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◇ザ・ピーナッツ 伊藤エミさんの訃報で思い出すこと2012年06月28日 03時22分35秒


恋のバカンス / ザ・ピーナッツ

ザ・ピーナッツの伊藤エミさんが亡くなられた。
昭和歌謡の全盛期にヒット曲を数多く出していたが、1975年に引退してからはほとんどその消息を聞くことはなかった。
最後に聞いたのは、沢田研二と離婚したというニュースだっただろうか。

当時の歌手の人たちは非常に歌唱力のある人が揃っていたし、彼女達もそのうちの1組である。あの頃はみんなが歌える曲が多かったので、彼女達の曲は今でもとても人気がある。
めったにやらないカラオケだが、「恋のバカンス」は私にも歌いやすいし、特に思い出深い曲でもある。

当時私は知らなかったのだが、ザ・ピーナッツは日本のみならず、海外での人気も非常に高かったようだ。当時は東西に別れていたドイツ両国や、イタリアのみならず、ロシアなどでも人気があったらしい。

ちょうど13、14年前の1998年と1999年に、つくばでHuun-Huur-Tu(今年招聘された際の日本語の表記は、「フンフルトゥ」のようだが、当時は「フーン・フール・トゥ」と表記した。「Huun-Huur-Tu」は英語での表記である)というロシア連邦トゥヴァ共和国のグループがコンサートを行なった。
彼等はホーメイと呼ばれる喉歌の技法とトゥヴァの楽器や口琴などを駆使した演奏で、世界中を回っているスーパースターだ。

私はコンサートの印刷物を作成すると共に、コンサートスタッフとして彼等のお世話をした。
公演前日の夕食を一緒にしたり、コンサート会場から打ち上げ会場までの送り迎えをしたりしたのだが、彼等は車の中でもずっと歌っている。歌っていないときはずっとしゃべっていて、だまっている時間がないほどテンションの高い人たちだった。
車の中で、「こんな歌を知っているか?日本の歌だよ」と言って歌ってくれたのが、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」だった。もちろん彼等はロシア語で歌っているので、歌詞の内容はさっぱりわからないのだが、後でトゥヴァに詳しい方に「ロシアでも数年前に流行して、ラジオでずっと流れていた」と教えてもらった。

打ち上げ会場では、スタッフや彼等をよく知る人たちなどが大勢集まった。そして、「恋のフーガ」をみんなで大合唱したのだ。
後にも先にも、こんな楽しい打ち上げはなかったと思う。

明日は13年ぶりに彼等の生演奏を東京で聞ける機会に恵まれ、コンサートを楽しみにしていたのだ。
13年前にみんなで撮影をしたパーティの写真などを彼等にあげようと、スキャンしたりして準備をしていたりもしたのだ。
そんな中でこの訃報に接し、非常に驚いてしまった。

彼等の住むトゥヴァ共和国は海のない国なので、当時別なスタッフが「海はここから近いのか」「海に連れていってほしいと」せがまれて困ったという話をしていた。
つくばはトゥヴァほどではないけれど山間の土地で、海まで往復する時間はなかったからだ。
それに、1999年の公演当日は、東海村で原発の臨界事故が起きた日でもあった。
あの日に海に行くなど、もってのほかだったのだ。
もちろん世界中を周っている彼等は、今ではいろいろな海を知っているだろうと思う。
でも、YuoTubeで「恋のバカンス」を探しているときに、この湘南海岸や昭和30年代の海岸の様子が映った映像を見つけて、あの日彼等が日本の海を見られなかったから、今回は海を見ることができたらいいのにと思った。

また一人昭和の偉大な歌手が亡くなられたことは、本当に残念でならない。
伊藤エミさんの、ご冥福をお祈りいたします。



Huun Huur Tu - Chiraa-Khoor

Huun-Huur-Tu 2012年日本ツアー
http://www.harmony-fields.com/a-huunhuurtu/




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