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◇ベトナム旅行記10 ~半日市内観光ツアー その4~2012年06月07日 06時25分55秒

■半日市内観光 戦争証跡博物館

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館。

人民委員会庁舎に行けなかったので、その代わりにと戦争証跡博物館に行く事になった。私たちは、このツアーの後に自分たちで来るつもりだったので、この話を最初にバスの中で聞いたときには、ちょうどいいと気軽に思っていた。
しかし、いざ博物館に足を踏み入れると、ツアーで来るべきではなかったと思った。

バスを降りると、フーンさんは「これから30分自由に見てきてください」と言った。歴史博物館のように案内してくれるのかと思ったのだが、フーンさんは中には入らない。
見ると、観光客を案内してきたドライバーやガイドさんは、みんな入口の駐車場で待機している。みんな一様に伏し目がちで、ここではあまり観光客と目を合わせようとはしない。

日本のベトナム反戦の印刷物。
白光真宏会のメッセージ塔。日本のベトナム反戦デモの報道写真と、千羽鶴。


この博物館は三階建てで、外には戦争で実際に使用された戦車や戦闘機などが展示されている。
入口に入ると、最初に日本語の印刷物が掲示されている。
奥に入ると、米国などのベトナム反戦に関わる展示もあるのだが、日本の共産党の機関紙や、反戦デモの報道写真などがまず目に入る。
昔は、日本のどの町に行っても見かけた、白光真宏会の「世界人類が平和でありますように(May peace prevail on earth)」のメッセージ塔まで展示されている。

一階の奥には、世界各国の平和のメッセージの印刷物が展示されており、さらに奥の別部屋に行くと、ベトナムの子供達が書いた平和の絵が展示されており、その部屋の奥の壁一面にはソ連とベトナムとの共産主義を示すモニュメントがある。

共産主義を示すモニュメント。

二階に上がると、建物の中心が吹き抜けになっており、左右の部屋に展示が分かれ、吹き抜けの廊下にはベンチが置かれているのだが、そこに座る人たちはだいたいが西洋人で、一様に疲れた顔をしている。ペットボトルのゴミなどが散乱していて、その中にみんな座っている。

階段上がってすぐの左側の部屋には、侵略戦争の経緯の資料や写真の展示。そして、右側の部屋には、枯葉剤などの影響で生まれたさまざまな奇形児の写真が展示されている。
私たちの世代では「ベトちゃん・ドクちゃん」が有名だが、ここに来ると彼等はまだ状態が良い方なのだという事を痛感してしまう。身体の一部がくっついて生まれた双生児、小頭症、水頭症、手足の長さが違う子供、身体の骨が変形している子供、顔の形状がほとんどくずれてしまったエレファントマンのような子供。
ほとんどが直視できないような写真で、泣いている人もたくさんいる。

三階は、主に米国などの報道写真と平和への取り組みなどが展示されている。
三階の廊下には、いわさきちひろの反戦への取り組みを説明したパネルが掲げられている。

いわさきちひろのパネル。

一通り展示を見るものの、特に二階は5分といることができない。
早々に入口に戻った私を見て、フーンさんが「ちゃんと見ましたか?」と聞いてくる。
「とてもこれ以上は見られない」と応えると、ちょっと怒ったような顔になり、「では、博物館の外にある、拘置所の写真が展示されているところを見てください」と、わざわざ私たちを連れて行った。
そこは反政府活動などの政治犯などが収容されていた場所を展示したところで、本当の牢獄を模したものや、ギロチンや拷問道具、それに拷問にかけられた人々の写真が展示されている。
目をつぶされた人、爪をはがされた人など、こちらもかなり生々しい。

そこを出ると、フーンさんがツアー客の若い女性二人組にも同じように、拷問の展示室へ案内している。フーンさんはたぶん40代くらいの女性なので、ベトナム戦争は子供の頃に経験している年頃なのだろうと思う。自分がここを見るのは辛すぎるが、世界中の人にはこの悲惨さをきちんと知ってほしいと思っているのだろう。
一階の展示室では、あちこちでガイドさんが自分の客がきちんと見たかをチェックしているのが見受けられた。

ちょっと逃げるようにして、再び一階の奥にある子供の絵の展示室に行く。ベトナムの文化や、お正月の様子などが子供の目で描かれている。それらを見ると、心から平和の大切が身に染みるような気がした。

しかし、これは強制されて見るようなものではないが、やはりツアーではなく自分の意思でしっかり見ておきたかったと、後で少し後悔したのだ。
あまりにも衝撃的だったため、三階のいわさきちひろの展示などは、じっくり見ることができなかった。

再び入口へ戻ると、先ほど声をかけてきたツアーのHさんがちょうど出てきて、奥様がハンカチを口にあてて憔悴されている。旦那様が「ちょっとショックが強かった」とおっしゃっていた。
私が「三階の写真は、昔ライフで見ました」と言うと、「雑誌に載っている程度の写真は、何も伝えていない」と、Hさんの旦那様は話していた。

ベトナム戦争については、日本の中では今ではほとんど風化してしまっている現実もあるが、アメリカなどでは未だに語られる歴史のひとつでもあるし、ベトナムでは風化させることのできない事実なのだろう。
私自身子供であったし、実際のところ「ベトナム戦争の真実」といえるようなものは、何も知らないし、知ろうとしなければ知らされることもなかった。
でも、この戦争の真実はわからなくても、「現実」はここに来ればその端っこは見ることができる。ここにあるのは記録でしかなくても、重要な記録であることには違いない。私たちが知ることができるのは、ほんの端っこだけど、その端っこでも知るのと知らないのとでは大きく違うと、帰国してから思った。
「雑誌に載っている程度の写真は、何も伝えていない」というHさんの旦那様の言葉がいつまでも頭に残る。
ガイドさん達が入口から中に入れない理由も、ちょっとだけ理解できたと思う。



つづく

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