら自分が一番だと思うからといって、彼の演技は
「俺が一番なんだぞー どーだ すごいだろー 見ろ!!!」
と言わんばかり。
曲の表現は二の次で、ただただ自分を誇示するためだけのものでしかなく、ショートプログラムの「アランフェス協奏曲」の美しく叙情的なイメージは、まるで無視されていたのが気になった。
フィギュアというのは、難易度の高い技をいかに完璧に決めるかプラス、曲に合わせた芸術性を表現するスポーツではないのか。
彼の演技はジャンプの技術はすごいと思ったが、ステップもスピンもマイムもただただ大げさで、繊細さに欠けて全体に固く、見ていてちっとも美しく思えなかった。
銀盤を降りた後の発言も、ジャッジやライバルを批判するのはけっこうだが、やりすぎはかえって見苦しく映ってしまうのは、私が日本人だからだろうか。
意見は他にもいろいろあるのだが、競技にはまったく関係ないところで気になったことを、忘れないよう(いや、忘れてもいいんだけど)書いておこうと思う。
●カザフスタン代表 デニース・テン選手の唇がぱっくりと割れていたこと
あれは痛そうである。かなり深く切れている感じ。
昔私は、リップクリームが嫌いで、しょっちゅう唇を切っていた。
真ん中のしわがざっくり割れて、大変に痛い。
カザフスタン料理は辛いものも多いので、しみるんじゃないかと思ったりした。
誰かはちみつ塗ってパックしてあげろよ と突っ込みたくなる。
フリーのときにはちょっと改善していたが、V字にあいた胸元にでっかいにきびも発見した。
ストレスで胃でも悪くしたのだろうか。
それにしても、フリーの曲はヨーロッパ系でそろえてきていたが、彼には是非カザフスタンの民族楽器ドンブラの演奏曲で演技してもらいたいものである。
その際には、是非テミルコムズの演奏も入った曲にしてほしい。
まだ16歳ということで、将来が大変楽しみだ。
●点数がでるまでの控え席での、女性の座り方
日本人女性は、織田選手のお母様や、アメリカ代表のアボット選手のコーチを勤めた佐藤有香さん、高橋選手の長光歌子コーチなど、数人が控え席に選手と共にテレビに映っていたが、外国人女性のほとんどは足が開いていたのに対して、日本人女性はみんなひざがきっちりと揃っていた。
外国人は気にしないのだろうけど、あのへんは日本人の美意識なのであろうと思った。
●演技が終わったあとのお辞儀
西洋の選手の多くは、手を挙げて自分を誇示し、胸に手を当てる姿はさすがにスマートで堂に入っているのだが、その後のお辞儀の仕方が美しくない。
特に頭を完全に下げたとき、手の位置がぶらぶらと下に垂れ下がっていてみっともない。
日本人はお辞儀をしなれているせいか、きちんと足の線に腕を沿わせて美しい。
お辞儀もやはり、日本人の美意識が表現される動作なのだと思った。
ヨーロッパにもお辞儀の文化はあるはずなのに、そのあたりは曖昧なのだろうか。
日本の小笠原流みたいなのって、ヨーロッパのお辞儀道には存在しないのか。
きっと外国人はそんなこと気にしないんだろうな。
でも、ビートルズがステージでお辞儀をした映像は、ちゃんとしていような気がしたが。
●謎の緑色の液体
北京のときにも思ったのだが、選手が飲んでいる蛍光緑色の液体。
あれはゲータレードとか、そういった類のものなのだろうか。
水を飲んでいる人も多かったが、フィギュアのときに小塚選手も飲んでいて気になった。
北京のときは、女子卓球の選手がみんなあれを飲んでいて、なんとなく不気味な感じがしていた。
スポーツードリンクは白い白濁というイメージが、自分の中で定着している証拠なのだろうと思う。
それにしても、ものすごくまずそうに見えるのだが、どんな味なんだろう。
●アメリカ代表 ウィアー選手はKABA.ちゃんに似ている
演技が終わったあと、何度も十字を切っていたのを見ると、敬虔なキリスト教徒なのだろうと想像するできる。
女性アイスダンサーの恋人がいるとの報道もあるので、ゲイではないとは思う。
しかし、あの中世的なセクシーさとかわいらしさは、やっぱりいろいろ疑ってしまう(決して好みではないが)。
フリーの後の点数がでるまでの控え席で、ファンからもらった赤い花束と赤い花冠がやけに似合っていた。
笑った顔が、KABA.ちゃんに似ていると思った。
フリーで完璧に近い演技をしたのに、点数があまり伸びなかったことへの客席のブーイングに対し、笑顔でそれを収めようとするパフォーマンスが印象的だった。
●カナダ代表 パトリック・チャンの目力
なんだかとても、目に力の入った人だと思った。
トリノで銅メダルだったジェフリー・バトルのあとを引き継ぐかのような表現力は圧巻だった。
しかし、バトルは永遠のベビー・フェイスといわれるほど柔和な顔立ちをしていたが、新しい銀盤の貴公子は、りりしい顔立ちが印象的。
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それにしても、今回はジェフリー・バトル並みの美男子はいなかったなあ。
強いて言えば、フランス代表のブライアン・ジュベールくらいだろうか。
彼は、オリンピック前のNHKのドキュメンタリー番組で、将来は5回転にもチャレンジしたいと話していたのに、今回まったくいいとこなしで気の毒だった。
スポーツ観戦がまったく趣味ではないので、見て楽しいと思えるのはフィギュアスケートくらいしかないのだが、今回の男子フィギュアは見ていてとても面白かった。
男子フィギュアの中では、4回転を飛ぶか飛ばないかで論議が分かれているようで、名だたる選手がころころとジャンプに失敗する姿は、リンク自体に何か欠陥でもあるのだろうかと疑いたくなるほどだった。
あんなにジャンプを意識して、みんなが失敗してしまっては、競技にならないのではないのか。
その中で、無難に自分のできる範囲の技を完璧にこなし、プラス抜群の表現力を発揮した、金メダルのアメリカ エヴァン・ライサチェク選手は大変に素晴らしかった。
彼の演技は、ショートプログラムもフリーも彼のイメージにとても合っていたし、ジャンプも4回転はなかったものの、完璧に美しいフォームが際立っていたように思う。
特に、ショートプログラムの「火の鳥」での、炎を表現するマイムは圧巻だった。
本当に炎が燃えているようだった。
4回転を重視するのか、それとも全体の構成を重視すべきかは、ここで素人がどうこう言ってもしょうがないと思う。
世界王者を自認するロシアのプルシェンコ選手の「4回転がなければただのアイスダンスだ」という発言も、フィギュアスケートが「スポーツ」である以上は納得できる意見だと思う。
しかしそれを差し置いても、彼の一連の行動は、あれはアスリートとしてどうなの?と個人的には思ってしまう。
技の難易度の進化を望むことで、4回転ジャンプを飛ぶことに重視し、それを完璧に飛ぶ技術は大変なものだと思う。
その技術は世界一といっていいものなのだろうし、世間もそれを認めているのだろう。
しかし、いくら自分が一番だと思うからといって、彼の演技は
「俺が一番なんだぞー どーだ すごいだろー 見ろ!!!」
と言わんばかり。
曲の表現は二の次で、ただただ自分を誇示するためだけのものでしかなく、ショートプログラムの「アランフェス協奏曲」の美しく叙情的なイメージは、まるで無視されていたのが気になった。
フィギュアというのは、難易度の高い技をいかに完璧に決めるかプラス、曲に合わせた芸術性を表現するスポーツではないのか。
彼の演技はジャンプの技術はすごいと思ったが、ステップもスピンもマイムもただただ大げさで、繊細さに欠けて全体に固く、見ていてちっとも美しく思えなかった。
銀盤を降りた後の発言も、ジャッジやライバルを批判するのはけっこうだが、やりすぎはかえって見苦しく映ってしまうのは、私が日本人だからだろうか。
意見は他にもいろいろあるのだが、競技にはまったく関係ないところで気になったことを、忘れないよう(いや、忘れてもいいんだけど)書いておこうと思う。
●カザフスタン代表 デニース・テン選手の唇がぱっくりと割れていたこと
あれは痛そうである。かなり深く切れている感じ。
昔私は、リップクリームが嫌いで、しょっちゅう唇を切っていた。
真ん中のしわがざっくり割れて、大変に痛い。
カザフスタン料理は辛いものも多いので、しみるんじゃないかと思ったりした。
誰かはちみつ塗ってパックしてあげろよ と突っ込みたくなる。
フリーのときにはちょっと改善していたが、V字にあいた胸元にでっかいにきびも発見した。
ストレスで胃でも悪くしたのだろうか。
それにしても、フリーの曲はヨーロッパ系でそろえてきていたが、彼には是非カザフスタンの民族楽器ドンブラの演奏曲で演技してもらいたいものである。
その際には、是非テミルコムズの演奏も入った曲にしてほしい。
まだ16歳ということで、将来が大変楽しみだ。
●点数がでるまでの控え席での、女性の座り方
日本人女性は、織田選手のお母様や、アメリカ代表のアボット選手のコーチを勤めた佐藤有香さん、高橋選手の長光歌子コーチなど、数人が控え席に選手と共にテレビに映っていたが、外国人女性のほとんどは足が開いていたのに対して、日本人女性はみんなひざがきっちりと揃っていた。
外国人は気にしないのだろうけど、あのへんは日本人の美意識なのであろうと思った。
●演技が終わったあとのお辞儀
西洋の選手の多くは、手を挙げて自分を誇示し、胸に手を当てる姿はさすがにスマートで堂に入っているのだが、その後のお辞儀の仕方が美しくない。
特に頭を完全に下げたとき、手の位置がぶらぶらと下に垂れ下がっていてみっともない。
日本人はお辞儀をしなれているせいか、きちんと足の線に腕を沿わせて美しい。
お辞儀もやはり、日本人の美意識が表現される動作なのだと思った。
ヨーロッパにもお辞儀の文化はあるはずなのに、そのあたりは曖昧なのだろうか。
日本の小笠原流みたいなのって、ヨーロッパのお辞儀道には存在しないのか。
きっと外国人はそんなこと気にしないんだろうな。
でも、ビートルズがステージでお辞儀をした映像は、ちゃんとしていような気がしたが。
●謎の緑色の液体
北京のときにも思ったのだが、選手が飲んでいる蛍光緑色の液体。
あれはゲータレードとか、そういった類のものなのだろうか。
水を飲んでいる人も多かったが、フィギュアのときに小塚選手も飲んでいて気になった。
北京のときは、女子卓球の選手がみんなあれを飲んでいて、なんとなく不気味な感じがしていた。
スポーツードリンクは白い白濁というイメージが、自分の中で定着している証拠なのだろうと思う。
それにしても、ものすごくまずそうに見えるのだが、どんな味なんだろう。
●アメリカ代表 ウィアー選手はKABA.ちゃんに似ている
演技が終わったあと、何度も十字を切っていたのを見ると、敬虔なキリスト教徒なのだろうと想像するできる。
女性アイスダンサーの恋人がいるとの報道もあるので、ゲイではないとは思う。
しかし、あの中世的なセクシーさとかわいらしさは、やっぱりいろいろ疑ってしまう(決して好みではないが)。
フリーの後の点数がでるまでの控え席で、ファンからもらった赤い花束と赤い花冠がやけに似合っていた。
笑った顔が、KABA.ちゃんに似ていると思った。
フリーで完璧に近い演技をしたのに、点数があまり伸びなかったことへの客席のブーイングに対し、笑顔でそれを収めようとするパフォーマンスが印象的だった。
●カナダ代表 パトリック・チャンの目力
なんだかとても、目に力の入った人だと思った。
トリノで銅メダルだったジェフリー・バトルのあとを引き継ぐかのような表現力は圧巻だった。
しかし、バトルは永遠のベビー・フェイスといわれるほど柔和な顔立ちをしていたが、新しい銀盤の貴公子は、りりしい顔立ちが印象的。
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それにしても、今回はジェフリー・バトル並みの美男子はいなかったなあ。
強いて言えば、フランス代表のブライアン・ジュベールくらいだろうか。
彼は、オリンピック前のNHKのドキュメンタリー番組で、将来は5回転にもチャレンジしたいと話していたのに、今回まったくいいとこなしで気の毒だった。
◇春の気配 ― 2010年02月23日 04時31分28秒
昨日は春一番が吹いたとニュースで言っていたが、来客のときにドアを開けたら、異様に寒くて驚いた。
暖かいと思っていたのに、風はまだまだ冷たい様子。
それでも、窓から入る陽の光はとてもほわほわしていて、春が来ていることを実感する。
もう少ししたら、花粉や黄砂で具合が悪くなるので、春を満喫できるのは今のうちということだろう。
川沿いに咲いている、河津桜が満開だった。
近所の庭先の梅の木も、白梅も紅梅も満開に近くて、3月の中ごろに行く予定の梅祭りに間に合ってくれるかどうかが、ちょっと心配。
暖かいと思っていたのに、風はまだまだ冷たい様子。
それでも、窓から入る陽の光はとてもほわほわしていて、春が来ていることを実感する。
もう少ししたら、花粉や黄砂で具合が悪くなるので、春を満喫できるのは今のうちということだろう。
川沿いに咲いている、河津桜が満開だった。
近所の庭先の梅の木も、白梅も紅梅も満開に近くて、3月の中ごろに行く予定の梅祭りに間に合ってくれるかどうかが、ちょっと心配。
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