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◇カフカの「変身」を改めて考える2020年04月01日 19時54分16秒


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カフカの「変身」を読んだのは、中学生の頃だっただろうか。
小難しい小説が好きな頃だったが、「変身」は思ったほど小難しい小説ではなかった。
内容はいたって簡単だが、そこに内在している“感情”は簡単なものではなかったと、今でも思う。

最近になって、カフカの「変身」について調べていたら、5年前のこんな記事を見つけた。

exciteニュース
「新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか」
米光一成
2015年4月8日 10:50
https://www.excite.co.jp/news/article/E1428432525544/

冒頭の主人公の身の上におきたショッキングな出来事が、実はこれまで私たちが思っていたものとは少し違うのではないかという記事である。

グレゴールが朝起きて自分の身に感じた変化が、実は虫ではなかったら。

私たちはずっと、彼が虫に変身したのだと思っていた。
いつもと違う身体の変化と、いつも通りに生活を始めようとする主人公の感覚とのギャップ。
そして、それを目にして恐れおののく家族の反応。

日本語に訳された小説の中では、グレゴールが虫になってしまったために、身体の感覚を推し量りながら生活をする描写がいくつも出てくる。
触覚の感触を発見し、位置が変わり増えてしまった足の動かし方を工夫する描写も生々しい。

しかし、それが虫ではなかったら。

私はカフカの「変身」を、山下肇訳・岩波文庫で読んでいる。
それは何度も何度も繰り返し読んだもので、私の中の「変身」は山下肇訳で固定されている。
しかし、この記事が書かれて5年も経ってはいるものの、私の興味をひくには十分すぎるものだった。

5年前に新訳された多和田葉子訳では、グレゴールが変身したものは原書にある「Ungeziefer/ウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)」と訳されているらしい。
Ungezieferを自動翻訳にドイツ語→日本語で訳してみたところ、いくつかの翻訳サイトでは「害虫」と出てくるのだが、exciteなどでは「バグ」とでてくる。 試しにドイツ語→英語で訳してみると、UngezieferはBugsと出てくる。
コンピュータ用語の「バグ」も、もともとは「虫」である。

これについて私は、「バグ」について考えた。
個人的感覚ではあるが、「バグ」という言葉には、「正しくない」というニュアンスを感じる。大きなものの中の小さな何か(虫)が原因で、全体的な狂いが生じるという感じ。
朝起きて虫になっているのと、身体にバグ=正しくない変化が起きているのとでは、感覚的に大きな違いがある。
人間、ある程度の年になってくると、身体のバグなどしょっちゅう経験する。まして、グレゴールのようにストレスにさらされた毎日を送っていれば、朝起きて身体にバグがあることなど珍しいことでもないよう気持ちになってしまう。
しかし、もしグレゴールの身に「虫になるくらい大きなバグ」が起こっていたのだとしたら。

それを夫と話したところ、夫は以前浮世絵の展示にあった、江戸時代の病気=お腹の虫を思いだしたらしい。
江戸時代の病気は、お腹にいる「虫」が悪さをしていると考えられていたようで、その手の書籍がかわいい。

和楽 日本文化の入り口マガジン
このゆる?い虫たちが病気の原因? 戦国時代の医学書が可愛いすぎるってウワサ
https://intojapanwaraku.com/culture/51691/


事実、日本語には身体の調子が悪いときに「虫」がでてくる言葉がたくさんある。
1568年に作られた「針聞書(はりききがき)」という本には、そのような身体の虫がたくさん出てくる。
人間の身体は虫によってコントロールされ、虫によって体調も悪くなれば機嫌も悪くなるのだというものだ。

この考え方でいうと、グレゴールは虫によってひどい病気になってしまい、その姿を見て勤め先の支配人も、家族さえも近寄りがたい存在になってしまったのではないか。
昔は寄生虫の影響で人間の姿が変わったりすることもある。
そうなるとグレゴールの変身は、あながちありえない話でもないのだろうか。

姿かたちはかわらなくとも、今このときに世界中が震撼している新型コロナウイルスへの罹患を家族が知ったとしたら、この時代であればあるうる反応なのではないかとさえ思ってしまう。
自分たちへの影響、世間体、家族一人の病気のためにさまざまな困難を背負う可能性を示唆している。
そんな想像がかりたてられてしまう。

私はまだ、新訳の多和田葉子訳のものを読んでいない。
多和田葉子訳を読むにあたり、もう一度山下肇訳を読んでいる。
私の勝手な想像は別にして、今まで考えていたグレゴールと新しいグレゴールはどのように違うのか。
久しぶりにわくわくして本を読んでいる。

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