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◇2017年年の瀬2017年12月27日 14時27分55秒

2003年冬、つくばの自宅で。
2003年当時、つくばの自宅で。

年の瀬の大掃除には、ふだん掃除の行き届かない部屋もちょっと丁寧に掃除をする。物を整頓し、目に付いていらないものはゴミに出す。
今年は手術もしたし、寒さがことさら堪えるので、掃除はごく簡単にすることにした。

昔使っていた遠赤外線の電気ストーブをつけて掃除をしていてふと見ると、ストーブの遠赤パネルの下の方から、わたのような塊がはみ出ている。危ないので細いブラシで掻き出してみると、綿ぼこりにしては細かい毛のそれは、猫の毛のようだった。

そういえば、昔いた猫はこのストーブが大好きで、いつもストーブの足にはまって寝ていたのを思い出す。
この猫が亡くなってからも、すでに7年。
猫が亡くなって震災の影響で電気の消費を気にするようになり、次の年からわが家ではガスストーブを使うようになった。
なので、ドライヤー並みに電気を喰うこの電気ストーブは、たまにしか使わない。
すでに猫が亡くなった家も出て、4年前から新しい家で生活もしている。
それでも猫がいた痕跡は、あちこちに残っていてたまに顔を出してくる。

今年ももう残りわずか。
カレンダーの、残り少ない日にちをなくして新しいカレンダーと架け替えてしまうのにも躊躇しつつ、今年は本当にいろいろあったなあとつい感慨にふけってしまう。
そして、ぐずぐずしていると掃除が終らないのに、なんとなくブログを更新してみたりする。

こんなことはしていられないのだ。

◇猫を諦める2014年07月21日 22時02分33秒

茨城の友人Yさんの家で、子猫が三匹生まれた。
彼女の家の事情で、全部を育てるのは無理とのこと。
里親を募集していたので、もしアレルギーの検査の結果が良好だったら一匹迎えたいと申し出た。
家も自分のものになったし、前の猫が亡くなって3年。
そろそろ次の猫を飼ってもいいかなと思ったりしていた。
しかし、この3年の間、自分の体調もかなりの変化があった。
そのため、新しい猫を招いたのはいいが、新たに猫アレルギーになってしまうことが怖かったのだ。

5年ほど大人喘息の治療を受けてきたのだが、どうも喘息の症状とは違うような気がしていた。
今年の春に呼吸器科の主治医が違う病院に移動になるタイミングで、アレルギーの治療をきちんと受けたいと申し出た。
私が行っていた病院にはアレルギー科はなかったが、主治医も現在の私の体調から見るとアレルギーの治療の方が良いだろうと判断し、紹介状を書いてくれた。

アレルギーとシックハウスの専門医に検査をしてもらった結果、自分の病状をはっきりすることができた。
今ある症状が、実は喘息やアレルギーとは違う要因で発症していたこともわかった。
ただ、長年の喘息の治療もまったく無駄ではなく、数年前にあったアレルギー反応が今はほとんどなくなっており、アレルギーの症状自体は安定していることもわかった。
これらのことをはっきりすることで、長い間漠然と抱いていた不安が取り払われ、今後自分がどのように生活をするべきかも見えてきた。

ただ、猫を飼ってもいいかどうかは、自分でも判断はつかなかった。
猫のアレルギーはないが、ダニとハウスダストのアレルギーはもともと持っていた。
今は症状が良好に転じているとはいえ、今後またぶり返さないとは限らない。

おそるおそる主治医に「猫を飼ってもいいでしょうか」と聞いてみた。
主治医は「あれー」という顔をして私を見たが、「友達の家で子猫が生まれたので。以前猫を飼っていたのですが、ここ3年飼っていないので......」と続けた。
主治医は「そういうことですか」と仕方なさそうに答え、今の状態はプロセスにすぎず、今の良い状態を長く定着させるには、新しいアレルゲンを入れるべきではないと説明された。
それはそうだろう、頭ではわかっていたがやっぱりと腑に落ちてしまう。
「もう少し様子を見て、体調が安定したらもう一度考えたらどうでしょう。
今はちょっと我慢するのがいいでしょう」とやさしく諭されてしまった。

主人にこのことを話すと、新しく猫を飼うことを少し期待していたためか、ちょっとがっかりした様子だった。
そして、もともとうちの猫になるはずだったのだから、Yさんのところの猫の避妊手術の費用を一匹分援助させていただくことにした。
避妊手術の費用を里元で持つだけでも、里親探しはずっとやりやすくなるはずだからという考えからそのように申し出た。
お金のことだし、僭越な申し出かなとも思ったが、Yさんも「助かります」と申し出を受けてくれた。

アレルギーの検査をするにあたって、体調のこと、生活のことなど、様々なことがはっきりして、気持ち的にはすがすがしい。
新しい猫がうちに来る事を期待していた反面、心のどこかで猫が来たことで具合が悪くなったらどうしようという不安があった。
その不安も、今はその時期ではないとはっきりしたのだった。

◇新しい猫を飼わないもう一つのわけ2014年01月08日 04時05分07秒

うちの猫が亡くなってから、早いもので3年半の月日が経つ。
猫のいない生活にも慣れたが、正直な話猫がいないという意識がほとんどなかったような気もする。
もちろん、トイレの掃除やごはんの用意などしなくなったのだが、なんとなくずっと猫は一緒にいたような気もするのだ。

それでも、猫が亡くなったばかりのときは、新しい猫を迎えたいといつも思っていた。
猫が亡くなった次の年に震災があり、被災猫を引き取りたいと考えたりすることもあったのだが、いつも二の足を踏んでしまうのは、亡くなった猫のことを忘れてしまうのが嫌だったのが一番の理由だ。

それでも、いくつかの団体にコンタクトをとったりもしたのだが、なかなか一緒に暮したいと思える猫と出会えなかったりする。
それ以上に二の足を踏ませているのが、里親ボランティアの制度だった。
新しい猫を迎えるなら、ペットショップで売られているようなものではなく、保護された猫を引き取りたいと思っていたので、そういう活動をしている人をお世話になった獣医さんに紹介してもらったのだ。
猫が亡くなって半年くらい過ぎた頃のことだ。

事前に紹介された方の所属される団体のホームページで制度と、現在保護している猫を確認してから連絡をとると、今住んでいる住居が自分のものかどうかと、地元の人間であるかどうか、保証人になれる人がいるかどうかを聞かれた。
賃貸住宅に住んでいるが、オーナーには事前に許可をとっている旨を伝えると、それでも賃貸では難しいようなことを言ってきた。
今までも20年以上猫を飼っていたと話すと、飼いかたなどを詳しく聞かれたので、外に出さずに生活をしていたこと、引越しは多かったが転勤族ではないことなどを伝えると、今度は出身地を聞かれた。
地元の出身ではなく、この周辺には親戚もいないと話すと、なぜそんな寂しい生活をしているのかと執拗に言われる。
私たちに何かあった際の保証人が必要であるということらしかったが、保証人以前に私たちが地元の人間でないことが気に入らない様子だった。

獣医さんに紹介していただいたときに、私がマンションに住んでいること、地元の人間ではないことなどを先方に伝えてもらっていたし、長く一緒に住んだ猫を亡くしたばかりなので、自分にあった猫と出会いたいと思っていることを伝えたが、それもその人には否定されてしまった。

彼女が言うには、自分は昔からここに住んでいて、猫を保護しているので常に10匹ほど猫と生活している。
あなたは猫が好きなら、なぜ今まで一匹しか飼っていなかったのか。
今までも保護猫と会っているのなら、何故引き取るようなことをしなかったのか。
近くに親戚がいないのなら、猫好きな友人にでも保証人になってもらえばいいじゃない。
地元の人じゃないから、そういう人もいないのかしら...

地元の人間でなければだめなら、最初からそう言えばいいことだ。
地元民でないことが、まるでだめな人間であるような言い方をされ、さすがにブチ切れてしまったのだ。

猫を保護する活動をしているのは立派だと思う。
里親制度を利用する人が、猫の命を粗末にするような人に猫が渡らないよう、気を配っていることも知っていた。
保証人が必要であることも、そういう制度であるならしかたないだろう。
しかし、地元出身者でないとか、近くに親戚がいないことなど、関係があるのだろうか。
猫を引き取ることで、ある程度のプライバシーを公開することに異論はないが、選民意識を丸出しにして差別的な意識で人と接するなら、保護した全ての猫を全部自分で面倒を見ればいいだろうとさえ思った。
保証人というのも、年齢が高齢であるとか、一人暮しであるとかなら理解できるが、猫を引き取ることで親戚縁者に迷惑がかかることがあるのであれば、引き取る側も躊躇してしまうのでないか。
保護している人は、一人でも里親を増やしたいと思っているはずなのに、なぜそこまで選民されなければならなかったのか疑問が残る。

また、里親制度では引き取る側がある程度のプライバシーをボランティアの人たちに公開するのだが、その管理体制にも疑問があるのだ。
プライバシーを預けるのであれば、それだけの知識が必要だと思うのだが、その旨の質問をするとその手の知識がまったくなく、自分はパソコンなどにうといからという言い訳をされ、挙句は「なぜ、そんなにボランティアをいじめるのだ」と逆切れされてしまった。

動物保護のボランティアをしている団体や個人、全てがこんなではないのだろうと思いたい。
たまたま出会った相手が悪かったのだろうと思いたい。
だが、猫に出会う前に人と出会わなければ猫と出会えないことや、その人間の考え方に同意しなければ猫を引き取ることさえできないというのが、非常に煩わしいと思ってしまったのだ。

関東にいたら、地方出身者であることで、差別されることなどよくあることだ。
10年ここに住んでいるが、地元民というのはいったい何年から地元民になるのだろうか。
一生賃貸暮らしで近くに親戚がいなければ、地元民にはなれないのだろうか。
このような形で差別されることは我慢ならない。

まして、引き取った猫の様子を報告するために、長い付き合いになる可能性があるのだから、引き取るのであれば気持ちよく引き取りたいと思うのは、ボランティアをしている側から見るとおかしいことなのだうろか。

そんなことがあって、結局新しい猫を飼えないでいるうち、アレルギーの危険性などが出てきて、そのままになっているのだった。
アレルギーがでてしまうと、やはり責任をまっとうできないだろうから、やはりこれで良かったのかもしれないと、自分に言い聞かせたりもしているのだ。

◇猫のいない引越し2014年01月08日 03時20分05秒

 
また引越しをすることになった。
結婚して20数年で6回目。生涯で数えると14回目の引越しである。
うちは転勤族というわけではないのだが、何故だかひとつところに長くいることができない運命のようだ。

今の集合住宅は10年目に入るので、私たちにとっては比較的長くここにいる。
ここのオーナーは大変良い人で、設備が壊れれば常に最新型に変更してくれるし、2週間に一度はきちんと共有スペースの掃除をしてくれるし、ネットも高速に対応してくれるのは早かったし、いたれりつくせりだった。
ペット可物件で、それまでの内緒で飼う緊張感からも開放されていた。
ドアから出たところの景色はとても気に入っていたし、天体観測にも適したとても住みやすい住居だった。
最初は米軍の飛行機の音にうんざりもしたが、10年も住んでいると慣れてしまう(だからといって、歓迎できる騒音ではないが)。

今から25年以上前。
上京して最初に住んだアパートで、3年半前に亡くなったうちの猫は私に保護された。
しかし、当時はペット可物件など皆無だった。
最初のアパートでは、たまたま不動産屋の立会いが入ることを知らずにいて、猫が部屋にいることがバレ、追い出されるような形で更新を拒否された。

それからペット不可物件でもずっと内緒で生活し、結婚するときも一緒に嫁入りした。
引越しが多かったせいもあるが、建物にあまり執着しない猫で、引越し先でも緊張していたのはせいぜい当日で、すぐに新しい環境に慣れる猫だった。
そして、うちの猫は今の住居で23歳の天寿をまっとうした。

思えば、上京してから猫と一緒でない引越しは、最初の学生寮から独立したときと、そこから出た引越しだけ。
それ以外はずっと猫と一緒だったのだ。

私は、年齢とともにアレルギー症状が重くなりつつあり、新たに猫アレルギーが発症するのが怖くて新しい猫を迎えられないでいる。
猫のいない生活には慣れたものの、猫との生活がまったくない家に住むのはあまりにも久しぶりだ。
今の住居には、猫と生活した思い出がたくさんあるし、いざ出るとなるとあちこちに猫の姿が思い浮かんでしまう。
いつも自分がいた部屋を確認してくれと、私を誘導する夢を何度も見る。

引越しがこんなに辛く感じるのは、上京したとき以来だろうか。
押入れを整理していると、昔猫が使っていた古いクッションが何個も出てくる。
猫の姿が目の端に見えてしまうので、なんとなく荷物の整理からも逃避してしまうのは、ただの言い訳かもしれないが。

◇50日のいろいろ2010年10月13日 03時13分09秒

昨日、うちの猫が死んで50日だった。
この50日は、半分は泣き暮らしていて、半分はなんとなくぼーっとしていた。
ぼーっとしている間にも、いろいろ考えたりお出かけしたりすることもちょっとあった。
忘れるので、覚えているうちに書き留めておこうと思う。


●9月18日土曜日 B-1グランプリ厚木に行く
あまりのふさぎようだったためか、旦那がどこかへ出かけようと誘ってくれ、9月18日の土曜日に厚木で行われたB-1グランプリに出かけたりした。
B-1グランプリ厚木公式ホームページ http://b-1gp.jp/

それまでは、介護のためにゆっくりお出かけするということができなかったが、当日はお天気も良く、久しぶりの長時間のお出かけに少しだけ心が晴れた。

しかし、楽しみだったのも最初だけ。
シャトルバスの降り場と会場とが異様に遠かったり(第二会場)、ものすごく待たされたり、食べたいものが思うように食べられなかったり、投票方法に疑問をもったりで、結局は行田ゼリーフライと、黒石つゆやきそばと、浜松餃子しか食べられなかった。

開場して最初にゼリーフライと浜松餃子ののぼりを見つけ、旦那と分散して並んだおかげで、並んで一時間以内にはそれぞれにありつけたものの、浜松餃子は手際が悪すぎて時間ばかりかかり、旦那が戻ってきた頃には、楽しみにしていた一番目当ての袋井宿「たまごふわふわ」の行列は会場グラウンドの端から端までに達しており、とても並ぶ気にはなれなかった。
グランプリをとった「甲府鳥もつ煮」も三位の「八戸せんべい汁」も最初に行った第二会場にあったが、とてもじゃないけど並ぶ状況ではなかった。

一品300円前後と安価なのはいいのだが、一皿の量はどれも少ない。しかも、どのブースも長打の列で、食べるまでにお腹がすいてしまうのと、会場間がかなり遠いので、別な会場に行けなくなってしまうことのほうが残念に思ったのだ。

それでも、B-1とは別に神奈川県のご当地グルメを集めた第三会場を間に挟んで、三つに分かれた会場の三番目(第一会場)に着いた頃には案の定ぐったり疲れ果ててしまい、チケットを余す形で第一会場では何も食べずに帰路についた。余ったチケットは、期間中であれば厚木の登録商店などでの使用できたので、駅前のコージーコーナーでケーキセットを食べて使い切った。
洋服もよれよれになったせいか、かばんのストラップでよれてはだけた喉元が、真っ赤に日焼けしてしまったりした。

行きに神奈中バスの案内の人に、本当に丁寧親切にバスの案内をしていただいたことだけが、良い思い出だった。


●10月5日火曜日 映画「樺太一九四五年夏 氷雪の門」を観る
旦那が病院に行くために休みをとったので、午後から横浜のミニシアターで上映されていた、「氷雪の門」を観た。
「氷雪の門」オフィシャルサイト http://www.hyosetsu.com/

『樺太1945年夏 氷雪の門』予告編
氷雪の門 オープニングと当時の情勢

これは、36年前にロードショー封切されたものの、当時のソ連の圧力で上映が中止されてしまった作品らしい(詳細は、オフィシャルホームページのイントロダクションを参照のこと)。
撮影は当時の稚内近郊で行われたらしく、私の旦那は小学校の頃に映画館での上映を学校の行事として観て、その後感想文を書いたと言っていた。

内容的には、いろいろと深刻に考えさせられる映画だった。
この映画の内容がどこまで真実であるのか、ソ連が真実と違うとクレームを入れたところが、ソ連の侵攻シーンのほとんどであるとすれば、この映画表現はかなり行き過ぎの感もあろうが、当時この事件を知っている人からすれば、これこそが真実といえる内容なのだろうと思った。
そして真実とは、立場によって大きく異なることなのだろうと、漠然と思ったりもしたのだ。

内容とは別に横道にそれると、ロシア語を知っているとちょっと「くすっ」としてしまうシーン(決して笑える内容の場面ではないのだが)とか、稚内の景色を知っていると、「ああ、あそこはあの駅の近くだ」とか「あそこはあの沼だ」などと見知った風景の昔の姿が出てきて、そういう楽しみ方もできる映画だった。

藤田弓子の肌がやけにつやつやしていたことや、最後のシーンの若林豪のふけ顔はあまり今と変わらないなあとか、二木ひとみと若林豪のデートシーンがいきなり札幌で、いくらなんでも祝言挙げて数日で戦地へ行った旦那と、新婚旅行とはいえ戦時中に樺太から札幌まで行くのはちょっと大変ではないのかとか、それともこれは婚前旅行か? いやいや戦時中でそれはありえないだろう、など、突っ込みどころも満載であった。

しかし、映画上映中の3分の1は泣いた。あまりに泣いたので、明るくなってから、となりに座っていたご婦人と顔を見合わせてお互いの泣き顔を確認したりした。
平日の昼間だったので、来客のほとんどは50歳以上とおぼしき人たちだった。40代と思われるのは私達夫婦と一人で来ていた男性だけで、若者と呼べる人は皆無だった。
100席強しかない小さなシアターで、加齢臭漂う中、久々に面白いと思える映画を見た気がした。

帯広でも稚内でも、全国のいたるところで、短い間にこの映画は上映されていたらしい。
横浜では、10月29日まで上映延長される。
最近にはちょっとない映画なので、機会があれば見てほしい。
ちょうど尖閣諸島のことで騒いでいるときに「氷雪の門」を見たので、領土問題ということを考えたりして、みんなが観るといいと思った。
領地を無条件で取られ、それは今もって返還されるどころか、日本側から返還要求さえ出されておらず、たぶんこれから先も日本には返還されることのないだろう土地で、昔たくさんの一般の日本人が戦火で亡くなったことを知ってほしいとも思った。


●ノーベル化学賞に日本人二人受賞のニュースを聞く
産経新聞2010.10.6 18:55のニュース
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101006/acd1010061854009-n1.htm


ノーベル化学賞の話題を聞いたのはNHKのニュースだったが、物理学賞をとったイギリスの人も、化学賞の日本人二人も、ものすごく昔の業績に対しての受賞だったので、ちょっとびっくりしてしまった。
もちろん、科学の功績というのは、ある程度の社会的実績が評価されないとならないので、時間がかかるというのは理解できるのだが、30年以上の業績に対しての評価というのも、「もうちょっと前に取らせられんかったんかい」と思ってしまったのだ。

日本は科学に対しては、欧米などの諸外国から比べるとかなり劣る予算の中で、これだけの業績を残してきた。
今までも少ない予算の中から、努力してこれだけの業績を上げてきたのだが、それを政治家はまったく理解しないでいるので、役に立つ研究に十分な予算が行かないようなシステムになっているばかりか、くそゴミみたいな研究もいっしょくたになってしまっているのが現状なのだ。
長い不況の中で、一般企業も研究開発に力を入れられない現実もある。

現・独立行政法人の研究に対しては、毎年毎年研究成果の報告がなされているのだから、それらに対してお役所仕事ではなく“ちゃんと審査する”機関を設け、役に立つ研究に十分な予算がいきわたるようにしていく必要がある。
そうでないと、役に立つ研究をする研究者など育たない。
研究にお金がかかることや、研究したことの全てが役に立つものになるかどうかわからないのは当たり前のことだ。

それが、予算削減のために行われた公開仕分けの席で、「2位では何故だめなのか」という発言が飛び出してくるあたり、せめて仕分けをする団体が、何を生業にしており、何が業務として重要であるかくらいは下調べしてからその席につくのが礼儀ではないのかと、民主党の新しい行動はその内容のなさを露呈してしまったように思えたのだ。
ただの素人考えと知識で、ただ単純に予算をどんどん削ればいいって話ではないのだ(もちろん、本当に無駄なものに対しては、きちんとした精査を行った上で、どんどん統廃合や廃止を行うべきであると思う)。

しかも、その発言の主は、その発言のおかげで政治家としての知名度を上げて、現在は大臣職についているタレント議員である。
なんかそれってとんでもない、とずっと思っていたのだった。

そんな中で、化学賞を受賞した鈴木章さんが、『2位で良いは論外である』と発言したニュースには、胸がすく思いがした。
Yahooニュース 産経新聞 10月9日(土)7時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101009-00000099-san-soci


しかし、過去の人が残した業績や、「いとかわ」の奇跡のように世間受けするものばかりではなく、今の日本に何が必要でどういう人材を育てるべきなのか、そして将来日本は何をウリとして国際社会に対して商売するつもりなのかを、きちんと知ってバックアップしていかないと、そのうち中国人や韓国人、インド人に全てをかっさらわれる日がくるのも、そう遠い話ではないと思う。



というようなことを、この50日間、行動したり考えたりしていた。
50日間でこれっぽっちもしていないので、たいした活動もしていないのだが、少なくとも頭の中が介護一色だった日々は終わったのだ。

今でも、私が昼寝をしていると、起きる時間くらいに寝室にとことこやっくるような気がして泣けてくるし、心をぐっとこらえていないと話もできないのだけど、猫がいなくなった生活には徐々に慣れてきた感がある。

そのうち、いないことが普通になるのかもしれないが、いまのところ「猫を触りたい」という欲求はあっても、「別な猫を飼いたい」という欲求は出てこない。
ペットショップで猫を触らせてもらっても、雑種だったうちの猫はショップに売られている猫ほど毛がふわふわではなかったし、なんとなくどの猫もどこか違うと感じてしまうのだ。
しぐさなどは同じでも、触ると明らかに違う。
これでは、うちの猫ではないという気持ちになってしまうのだった。
「猫を飼いたい」というよりは、まだまだ「うちの猫に会いたい」と思う気持ちの方が大きいようである。

50日間での一番の功績は、旦那にほぼ毎日弁当を持たせ、保存食などを工夫し、長年高めで今年のドックでとうとう要治療にひっかかったコレステロール値を、4か月後の検査には平常値まで下げたことだろうか。
しばらくこれを維持するのに、没頭することになるだろう毎日である。

◇旅立ちのご報告2010年08月27日 01時42分14秒

我が家の猫が、8月24日午後6時過ぎに旅立ちました。
享年23歳(たぶん)。
亡くなった後も、本当にいつもと同じで寝ているようで、文字通り大往生でした。

この場をお借りして、我が家の猫が23年の間にお世話になった方々、猫介護を応援してくださった方々、このブログを読んでくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

猫との生活の中で感じたことなど、書きたいことはいっぱいありますが、今は何もいえる状況にありません。
普段の生活をすることで精一杯です。
もう少し落ち着いてから、徐々に整理していきたいと思っています。

(写真は、2009年8月16日撮影)

◇猫介護生活:寝たきり2010年08月23日 03時33分04秒

うちの猫が寝たきりになって一ヶ月が経つ。
ある日突然、歩くことも立つこともできなくなった。
つい昨日まではよろよろしつつも元気に歩いていたのに、今日はささえながら立たせようとしても立たないという感じだった。
一度すっかり立たなくなると、二度と立てなくなるようで、足のひざの関節もすっかり伸びて、曲げると痛い様子だった。

人間には「ある日突然」のことだが、実はずいぶんと前から足がしんどかったのだろうと思う。猫は痛がらないというが、うちの猫は痛いときには痛いと意思表示をする猫だった。
でも、足の痛みに関しては普通にしていたので、もしかしたらずっと無理をしていたのかもしれない。

歩かなくなってからは、自分で食事ができなくなったので、強制給餌をすることにした。
市販の猫パウチ(シニア用のできるだけ高齢猫用の一般食)をすり鉢ですって、水を加えてどろどろにしたものを、スポイトで口に入れる。
介護食のようなものの方がいいのか獣医さんに相談したが、病院の介護食が嫌いなうちの猫には、好きなものを食べさせた方がいいという理由から、市販の餌を与えている。

うちの猫は3年ほど腎臓と肝臓の数値が良くなかったのに、ここ2年ほど数値が安定してきて、ほとんど問題ない数値にまで下がった。
毎週一回点滴に通い、毎日処方されたリバオールとウルデナシンを半錠づつと、ネフガード一錠と、ビオフェルミン(人用)を一錠づつ飲ませていた。
しかし、大変な病院嫌いで点滴に通うのがストレスになり、あまりに嫌がるので点滴をやめたところ、21歳にして数値が劇的に良くなったのだった。
もちろん、それまでの治療の効果あってのことだと思うが、必要のないストレスを与えて無理に長生きするよりは、すでに20歳を超えていのだし、ストレスは最低限にして快適に過ごせた方がいいだろうという判断から投薬と通院を辞めたのだった(もちろん、獣医さんと相談の上で)。

ピジョン「スポイトくすりのみ」

ピジョン「スポイトくすりのみ」
先が長いので切って使用。


スポイトは、普通のシリンダ、カテーテル用のシリンダ、スプーンなどいろいろと試したが、ピジョンの「子供用スポイトくすりのみ」が、必要以上に口の中にスポイトの口が入らないようストッパーもついていて非常に使いよく、現在は口先を少し切って短くして使っている。
口先を短くした理由は、口先がシリンダのように硬くなく、ふにゃふにゃのやわらかい樹脂でできているので、猫が犬歯で噛んで穴が開いてしまい、食べ物が吸い込めなくなったためだった。
樹脂部分は老猫が噛んだ程度では、すぐにちぎれることはない。子供が安全なように作られているためか、その点非常によくできていると思う。

ピジョン「はじめてのフィーディングスプーン」
ピジョン「食べるnoおうえん はじめてのフィーディングスプーン」
先が平べったいものは、強制給餌の際に非常に重宝した。


スプーンも新生児用のものを使っている。
最初は、コンビニなどでくれるプラスチックのスプーンを使っていたのだが、歯がまだ丈夫なので、下手をすると噛み切ってしまい危ない。
こちらも、ピジョンの「フィーディングスプーン」を使っている。
丸っこいのと平べったいのと2本セットなのだが、平べったいのはスプーンで給餌するときには、ストッパーのようなものがついているので必要以上に口に入らないので危なくない。
また樹脂はやわらかいので、犬歯が刺さってもすぐにちぎれることはなく、穴が開いてもふさがってしまうので、スプーンから食べ物がもれることはない。

おむつは近所のドラッグストアでしょっちゅうセールをしているという理由から、花王のメリーズの新生児用のものに、しっぽ穴をそのつど開けて使用している。
前にも書いたが、当初はペット用のおむつを購入していた。しかし、値段的にものすごい差があり、手間でも新生児用のものの方が得なのだ。
ペット用のものは、安くても30枚で1700円以上するので、一枚57円以上する。
しかし、新生児用のおむつは88枚で1280円で購入している。一枚14.5円だ。毎日4~5枚以上使用するので、この差は大きい。新生児用のおむつの高いものではパンパースがそうだが、それでも一枚18円弱である。

新生児用のおむつで大丈夫なのかと最初は心配だったが、やってみるとペット用のおむつよりも機能的で、吸収体もペット用よりしっかりしているのがよかった。
今回メリーズが売り切れていたので、ちょっと高いけどパンパースを購入してみたところ、その薄さに感動。腰周りもだんだんと細くなってきて、メリーズだとちょっとぶかぶかだったのが、パンパースはうちの猫にはちょうどいい感じだった。

しかし、はさみで手作業でしっぽ穴を開けるので、そこから高分子吸収体がぱらぱらと出てきてしまい、おしりの周りにくっついてつまってしまう。
また、床にぱらぱらと落ちたものや、作業をする私の手にもついてしまい、目に入ってしまい大変な思いをしたことが何回かあった。これが猫の目に入らないよう気をつけないといけない。

しっぽ穴は、サージカルテープなどで切り口をふさいで使用している。
サージカルテープはいろいろ試したが、紙のものよりはプラスチックの透明のものの方が使いやすかった。紙はしっぽ穴からおしっこがもれた時に溶けてしまうからだ。
12mmくらいのが一般的だが、少し高いが幅広いものの方がたてにも裂けるので、好きな幅に変えられて具合が良い。

それにしても、ペット用のおむつを出すくらいなら、人間用のおむつと共用できるグッズを作ってくれた方がよっぽどいいと思ってしまう。
一発でしっぽ穴が開いて、切り口もふさがってくれるものがあるといいのにと思う。
タイかどこかで、庭に高分子吸収体が落ちているのに気づかず、雨が降って飽和状態になったものが巨大なタピオカ状態で発見され、「UFOの落し物」などと話題になったと聞いた。
高分子吸収体は乾いた状態だと本当に小さいので、この扱いだけが難儀である。

今は目もあまり見えず、耳も良く聞こえていない様子。
寝ているときもまぶたが閉まらず、ずっと目を開けているので、目が乾いて目やにがべたべたになってしまう。
炎症を起こしているわけではなさそうなので、防腐剤の入っていない使いきりの目薬を一日に数回点眼する。

ずっと空を見つめて、ときおり私たちの顔を見て何か言いたげにしているが、寝たきりになってからは声を出すこともしなくなってしまった。
ときおり口をぱくぱくして、ご飯か水がほしいことをアピールする。
先日、血尿が出て病院に行った際、止血剤と抗生物質を注射したとき、「ぎゃっ」と言ったのが久しぶりの声だった。
あんなにおしゃべり好きで表情豊かだったのに、今はいつも空を見つめて、時折おしっこをするときだけ足をばたつかせるだけの姿を見ているのは、非常に切ない。

この状態が長く続くのも、飼い主としては精神的にも状況的にも辛い。
夫婦ともども実家が遠いので、この状態で帰省を余儀なくされると非常に困る。
今の状態では、負担が大きすぎて誰にも介護を変わってもらえないだろう。
かかりつけの獣医でも、たぶん断られるだろうと思うし、獣医は深夜無人になるのでちょっと心配なのだ。
そういう意味でも、精神的な負担と苦痛はかなり大きい。
ここまでずっと一緒に生活してきた家族であることはかわりないので、最期までできる限りお世話したいという気持ちに変わりはないのだが、あまりにも辛そうな姿に早く楽になってほしいと思ったり(こう思うこと自体、自分の都合のいいように考えてしまっているのだろうかと、苦悩することもある)、今日も無事に過ごせたと安堵したりと複雑である。

※2014年3月28日改訂。投稿日時は当時のまま。
※2015年7月6日改訂。投稿日時は当時のまま。

◇猫介護生活:食事の仕方に翻弄される2010年06月27日 06時47分30秒

今年の夏で23歳になる我が家の猫だが、おむつを余儀なくされ、満足に歩くこともできないときもあるのに、自分の欲求を強く感じるときだけは、颯爽と走ったりする。
さっきまではよぼよぼと立てないそぶりを見せていたのに、ご飯を見るや足がすばやく動き出すらしい。
目も耳も遠くなって、近くまでいかないと呼んでも気づかないというのに、けっこう遠くにいてもご飯のパウチを見せるだけで飛んでくる。
食欲は大変旺盛で、お腹のすいた時間になって食事の用意ができていないと、私のところに来て食事がほしいとアピールすることも忘れない。
欲求というのは、本当に生きるために必要なものなのだと痛感する。

猫の介護をされている飼い主さんのブログなどを拝見すると、食事が自分でできないために、強制給餌をしているというのを見かける。
その理由はいろいろのようだ。

我が家の猫は、舌が自由に動かないらしく、昔は鼻の頭に練り薬をつけたりすると、舌でぺろぺろとそれをなめてしまったのだが、最近は食事中でも水を飲むときでも、舌が口から出ているのを見ない。
舌が溶けてなくなってしまっているのではないかと、口をこじ開けて見るとちゃんとある。
しかし、昔のように舌を出して鼻の頭をなめることさえできないくらい、舌の自由は失われているようだ。

舌で食べ物を口に運ぶことができないので、食事はかじりつくように食べることになる。皿の上にレトルトパウチのご飯を盛り上げて、そこに口をもっていき、がぶりと食べやすいようにしてあげるのだ。
食欲だけは満点なので、がぶりがぶりとやるうちに、上半身が皿からぶれて皿のふちを噛んでいたりする。猫は、食べ物でないものをかじっていることには気づかない。
やわらかいプラスチック製の皿やスプーンは、たちまち傷だらけにされ、割れてしまう。
下手をすると、プラスチックのかけらが口に入ってしまうので要注意だ。

便秘予防のために、毎日夜にビオフェルミン(人間用)を一錠飲むのだが、食事の後に投薬しようと仰向けに抱えて口元を見ると、下唇がぱっくり割れている。ちょうど、下のはぐきが歯からはがれて、口をあけているかのような傷口だ。
口内炎のようで痛いはずなのに、本人はけろっとしている。傷口をさわっても、痛がる様子もない。
すでに痛みの感覚もにぶってしまったのだろうかと思うと、涙が止まらなくなる。

自分で食べられるうちは自分で食べるようにしたいと考え、できるだけ強制給餌はしないようにするつもりであるが、近い将来必ずくるであろうその時のために、準備だけはしておこうと思う。

今朝、朝ごはんをあげたところ、口の痛みもそこそこにいつも以上にがっついて食べる姿に、少しだけ安堵する。
口が痛くて食べられない状況になると、危険だと思っていたからだ。

しかし、昨日から少し元気がなく、ずっと自分のベッドにもぐって食事の時間になっても起きてこないので、状況は安心できるものではないようだ。
食べさせれば食べるが、今までのように自分からほしがるということをしなくなってしまったのだ。

がつがつと食べる姿を見ていて、途中から口に含むばかりで飲み込んでいないことに気づく。
水の入った皿に口を移して水を口に含んでうがいをさせるのだが、口から大量にご飯が出てくるも、それ以上に口に入ってどうにもできなくなってしまっている様子。
シリンダで水を口に含ませても、水が全部出てきてしまう。

口の中をこじ開けて、少しずつ口の中の食べ物をかき出すが、下手をすると指をかじられてしまうで要注意である(今までに何度となく穴があいた)。
下唇も傷がついているので、これ以上傷を広げないようにもしなければいけない。

いろいろ考えて、割り箸を口の横方向から突っ込んで、反対側に出して、口を開けたまま固定しようと考えた。
すると、予想以上に食べ物は口いっぱいだったらしく、割り箸を突っ込むと半分以上の食べ物が口から出てきて、残りは無事に飲み込むことができたようだ。
水の皿に口を持っていくと、つたないながらも水を飲むことができたので一安心だ。

ふと、人間の老人が餅を喉に詰まらせて死亡するというニュースを思い出して、また涙が出てきてしまう。

◇猫介護生活:おむつカバー2010年06月09日 04時48分31秒

後ろから見たところ
おむつカバー装着後姿。

猫がおもらしをするようになり、紙おむつを使用するようになったのだが、なかなか猫用に作られた紙おむつというのは見当たらなく、ペット用の紙おむつはほとんどが犬用に作られている。
布おむつも検討したのだが、装着するときにじっとしていてくれないので手間がかかり、その間に第二弾が床の上にということもしばしばなので、紙おむつを使用している。

ユニチャームのペット用紙おむつは犬猫兼用とされてはいるが、うちの猫にはあまり具合がよくなく、足の方から横漏れしたり、しっぽ穴からうんちやおしっこが漏れてくる。
現在は、人間の新生児用の紙おむつにはさみで穴を開けて使用している。ペット用よりも吸収帯が腰まで長くあり、足の動きもペット用よりも自由度が高く、ギャザーの具合も良い。
吸収帯もペット用よりしっかりしていて、一晩おいても毛がさらさらなのには、最初感動してしまった。
しかし、これでもまったく漏れないということではないのだ。

寝ているときは、猫ベッドの中に吸水シートをしいて防水するようにしているのでまだいいのだが、起きて部屋を徘徊している間に排尿した場合、量が多いと床にそのまま漏れてしまい、おむつの意味がまるでなくなってしまう。
いろいろ考えておむつカバーを探してみたりしたが、これまた犬用ばかりで猫用のはなかなかない。
あっても上半身までサポートするようなタイプで、関節が湾曲しているうちの猫には、ちょっと負担が多くなってしまうような気がするのだ。
それでなくても、おむつの締め具合によっては股関節を圧迫して動きを阻害してしまい、後ろ足がほとんど動かなくなってしまうこともある。
後ろ足が動かないときは前足だけで動いているのだが、そのときに必要以上に身体をかがめたりするため、上半身で固定するタイプは負担が大きいような気がした(試してないのではっきりしたことはいえないのだが)。

そこで、おむつカバーを検討。
全体をカバーしなくても、漏れの部分のみ吸収してカバーしてくれればいいと考えた。
当初は、子供用のカバーパンツと腹巻が一体になったようなものがいい思ったが、なかなかぴったりくるようなものには出会えなかった。
子供用の衣服など、他人様の出産祝いに購入するくらいしか見ないので、実際にどんなものが存在しているのかさえわからない。
現在子育て真っ最中の、帯広のKさんに相談して子供の衣服のことについて聞いてみたところ、それは最初から作った方が無難ではないかとのアドバイス。
大人用のトレーナーでズボンを作ったなどの経験談を聞いて、別な友人が子供のズボンを大人用の靴下で作ったという話を思い出し、調べてみたら意外に簡単に作れることが判明した。ウールソーカーというおむつカバーらしい。
これにしっぽ穴をつけたらいいのではないかと考えた。

作り方
おしっこ漏れをしたときの吸収性を重視し、冬用のマイクロファイバーの靴下を採用。
季節商品なので今はあまり見かけないが、寒い時期は100円ショップにもあるし、ホームセンターで3足500円くらいで売っている。
今回は試作ということで、私の3年もののピンクの靴下をおろして作成。
製作時間2時間弱。もともと不器用ということもあるのだが、生地がもこもこしているので、ミシンの糸の具合が難しかった。

人間の子供用だと、靴下の底の部分を開いて縫い合わせるだけでいいのだが、猫用だとしっぽ穴が必要になる。
そのまま穴をくりぬいてもいいのだが、着脱を考慮して背中側は縫わずに留めるようにする。
靴下を一度全て開き、お腹側は縫い合わせて、背中側はまたのところまで縫い合わせた。
全て開いたのは、当初足を少し細く縮め、裾をゴムで締めようと思ったのだが、そのままでも足を伝っておしっこが漏れることはなさそうなので、切りっぱなしにした。
この場合は、靴下の足首より上の部分は切らないでもよかったかもしれない。
背中の部分も切りっぱなしで、腰の部分でななめに合わせるように大きなベロクロテープをつけた。ななめに合わせることで、自然とお尻に穴ができるので、しっぽ穴を開ける必要もないし、おしっこを確認するときにもいちいち全部脱がせなくてもいいので楽である。
ただ、背中側をななめにすることで、またのところに穴があいてしまったので、切り落とした靴下の先っぽを丸く切って補強した。

洗うと切り口がぼそぼそになるが、特にほつれてくることもないので現在もそのまま使用している。
洗濯は、今のところこれひとつなので、毎回手洗いしている。

新生児用の紙おむつにしてからはダダ漏れということは少なくなったので、現在は私がちょっと外出してこまめに面倒を見られないときに装着。
オムツカバーが漏れたおしっこを吸ってくれるので、帰宅したときに床におしっこ地雷があることもなくなった。

ただ、婦人用24cmの靴下だとちょっと腰のところが心もとないので、次に作るときはくるぶし丈の紳士用の靴下にしようと、主人の夏用の3足1000円の26cmの靴下を一足もらうことにした。
今度の素材は、夏でも蒸れないさらさら素材。
マイクロファイバーよりは吸水性が期待できないと思うが、蒸れないというのは夏場は重要だと考え採用。
果たしてどんな使い心地か。うちの猫が気に入ってくれるといいのだが。

※2010年6月9日17時頃改定しました。

◇猫介護生活2010年06月06日 00時17分04秒

まだバランスがとれていた頃の食事。
 
今日、なじみのパン屋に久しぶりに買い物に行ったら、「なんか疲れた顔してますけど、大丈夫ですか?」と言われてしまった。

ここ一ヶ月、我が家の猫の具合が悪い。
先日、昔の記録が出てきて、うちの猫は1987年の夏生まれであることがはっきりした。
これまで「だいたい22歳」だったのが、はっきりと「今年の夏で23歳」であることが判ったわけである。
猫の23歳といえば、人間でいうと108歳らしい。

これまで病気も怪我もなくすごしてきたのだが、去年くらいから足の関節が少し曲がってきており、かかりつけの獣医は「猫の関節湾曲症はめずらしいから」と言っていたのだが、どうもその関節湾曲症らしい。
鼻も目も耳も悪いようで、水を飲むときに水面の位置がわからず、顔を突っ込んでおぼれかける。
名前を呼ぶと反応していたのも、近くまで行かないと気がつかないこともしばしば。
しかし、それくらいなら歳だからと笑っていられたのだが、ここ一ヶ月くらいは笑っていられる状況でなくなりつつある。

今年に入ってから食事をとるときにバランスをくずすようになり、足を体の下に入れた状態での猫すわりが現在では完全にできなくなった。
トイレも行ったときには出ないで、あらぬところで粗相をする回数が増え、とうとうトイレで排泄することができなくなった。
食事は前足の負担を軽くするために専用のテーブルと椅子をあてがい、トイレはオムツを余儀なくされている。

今年の春ころまでは、それでも今までとおり生活していたのだが、連休すぎくらいから食事の量がこれまでの3倍量食べるようになった。
今までは朝と夜に一回づつレトルトパックを与え、途中は自由に食べられるようにドライフードを用意していたのが、ドライフードはまったく食べられなくなり、その代わりにほぼ3時間おきの食事を要求するようになった。
食事も、食べ物がうまく口に入らないので、勢いばかりが先にたってテーブル前ででんぐり返ってしまうため、食事の間中ずっと体をささえていなければならない。
うまく後ろ足でバランスをとれることもあるのだが、でんぐり返って水の容器をひっくり返して水浸しになることもあるので、ずっと見張っていなければならない。
食事の量が少なくなると、スプーンで山を作って食べやすくしてやったり、口に入れるのをサポートしてあげたりもする。

食事のたびに顔中にペットフードの油が付着し、胸のあたりまで汚れてしまうため、濡れタオルで拭いてあげるのだが、油までは完全にとりきれず、それが毛穴に詰まって外皮ごと毛が抜けてしまい、今では胸元から顔にかけてほとんど毛がなくなってしまった。

水もひとりでは十分に飲めないので、脱水を防ぐためにスポイトで毎回水を飲ませる。
今では自分で飲むよりも確実なせいか、喜んでスポイトで水を飲んでいる。

水分も十分に吸収がうまくいっていないためか尿の量が多く、ペット用のオムツでは一回量で飽和してしまう。
そのため、オムツをしているのに部屋中におしっこコロニーができていて、外出から戻ったときには地雷を踏む思いでコロニーを探すことになる。
また、家中におしっこのにおいがこもってしまい、いい臭い取りを探したりもした。
オムツ自体には慣れたようだが、おしりが濡れるのは気持ち悪いせいか、排泄したときには報告にくるようになった。

徘徊もあり、これは人間に比べれば家の中のことなのでずっと楽だとは思うのだが、具合が悪いときのようにいつも暗いところに行こうとするので、目を離すとタンスとふすまの間に挟まって動けなくなっていたり、テレビ台の下で開きになっていたりすることもしばしばで、新しく開拓された隙間を発見するのは、ちょっと骨が折れる作業だったりする。
先日は、家の中で泣きながら三時間も捜索しなければならなかった。

子供を育てた経験のない私は、ふと「子育てってこんな感じなのかしら」と思うのだが、子育てなら子供の成長が楽しみなのにうちの猫はそうではない。
どんどんと弱っていく姿を見ながら、近い将来に確実に来るであろうその日が今日か明日かと思いながら介護している。
しかも、猫の時間は人間の4倍。三ヶ月に一つ歳を取る計算なので、今年の春からは確実に一つ歳をとっていることになる。

野生の状態や野良であれば、ひとりでご飯を食べられない状態は確実に死につながる。
そんな中で、これまでの3倍量の食事を要求するということは、体がそれだけ食べないと維持できない状態であるということだろう。人から食事を与えられることで、他の猫よりもずっと長生きできることを、うちの猫は知っているのではないかと思うこともある。
年寄りが突然大食らいになったとか、転びやすくなったとか、失禁だとか、徘徊だとか、うちの猫を見ているとそれはそのまま人間の老いをハイスピードで見ているような気持ちにもなって、とても切ない。

先日、危篤かと思われる状態になったが、ご飯を水でといたものをスポイトで食べさせ、病院で栄養剤を打ってもらったときには「三日続けて栄養点滴して、だめなようなら諦めるとき」と言われたのだが、一回の注射でほぼ回復し、次の日注射を受けにいった獣医師を驚かせた(うちの猫はこの獣医師が嫌いで、この獣医師による再三の危篤勧告に反発するように復帰を遂げている)。
うちの猫の「ぎりぎりまで生きてやる」という根性には、本当に脱帽する思いであり23年生活を共にしてきた飼い主としては感謝したい気持ちであり、時には励まされることもある。
しかし、それでもこれまでよりは確実に弱ってきているのを実感する。

今年の夏で23歳。
介護が必要になり、今が一番飼い主との意思の疎通があるのではないかと思う。
人間の言っていることは確実に理解しているとはっきり感じるし、時には念を送ってきているような気がすることがある。
電話などで他人に「うちの猫ももう歳だから」などと話すのを聞いて、抗議してくるのは歳をとっても女心か。
猫が100歳になると、しっぽが二つにわかれて猫又になるというが、それは猫の年齢のことでなのか人の年齢でのことなのか。

しかし、猫介護に精神的にもかなり疲れ気味なのも事実で、パン屋のおやじ(年下)はもうちょっと遠慮というものを知らないといけないと思う今日この頃である。



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