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◇高校のクラス会雑感2017年11月21日 01時20分26秒

このひとつ前の「気ぜわしい夏」にコメントをいただいて、高校の同窓会の流れで私のブログにたどりついたという話を見て、私はそういえば高校の同窓会というものに一度も出席したことがないなと思った。
関東に出てきて30年の月日が経ったが、出身校が甲子園に出たときと、同窓会名簿を作りなおすので連絡先を教えてほしいという連絡だけは、関東にいる私のところにも届いた。
もっとも、名簿を作るから連絡先を教えてほしいといいつつ、実家ではなく当時の住所に郵便で連絡があったのだから、知っているじゃないかという邪推もあったにはあったが、当時はまだ担任だった先生が母校に在籍されていたし、年賀状のやり取りもあったので、個人情報の意識の薄い当時は誰かとつながっていればどこからともなく連絡があったりしたものなのだ。

同窓会は、もともと遠くに住んでいるので、実家に連絡があってもそこでストップしているから、一度もお誘いのハガキを見たことがない。
今年、同じ高校に通った妹が、同窓会の全体幹事を担当すると言っていたが、遠くにいる姉に幹事からの連絡はなかった。

クラス会はというと、出席して良い思い出がひとつもない。
卒業した年の冬に一番仲良くしていた友人が亡くなり、そのお葬式がクラス会のような感じだった。
私は友人の死がショックだったが、お通夜の席で後ろの方から「すんごい久しぶりだよねー」「クラス会がお通夜になっちゃったよねー」という声がいくつか聞こえていて、当時はそれが許せない気持ちだった。
私が怒ってると聞いたクラスメイトの何人かは、申し訳なかったと私の職場にあやまりに来てくれた。

友達の一周忌と三回忌が終ったあたりで、最初と2回目のクラス会をやった。
クラス会があると知った友人のご両親が、クラス会にカンパをしてくださったのだが、担当幹事はそのお金を二度ともうやむやにしてしまったのも許せなかった。
三回忌のあとのクラス会のときには、もう亡くなった友人の話もなんとなくしづらい雰囲気だった。
私は、友人のご両親の気持ちを踏みにじられたような気持ちになり、とても嫌な気持ちだったのだけ覚えている。

3回目に誘われたときは、私はすでに上京していた。
クラス会に誘われたが、なぜかクラスが二分していて、同じ日時に違う会場でクラス会をすると、それぞれの幹事から連絡があった。
何があったのかは知らないが、本筋ではない会の幹事が、本筋に出席する人を勧誘するような行動もあったりして、出席して非常に不愉快な気持ちになったのだ。
そして私は、両方の幹事に「こういう形のクラス会は不愉快なので、これで今後もやるのであれば誘わないでくれ」とタンカを切った。

それから30年、一度もクラス会の連絡はない。
今は二分していた会も一つに戻ったようだが、私のタンカは有効なようだ。
一度だけ、担任の先生が退職されるということで、別な幹事が選定されて連絡があったが、私はお花を贈って出席はしなかった。
思えば、あれが私のクラス会に出席する最後のチャンスだったのかもしれない。
担任の先生もすでに亡くなられているし、関東在住だった人も帯広に戻る人が多く、唯一残っていた人は政治活動を始めたので疎遠にしてしまった。
今、年賀状のやりとりをしているクラスメイトも、一人だけになってしまった。

この年齢になると、ふと高校の頃の友達が頭にうかぶことがある。
夢みがちで変わり者な自分は、クラスにまったく馴染まず、各クラスに話し相手がいて、みんなとそれなりの距離で友達だったけど、その誰とも仲良しではなかった。
休み時間にあちこちふらふらしていた私を、みんな優しくしてくれたが、それは私以外の人がみんな大人だったからなのだろうと今は思う。

グループは違っていたけど、唯一仲の良かった友達はもういない。
亡くなった彼女が生きていたらどうだったろうと思うけれど、卒業してからの彼女は私が帯広を出ることを全力で反対していたので、彼女が生きていたら関東にいる私も存在しなかったかもしれない。
彼女が亡くなって、やりたいことをやらない人生など考えられなかったから行動したのだから。

もしも今クラス会に誘われたら、交通費を払ってでも出席するかどうか悩むだろうなとも思う。
でも、私の高校の思い出の中で、やはり亡くなった友達のことをなしにすることはできないので、今更亡くなったクラスメイトのことを話しにクラス会に出席するのも、どうなんだろうと思ったりする。
クラスの中で私よりもクラスに馴染めなかった彼女が、生きていてもクラス会に出席するなど考えられないので、たぶん死んでからダシにされて思い出話をされるのは嫌だろうなと思ったりする。
私自身についても、楽しかった思い出と一緒に、むかつく思い出も同じくらい思い出すので、やっぱり私はいなかったものとして扱われて正解なのかもしれないと自分を納得させてみる。

そういえば、多少名前の知られた音楽家の友人が、50過ぎて一度も高校のクラス会に誘われないと言っていたのを思い出す。
もっとも、彼は高校の友人達とバンドを組んでデビューしたのだから、世界の違ってしまったクラスメイトよりは、同じ世界のクラスメイトといるほうが自然なのだろうけど。

私も友達の死と上京によって、クラスメイトとは違う世界にいるのかもしれないなと、彼の言葉の中で少し考えたりする。



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