◇訃報:Mr.デーブマン ― 2013年01月27日 18時18分26秒
Mr.デーブマン出演CM「引越屋バンバンCM3」
引越屋バンバン歴代CM
Mr.デーブマンこと、高田文之さんが亡くなった。
北海道以外の地域の人で、特に若い人には馴染みはないかもしれないが、北海道のベストテン世代の40代以上の人であれば、必ずことの人の声を一度は耳にしたことがあるはずだ。
テレビでは、TBSのザ・ベストテンの中継に登場する「おっかけマン」として。ラジオでは、HBCラジオの「ベストテンほっかいどう」や「ダイナミックサタデー」などのDJとして活躍した人である。
当時の流行歌を紹介するラジオ番組のDJを多く担当し、邦楽(今で言うところのJ-pop)好きにも洋楽をちょっとかじった人にも馴染みの深いDJである。
アンパンマンのような風貌で、本名よりはMr.デーブマンの愛称の方が通りがよかったし、本人も「ミスターデーブマンの○○○○」と番組冒頭で自己紹介していたのが印象に残っている。
私が洋楽を聴き始めた頃、洋楽を専門に流すラジオ番組は、FMか深夜に集中していて、小学生だった当時は非常につらかった。
テープに録音するにしても、当時私が持っていたラジカセにはタイマー機能がついていなかったし、夜中の放送で寝てしまうと、北海道のラジオにはしばしば外国の放送がまぎれこんだりしていたので、アンテナの角度がうまくいかないと、きちんと録音されていないこともあった。
私の宵っ張り傾向は、このときがベースになったといっても良い。
そんな中で、Mr.デーブマンの洋楽ベストテンが週末の夕方に放送されていて、小学生洋楽ファンとしては非常に健全な時間帯に聴くことができてうれしかった。
最初の頃はアバやビージーズなどのポップスが優勢だったが、1980年代に入るとブリティッシュ・ロック系の楽曲もチャートインし、紹介されることも多くなった。
当時の洋楽のヒットの移り変わりが如実に反映された面白い番組だったが、だんだんと深みにはまるようになるにつれ、チャートインされるような楽曲は興味がなくなっていき、いつのまにか聴かなくなってしまったが、今でもカセットテープを探せば録音したはしっこくらいはみつかるかもしれない。 少なくとも、ニューミュージックから洋楽へと、聴く音楽が変わっていく過渡期に、ラジオの番組でさまざまな形でお世話になった。
彼の悲報を知ったのは、Twitterのまとめサイト「togetter」のカテゴリの中からだった。
Mr.デーブマンの悲報については、詳しい情報を知りたくていろいろ検索してみたが、北海道新聞に記事が掲載されたということ以外は、すでにWikipediaで死亡した旨が更新されている程度で、詳しいことはわからない。
HBCラジオでDJをしていた当時は、7年間ほとんど休みがなかったことや、最近ではテレビショッピングなどの司会をされていたことはWikipediaを見て知ったが、ある時期からラジオでもほとんど声を聞かなくなってしまい、上京してからは懐かしい人という感覚でたまに思い出したりする程度だった。
1月24日に自宅で倒れているのを発見されたとのことで、あの明るい声の主が孤独死という最後であったことには、多少なりともショックを覚えた。
Mr.デーブマンこと高田文之さんのご冥福をお祈りいたします。
コメント
_ TS ― 2013年02月05日 07時56分58秒
_ makura ― 2013年02月05日 15時12分00秒
>TSさん
北海道ローカルタレントの草分けだもんね。
喜瀬ひろしさんも懐かしい。あの人はもともとSTVだっけか。
日高晤郎さんもローカルかと思っていたけど、日高晤郎さんは全国区だった。
年末年始にかけて、有名無名含めて、ほんとに昭和を象徴する人が続けて亡くなって、なんかちょっと寂しいね。
北海道ローカルタレントの草分けだもんね。
喜瀬ひろしさんも懐かしい。あの人はもともとSTVだっけか。
日高晤郎さんもローカルかと思っていたけど、日高晤郎さんは全国区だった。
年末年始にかけて、有名無名含めて、ほんとに昭和を象徴する人が続けて亡くなって、なんかちょっと寂しいね。
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小学校の頃イベントでデーブマンが来ていて、のど自慢的なコーナーで同級生が
賞をとったのを想い出したよ