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◇実家の押入れ整理2016年11月03日 02時24分28秒

魔法の煙ブックレット裏
魔法の煙についていたブックレット「ミステリーマガジン」

今回帰省した理由の主たるは、押入れの整理だった。
実家を出て30年。
すでに生れ育った帯広よりも外に出ての生活の方が長くなっているわけで、数年前にリフォームした実家に残された青春の残骸をどうにかしろと言われ続けていたのだった。
ミニマリストと化した妹は、惜しげもなく自分の物を処分した後で、残されたものはコレクターである姉のものであると家族は言い張るわけである。

私は高校を卒業して、一度地元で就職してから進学した。
進学を決めたのは19歳の秋のことだったから、家を出る半年前のことである。
当時から物を捨てられない私は、その半年間で思い出のあるものをほとんど家に残してきた。
親からはいらないものは処分するように言われていたが、どれもこれも捨てられない物ばかりであった。
半年くらいで断捨離できるようなものはなかったのだ。
そんなガラクタを私はそのまま放置して上京したのだが、両親は「捨てるな」という私の言葉を忠実に守って、その荷物をそのままにいていてくれたのだった。

押入れには、数年分のMUSIC LIFE、音楽専科、シンコーミュージックのJAM、その他の雑誌、スクラップしていた新聞、映画のポスター、映画やコンサートのチケットの半券、映画のチラシ、旅行先のテナント、キーホルダーなどがぎっしりと詰まっていた。
祖母からもらったお茶箱には、私のつたない落書きが描かれており、その中には当時なかなか買ってもらえなかった漫画雑誌を従姉妹などから譲り受け、中でも気に入った作品を切ってホチキスで止めたものが入っていた。
山岸涼子の「妖精王」や小椋冬美のりぼん時代の作品。
一条ゆかりの「風の中のクレオ」に掲載されている作品は、セリフに今は差別用語とされるものが多用されているせいか、作品集の中にも見かけないものがあったりするので、これは捨てられない。
ジョージ秋山の「ガイコツくん」や「まことちゃん」の初版本などもあったが、まことちゃんは今でも再販されているので、泣く泣く処分した。
日記や手紙の恥ずかしいものは処分したが、雑誌はすでに廃刊になって久しいものも多く、捨てるには忍びなかった。

本来であれば1週間じっくり時間をかけて中身を確認しようと思っていたのだが、私が帰省する日の前々日に父が腸閉塞で緊急手術を受けることになり、今回の帰省は結局お見舞いになってしまった。
母と二人で朝に病院に行き、食事をして帰るとすでに午後2時くらいになる。
なかなか進まない断捨離作業は、結局は全て終えることができずに終了した。

結局、雑誌の目次を見て気になる記事のものだけピックアップしたが、MUSIC LIFEは全て処分した。
音楽専科は、80's全盛期はJAPANをはじめとしたニューウェイブからニューロマンティックスへの流れにシフトしていったが、70年代後期あたりはまだまだ日本のニューウェイブにも注目していて、それらの記事の中でめぼしいものは同じくコレクターの友人に進呈した。
それでも、自分でも残しておきたい記事のものや、JAMは全て保管要員となった。

そういうわけで、実家の押入れから出てきたお宝(ガラクタ)を送料かけて自宅に送ったのであった。
その中でも、よくこんなものが残っていたなと思うものの一つが、冒頭のミステリーマガジンである。
随分久しぶりのブログ更新だが、今回はお金を出して自宅に送り、夫に「どうすんの?これ」と呆れられたお宝(ガラクタ)について触れたいと思う。

◇魔法のけむりの漫画小冊子 ミステリーマガジン3冊2016年11月03日 03時36分50秒

魔法のけむりブックレット表

魔法のけむりについていた漫画小冊子【クリックで拡大】

前回でも書いたが、私の実家の押入れに眠り続けていたお宝(ガラクタ)の中でも、多分一番歴史があって、しかも一番価値のわからないものがこれだろうと思う。
私が水木しげるなどの妖怪漫画にはまり、貸本漫画などの存在を意識したのは上京してからのことなのだが、何故これを後生大事にとっておいたのかは自分でも解らない。

この小冊子、駄菓子屋で売られていた魔法のけむりについていたと記憶しているのだが、私の周囲の人達は記憶にないらしい。
魔法のけむりとは、時代や地方によって名称が違うようで、「妖怪けむり」とか「ふしぎなけむり」とか呼ばれていることもあるらしいが、仕様は全て同じである。
厚紙にねちゃねちゃしたものがついていて、それを指につけて指をつけたり放したりすると、煙のような何かが指から発生するというシロモノである。
よく見ると繊維質のふわふわしたものなのだが、これは樹脂ゴムらしい。
指から煙が出て不思議な気分にさせてくれるのだが、当時は煙=謎のものというイメージがあり、怪物や幽霊などは煙的な何かを伴って登場したりする描写が多かった。


ようかいけむり / asabacco

種明かしはこちら。
博物館レポ...と理科っぽいなにか 2015年08月26日
火のないところに「ようかいけむり」は立つ!

私の母の実家の近くにどんぐり屋という駄菓子屋があり、いつも和服のおじさんが店番をしていた。
これはそこで購入した魔法のけむりについていたもの。
当時は、幼稚園か小学生低学年だったので、1970年代初頭から中ごろに購入したものと思われる。
魔法のけむりは最近でも駄菓子屋などにあるらしいが、現在はミステリーマガジンはついていないらしい。

私が持っているのは3冊。

『ミステリーマガジン』
 きゅうけつきドラキュラー
 フランケンシュタイン
 あくまムン

である。

貸本漫画家の研究家でもある唐沢なをき氏のブログを見ると、これらの小冊子のことについて触れている記事があった。
からまんブログ 2009年12月11日 「ゆうれいのちかい」

唐沢氏は当時、角川書店の『怪』で「妖怪図鑑図鑑」という連載の中でこれらの小冊子のことを取り上げていたらしい。
記事の中では、小冊子はやはり魔法のけむりなどについていたもので、写真のタイトルの他に「のろいのミイラ」「ゆうれいのちかい」というものがあるらしいことが判る。

「のろいのミイラ」はなんとなく記憶にあるのだが、「ゆうれいのちかい」は記憶にない。
作者がどこにも書かれていないのだが、絵柄から見て少なくとも3冊とも同じ作者ではないかと思われる。
ページ数は全て中身は11ページ。セリフなどの文字は全てひらがなとカタカナで統一されている。
フォントは、当時としては珍しい丸ゴシ系が使用されているのが興味深い。

きゅうけつきドラキュラー

きゅうけつきドラキュラー【クリックで拡大】

「きゅうけつきドラキュラー」
“人里はなれた一軒の家に住む女(西洋人の風貌)のもとへ、夜突然に鍵をかけたはずのどわー(ドア)が開き、吸血鬼ドラキュラーがやってくる。
女は哀れドラキュラーの餌食に。
そこへかけつけた女の兄(どうみてもアジア人)がドラキュラーに拳銃をはなつが、ドラキュラーはびくともしない。
兄は持っていた十字架を見せると十字架から煙が発生し、ドラキュラーは煙に飲まれて溶けてしまう。
後には一匹のこうもりが残り夜明けの空へ消えていった。”
吸血鬼ドラキュラのストーリーをこれでもかと凝縮してあらすじだけかいつまみ、11ページに収めたものである。

フランケンシュタイン

フランケンシュタイン【クリックで拡大】

「フランケンシュタイン」
“ある古いヨーロッパの町に住む博士が何かの研究をしていた結果、完成したのはフランケンシュタインだった。
博士は自分をバカにした町の人間に復讐するため、フランケンシュタインをけしかけるが、町の人達は博士をバカにしたのは間違いだと主張する。
そこへ神父が出てきて博士を説得しようとするが、博士の怒りは収まらない。
そのやりとりを聞いていたフランケンシュタインは、博士に襲いかかる。
博士をやっつけたフランケンシュタインはどこからともなくただよってきた煙の中に消えていった。”
こちらも、フランケンシュタインのストーリーをこれでもかと凝縮してあらすじだけかいつまみ、11ページに収めたものである。

あくまムン

あまくムン【クリックで拡大】

「あまくムン」
“アマゾンの奥深いジャングルにボンドとビリーの2人のアメリカ人探検家がやってきた。
現地人は彼等にこれ以上は先に行けないと忠告する。
彼等の目の前には洞穴があり、そこには悪魔ムンがいるから入るとたたりがあると現地人は言う。
しかしボンドは銃で現地人を殺し、2人は洞穴に潜入する。
洞窟の奥には2人が目指すお宝があり、その奥には悪魔が埋められている。
山の様なお宝を目の前にし、欲に目がくらんだボンドはビリーを銃で殺してしまう。
ボンドがお宝に手をかけたとき、悪魔ムンが「ムン」と蘇りボンドを一撃にして殺してしまう。
果たして洞窟のお宝は守られ、悪魔ムンは再び土に埋まるのであった。”
こちらはオリジナルのストーリーなのだろうか。この冊子だけ「カイキスリラー」と表紙に書いてある。
スリラーとあるがスリラーではないし、ムンもお宝を守る守護神で悪魔ではないように思えるのは気のせいか。
他のふたつは魔法のけむりのおまけらしく怪物は最後に煙をまとっていなくなるが、悪魔ムンは煙が出てこない。
このあたりもなかなか興味深いところである。
いずれにしても、この3冊の中では一番ストーリーがまとまっていて面白かった。

以上が、手元にある3冊のミステリーマガジンのあらすじである。
作者名はどこにも書いていないのでわからないが、唐沢氏が書いた「妖怪図鑑図鑑」が掲載されている『怪』は中古で入手できるようなので、購入してみようと思ったりする。

◇追悼 “海賊”高橋照幸(休みの国)2016年11月22日 05時02分05秒


高橋照幸(休みの国) - 第五氷河期

休みの国の高橋照幸の訃報を知ったのは、なんとなく彼の動向が知りたくなって調べていたときのことだった。
Twitterで彼の訃報を告げるツイートを見つけ、今年の2月には亡くなっていたことを知った。



十数年前にライブを行ったきり、休みの国の公式HPの更新も途絶えて久しく、彼の好きな船に乗ってどこかに航海に行っているのだろうと思っていたのだ。
休みの国の古いメンバーであるつのだ☆ひろが、「また一緒にやりたい」と何かでコメントしているのを見たのも数年前のこと。

休みの国は何人かの参加メンバーが存在するものの、基本的には高橋照幸一人のバンドだ。
休みの国を知ったのは、30年ほど前に早川義夫のジャックスというグループのレコードが再販になったり、ジャックスに関連した書籍が発売になった頃のこと。
ちょうど東京の専門学校に進学することになり、新しく出会った友達と音楽の話などで盛り上がったりしていたときに、ゼミで知り合ったイケメンから「駿河台交差点の近くにあるジャニスというレンタルレコード屋に行くといい」と薦められたのがきっかけだった。
ジャニスには新旧のレコードが置かれていて、60年代、70年代のインディーズのレコードも充実していたばかりか、URCのアーティストの古い音源をカセットテープで無料で貸し出していた。
無料といっても、何か別にレコードを借りなければ貸し出しはされなかったので、実質おまけみたいな状態であったが、私は当時学生寮にいてレコードプレイヤーを持っていなかったので、半ばそのカセットテープを目当てに通っていたようなものだった。
専門学校は御茶ノ水周辺に校舎が分散していたので、ジャニスは在学中~九段下で働いていたときまで、私の東京生活にはかかせない店だった。
(ジャニスは今も健在で、CDレンタルのパイオニア的お店であることは変わらないようだ)

ジャニスでURCのレコードや無料のカセットテープを借りる中で、私はどうしても借りたいレコードがあったのが、休みの国の「FYFAN」だった。
このレコードは、当初URCから発売される予定だったのが、高橋照幸の許可なくしてジャケット等が変更された形での発売だったため、1988年に未収録音源を集めて限定発売されたらしい。
青いジャケットのそのレコードは、A面はURCから出た「休みの国」と曲がだぶっているものもあるもので、B面は日仏会館で行われた1974年のライブ音源だった。
通し番号のついた限定盤だったようだが、そのうちの一枚がジャニスの店頭にあったのだ。
「FYFAN」自体は、後日完全版としてCDで再発されたが、日仏会館のライブが入っている盤は再発されることなく、文字通り幻のレコードとなってしまった。
友人に録音してもらったカセットテープは、今でも私の手元に残っている。

ジャックスはその時すでに解散しており、早川義夫もその当時は本屋のおやじさんになっていたので、ジャックスのライブを見たいというのは叶わぬことだったが、休みの国は不定期にも活動を続けていることを知った。
何年もどうしても見たいと思っていたときに、ヒカシューの巻上公一が当時のパソコン通信Nifty-serveで後楽園遊園地のルナパークにおいて、ヒカシューのサックス野本和浩(故人)と演奏するという話をしており、それに一緒に参加するのが、なぎら健一と高橋照幸であることを知ったのだ。
雨の後楽園で初めて見た休みの国は、高橋照幸がギター一本で弾き語る「追放の歌」だった。
たぶん、1992年か1993年のことだったと思う。


追放の歌 休みの国Live@クワトロ
【YouTube注釈より】1991年5月26日に渋谷・クワトロで5thアルバム『Free Green』発売を記念しておこなわれた休みの国のライブの6曲目です。


それから何度か休みの国はライブを行っていたようだが、たまたまどうしても外せない用事があったりで、結局その後はライブに行くことはなかった。
リバイバルブームのおかげかどうかは解らないが、携帯の着メロやカラオケに「追放の歌」が登場したりした時期もあったが、それもいつの間にか姿を消してしまった。
噂を聞かないまま、たまに思い出しては公式HPを覗いたり、あちこち検索したりしていたのだが、まさか訃報から半年以上も経ってニュースに出くわすとは思わなかった。
つのだ☆ひろのドラムでのライブも見たかったが、叶う事はなくなってしまった。

冒頭に「第五氷河期」をもってきたのは、海野十三の「第五氷河期」という同名のSF小説(氷河期が来て日本に大地震が襲い火山活動が活発になると予言した博士の物語)をモチーフにしたと思われる歌詞で、私はこの歌詞を2011年の東北地震の直後に見て涙が止まらなかったからだ。

第五氷河期
作詞・作曲:休みの国(高橋照幸)

凍てついた地上の パニックの中で
嘘をつかれて 忍び泣く
言い伝えはあったよ でも 夢はなかった

いつまでも 影だけが
さまよい歩く この地上

読みとれるだけの文字と
聞きとれるだけの言葉で
世の中は出来ているのさ

お前は生きていたか
汗は流れたか

いつまでも 影だけが
さまよい歩く この世界

copyright 休みの国



今現在、休みの国のCDはURCから出た最初の「休みの国」だけになっているらしい。
私は再発された正式版の「FYFAN」のLPを手に入れたが、CDを持っているので未だ針を落としていない。
高橋照幸の皮肉っぽいのにやさしく響く言葉を、何かあるときに聞きたいと思ってしまう。
もう新しい言葉を発してもらうことができないことは悲しいけれど、彼が本当の休みの国に行けたことを祈るばかりだ。



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