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◇26年ぶりに友達に会い、原点に帰る。2018年05月29日 05時27分03秒

プリンアラモード

プリンアラモードと珈琲。メニューが岩波文庫の表紙になっている。

先日、26年ぶりに学生時代の友人に再会した。
ずっと年賀状では「今年こそ会おう」とお互いに書いていたのだが、実現できなかった。

学校のあった御茶ノ水駅で待ち合わせをする。
私は少し早く着いたので、学生時代によく通った店などチェックする。
聖橋口で待ち合わせたのだが、昔JRの駅を出てすぐに見えていたはずのニコライ堂が見えない。
駅前には大きな商業施設がいくつもあって、面影があるのはJRの駅くらい。
ニコライ堂を探してみたら、ビルの陰にすっかり隠れてしまい、まるで札幌の時計台のようだった。

30年ぶりに会った友人は、それなりに年はとったものの、昔の面影そのままで変わらない印象。
あちらも私を見て第一声が「変わらないねぇ」だった。
お互いおばさんになったのは、言わない約束である。

ランチをして、御茶ノ水橋交差点から水道橋へ坂を下っていく。
神田川の文京区側の建物はあまり変化がないように見えるが、線路の千代田区側はすでに私達の知っている建物ではないような気がしてならない。
一本中に入ったところにあるアテネフランセなどは変わらずそこにあるが、病院や研究所の建物など微妙に違って見える。
私達が通った学校もすっかり古くなり、一番通った水道橋の別館も今はもうないと聞いた。
あの頃は東京ドームもまだ後楽園球場の頃で、マイケル・ジャクソンが後楽園球場で初来日ライブをやるというときは、学校の屋上までその喧騒が響いていた。

神田川沿いをてくてく水道橋まで降りて行き、神保町まで歩いて行く。
天ぷらの「いもや」が店じまいをしたと聞いていたが、看板がまだあちこちに残っているので確認したら、やはり平成30年3月いっぱいで閉店したと貼紙があった。
水道橋から神保町までの道は、昔は中古レコード屋がたくさんあったエリアだったが、いまやよくある食べ物屋ばかりが軒を並べ、中古レコード屋はぽつぽつと有名老舗が数軒残っている。
大正時代から続く「奥野かるた店」は未だ健在で、私はここで旅行用の小さなバックギャモンを購入して今も持っている。
もともとは文字通りかるたの店だったのだが、今はかるたやカードゲーム、希少なボードゲームなどが売られている。
ウォールナッツのバックギャモンのセットが店頭にあり、あやうく買いそうになってしまう。

神保町交差点までくると、正面にあるはずの岩波ホールが丸ごとなくなっていて、その角にはスーツ屋があり、みずほのATMがあり、ブックカフェがあった。


岩波文庫表紙

ブックカフェは本屋の中に静かな喫茶店があるというもの。テーブルの上のメニューが岩波文庫の表紙と同じデザインなので、岩波書店のカフェなのだろう。
プリンアラモードやパフェなど、昔の喫茶店で馴染みのスイーツがメニューにある。
プリンが食べたかったので、私はプリンアラモードと珈琲、友人はチョコパフェに珈琲を注文した。

毎日のように通った御茶ノ水駅や水道橋駅、神保町の街並は、お店の顔は変わったけれど、学生の街という雰囲気はそのままなような気がする。
おばさんが2人、懐かしそうに通りのあの店はどうだった、この店はどうだったといいながら歩き、古い街角で懐かしいスイーツを食べながら、昔のこと、今のこと、これからのことを話した。

彼女は、私の結婚式に出席してくれてはいるが、こんな風に会ってゆっくり話すこと自体は30年ぶり。
学生当時に留学生だったYさんと今でも交流があると言っていた。
子供も独立して、今は自分自身の悩みと向き合っている。
負けず嫌いで頑固な彼女が見せる、久々の弱気な顔。
最初に再開したときの笑顔も、今の境遇を愚痴るつもりが真剣な話になってしまい弱気な顔も、本当に変わっていないのだなあと思う。
ただ変わったのは、昔は漠然とした悩みだったのが、今は具体的な悩みであることくらいだろうか。

老舗の中華料理屋で注文しすぎて満腹中枢はちきれる中で、次の再開を約束し都営新宿線と三田線が分かれるところで彼女と別れた。
神保町、九段下は、東京で本格的にやりたい仕事を始めた街だ。
学校時代の授業も、御茶ノ水の本館ではなく、神保町に近い今はない別館が多かった。
お腹がすけばいもやで500円の天丼か天ぷら定食をかきこみ、キッチンジローで今はきっと食べきることもできない洋食の定食を食べ、日本でもまだ数少なかった回転寿司で先輩と皿の数を競ったりもした。
紙を買うにはすずらん通りの裏に行き、写植を頼みに馴染みの写植屋に行って出されたお茶でさぼったりもした。

懐かしい友人が、今は子供のことより長く続けた仕事のことで悩んでいる。
私もこの年になって、今のこの中途半端な状況を悩んでいる。
バブル目前のあの頃も、このままここで自分ができる仕事などあるのだろうかと悩んだりした。
とりあえず、食べられることが幸せだと思った。
にっちもさっちもいかなくなって、地元に戻ろうと思ったこともある。
結婚した相手も北海道の人で、なんとなく結婚してもまだ北海道に帰ることがあるかもしれないと思いながら過ごした。

26年ぶりの友達に会って、原点の場所でなんとなく、自分はそれでもここにいるんだなあと、そんなことを思いながらあの頃とはまるで反対方向の家路についた。

コメント

_ (未記入) ― 2018年08月25日 10時45分10秒

お元気ですか。神田川は、面影橋付近から秋葉原まで散歩します。人造川と感じますが静かだ。猛暑続きで最近は散歩でいないが。先々週、15歳の愛猫が半年の闘病で虹の橋を渡ってしまい消沈。来週、妻と帯広に行き十勝の空気吸って元気を取り戻す予定。タウシュベツ橋梁が水没して見れないのが残念。

_ 通りすがりのもの ― 2018年08月25日 10時47分39秒

名前入力忘れた。としだね。
帯広でどこか見た方が良いとこありますか。

_ makura ― 2018年08月26日 04時36分04秒

通りすがりのものさん、こんにちは。
お久しぶりのコメントありがとうございます。

神田川のお散歩、気持ちよさそうですね。
昔は臭くてしかたがなかったけれど、ちょっと前に浄化されて臭いもなくなりましたね。
昔は鯉が大きくてなんだか怖かったです。

私も実家の手伝いに6月と8月に帰省しました。
今年は私が帰るとなぜか天気が悪く、6月は2週間の滞在期間のうち晴れたのは2日だけ。空港に着いたときは11℃しかなく、従姉などはダウンジャケットにネルのシャツを着ていました。
8月は夫の親戚の墓参りから私の実家の墓参りがあり、稚内から札幌を経由して帯広と600km弱を道内移動しました。このときも帯広は気温は15℃くらいでした。

でも、晴れると30℃超す日も多くあるようで、今年の十勝は寒暖の差が激しすぎて、身体にこたえる陽気のようです。
お盆過ぎて、もうすっかり秋です。寒暖の差はやはりとても激しいようですので、温かい装備もされていくことをお勧めします。

西二条9丁目に新しくできた、ホテルヌプカに併設されているカフェヌプカが最近の帯広のお気に入りです。
クラフトビールと餃子がおすすめです。
部屋も小さくてコンパクトですが、居心地はよかったです。お泊りの予定がおありでしたら、話のついでにどうぞ。
https://www.nupka.jp/
依田勉三の展示が広小路にできて、確か9月までやっているはずです。
こうえいという古い衣料品店をそのまま利用しての展示です。広小路の真ん中へんです。

最後に、
猫さん残念なことです。
心中おさっしいたします。
でも、きっとずっと幸せだったでしょう。
15年も一緒にいたのですから。
気持ちだけ、十勝に一緒につれていつてあげてください。

_ 通りすがりのもの ― 2018年09月01日 21時49分49秒

情報ありがとうございます。明日、成田から出発します。ジェットスターだとかなり安い。妻と帯広と札幌の墓参りにいきます。然別と大正を周り最後に小樽にも寄ります。亡くなった愛猫に申し訳ないが、ゆっくり旅行かねていきます。

_ makura ― 2018年09月05日 01時42分09秒

通りすがりのものさん
北海道旅行、お気をつけて。

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