Copyright & 2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
 無断転載を禁ず
Google
WWW を検索 げきだんしらかば を検索


◇白い地下2006年05月30日 17時56分11秒

白い地下の看板イメージ。暗闇にうかぶ「黒いネクタイの娘」
暗闇に浮かぶ白い地下の看板イメージ。こんな感じでなかったかなあ。


帯広の駅がまだ北側の方がにぎやかで、大通りと西五条に弧線橋があった頃。
駅から線路沿いに大通りの弧線橋下に向かう道の途中に、こつぜんとモジリアニの「黒いネクタイの娘」の看板がある店があった。

あのあたりは他に店もなく、閑散とした通りだったので、暗闇にいきなりモジリアニ独特の黒目の女性の決して明るくない絵があると、非常にびっくりした。

店の入口を覗いてみると、階段だけが地下に伸び、階下に赤い電球が不気味にともっている
階段を下りた先がトイレで、赤い電球はその電灯なのだ。
トイレを中心に左右に分かれて、店が向かい合っていた、その左手が「白い地下」だった。

1985年当時、白い地下の向いは「狸穴」という名前の店だったが、その入口は木材で閉じられていた。
そこの店主が店で首吊り自殺をして、そのまま閉鎖されているという噂があったが、真偽は定かではない。

「ロシアパプ」と銘打った白い地下は、お通しに湿気った「かっぱえびせん」が出てくる。
店主のOさんは「うっと」というため息とも独り言ともつかない声と共に、テーブルにかっぱえびせんの入った容器を置いていく。

メニューはカクテルを中心に、“ウオトカ”などが数種置かれている。
ここのビーフストロガノフは意外においしかった。

薄暗い店内は湿気ったかびのにおいがちょっとしており、天井や壁には、ところ狭しと古い映画のポスターが貼られている。
看板の「黒いネクタイの娘」とロシアとはまったく無関係らしく、店主の趣味らしい。

劇団白樺のメンバーと通ううちに、店主のOさんとも懇意になり、映画が好きで自主制作映画も撮っていた人らしい。

劇団白樺のメンバーがちりぢりになり行かなくなってしまったが、私も帯広を離れてから一度だけ帰省した折に行ってみた。
でも、Oさんは私たちのことは覚えていない様子だった。

帯広駅前の再開発で、いつのまにかなくなってしまったようだが、今でもあの少しかびくさい匂いが懐かしく思う。

◇Docco Inn / Pico2006年05月30日 17時41分18秒

帯広の広小路に、細い階段を上る「Docco Inn」という喫茶店が昔あった。
1980年代当時の高校生に人気の店だったが、制服での喫煙や飲酒が店員に容認されているとして、学校では出入禁止指定の店だった。

姉妹店にはかじのビルの中にある「Pico」という店があり、80年代的西海岸風のイメージのあったそちらの店の方が、どちらかというといい男もそろっており、女子高校生に人気があった。
「Docco Inn」はカウンターだけの狭い店で、男性客の方が目立っていたように思う。

当時の帯広は、バンドをやってる人や「まち」の店で働く人と懇意になるのが、一種のステイタスのようなところがあり、学校で禁止されている店の常連になるということも、流行に貪欲だった帯広人の心をくすぐっていたように思う。

ゆであげスパゲティなど一般的でない時代。
DoccoやPicoの人気メニューは、ゆでて保存してあるスパゲティを、さまざまなソースで炒めて作るスパゲティだった。
納豆ののったジャポネや中華風の味付けのものなど、ナポリタン、ミートソースが一般的だった喫茶店のメニューとしては、なんとなくおしゃれ感をくすぐる何かがあったように思う(今思うととんでもないが)。

PicoよりはカウンターだけのDoccoの方が常連になる確率も高く、親友のMと共に高校時代~卒業して1年くらいまで通った。

◇西二条通りの廉売 マルヒロセンター2006年05月30日 17時30分39秒

帯広の西二条にある、かじのビルとその隣のビルの間だったと記憶する(不確か(^^;))。

ビルとビルとの間の、人が二人も並べばきついくらいの幅のスペースに、廉売 マルヒロセンターはあった。
昔からあるお店が多く、年配向けのおしゃれグッズが売られていた。

しかし、時は80年代半ば。蛍光色が流行したその年、それまで年より向けだったシースルーの蛍光色スカーフが人気で、廉売で一枚80円くらいで売られていたので、よく廉売に通った。
そのほかにも、アナクロキッチュなアイテムが多く、「なんでこんなものに若いものは…」と廉売のおばちゃん達は思っていたに違いない。
ものすごくくだらないものに、愛着を感じる時代だった。

帯広の「まち」が「街」でなくなりつつある昨今、西二条には足を向けなくなってしまったが、かじのビルはまだ健在と聞く。

廉売もまだあるのだろうか…。

◇かじのビル2006年05月30日 17時25分10秒

帯広の西二条に、かじのビルという古い古いビルがある。
1980年当時で古かったのだから、今はもっともっと古いのだろう。

一階は、魚などを販売する市場のようなスペースで、とうてい 高校生が足を運ぶような場所ではないように見える。

しかし1980年当時、二階は一階とはまったく異なる世界であった。
二階にあがると、西二条の本通り側にPicoという女子高生に人気の喫茶店があった。
その隣は、45rpmというブランドブティック。
1980年代は国内ブランド全盛の頃で、45rpmはその中でも一風変わったデザインが人気だった。
当時戸川純やYMOなどが好きな人たちの御用達だった。

Picoと45rpmの向かい側、ビルの奥の方には、スウェット(だったと思う)という、雑貨の店があり、店主の趣味をうかがわせるキッチュな雑貨が綺麗に陳列されてあった。

そのフロアの一角には、なぜか毛筆や柿の葉茶などを売る、しぶい店があり、場違いな雰囲気を漂わせていたが、ここの面相筆はとても品物がよく、当時イラストを描くのが趣味だった私は、ひそかに注目する店だった。

市場のような一階とおしゃれな二階の格差がはげしく、異質な空間だったが、しょっちゅう通っていた記憶がある。

◇スケアクロウ2006年05月30日 16時59分57秒

1985年のことだと記憶する。

北海道帯広市西二条南8丁目に、「スケアクロウ」という喫茶店があった。
Y姉弟がやとわれ店長として働くその店は、当時飲食業界がピークにあった帯広の「まち」の中でも、異色な存在であったように思う。

料理も、タイムの香りがきいたカレシンカファというチャーハン(Y姉の当時の話によると、アフリカ料理との説明があったような記憶があるが、真偽の程は定かではない)やドライカレーなど、田舎町の帯広ではめずらしいメニューがあり、他の飲食店とは一線をおいていたように思う。カレー風ドリアの様相を呈したドライカレーは絶品だった。

流行の音楽が常に流れ、店員と客はいつも面白いものを探していた。

店自体は1年半ほどでなくなってしまったが、強烈な印象をもって記憶に残っている。



Copyright ©2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
無断転載を禁ず