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◇NHK歴史秘話ヒストリア「トルコ軍艦エルトゥールル号」とムスタファ・ケマル・アタテュルク像のその後2010年10月30日 04時16分35秒

NHK総合10月27日の歴史秘話ヒストリアは、明治時代に紀伊半島沖で沈没したトルコの軍艦エルトゥールル号の話題だった。
エピソード1 エルトゥールル号の遭難と、その乗組員を助けた当時の大島村(現在の和歌山県串本町樫野)の物語。
エピソード2 日本国内のエルトゥールル号への義援金に関する物語。
エピソード3 その当時、単独でイスタンブールへ渡った日本人 山田寅次郎の物語。

昨年、トルコの建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクの像が、日本の新潟柏崎市で野ざらしになっている事実を知り(柏崎市では、ビニールにくるんで“保管”していたと言っている)、その像をきちんとした形に戻す署名運動の記事を書いた。
署名の結果、トルコ大使館の協力も得て、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの像が、明治時代に紀伊半島沖で沈没したトルコの軍艦エルトゥールル号ゆかりの地である、和歌山県串本町に移設されることが決定し、大変嬉しく思った。
像の除幕式も今年の6月に無事すみ、トルコと日本の友好120周年の記念の式となったようだ。

◇旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル・アタテュルク像の現在 ― 2009年05月25日
◇トルコ建国の父、アタチュルク銅像 新潟から和歌山・串本に移設へ ― 2009年12月21日

そこでも書いたが、トルコという国は大変な親日国で、私たちがイスタンブールへ行ったときにも、私たちが日本人であることを知ると、日本語が話せても話せなくてもとても親切にされることが多かったし、日本語が話せるトルコ人は日本人がいかにすばらしいかを聞かせてくれた。
誰もが「日本人は暖かくて親切だ」と言っていた。
「何故?」と質問すると、「昔、日本人はトルコ人を助けてくれた」というのだった。

エルトゥールル号のことは、トルコの小学校では普通に勉強するらしい。
トルコの近代化を促進し、建国の父とも謂われたムスタファ・ケマル・アタテュルクは、明治政府をお手本にして近代化を進めたという話もあるくらい、トルコでは日本という国がとても近しい国であるらしい。
しかし、日本人はトルコのことなどほとんど知らないし、世界三大料理のひとつがトルコ料理であることを知っている人も多くないのが現実である。

今年は、トルコと日本の友好120周年にあたる年だ。
このエルトゥールル号の事件のことを、NHKの番組で取り上げたのはそういう意図もあったのか、非常に簡潔にトルコと日本のエピソードを紹介しており、私もあまり詳しく知っていたわけではないエルトゥールル号の事件のことを知ることができ、大変興味深く、内容によっては涙を誘った。
また、暖かい美談の裏で、日本とトルコの国際社会に対しての思惑が右往左往していたことや、当時一攫千金を夢見てトルコに渡った日本人青年の野望など、揺れ動く当時の日本社会を垣間見ることができて面白かった。

しかし、番組中では今年が友好120周年にあたる年であることは、まったく触れずにいたのが残念だった。
NHKもせっかく紹介するのだから、そういう記念の年であることくらいはちらっとでもいいから触れてもらいたいものだと思ってしまった。

NHK総合 歴史秘話ヒストリア「第54回 わしらの海でトルコ軍艦が沈んだ! 」
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/index.html


再放送
BS2 11月3日(水)08:15~08:58
総合  11月5日(金)2:00~2:43(※木曜深夜)


■追記
ムスタファ・ケマル・アタテュルク像の除幕式に際して、

旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル像を当事者間の裁判から切り離し、問題の早期解決を求める要望書

「旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル像を当事者間の裁判から切り離し、問題の早期解決を求める要望書」の成果報告

もともと像のあった新潟県柏崎市の柏崎トルコ友好協会の「日本トルコ友好120周年『エルトゥールル号』遭難慰霊祭参加報告」

移設に尽力した日本財団の除幕式開催のニュース

新潟県柏崎市の市議会議員・三井田孝欧氏のブログ「納豆人生、まっしぐら」の中の柏崎市長が串本町アタトュルク像除幕式に参加したことを告げる記事

以上のリンクをブックマークの意味も含めて紹介する。

政治的な意味合いは私には無関係だが、見方によってはいろいろとあるのだなあ、と今回改めて確認して思った次第。
一番上の署名に至る経緯から順に見ていくと、柏崎市の保守派議員が市長が像の除幕式に参加することについての見方など、当事者によってこうも見方が違うのかと興味深い。
ちなみに、柏崎トルコ友好協会のページでは、ムスタファ・ケマル・アタテュルク像の除幕式についての記事はなく、あくまでエルトゥールル号慰霊祭に招待された際の記事に、アタトュルク像についての感想の記述があるだけである。

興味のある方は、黄色のラインの先をご覧ください。

◇トルコ建国の父、アタチュルク銅像 新潟から和歌山・串本に移設へ2009年12月21日 00時20分02秒

今年の5月に、トルコと日本の友好の印として寄贈された、トルコ建国の父“ムスタファ・ケマル・アタテュルク”の像が、新潟県で野ざらしになっているということを知り、なんともいたましい気持ちになった。

◇旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル・アタテュルク像の現在
― 2009年05月25日 20時31分14秒

私自身2007年にトルコに行って大変楽しく過ごすことができ、また親切にしてもらったことで、このブログでもアタテュルクの像を救う手助けが少しでもできるのならと、署名運動のブログパーツを貼ることにしたのだった。

ここ数日、ちょっとばたばたしていてブログを更新できなかったのだが、18日金曜日の夜に、携帯ニュースを見ていて

「トルコ建国の父、アタチュルク銅像 新潟から和歌山・串本に移設へ」
12月18日22時3分配信 (産経新聞)

という記事を発見したのだった。
ニュースの内容には、ネット上で署名活動が行われていることにも触れ、来年のトルコ日本友好120周年に間に合う形で、トルコと日本の友好のきっかけとなった「エルトゥールル号事件」の和歌山県串本町に移設されることが決まったとのこと。

結局は訴訟問題なんやかんやで頓挫しかかったところを、トルコ大使館が要請したことで一件落着した感もあり、日本だけでこの問題を解決できなかったことは悔やまれるところなのかもしれないが、とりあえず落ち着くところも決まり、アタテュルク像もその雄姿を公開することができるのだから、喜ばしいことだ。
集まった署名は7740件弱。目標の一万人には満たなかったが、この署名活動が移転の決断のきっかけにもなったとの話で、関係者は本当に喜んでいることだろうと思う。
署名活動関係者の方々、本当にお疲れ様でした。

目的を達成し署名活動も終了とのことで、ここのブログパーツもはずしました。
署名活動の詳細は、下記リンクを参照してください。

◇旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル・アタテュルク像の現在2009年05月25日 20時31分14秒

2年前にトルコに行って以来、トルコ大好きになってしまった。
私の長々としたトルコ旅行記も、未だにたくさんの方が閲覧に来てくださり、日本の中のトルコへの興味も多少は高くなっているのだろうかと思ったりする。

トルコに行って一番感じたのは、トルコの人たちは非常に日本を好きで、日本にある種特別な感情を持っているということだった。それは、明治23年におきた「エルトゥールル号遭難事件」に起因するらしいが、詳しくは下記のリンク等で確認してほしい。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルトゥールル号遭難事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

しかし、日本人はそのトルコの純粋な友好を踏みにじるような行為を行っている事実を知った。
トルコが友好の印として、新潟県柏崎市にあった『柏崎トルコ文化村』に、トルコ人の最も尊敬する人物の一人である、トルコ初代大統領のアタテュルク像を寄贈した。
しかし、施設の売却に伴い像そのものも売却の対象にしてしまい、そのことについてのトルコ大使館からの呼びかけも無視。その後中越地震の影響で、像は台座から外され野ざらしにされているということらしい。
自分たちが最も尊敬する人物の像を粗末に扱われれば、長く親日国で知られるトルコで、反日感情が起きているというのもうなずける。

トルコの人の多くが、日本人はトルコ人にとても親切にしてくれたから、自分たちは日本人が大好きなのだ、と言ってくれる。それは、明治23年に起きた事件の中であった日本人の心が、今もトルコの人たちに息づいているという証明なのだろう。
それなのに、友好の印に寄贈されたものを粗末に扱うというのは、友好の気持ちを踏みにじっているにほかならないばかりか、今まで培われてきたトルコの日本人に対する気持ちさえも踏みにじる行為であるのではないか。
それに、トルコが親日国であるかどうか以前に、国際社会にあるグローバル化を目指す日本の「国」として、そして「人」としてどうなのかとさえ思ってしまう。
たとえ自分の直接の先祖がしたことでなくても、他国の人に親切にした日本人が過去にいて、そしてその心がその国に今も根付いているというのは、日本人として誇りに思うべきものだと思うし、先人のその気持ちや行為は忘れてはいけないものであると思う。そして、それが真のグローバル化の一歩なのではないかとさえ思うのだ。

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この記事を知ったとき、自分も旅行をしてトルコの人たちに受けた親切の恩返しを、バナーを貼ることで少しでも返せるならと思ったので、署名に協力したいと考えました。

この事柄に少しでも関心を寄せてくれた方は、左の「署名にご協力ください」のバナーの 「旧トルコ文化村内のムスタファ・ケマル像を当事者間の裁判から切り離し、...」の文字をクリックして、事件の全容を確認してください。そして、賛同いただける方は是非署名してください。


●ムスタファ・ケマル・アタテュルク像が野ざらしになっている詳細
http://www19.atwiki.jp/torco

●署名の詳細
http://www.shomei.tv/project-932.html#detail

◇帰国してから2007年09月22日 00時21分04秒

おおよそ三ヶ月にわたって、トルコの旅行記ばかり書いてきたが、この間に何もなかったわけではない。他にも書くネタはけっこうあったのだが、書く気がおきなかったのだ。
最初は「ちょっと旅行に行った感想などを書いておこうかなあ」くらいだったのが、旦那が「どうせ書くならきちんと書くように」と言ったので、ほとんど覚書のようになってしまった。読む人のことを度外視して、自分と旦那のためにだけ書いたのだが、書き終えると非常に満足したことも確かだ。

帰国してからは、しばらく身体の中にあったトルコの気配がぬけなかった。イスタンブールにいたときは、毎日顔を合わす通りで会う人や、なじみの店の人に気軽に手を振って挨拶していたので、こちらに戻ってきてからも気を抜くと顔見知り程度の人に気軽に手を振りそうになってしまって困ることもあった。
外に食事に行ったりコンビニで食べ物を買うときも、非常に味気ない感覚がしばらくあった。日本は非常に味気ない国なんだなと思ってしばらく暮らしたが、一ヶ月もするとそれが普通に戻ってしまった。
普段家で仕事をしていて、意識して外に出ない限りはほとんど人と話すこともない毎日を送っているので特にそう思うのだろうが、それほどトルコは強烈な印象として私の中に残ったのだ。

トルコは正教分離政策をとって今の政治体制になるときに、日本を国のお手本としたらしい。明治時代の話らしいが、日本という国の人との触れ合いや、親切心など、そういった古い日本の習慣をトルコの人は「美しい」と思ったらしい。
今こういった「美しい日本」はだんだんと希薄になってきている。「美しい国」を理念としてぶちあげた首相は、身体を酷使し鬱になって職務を放棄してしまった。日本を年輩の人達が知っている「美しい国」に戻すのは、並大抵のことではないのだろうと思う。

個人的には、トルコから戻ってトルコのトマトの味とチェリージュースの味とアイランの味が忘れられず、ネットでトルコの食材輸入販売をしているところから購入したりしたが、トマトペーストの缶詰はその後肉のハナマサでネットの半額近い価格で販売されているのを見て、愕然としたり嬉しかったりした。チェリージュースもネットで購入したが、一本の価格が安すぎて送料の方が高くなってしまい頻繁に購入できないのがネックだったりする。
アイランは、日本で購入したトルコ料理の本にレシピが載っていて、ちょっと自分でアレンジして作って愛飲している。おかげで便秘しらずで体調も良い。キルギスから留学してきている友人がお盆に家に遊びにきたときに、「キルギスでもアイランあるよ」というのでふるまったところ、「本物に近い味」とお墨付きをもらって嬉しくなった。
ロシア語教室の友達とギリシア料理の店を見つけたので行ってみると、味付けはトルコのものよりはだいぶ薄味だがほとんどトルコ料理と同じメニューなので、頻繁に通っている。

同じホテルにいたドイツ在住のE夫妻が、奥様のMさんのお父様の一周忌でこちらの帰国されていると連絡があり、この夏その方々との再会もあったりして嬉しく思った。

次にいついけるのかは判らないが、またきっとあの青い空のある街に行きたいと毎日思ってしまう。

◇トルコ旅行記 〜6月7日から8日 帰りの飛行機〜2007年09月18日 23時12分47秒

トルキッシュエアーの主翼。

■アタチュルク国際空港、再び


空港へのバスの中には女性が一人いた。聞くと彼女はお医者さんで、医師学会のためイスタンブールに来たとのこと。どこかに観光に行ったか聞くと、「少しは見ることができた。昨日は学会のみんなでベリーダンスを見に行き、その中の一人のお医者さんが王様に指名されて大変だった」と教えてくれた。

空港に着くと、セフギさんが「機内に持ち込みするカバンにつけてください」と赤い帯を手渡す。さっそく荷物を預けるカウンターに行く。
セフギさんはカウンターの人とは顔見知りのようで、異常にテンションが高い。荷物を計測するときに、はかりの上に乗って「荷物が重すぎる」と冗談を言ったりしていた。
私たちの荷物は3つあったが、どれもぎりぎりセーフ。そのうちの一つは19.4kgだった。女医さんの荷物が少し重量オーバーで少し中身を出さなければならずそれでも少しオーバーしてしまうが、大目に見てもらうようセフギさんが交渉するとあっさりOKの返事。結構大雑把だなあと思うが、これもトルコだからなのかもと思ったりする。

セフギさんにお礼を言ってゲートの中に入り、女医さんともそこでお別れした。フライト時間は18時なので、まだまだ時間は十分ある。
ゲートの中は綺麗で、たくさんのお店がある。軽い食事をするところも多くスターバックスなどもある。どこかでお茶でも飲もうと思いメニューを見るが、イスタンブールの街中と比べると非常に値段が高く、5倍近くするものもある。ばかばかしいので免税店を冷やかしたりするが、こちらもお土産物は値段がバカ高い。
免税店は色々な国籍の人がいるようだったが、ここでも目についたのは日本人。ユーロで価格表示してあるのをドルと間違えて計算ができずレジの店員に財布の中身を確認されている人や、執拗に値切る人などがいたりしてびっくりしてしまう。私たちは結局イスタンブールで買い逃したオリーブオイルと、旦那が会社の人へのお土産が足りないと言い出してロクムをいくつか購入する。ロクムはどこよりも高かった。
化粧品のコーナーへ行くとロクシタンがあり、免税店スペシャルでハンドクリームがものすごく安かったので購入したが、自宅へ戻ってよく見るとそれはフットクリームだった。
機内用に水を購入したら、イスタンブール市内で0.5YTLだった500mlのペットボトルが25YTLしてびっくり。日本ではゲートを通るときに水の持込を禁止されていたので買わずに行ったのだが、アタチュルク国際空港では何も言われなかったので、事前に購入していけばよかったと後悔した。


■金属探知機で止められる

日本行きの乗り場に変更があったので早めに乗り場に行くと、ほどなくして機内への案内が始まった。アタチュルク国際空港では機内に入る直前に金属探知機に入るのだが、ここで私は足止めをくらってしまった。何度探知機を通っても探知音が鳴ってしまうのだ。手持ちの小物は全て別にX線に通してもらっていたし、ベルトしていない。ヘアピンを取ってもまだだめで係員が身体チェックをしようとしたときに、私の口元を見て「OK」と言った。どうやら歯列矯正の金具がひっかかったらしい。歯医者の説明では「ヨーロッパでも矯正金具でひっかかった例はないよ」と言っていたのだが、テロの脅威が現実的なトルコではかなりきびしかったのか。帰国して歯科医にそのことを話すと、びっくりしていた。



機内から見た夕焼けの河。カスピ海に流れるボルガ河かウラル河らしい。北海道の石狩川のように蛇行しており、果てしなく続く大地に勇壮に流れていたのが感動的だった。

■帰りの機内食


飛行機は定時に離陸し、今度は二人がけの席でちょっと嬉しく思う。
ほどなくして飲み物が運ばれてきた。イスタンブールで気に入ったチェリージュースも飲み収めかと、チェリージュースを注文する。行きの飛行機では躊躇していたのが嘘のようだ。
ちょっとしてすぐに食事になる。帰りの便もJALのコードシェア便なのは一緒だが、帰りはトルコからの便なので食事はトルコ寄りだった。メニューはチキンとパスタの二種類。私はチキンを旦那はパスタを注文し、飲み物は赤白それぞれのワインを注文した。



 

帰り最初の機内食のチキン。
左は上がデザートの蒸しパン風のお菓子、その下がにんじんときゅうりとオリーブのサラダ。中央上がクラッカー、バター、パック詰めの水、その下がパン、中央一番下がメインのチキンのグリルでミックスベジタブルとコロッケがつけあわせについている。右上は赤ワイン「ヤクト」、その下はトマトとズッキーニのサラダ。
 
帰り最初の機内食のパスタ。ペンネのホワイトソース。ワインは白ワイン「チャンカヤ」。
     
 

帰り二度目の機内食(食べかけ)。
左上がナッツとドライフルーツの入ったヨーグルト。その下がプロセスチーズと白チーズとオリーブの盛り合わせ。その横がパン。中央上がバター、チェリージャム。右上がパック詰めの水。中央下がメインのミートパイ。

 
食事に豚が使用されていないことを示すカード


食事が終った後のトイレラッシュの前に、トイレに歯磨きをしに行こうと通路側に座っていた旦那によけるように頼んだときのことだ。席を立った旦那の椅子に何故か食事のときにあったパック詰めの水が置かれていて、移動するときよろけて旦那の席に座り込んだときにそのパックをふんでしまったのだ。パックが椅子の上で破損し、椅子も私のスカートもびしょびしょになってしまった。急いで客席乗務員を呼び、トイレからペーパータオルを大量に持ってきて水を拭いていたが、椅子のクッションは水を含んでびしょびしょになってしまっている。客席乗務員にその旨説明すると、毛布のパッケージのビニール袋(トルキッシュエアでは、毛布がひとつひとつビニールでくるまれている)をそこにしき、上に毛布をひいてそこに座るようにしてくれた。席を替えてもらいたかったが、生憎満席で移動する席はなかったのだ。しばらくはそれでしのげたが着陸する時まではもたず、飛行機を降りる頃には旦那のズボンも濡れてしまった。
しばらくして8時すぎに機内は暗くなった。飛行機はカザフスタンあたりの上空を飛んでいるらしく、夕焼けの大地がはっきりと窓から確認でき、何もないところに沈む太陽が大変美しい。途中激しく蛇行する河が見えてきて、果てしなく続く大地に消えていくのが感動した。

就寝時間になりすっかり機内の電気が消された頃、後のおばさん達がずっと話しこんでいる。一人が「話しているとうるさいんじゃない?」と言うが、もう一人が「みんなもう寝ちゃってるから大丈夫」などと言っている。あまりにうるさいので後を向いて口の前に指をたてて静かにするようにお願いすると、「うるさいってさ」と言って二人は寝てしまった。

次の日の朝はいつも通り飲み物が供され、食事はミートパイだった。飛行機は定刻に成田空港に到着した。



カザフスタンの大地に沈む夕陽。

■別室に呼ばれる


成田空港に到着し荷物を待っていると、荷物のうちの二つはすぐに出てきたがあとの一つがなかなか出てこず不安に思う。結局最後の方で出てきたのだが、ゲートを出るときにパスポートの提示を求められ、最後に出てきた荷物について執拗に質問される。「ちょっとこちらに来ていただけますか」と係員が数名いる部屋に連れていかれた。
「これ犬が反応してるんですよね」と言われ、マジックマッシュルームなどの持ち込み禁止品目の写真などを見せられ、カバンの中のものを全て出し一つ一つ裏返しにしながらチェックされる。「トルコはどこに行きましたか?」と質問されたので「イスタンブールだけです」と答える。
やましいものは何もないので特にあわてることもなく、かえって初めてのことでちょっと面白がりつつ普通にしていると、荷物をチェックしても別に不審な点は発見されず「大変申し訳ありませんでした」と帰された。

帰りの成田エクスプレスの中から見える風景が、なんだかとても違和感があり「帰ってきた」という安心感よりもここがイスタンブールでないことが不思議に思われたりした。
帰宅しさっそく飼猫を病院に迎えにいって足を見ると、むくんでばんばんに腫れている。この腫れと湿疹ががしばらく取れず、この夏中悩まされたのだった。




飛行機の中で撮った足。エコノミー症候群でむくみと湿疹がひどい。


終わり

◇トルコ旅行記 〜6月7日 最終日〜2007年09月14日 12時43分16秒

ホテルのバルコニーから見た景色。この日の朝は激しい雨模様で、海が煙っている。

■イスタンブール最後の朝

旦那はいつものように朝7時15分頃に起床するが、前日遅くまで遊んでいた私はまだ眠く8時前に起床する。
食堂へ降りていくと、客の顔ぶれがいつもと違う。いつもは西洋人のお客が多いのだが、この日はインド人の家族が食事をしていた。毎朝食堂で会うスタッフと前の日の夜に「明日食堂で会いましょう」と約束していたのだが、結局この日の朝に会うことはなかった。
食事を終えてチャイとコーヒーを飲んでいると、E夫妻がきたので朝の挨拶をする。前日に教えてもらった食堂を探して歩いたことを告げると、さんざん歩き回ったギュルハーネ駅付近ではなく、グランドバザールのあるチェンベルリタシュ駅前だということが判ってがっくりくる。E夫妻にはイスタンブール高校近くにあるカザフスタンスタイルのトルコ料理屋「BUHARA」を教えてあげたのだが、彼らは偶然歩いていてそこを発見し「ホムス」を堪能したと言っていた。
奥さんのMさんが「オスマンさんのお店の場所がわからない」と言うので、午前中に挨拶に行くときに一緒に行こうということにし、10時にロビーで待ち合わせをすることにした。

トルコに来る前に「トルコのシャンプーとリンスはあまり質が良くない」という話を聞いていたので、シャンプーとコンディショナーは普段使用しているものを持参していったのだが、この日は前日に詰めてしまっていたのでない。来るとき空港でJTBの人がシャンプーとリンスの試供品をくれたのでそれを使うことにする。くれたときは「やっぱりトルコのシャンプーはあまり良くないのだな」とか「それにしても、行く前にこんなものをもらっても」と思っていたのだが、思いがけず役にたった。

10時前にロビーに降りてチェックアウトをする。ピックアップまでには時間があるので荷物を預かってもらうことにし、ロビーでE夫妻が来るまでチャイで時間をつぶすことにした。フロントの人は初めて見る顔でいつものスタッフとは違いちょっとがっかりする。チャイのお金を払おうとしたら、「フリーでいい」と言ってくれた。

10時ちょっとすぎにE夫妻が降りて来たので、一緒にオスマンさんのところに行く。外はざんざん降りの雨。
オスマンさんのところに行き、絨毯屋のお店の中で色々な話をして過ごす。別れを惜しみつつ、きっとまた再会しようと約束をしてメールアドレスを交換してお昼頃みんなと別れた。ざんざん降りだった雨は、お店を出るころにはやんでいた。


■ポストを教えてもらう

トルコリラは日本に持って帰っても円に換金できないのと聞いていたが、財布の中にはリラもドルもほとんどない。毎日豪勢に食事をしていたので、すっからかんになってしまったのだ。これからお金をおろすのもばからしいので、財布にあるお金で食べられるものとケバブと飲み物だけですますことにし、スルタンアフメット駅の近くにあるケバブのファーストフードの店で食事をすることにする。
お店に行くと若い店員が店の前で白いエプロンをつけて挨拶をしてきたが、エプロンが裏返しになっていて胸に刺繍されている文字が逆になっている。指摘して笑うと異様に気にしていて、私たちが食事をしている間中「エプロンが汚れているので、裏返しにしている」といって裏を見せたりしていた。旦那は「あんなに笑うから気にしている」と言っていたが、私にはおどけているようにしか見えなかった。
旦那はチキンケバブ、私は羊のドネルケバブを注文し飲み物はアイランにする。
注文するときにカウンターにいたイケメンで身体を鍛えている感じの背の高い若い男性が何か英語で話しかけてきたが、何を言っているのかわからないので「ぱーどん?」と聞き返すが結局わからない。お店のおやじさんが英語で「どこから来た?」と聞くので「日本だ」と答えると、カウンターの男性はびっくりした顔をして私を見る。「さっき私に同じ質問をした?」と聞くと「そうだ」と言うので「ごめんなさい。聞き取れなかった。私は英語が得意でないの」と言うとお店の人がみんなで笑っていた。
こうした雰囲気も食事ももう最後かと思うと寂しい。


 

アヤソフィア側の噴水のある公園のそばにあるポスト。トルコ国内向けと国際郵便の差出口が分かれている。
 
ポストのそばにある簡易郵便局。ここで切手などが購入できる。


食事を終えて外に出ると、カウンターにいた男性が「かわいい人、これからどこに行く?」と日本語で聞いてきたので、「ポストを探している」と言うと親切に教えてくれる。来た時に出そうと思っていた絵葉書をまだ出していなかったのだ。ポストの場所はアヤソフィアとブルーモスクの間の公園のわきにあり、切手もそこで買えると丁寧に説明してくれていると、通りかかった中年のトルコ人男性が、自分が近くまで行くので案内すると言ってくれる。最初は客引きだと思ったが身なりは粗末だけどきちんとしているのでそうではないと思った。客引きの多くは若くてラフな身なりの人が多いからだ。
「イスタンブールに来てどれくらいだ?」と聞かれたので「一週間ほどだ。今日帰る」と言うと、「イスタンブールは気に入ったか?」と聞くので「ものすごく気に入った」と答えると嬉しそうにしていた。そして、「自分はつい最近までドイツにいた」と言っていた。ドイツ在住のE夫妻が、ドイツはトルコからの出稼ぎ移民が多いと言っていたことを思い出し、この人もそういううちの一人なのだろうと思った。
アヤソフィアの交差点まで来て、「あの公園のわきにポストがある。自分はこちら(ギュルハーネ方面)に行くのでここでさようなら」と言われ、丁寧にお礼を言って握手をして別れた。道を聞いた位置からだとケバブ屋の男性の説明でほとんど理解できたのだが、本当にトルコの人は親切だと思う。無事絵葉書をポストに投函すると、ポストの二つあるうちの国際郵便用のところにへたくそな漢字で「国際」と書かれているのを見てなんだかがっくりきてしまった。


 

アヤソフィア前のポストカード屋。
 
屋根瓦の上で休む猫。
     
 

ホテルの隣の建物の窓に見えた金属製のサモワール。

 
羽を休める海鳥。
 


空港案内人のセフギさんが来るまでにはまだ時間がある。公園でタバコを吸って休んでいると、細身でイケメンの客引きが観光客に話しかけて失敗しているのが見えた。彼に遭遇するのはこれで4度目。すでに顔見知りである。ベンチに座っている私たちに気づいたので手をふると、嬉しそうにこちらにやってきた。タバコを吸っている私を見て、日本語で「タバコは良くない。僕はタバコ嫌いだ」と文句を言う。「日本に帰ると外でタバコは吸えないし、空港からもずっと我慢しなければならないから吸い収めだ」と言うと、「タバコは身体に良くないよ」とぶつぶつ言う。「もうこれで最後だよ」と言うと「最後なら絨毯屋に来てよ」と商売しだすので、「もうかばんに荷物を詰めたし、後一時間で空港に行かなければならないから行かない」と言うと、むっとした顔をして行ってしまった。最後なんだから挨拶くらいしていけばいいのにと思い、ちょっと残念に思った。

セフギさんがホテルに来るのは2時の予定。どこかに行くには時間がなさすぎなので、少し早いが13時15分頃ホテルに戻ることにする。
チャイ頼むと「フリーだ」と言ってアップルティーを持ってきてくれた。ホテルの奥にあるテーブルで外の景色を眺めつつ「ああもう帰るのだな」と寂しく思う。
外では、屋根瓦の上で猫が寝ている。鳥が羽を休めているのも見える。ホテルの隣の建物の窓には、金属製のサモワールが見える。きっとまたここに戻ってきたいと思っているうちに、少し早めにセフギさんが騒々しくホテルに飛び込んできた。

ここのホテルの着いて最初に荷物を運んでくれたバーのスタッフが荷物を車まで運んでくれ、丁寧にお別れの挨拶をする。いよいよイスタンブールとお別れだ。

つづく

◇トルコ旅行記 〜6月6日 イスタンブール最後の夜〜2007年09月11日 13時33分00秒


最後の日の夜にホテルのバルコニーから撮影したボスポラス海峡の風景。この風景ともこの日でお別れ。曇り空でイスタンブールの町の灯りが雲に反射している。

■古いトルコ文字書きのおじさん

客引きと別れると、アヤソフィアの前の交差点の角にトルコの古い文字で名前をカリグラフで書いてくれるというおじさんがいた。E夫妻が「ブルーモスクの前にいたんだけど、昨日は見かけなくて残念だった」とその日の朝に言っていた人だ。最後の日だし、イスタンブールの記念に一枚書いてもらうことにする。値段を聞くと、綺麗な縁が印刷された大きな紙で15YTL、小さいので10YTLだというので、父の名前と私たち二人の名前と二種類注文する。空は曇り空でいまにも雨が降り出しそう。
書いている間にそういう文字はいつ覚えたのかなど旦那が質問すると、「自分のお父さんがこの文字を書くプロで、自分も幼い頃から覚えさせられた。自分は元は警官で、数年前に退職して今はこの文字をデザインする仕事をしている。この文字は古いトルコで使われていて今は使われていないが、こういう文字を書くプロがトルコには何人かいて、文字のデザインはその人ごとに違う」というようなことを話してくれた。カリグラフのペンの入れ方などにコツがあるらしく、そのあたりは習字に近いものを感じた。書いているうちに雨が降り出してきて、出来上がったものをグレーの書類袋に入れてくれたが、質問したことに気を良くしたのか袋にもサービスに「イスタンブール」と書いてくれた。
そのうちに「自分の友達がこの近くで店をやっているので寄っていかないか」と言い出し、友達を呼んでしまう。すぐにやってきた友達というおじさんは、流暢な英語で「すぐにそこで土産物屋をやっているのでお茶でも飲んでいかないか」と誘うが、「すでにカバンに荷物を詰めてしまったから、いい」と断る。何度か断ると諦めたらしく、文字書きのおじさんと四人で写真を撮ろうということになり記念撮影と相成った。



古いトルコ語文字で書かれた「イスタンブール」。よく見ると日付が一ヶ月間違っている。



■イスタンブール最後の夕食後のデザート

夕食は入ったことのない店にしようと思いスルタンアフメットのトラムヴァイ通りを歩くが、目新しい店はない様子。あまりお金もないので、高級そうな店には入れない。疲れてしまい、結局通りにテーブルを出しているロカンタで食べることにする。店に入ると外の通りのテーブルに案内されてしまう。車の通りが多いし人も行き交っているので店内で食べたかったのだが、イスタンブールの街を見るのも一興だと思い、そのままそこで食事をすることにした。

最後の夜なのでビールを注文する。トルコのビールは濃厚だが味は軽めで美味しいので、すっかり私たちのお気に入りだが、飲みすぎると次の日に響くので二人で一本シェアする。店内のショーケースを見て、たまごとズッキーニの焼いたのと、ひよこまめ、トマト味のピラウ、なすのグリルを注文する。この旅行ですっかりケバブ漬けになっていたが、最後の日は肉は注文しなかった。
ずっと食事の写真を撮っていたのに、気が付いたときには食べ散らかしていて、最後の夜なのに食事の写真を撮らなかったのが残念。

食事の後に、同じ通りにある「O:ZSU:T(:の直前の文字がウムラウト)というお菓子屋に入る。ここはスルタンアフメットに来たときから目をつけていて、ショーケースにいつも美味しそうなケーキがたくさんおいてあるお菓子屋だ。スルタンアフメット地区では珍しくしゃれた明るい店内で大変そそられていたが、値段が高めなのと食事の後に重いケーキ類を食べると胃もたれがするので、特に旦那がいい顔をしていなかったのだ。「新市街でアイスクリームを食べられなかったから、最後にお菓子を食べたい」と訴え、そこに行くことにする。お店は通りの角にあり、店の外に小さなテーブルが二つあってイートインもできる。
店に入りショーケースに並べられたたくさんのお菓子を見て目移りするが、ビールを飲んでいたのであまり甘くないものにすることにする。見ると、巨大な磯辺巻のようなお菓子があり、「これは何か」と店員に聞くと「カザンディビ」との返事。「カザフスタンのお菓子か」と聞くとそうではないと言う。よくよく見ると海苔に見えていたのはこげのようで、どうやら焼きプリンのようだ。あまりに決めかねているのでテイクアウト用のメニューをくれたので見ると、「Kazandibi」と書いてある。見ると二種類あるが、どこがどう違うのかわからない。とりあえずショーケースにある「カザンディビ」を指差し、コーヒーとセットで注文する。お皿に盛られたカザンディビは、10cm四方もある巨大な餅のようだった。
胃もたれするとか言っていた旦那はチョコレートケーキが好きなのだが、食事が終わった直後だというのに「チョコレートバナナエクレア」を注文する。チョコレートだけでも胃もたれしそうだが、その上にバナナ?。しかもこのエクレアは15cmくらいの長さがあり、太さも7cmはあろうかというでかいものだった。
値段はカザンディビが4YTL(約372円)、チョコレートバナナエクレアが4.5YTL(約420円)、コーヒーがひとつ3.5YTLだった。

カザンディビは焼きライスプディングという感じで、トルコのお菓子にしては甘さが控えめで美味しい。それでも、巨大なそれを食後に食べるのは大変なことだった。旦那のチョコレートバナナエクレアは、想像していた通りに甘い甘いチョコレートと甘い甘いバナナがマッチして大変に甘い。エクレアのシュー皮の間にバナナがはさんであるのだが、そこにチョコレートクリームが大量にはさまっており、シュー皮の上にもチョコレートがコーティングされている。しかもその上から更にこれでもかとチョコレートソースがかけられているのだ。おやつに食べるにはよさそうだが、普段デザートを食べる習慣のない私達にはかなりヘヴィな食べ物だと思う。食べ終わった後「胃が苦しい…」と苦しむ旦那を見て、「自業自得」という言葉が頭をよぎったのは言うまでもない。



 

スルタンアフメットにあるお菓子専門店「ÖZSÜT」。
 
手前が焼きプリン「カザンディビ」、向こうがチョコレートバナナエクレア。

■ホテルでの最後の夜

ホテルに戻ってゆっくりしたいのはやまやまだったが、荷物をカバンに詰め込む作業が待っていた。イスタンブールの空港は、カバン一つにつき20kgという制限がある。人によって「一人20kg」と言う人もいたがそれは間違いらしい。しかし、チャイポットやチャイのグラスセットなどのカサのあるものやキリムや缶詰など重い荷物も多いので、できるだけ分散して詰め込まなければならない。
一番最初にパソコンを厳重に固定してしまいたかったので、ロビーに行ってその日撮影した写真をメモリに移す作業をしにいくと、いつもの夜のスタッフと珍しく昼間担当のバーのスタッフがそこにいた。写真をメモリに移し終え、スタッフそれぞれに「あなたたちのおかげで楽しかった。私たちは明日帰ります」というと、「みんな君のことが好きだったよ」と握手してくれた。「今度はいつイスタンブールに来る?」と聞かれたので、「さあ、近くて5年後くらいかなあ」と答えると「それは長すぎるね」と残念そうにしていた。そして「夜みんなここにいるので、後で話においで」と誘われた。

部屋に戻り、結局荷物を詰め込む作業は夜中の1時くらいまでかかってしまった。オスマンさんがキリムを買ったときにくれたカバンのおかげで、予備で持っていったカバンを使わずにすんだ。
荷物の詰め込みが終ると旦那は即効で眠ってしまい、私はロビーに下りていってスタッフと最後に話しをすることにしたのだった。

ロビーに再び行くと、お茶をごちそうになりいろいろな話をした。
「トルコの人は日本人が好きだけど、それはどうして?」と聞くと、「日本人は心が温かいじゃないか」と言う。だけど、私にしてみればトルコの人達の方がずっと心が温かいと思う。「日本人の心が温かかったら、トルコ人の心は燃えてるみたいだ」と言うと、ひどくうけたみたいでずっと笑っていた。
「アクセサリーを買いたかったが、ピアスの穴がないのに驚かれた」と言うと、「トルコでは女性はみんなピアスを空けている」とのこと。「私は母が空けてはいけないというので、未だに空けられない」と言うと、やっぱり驚かれてしまった。「男の人は空けないのか」と聞くと、「男で空けるは最近の若い奴かホモだけだ」と言う。トルコでもやはりホムセクシャルの人は方耳ピアスがお約束なのだそうだ。イスラムの世界でもホモセクシャルがいるということにも驚いたが、イスタンブールでは結構多いらしい。「最近の若いやつは信じられないよ…」と言うが、そういう彼は28歳なのだった。「28歳で年寄りみたいだ。私の友だちはあなたと同じ年の子供がいるよ(しかし、その友だちは53歳であることは言わない
)」と言うと、「日本人は若く見える。君だって18歳にしか見えない」と言うので「こないだは15歳だと言っていたじゃないか」と突っ込むと気まずい顔をしていた。
その他、彼らの仕事のことなど色々と話したが、食事と住居が提供されるホテルでの仕事はトルコでは良い仕事の一つなのだろうけど、その内容は結構大変そうだ。夜のスタッフは「夕方5時から朝9時まで働いて、仕事が終った後は付き合いで職場のサッカーチームの練習に参加しなければならない」とこぼしていた。これは大ボスの命令なので断れないのだそうだ。

トルコ職場状況は決していいものではないように思う。年若い子供が夜遅くまで働いているのは普通に見かけるし、就職事情もよくなく失業率も高いらしいので、仕事があるだけましということなのだと思うが、上下関係が厳しく上司の部下に対する態度も「こんなことが許されるのだ」と見ていて驚くほど横柄で過酷だったりするように感じる。日本だったら、ぶち切れてその場で辞めてしまう若者の方がずっと多いんだろうなと思ったりする。
街で会う客引きにしても、あれだけ語学が堪能なら別な仕事を希望してもいいくらいだと日本人の感覚だと思うのだが、イスタンブールの街で外国人を相手にするにはいくつかの国の言語を話せるのは普通のことのようだ。しかも外国語を勉強するためにお金を出してくれる絨毯屋の主人には、やはり逆らえないのだろう。だからこそ、トルコ人は過酷な労働条件から逃れる手立てとして、外国の女性との恋愛を熱望しているのかもしれないと、ちょっと思ってしまった。
スタッフの一人は実は22歳で、働きながら大学に行っているのだという。私は28歳の彼と同じくらいに見えたので驚いたが、後で22歳の彼が寝てしまってから「やつは大学に行くハイソサエティだからな」とぼそっと言っていたのが印象的だった。

結局3時頃まで話し込み、部屋へ戻ったらすぐに眠ってしまった。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月6日 地下宮殿に行く〜2007年09月06日 22時56分29秒

スルタンアフメットで見かけた、頭にパンを乗せて運ぶ人。

■地下宮殿

グランドバザールを出た頃はすでにくたくたに疲れきっており、ちょっと小腹が空いていたがそのままスルタンアフメットに戻ることにする。時間はすでに4時をまわっていたが、数日前から行こうと思っていて行かなかった地下宮殿に行きたかったのだ。
イスタンブールで行きたかったけどこの時点でまだ行っていない場所は、地下宮殿の他に新市街のタクシム広場周辺やガラタ塔、アジア側。違う地区に行くには時間がなさすぎだが、地下宮殿はスルタンアフメット地区にあるし、次の日の午後には帰国なので、どうしても見ておきたかった。

気を取り直して地下宮殿近くまで行くが、やはり少し疲れていて公園のベンチで少し休むことにする。町はすでに夕食の支度が始まっており、目の前を頭にパンを大量に乗せて手ぶらで歩く男性がいたりして、道行く人を眺めているだけで面白い。
しばらく眺めていたかったが、地下宮殿の閉館の時間に間に合わなくなるので、重い腰を上げる。




地下宮殿内部。写真は夜景モードで撮影したので明るく写っているが、実際はもっと暗い。


地下宮殿の入口はちょっとした列ができていて、外国人観光客でいっぱいだった。入場料は一人10YTL(約930円)。料金を払い、狭い階段を下りるとひんやりとした暗く広い空間が広がっている。中は間接照明がされていて、いくつかの通路で区切られた水の張られたプールがあり、その中を緑色の魚が泳いでいたりする。ここは昔は貯水湖だったらしい。通路の先には無数の柱とドーム型の天井が続く。ここがフランスの考古学者に発見されるまでは誰もここにこのような宮殿があるとは知らず、ここの上に家を建てて水を汲んだり魚を釣ったりして普通に生活していたらしい。

観光客の多くはこの暗闇の中でフラッシュをたいて撮影していたが、この旅行のために新しく購入したFUJIFILMのFINEPIX F31fdは夜間や暗闇での撮影でも綺麗に高速に撮影できる優れものだ。今までもFINEPIXを使っていてそれなりに気に入っていたが、擬似一眼レフ仕様なので筐体がやたらでかく、持ち運ぶのが大変だったのだ。また、スイッチを入れてからのインターバルが長く、夜景モードでの撮影も時間がかかっていた。新しいF31fdはその点が改良されていて、この旅行には満足できるものだった。特に、ここの地下宮殿のような暗闇が魅力の場所では、フラッシュをたいて撮影しても綺麗に撮影することなどできない。フラッシュ撮影している人を横目にノーフラッシュで撮影していると、後で通りすがりの西洋人が液晶ファインダーを覗き込んで「すごいな」とぼそっと言って去っていった。

地下宮殿の中心あたりには、Tear columnと称した場所があり「Wish Pool」と書かれている。そこで願い事をするといいというようなことが説明されているので、またここに来られるようにお祈りしてみた。そこの横にある柱には、目玉から流れる涙が彫刻をされた柱が建っているのだが、それがどう見ても口琴のようだった。
通路からビザンチン時代の建築様式の天井や柱を撮影しながら進み、一番奥には髪が蛇でその目を見ると石に姿を変えられてしまうというメデゥーサの首がある。メデゥーサの首は二体あり、一つは頭を下にして正面を向いているもの、一つは横向きに寝ている。その頭の上に柱が建てられているのだ。どういう理由でこのような柱の土台が作られたのかは判らないが、メデゥーサは確か三姉妹だったはず。あともう一体いるように思うが、ここには何故か二体しかない。
Wikipediaでメデゥーサを調べると、もともとは美しい女神だったのに、ゼウスの娘から理由もなく憎まれおぞましい姿に変えられた上にペルセウスに首をはねられたりしている。いわれなく姿を変えられたことに抗議したメドゥーサの姉妹も同じ姿に変えられたらしいが、この姉妹は不死だったのに対してメドゥーサだけは可死だったとか。ここに二体しかいないのは、死なない姉妹の二人を柱で封印しているのだろうかと戻ってきてから思ったりした。
私たちが行ったときにはまだ人がそれほど集まっていなかったが、ほどなくして団体さんがわらわらとやって来て我先にとフラッシュ撮影するので、早々にその場を切り上げた。

宮殿の中は非常に涼しく、暗いので気持ちがとても落ち着く。入口付近には小さなカフェがあり、テーブルにはろうそくがともされ暗闇の中で軽食やお茶を楽しめるようになっていた。グランドバザールから出るときにはすでに空腹だったので、そこで少し休みたいと思ったが値段がちょっと高めだったのでそのまま地下宮殿を後にすることにした。

Wikipedia地下宮殿 http://ja.wikipedia.org/wiki/...
Wikipediaメドゥーサ http://ja.wikipedia.org/wiki/...


 

地下宮殿の中にある無数の柱。連続するドーム型の天井が薄暗闇の中で美しかった。
 
Wish Poolの柱。目玉から涙が泣かれるところが彫刻されているらしいが、どうみても口琴にしか見えないのは私たちだけだろう。
     
 

プールにいる魚。思った以上にたくさんいてびっくりした。
 
宮殿の奥。この先にメデゥーサがいる。
     
 

メデゥーサの寝ている首。こちらは目を開けている。
 
メデゥーサの逆さの首。こちらは目を閉じている。



■オスマンさんのところでバックギャモンをする

地下宮殿を出て、次の日はいよいよ帰国なのでオスマンさんのところに挨拶に行く。途中、公園のベンチで休んでいたトルコ人男性二人が、ビン入りアイランを持ち歩く私を見て「アイラン持ってるよ~」「子供にやるのか?」と笑いながら声をかけてきたので、「私が飲むのよ」と答えると「Good!」と言っていた。なんだかバカにされた気分だが、そういう会話にもすでに慣れて普通に返事ができるのがちょっと楽しい。

アヤソフィア前に停まっているタクシーの車種を見ると、フィアット、ルノー、ヒュンダイなどが多い。どれも同じような形の車で一見するとわからないが、イスタンブールに来る前に試乗をしまくっていた私としては、その車のエンブレムを見るだけでも面白かった。停まっていたタクシーの車種を順番に読み上げていくと、「ヘイ!ヒュンダイ」と談笑中のタクシードライバーに笑われる。どうやら韓国人に見られたらしい。「ノーヒュンダイ」と答えたが、旦那がそれを聞いて「マツダと答えてやればよかったのに」と言っていた。「なんでトヨタやニッサンでないの?」と聞くと、うちの車がマツダだからだという理由。イスタンブールで見た日本車は、営業大型車は三菱が多くその他はほとんどニッサンで、マツダ車など一台も見なかったのに。ドイツ在住のE夫妻も「車はニッサンに限るよ」と言っていた。日本では崩壊しつつある気がする「技術のニッサン」神話も、まだまだヨーロッパでは健在らしい。


オスマンさんの店に着き彼に「いよいよ明日帰国です」と言うと、オスマンさんは残念そうにしてくれ、フルーツを食べようとお盆に沢山フルーツを盛って出してくれた。あんず、チェリー、びわなどがあふれんばかり。びわは日本特産の果物だと思っていたのだが、トルコにもあってびっくりする。形は日本のものと少し違うが、味は同じだった。
「今日はグランドバザールに行って、バックギャモンを買ってしまった」と言うと、「一戦やろう。3点勝負でいい?」と言われゲームすることになるが、3回やって1回はやっと勝てたが後の2回はぼろ負けしてしまった。特にそのうちの一回はバックギャモン負け(相手が上がった時に自分の駒がまだ相手のインナー<陣地>にいる状態で負ける)してしまい、国際ルールではそれは3点負けなのだが、カウントは1点だった。トルコでは、国際ルールで使用されるダブリングキューブを使っているのを見ない。エジプトバザールでもグランドバザールでも、ダブリングキューブは話に出てこなかった。オスマンさんが国際ルールを知っていたのか知らないのかは不明だが、1戦目で負けて2戦目でバックギャモン負けをしてしまったので、これはある意味得をしたのかもしれない。「ぼくはバックギャモンでは非情になるよ」と言ってオスマンさんは笑っていた。



 

オスマンさんの店のある通りの周辺。イスタンブールではすっかり見慣れたサッカーチーム優勝を祝う旗が懐かしい。
 
ホテル街の街並み。人が歩いていないところは珍しい。




■客引き再び

オスマンさんに空港に行く前にきっとまたお店に寄ると約束をして、食事をするためにトラムヴァイ通りに戻る。アヤソフィア前の噴水のある公園で少し休み、イスタンブールの夕暮れを少し満喫することにする。ベンチで座っていると、向かいに座ったインド人風の老夫婦がこちらを見ているので笑いかけると、「ジャパニ?」と聞いてきたので「そうだ」と答える。旦那さんはラフな服装だが、奥さんはインド風のサリーの上にイスラム風の長い裾の上着を着ていて、この人達がイスラム教徒なのだということをうかがわせる。しかし、奥さんはさすがに暑いらしく、上着を少しはだけて涼んでいる様子。このスタイルにナイキのスニーカーだったのが面白かった。

7時半を過ぎて夕食を取るために公園を後にし、いつものスルタンアフメット駅近くの公園のトイレを利用して出てくると、細身でイケメンの絨毯屋の客引きが声をかけてきた。この人は二日目に私たちが「ロシア人」だと嘘をついてすぐにばれてしまった相手だった。その後も一度会っているので、向こうはこれで三度目の対面だということに気づいていない様子。
「自分の兄はタクシー運転手で日本語ができる。日本にも知り合いがいるし、自分も少しだけ日本語が話せる」とわざとたどたどしい英語で話し掛けてくる。「私たちはこれからそのへんに食事に行くので、タクシーはいらない」と言うと、「すごく夜景が綺麗な場所があるので案内する。自分の知り合いの店があるからそこでお茶もごちそうできる」と執拗に誘ってくる。「確かあんたは日本語話せるんじゃないのか?」と言うと、ちょっとむっとして「あまり上手じゃない」と言い張る。ここですぐに感情が顔に出てしまうのがこの客引きの面白いところだ。
面白いので少し相手をして、私たちもトルコ語を少し覚えたことやトルコのボディランゲージを披露するが、私のあまりに稚拙な英語にイライラしだし、遂に流暢な日本語が出てきてしまった。「やっぱり日本語話せるんじゃないか」と言うと彼はしらんぷりしていたが、「あんたとは何度か話しているんだよ」と言うと観念して笑い出してしまった。
「私たちは明日帰るからもう絨毯はいらないよ」と言うと、笑いながら諦めてハイタッチして去っていってしまった。
イスタンブールに来たばかりのときは、客引きに異常に反応していたが、帰る頃にはすっかり慣れてしまった。客引きといえども、それほどの悪人はいない。だが、そんな純情な若者達に外国語を覚えさせて、客引きとして街に出す上の人はどんな人なのかわからないので、やはりついていくわけにはいかないのだ。このあたりの駆け引きもイスタンブール観光の醍醐味の一つかもしれないと思いつつ、今度きたときにはバザールの店員もやりこめられるくらいになれるといいと思ったりした。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月6日 グランドバザールに行く〜2007年09月01日 05時07分21秒


この日のお昼のケバブ。羊が好きで気が付いたらケバブばかり食べているような気がする。この時はピーナッツを散らしたホムス、きゅうりのヨーグルトサラダ「ジャジュク」も食べた。

■食堂を探して彷徨う


博物館の敷地を出て、旦那がE夫妻から教わった地元の人が行くデパートの食堂に昼食に行くことにした。そのデパートはスルタンフアメットからトラムヴァイに乗って一つ目の駅の前にあるということは覚えていたのだが、それがチェンベルリタシュ駅なのかギュルハーネ駅なのかが今ひとつはっきりしない。博物館から近いのはギュルハーネ駅なので、そこに行ってみることにしたが、ギュルハーネ駅前には商店街はあるがデパートのようなものは見当たらない。行けばすぐにわかると言われたらしいのだが、それらしい建物は表通りにも裏通りにもないのだ。
お昼時で軒を連ねるレストランからは美味しそうな匂いが漂ってくる。裏道のレストラン街には中国料理の専門店などもあり、アジア系の人が客引きをしている。時間はすでに13時30分になっており、お腹がすいて泣きそうになる。
表通りの商店街で車の修理をするお店のおじさんが店先を掃除していたので「このあたりに食堂のあるデパートはないか」と英語で訊ねると、そのおじさんは英語がわからない様子。手招きして隣のお店に私たちを連れていってくれた。連れていかれた店のおじさんに聞くと、「このあたりにデパートはない。食堂の名前がわからないのならお役に立てないよ」と本当に残念そうに言われた。その場にずっといてくれた自動車修理のお店のおじさんも、言葉はわからないまでもその時の状況が理解できたようで、私たちの役にたてなかったことが本当に残念だといわんばかりに悲しそうにしていたので、とても気の毒になってしまった。
お礼を言ってお店を出て、その食堂は諦めて適当なお店に入ることにした。

裏道のレストラン街に戻り、メニューが店頭に出て価格がわかるようになっているお店を選んで入る。何か今までと違うものを食べたかったが、もうすでにお腹がぺこぺこで結局いつも食べているようなものを注文してしまう。ホムスがあったので注文すると、ここのホムスはピーナッツを砕いたのがトッピングされていて、前に食べたのとは違うテイスト。
食後にチャイを頼んでいたのになかなかこないのでギャルソンに言うと、「これは大変すまなかった。チャイはプレゼントだ」と言ってチャイはサービスにしてくれた。「テシェッキュレデリム」とトルコ語でお礼を言うと、ギャルソンは大変嬉しそうにして「テシェッキュレデリム」と返してくれた。この日のお昼は全部で26YTL(約2418円)だった。





グランドバザールの入口。

■グランドバザールに行く

腹ごしらえも終わり、さてどうしようかということになる。バザールはエジプトバザールで懲りていたが、やっぱりせっかく来たのだからとグランドバザールにも足を運ぶことにする。トラムヴァイに乗って二つ目の駅がグランドバザールのあるチェンベルリタシュ駅だ。チェンベルリタシュ駅に降りると、駅前に古い大きなデパートがあるのが見え、E夫妻が言っていたデパートはここの駅であったことが判り悔しく思われた。

駅前には団体観光用の大型バスがいくつも停まっており、バザールに行くまでの道も大変賑わっている。途中でオレンジを直接しぼるジュース屋さんがあり、いちごとオレンジのスペシャルミックスジュース3.3YTL(約307円)というのを注文する。「絞るところを写真に撮ってもいいか」と聞くと、お店のお兄さんは「もちろんだよ」と言って踊りながらジュースを絞ってくれた。



 

ジュースを絞るところ。ガラスが反射してうまく撮影できなかった。
 
いちごとオレンジのスペシャルミックスジュース3.3YTL。氷が入っていないので温かったが、いちごが甘さとオレンジの酸味が意外に美味しかった。


グランドバザールの入口は大きな門があり、そこから三方向に道が分かれている。どういうわけか門のところで日本人ばかりが隅の方でカバンをがさごさしていたり、団体客がトルコ人案内人の注意を受けており、入口はなんだか日本人ばかりだった。
バザールの入口から左右に行くと、貴金属のお店が多く見える。トルコ石のアクセサリーを見たかったが、すでに懐は寂しくなってきているので、屋根のあるバザールの中に入る。

入口付近は革製品を扱う店が多い。トルコは革製品も品質が良く安いらしい。旦那がバイク用の皮ジャケットを見たいと言っていたので、バイク用のジャケットが飾られている店に入り見ていると、年輩の髭の店員が「それは子供用だ」と言うので「大人用のはないのか」と聞くと、違う店に連れて行かれてしまった。
その店はグランドバザールの入口から入って突き当たりにある階段の上に入口のある店だったのだが、私たちの前に西洋人の夫婦が入ると私たちの目の前でドアをピシャッと閉めてしまう。呆れてその場を立ち去ろうとすると、若い店員が来てドアを中に押し込められてしまう。しかし、そこには普通の皮のコートなどばかりがありバイク用のジャケットは置いてない様子。「バイク用のジャケットを見たいんで、こういうのはいらない」と言って店から出ると、「奥にあるからこちらに来い」と更に階段の奥に誘導しようとする。「もういい」と言ってその場を立ち去ろうとすると、店員は「You are crazy!!」と言って叫んでいた。あまりにも頭に来たので、日本語で「ふざけんな!それはあんただよ」と叫び返してやった。



 

色々な店が軒を連ねるグランドバザール。
 
要所要所にあるゲートの柱では、誰かが休んでいたりする。


グランドバザールの中は洋服や革製品、雑貨、貴金属、絨毯などの店が軒を連ねているが、私たちに手が出るようなものはお土産物のマグネットとかそういうものでしかない。雑貨の店に置いてあるものもスルタンアフメットのお土産物屋とそう変わらないし、値段も同じくらいかちょっと高いくらい。ぶらぶら歩いていると、絨毯屋の店員が「絨毯を見ないか」と日本語で声をかけてきた。「いらない」と言うと「日本人、どうして絨毯買わないのか」と言う。「だって、日本には畳があるもん」と言うと、店員は呆れた顔をして舌打ちをしていた。
噂には聞いていたが、バザールの店員は本当に態度が悪くてうんざりしてしまう。



■再びバックギャモンを買う

 

購入したバックギャモンの盤。ウォールナットの盤に貝の装飾がついている。
 
バックギャモンを専門に置いてある店があるので入ってみていると、店員に声をかけられる。「持って帰るのが大変なのであまり大きな盤じゃないのが欲しい」と告げると、色々と選んでくれ盤に使われている材質などの説明を丁寧にしてくれた。飾りの貝が偽物のものが20YTL(約1860円)、本物の貝が一部に使われているのが30YTLだがこれは25YTL(約2325円)にしてダイスもつけると言っている。ここの店員はすごく感じが良かったのだが、「もう少し見てみたいから」と言ってその店を後にした。
よくよく見ているとバックギャモンを扱う店はけっこうあるが、どこも暇そうにしている。
バックギャモンは日本では馴染みが薄いが、世界的には非常にポピュラーなゲームである。発祥がイスラエルあたりなので、トルコでもとても盛んで町中で昼下がりにゲームをしている姿をあちこちで見かける。
トルコでは国際ルールよりは、得点を倍にするダイスを使わないルールの方が一般的なようで、グランドバザールで売られているきちんとしたゲーム盤は、駒やダイスが全て別売になっている。実践的なものもあるが装飾が凝っているものも多く、スルタンとハレムの女性を描いたものや、金箔や真珠貝のような光沢のある飾りがついているものまで様々なものが店頭に並んでいた。

疲れたのでカフェに入ろうとするが、綺麗なカフェは外国人でいっぱい。通りに椅子を出しているだけの粗末な店はトルコ人ばかりが利用しており、そこの席が空いていたのでそこで休むことにする。
席に座ろうとすると、若い店員が明るく「日本人か」と英語で聞いてきたので「そうだ」と答えると、いきなり「さようなら!」と言われてしまう。どう考えても「帰れ」と入店拒否されているようには思えなかったので、「さようなら is goodbye」と何度か言うと店員は自分のミステイクにやって気づいたようで、「ごめんなさい」と何度も謝っていた。そして「Welcomeは日本語でなんていうのか」と聞くので、「いらっしゃい」と教えるとうまく発音できないようで何度も練習していた。
チャイを注文して休んでいると、ここにはビン入りの古いパッケージのアイランが売られている。町で売られているのはパックのアイランばかりだが、ビンのアイランはとてもかわいらしい。会計の時にビン入りアイランをテイクアウトにしてもらった。

一息入れてギャモンの店を物色していると、他の店と商品が違う店があったので入ってみる。廉価版の安い盤を勧められたので飾られている綺麗な盤を指差して「これの小さいサイズはないのか」と聞くと、日本人がバックギャモンを欲しがるのが珍しいのかものすごく喜んで説明をしてくれた。
ここの盤は木の材質が良くウォールナットなどで作られている。特にトルコのウォールナットは材質がいいのだと店員は言う。ボードの飾りも本物の貝のがついており、ダイスもラクダの骨を使っていると説明に熱が入る。値段を聞くと85YTLのところを60YTL(約5580円)にすると言う。50YTLなら考えると言うと、55YTL(約5115円)でラクダの骨のダイスを4つと駒をつけるのでどうだと言われ、勧められた盤のうち二つまで絞り、結局装飾の綺麗な方を55YTLで購入することに決めた。
店員は品物を包装しているとき「日本のどこから来たのか」と質問してきたので「横浜の近くだ」と言うと、「ミツコシ、イセタン」と言い出した。「それは東京のデパートで、横浜は高島屋とそごうだよ」と教えると、嬉しそうにして名刺にメールアドレスを書いて渡してくれた。

グランドバザールはまだまだ広く全部見るまでには疲れて果ててしまう。もう買うものもないので、スルタンアフメットに戻ることにした。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月6日 考古学博物館に行く〜2007年08月28日 03時06分51秒

考古学博物館。

■考古学博物館

近代的で明るい雰囲気の東方美術館のまん前に、それと対照的な重厚なギリシア様式の建物の考古学博物館があり、そこに移動する。
中に入ると、鬼の形相の石像や苦しげな表情の人の首などが展示されており、なんだかとても重苦しい。古代東方博物館に展示されていた石像が黒っぽい石が多かったのに対して、ここの石像は石灰のように白っぽいものが多く、ギリシア神殿のイメージが強い。黒っぽいものもあるにはあるが、その多くは棺おけだったりする。

ここの一階の展示は古代の棺おけやミイラ、神殿のリレーフや石像などが中心になっており、宗教的な展示物が強い。イスラムというと宗教的な偶像物を否定しているイメージがあったのだが、政教分離体制をとるトルコでは古代の別な宗教下にあった時代のものもきちんと保存しているようで、そのあたりは非常に興味深かった。イスラム教というと、日本では非常に遠い宗教の一つのような感覚があったので、聞きかじりの宗教的イメージでは全ての他宗教を否定しているように思っていたのだった。

それにしても、展示されている石像の多くはどうしても苦悶している表情が多いのが気にかかる。苦悶していなければ、たいていは怒っているように見える。神殿などにあったものなのだから、満面の笑みをうかべているものはないにしても、ちょっと笑みを浮かべているのは入口の鬼のような石像くらいで、ちょっとぞっとしてしまう。怒っているのは、日本の神社にいる仁王様や不動明王などは怒っている顔をしているので、なんとなく理解はできるのだが。
棺おけの多くは人型になっており、頭部にはエジプトのミイラが入っていた棺おけと同じような人の顔が彫刻されている。その表情は無表情なのだが、モナリザのような曖昧な薄笑いを浮かべているようにさえ見え、生きているときは苦悶し死してやっと安楽できるということを示唆しているようにさえ思えた。


 

考古学博物館の入口正面に展示されている像。鬼のような顔をしており、首をはねた動物を逆さ釣りにして持っている。
 
苦悶するような人の顔。
     
 

遺跡の様子を示したパネル。
 
ミイラ。
     
 

ヒエログリフに覆われた棺おけ。
 
エジプト風の彫刻が施された棺おけの頭部。
     
 

神々が彫刻された棺おけを入れる箱(?)。この手のものは、戦いの様子を彫刻したものなど、さまざまなものがあった。
 
日本の家屋の屋根にある鬼瓦を彷彿させる、棺おけを入れる箱の屋根の彫刻。


古代東方博物館にあった彫刻の多くは、稚拙なものが多く形もかなりデフォルメされているのだが、ここの彫刻は大変写実的で細かい。特に棺おけを入れる箱と思われるものに彫刻されているものは、今にも動き出しそうである。
興味深かったのは、箱の蓋の部分の彫刻。ただの四角い蓋のものもあるのだが、ある時代のものは神殿を模しているのか建物の形をしている。屋根の部分が三角になっており、日本の瓦屋根のような彫刻がほどこされているものもある。鬼瓦にあたる部分には人の顔や魔よけと思われるモチーフが彫刻されており、日本の鬼瓦の魔よけに意味を持っているので、意味的には似ているのではないかと思ったりした。
階段のところにライオンの対の石像があったのだが、これも阿吽の形を示している。古代東方博物館でも思ったが、ギリシアの文化の中にも中国や日本の文化と共通するものが存在していることが不思議に思った。以前日本書紀にある話がギリシア神話に共通点が多いという話を聞いたことがあり、どういう経緯でギリシアと日本の宗教的文化の交流があったのだろうかというのに、興味をそそられた。

ところで、私たちがこの旅行のために購入したデジタルカメラは、顔が綺麗に撮影できるという顔撮影モードというのがついている。人の顔を自動的に検知するという機能なのだが、人の顔でないものにその機能を使っても反応しないのだ。ただし、人の顔のようなものには反応するので、ライオンの石像などには反応していたのが面白く、そのまま撮影を続けていたのだ。すると、とうてい人の顔でないようなところ、例えば建物の壁などにその機能を使って撮影したところ、ちょっと見た限りでは何もないのに人の顔としてカメラが感知するのである。よくよく見ても人の顔のようなシミもなければ、そういう造形をしているわけでもない。何もない壁の一画が顔であると判断してしまうらしいのだ。場所を少しずらすと顔検知は行われない。その位置に戻すと顔であるとカメラは言い張るのである。
ミイラや棺おけが展示されている建物なだけに、これはぞっとしなかった。

一階展示室の奥には、トルコ正教時代のタイル絵や真っ白い大理石の十字架をあしらった扉なども展示されている。石像が展示されている部屋では、美術学校の生徒がおのおの石像の前に座ってデッサンしていたり。トルコの小学生も見学に来ていて、すれ違うたびに「こんにちは」と挨拶してくれたりする。


 

阿吽のライオン像。
     
 

怒ってる?
 
とても怒ってる!
     
 

修復中のキリスト教のタイル絵。十字架やマリアの姿が描かれている。
 
星座をあしらったタイル絵。
     
 

口琴のような形の石塔。
 
十字架のある大理石の扉。


二階には、遺跡から発掘された太古の道具などが展示されており、素焼きの壷や矢じりなどが展示されているのだが、その一つ一つが口琴のような形をしていて楽しい。
トルコには口琴の文化はないようだが(一部のごく限られた地域にだけあるらしい)、シベリアなどで口琴を意味する「ホムス」という名前の料理に出会ったり(しかしもともとこれはトルコの言葉ではないようだが)、口琴に似た模様や形に出会ったりするのはなかなか興味深い。もちろんこれは口琴を模しているわけではまったくないだろうし、何か違う意味のあるものなのだろうと思うが、何かに酷似した形のまったく違うものを見立てて楽しむのも一興だった。



 

二階に展示されていた、口琴のような形の素焼きの道具。
 
古代の矢じりなどの道具。真中の道具がベトナム口琴のような形をしている。


しかし、ここの博物館もフラッシュをたかなければ写真撮影は許可されているのだが、韓国からの団体客が部屋に入ってきたとき、子供が展示室で騒いでいてスタッフに注意されているにも関わらず、子供と一緒に遊んでいる親や、フラッシュ厳禁と書かれているのに思い切りフラッシュをたいて展示物の前で記念撮影する人など、マナーが最悪でうんざりしてしまった。
二階にあがると、観光客が減って静まり返っていてほっとする。
階段のところには、地元の小学生が描いた博物館の展示物をイメージして作成された絵画が展示されていたが、日本の小学生の描く造形との違いに興味を覚える。



地元の小学生の絵画の展示。


こちらの博物館はあまりに広くて、途中で飽きてしまう。二階の休憩所で休憩し、入口付近の吹き抜けになったところにあるトロイの木馬の実物大模型を見ていると、西洋人のカップルが写真をとろうとしているが、カメラの操作がうまくできないようでなかなか撮影できなかった。



一枚の絵のような女性。窓の外には陶板博物館が見える。

■写真が消えてしまう


向かいの陶版博物館に入り、すばらしいタイルや皿などを楽しむ。その後、敷地内にある公園でジュースを飲んで一休みしてお昼を食べに行くことにした。お昼は朝にE夫妻から教えてもらった、地元の人達が利用するというデパートの食堂に行くことにした。敷地内の一番奥にある管理事務所でトイレを借りようと建物に入ると、入口に核廃絶などのイラストのポスターが貼られていて、写真を撮る。
外に出て旦那がトイレから戻ってくるのを待っていると、しゃれた鉄の飾り枠のついた事務所の窓に猫が座っていて、中で働いている人の様子をずっと眺めている。それを眺めていると、中にいる事務のおじさんが気が付いてこちらをじっと凝視していたので、軽く会釈すると向こうにちょっと笑って会釈を返してくれた。
庭には薔薇の花が咲いていたり、紫陽花の花が咲いていたりとさまざまな写真を撮ったのだが、陶板博物館からこの日のお昼までの写真が消失してしまった。ポスターの写真や道ばたの石の壁の中に巣を作っていた鳥の写真など、気に入っていたものも多かったので、本当に残念でならない。




陶板博物館


つづく



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