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◇ベトナム旅行記11 ~ダッシュボードの仏様~2012年06月07日 07時54分23秒

■仏教国ベトナム?

ダッシュボードの仏様
車のダッシュボードの仏様。

ベトナムは共産主義の国なので、私はベトナムは無宗教の国なのだと思っていた。
もし信仰が残っていたとしても、フランス統治の時代が長かったので、キリスト教が普及しているのではないかと思っていた。
しかし、実際には信仰の自由が保障されており、多くの人が仏教を信仰している。

共産主義で仏教国というのは、ちょっと意外な感じもあった。
地理的には仏教国であるタイなどにも近いので、仏教の流れとしてベトナムにも広まったというのはうなずける。しかし、この国の歴史的背景を考えると、仏教の信仰が根強いというのが、ちょっと意外な気がしたのだ。
ホーチミンの街中にいても、聖母マリア教会のようなキリスト教の教会はあるけれど、仏塔とか寺院のような建物は見かけなかった(地図で確認すると、3区に寺院があるらしいが)。

歴史博物館でのフーンさんの説明では、ベトナムの人たちは仏教徒が多いけれど、“敬虔な”という感じではなく、日本の信仰と同じように常に宗教的な生活をしているということではないらしい。
大昔には熱心に仏教が信仰された時代もあったようだが、政治的に利用されたり、共産主義になってからは宗教自体が低迷した時代もあったらしい。
また、南部と北部では宗教の形自体が少し違うようなことも、調べていくうちにわかってきた。

ベトナムに宗教が復活したのは、1986年のドイモイ政策からのようだ。
しかし、ドイモイが進んだとはいえ、ベトナムが共産国であることには変わりなく、僧侶が町中で托鉢するような宗教活動は、やはり禁じられているのが現状のようだ。

しかし、町中での宗教活動が禁止されているのに、ベトナムの車のダッシュボードには、仏様の姿がある。
すべての車にということではないのだが、多くの車のダッシュボードの上に仏様が鎮座しているのだ。
仏様はドライバーのほうではなく、車の進行方向を向いて座っている。
日本だと、ここに何かを置くこと自体、ちょっとどうかと思うような位置だ。
普通の車から、観光バス、タクシーまで、仏様はベトナムの車の安全を見守っている。
信号などあってないがごとしのホーチミンの交通事情で、交通安全というのは切実な願いであるだろう。
夜中の道では、昼間よりも倍増するバイクの間を、申し訳なさそうに車が走る。
切実であるからこそ、仏様にすがるということなのか。

戦争証跡博物館の駐車場で、ずらっと並んだ車のほとんどに仏様がいるのを見て、ドライバーに許可をもらい、仏様の写真を撮らせてもらった。
ドライバーは、「なんでそんなものを」と苦笑いしていた。

日本は仏教国とされてはいるが、実際のところは神道の国であると思う。
何か願いごとがあるときは、仏様よりは神様にお願いすることの方が多いように思う。
多くの日本人も、特に神道を熱心に信仰しているわけでもないけれど、車の中には交通安全のお守りが普通にあったりする。信仰とは無縁と思われるようなデコられた車でも、近所の神社のステッカーが貼られているのも見る。
ホーチミンのダッシュボードの仏様も、そんな感じなのかと思ったりする。
“困ったときの仏様頼み”ではないが、宗教を否定されようが、ふだんは宗教に興味がなかろうが、なんとなくホーチミンの人々と仏様はつかず離れずの関係なのだろうと、非常に親近感がわいてしまうのだった。

◇ベトナム旅行記10 ~半日市内観光ツアー その4~2012年06月07日 06時25分55秒

■半日市内観光 戦争証跡博物館

戦争証跡博物館
戦争証跡博物館。

人民委員会庁舎に行けなかったので、その代わりにと戦争証跡博物館に行く事になった。私たちは、このツアーの後に自分たちで来るつもりだったので、この話を最初にバスの中で聞いたときには、ちょうどいいと気軽に思っていた。
しかし、いざ博物館に足を踏み入れると、ツアーで来るべきではなかったと思った。

バスを降りると、フーンさんは「これから30分自由に見てきてください」と言った。歴史博物館のように案内してくれるのかと思ったのだが、フーンさんは中には入らない。
見ると、観光客を案内してきたドライバーやガイドさんは、みんな入口の駐車場で待機している。みんな一様に伏し目がちで、ここではあまり観光客と目を合わせようとはしない。

日本のベトナム反戦の印刷物。
白光真宏会のメッセージ塔。日本のベトナム反戦デモの報道写真と、千羽鶴。


この博物館は三階建てで、外には戦争で実際に使用された戦車や戦闘機などが展示されている。
入口に入ると、最初に日本語の印刷物が掲示されている。
奥に入ると、米国などのベトナム反戦に関わる展示もあるのだが、日本の共産党の機関紙や、反戦デモの報道写真などがまず目に入る。
昔は、日本のどの町に行っても見かけた、白光真宏会の「世界人類が平和でありますように(May peace prevail on earth)」のメッセージ塔まで展示されている。

一階の奥には、世界各国の平和のメッセージの印刷物が展示されており、さらに奥の別部屋に行くと、ベトナムの子供達が書いた平和の絵が展示されており、その部屋の奥の壁一面にはソ連とベトナムとの共産主義を示すモニュメントがある。

共産主義を示すモニュメント。

二階に上がると、建物の中心が吹き抜けになっており、左右の部屋に展示が分かれ、吹き抜けの廊下にはベンチが置かれているのだが、そこに座る人たちはだいたいが西洋人で、一様に疲れた顔をしている。ペットボトルのゴミなどが散乱していて、その中にみんな座っている。

階段上がってすぐの左側の部屋には、侵略戦争の経緯の資料や写真の展示。そして、右側の部屋には、枯葉剤などの影響で生まれたさまざまな奇形児の写真が展示されている。
私たちの世代では「ベトちゃん・ドクちゃん」が有名だが、ここに来ると彼等はまだ状態が良い方なのだという事を痛感してしまう。身体の一部がくっついて生まれた双生児、小頭症、水頭症、手足の長さが違う子供、身体の骨が変形している子供、顔の形状がほとんどくずれてしまったエレファントマンのような子供。
ほとんどが直視できないような写真で、泣いている人もたくさんいる。

三階は、主に米国などの報道写真と平和への取り組みなどが展示されている。
三階の廊下には、いわさきちひろの反戦への取り組みを説明したパネルが掲げられている。

いわさきちひろのパネル。

一通り展示を見るものの、特に二階は5分といることができない。
早々に入口に戻った私を見て、フーンさんが「ちゃんと見ましたか?」と聞いてくる。
「とてもこれ以上は見られない」と応えると、ちょっと怒ったような顔になり、「では、博物館の外にある、拘置所の写真が展示されているところを見てください」と、わざわざ私たちを連れて行った。
そこは反政府活動などの政治犯などが収容されていた場所を展示したところで、本当の牢獄を模したものや、ギロチンや拷問道具、それに拷問にかけられた人々の写真が展示されている。
目をつぶされた人、爪をはがされた人など、こちらもかなり生々しい。

そこを出ると、フーンさんがツアー客の若い女性二人組にも同じように、拷問の展示室へ案内している。フーンさんはたぶん40代くらいの女性なので、ベトナム戦争は子供の頃に経験している年頃なのだろうと思う。自分がここを見るのは辛すぎるが、世界中の人にはこの悲惨さをきちんと知ってほしいと思っているのだろう。
一階の展示室では、あちこちでガイドさんが自分の客がきちんと見たかをチェックしているのが見受けられた。

ちょっと逃げるようにして、再び一階の奥にある子供の絵の展示室に行く。ベトナムの文化や、お正月の様子などが子供の目で描かれている。それらを見ると、心から平和の大切が身に染みるような気がした。

しかし、これは強制されて見るようなものではないが、やはりツアーではなく自分の意思でしっかり見ておきたかったと、後で少し後悔したのだ。
あまりにも衝撃的だったため、三階のいわさきちひろの展示などは、じっくり見ることができなかった。

再び入口へ戻ると、先ほど声をかけてきたツアーのHさんがちょうど出てきて、奥様がハンカチを口にあてて憔悴されている。旦那様が「ちょっとショックが強かった」とおっしゃっていた。
私が「三階の写真は、昔ライフで見ました」と言うと、「雑誌に載っている程度の写真は、何も伝えていない」と、Hさんの旦那様は話していた。

ベトナム戦争については、日本の中では今ではほとんど風化してしまっている現実もあるが、アメリカなどでは未だに語られる歴史のひとつでもあるし、ベトナムでは風化させることのできない事実なのだろう。
私自身子供であったし、実際のところ「ベトナム戦争の真実」といえるようなものは、何も知らないし、知ろうとしなければ知らされることもなかった。
でも、この戦争の真実はわからなくても、「現実」はここに来ればその端っこは見ることができる。ここにあるのは記録でしかなくても、重要な記録であることには違いない。私たちが知ることができるのは、ほんの端っこだけど、その端っこでも知るのと知らないのとでは大きく違うと、帰国してから思った。
「雑誌に載っている程度の写真は、何も伝えていない」というHさんの旦那様の言葉がいつまでも頭に残る。
ガイドさん達が入口から中に入れない理由も、ちょっとだけ理解できたと思う。



つづく

◇ベトナム旅行記09 ~半日市内観光ツアー その3~2012年06月07日 04時35分00秒

■半日市内観光 ベトナム歴史博物館

ベトナム歴史博物館
ベトナム歴史博物館の入口付近。

半日観光のメインは、ベトナム歴史博物館
古い建物の入口に入ると、そこには小さな美しい中庭がある。まるで、ヨーロッパ映画に出てくる古いベトナムの風景のようだ。
古い窓枠がぐるりと庭を囲み、中央には小さな噴水。そして、色とりどりの花がセンス良く配置されている。

入口を入って左手にある、黄色の花をたわわにつけた木が印象的。
この木は、ホーチミン市内の街路樹でもよく見かけたが、実際何の木なのかはわからない。アカシアにも似ているが、葉っぱが違うし、花のつき方もちょっと違うような気がする。
ホーチミンの街中は本当に花が多いのだが、とりわけ黄色の花をつける植物が多いような気がした。

それ以上に印象的だったのは、ペンギンのゴミ箱だ。
この庭の中だけでも5体はいるのだが、なぜにペンギン? そしてなぜに緑色?。 日本のこの手のペンギンと比べても、目がうつろで写実的でもある。決してファンシーではないので、かわいいという感じでもないのだが、なぜかこの雰囲気のある庭に妙にマッチしていた。

実際、このペンギンのゴミ箱は、街のあちこちでも見かける。
帰国して調べてみたところ、このペンギンのゴミ箱に注目した人は多かったらしく、様々な目撃情報を確認した。
ちなみに、ホーチミンのサイゴン動物園にもこのゴミ箱は存在するらしいのだが、その動物園にはペンギンはいないのだそうだ。

黄色い木の反対側には、雰囲気のあるミュージアムショップがある。少数民族の衣類や道具、その他展示物のレプリカなども売られているが、商売っ気はまったくないようで、どこか山の中にでもきたような静かなたたずまいだ。

中庭の噴水
ペンギンのゴミ箱
噴水。水草の花が咲いてる。ペンギンのゴミ箱。
土産物店の仏像の頭
ミュージアムショップの店頭にある、仏像の頭。


私たちの他にも観光客はいたが、それほど混み合っているようでもなく、フーンさんの説明に従って小一時間ゆっくり観光することができた。
館内は写真不可のため撮影はできなかった(しかし、ガイドなしの人の中には、展示物の撮影を構わずしている人も多かったが)。

館内は、原始時代から現代に至るベトナムの歴史が展示されている。
蒙古の襲来や、度重なる中国との戦争、侵略。そしてフランスの侵略、統治。日本の統治時代も存在する。その時々の時代の装飾品や調度品が、歴史を物語る。やはり中国からの文化的影響は多いようで、中国風の装飾が目立つ。
また、ベトナムは今でも仏教国であるが、その時代時代の仏像の変異もなかなか興味深い。
日本の仏像だと半眼という印象が強いが、思い切り目を見開いているものもあったりする。

フーンさんの説明の中で、一番興味深かったのは、ベトナムの少数民族の話だった。
ベトナムには54もの民族が存在し、みなそれぞれの文化の中で今も生活をしているが、少数民族間でのいさかいはこれまでほとんどなかったというのだ。
ベトナムの主要民族はベト族(キン族)で、ベトナム人の80%を占めるらしい。
少数民族の中には山岳民族も多いのだが、もともとが山岳民族で、戦いによっておいやられたとかそういうことではないということなのか。
あまり詳しいことは聞けなかったが、民族間のいさかいなく暮してきた土地に、まったく違う土地から侵略してきた民族に土地や文化を奪われた歴史は、今でこそ街の中をきれいに彩ってはいるが、悲しい歴史の一面でもあるということなのだろう。

見学が終了し、フーンさんから「トイレに行く人はここで行ってください」と、このツアーの中で初めてトイレを案内された。
他のツアー客のほとんどがトイレに行き、私もこのチャンスを逃さなかった。
博物館のトイレはミュージアムショップの脇にあるのだが、外から見ると小さな事務所みたいな雰囲気。白い小さな木戸がかわいい。
トイレは清潔で、ちゃんとトイレットペーパーも便座も備わっていた。



つづく

◇ベトナム旅行記08 ~半日市内観光ツアー その2~2012年06月07日 03時03分43秒

■半日市内観光 中央郵便局で両替する

ホーチミン中央郵便局
ホーチミン中央郵便局の中。

聖母大聖堂を正面に見て、右手にはホーチミン中央郵便局があり、半日観光の一行はそちらへ移動。トイレから戻った私たちもそこから合流した。

フランス様式の大きな石造りの建物は、フランス統治時代に建てられたもの。“プチパリ”の異名をとるホーチミンの象徴的な建造物である。
中に入ると、ドーム型の天井が印象的で、正面にはベトナム建国の父とも称される、「ホー・チ・ミン」の肖像画が掲げられている。
郵便局としても機能的な造りだが、細かいところまでこだわった美しい装飾が見事。
人が多くにぎわっているけれど、中はひんやり涼しい。床の装飾タイルは中央アジア風なせいか、なんとなくイスタンブールのモスクを思い出させる。

中央郵便局のタイルの床
中央郵便局の床のタイル。他にも様々な模様のタイルが使用されている。

フーンさんにお金を返したいが、細かいお金がないので、私はここで両替をすることにした。フーンさんに協力してもらい、入口右手にある両替所に向かう。
ここで1万円を両替し、2,290,000VDにしてもらう。レートは電卓で提示され、お札もきちんと一緒に数えて渡してくれた。レートは成田よりもかなりお得だった。

この頃のベトナムドン(VD)のレートは、1,000VDで40円ほど。しかし、0が6つもつくような高額紙幣を手にすると、なんとなく一気にお金持ちになったような気分になってしまうので、大変危険だ。
もっとも、ベトナムでは1万円が平均月給の半分くらいであるというので、高額なお金を持ち歩いていることには違いない。

ベトナムの紙幣は13種類あり、一番大きい紙幣が50万VD。しかし、普通に1万円を両替すると、ほとんどが10万VD札で渡される。
実際買い物をするときにも、1,000VD以下のやりとりはほとんどない。インフレの進むベトナムでは、貨幣価値がどんどん下がってきているため、買い物するときはあまり細かいお金のやりとりはない。なので、1,000の位以下がはしょって表示されていたりする。100,000VDの場合は、「100」とだけ書かれていたりするのだ。
以前は米ドルも使用できたようだが、最近は政府でVD以外の通貨の使用を実質禁止しているらしい。数字だけが書かれていて、VDだと思っていたらドルを要求されるような詐欺も多いらしいので要注意と、ガイドブックには書かれていた。

両替時には、ここでも1,000VD札はもらえなかったので、改めて10,000VDを一枚1,000VD札に換えてもらい、ここから先ほどのトイレ代2,000VDをフーンさんにお返ししたのだが、「細かいお金だから返さなくていい」と繰り返し、結局受け取ってもらえなかった。
実際フーンさんにトイレ代として借りたお金は、日本円にすると8円程度のもの。ベトナムの平均月収が2万円くらいと考えると、100円借りたくらいの感覚だろうか。
実際フーンさんがいなければ、たぶん10万VD札をトイレで出しても、トイレを貸してくれなかったか、お釣りをもらえずぼったくられたかのどちらかだっただろうと思う。
フーンさんに感謝しつつ、海外で街へ出るときには細かいお金を用意すべきだと、心に命じたのであった。

郵便局を出たときに、同じツアーの年配ご夫婦のHさんの旦那さんから、「レートはどれくらいでした?」と声をかけられた。レートを話すと、「街の方が安かった」と言い、いろいろと情報を教えてくれた。なるほど、やはり場所によっていろいろなのだなと思った。


■人民委員会庁舎とホーおじさんの像

ホーチミン人民委員会庁舎とホー・チ・ミン像
ホーチミン人民委員会庁舎とホーおじさんの像。

バスはどんどん街の中心地へ移動していく。ホテルからの道中で車窓から見えていた屋台や商店は姿を消し、大きなビルやブランドのディスプレイやポスターなどが目立つようになってきた。
通りはゴミもなく、清掃が行き届いている。

とあるファッションビルの横にバスを横付けし、大きな通りにある広場に出ると、正面にベトナムの国旗を掲揚した立派な白い建物が見え、広場の中心にはホー・チ・ミンと少女の像がハスの花に囲まれて建てられている。
周囲の街路樹は緑をたたえ、色とりどりの花も咲いていて大変きれいだ。

正面に見えるのは、ホーチミン人民委員会庁舎。ベトナムの行政機関のある建物だ。
本来ならば中に入って見学する予定だったのだが、この日はたまたま行事が重なって見学ができないとのこと。
フーンさんが、ホー・チ・ミンとこの少女の逸話を説明してくれ、みんなでそれぞれ写真撮影。
そんな中、通りに荷物を放り出して写真を撮ろうとしている、アオザイ姿の若い女性二人の姿があった。日本語で「写真を撮りましょうか」と声をかけると、日本語で「ありがとうございます」と返ってきた。

この場所には日本人以外の観光客がいたが、荷物を放り出しているのは日本人だけ。あれだけ注意されても、やっぱり油断だらけは日本人なのだと思ってしまった。



つづく

◇ベトナム旅行記07 ~半日市内観光ツアー その1~2012年05月23日 02時33分48秒

■半日市内観光 バスの中で
朝食後、あまり時間がないので急いで支度をする。
トイレに行きたかったのだが、旦那がこもっていて使えない。
外の気候がいまいちわかりづらく、半そでで出かけるべきかどうか迷ったが、日焼けを懸念して半そでのTシャツの上に薄い長袖を着ていく。
汗をかいて化粧崩れも面倒なので、下地にUVクリームを塗り、ファンデーションと眉だけ整え、ファンデーションと口紅だけ持って歩く事にした。

ホテルのロビーに行くと、同じオプショナルツアーの人たちがすでに集まっていた。年配のご夫婦と、年配の女性二人のグループに、若い女性二人のグループ。
みなさんはすでに昨日も別なオプショナルツアーに参加されていたようで、その話をうかがって話がはずんでしまい、ここでもトイレに行くのを忘れる。
旅行会社のガイドは時間ぴったりにやってきて、参加者は迎えに来た小型バスに乗り込んだ。

外はものすごくいい天気だが、多少蒸すものの思ったよりは暑くない。
もう一軒、別なホテルでお客をピックアップし、観光バスはホーチミンの中心街へと走る。

この日のガイドは、フーンさんという女性。
年齢は聞かなかったが、たぶん私と同年代だろうと思われる、日本語がとても流暢な人だ。
ホーチミンを歩いていると、女性はだいたい長い髪を束ねるか、ショートカットにしていることがほとんどだったので、フーンさんが長くきれいな髪をしばらずに流していたのが、後になって印象に残っている。

ホーチミンの朝の通勤風景
ホーチミンの朝の通勤風景(写真をクリックすると、動画(mp4)が立ち上がります。音声なし)

バスの中からは、ホーチミンの街の風景が見える。
小さな路地の商店街では、野菜や果物を売るお店や屋台が見られる。朝食やジュースなどを売る屋台もちらほらあり、屋台の周辺で地べたに座って麺のようなものを食べている人がいる。
ベトナム特有の三角の傘をかぶり天秤棒を担いで、何かを行商しているおばさんも見える。
人々はだいたい小柄で、痩せた人が多い。

大きな道路では、前日の夜にも増して車や大量のバイクが行き交い、バイクの二人乗り三人乗りは当り前の様子。大きな建物の裏手には、ずらっとバイクが駐輪されており、街の雑多な雰囲気とは違い大変秩序正しく駐輪されている。
バイクはほとんど原動機付きスクーターで、スーパーカブ風のものよりは、最新型のデザインのカラフルなものが大半を占める。日本製のバイクは高級なので、韓国製や中国製が最近人気なのだとか。
本当にごくごくたまーに大型のバイクが走っていると、「おーっ」と歓声を上げたくなる。イタリア製のべスパの旧型のものを何台か見かけたが、たぶん日本製バイクの比ではないくらい高級なのだろうと思った。


■サイゴン聖母大聖堂よりも公衆トイレ

サイゴン聖母大聖堂
サイゴン聖母大聖堂

20分ほどで、ホーチミンの中心地に到着する。
まずは、フランス統治時代に建造された、サイゴン聖母大聖堂を見学。ここの隣りのエリアには、フランス統治時代に駅舎として利用されていた建物をそのまま郵便局とて今も利用している中央郵便局もあり、それぞれ一緒に見学する。

ここで私は、再度トイレに行きたくなった。
教会に入る前にフーンさんに、「このあたりでトイレに行ける場所はある?」と聞いた。
観光の最初の場所でトイレを尋ねるなど愚の骨頂だったが、大きな建物のある場所以外ではトイレ事情が悪いことを聞いていたので、とりあえずここで聞いてみることにしたのだ。
フーンさんは、「えーっ」という表情を一瞬見せたが(とても正直な反応である)、中央郵便局の角を指差し、角を曲がったところに公衆トイレがあるので、そこを利用するように教えてくれた。「2000VDいるよ」と言われ、高額紙幣しか持っていないことを告げると、「これを使って」と1000VD札2枚を渡してくれた。
とりあえず、「後で必ず返します」と叫んでトイレへと走る。
他のツアー客は聖堂の中へ。

中央郵便局横のトイレの案内板
中央郵便局横のトイレの案内板

郵便局の角までくると、青い「WCと矢印」の案内板を発見した。角を曲がってみると、そこは聖堂や郵便局の前とはうって変わった、細い路地の雑踏だった。
これまでバスの中で見ていたような、ディープな街並に一瞬戸惑うが、まずはトイレだ。

角を曲がってすぐのところに、雑踏には似合わないロココ風のしゃれた白いフェンスがあり、そのフェンスには似つかわしくない作業場のような場所があった。
そこの中にいたおじさんが、うろうろする私に「ここだよ」と手招いてくれた。見るとそこにも「WC」という手書きの案内が貼り付けてあり、そこがトイレであることが判った。
フェンスの中に入ると、右手に白い木造の建物があり、その奥にドアがあり、ドアの前にはおばさんがいた。
私が近づくと、それまで半分寝ていたおばさんが、びっくりしたように目を開けたので、日本語で「いいですか?」と聞くとベトナム語で何か言われた。何を言っているのか判らないので、2000VDを渡すと、トイレットペーパーの切れ端30cmほどを渡されドアを指差されたので、すぐに中に飛び込んだ。

どんなトイレだか覚悟していたが、古いけれどきちんと清掃されている感じの普通のトイレだった。
ネットの情報では、「ホーチミンの公衆トイレには、便座がないものが多い」と書いてあったが、そこのトイレには便座がちゃんとあった。特に新しくした感じもなかったので、ここのトイレ利用者は便座の使い道を知っている人たちだったのであろう。
写真を撮るか用を足すかで迷ったが、まずは用を足すことに。用を足したら満足してしまい、写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。

紙は渡されたものでは足りず、持参したティッシュペーパーも利用した。
使ったトイレットペーパーは、備え付けのゴミ箱の中へ。これは中国でも同じマナー。
便器に捨てて水で流すのが当り前の日本人には抵抗があるが、下水事情の悪い場所では、トイレの紙を流すと詰まってしまう。
トイレというのはどこか油断してしまう場所なので、うっかり失敗してしまうこともあるが、ここではきちんとゴミ箱を利用した。

外にある小さな洗面台で手を洗い、「しんかむおん(ありがとう)」とおばさんにお礼をして急いで聖堂に戻った。

聖堂前には旦那が立っていて、ちょうどフーンさんとツアーの人たちが聖堂から出てきたところだった。
旦那に「中に入ったの?」と聞くと、私が困ると思って入らなかったらしい。
フーンさんが、「中に入って見てきたら?」と言ってくれたが、これ以上迷惑をかけたくなかったのと、中央郵便局で両替をしたかったので、結局サイゴン聖母大聖堂では、聖堂前のマリア像の前で写真を撮っただけだった。



つづく

◇ベトナム旅行記06 ~ホテルの朝 一日目~2012年05月02日 03時42分25秒

■ホテルの朝 一日目
ホーチミンの朝
ホテル・ニッコー・サイゴンの部屋から見た、ホーチミンの朝

ホテルの私達の部屋は東向きだったので、窓から日の出の風景が楽しめた。
ホーチミンは、いまや経済発展の過渡期。遠くには高いビルなどが見えるが、ホテルの周辺はまだ開発地域で、あちこちにがれきの散乱する空き地が見られる。
香港返還の年に行った上海を思い出す。

朝日がきれいで、天気はよさそうな雰囲気。しかし天気が良くても、楽観はできない。
前日空港の外に一歩出たときのムッとした熱気を思い出す。前日の夜の気温が30度を超えていたので、日中の気温はもっと高そうだ。
日本で確認した天気予報では、晴れときどきスコールの予報。
雨季を直前に控えたベトナムでは、ときどき思い出したように雷雨になることもあるらしい。
水分補給と体力調節をしないと、実質二日しかない日程で最初にばててしまう可能性がある。

前日の夜、ホテルの空調が寒いのでエアコンを消したら、見る見るうちにテーブルにおいていた紙が湿気ってくる。風呂にはまだ入っていないし、なんだろうと思っていたら、ベトナムの湿気なのだった。
窓のガラスも、あっという間に結露していく。
実はスイッチが日本の感覚と逆で、1から3まで強弱があるうち、3が一番弱いらしかった。それを知らずに、スイッチは1で弱だろうと止めてしまったのが間違いだった。

しかし、これでベトナムの湿気の恐ろしさを思い知ったのだった。
あっという間に発生する湿気に、当日の蒸し暑さを想像させた。
湿気に弱く、上京して二十数年経った今でも、関東の梅雨と夏の湿気が身体に合わない私としては、次の日どんな気候が待っているのかと、現地に到着してちょっとナーバスから開放されたものの、またちょっと気分が逆戻りしてしまった。

朝起きて、空調が3でもやはり肌寒く感じ、お風呂に浸かりたかったけど時間がなくて断念する。
服が湿気るといやなので、もったいないと思いつつも空調は常につけっぱなしだった。

ベトナムの麺“ブン”とサラダ
ホテルのプレートには「ベトナムの麺」と書かれていたが、ベトナムでは朝食に「ブン」という細い麺を食べるのが定番とガイドにあったので、たぶんこれは「ブン」であると思う。
喉越しの強い素麺という感じ。


この日は、午前中に半日市内観光の予定を入れていたので、7時頃朝食を取りに行く。
ホテル2階の朝食ビュッフェは、日本食の白米、納豆、梅干、漬物、焼き魚から、そばやキムチなどもある。中国風のおかゆ、ホテルの定番である卵を好みで焼いてもらうサービスや、ベーコン、ソーセージ、チキンの焼いたもの、ヨーロッパ風のいろいろな種類のパン、そしてベトナム風の麺があり、好みで注文したり用意してあるものを取ってきて食べる。
デザートも、ケーキからいろいろなフルーツの入ったヨーグルトのパック、ベトナムのフルーツなど盛りだくさん。

いろいろ迷うが、やはりベトナムのものが食べたかったのでスタッフに聞くと、ベトナム食は麺くらいしか用意していないという返事。唯一ベトナムの朝食である、「Vietnamese noodle」と書いてあるのを選ぶ。
最初、自分でいろいろとトッピングするのが判らなく、ヌックマムなどの調味料も見えなかったので、そのままの素の麺を持って席に戻ってしまった。
後で旦那が「いろいろと自分でトッピングするらしい」と教えてくれたので、再びどんぶりを持って引き返す。
本当はたっぷりとパクチーをのせたかったのだが、トッピングにはなかったので、ゆでた鶏肉や、青ねぎなどをたっぷりのせる。
スープは鶏のダシでさっぱり。麺は細めで喉越しの強い素麺という感じ。
サラダもたっぷりもらってきたが、トマトとにんじんの味の濃さには感動。野菜がとても美味しい。葉っぱものも、日本ではあまりなじみのない種類のレタスなどが、数種類あった。

デザートのヨーグルトは、日本のものと同じあらかじめ甘味料とフルーツが入っているもので、プレーンのものも甘い味がついていた。
フルーツは、ジャックフルーツ、ドラゴンフルーツ、ライチなど味が濃くてとても美味しい。

一日目のコーヒーは勝手がよくわからず、ベトナム風の練乳入りにできなかったのが残念。
ふだんはコーヒーに砂糖もミルクも入れないが、その土地に来たらその土地の飲み物が一番気候に合っていると思う。

正直に言うと、化学調味料が苦手な私は、テレビで見る「味の素」が束になって売られている商店などを見て、東南アジアの料理は恐怖にも近かった。
知らないで食べても、化学調味料を取りすぎると頭痛がして気分が悪くなる。
隠し味程度ならいいのだが、日本のラーメン屋などでカレースプーン山盛り一杯がどんぶりに入れられるところを見ると、ぞっとしてしまう。そういうのを想像していたのだ。
しかし、少なくとも私が食べたベトナム料理は、そんな心配は杞憂だった。
特にホテルの朝食は、化学調味料の存在をほとんど感じることはなく、薄味でとても美味しかった。

パンもいろいろと食べたかったが、ベトナムヌードル「ブン」が気に入ってしまい、パンやご飯を食べる機会を逸してしまったのが残念。
とにかく野菜の美味しさに感動して、朝から野菜とフルーツでがっつり朝食をとり、いろんなナーバスから少しづつ開放されていったのだった。


つづく

◇ベトナム旅行記05 ~タンソンニャット国際空港とホテル・ニッコー・サイゴン~2012年04月24日 02時24分27秒

■ホーチミン到着
ホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着して、荷物を受け取り、イミグレーションの列に並ぶ。時間が遅いせいか、列に並ぶ人の数も多くない。
フランスからの飛行機も同じ頃到着したのか、フランス人の姿も目立つ。

イミグレーションの係員は、だいたい無表情に事務的に事をすませていくのはどこの国でも同じだが、国によっていろいろとチェックされるポイントが違うように思う。
中国などでは事細かくパスポートをチェックされたし、トルコでは私が間違えてトルコ人用の窓口に入ってしまったので、係員とも笑顔のやりとりがあったりもした。
ここベトナムも共産圏の国なのでじっくりチェックされるのだろうかと思ったが、イミグレーションに要した時間はほとんど数秒だった。
私のパスポートの写真はメガネなしなので、メガネをとるよう促されたのが、唯一のコミュニケーションだった。

到着ロビーは非常に狭く、お店もみんなしまっている。空港の規模自体が小さく、日本の地方都市の空港くらいの大きさだ。
外に出ると、出口の手すりにそって、ずらっと出迎えの人がひしめきあっている。
ほとんどが旅行会社の人で、ツアーの名前を書いた紙を持っている。出てくる人が早く自分に気づくよう、必死な形相だ。

夜のホーチミン
夜のホーチミンの道路。
この画像は帰りの空港行きのバスの様子。しゃべっているのは、旅行会社のガイドさん。
(写真をクリックすると、動画(mp4)が立ち上がります。音声注意。)


私達の旅行会社の送迎担当はTHAO(タオ)さん。名前を確認され、「もう間違えない」と言われた。
同じ旅行会社の別なツアーの人も一緒の送迎のようで、ホテルはみんなバラバラだった。
バスの中で、旅行前に何度も注意喚起された、カメラやバッグなどの携行品に関する注意を受ける。何かあったときの注意や、連絡先なども教えてもらう。

バスから見えるホーチミンの夜の景色は、石造りの古い建物が暗闇の中でひっそりと息をひそめている感じ。町全体は薄暗いが、商店などは11時近いといのにまだ開いているところも多い。街はまだまだ人が起きて、活動している息吹があふれている。
道路はバイクと車であふれている。バイクは、バスや車の細い隙間を縫って侵入してくる。ヘルメットは着用しているが、二人乗り、三人乗りも多く、日本人の感覚としての秩序は感じられない。
街燈などは薄暗いが、信号機はLEDが採用されていてやけに明るく目立っていたが、バイクの人などは赤信号でも行けるときは交差点に突進していくので、信号はあまり役にたっているようには見えなかったが、それでもないと困るのだろうと思った。


■ホテル・ニッコー・サイゴン
ホテル・ニッコー・サイゴンのエントランス

ウエディングスペースのウインドウディスプレイエレベーターホールのトラッシュボックス。
砂で、ホテル・ニッコーのマークを形作っている。

空港から30分ほどで、ホテル・ニッコー・サイゴンへ到着する。
このホテルは、2010年10月にオープンしたばかりのホテルで、ネットの口コミなどではあまり悪い評価は見当らなかった。
ホーチミンの中心地からはだいぶ離れてはいるが、中心地のホテルは便利だが夜遅くまで騒がしいという評価もちらほらあり、夜はゆっくりできるというのが理想的だった。
館内にはスパやジム、プールなども併設されており、ホテルから隣りの新進のショッピングモールには直結している。

旅行前のナーバスな気分や、旅行の注意勧告があまりにきつく感じて窮屈になっていたせいもあり、もし街を楽しめなくてもホテルを楽しめばいいというのに相応しいホテルだった。

ガイドのタオさんがチェックインを手伝ってくれ、ルームキー代わりのカードを渡された。
このカードは、部屋に入るとき以外に、エレベーターに乗るときにも使用する。エレベーターの中にあるカードリーダーにカードをかざさないと、エレベーターは動かない仕組みになっている。

ウエルカムカードとチョコレート。

私達の部屋は14階。
まず部屋の広さにびっくり。私達の部屋は40m2のデラックスルーム。
落ち着いた色調の部屋に、ベッドはダブルサイズのツイン。トイレとバスルーム、シャワールームが別々になっている。LANも室内に常備。トイレはシャワー付き。テレビは衛星対応。

部屋の様子。LANとコンセント。
ドリンクサービス。
湯沸かし器のほかに、コーヒーメイカーがある。
バスルー正面。
バスルームと通路の間には、引き戸が設けられている。
洗面台。シャワー室。


携帯電話の設定などを行い、23時30分頃ロビーラウンジでビールを飲む。残念ながらラストオーダーで、一杯しか楽しめなかった。おつまみについていたミックスナッツがおいしい。

0時頃部屋に戻り、窓から見える夜景を眺める。中心地が遠くの方に見えるが、飛行機から見た景色よりは、ずっと都会な雰囲気だった。

ホテルの窓から見た夜景。

◇ベトナム旅行記04 ~空港と行きの飛行機~2012年04月21日 03時14分16秒

■出発ロビーで
行きの飛行機は、成田からホーチミンのタンソンニャット国際空港への直通便で、17時50分発。到着は現地時間で22時20分の予定だ。
出発が遅いので、家を出るのもお昼頃。旅行日程の一日目は、移動だけで終了だ。
成田エクスプレスの中で、駅で購入した崎陽軒のシウマイ弁当を昼食にする。
成田エクスプレスは非常にすいていて、空席が目立つ。

3時頃成田空港へ到着する。
JRから出発ロビーに行く途中の両替屋で、ベトナムドンへの両替が可能という立て看板に出会う。日本国内ではベトナムドンには両替できないと聞いていたのだが、ここでは可能な様子。

以前トルコへ行ったときに、荷物受け取りの時や、送迎のガイドさん達にチップを渡したかったのに、お金を持っていなくて困ったことことを思い出す。
それに、現地の到着時間が遅いため両替ができないかもしれないと、レートは少し高めだが、1万円だけ両替する。
しかし、空港からホテルまでは旅行会社の送迎バスが来ていて、他のツアー客もたくさんいたし、チップも不要で、これはまったくの懸念に終った。

現在ベトナムでは、ベトナムドン以外の通貨が政府の方針で使いにくくなっているため、空港からタクシーでの移動の場合は、あらかじめ替えていったほうがいいのかもしれないが。

喘息吸入器
喘息の吸入薬

チェックインはすでにWEBですませているので、荷物カウンターへ。出発の飛行機がないためなのか、出発ロビーは人がまばらだ。
念のため、機内持ち込みする喘息の発作時の吸入器の持ち込みについて確認する。機内はスプレー缶などは持ち込み禁止だが、医療器具等は例外が認められている。
…はずなのだが、カウンターであちこちに確認されてしまい時間をとられ、10分ほど待たされてやっと許可がおりた。

しかし、いざ買物へと出かけると、館内放送で呼び出しがかかっている。
再度カウンターへ行くと、すでにホーチミン行きのお客がごった返していて、空いているスタッフがいない。呼び出しておいて、それはないだろうとイライラしていると、名前を呼ばれてやっと対応してもらえた。
呼び出された理由は、医療機器の場合は現物を荷物係に確認しなければならないのに、それが完了されていなかったからだとのこと。
さっき10分待たされたのは、いったいなんだったのか。
「こういうのを持ち込む人ってめずらしいのですか?」と聞くと、「そうではないのですが、こちらの不手際で申し訳ございません」との返事。
「ホーチミンでもいろいろと面倒ですか?」と聞くと、本当に危ないと判断された場合は止められるので、向こうでは申告しなくていいと言われた(マジ?(^^;))。


成田空港出発ロビー内のスタンプ

免税店はいつも楽しみだが、今回は服装が服装のせいか、化粧品などの売り場に行くと、店員がぎょっとした目で見ている。
唯一、アナスイの店員さんが接客に力を入れてくれたが、ようじやで紙石鹸を買うだけにした。
乾燥しているせいか爪が割れてしまったので、インフォメーションのお姉さんに爪切りを借りたいと申し出るが、成田の中では刃物は厳禁。それは爪切りも同じらしい。爪ヤスリもないといわれ、しかたないのでそのままにする。

搭乗まで時間があるので、カフェで一服する。
後ろで誰かが「日本に戻ってきたら、地震で日本が沈没していたりして~」と大声で話していて、非常に不快な気分になる。


■行きの飛行機
行きの機内食
行きの機内食。
手前左から、あられミックスのお菓子、野菜サラダ、チキンの照り焼きと雑穀ごはん。
真ん中左、テトラパック入りのドレッシング。
奥左から、サーモンマリネ、ハムとポテトのサラダ、ハーゲンダッツのアイスクリーム、コンソメスープ。
アイスの上に乗っているのは、食後の飲み物のカップ。


飛行機は、ほぼ定刻通りに出発。
座席には一人ひとつづつモニターがついているが、あまりにも座席の奥行きが狭くてうんざりする。
しかしモニターのメニューは豊富で、映画や音楽の他、ゲームやテレビ番組の視聴もできる。今どのあたりを飛んでいて、気温はどれくらいでなどの情報も、もちろん確認できる。コントローラーが裏表で使用でき、クレジットカードの利用で機内電話が使えるようにもなっている。

私達の後ろの席は、4人連れの中年女性の客だったのだが、モニター機能を見てキャーキャー騒いでいる。この時点では、まだ旅が楽しみなのだと黙認できる状況だった。
しかし、ちょうど私の真後ろの席の人が、ヘッドフォンをしながら隣の人と話しているので、声が非常にでかくなっているが本人は気づかない。
あげくの果てに、音楽チャンネルの「なつかしのフォークソング」か何かを聞いてるのか、「なつかしー」とか言いながら大声で歌い出しはじめた。
周囲の客が、みんな彼女に注目しているのにも気づかない。耳栓をしてみたが、まったく効果をはっきしない。
「ここはカラオケボックスじゃないぞ!」と、たまりかねてCAを呼ぼうかと思ったときに、飲み物の配給になったので彼女の歌も収まってくれた。

この日の機内食は、チキンとあと何か二種類あったが、CAが提示しているメニューがはっきり見えず、無難にチキンにする。
ごはんはちょっとやわらかすぎだが、機内食としては美味しい方だと思った。
食後の飲み物は、ベトナムコーヒーを期待してコーヒーにしようかと思ったが、日本からの機内食は日本食が基本なので、あわせて暖かい日本茶を頼んだ。


飛行機からの街明り
飛行機から見た街灯り。左が日本のどこか(たぶん関東圏と思われる)、右がホーチミン近郊(ピンボケ)

飛行機はあまり上空を飛ばなかったのか、電子機器使用許可が下りても、日本のどこかの都市の灯りをはっきり見ることができた。
ここがどこだか確認はしなかったが、非常に広範囲にとても明るい灯りが広がっている。
去年の震災の後から、電気が足りないだのと言っているのが嘘のようだ。
食後、機内の明りが落とされたが、語学ゲームのロシア語などをやりながらずっと起きていた(ベトナム語は残念ながらなかったので)。
ホーチミンが近づいてくると、ちらちらと灯りの塊が見えてくるが、日本の比ではない。
日本は本当に明るすぎるのだと思った。

約6時間のフライトで、ホーチミンのタンソンニャット国際空港へ到着する。定刻に出発できたので到着時刻がちょっと早く、22時5分くらいだった。
途中揺れもなく、座席が狭いのと後ろの女性が騒いでいたほかは、快適な機内だった。



つづく

◇ベトナム旅行記03 ~旅の注意~2012年04月21日 01時23分47秒

人民委員会庁舎とホーチミン銅像
人民委員会庁舎とホーチミン銅像

■ベトナム旅行の注意とわたしたちの対策
ベトナム旅行に際して、詐欺やひったくり、スリなどに十分注意喚起する文章を頻繁に目にした。

ベトナム旅行に関する注意喚起のサイト
ベトナム雑記帳「ベトナムでのちょっとした注意」
在ホーチミン日本国総領事館「ホーチミン市安全情報」
ベトナム観光口コミ情報「ベトナムゴー」

ベトナム旅行に関するサイトでは、カメラやスマートフォンなどの携行品には、十分注意が必要であると書かれていた。
カメラを首から提げていたものを、刃物で紐を切られて盗られることもしばしばとのこと。
カメラの注意事項として「人通りの少ないところで出すように」と書かれてあるものもあり、写真を撮りたいところはたいてい人のたくさんいるところではないのだろうかと、疑問を持ったりもした。
カバンもショルダーをたすきがけにしていた人が、バイクに引っ張られてそのままひきずられたという話もあり、少し脅かしすぎではないかと思った。

これまで行った中国圏やトルコなどでも、この手の注意喚起はたくさんあったが、常識的な行動を心がければ大丈夫といつも思っていたので、必要以上に気にすることもなかった。だが、刃物で切られたりバイクで引きずられるなどは初めて聞いたので、行く前はちょっとびびってしまった。

どこの国でも日本人はウルトラ・イージー・ターゲットであることにはかわりない。
特に狙われるのは女性とのことだが、体力のない中年女性である私は、かっこうのターゲットだろうと思った。

おしゃれな街並で綺麗な服を着て歩くのも一興だが、服装はできるだけ簡素なものに。
とにかくお金をあまり持っていなさそうな服装の方がいいと思った。
街歩きにはウエストポーチを採用。 財布やカメラなどは、常に身体につながった状態に。
靴はスニーカーで、帽子は大きめのもの。
まるで山歩きでもするような、街のおしゃれとは程遠いいでたちだが、旅先で被害に遭うよりはましである。

心配だったのは、スマートフォンだった。
メールなどは無視してもいいのだが、私はスマートフォンに翻訳アプリを入れて、それを買物に利用しようと思っていた。リアルタイムの地図としてgoogleマップも利用したかった。
しかし、現地の注意では「スマートフォンなど高価なものは、人前で見せないように」と書かれている。特にiPhoneなどの価格は日本よりも高額なので、ベトナムでは非常に高級品。特にひったくりの被害にあいやすいらしい。
そこで、スマートフォンにはカメラについていた手首にホールドできるストラップをつけ、人前で利用する場合でも手首からはずれないようにすることにした。
ふだんは、ウエストポーチの腹と接する外ポケットに入れるようにした。

ネットでは、「女性の海外一人旅でホーチミン」という旅行記も見かけるのだが、ベトナムに行きなれている人などは、やはり一様にベトナムでの注意喚起がなされている。
ここまで注意が必要なところに行って、楽しめるのだろうか…と、行く前のナーバスな気持ちに拍車がかかってしまった。

しかし、実際に接したホーチミンの人々は、シャイだけど明るくて親切だった。
だれかれかまわず話しかけるということはなかったが、目が合えば笑顔で応じてくれるし。道に迷って地図を見ていると、「どこに行くのか」と聞いてくれる人もしばしば。「しんかむおん(ありがとう)」とベトナム語で言うと、みんな嬉しそうに「Xin cam on」と返してくれる。

観光地では、マッサージなどの勧誘なども多かったし、店に入って値段を聞いて「買わない」と言うと、どんどん値段を下げてくるという不確かさはあるが、こちらがはっきりした態度で応じれば、必要以上に追いかけてくることはない。

結局は、旅先の油断がいけないのだと感じたのだった。
どこに行くのでもそうだが、日本人はどこでも日本のように安全だと思いがちだし、自分だけは危険な目にはあわないと、どこかで思っているとこるがあるように思う。
過剰に緊張する必要はないのだろうが、十分注意するにこしたことはないのだろうと、今回の旅では痛感したのだった。

◇ベトナム旅行記02 ~旅行の準備~2012年03月28日 18時30分30秒

■海外旅行保険
旅に行く直前まで気分がのらずにいたのだが、さらに気持ちを重くさせたのは、海外旅行保険だった。
格安の保険はいくつもあるのだが、私は喘息と婦人科の持病持ちなので、WEBの海外旅行保険の適用外だとはねられてしまう。
たかが4日の旅行で旅費も格安だというのに、1万円もするような保険は利用したくない。
かといって、私には過去に旅行先で病院に担ぎ込まれている経験もある。保険の大切さは、よく知っている。

そこで、WEBで格安の海外保険をまず探した。
当初検討したのは、損保ジャパンの「off」という商品。これは持病持ちの人は加入できないとある。
それと、AIUの持病持ちの人でも加入できるという商品。こちらは、電話か保険カウンターでの契約になるらしい。

とりあえず、持病について確認するために両社へ電話してみる。
AIUでは、持病に対する保険について詳しく説明をしてくれた。
手元にカタログを持っていたが、根本的な勘違いをしており、当初見積もっていた保険料より高額であることがわかった。
しかし、持病を持つ人用の保険としては、調べた結果AIUが一番格安であったので、とりあえず保険加入のための書類を取り寄せることにした。

損保ジャパンでも持病持ちの人向けに商品はあるので、当初そのことについて質問する予定だったが、WEB限定格安商品の「off」を検討していたことを話すと、持病について詳しく質問された。 その結果、私の持っている病気については、持病を保障外とすることで加入できると説明され、その電話で名前を告げることでWEBで加入申請したとき審査が通るように手配してくれたのだ。

旅行に一緒に行く旦那は持病がないので、家族向け商品にしてしまうと高くなってしまうため、私と旦那と別々に加入することを検討していた。
しかし、損保ジャパンのoffに加入できたことで、家族二人で3500円程度に収めることができた。
保険内容を確認するということは、自分の身に異常が起きたときだけだ。幸い今回の旅行でそれを実感するようなことは起きなかったが、保険内容も充実したものだったし、少なくとも短期間の旅行に高額な保険に加入するようなことなく利用できたので、これにはとても満足している。


■指差し会話帳

今回作ったベトナム語の指差し会話帳


旅に行くときには、指差し会話帳を持っていく。
しかし、これまでの旅行では中国圏はガイドがいたし、イスタンブールではほとんど英語でなんとかなった。唯一、台北ではほとんど言葉が伝わらないところもあったが、日本語が話せる学生さんがいたりと、あまり不便だったという記憶はない。

自分達で決めていることは、その土地の「こんにちは」とか「ありがとう」「ごめんなさい」などの基本の言葉は、発音がおぼつかなくても必ず覚えて行く。
中国語などは発音が違うだけで、違う意味の言葉になってしまうが、広大な国土の中で方言も多いため、多少発音が変でも相手が旅行者であれば、あいさつ程度はみんな笑顔で返してくれる(15年前の上海でだが)。

最初はガイドブックなどについている会話集や、指差し会話の本をそのまま持っていくこともあったが、最近は旅行先ではガイドブックをできるだけ開いて歩かないようにしている。「地球の歩き方」などを表紙も隠さずに持ち歩いていると、それだけで日本人だとわざわざ宣伝して歩いているようなものだ。
経済的に発展し、平和ぼけして危機感の薄い日本の人であるということは、外国では常に悪い人の標的であるといつも思う。旅行先で過剰に警戒するのも疲れるが、自ら危険を呼び込む必要もないとも思う。
もちろん、聞かれれば胸をはって「私は日本人です」と答えるし、日本語で話しかけられれば日本語で返す(イスタンブールで日本人であることをごまかそうとして、失敗した過去もあるし)。

市販の指差し会話集は確かに便利なのだが、書いてあることのほとんどは使わない。
一般的なシチュエーションがたくさん載っているが、ページを探すだけで大変なのだ。
今回は日程も短いことだし、「あいさつ」「買物」「道順」「ヘルプ」と大まかに項目を分けインデックスを貼り、ネットで会話を検索して自作した。
「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「どういたしまして」「ごめんなさい」「これはなんですか?」「安くしてください」「高いです」「お勘定をお願いします」「ここはどこですか?」「トイレはどこですか?」などなど。
ノートの裏表紙には、基本の発音の仕方と数字を貼り付けた。
その他のこまごましたものは、ガイドブックに載っていた便利な会話集のページをコピーして貼りつけた。
このノートは、逆側はメモとして使用する。両方から使いやすいよう、リング式の手のひらサイズのものを選んだ。
ガイドブックの指差し会話を貼り付けた手帳

今回購入したガイドブックは、JTBパブリッシングの『タビトモ ホーチミン』と『ララチッタ ホーチミン』の2冊。同じ出版社のものになったのは偶然だが、厚さや大きさが手ごろで持ち歩きやすかった。
特に、『タビトモ』の方は表紙のかえしと裏表紙の見開きに、シチュエーションに合わせた会話がピックアップされ一覧になっている。これがものすごく重宝した。
地図も本誌とは別に、一枚紙で主要観光地が裏表で印刷されたものがついていて、道を確認するときにガイドブックを取り出さなくてもよいようになっている。

私はこれの、「人を呼びかけるとき」と「食事編」「スパ・マッサージ編」「オーダーメイド編」をコピーして切って貼り付けたのだが、食事編は非常に便利に利用できた。
実際レストランで「ちぇっく ぷりーず」と呼びかけても、なかなか対応してくれないことがあったが、店員を呼んで「お勘定をお願いします」という項目を指差すと、笑顔で「オーケー」と言って対応してくれる。
外国人観光客の多い場所では、ある程度英語も通じるが、できるだけ現地の言葉でコミュニケーションした方が喜ばれた。
ただ、指差して声に出して言うと、「発音が違う」と正しい発音ができるまで教えこむ店員もいたのにはちょっとだけ閉口した。これも旅のコミュニケーションだ。

トイレなども、有料公衆トイレなどではほとんど英語が通じないので、場所が判りづらいときには「トイレはどこですか?」なども結構使った。

実際口に出して話したのは、「Xin chao(こんにちは)」と「Xin cam on(ありがとう)」が一番よく使ったし、「ありがとう」は伝わりやすかった。
「はい」と「いいえ」は実際使っても伝わらなかった。

ベトナム語は非常に難しい。同じ音でも声調(発音の仕方)で意味が異なるというのは中国語と似ているが、中国語よりも声調が多いし、しかもその区別が非常に微妙である。母音の数も多く、喉の奥でポコポコさせるような独特の発音はとっさにやろうとしてもできない。

発音方法なども含めて、今回お世話になったサイトは、以下のとおり。
言葉の発音が実際に聞けるものは、音声データをダウンロードしてスマートフォンに入れておき、いつでも確認できるようにした。

ウィキトラベル「ベトナム語会話集」

ネイティブな発音が聴ける - ベトナム語大辞典
シチュエーションにあわせた会話が多数掲載。現地の注意事項も確認できる。
(音声認識の一部で、FireFox10に対応していなかった。IE9は対応している様子。)

NNA.ASIA「会話の基本→インドネシア語→ベトナム語」
こちらは、音声とカタカナ+発音で確認できる。声調の説明もあり、理解しやすい。



■スマートフォンの翻訳アプリ
google翻訳の画面

言葉の面で今回の旅行では、スマートフォンの翻訳アプリが、非常に役に立った。
私が利用したのは、「google翻訳」。
私はAndroidユーザーだが、このアプリは旅行に行く前から利用していた。以前は別なトランスレーターを使用していたのだが、こちらの方が音声認識の対応言語が多く使いやすかった。
料金は無料でダウンロードできる。
実際、翻訳アプリはあちこちで大活躍した。
google翻訳ではベトナム語は音声で確認する機能はサポートされていなかったし、日本語で音声入力したくても、あせってしまったり、騒がしいところでは誤認識するため、音声に関しては使えなかった。
だが、文字入力することで、簡単な質問などは文字の拡大機能で十分こと足りた。

ホテルの近くのスーパーマーケットでハチミツを購入しようとしたところ、あきらかに「食用ハチミツ」と、パッケージに女性が肌をすべすべ触っている写真のあるハチミツとが並んでいた。
「これは食べるハチミツなのか? それとも肌に塗るものなのか?」と悩んだ末、通路で警備員が女性店員を口説いているところを割り込んで、最初は英語で聞いてみたが通じない。
そこでこのページの最初の写真の画面を見せて、食べるしぐさと肌に塗るしぐさをして必死で聞いたところ、警備員が笑いながら飲むしぐさをしてベトナム語と英語で説明してくれたので、やっとそれが食用であることを理解した。

ちなみに、Viet honeyというのはこのハチミツのメーカーの名前である。
後でホテルのスタッフを捕まえて説明書きを読んでもらったところ、これはお肌にいいとされるローヤルゼリーで、一日朝と晩に一回ずつティースプーンに一杯飲むとよいらしいとのこと。このメーカーのハチミツはとても品質がいいので、よい買物をしたと太鼓判を押してくれた。
もちろん注意書きは英語でも書いてあったが、あまりにも細かい文字のため、老眼が始まった私の目では読むことが難しかった。

食べるものか、肌に塗るものか、買うとき迷ったローヤルゼリー

しかし、会話に関しては、ちょっと注意が必要である。
後でパソコン版のgoogle翻訳で、旅行中に使用した単語を日本語から一度ベトナム語にし、さらに日本語に翻訳してみると、けっこうとんでもない結果が出ている。
例えば、上のスマホ画面の写真では「このハチミツは食用?」と聞いているが、「このハチミツは食べるものですか?」と聞くと、別な結果が出てくる。それをさらにベトナム語→日本語で翻訳してみると、「この蜂蜜を食べませんか?」という結果になり、これではハチミツをエサにナンパしているみたいだ。

ベトナム語と日本語のどちらが正しい結果かは判らないが、どこかで微妙に「てにをは」がずれたりして、別な意味に変化してしまうらしい。
これは基の日本語を工夫しないと、出た他国語の結果をとっさに確認することは難しいので、使い方を考えなければいけないと帰国してから思った。

文字入力での利用でベトナム語→日本語にするとき、ベトナム語は通常の英語のアルファベットと文字が少し異なるし、音声記号も表記してあったりするので入力は難しそうだと最初は思った。
しかし、見たままをそのまま通常のアルファベットにあてはめて入力することで、だいたいのものは意味が通じた。
醤油だけでもいろいろな風味のものがあり、オイスターソースなのかカキ醤油なのか、見ただけではわからなかったりしたのも、問題なく判断できた。


街中で見かけた看板。ドアにかかった看板を
「co ban ca phe nuoc ngot thuoc la, nuoc mia」と入力して翻訳してみると、
「持っている 新鮮なコーヒー、タバコ、サトウキビジュース」という結果が出た。


帰国後、街中を撮影した看板などを、PC版のgoogle翻訳で訳すと、それが何の看板であるのかがけっこう判って面白い。
サトウキビジュースの屋台では、コーヒーとタバコも売っているのだという事がわかったり、コカコーラのポスターには、「描画したいですか? すぐに撮影 コカコーラ」という結果がでたり、帰国してからの楽しみにも活用できる。


つづく



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