Copyright & 2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
 無断転載を禁ず
Google
WWW を検索 げきだんしらかば を検索


◇黒烏龍茶の行列2010年04月02日 02時02分19秒



半年ぶりにパーマなぞあてようと思い、街中に車を走らせる。
街中についてからお昼にしようと思っていたのに、道は渋滞でなかなか前に進まない、3月最後の月曜日の13時過ぎのこと。

駅前からちょっと離れた昔の街道沿いの商店街に、新しいラーメン屋が出来たらしく、数メートルの行列になっている。
平日の昼で、すでに普通の会社の昼休みは、とっくに終わっている時間なのに、15人は並んでいる。
となりも昔からやっているラーメン屋だが、シャッターを閉めている。
行列のできているお店は、近隣のお店に迷惑にならないようにと、たまにお店から恰幅のいい店員が出てきて、列を制御している。

よく見ると、列に並んでいるのは全て男性。しかも、その服装は80%の人が黒いソフトスーツを着込み、パソコン屋で売っている新素材のビジネスバッグを持っている。中にはパソコンが入っているようで、並びながらパソコンをいじっている人もいる(小雨が降っているのに…)。
残りの20%は、ウインドブレーカー風の上着を着て、ナップサックをしょっている人。ウインドブレーカーの色はみんな青である。

しかも、そこに並んでいる人が手に持っている飲み物は、全てサントリーの特定保健用食品である黒烏龍茶である。

これって、CMなの?

といぶかったときに、信号が青に変わってしまった。

サントリーの黒烏龍茶の新しいCM。
どっかで見た人だと思ったら、サモ・ハン・キンポーだった。
前のおっさん二人のCMよりは、なんとなくコミカルでいいかも。


サントリー 黒烏龍茶HP
http://www.suntory.co.jp/softdrink/kuro-oolong/

◇強風の朝の虹2010年04月02日 07時22分59秒

強風の朝の虹
 
夕べから、台風なみのものすごい強風。
雨戸のない我が家のベランダは、窓ガラスが割れるのではないかとひやひやする。
朝になると、晴れているのに雨が降っていて、太陽は黒い雲に隠れていたりする。
低い黒雲がもんどりうって、ものすごいスピードで流れていく。

ニュースを見ると、房総半島の電車は止まっているし、飛行機も欠航している様子。
バイクで通勤している旦那も、今日は電車で行くよう、駅まで車で送っていく。

家に戻った朝6時半、西の空に見事な虹がかかっていた。
朝の虹は雨を呼ぶ。
せっかく満開の桜が、この強風と午後からの雨でだいなしにならないといいのだけど。

◇今年も夜桜2010年04月04日 00時54分32秒

 
関東地方、なんだかまだまだ不安定な天気だけど、やっと温かくなり、桜も昨日の陽気で一気に満開の様子。

今年も近所の夜桜めぐりをした。
いつもは、桜の下でお弁当(夕食)を食べるのだけど、今年は先にラーメンで腹ごしらえしてから、桜へGo。
近所の大学や、公園の桜を数箇所見物して歩いた。
いつ見ても、夜の桜はなんだかなまめかしくて、独特の雰囲気がある。

明日は、北海道から旅行に来ている、両親と親戚と一緒に横浜見物。
桜を見たいという一同のために、横浜三渓園につれて行きたいが、横浜観光協会の人の話だと、毎年満開宣言の出た週末は、ものすごい行列ができるとのこと。
ちょうど夜桜見物のできる日も明日までで、しかも明日は春休み最後の日曜日。
果たして、行列嫌いの北海道人が耐えうる行列の長さかどうか…。

◇めがねをつくる2010年04月17日 05時46分28秒

これまで見えていた月のイメージ。
三日月だと、月が二つ以上あるように見えていた。
眼鏡ができてきてから、快晴の夜空はまだないので、次に月夜を眺めるのがちょっと楽しみである。


私はこれまで何度か眼鏡を作ったのだが、その都度眼鏡に挫折をしている。

おしゃれで眼鏡をかけたりしていた時期もあるのだが、私は基本的に眼鏡が苦手だ。
かけていると顔と頭皮が異様に疲れてきて、眉間がもやもやしてくる。
眼鏡屋が言うには、眼鏡が顔に合っていないとか、レンズが合っていないなどというのだが、本当はそうではない。
鼻が低いので眼鏡がさがってきやすいため、耳の上と額に無意識に力が入ってしまうのだ。
また、小学生の頃に目つきが悪いと指摘されてから、目をぱっちり見せるために常に頭皮を上にあげる癖がついている。
ふだんからそうしているので、眼鏡をかけるとその重みで更に負荷がかかるせいだろうとも思うのだ。

10年前に初めて遠視を指摘されたときは、パソコン業務の際に目の疲れが顕著だったため、近くを見る用の眼鏡を作ったのだが、その時はリムレスの軽い眼鏡にした。
しかし、一度ついた癖はなかなか直らず、パソコン業務で目が疲れる以上の苦痛を感じて、せっかく作ったのにすぐに使わなくなってしまった。
もともとそれほど強い遠視ではないため、眼鏡がなくても支障はない。
眼鏡をつける苦痛とつけない苦痛を考えると、裸眼の方が楽だった。

それから10年。
眼科医から「あなたは老眼が早くくるでしょう」と言われた予言どおり、軽い老眼の症状が出てきた。
遠視がそれかと思っていたが、遠視は老眼とは関係ないらしい。私の老眼は、乱視から始まっているとのこと。
数年前から、月を見るとトップの画像のように見えていたので、乱視がすすんでいるなあと自覚症状はあったのだが…。
しかも、老眼性の乱視というのは、症状が進むに連れて乱視の角度が変わってくるらしい。

眼科で視力を測定してもらい、目に合うレンズを試着すると、今までいかに目に力が入っていたのかがわかるように、すーっとこめかみ付近のコリがとれる。
遠くが若干見えにくいが、裸眼よりははっきり見える。

目が悪い人は、一生懸命見ようとしても見えないので、結局は眼鏡をかけることを余儀なくされるのだが、私の場合は、なまじ遠視が軽いせいで、目に力を入れれば物は見えてしまう。
乱視も力技で今まで見ていたようだが、最近は疲れてくると物が見えづらくなってきたのだ。

視力的には眼鏡をかけて矯正するほどではないのだが、乱視がかなり進んでいるため、軽い遠視と乱視を矯正する眼鏡を作ることにした。
老眼はすでに避けられないので、視力が落ち着くまでは定期的にレンズを代える必要があるとのこと。
とりあえず、これまで挫折し続けてきた眼鏡になれるために、一番弱い矯正にしてもらった。

しかし、今までいやでしようがなかった顔の感覚が、すぐにとれることはないので、まずはこれを克服しなければならない。
すでに眼鏡をかけて四半世紀以上の旦那は、「なれればなんてことはない」と言う。
それでも、「歯列矯正の苦しみから比べるとまだまし」と自分に言い聞かせつつ、老いの入り口からすっかり中に入ってしまったのだなあと、しみじみしたりするのだった。

◇なぜ並ぶのか??2010年04月19日 06時08分47秒

昨日、テレビである中華料理屋チェーン店のメニューが紹介されているのを見ていた。
チェーン店といっても、基本のメニューの他にその店独自のメニューなどもあって、お店ごとに特色があるというのがウリのようだ。
私たちの町のその店もかなりの繁盛店で、休日などはお店の前に長い行列が出来ていることもある。
特に新しいお店というわけではなく、私たちの町のその店は10年以上前からあるのだが、私たちは一度もそこに入ったことがなかった。

その店の近くで用事をすませて、終わったのが夜の8時近く。
まあ、一度くらいはそこに行ってみようと足を運んでみたのだが、夕飯時の休日の行列は20分待ちと言われ、でもまあ動くのも面倒だし、一度くらいは食べてみようと待つことにしたのだった。

待つこと予定通り20分強。
カウンター席に案内され、お店の名前にも冠している一番人気の定番定食と、鶏の唐揚げを注文する。
厨房は10人ほどのスタッフが持ち場を分担して、手際良く調理をしていく。
席に着くまでは時間がかかったが、注文してからはものの10分も経たずに料理が運ばれてきた。
鶏の唐揚げも目の前で揚げており、揚げたてのものが運ばれてきた。

食事も終わりに近づいた頃、厨房の人が「しょくせんありませ~ん」と叫んでいる。
『しょくせん』とは何だろうと思っていたところ、店長らしき人が「マジックリンで代用して」と言っている。
『しょくせん』とは、食器洗い洗剤のことらしい。
しかし、再び「マジックリンもない」との連絡が。
すると店長らしき人は、大きな声で「ハンドソープで代用して」と答えたのだ。

厨房はカウンターに面しており、カウンターには食事中のお客がびっしりと、その後ろには席が空くのを今か今かと待っているお客の列があった。
その人たちの前で、堂々と食器洗い洗剤の代わりにハンドソープを使えと大声で指示するスタッフ。

何を洗うのかは判らないが、食堂で食器洗い洗剤で洗うものといえば、だいたいの人が食器だと思うだろう。
それをマジックリンで代用するというのも、大きな問題があると思う。
マジックリンは食器洗い洗剤よりも強力なので、すすぎに時間がかかるのだ。
その時点で、私たちが待っていたよりも更に長い席待ちの行列が、店の外まで続いている。
そんなお店の状態で、すすぎにそれだけの時間を割けるかどうか疑問である。いつもの食器洗い洗剤と同じ具合にはいかないだろうし、食器洗い機を利用しているだとすれば、マジックリンは利用できないだろう。

まして、ハンドソープなどを利用するのは、言語道断であると思ったのだ。
なぜなら、そこの店で使用しているハンドソープは、よく公共のトイレなどで利用されている、緑色の変なにおいのするハンドソープだからだ。
あれで手を洗うと、しばらく臭いがとれない。
あんな臭いが食器についたら、臭くて料理も変な臭いがするのではないかと思ってしまう。
そうじゃないにしても、やはり食べ物商売のお店で衛生上それは問題あるのではないかと思うのだった。

近くにはコンビニもあるのだし、「誰かひとっ走り行って買ってこいよ」と突っ込みたいのを我慢して、早々とお店を出た。
それにしても、その店のスタッフは忙しすぎて頭がどうかしているのか?
客の前で大声で店の危機を叫ぶのはどうなのか?
それ以上に、それを聞いて客は誰も行列から外れようとしなかったのも解せない。

そして、マジックリンやハンドソープで洗った食器を使う危険を考えて、二度とその店に足を運ぶことはないだろう。
行列してまで食べるほど美味しいってわけでもなかったし。
なんで、みんな行列してまだ食べたいのか、ちっとも理解できませんでした。

◇IMAX 3DのAlice in Wonderlandを観る2010年04月26日 02時28分23秒

公開前の3D眼鏡の風景
公開前の3D眼鏡の風景


3D映画「アバター」の大ヒットを横目に、「アバター」をまったく観たいと思わなかった私たちは、もともと好きだったティム・バートン監督と今をときめくジョニー・デップの「Alice in Wonderland」を3Dで観ることにしたのだった。

風邪が治りかけの私は、Mサイズのポップコーンと暖かいほうじ茶を注文。旦那はポップコーンとセットのMサイズのカルピス。
ほうじ茶は、お湯にティーパックだけなのに、なぜ250円もするのか。

上映室の入り口で3D眼鏡を配布しており、それを受取って中に入る。
予約でとれた席は、右エリアの中央通路横のちょっと前よりの席。
普通の映画だったらこの程度ならけっこういい席なのだが、3Dトイズストーリーの予告が始まったときに、ちょっとしまったと思った。
画像は立体に見えるのだが、3Dの構造は横並びの視点の焦点を微妙にぼかして立体に見せるようになっているため、乱視の目には3Dはかなりきつい構造になっている。
これがちょっと斜めから見ることで、微妙に焦点がずれて、一番はっきり見える部分に焦点が定まらないのだ。
矯正用の眼鏡を外して見てみたが、乱視がひどくなるため状況は悪くなるだけ。これなら眼鏡をしたまま3D眼鏡をしたほうがましだった。

本編が始まると、画面下にある字幕が飛び出して見える。
ここに焦点をあててしまうと、画面の中の人物に焦点が定まらない。
ものすごくでかくて精度の高いレンチキュラーを見ているような感じ。
見せたい部分が強調されているため、視線が強制的に見るべき場所に固定されてしまう。
全体の色や雰囲気、舞台装置、風景、モブシーンの脇役の人の表情などを細かく見たいのに、そのあたりが微妙にぼかされてしまう。

帰宅して「アリスを見た」という人のブログを読むと、みんな同じように「乱視に3Dは無理」と書いていた。
やっぱりそうだよな…。

Alice In Wonderlandの本編は、パーティシーンや兵隊が並ぶなどのモブシーンが非常に多い。
もっと遠景のシーンなどだと見やすいように思うのだが、あまりにも姑息に仕組まれた仮想世界にリアリティがなく、ティム・バートン監督の独特の風景観を十分に楽しむことができなかったというのが、正直な感想だった。
「シザーハンズ」も「チャーリーとチョコレート工場」も、あの独特の風景観と色使いが好きだったので、今回は楽しみにしていたのに残念でならない。
ティム・バートンの「不思議の国の世界観はこれはこれで面白かったし、背景も舞台芸術もすばらしく、第一級のファンタジーであると思えたが、、3Dで観たばっかりに3Dの効果に気を取られがちだったのは言うまでもない。
作り手の意図した部分のみを誇張して見るのが映画の見方ではないと思うし、少なくとも私はパーティに参加している人一人一人の細かい表情や、動きなんかもじろじろと見たいと思うほうなので、3Dは身体にも心にも満足いかないと思った。

◇Alice in Wonderlandを観に行く2010年04月26日 04時08分27秒



「不思議の国のアリス」は昔から好きで何度も読み返した本だが、今回好きな監督の一人でもあるティム・バートン監督の「不思議の国」が公開になると知って、ずっと楽しみにしていた。
そして、映画を見るにあたり偕成社文庫の芹沢 一訳のものを読み返した。

「チョコレート工場の秘密」もそうだったが、イギリスのこの手の小説は、イギリス独特の教訓詩や歌やことわざなどが、韻を踏んでふんだんにちりばめられているので、訳者はそのあたりをどれだけ日本語で表現するかが腕の見せ所となる。
特にアリスの作者であるルイス・キャロルは、言葉遊びが大変好きだったので、一連の「~国のアリス」の中には、様々な言葉遊びやなぞなぞがちりばめられている。

イギリスのこの手の言葉遊びの感覚は、昔からけっこう好きだった。
マザーグースなどもそうだが、イギリスの古くからある道徳や伝承、常識などがこれらの文章の中にはたくさんあって、日本語の常識の中で暮らし、訳者のフィルターを通して読むこれらの文章は、理解不能なものもけっこう存在する。
それでも、これらの文章に共通している“理解してもしなくてどちらでもいいような突き放した感じ”は、登場する生き物が同じ場面にいつつも、常に“みんなばらばらの方向を見ている”ような感じがして、面白かった。
また、ヨーロッパにありがちな“善と悪”の二元論的な感覚とは違い、“善の中にも悪があり、悪の中にも善がある”というようなあいまいな感覚が存在していたように感じていた。

それは、私だけの勝手な感覚なのかもしれないし、それを他人に確認したことはないので、みんなが私と同じように思っているのかはわからないのだが。

また、「不思議の国のアリス」や「鏡の国のアリス」は、今では通常使ってはいけないような言葉が、昔の訳本には平然と使用されていたので、今の本を読むとちょっと毒気が抜かれているような気分になる。
そして、この言葉遊びの感覚やちょっと乱暴ともいえる言葉の選び方が、お話の雰囲気作りに一役買っていると言っても過言ではないようにも思うのだ。

ティム・バートン監督の「Alice in Wonderland」を観るにあたり、いろいろとこころの準備をしてきたのだが、公開前のプレミア番組を見て、ちょっと気になる印象を持った。

今まで読んだ「不思議の国のアリス」の世界を期待していると、しっぺ返しを食らうかも。

そして挑んだ、「Alice in Wonderland」。
観て思った一番のしっぺ返しは、登場人物がとても「まとも」だったことだった。
私の知っている「不思議の国」は、アリス以外の登場人物(?)は全て「変」だった。
しかし、ティム・バートンの世界では、チェシャ・ネコも帽子屋も三月うさぎもヤマネも白ウサギも青い芋虫も、赤の女王さえも「変な人」ではなかった。
みんなひとつの目標に向かっていて、それが“善と悪”で語られ、そこにアリスが巻き込まれていく。
どちらかといえば、最初に登場したパーティ会場のリアルな世界の人たちの方が“みんなばらばらの方向を見ていて”「変な人」ばかりに見えた。

これは、原作には存在しない(と私が思っている)、欧米人の大好きなはっきりした“善と悪”のテーマを不思議の国に持ち込んだためなような気がする。
ティム・バートン監督も、来日インタビューで「小説と映画の世界はちがう」と語っており、この世界を描くに当たって“善と悪”を作り出す必要があったと名言しているが、私が読んだいくつかの訳本に共通してあった、“善悪のあいまいさ”や“みんなばらばらの方向を見ている感じ”がまったくないように感じたのだ。
いや、もしかしたら原本には存在していたものが、日本語に訳される段階で薄まってしまったり、日本語訳であるが故にそう感じていただけなのか。
または、私だけが感じていた勝手な感覚だったのか。

ティム・バートンの世界観は、これはこれで面白かったし、背景も舞台芸術もすばらしく、第一級のファンタジーであると思えた。
しかし、公開前のプレミア番組にあったとおり、ルイス・キャロルの世界観そのままの感覚を期待したため、まったくしっぺ返しを食らった気分だった。

ところで、『カラスと書き物机が似ているのはなぜか?』。
マッドハッターとアリスの間で、何度も交わされるなぞなぞだが、この答えはWikipediaの「不思議の国のアリス」の項目に説明されている。
しかし、答えを見ても英語力の乏しい私には、まったく理解に苦しむ内容だったが、このあたりもイギリスらしいといえばらしいといえる。

欲を言えば、芋虫に鍵を多く持たせすぎな気がした。グリフォンとかカメモドキなんかも登場して、彼らにも鍵を持たせてほしかった。


Alice in Wonderland公式HP http://www.disney.co.jp/movies/alice/index.html

Wikipedia「不思議の国のアリス」



Copyright ©2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
無断転載を禁ず