◇トルコ旅行記 〜6月2日 アヤソフィア〜 ― 2007年06月16日 05時39分04秒
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アヤソフィア中央の部屋。 正面にメッカの方向を示すライトアップされたミフラーブ。天井に聖母マリアの絵が確認できる。 |
■アヤソフィア
アヤソフィアは、スルタンアフメット地区のブルーモスクとトプカプ宮殿の間に位置する。長い歴史の中でさまざまな宗教に利用されながらも、イスタンブールの象徴的な建造物の一つとなっているらしい。
ぱっと見ただけでは、向かいにあるブルーモスクと様式的にどのような違いがあるのかは判らないが、中にはギリシア正教の大本山として利用されていた当時の名残があちこちに残されており、現在は博物館として利用されている。
チケットは一人10YTL(日本円で900円くらい)。宗教的に複雑な背景のある建物だからか、入口で空港ばりの荷物チェックを受ける。
中に入ると最初に左右の出口に通じる通路があり、そこを抜けて更に中に入るようになっているが、石造りの建物の中はひんやりとしていて気持ちがいい。中は必要最低限のみで無駄なライトアップはされておらず、観光客がたくさんいるにも関わらず厳格な空気で満たされている。
中央の部屋は巨大なドーム型の天井まで吹き抜けになっており、その周囲を二階と三階のテラスで囲っている作り。一階正面の巨大なステンドグラスの下に、オスマン帝国時代に作られたメッカの方向を示すミフラーブがライトアップされ、南側の天井には巨大なグレーと青の羽毛のような絵が描かれており、これはもともと大天使が描かれていたとのではないかと思ったりした(詳細未確認)。中央の部屋の四方には巨大なコーランの丸いパネルが設置されており、キリスト教系の壁画とイスラム的なオブジェなどが不思議に融合している。
※アヤソフィアの詳しい情報はこちら。
Wikipedia「アヤソフィア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2
通路の上方にある壁に描かれたタイル画の写真を撮影していると、旦那が「コンタクトがずれた」と言って泣きながら位置を直そうと必死になっている。今回の旅行で「初老の初コンタクト」を購入しさっそくつけてみたが、慣れないためか一度調子が悪くなると復旧に時間がかかる。
しかたないので通路にある窓口形式の小さな土産物屋を眺めていると、さまざまな言語で書かれたトルコ料理の本が売られていた。通っているロシア語教室ではみんなトルコ料理が大好きなので、ロシア人の先生へのお土産にロシア語で書かれた本を一冊購入する。最初に中を見せてもらうのに渡された本は表紙にしわがついていたので、「しわのないやつとかえてくれ」とボディランゲージで訴えたら快く交換してくれた。
中に入ると巨大なドーム型の天井が一望でき、正面の天井に聖母マリアの絵が見える…はずなのだが、あいにく天井は修復作業中のためやぐらが組まれて、視野の半分は見ることができなかった。ガイドブックに書かれていた「マリアの手形」も、セキュリティの人に場所を聞いたりしたのだが、結局どこにあるのかわからず確認できなかった。
アヤソフィアはこれから博物館として展示物を本格的に陳列する作業が二階でも行われており、長い歴史の中で痛んだ壁画やタイルの修復が進められているとのこと。
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修復作業中の天井。あちこちの壁や天井の痛みは、思った以上に激しい様子。 | 二階バルコニーから撮影。工事中なのが本当に残念。 | |
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一階通路の端の天井にあった、ギリシア正教時代の壁画。 | もともと天使の絵だったのではないかと思わせる、羽毛(?)の天井画。 | |
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メッカの方角を示すミフラーブ。ギシリア正教時代は、ここに十字架があったらしい。 博物館の中は通路の小さいライトを除けばほとんど自然光だったが、ここだけはステージのようにライトアップされていた。 |
正面の美しいステンドグラス。 |
アヤソフィアの中に入ったのがちょうど正午くらい。入口のカフェで飲んだアイランで胃が刺激されたためか、旦那がコンタクトでぐずぐずしているうちに私の空腹はすでに絶頂を迎えており、歩きつかれたのとで一つ一つじっくり確認したくてもどこか上の空。「空腹、同行者のドジ、アンラッキー」は夫婦旅行中の喧嘩の三大要素を十分に満たしており、普通だったら尋常ではない喧嘩に発展しているところだが、不思議と怒る気力もなくただぼーっと建物内の静かな空気にひたっているのが気持ちよかった。
写真が趣味なのか、床にはいつくばるようにして写真を撮っているカップルがいたりする。彼は一眼レフのデジタルカメラだったが、彼女は旧式の小型のデジタルカメラだった。
正面のライトアップされたミフラーブの前までくると、西洋人の小学生くらいの女の子が進入禁止のロープの中に入ろうとしているので、「どんとごー」と注意をすると、突然不明な言葉で私に向かって話し始めた。言葉は英語でもないようで何語か判断つかず、何を言っているのかまったくわからない。まるで劇でも演じているように激しいボディランゲージを加えて語りかけてくるが、私が注意をしたことによる不満を訴えているわけではなく何かを説明しようとしているかのように思えた。じっとその子の言動をうなづきながら見ていると、その子の保護者が来て「この子はダウン症で、私もこの子が何を言っているのかわからないんだ」というようなことを英語で話していた。
その子の保護者と旦那がしばらく世間話をしている間、私はずっとその子のことを見ていたのだが、彼女はまるで神がかっているかのよう。場所がライトアップされている場所でもあったのだが、後光がさしているようにさえ見えた。ギシリア正教時代もイスラムの今も、神に通じる場所でこのような奇妙な体験をしたことはなんとなく偶然ではないようにさえ思えた。しかもはた目から見ても彼女の行動はひどく不可解なはずなのに、周囲の人たちは誰もそれに気をとめる人はいない。たまに神の言葉を聞いて異言を唱える人がいるという話を思い出した。
旦那との世間話がひととおり終わり(やはりどこから来たのか?というような話だったらしいが、ダウン症についても話していた様子)保護者がその子を連れていってしまったので、彼女の説明は途中で中断されてしまった。手をひかれた瞬間に表情がかわり、まるで今までのことなどなかったように歩いて行ってしまった。
二階にあったタイルや壁画の写真展をみたり石作りの通路の北側の塔に登ったりしてアヤソフィアを二時間ほど見学し、再び二階に戻ってきたときは疲れきってしばらく座ったまま動けなくなっていた。話をするのも面倒くさい。旦那も疲れきって機嫌が悪くなってきている。旦那は自分で空腹に気付かない体質で、自分で気付いたときには限界を通り越していることが多い。ただ、空腹になると異様におおざっぱになって機嫌が悪いのですぐにわかる。こういうときは「お腹すいてないの?」と質問しても「すいてない」と言うに決まっているので、私がいかにお腹がすいてへとへとかをアピールするしかないのだが、それすらもする気力がなくなっている。
旦那は、私があまりにぐったりしているのでさすがに寝込むか怒り出すかの危険を察知したのか、南側に展示されている絵をあきらめて食事に行こう言ってくれた。
一階の土産物屋のある通路を南側に抜けたつきあたりに芝を刈る道具がへいに立て掛けてあり、その下で子猫がたくさん固まって寝ていた。そのそばでは、親猫がへいの隙間から何か獲物を狙っていた。
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暑い中日陰で固まって眠る子猫。重なりあって6匹くらいいた。 | 子猫の横でへいの隙間から獲物を狙う親猫。 |
つづく
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