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◇【BS-TBS Song to Soul】#99 プライベート・アイズ / ダリル・ホール&ジョン・オーツ2015年07月20日 16時00分21秒


Daryl Hall & John Oates - Private Eyes


BS-TBSのSong to Soul、2015年7月15日の放送はダリル・ホール&ジョン・オーツの「プライベートアイズ」だった。
この曲は80年代を代表するヒット曲であることは、この曲をリアルタイムで聞いた人は誰も異論はないところだと思うが、しょっちゅうラジオでかかっていたせいか、好き嫌いは別としてすっかり身体に染み付いてしまっているような曲だと感じる。
個人的には白人が歌うソウルはあまり好きではなく、ブルー・アイド・ソウルと称されるカテゴリーの代表みたいなダリル・ホール&ジョン・オーツも積極的に聞きたいミュージシャンではなかった。
ただ、時間が経ってあの時代を懐かしく思う年代に入って、あの頃普通にいつも聞いていた曲を懐かしく思うと共に、なんとなく頭の中から自然と口をついて出てくるような曲であると、今は思う。
ヒット曲というのは、本当に時代を象徴し、好き嫌いを超えた存在なのだ。
この曲は、そんな楽曲の一つであると思う。

Song to Soulの番組の中では、作曲者のウォーレン・パッシュと共著者のサラ&ジャナのアレン姉妹についても時間をかけて紹介されていた。
この曲自体は、最初はジャナ・アレンが自分のアルバム用の曲を探しにパッシュの元を訪れた際に提供された曲だったことなど、興味深い内容だった。
ジャナ・アレンはすでに他界していて、番組ではダリル・ホールの奥さんだったサラ・アレンにインタヴューを申し込んだようだがそれは叶わず、彼女からは一本のTDKのカセットテープが提供された。
そのテープに入っていたのは、ジャナがパッシュと共に作り上げた、「プライベートアイズ」の原曲ともいえるテイクだった。
私はその曲を聞いて、これはこれでよかったんじゃないかと思ってしまった。
荒削りでガサガサのその音源は、完成度の高いダリル・ホール&ジョン・オーツとは違う魅力を放っているのだ。

ジャナ・アレンという人は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの「キッス・オン・マイ・リスト」の作曲者でもある。
シンガー・ソングライターを目指していた彼女に試しに作ってもらった曲が、ダリル・ホール&ジョン・オーツのミリオンヒットになったということらしい。
当時は、大ヒットした「プライベートアイズ」や「マンイーター」よりも、「キッス・オン・マイ・リスト」の方が好きだった。
ただ、「プライベートアイズ」が出た当時、「キッス・オン・マイ・リスト」と印象が似ているとずっと思っていた。
特に興味もなかったので調べてみることもしなかったのだが、今回の番組でどうして当時そう思ったのか理解できた。
パッシュの作った曲に、ジャナ・アレンのエッセンスをふんだんに取り入れて、これは彼女のための曲として一度は完成されたものだったのだ。
「キッス・オン・マイ・リスト」はジャナ・アレンの曲だから、作曲者が違えど彼女が自分で歌うために彼女が手を加えた曲だから、印象が似ているのは当り前ということなのだろう。

どういう経緯でこの曲がダリル・ホール&ジョン・オーツの曲になったのかは詳しくは語られなかったが、パッシュが発表された自分の曲を最初は否定的に見ていたことなどを考えると、パッシュ自身もジャナと作ったバージョンの方が本当は気に入っていたんじゃないかと思ってしまった。
それでも、ダリル・ホール&ジョン・オーツのバージョンが良くなかったということではないし、あれはあれでキャッチーなアレンジが受けて長く心に残る曲になったのだから、パッシュにとってもジャナにとっても悪くない結果だったのかもしれないが。

私が聞いて魅了されてしまったジャナ・アレンの音源をここで紹介したいのはやまやまだが、著作権に抵触するので、BS-TBSがサラに許可を得て番組HPなどで公開してくれることを願うばかりだ。

ダリル・ホール&ジョン・オーツの曲を聞くと、中学生の頃に聞いていた日立ミュージックインハイフォニックというラジオ番組でダリル・ホール&ジョン・オーツの特集を放送したときのことを思い出す。
30分びっしりダリル・ホール&ジョン・オーツのヒット曲を紹介していたのだが、その時の曲順や紹介された曲がびとく印象深かった。
途中で「キッス・オン・マイ・リスト」の和訳歌詞の朗読が入ったのだが、ラブ・ソングだと思っていたのになんとなく違和感を感じる内容だったのがひっかかっていたのも印象に残っていた。
Song to Soulの中で、実は逆ラブ・ソングだったという話を聞いて、なんとなく腑に落ちた感があった。
興味がないといいつつ、長い間私の中でひっかかっていたのだなあと、その時初めて実感した。

興味がないのに、しっかりと自分の中に根付いていたダリル・ホール&ジョン・オーツ。
今なら、ベスト盤なら持っていてもいいかなとちょっと思ったりする。
それとは別に、ジャナ・アレンのヴォーカルレコードが存在するのであれば、それを聞いてみたいと思ったりするのだった。

Song to Soul(BS-TBS)番組HP

◇【BS-TBS Song to Soul】サイモンとガーファンクルに見る、テツ&トモとの共通性2014年10月23日 01時09分56秒

BS-TBSの水曜の夜に、Song to Soulという番組があり、好きで録画して見ている。
歴代の名曲のエピソードを、その曲に携わった人などのインタヴューを交えて紹介していくという番組だ。
今日の夜に紹介されたのは、サイモンとガーファンクルの「Sounds Of Silence」だった。

私が音楽を自分で聴くようになった頃、サイモンとガーファンクルはすでに解散して過去の人だった。
日本でもフォークからニューミュージックに徐々に変わり始めた時代。
フォークソングはすでに過去のものとして扱われていたが、映画「卒業」のサントラなどの影響か、サイモンとガーファンクルの音楽は70年代半ば当時でもラジオで聴くことが多かった。
日本国内のフォークソングはすでにニューミュージックと姿を変えていたし、60年代に流行った政治的なメッセージを含んだフォークは、70年代半ばには特集でもしない限りは耳にすることも多くなかった。
そういう意味では、あの時代の中でもサイモン&ガーファンクルは特別な存在であったのだろうと思う。

Song to Soulの中では、三つのパターンの「Sounds Of Silence」が紹介されていた。
ファーストアルバム『水曜の朝、午前3時』に収録されているアコースティックバージョン、その後プロデュースしなおされ「卒業」でも使用されたエレキギターバージョン、そして彼等がデュオで売れる前に収録されたポール・サイモンのソロバージョン。


The Sound of Silence (Original Version from 1964)
アコースティックバージョン



Simon & Garfunkel - Sounds Of Silence (Lyrics)
エレキギターバージョン



Paul Simon - The Sounds of Silence

私が一番最初にラジオで聴いたのは、『水曜の朝、午前3時』という特徴的なアルバム名からセレクトされた、アコースティックバージョンだったように記憶している。
ラジオのDJがわざわざこのアルバム名を紹介していて、それが記憶にあるからだ。
2人のハーモニーとちょっと悲しげな旋律がとても美しいと、小学生の私は思った。
しかし、その後で聞いたエレキギターバージョンは、まったく違和感なく聞いていて、この番組で詳細を知るまでは二つは同じものだと思っていた。
1981年のセントラル・パークでの再結成コンサートのときには、アコースティックバージョンで演奏されたが、それはコンサートのときのアレンジの違いだろうくらいにしか思っていなかったのだ。

比較して聞けば、ドラムなどが挿入する部分などで曲はドラマティックに盛り上がりをみせるのだが、アコースティックバージョンでもこの部分はギターの音が強調して演奏されているので、ここは演奏で盛り上がるところという認識で一致していた。
もちろん、好きな曲ではあったがそこまで掘り下げて聴くこともなかったし、異なるバージョンを比較することもなかったので、それが違うものであったことに触れずにここまできてしまったのだろう。

番組の中で、坂崎幸之助がこの三つのバージョンについての想いを語っていたが(この番組で直接関係のない人が出演することは珍しいように思うのだが、今回は日本人のコメンテーターが多数出演していた)、彼がイチオシしていたポールのソロバージョンは、実は私はあまり好きではない。
坂崎幸之助自身も指摘していたが、ポール・サイモンの声は単独で聴くと非常にもっさりしているように思う。
確かに歌詞の意味を最大限に伝えようとするならば、美しいハーモニーは逆にメッセージを消してしまう場合もあるのだろう。
でも、このバージョンのポール・サイモンの歌い方は、ボブ・ディランを非常に意識していて、サイモンとガーファンクルで歌う彼のパートとも違うためか(ガーファンクルの主旋律を歌っているので、当り前なのだが)、何か違和感の方が先にきてしまう。
もっと聴きこなしていけば違うのかもしれないが、最初に聞いたインパクトというのがやはり一番強烈なのかもしれないと、説明を聞きながら思ったのだ。

年齢的にはサイモンとガーファンクルはリアルタイムではないが、1981年の再結成のときの盛り上がりは克明に記憶に残っている。
解散時の頃には2人に大きな確執が生まれてしまい、再結成自体不可能だろうと当時あちこちの雑誌に書かれていたのは、記憶に残っている。
そんなメディアの推測もふっとばされるほど、再結成コンサートはすばらしいものだったと雑誌でもラジオでも話題になっていた。

当時、中学生だったウブでおボコな私は、こんなに美しいハーモニーを生み出す二人が、なぜ仲たがいしてしまうのかと思った。
ポール・サイモンのソロの「Sounds Of Silence」を聴いたのもこの頃だったし、アート・ガーファンクルのソロの歌を聞いたのもこの頃だが、ソロになった2人の歌を美しいとは全然思えなかったし、ある意味凡庸でまったく心に届かなかった。
ポール・サイモンの曲は好きだけど声がメインになるのはやはりちょっとと思うし、ガーファンクルは普通の歌だと普通に歌のうまい人になってしまう。美しい歌声なのはそうなのだけど、やっぱり何か足りなく思うのはなぜなのか。
まして、80年代に入ってからのポール・サイモンの曲は、当時の音楽シーンの流れから見るとやはり凡庸に見えてしまった。
リアルタイムでない私にとっては、一番輝いていた当時の音は手にとれても、その後の2人には触手が動かなかった。
天使の歌声と言われるアート・ガーファンクルの歌声に沿うように、聞こえてくる低音のポール・サイモンの歌声。
それは、光と影のようにどちらがどちらというものではなく、二つ揃って初めて一つになるものなのだろうと、その頃から漠然と思っていた。

Song to Soulの番組の途中で、アート・ガーファンクルがソロで来日するというCMが流れていた。
ポール・サイモンはというと、ちょっと前にゴシップ記事で名前を見かけた程度。
CMを見たとき、この2人ってテツ&トモみたいだなとちょっと思った。
ソロも評価している人には怒られるかもしれないが、やっぱり2人揃って初めて絵になり、アートになるんじゃないかと思ってしまうのだ。
テツ&トモのマンネリネタだって、テレビで見なくなっても営業では非常に絶賛されているらしい
でも、この2人がもしピンで地方に来ても、誰だかすぐにわかる人はいるのだろうか。
また、どちらか1人で2人のネタをやって成り立つのだうろか。

ポール・サイモンやアート・ガーファンクルは、ソロでも成功しているのだからいささか乱暴な感想なのだが、やっぱり2人揃わないとダメなんだよってところでは、非常に共通点のあるコンビなのではないかと、番組を観て思ったのだった。

(最後にテツ&トモを貼ろうと思ったけど、さすがにサイモンとガーファンクルとそこまでいっしょにするのは心情的にイヤだったので、自粛しました。)

◇ソチオリンピック フィギュアスケートを見て思ったどうでもいいこと2014年02月24日 19時38分56秒

ソチ五輪 女子フィギュアフリー 浅田真央
ソチオリンピック 女子フィギュアフリー 浅田真央
出自:公益財団法人日本オリンピック委員会
http://www.joc.or.jp/photo/photo_gallary_detail.html?gal_id=56&seq=7



バンクーバーのときは男子について書いたが、今年は女子の方がどうでもいいことをたくさん感じた。
今年の五輪フィギュアは、世代交代の会。これまで活躍し、注目されてきた多くの選手が引退を表明し集大成を競うほか、若い選手の実力を試す場ともなっていたように感じる。
とりわけ女子はそれが顕著で、ロシアの15歳ユリア・リプニツカヤに注目が集まった。
団体戦では失敗したもののチームの金メダルに貢献し、白い肌が美しいロシア美人、それに加えての加熱しすぎるメディアの取材を牽制するビッグマウスぶりにメディアの過熱は更にに高まった。
しかし、個人戦で実際にメダルを獲得したのは、トルコ風な顔立ちが印象的なリプニツカヤより二歳年上のアデリナ・ソトニコワだった。

ソトニコワがショートプログラムで二位になり、ロシアの期待が一気に彼女に移動したとき、なんとなくトリノオリンピックの荒川静香と安藤美姫を思い出した。
2006年のトリノオリンピックで、メダルの期待は当時18歳だった安藤美姫にメディアの注目が集まったが、実際に日本初のフィギュアスケート金メダルに輝いたのは荒川静香だった。
この時荒川は、当初まったくメディアがノーチェック状態だったことが寂しくなかったかとの質問に、「メディアの注目が若いかわいこちゃんに集まればいいと思っていました。それだけ私は演技に集中できる」と後日テレビで言っていたのを思い出し、メディアの猛攻がいかに選手の重荷になっているのかということを改めて感じたのだった。

テレビを見ていて、メディアのお仕着せストーリーにも辟易した。
浅田真央vsキム・ヨナにとどまらず、ショートプログラムを失敗しつつも、フリーで巻き返した浅田真央に対するお涙頂戴ストーリーは余計なお世話以上のものだった。
そんなことしなくても、浅田真央のフリーの演技は感動的だった。にも関わらず、母親が亡くなったことへの関連付けなどで更に感動を煽ろうとするメディアの不必要な情報は、かえって浅田真央の真摯な演技に対して失礼なものだと感じた。

個人的には、イタリアのカロリーナ・コストナーの演技が感動的だった。
実際は彼女が金メダルだと思ったが、政治的なことなどいろいろあったのかなとそこまで勘ぐらなければならないほど、情報に汚染されてしまっていてなんとなく悲しかった。

それはそうと、今回も競技にはまったく関係ないところで気になったところを書いておこうと思う。

●女子金メダリスト アデリナ・ソトニコワのわきの下
Adelina Sotnikova
ソチ冬季五輪、フィギュアスケート女子シングル・フリースケーティング(FS)。
表彰式で歓喜するアデリナ・ソトニコワ
リンク元:http://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2014022100039_3
(出自:Adelina Sotnikova、2014年2月20日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News
記事「ソトニコワが女子シングルで金メダル、ソチ五輪」より


最初に彼女が両腕をあげたとき、わきの下に三本かみそり跡のようなキズが真っ赤に染まっていて、非常に痛々しかった。
次の日に見たら絆創膏を貼っていたので、激しい運動のため出血したのかもしれないなと思った。
エキシビジョンのときは袖のある衣装でちょっとほっとしたのだった。

30年くらい前までは、まだわきの下を剃るのが世界的なものではなく、ドイツの選手などはわきの下を剃らずに袖なしの衣装を着る人もいた。
わきの下を剃るのが国際的になって、永久脱毛しない人は痛々しい場面に遭遇することもしばしばだが、ソトニコワのは本当に痛そうだった。

●カロリーナ・コストナーのエキシビジョンの衣装
Carolina KOSTNER Sochi Olympic figure skating bronze for Italy
Carolina KOSTNER (Sochi Olympic figure skating bronze for Italy)

エキシビジョンでは、コストナーの演技を非常に楽しみにしていただけに、この衣装はものすごくびっくりしすぎて、せっかくの素晴らしい演技に集中できなかった。
青いブラとスカートの上に、ストッキング生地の上にたくさんのラインストーンのちりばめられた衣装だったが、肌色ストッキング+ラインストーンの衣装の延長が、タイツのストッキングだったのか、はたまたアンダーにあたる場所には透明のベルトのようなものが見えたので、それで上衣のストッキングを固定する仕様になっていたのかわからないが、どうもパンツらしきものが見当らない。
股のところがやたらとキラキラ光っているので、透明なTバックっぽいものなのかもしれないが、それが余計エロチックに見えてしまった。

使用曲はアラビアンナイトの語り手『シェヘラザード』。
元々、王の夜の相手として語られた千夜一夜の物語なので、エロチシズムは不可欠だろうと思うが、下半身が露出する演技の多いフィギュアの衣装としては、ちょっとショッキングだと思ってしまった。

こう思ったのは私だけではないようで、エキシビジョンの放映のあった日のツイッターはコストナーの衣装が話題になっていたらしい。

動画:gorin.jp
ソチオリンピック フィギュアスケートエキシビジョン
カロリーナ・コストナー『シェヘラザードより』(ニコライ・リムスキー=コルサコフ)

●フランス マエ・メイテ選手
今回のオリンピックでは、黒人選手の参加が目立っていたように思う。
メダルを受賞するなどの目だった活躍はなかったが、演技は欧米系やアジア系にないものが見えて、黒人特有の優雅さを堪能できる選手が育ってきているように感じる。
その中で、フランスのマエ・メイテ選手のショートプログラムの演技は、すごく感動した。
曲はプリンスの曲だったが、リズム感や音のつかみ方が非常にかっこよくかった。もっとアップテンポの曲の演技も見てみたいと思った。

フィギュアスケートは、美しさを競うものなので、これまでどうしても白人主流の競技だと思われていたが、それぞれの人種にはそれぞれの美しさが存在すると思う。
フィギュアスケート自体、国としても個人としてもお金のかかるスポーツなので、国によっては援助が行き届かないところもあるのかもしれないが、もっとさまざまな人種が参加できる競技に育ってもらえると、もっと面白い競技になっていくのではないかと思った。

●選手の年齢的な制限の排除は不可能なのか
今回のオリンピックで、スキージャンプの葛西紀明選手が、41歳での最高齢での出場が話題になった。
フィギュアでも、ロシアのプルシェンコが31歳、日本の鈴木明子が28歳で最高齢と言われた。
しかし、ペアの中には30代後半の選手も何名かいて、体力的なことさえクリアできれば、もっと高齢でも競技に参加できるのではないかと思ったりもする。

ジュニアからシニアになるのに15歳という制限があるのは納得いくが、上は自分の身体と相談としてということなのだろうけど、プルシェンコだって腰の故障さえなければずっと現役を続けていきたいと思っていたような節がある。
浅田も鈴木も高橋も、実際本当に引退したいと思って引退するのだろうか。
もう年だし、いい年して競技するのもどうかと思うし、アマチュアはお金がかかるし、プロとして将来を...というのが本音なんじゃないかと思ったりするのだ。
なぜ、年をとったからといって選手を引退しなければならないのか、それだけが不思議に思える。
夏のオリンピックでは、野球やバスケットのように、プロ選手でも参加できる規定があるのだから、プロでも参加できるように規約を変更すればいいし、年齢的な枠が必要なのであればシニア競技部門も作ればいいのではないかと思うのは、私だけだろうか。

--------------
何はともあれ、今年の冬のオリンピックは終わってしまった。
マスコットの熊とウサギとユキヒョウの名前もわからなかったし、途中でロシアがらみで内戦は起きるし、ロシア内部でもオリンピックボイコットを訴える動きがあったりして、表に見えないところで大変なオリンピックだったと思う。
ただ、会場内で大きなテロなどがなかっただけでも、無事に終わって本当によかった。

次回の冬は韓国での大会だか、それまでに韓国と日本との関係がもう少しマシになっているといいと思う。

◇ソチオリンピック フィギュアスートエキシビジョンの銅メダリスト デニス・テンについて2014年02月24日 16時50分34秒

Denis Ten Sochi Olympic figure skating bronze for Kazakhstan)
Denis TEN (SochiOlympic figure skating bronze for Kazakhstan)

動画:gorin.jp
ソチオリンピック フィギュアスケートエキシビジョン
デニス・テン『カザフスタンの英雄』


バンクーバーオリンピックのときに、「◇バンクーバーオリンピック 男子フィギュアスケートを見て思ったどうでもいいこと」という記事を書いた。
ここで私は、当時16歳のカザフスタンのデニス・テン選手について触れ、「是非カザフスタンの民族楽器ドンブラの演奏曲で演技してもらいたい」と書いたのだが、その希望は彼の銅メダル受賞と共に、エキシビジョンで叶えられた。

このときの曲は、カザフスタンの若い作曲家グループ「トゥーラン(NHKのアナウンスでは、「ツーラン」と聞こえたが、詳細は不明)」の『カザフスタンの英雄』。
最初に擦弦楽器の演奏から入り、その後風の音がして、弦楽器の演奏が始まる。
ネット上では二胡だ、馬頭琴だというコメントが多かったが、カザフの音楽であることを強調しているのであれば、楽器はカザフスタンを象徴する楽器。冒頭はカザフの二弦の擦弦楽器コブズ。弦楽器は二弦のドンブラだろう。


コブズ
コブズ(私家版 楽器辞典http://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_main.html

ドンブラ
ドンブラ(私家版 楽器辞典http://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_main.html


カザフ族はもともとトルコ系民族らしいが、カザフスタンはシルクロードのほぼ中央に位置し、昔から東西の文化が交流する場所でもあり、過去にもさまざまな国に統治されてきた歴史を持つため、さまざまな文化の影響が見られる。
トルコ語で「デニス(デニズ)」は海を意味する言葉。国土のほとんどが海に面していないカザフスタンで、海は特別な言葉だ。

今回デニス・テンが演技したこの曲も、トルコ、アラブ、スラブ、モンゴル、中国とさまざまな土地の印象がちりばめられていて、非常にカザフスタン的な曲だと感じた。
また振付けにおいても、カザフスタンの文化の一つでもある鷹狩りや、砂漠の風をイメージしたり、遊牧民族や馬などを彷彿させるようなマイムがふんだんにちりばめられており、カザフスタンの文化を表現するような作りになっていて、非常に素晴らしかった。

何より、デニス・テンはカザフの文様を胸に掲げ、カザフスタンの民族衣装と文様を施した衣装でリンクに登場したのだ。
彼はカザフスタンの英雄であり、カザフスタンの代表としてあの場にいたのだと、はっきり意思表示し、それはとても感動的なものだった。

ソ連時代、広大なカザフの土地では、宇宙基地が作られ、砂漠では水爆の実験も行われた。この水爆実験の影響は、今もこの地域に影を落としているし、宇宙基地は今でもロシアが租借している。
ソ連統治時代には、民族楽器や文化はソ連に反する文化として排除された。
それはカザフスタンだけではなく、ソ連の支配下に置かれていた多くの国がそのような状況下にあり、多くの文化は忘れられ廃れていった。
カザフのドンブラやゴブズも一時は継承するものもなく失われていく運命を背負っていたが、ソ連崩壊後に自らの文化を取り戻そうと、盛んに演奏されるようになったものだ。

ソ連から独立し、自分たちはカザフであるというアピールを、ロシア開催のオリンピックで披露するというのは、カザフの英雄としてはとても重要な責任であり、自らのアイデンティティーでもあったのではないかと感じる。
一部報道では、デニス・テンが韓国系であるとも報じられたが、自らの出自よりもカザフスタンの代表であることが重要だったのではないかと、彼の演技を見て思った。

オリンピック開催中に、ウクライナで内戦が勃発し、旧ソ連の影響は未だに独立国家に根深く残っている。
今回のソチオリンピックは、ロシアが他民族国家であるということを意識した作りであるとの報道があったが、個人的には開会式も閉会式も、それを感じることはできなかった。
スタッフの衣装や、会場の壁面を彩った様々な文様は、ロシアのそれぞれの民族の文様をあしらったものであるとのことだったが、それを全面にアピールするようなものはなかったように思う。
そんな中で、旧ソ連の国から様々な想いを胸に抱いて参加した選手が多く活躍した今回のオリンピック。
旧ソ連の国の中央アジアの代表として、デニス・テンがメダルをとり、世界中の人が楽しむエキシビジョンで民族を象徴する演技を披露したことは、非常に意味のあることだと強く感じたのだった。

◇ソチオリンピック 男子フィギュアメダリストがアジア系であることについて2014年02月15日 06時07分55秒

2014ソチ五輪男子フィギュア メダル受賞者

今回のオリンピック男子フィギュアは、日本人選手の成熟した技術なども見所だったが、個人的には前回のバンクーバーからの世代交代に注目していた。
それはロシアの帝王プルシェンコの棄権によって現実味を帯び、バンクーバーで上位にいた選手は、若い選手におされ気味な結果に終わった。

結果としては、日本には嬉しい19歳の羽生結弦選手の日本人初の金メダル。
銀メダルはバンクーバーで5位の、金メダルの本命争いの一人であったカナダのパトリック・チャン。
そして、バンクーバーでは16歳で参加していたデニス・テンの銅メダル。

日本人としては、羽生選手の金メダル。そして町田選手の5位、高橋選手の6位という、参加選手全てがベスト8に残ったことが喜ばしい。
しかし、個人的にはバンクーバーで胸ににきびを作って、唇から出血しながら参加していたカザフスタンのデニス・テンが、立派な選手になって表彰台に登ることが、前回のオリンピックで注目していた一人としては大変感慨深いものがあり、なんとなく親戚のおばさんみたいな気分だったりするのだった。
そしてそれ以上に、メダリスト3名全てがアジア系の選手であることに驚き、大変喜ばしく感じたのだ。
パトリック・チャンはカナダの選手だが、彼の両親は香港からの移民らしいので、彼は中国系カナダ人である。
Wikipediaによると、自宅での言語は広東語ということなので、カナダに暮していても香港人としての文化も触れながら生活したのだろうか。
欧米人の優雅さと、アジア人の繊細さ、力強さを両方兼ね備えた表現力は素晴らしいとも思う。

バレエやダンスでもそうだが、欧米の人の元から備わった表現力というのは、とても派手に見えるし、一つ一つのパフォーマンスの決め方も、どうしてこんなにビシビシと決まるのだろうかと思えるほどかっこいい。
逆に、アジア人は骨格がきゃしゃなせいか、パフォーマンスの決め方がどうしても流動的に見える。
その代わりに、内因表現をうまく表現できると、抑えた中に見えるパッションや、流れるような表現が美しい。
これは、骨格の違いや民族的・文化的なDNAのせいなのかと思ったりするのだが、その表現方法というのは、意識するしないに関わらず、真逆にあるようにすら感じてきた。
アフリカ系の選手がなかなか参加することのない競技なので、アフリカ系の選手が参加するようになると、それぞれの民族の違いや、文化的な背景などが表現されると更に面白くなるのかもしれないと今後に期待をもったりする。

以前は、アジア人のそういった表現力が、なかなか評価されなかったようにも思う。
もっとも、アジア系の選手がフィギュアに参加していたのは日本が先駆的で、韓国や中国、中央アジアの国々の選手が参加するようになったのは、つい最近のようにも思うから、比較することも難しいのかもしれないが。
もちろん、アジアの経済的発展によって、フィギュアスケート競技に選手を輩出できる地盤が整ったことも大きな要因であることは確かなのだが、その表現が世界に認められたことが何より嬉しい。

◇ロックのカテゴリーの整合性について考える The Strypes2013年04月26日 12時51分33秒


The Strypes - Blue Collar Jane
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最近イギリスで注目されているバンドThe Strypesが来日するに合わせて、日本でのテレビ番組にも出演するという話をネットで知り、録画をしてみたりした。
The Strypesは、最近よく聞かれるミクスチャーロックのようなカテゴリー的にどう解釈していいのかわからないような音楽ではなく、60年代スタイルのブルースロックを正統的な手法で演奏するバンドらしい。
しかも若干16歳。
詳細は私がここでグタグダ書き連ねるよりも、どこかのサイトで確認したほうがより正確な情報が得られるだろうから割愛する。

私が最初に彼等の曲を聴いたのは、渋谷陽一のFMラジオ「ワールド・ロック・ナウ」(余談になるが、この番組名はそろそろどうにかしてほしいと思う。ある意味「若いこだま」より恥ずかしいような…)。
一番最初の印象は、「The Jamみたい」だった。
The Jamの印象を常に受けるバンドは他にもあるが、まんまThe Jamのテイストを再現しているような16歳の小僧にちょっと興味を持った。
ただ、世間の評価と私が感じたものにちょっとした違いがあり、なんとなく違和感を持っていた。

そういうわけで、普段は見ない日本テレビの「スッキリ」というワイドショーをチェックする。
印象としては、非常に不躾に見えるおっさん二人(加藤浩次とテリー伊藤)に不躾な対応をされても、まったく動じず非常に淡々と質問に答えていく。
ROロンドン特派員の児島さんが「非常に礼儀正しい若者」と評したのがうなづける。
タイトな三つボタンのジャケットなどを着ているが、バリバリのモッズスタイルというわけでもない。
髪型も、くるくる巻き毛がかわいかったり、黒髪がいかしていたりするが、ごくごく普通な感じ。
腕を組んだり、ズボンのポケットに手を突っ込んでいるのを指摘されはするが、この程度はちょっと生意気な風を見せているだけという印象だ。
ものすごい優等生が無理してツッパって見せているようにも見える。なんだこいつら実は「いいこ」なんだな。
こんな風にソツく自分を良く見せる手腕に長けているところは、イギリスも日本も“最近の若者”は同じなんだな。などと、おばさんぶりを発揮しながら録画した映像を見ていた。

ふだんはカヴァーが多い中、今回出た新譜のタイトル曲「Blue Collar Jane」はオリジナル曲とのこと。
演奏しているところを見ていくにつれ、私が感じていた違和感がなんとなく解ってきた。
私はThe Jamっぽいと思ったのに、彼等の評価が「ブルースロック」であったからだ。
The Jamの初期はパンクにカテゴライズされ、後にネオ・モッズとも言われていたからあまり意識もしていなかったが、私は60年代のモッズ系のバンドを「ブルースロック」だとは思っていなかったのだ。
私の中のブルースロックは、アメリカ南部のジョニー・ウインターだとかスティーヴィー・レイヴォーンのようなベタベタの白人ブルースの印象が強かった。
イギリスに影響を感じるものでも、せいぜいボブ・ディランのようなものがそうだと思っていた。イギリスではそれらの影響を受けてはいるものの、ブルースロックとはすでに別な音楽という認識でいた。ローリング・ストーンズやアニマルズはわりとアメリカのものに近く感じてはいたが、ヤードバーズやスモール・フェイセズ、ビートルズなんかは別物だと思っていたのだ。
だから、それらの影響を受けたThe Jamもまたブルースロックとは無縁のものだと思っていた。

しかし、近年はカテゴリー自体が崩壊しているという認識だったから、これがブルースロックの影響下にあるといわれれば「ああ、そうなんだ(????)」という感じ。彼等の音楽をブルースロックと呼ぶことには違和感を感じずとも、「でもThe JamっぽいのにThe Jamはブルースロックじゃないし~」と整合性がとれなかったのだ。

私たちが聞いていた音楽が、いかにきっちり分類分けされており、それがいかにいい加減なものだったのか、近年のリバイバルやミクスチャーと言われるものを聞いていると認識させられる瞬間があったりする。
今回のもそのパターンだが、ここまではっきり認識させられたものもなかったかもしれない。

The Strypesの曲は、歌詞もイギリスっぽいし、演奏もごくごくソツない感じ。30年若かったら狂喜乱舞していたかも。
ただ一つだけいえるのは、最近よくあるいろんなスタイルの曲を「インスパイア」という名のもとで構成されたようなものではなく、ごくごくストレートに自分たちの影響を受けた音楽を表現している素直さは非常に好感がもてる。
このストレートな姿勢とソツない感じが、往年のロックスターをメロメロにする一つの要因なのかもしれない。

メンバーは思ったよりも背が低かったり、肌がつるつるだなあとか思っていたが、超絶美少年系がおらず四人ともそこそこ美少年というところもソツがない感じ。
アイルランド系とのことなので、あと5年もしたらギャラガー兄弟みたいに眉毛がつながったり、やはり10代でデビューしたアッシュやアークティック・モンキーズみたいに、がたいがでかくなって少年らしさがみじんも感じられなくなっていくんだろうなと思うと、はじける少年らしさ満載の今が旬なこのバンドにちょっと注目してみようかと思ったりした。

オリジナル曲だという冒頭映像の「Blue Collar Jane」だが、どうしても下の曲にしか聞こえない。これは私の気のせいだろうか(まあ、これも“音楽の偶然”ということなのかも)。
「スッキリ」のインタビューで、「60年代の曲よりも早い」というようなことを言っていたが、少なくとも70年代よりはテンポが遅くて、とりあえず中をとっているようなところもソツがないと思ってしまったのだった。

追記(2013年4月30日火曜日):
26日金曜日に、テレビ朝日「ミュージックステーション」にも出演したが、タモリはほとんど彼等に構うことなく映像紹介と演奏のみでコーナーが終了してしまった。
「スッキリ」は彼等が単独で取り上げられていたのに対し、「ミュージックステーション」は大勢の出演者のうちの一組という違いはあったけれど、過剰に中高生が古い音楽を演奏していることを持ち上げて「歴史の一ページを見ている」などと過剰反応していた「スッキリ」に対し、(言いたいことはあれど)余計なことは何もせず番組を進行していたタモリの方が、「昔を知っている音楽好きな大人の素直な反応」に感じられた。
昔は外国のアーティストが日本のテレビ番組に出演するということ自体が事件だったし、なんとなくものすごく特別なことだったが、少なくとも「洋楽」ということだけで過剰に騒ぎ立てる時代はもう終ったのだということは、はっきり認識することができた。




The Jam - London Traffic
このページで再生しない場合は、「YouTubeで見る」からサイトへ移動してください。

◇ロンドンオリンピック 雑念2012年08月13日 22時48分06秒

そういえば今気づいたが、ビートルズの初期はほとんどアイドルバンド状態だったわけだが、開会式・閉会式でビートルズから80年代のワム!のジョージ、90年代のTakeThat、2010年代のOne Directionといったアイドル勢も紹介されたのなら、70年代のベイ・シティ・ローラーズがスルーされたのはなぜか?
スコットランドのタータンチェックを全面モチーフにしているからか?
彼らがスコットランドのエジンバラ出身だからか?
スコットランド出身アーティストに気を使っていると思ったのは、気のせいだったのだろうか。

やっぱり、開会式の「地下鉄の出会い」のところで「二人だけのデート」が聞きたかったかも。

◇ロンドンオリンピック閉会式を見て、いろいろな溜飲を下げるが、やっぱりストレスたまりまくり2012年08月13日 12時59分00秒


The Who - My Generation

ロンドンオリンピック終了。
開会式と同じく、朝4時半起きで閉会式の放送に臨む。
今回の閉会式は「英国音楽のシンフォニー」ということで、歴代のロックスターが出演するのだろうと楽しみにしていた。
ハイド・パークでは、閉会式とは別にBlurやThe Specials、NewOrderなどが出演するステージが予定されていたりして、結婚20周年の記念にどこかに旅行に行こうと計画をしていたブリティッシュ・ロック家族の我が家としては、なぜ閉会式だけのロンドンツアーを計画しなかったのか、閉会式を見ながら絶叫する。


The Who - Wont Get Fooled Again

閉会式のカウントダウンと同時に、The Whoの「Wont Get Fooled Again(無法の世界)」のイントロが流れる。
開会式の記事を調べたときに、Led ZeppelinやRolling Stonesといった大物に軒並み断られたという記事を目にし、70年代にすでに亡くなっているドラムのキース・ムーンにロンドンのオリンピック委員会から正式なオファーがあったという話を聞いて、The Whoの出演は鉄板だろうなと思っていた。
何しろメンバー全員生粋のロンドン子だし、ロンドンオリンピックのテーマが「Inspire a generation(世代を超えたインスピレーション)」であれば、エンディングはあの曲しかないだろうと思っていたからだ。
ただ一つだけ難点といえば、「年寄りになる前に死にたい」という歌詞だけか?


閉会式のプレイリストを必死でメモしたが、こちらのサイトが詳しい様子。

【速報】閉会式をプレイリストに沿って再現!英ミュージック50年史!スパイスG、クイーン他多数登場


Our House - Madness

ロック・ポップス勢の最初のステージは、意外にもMadnessの「Our House」だった。80年代を通過した日本人の耳には、「ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」の「in the city」の方が馴染みがあるが、脱ツートーン路線で発売した1982年のこの曲が意外にもイギリス人にはお馴染みだったのだなあと、大合唱になっていることに驚く。
でも、当時ツートーンとして好きだったのはThe Specialsで、Madnessはどちらかというとイロモノな目で見ていたが、路線が変わったことに興味を覚えて買ったアルバムが、「Our House」の入ったアルバムだった記憶がある。
1992年に再結成しているはずだが、ヴォーカルのグラハム・マクファーソンは声が出ていなかったなあ。

次はblurの「Parklife」がかかるが、パフォーマンスだけで本人達は出場なし。当然だが、フィル・ダニエルズの姿もなし。 (追記参照。)

次はPet Shop Boysの「West End Girls」。
この二人、ヴォーカルのニール・テナントばかりが目だっているので、すぐに一人になるだろうと出てきた(デビュー)当時は思っていたが、意外に長く続いているのでびっくり。ついでに、彼の高音があまり衰えていないのにもびっくり。
正直に言うと、後から出てくるFatboy Slimのノーマン・クックと見分けが付かなかったりするのだが。

次に出てきたのは、2010年結成平均18歳という、One Directionというボーイズ・グループ。最近のイギリスはこの手のアイドルがチャートを席巻しており、それ以外は往年のビッグスターのリマスターばかりと聞くが、この閉会式でも1990年代以降はぱっとしなかったりする。
まったく知らないのでスルー。


Kinks - Waterloo Sunset

次に登場したのが、The Kinksのレイ・デイビス「Waterloo Sunset」。
レイのステージは、苗場での最初のフジロックで見たが、あんな感動的なステージはなかった。今回もイギリス紳士的に黒い昔のジャガー風の車で参上したのは感動的だった。
だが、会場にあった車のどれひとつとしてイギリスの車でなかったのは、ちょっと驚きだった。ジャガーもいまやインドの車だし、オースチンは中国だしなあ。
日本も徐々にそうなっていくのであろうか。
もし2020年に東京でオリンピックが開催されることになったときに、東京を走る車もバイクも、どれも日本製でなかったとしたらと考えると、ちょっと怖いと思った。

この後各国の国旗が入場し、選手も入場してくる。
このときかかっていたのは、Elbowのライブで「One Day Like This」「Open Arms」。しかし、NHKはほとんど曲の紹介もバンドの紹介もせず、旗手の吉田選手の様子やコメント紹介に終始して、映像もちらっとしか見られなかった。

その後バックでかかっていたのは、Madnessの「Our House」、blurの「Parklife」、Pet Shop Boysの「West End Girls」の録音盤が繰り返しかかる。
その後のパフォーマンスでは、Kate BushやQueenなどがかかるが、「Imagine」でのジョン・レノンの扱いの大きさには、ちょっとびっくり。なんかブロックみたいので顔を形作るパフォーマンスまで登場し、破格の扱いだと感じた。

それにしても、男子マラソンの表彰式で、花を手渡す係の黒人紳士の花束のぞんざいな扱いにもびっくり。人に手渡す記念の花束を、花の方をわしづかみして手渡す姿を初めてみた。

後半はライブパフォーマンスの間に挨拶があったり、オリンピック旗の掲揚があったりしたが、その最初に出てきたのはGeorge Michael(ジョージ・マイケル)。


George Michael - Freedom 90

「Freedom」「White Light」の2曲を歌うが、この後出てきた1990年代のアイドルTakeThatと比較しても、Wham!の頃の印象は微塵も残っていなかった。ゲイとしてカミングアウトしたり、大病したりといろいろあったが、今でもその声だけは健在なんだなあと思ったりもする。
この人、「Freedom」という歌をWham!時代にも歌っているが、今回ライブで披露したのは「Freedom 90」のほう。でもこの歌って、ゲイの解放の歌でなかったっけか?
ドーピングの問題と同時に、男女の性の問題が浮上したオリンピックで、この歌をわざわざセレクトしたのはどういう理由からなのか、ちょっと意味深に感じる。


出典EveningStandard

その後会場に流れたのは、The Whoの「Pinball Wizard(ピンボールの魔術師)」。会場には、モッズ・デコレーションしたスクーターがたくさん入ってきて、いよいよいここでThe Whoの登場か?と思った。実際、ヴォーカルの声はちょっとロジャー・ダルトリーに似ていたりしたのでてっきりと思ったが、実際はKaiser Chiefsだったのでびっくり。
会場はピンボール仕様になって、さながらピンボール・チャンピオン決定戦2012って雰囲気。実際、映画「Tommy」のピンボールの魔術師のシーンで、リーズ大学でのライブの様子がそのまま使用されているが、今回オリンピックの練習場などにリーズ大学が使用されていることからも、このセレクトはなかなかのものだと思った。
でも、Kaiser Chiefsは自分たちの曲は演奏しなかったので、ちょっとがっかり。
それと、スクーターのモッズ・デコレーションもちょっと地味でないか?
後でよく考えると、モッズで登場したなら「四重人格」からの曲の方がよかったのではないかと思ったりもした。なんかこのへんの甘さも感じつつ次へ。


David Bowie - Fashion

ブリティッシュ・ファッションのシーンでは、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)のメドレーが紹介。彼の一番かっこいい時代のピンナップ紹介もあったが、やっぱり本人が出てきてほしかった。
メインでかかっていたのは、「SCARY MONSTERS」に入っていた「Fashion」。
ナオミ・キャンベルは、最近ハゲが進行しているという記事を読んだばかりだったので、名前を聞いたときにちょっと心配だったりしたのだが、彼女の女王様然とした姿を見たときは、一緒に登場したケイト・モスなんかと比較しても、やっぱり格が違うよなと感じてしまったのだった。


Annie Lennox - Little Bird

その後Russell Brandのパフォーマンスの後、Annie Lennox(アニー・レノックス)が巨大な船に乗って登場。やっぱりかっこいいぞ、この人は。こういうオフィシャルにもカジュアルにも映えるアーティストって、実はあまりいないような気がする。
一時期は引退状態だったと聞いていたので、The Tourist時代からのファンとしては、健在ぶりを拝見できてうれしかった。


出典fuckyeahpinkfloyd

アンの後、若いアーティスト代表としてEd Sheeranのステージがあったのに、NHKは完全スルー。まったく聞こえないじゃないか!。
(Ed Sheeranの名前のほかにいろいろなアーティストの名前が羅列していたので調べたら、Pink Floydのニック・メイスンがドラムだった。曲は「Wish You Were Here(炎~あなたがここにいてほしい))」。綱渡りパフォーマンスで、綱の先にいた人形が“炎”を上げて燃えたのもそういう意味があったのだ。)


出典www.mydaily.co.uk

この後、ド派手なバスがタコに変身してFatboy Slimの登場。曲は「Right Here Right Now」「Rockafeller Skank」。
その後、なんとなくJessie JやラップのTINIE TEMPAH、Taio Cruzに変わってしまって、Fatboy SlimことNorman Cookはタコの上に乗ってなんとなく退場してしまった。


Spice Girls - Wannabe

その後、デコレーションしたロンドンタクシーに乗ってSpice Girlsの登場。
なんだかんだいっても、世界的ヒットしたイギリスのアイドルはこの5人が最後ではと思える。好き嫌いは別にして、やっぱり懐かしいって思ってしまうのもご愛嬌。
5人ともちゃんと当時の雰囲気残してるところは立派。でも、5人揃うとやっぱりベッカムの嫁さんは地味に見えてしまうんだよな。いまやこの5人の中で一番のセレブなはずなんだけど。
登場した頃は、5人ともタイプの違うビッチにしか見えませんでした。


oasis - Wonderwall

5人が退場して、ステージでは元Oasisのノエル以外のメンバーで結成されたBeady Eye。でも、もう“元Oasis”って言葉もいらないくらいビッグになっているのだけど。
でも、曲はOasis時代の「Wonderwall」。

次のステージはMuseの五輪の公式ソング「Survival」。
そのわりには、演奏中NHKはどうでもいいことしゃべりまくり、五輪の公式ソングであることはひとつも触れぬまま。大丈夫か?NHK。
コメントがあまりにも無知すぎて、鈴木アナに呆れることしかり。

でもこれ、渋谷陽一がラジオで「Queen風」と評価していた。私はThe Mars Volta風だと思っていたのだけど、この後モニターにFreddie Mercury(フレディ・マーキュリー)が映し出されて、フレディのステージでも掛け声に会場中が反応。


We Will Rock You (Queen Rocks)

その後、現Queenのギタリストのブライアン・メイが、いかにも彼が好きそうな衣装でバリバリのギターソロで登場。ヴォーカルにフィギアスケートの衣装みたいな服のJessie Jを迎えて、競技中もずっとかかっていた「We Will Rock You」。会場大コーラス。


QUEEN & DAVID BOWIE: Under Pressure

このオリンピックの最中、実際Queenの曲は一番よく聴いたような気がする。
特に気になったのは、柔道の選手入場のときにかかっていたと思う「Under Pressure」。
この曲のPVの一番最初に映っているのは、昔の日本の中央線のラッシュアワーの風景。その他は、世界恐慌中の「Under Pressure」な映像と、映画「カリガリ博士(だと思う。記憶不確か)が映し出されている。
オリンピックにこの曲のイントロをずっと聴いていて、オリンピックの裏にあるそれぞれの選手が持つ「Under Pressure」をなんとなく考えないでなかった。
今回のオリンピックでは、これまで女性のスポーツが認められなかった国からの出場もあり、イスラムの国々のこれからの流れの中では、非常に意味のあるオリンピックになったと思う。
でも、そこにある「Under Pressure」は、まだまだ大きなものなのだろうなと思ったりもしたのだ。

次期オリンピック開催国のブラジルのラテンなセレモニーが終わり、Take Thatが登場したときは、「えー、もしかしてこれでラストか?」と思い込む。
1990年代に一世を風靡した彼らもおっさん化には逆らえないのか。こうしてみると、日本の熟年アイドルってすごいのかもしれないと、なんとなく思った。


出典mail online

アートを強調しているわりには、ロイヤルバレエ団が出てこないのを不思議に思っていたが、ここでバレエの登場。
ああ、こういうアカデミックなもので終るのだなと思っていたが、「Baba O'Riley」のイントロが。
旦那は「えー、ちがうだろ」って顔をしていたけど、ステージにはちゃんとThe Whoが立っていた。
NHKの説明では、「The BeatlesやRolling Stonesと同世代のグループ」とのこと。まあ、確かにそうなんだけど、これまでのパフォーマンスの中で、The Whoのエッセンスがちりばめられていたことを考えると、この紹介はちょっとどうなの?
それに、ドラムたたいているのは、The Beatlesのリンゴ・スターの息子で、キース・ムーンのドラムの遺伝子を受け継いだザック・スターキーである。ジョンをあれだけ持ち上げておいて、ちゃんとそこんとこはっきり説明しろよ~! NHK。
「Baba O'Riley」のあとは「See me feel me / Listening to you」。そして、やっぱり最後は「My Generation」。

「Inspire a generation(世代を超えたインスピレーション)」にふさわしいエンディングで、イギリス人らしい韻に韻を踏みまくったエンディングだというのに、NHKは関係ない選手のコメント読みまくり、途中で打ち切りの上に、演奏中はほとんどステージを映さず選手団の映像ばかり。
選手のコメントなんて、後の番組でいくらでもやればいいのにと思う。
「うるせーよ! よけいなアナウンスいれてんじゃねーよ!」と、早朝のテレビの前で怒りまくるわたくし。
でも、そう思ったのは私だけではなかったらしい。

ロケットニュース24 2012年8月13日
『オリンピック閉会式のNHK解説に批判殺到! 視聴者「アナウンサー黙れ!」「起きてた時間を返せ!!」』



今回のオリンピックは、いろいろと考えさせられる場面が多かった。
審判のミスが多かったのは言うまでもないが、その対象の多くがアジア選手に対するものだったりする。とりわけ、日本と韓国への風当たりが強く感じたのは、私だけなのだろうか。
特に、イギリスと対戦する韓国のサッカーチームへの嫌がらせのニュースも聞こえてきて、自国のことではないにしろ決していい気分ではなかった(ただし、ニュースの出所ははちょっとあやしい配信元なんだけど)。

2012年08月04日12時28分[(c) ISPLUS/中央日報日本語版] 『<五輪>本当に紳士の国? 英国が韓国サッカー代表を妨害』

ロケットニュース24 2012年8月3日 【ロンドン五輪】これは本当にひどい! レフェリーが「超ずさんな判定」で追放される事態に / 誤審というレベルではない

競技によっては、審判への抗議で判定が覆ったりすることもあり、事実男子体操団体などは、抗議がなければ日本はメダルさえとれなかった。
あの場面を見ていて、一時は銅メダルと発表されたウクライナチームの涙する姿が忘れられない。
開会式で、Mr.ビーンはズルをして炎のランナーに競り勝つ。よもやこれがこのオリンピックの全てを物語っていたと考えたくはないのだが、ちょっと疑ってしまう部分もあったりする。
抗議できるものはするものの、抗議に対しての日本と韓国の対応がほとんど真逆だったのも興味深かった。

イギリスはオリンピックの少し前からスコットランドの独立問題を抱えていたせいか、開会式でも閉会式でも、スコットランドのアーティストに非常に気を使っているような場面が目立つような印象があったはの気のせいか。
オリンピック大会中にも、スコットランド独立の熱は高まっていたようで、日本と韓国の竹島をめぐるバトルの裏で、こっそりそんなニュースが流れてきていた。

ロイター 2012年 08月 9日 11:04 JST
『ロンドン五輪で思わぬ余波、スコットランド独立論が過熱』


日本でも、男子サッカーと女子バレーボールの3位決定戦のどさくさにまぎれて、韓国の大統領が竹島を訪問するとかしないとか発表し、オリンピックの試合がさながら両国の代理戦争のような感覚で見ていた人も少なくないような気がするのだが、サッカーの試合後に韓国の選手が、それを決定付けるようなプラカードを持ってピッチを走ったので、問題はさらに大きくなってしまったような感もある。

YOMIURI ONLINE 2012年8月11日23時22分 読売新聞
『韓国サッカー選手、ピッチで竹島領有メッセージ』


どこの国でも、多かれ少なかれ領土や民族の問題を抱えている。
イギリスだって、フォークランドやアイルランドの問題を長年抱えているし、中東は変化の過程の火の中から選手が出場しているところもある。
イギリスが獲得したメダルの1/4はスコットランド出身選手のものであることから、もし彼らが「スコットランドに自由を」なんてプラカードを持って観客席にアピールをしたら、イギリスのオリンピック委員会は立つ瀬がなかったんじゃないだろうか。
逆に韓国選手は、日本が負けた腹いせに「竹島は日本の固有の領土である」なんてプラカードを持っていたら(絶対にそんなことをするとは思いたくないが)、どんな反応をするのだろう。
いろいろと言い訳も多いが、決まりは決まりでその間に自国の感情や個人的な感覚を挟む余地は1μもないと知るべきだろうと思う。
どんなに言い訳されても看過しがたいものがあり、その前後の政治的な流れも含めて最後の最後で非常に不愉快な気分になったのだ。

でも、これもオリンピックに隠れた「Under Pressure」なんだろうなと思った。
気分は悪いが、最後にThe Whoを見ることができたのでよしとしよう。


8月13日午後10時30分
追記その1:
ハイド・パークで行なわれたライブのほうでは、blurのライブでパークライフでフィル・ダニエルズが登場したらしい。
blurのライブレポートは、Rockin'onの児島さんのブログでプレイリストと映像のリンク込みで確認できます。
9月1日発売のrockin'onではライブレポートもあるらしい。
ちょっと楽しみ。

追記その2:
写真の出典とか入れるの忘れていましたので、ついでに気になったところを修正しました。


8月17日午前7時30分
追記その3: 「すたん ― 2012年08月14日 00時49分12秒」のコメントより。
すたんさんのご指摘により、The Whoの演奏曲の曲名の間違いを修正しました。
その他いろいろ間違いを修正しました。
すたんさんには、オリンピック閉会式のThe Whoの映像もご紹介いただきました。
ここにたどり着かれた方は、ぜひそちらもご覧ください。
私は感動して涙が出てきました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18602568

2015年8月19日
追記その4 細かい修正を行いました。

◇ロンドン・オリンピック開会式の一日2012年07月28日 22時18分56秒

オリンピックの開会式を朝5時前に起きてテレビ観戦し、今日はNHK-FMで一日ブリティッシュ・ロック三昧!
途中70年代初めのラインナップでダレたけど、こんだけブリットばかりの日は久しぶり。
今日は60年代70年代だったから、明日はいよいよ80's。楽しみです。

今日の司会の森田美由紀アナウンサーは、札幌出身。大島弓子の漫画などで、ボウイファンであったことを告白されたりと、70年代日本女子の正しいロックファンの王道を行く方であることが判明。一日お疲れ様でした。

解説の和久井光司氏は、最後の「Pinball Wizard」の頃にはぐったりした声をしていた。明日にそなえて、英気を養っていただきたい。


ところで、昼にオリンピック開会式でかかったかかからないか判断できなかったバンドをずらずらと並べ立ててみたが、調べてみたところプリイリストが事前にリークされていたらしいが、実際はそのままかかったりはしなかったらしい。

「ブリティッシュ・ミュージック炸裂!オリンピック開会式で流れた曲・ミュージシャン #プレイリスト」というサイトで確認したところ、オアシスはかかっていたらしいし、ニューウェイヴ勢もデュラン・デュランなんかもかかったらしいユーリズミックスとペットショップ・ボーイズは確認できたけど、デュラン・デュランはまったく印象に残らなかった。サイモン・ル・ボンは会場で歌っていたらしいが、まったく気づかなかった。

リークされたというプレイリストを見ると、OMD(オーケストラル・マヌーバーズ・イン・ザ・ダーク)とかがラインナップに入っているが、このあたりもまったく印象にない。
もしかしたら、記憶ののろいのえじきになっていたのかもしれない。

◇早起きしてロンドン・オリンピック開会式を観る2012年07月28日 14時35分23秒


David Bowie - Heroes
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ロンドンオリンピック開会式。
昨日の夜は10時に寝て、早起きして観た。

ずいぶんとこじんまりした会場だな、というのが第一印象。北京やアテネと比較すると、スタジアムがちょっと小さく見えるのは、やはり古くからの大都市であるせいなのか。

今回のオリンピック。ブリティッシュ・ロック好きにはたまらない企画が盛りだくさんという下馬評もあり、開会式・閉会式に関しては実に様々な噂が飛び交っていた。
ポール・マッカートニーがすでに引退宣言をしたリンゴ・スターとミック・ジャガーと、彼等と対極にあるようなジョン・ライドンと一緒に共演するとか、すでに30年以上前に亡くなっているThe Whoのキース・ムーンに、オリンピック委員会からステージオファーが正式にあったとか、ポール・マッカートニーと、ジョン・レノンの二人の息子ショーンとジュリアン、ジョージ・ハリスンの息子、引退したリンゴを引っ張り出すのか、それとも彼の息子であるザック・スターキーを引っ張り出すのかはわからないが、そのメンバーで新生ビートルズを画策しようとしたりとかなどなど…。

実際、前回の北京オリンピックの閉会式には、次期オリンピックの予告としてレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが登場したりと、ロンドンオリンピックとブリティッシュ・ロックとのコラボは4年前から予想されていたものだった。
しかし、蓋を開けてみると、次期予告をしにわざわざ北京まで出向いたジミー・ペイジには招待状も届かずビートルズもローリング・ストーンズもレッド・ツェッペリンにもことごくオファーを断られたという噂も耳にした(ジミー・ペイジが招待されないのに、ツェッペリンにはオファーがいったのか?そのへんは謎。あくまで噂の範疇だし)。
キースにはオファーがあったのに、実際The Whoへのオファーはどうだったのだろうかとか、The Whoにオファーがないのであれば、キンクスだとか80年代の第二次ブリティッシュ・インベイションを支えたたくさんのバンドは、ビートルズあたりから比較すれば小物扱いなのだろうかとか、いろいろと邪推はつきなかった。


Mike Oldfield - Tubular bells
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実際に蓋を開けてみると、セレモニーで最初に演奏したのは、マイク・オールドフィールド。
彼の代表作は、往年のホラーの名作映画「エクソシスト」の印象的な曲として世界中に知れ渡る結果となり、彼の曲を一度は耳にした人も多いとは思うが、このような場所で抜擢されるような人だとは思ってもみなかった。
実際にベースとギターを自ら演奏して、「チューブラー・ベルズ」での登場。
この人は人嫌いだったり精神疾患にかかったりしている割には、クイーン・エリザベス二世石庭号のアルバムを作ったりと、何かとイギリス王室との関わりは強い印象。

ベッドの上に乗った子供達が、チューブラー・ベルズのオープニング曲に乗って移動していく様子を見て、「ホラー好きでブラック・ジョーク好きのイギリス人のことだから、これで子供の首がいっせいに360度回ったりしないだろうか」と一瞬思ってしまったが、これはイギリスが医療に貢献したことへの表現であり、不謹慎な考えを恥じた。
それでも、この後のピーターパンのネヴァーランドからメリー・ポピンズに至るファンタジーの世界へと続く序章として、この曲の中で一番幸せそうなイメージのメロディ部分がきちんと使用されているところは、とてもよかったと思う。エクソシストでの意図せぬ使用によって、この曲に悪魔的イメージがついてしまったことに、マイク・オールドフィールド自身は歓迎はしていなかったのだし。


Sex Pistols - God Save The Queen
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セレモニー中、イギリスの歴史を表現する中でも、ブリティッシュ・ロックはあらゆる場面でちりばめられていたが、懸案だったセックス・ピストルズの「God Save the Queen」は、歴史紹介の中で一瞬タイトル部分のみが流れるにとどまった。
次期としては女王が007に伴われて、パラシュートで会場入りする前のことなので、女王はこの曲を直接耳にしていないということになっているようだが。


The Jam - Going Underground
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Millie Small - My Boy Lollipop
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イギリスの歴史とは別に、イギリスのロックの歴史を紹介するセレモニーの中では、地下鉄で出会った二人の男女のドラマ仕立てのダンスパフォーマンス中で、ブリティッシュ・ロック三昧。
時系列は一応ビートルズの60年代からということになっているが、主人公が出会う地下鉄の場面では70年代後半のザ・ジャムの「Going Underground」がかかったり、70年代初頭の途中でスペシャルズが挿入されたりと、時系列はわりと適当な印象。
わりと有名どころが紹介されていたが、イギリス初のロック/ポップ音楽専門番組「レディ・ステディ・ゴー」のテーマ曲も担当したマンフレッド・マンだとか、モッズのアイドル サンディ・ショー、マンチェスターのスターともいえるザ・スミスやストーン・ローゼスなんかが欠けていたような印象を受けた。
レディ・ステディ・ゴーの映像で、ミリー・スモールなんかの映像が出ていたのは、60年代好きには嬉しい収穫だったのだが。


炎のランナー テーマ曲(ヴァンゲリス)Chariots of Fire - Vangelis
※ここにはMr.ビーンはいません。
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その後、パリ大会の陸上選手を描いたヴァンゲリスの「炎のランナー」が、ミスター・ビーン付きで演奏されたり、選手入場ではブリティッシュ・ロック・メドレーにアレンジされたさまざまな世代の楽曲が会場にあふれていた。
選手入場では、「えーと、これはなんだっけ」「これは誰だっけ」と記憶ののろいのオンパレード。曲は覚えているのに、曲名が出てこない。PVは頭に出てくるのにアーティスト名がわからない。個人的に、非常にフラストレーションを貯めつつも楽しめた。
最後の、イギリス代表選手入場でのデビッド・ボウイの「Heroes」は、入場した選手全員が「Heroes」であるということなのか、それとも英国選手こそが「Heroes」であるということなのか。その両方だと思いたいが、なんとなくかつての“英国至上主義”みたいなものが、こういうところで表現されたのかななど、勝手に思ったりしていた。

初盤のセレモニーは、英国がもともとはいくつかの国に分かれていたところから、各地の民族音楽の子供の聖歌隊の合唱から始まり、産業革命などを経て国が一つになっていく歴史が表現されていたのだが、産業革命で多くの移民が英国内に入ってきたというくだりを、各国の英国領であった国や、現在でも英国領である国はどう思ったのだろうか。
どこの国でもそうだろうが、移民の歴史にはいろいろな闇の部分も含まれる。事実、未だに英国内でも外国人排斥運動などは普通に存在している。

英国に行ってそういう歴史に詳しいわけではないからなんともいえないが、セレモニーダンサーの中には有色人種の人たちも多く見受けられたし、移民の存在あっての英国であることを認めているような印象を受けるセレモニーだったと思う。
ただ、英国のロックの歴史の中には、常にアイルランドの問題は大きく存在していることは確かで、そこのところは微妙にぼやかされていたように感じた。
各国選手の入場する中で、ひときわ長くU2が流れていたのが印象的だった。流れた曲ができれば「Sunday Bloody Sunday」であってほしかったけれど、平和の祭典には似合わないか。
せめて「Beautiful Day」だったらよかったか。それとも実際にかかっていたのは「Beautiful Day」だったろうか。U2も何がかかっていたのかはっきり覚えていない。

U2に関しては、開会式に出るのではなど噂が流れていたが、アイルランドのスターである彼等が実際オファーがきたとしても受けるかどうかは微妙だと思った。
それにしても、いつの間にかU2はアイルランドのスターであると同時に、英国のポップスターになってしまったのだなあと感じた。


Arctic Monkeys - I Bet You Look Good On The Dance Floor (2005)
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選手入場が終わり大会宣言まで、鳩のバイシクルレーサーと登場したのは、2000年以降の英国を代表するアークティック・モンキーズ。
オリジナル曲とビートルズの「Come Together」をかなり忠実に披露した。
彼等がRockin'onの表紙に登場した頃は、まだ高校生だったんだよなあ、とこのあたりはなんだか隣の子供の成長を見るような気持ち。


ポール・マッカートニー / HEY JUDE
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この後、オリンピック委員の挨拶だとか、オリンピック旗の掲揚などを経て、最後の最後で御大ポール・マッカートニー卿の登場。
ビートルズのヒット曲「ヘイ・ジュード」を熱唱するも、ステージにはショーンも、ジュリアンも、リンゴさえもいなかった(ドラムをたたいていたのは、柔道の選手かつのだ☆ひろかと思われるようなドラマーだった)。

花火でテレビ放映は終ったが、実際この後何かステージが続いたのか、それともマッカートニー卿で終ったのか、なんとなくはっきりしない幕切れであった。

それにしても、ブリティッシュ・ロックのラインナップってこんなものだっただろうか。
開会式の後で放送している、28日土曜日と29日の土曜日午後から半日かけて放送される、NHK-FMの「今日は一日“ブリティッシュ・ロック”三昧」を聞いていると、「ああ、このバンドもいなかった」「この人も聞かなかった」と思うものばかり。
暗いヒット曲しかないアニマルズはしかたないにしても、ロッド・スチュワートは完璧スルーだし、エリック・クラプトンはかかっていただろうか、ジェフ・ベックは?  ディープ・パープルは? ボウイはかかったけど、ロキシー・ミュージックは? Tレックスは? ザ・ジャム、クラッシュはありでポリスはスルー? エコー&ザ・バニーメンは小物すぎる? ハッピー・マンデーズとニュー・オーダーはかかっていたけど、マンチェの大物オアシスは? フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドはかかったのに、ニューウェイヴ勢は総スカンだったような ベッカムが007に聖火を渡すところでかかったのはパルプ?
考えればつきないから、今日明日はどっぷりFM聞いて、ブリティッシュロックにどっぷり漬かろうと思う。(ちなみに、今かかっているのはザ・ゾンビーズにキンクス。番組開始後、まだ60年代中盤から抜けない。)


追記: それにして、ローリング・ストーンズをはじめ、往年のスター・バンドは軒並み結成50周年らしい。
ほとんど人前に現れなくなったデビッド・ボウイをはじめ、体調戻れば世界ツアーに出発するストーンズ。今年来日したThe Whoのロジャーはまだまだ元気いっぱいだし。
一概に50周年といってもピンとこないが、加山雄三が去年50周年だったといえば、なんとなくそういう時代なんだなと思う。

前述したマイク・オールドフィールドのコンサートは、すでにほとんどクラシックのコンサートの様相を呈しているとも聞くし、ロックの楽曲がクラシックの技法で演奏されることも少なくない。
ロック=若者の文化など、もう今は昔の話なのだ。
エルビスに熱狂し、ビートルズに奇声をあげていた人たちもすでに80歳近くに突入している人も少なくない。ポール・マッカートニー卿だって70歳だという。

ロックスターが還暦を迎えたというので驚いていたのが、ほんのちょっと前のことだったように思うのに。



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