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◇うちの書庫2018年05月15日 03時33分35秒

私の家の二階の一部屋は、「本の部屋」と化している。
書斎ではなく、文字通り本を置いてある部屋「書庫」だ。
この家に越してきたとき、10トン超えた私達の荷物の60%は本だ。
あとは、古いVHS、カセットテープ、ファミコンソフトなどなどなどなど......

引っ越したとき、引越し業者が荷物の配置までしてくれたのだが、今回利用した業者の整理は、本の種類はバラバラ。
これまでの業者さんはちゃんと巻数そろえてくれたのに、今回はあまりの多さにそれさえも無視され、同じタイトルのものが近くにある程度の整理具合である。
他にもたくさんやることあったし、なにせ10トンの荷物は一日で運び終わったのが奇跡のような量であったのだから仕方がない。

他人が整理した本棚はつまらないし、イライラする。
本は自分で整理したい。
しかし、あまりの多さに、私達はその状態のまま4年ほど放置していた。

それまでは、きちんと本棚は整理されていた。
夫の本と私の本の区別もついていたし、絶対に捨てられない稀少本は、ちゃんと大切に保管されていた。
それは、本棚がきちんと見やすく扱いやすい状態になっていたからだ。
しかし、本棚を専用の部屋に押しやってしまうと、その部屋に行かないと本が読めない。
その上、新しい本も買うので、本はどんどん増えるばかりだ。

思い切って捨てたいが捨てられない。
老後の楽しみとか言っているが、古い雑誌なんぞ絶対に見ないと思う。
見れば見たで面白いのだが、掃除中に開くわけにはいかない。
きっと、将来もこの繰り返しだろう。

しかし、この情報の氾濫した時代に、昔の価値観で止まったものを、後生大事にスペースと金を使って保存しているのは、狂気の沙汰といえる。
すっかり捨ててしまったら、どんなにすっきりするだろう。
だが、別冊宝島だとか、「この映画を観ろ」とか、「19XX」みたいな、時代を反映したもの。本当はそういうのが一番面白いということを知っている私達夫婦は、なんだかんだいって捨てられないのだ。

老後にそういうのを見ても、たぶん一瞬「わー、すげー」と言って終わりだろう。それを数年に何度か繰り返すだけだ。
でも、そういうのが一番面白かったと知っている世代の私達には、やっぱり宝物なのかもしれない。

そうして、ふりだしに戻るのだ→

◇クモの巣退治2018年05月23日 04時12分51秒

わが家の表札とインターホンがくっついている門柱があるのだが、そこはかっこうのクモの巣エリアだった。
とってもとっても、夜のうちにクモは毎日巣を張る。
夕方にとって夜中に見ると、もう再興されているのだ。

クモは家を守ってくれる益虫だと思っているので、むやみに殺したりはしたくない。
それに、ここにいる一匹を殺したところで、また違う一匹がやってくるのだろう。
街燈の下の虫が集まる、巣の張りやすいかっこうの場所なのだろうから。

それでも、わが家のインターホンを使う人にとってはたまったものではない。
訪れた家のインターホンに、堂々とクモが巣を張っていたら、私だっていやだ。
クモの巣をほうきで毎日とっていると、そこにいるクモもなじみになってくる。
巣の真ん中にいるところに息をふきかけると、サササッと隅に隠れるのもかわいらしく思えなくもない。
それでも、クモにいつまでも居ついてもらっては困るのだ。

そこで、断腸の思いでクモの巣撃退スプレーなるものを購入してみた。
ホームセンターで聞いてみると、殺虫剤にシリコンがまじったものだと説明された。
うちのポストと表札の枠はアルミなのだが、夫はアルミにシリコンスプレーをかけることに反対をした。ものによっては腐食するからと言うのだ。
しかし、外に野ざらしになっているものなのだから、それなりの加工はされているはずだろう。何よりクモの巣と毎日戦っているのは私なのだ。嫌ならクモの巣係は夫にやってもらうと言うと、すんなり購入に同意した。


購入したのはアース製薬のクモの巣消滅ジェット 450mL
正直、こんなものきくのかなと思いつつ、門柱とポストのすきま、表札、インターホまでたっぷりかけた。インターホンはさすがに直接かけるのはためらったので、布に含ませて塗布した。
スプレーして3日経ったが、クモの巣どころかクモ一匹見かけなくなった。蛾などの虫も心なしかいなくなったような気がする。
おそるべしクモの巣消滅ジェット。

さすがにスプレーするときは、そこにいたクモをほうきではらって、スプレーが直接かからないようにした。
クモも悪気があってそこに巣を張っていたわけではないし、なんとなく馴染みになってしまうと、追い出すことも悪い気がしてしまう。

それにしても、ここに越したばかりの頃は、インターホンに顔を近づけすぎて魚眼レンズに映った人みたいな来訪者がしょっちゅういたが、クモのおかげでか最近はそういう人はいなかった。
クモの巣がなくなったら、また魚眼レンズの人が来るようになるだろうか。

◇26年ぶりに友達に会い、原点に帰る。2018年05月29日 05時27分03秒

プリンアラモード

プリンアラモードと珈琲。メニューが岩波文庫の表紙になっている。

先日、26年ぶりに学生時代の友人に再会した。
ずっと年賀状では「今年こそ会おう」とお互いに書いていたのだが、実現できなかった。

学校のあった御茶ノ水駅で待ち合わせをする。
私は少し早く着いたので、学生時代によく通った店などチェックする。
聖橋口で待ち合わせたのだが、昔JRの駅を出てすぐに見えていたはずのニコライ堂が見えない。
駅前には大きな商業施設がいくつもあって、面影があるのはJRの駅くらい。
ニコライ堂を探してみたら、ビルの陰にすっかり隠れてしまい、まるで札幌の時計台のようだった。

30年ぶりに会った友人は、それなりに年はとったものの、昔の面影そのままで変わらない印象。
あちらも私を見て第一声が「変わらないねぇ」だった。
お互いおばさんになったのは、言わない約束である。

ランチをして、御茶ノ水橋交差点から水道橋へ坂を下っていく。
神田川の文京区側の建物はあまり変化がないように見えるが、線路の千代田区側はすでに私達の知っている建物ではないような気がしてならない。
一本中に入ったところにあるアテネフランセなどは変わらずそこにあるが、病院や研究所の建物など微妙に違って見える。
私達が通った学校もすっかり古くなり、一番通った水道橋の別館も今はもうないと聞いた。
あの頃は東京ドームもまだ後楽園球場の頃で、マイケル・ジャクソンが後楽園球場で初来日ライブをやるというときは、学校の屋上までその喧騒が響いていた。

神田川沿いをてくてく水道橋まで降りて行き、神保町まで歩いて行く。
天ぷらの「いもや」が店じまいをしたと聞いていたが、看板がまだあちこちに残っているので確認したら、やはり平成30年3月いっぱいで閉店したと貼紙があった。
水道橋から神保町までの道は、昔は中古レコード屋がたくさんあったエリアだったが、いまやよくある食べ物屋ばかりが軒を並べ、中古レコード屋はぽつぽつと有名老舗が数軒残っている。
大正時代から続く「奥野かるた店」は未だ健在で、私はここで旅行用の小さなバックギャモンを購入して今も持っている。
もともとは文字通りかるたの店だったのだが、今はかるたやカードゲーム、希少なボードゲームなどが売られている。
ウォールナッツのバックギャモンのセットが店頭にあり、あやうく買いそうになってしまう。

神保町交差点までくると、正面にあるはずの岩波ホールが丸ごとなくなっていて、その角にはスーツ屋があり、みずほのATMがあり、ブックカフェがあった。


岩波文庫表紙

ブックカフェは本屋の中に静かな喫茶店があるというもの。テーブルの上のメニューが岩波文庫の表紙と同じデザインなので、岩波書店のカフェなのだろう。
プリンアラモードやパフェなど、昔の喫茶店で馴染みのスイーツがメニューにある。
プリンが食べたかったので、私はプリンアラモードと珈琲、友人はチョコパフェに珈琲を注文した。

毎日のように通った御茶ノ水駅や水道橋駅、神保町の街並は、お店の顔は変わったけれど、学生の街という雰囲気はそのままなような気がする。
おばさんが2人、懐かしそうに通りのあの店はどうだった、この店はどうだったといいながら歩き、古い街角で懐かしいスイーツを食べながら、昔のこと、今のこと、これからのことを話した。

彼女は、私の結婚式に出席してくれてはいるが、こんな風に会ってゆっくり話すこと自体は30年ぶり。
学生当時に留学生だったYさんと今でも交流があると言っていた。
子供も独立して、今は自分自身の悩みと向き合っている。
負けず嫌いで頑固な彼女が見せる、久々の弱気な顔。
最初に再開したときの笑顔も、今の境遇を愚痴るつもりが真剣な話になってしまい弱気な顔も、本当に変わっていないのだなあと思う。
ただ変わったのは、昔は漠然とした悩みだったのが、今は具体的な悩みであることくらいだろうか。

老舗の中華料理屋で注文しすぎて満腹中枢はちきれる中で、次の再開を約束し都営新宿線と三田線が分かれるところで彼女と別れた。
神保町、九段下は、東京で本格的にやりたい仕事を始めた街だ。
学校時代の授業も、御茶ノ水の本館ではなく、神保町に近い今はない別館が多かった。
お腹がすけばいもやで500円の天丼か天ぷら定食をかきこみ、キッチンジローで今はきっと食べきることもできない洋食の定食を食べ、日本でもまだ数少なかった回転寿司で先輩と皿の数を競ったりもした。
紙を買うにはすずらん通りの裏に行き、写植を頼みに馴染みの写植屋に行って出されたお茶でさぼったりもした。

懐かしい友人が、今は子供のことより長く続けた仕事のことで悩んでいる。
私もこの年になって、今のこの中途半端な状況を悩んでいる。
バブル目前のあの頃も、このままここで自分ができる仕事などあるのだろうかと悩んだりした。
とりあえず、食べられることが幸せだと思った。
にっちもさっちもいかなくなって、地元に戻ろうと思ったこともある。
結婚した相手も北海道の人で、なんとなく結婚してもまだ北海道に帰ることがあるかもしれないと思いながら過ごした。

26年ぶりの友達に会って、原点の場所でなんとなく、自分はそれでもここにいるんだなあと、そんなことを思いながらあの頃とはまるで反対方向の家路についた。



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