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◇マクドナルド・藤沢プラザ店の閉店2010年12月01日 02時58分18秒


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先日用事で、久しぶりに藤沢市の藤沢プラザ周辺に行った。
結婚当初はよくここのイトーヨーカ堂で買い物をしていたし、当時は東急ハンズもあったので、駅から少し離れていてもこのあたりは藤沢の中心地でよく利用した。

しかし駅前のデパートも老朽化し、西武デパートも撤退して久しい。藤沢のシンボル的存在の一つだったはずの、日本で最初の東急ハンズである藤沢店も数年前に店じまいをして、現在はユニクロが入っている。
イトーヨーカ堂とユニクロの向いに位置するマクドナルドは、本当に昔からここにあった。黒マックになってからもいつも混雑していて、なかなかゆっくり座ることもできないくらい繁盛店だった。

久しぶりにこのあたりを訪れ、マクドナルドの上の駐車場に駐車して降りてきて、目に入ったのは「29年間のご愛顧ありがとうございました」の貼り紙と、ウインドウに貼られた白いシートだった。
マクドナルドの黒い看板も、すでに取り外されている。

私は今はマクドナルドに行くことはほとんどない。特にここのマクドナルドは、いつも混んでいるので、カフェとしても利用することもなかった。
しかし、長い間ここにあったものが突然なくなってしまったことに、ちょっとしたショックを受けた。
地元の人は、学生の頃からここにあって、あるのが当たり前だという人もいる。
それは東急ハンズにもいえることで、まさか東急ハンズが藤沢からなくなってしまうなんて、夢にも思わなかったという人は多い。

またひとつ、藤沢からみんなのお馴染みの風景がなくなってしまった。
今週末から、辻堂駅前の再開発地区に新しいお店がオープンする。
藤沢駅は小田急線とJR線とのキーステーションであるにも関わらず、駅前はどんどん閑散とし、なんとなくいろんな思惑から取り残されているような気がする。

◇禁煙丸2年。喫煙者と禁煙推進地域での葛藤2010年12月02日 03時38分13秒

ふと気づくと師走である。
ブログに禁煙カウンターを設置して、丸2年。禁煙して丸2年が経った。
ちょっと前までは、パソコンの前に座るとタバコを吸うのを身体が要求しているようだったのが、今年の夏くらいからそれはなくなり、今では完全にタバコが吸いたいとは思わない。
というか、たぶん吸えないと思うのだ。

タバコを吸っていたときから大人喘息の兆候があったのだが、タバコを辞めて呼吸器内科での治療を始めたため、完全に自分が大人喘息であることを認識している。
その認識とともに、身体がタバコの気配に過剰反応して、臭いを感じただけでも気分が悪くなってしまい、下手をすると喘息の発作でセキが止まらなくなる。

じゃあ、大人喘息がなかったら、タバコを再開するリスクが高かったろうか。
もしかしたら、そうかもしれない。
今更ながら、禁煙した人が過剰にタバコに反応し、嫌がる気持ちが良く解る。自分が大人喘息であることもそうなのだが、それ以前に気持ちに身体が反応しているような気がする。

それでも、禁煙グッズや禁煙外来などの助けなくして、自力で禁煙が続くとも思っていなかった。
子供であった時期も含めて、喫煙していた時期の方が長かったし、それまで禁煙したいとも思っていなかった。
私の場合は、家族も喫煙しないし、周囲の友人も喫煙しない。
周囲に一人でも喫煙者がいたら、長続きはしなかったろうとも思う。

現在一番困るのは、喫煙者に近づけないということだ。
呼吸器内科の医師は、「そういう人には近づかなくていいし、どんどん禁煙アピールすべきだ」と言うが、それはそれで人間関係がややこしくなるので避けたい。喫煙するしないは個人の自由だと思うし、マナーさえ完璧に守ってもらえば喫煙する権利も存在すると思う。

禁煙推進地域の神奈川県でも、まだ飲食店の禁煙・分煙化が完全になされたとはいえない。
焼肉屋などは未だに分煙さえされていないところも多いし(焼肉の煙を吸い取る機械があるから大丈夫だと思っているのかもしれないが、あれは鉄板の上だけでテーブルの上まではサポートされないものが多いので、タバコの煙避けにはまったく役にたたない)、飲み屋などは客離れを懸念して反対するお店も多いらしい。
神奈川県内の喫煙者の反発も目立つし、わざとマナーを悪くしてる人さえいると聞く。

たまには飲み屋で一杯ということもしてみたいのだが、隣のテーブルで喫煙されると、たとえ煙がもうもうと立ち込める焼き鳥屋でも反応してしまう。
焼き鳥の煙はなんともないので、純粋にタバコの煙はもう身体が受け付けないようだ。
しかし、飲食店での喫煙は大変いやだが、飲み屋で喫煙したくなる気持ちは元喫煙者としてはとてもよく理解できる。
その店が禁煙・分煙していないことを知っていながら嫌煙者が利用するということは、隔離された喫煙所で嫌煙をアピールするくらい嫌味だとも思う。
いくら世間的に禁煙が美徳だったとしても、そこでは嫌煙者の方が異端なのだ。

飲み屋に行くときは、できるだけ事情を話して喫煙者を遠ざけてもらう。そういう配慮をしてくれるお店でないと利用できないし、例えしかたなくタバコの煙が自分の席に流れてきたとしても、禁煙店ではないことを知って利用しているのだから、文句は言えない。
そういう場合は、できるだけ早く店を離れるようにしている。

昔は、自分もあそこにいる一人であったことを考えると、タバコが大人喘息のきっかけでもあったわけだし、タバコが大人喘息を悪化させるきっかけでもあったわけなので、いろいろな意味で情けなく感じてしまう。
外で飲むこと自体一年に数回もないので、それほど不便はしないが、事情を話すと一生懸命配慮してくれるお店の方に、いつも申し訳なく思ってしまうことも情けない。

それでも、自分が喫煙者であったから気づくことも多かったし、タバコにまつわる思い出もたくさんあるので、それはそれで禁煙した今でも大切に感じずにはいられない。
自業自得という言葉がいつも頭の中にある、禁煙2年目であった。

◇三波伸介とジョン・レノンは命日が同じ2010年12月08日 23時19分38秒


三波伸介が司会当時の笑点オープニング。
三遊亭小圓遊や林家こん平など、お馴染みの出演者の名前も見られる。


今日は、ジョン・レノンの30回目の命日である。
そして、昭和の喜劇役者 三波伸介の28回目の命日でもある。

ジョン・レノンが死んだ1980年当時私は中学生で、朝のニュースでジョンの悲報を聞いて、登校後に職員室まで新聞を確認しに行った。
その日は深夜までビートルズやジョン・レノン関連のニュースや追悼番組が目白押しで、関東などと番組内容が違う北海道でも、ジョンの番組をある程度見ることができた。

その2年後の1982年12月8日、当時笑点の司会だった三波伸介(初代)が急死した。自宅で大動脈瘤の破裂で倒れていたのを家族が発見し、そのまま病院で亡くなった。
Wikipediaの「三波伸介(初代)」によると、『三波はよく死んだふりをして狸寝入りをして家族をからかうことがあったため、この時も暫く「死んだふり」をしているのだろう、と思っていた』とのこと。
家族を驚かせて普段からだまし討ちしていたという、喜劇役者らしいエピソードといえるように思える。

三波伸介は、1972年から1982年の暮れまで笑点の司会を務めている。
私は笑点のファンだったが、小学校に上がるくらいからは三波伸介が司会を勤めていたので、当時の私にとって笑点の司会者といえば、三波伸介のことを指す。
そのほかにも、凸凹大学校や満点パパなど、当時の人気番組の司会を多く勤めていた。
伊東四郎、戸塚睦夫とてんぷくトリオで活躍していた頃のことはあまり記憶になく、司会者としてのイメージが強かった(伊東四郎は「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、小松政夫のデンセンマンの「ベンジャミン伊東」として人気を博していたので、三波伸介と同じグループにいたという印象がない)。


電線音頭のベンジャミン伊東。


その三波伸介が、ジョン・レノンと同じ日に急死した。
死んだのはジョンの2年後のことだったが、ジョンの死後、毎年命日の12月8日には、何かしらの特別番組が組まれており、1982年のこの年もすでにジョンの追悼番組が予定に入っていたが、昭和の名喜劇役者であり、お茶の間の人気者であった三波伸介の急死で、私はジョンの番組は三波伸介の追悼に替わるものだと思っていた。

だが、この日の北海道では、三波伸介の追悼番組は放送されなかった。
関東キー局ではどうだったのかは知らないが、深夜番組にジョンの追悼番組は放送されても、三波伸介に関する番組はまったくなかった。
私は、三波伸介のてんぷくトリオ時代の映像や映画などが放送されるものと期待していたのだが、結局のところ深夜放送に至るまで、その後も北海道で三波伸介の追悼番組を見ることはできなかった。(もしかしたら放送されたのかもしれず、私のチェックもれなのかもしれないが…。)


三波伸介一座

ジョンの死から時を経て、テレビ番組でのジョン関連の特別番組は少なくなってきたが、世間では毎年のように12月8日はジョン・レノンの命日であると大騒ぎする。
私もジョンが死んだときは、それなりにショックを受けた。
ジョンの平和へのメッセージや世界的な影響力から考えて、世間が毎年不慮の死を遂げたジョンの命日を偲ぶのは当然といえば当然だということも解っている。

しかし、昭和の一世代を作った喜劇役者 三波伸介の死に対する当時の扱いを思うと、なんとなく「なんでジョンばかり」という気持ちになってしまう。
あの日あの時、てんぷくトリオの「落語野郎シリーズ」なんかが放映していたら、こんなこと思わなかったのかもしれないと、今でもジョンの追悼のニュースを見ると、そのことを思い出してしまう。。

三波伸介記念館 http://www.geocities.jp/sinsuke373/

Wikipedia「三波伸介(初代)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E4%BC%B8%E4%BB%8B_%28%E5%88%9D%E4%BB%A3%29


Wikipedia「てんぷくトリオ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%B7%E3%81%8F%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA


◇市川海老蔵会見を見て思ったどうでもいいこと2010年12月09日 00時58分42秒

六本木で酒に酔って暴行を受け、全治二ヶ月の怪我をしたという、市川海老蔵の記者会見。
テレビ各局は夜のニュースのトップ。
NHKでは首都圏ニュース845の直前に報道局からの速報として報道され、その日のニュース9でもトップニュース扱い。
8日になってもあさイチの冒頭でも紹介され、ニュース9では会見当日に続いて8日にもその様子を報道した。

普通にニュースを見ていれば、嫌でも目に入ってくる報道加熱ぶり。マツコデラックスじゃないけど、「どうでもいいわよ!」と言いたくなる。
海老蔵のせいで、日米韓合同演習や日米合同演習にロシアの偵察機のちゃちゃが入ったニュースや、金星探査機「あかつき」のニュース、民主党と社民党のかけひきや民主党内のごたごたのニュースなど、なんだか影が薄くなってしまった。
ニュースショーの民放はどうでもいいけど、NHKは受信料払ってるんだから、どうでもいい芸能ニュースは民放に任せてもっと大事なニュースを流すべきである。

どうでもいいけど、非常に気になったことがひとつ。
記者会見を見ていて一番最初に思ったのは、あまりにも言葉を選びすぎていて、なんだか現実味に欠ける。
なにしろ、「自分は被害者である」と言っておきながら、加害者やその仲間に対して「あの方々」などと敬語を使っているのである。
私は加害者に対して敬語を使う被害者というのを、初めて見た。

そもそも敬語というのは「相手を敬う」意志をあらわすものであり、「相手が自分より優れているということを認める意思表示」である。
自分より優れているとはいっても、相手が自分より年上だったり、目上だったりすることで、自分が相手よりも下の立場であるということを表すという意味の方が、世間一般的には強いだろう。

しかし、加害者は海老蔵よりも年下だし、例え最初に紹介されたときに元暴走族であるという理由から「怖いから失礼のないように」と思ったとしても、自分に暴力を奮い、その結果自分の仕事に差し障りが生じた原因の相手に、あそこまで敬意を示す必要があるのだろうか。
仕事をキャンセルして遊びに行き、酒をくらってほとんど記憶のない状態で起きた事件の中で、自分自身が大変反省しているという意志を示したいのであろうが、一環して「自分は被害者である」ということを強調するならば、加害者に対して敬意を払う必要はまったくないのではないか。

この記者会見を見ていて、海老蔵自身が完全な被害者であるということもとても感じにくいものであったし、何より自分の保守をしつつも加害者にとても配慮しているように感じた。
どうせ無期謹慎なんだし、記憶にないのなら記憶にない、そして自分もちょっとは非があるのであれば、正直に記者会見で言ってしまった方が、あとあと楽だったんじゃないかと思ってしまった。

まあ、いずれにしてもどうでもいいのだけど。

◇最近のNHKは番組企画をなめてるのか2010年12月21日 01時32分35秒


「NHKに捧げる歌」(1969年)作詞:柏倉秀美 作曲:早川義夫

NHKの番組企画は最近、企画の流用と焼き直し、そして本放送時間の再放送がやたら多い。

ブラタモリはシーズン2が始まったと思ったら、いきなりシーズン1の再放送ばかりだし、番組たまごから本放送に昇格した洋楽倶楽部80sは、5回放送後に再放送が続き、その後アジア大会で放送自体11月中は休み、再開されたと思ったら3回で終了。
アサイチは試してガッテンとのコラボ企画とかで、そのときの企画の半分くらいはガッテンの内容そのままのことも多い。

そして、12月20日に放送された「地球イチバン」。
これは、2009年にBShiで放送された、プレミアム8<紀行>シリーズの「地球一番紀行」の焼き直し番組である。
この番組も番組たまごから昇格番組なのかはわからないのだが、前回はオランダ・グローニンゲンの「世界でイチバンの自転車の街」を放送した。
そして、今回はBShiの「地球一番紀行」の中から「世界で一番標高の高い街」を、司会をナインティナインの矢部を据え、三輪明宏、兼高かおるをコメンテーターとし、実際に現地レポートした大高洋夫のトークを交えた番組構成になっている。

前回のオランダを見なかったので、この番組は最初はどういう構成だったのかは知らないが、現地のレポートだけを重点的に放映したBShiの「世界一番紀行」に比べると、50年前に同じ地を訪ねた兼高かおるのコメントや、レポートの実際の裏話などを交えて、よりバラエティ色の強い構成であり、これはこれで楽しめるものだと思う。
だが、番組にあたって過去にBShiで放送された内容であることなどの説明は一切なく、まるでこの番組のためにレポートされた内容のような雰囲気。
内容を流用するのなら、そういう説明はきちんとあった方がいいと思うのは私だけなのか。
番組内容が面白かっただけに、それはそれでちょっと腑に落ちなかったりする。

それにしても、NHKのこの流用の多さと再放送の多さは、どういうことなのか。NHKは番組企画をなめてるのかといいたいくらい。
BSのスペシャル番組などを何度か再放送するというのはアリだと思うが、総合の週1番組の再放送を本放送時間に放映するというのは、あきらかに手抜き以外のなにものでもないように思う。再放送なら、別な時間帯にするのが筋ではないのか。

NHKスペシャルやBSの番組は内容もとてもいいし、バラエティなども民放のただただ騒ぐだけの芸人が大勢出るような内容のないものに比べればはるかにましだと思う。
しかし、NHKはNHKなのだ。
崇高な番組ばかりに金をかけて、視聴者になじみやすい番組を増やして民放に対抗しつつも、あたった企画を再編成しても結局は再放送ばかり、という視聴者をなめきった番組内容というのは、受信料を払っている側としてはとうてい納得のいくものではない。

しかも地デジ移行に伴い、NHKは自分とこの不祥事を棚に上げて、B-casと連動することで受信料の徴収を増やしているはずなのだ。
早川義夫の歌ではないが、“押し売り”と揶揄された受信料徴収も、現在ではデジタル化されつつあるようだ。“押し売り”どころか、NHKを見ているかどうかを自動的に管理されているということになる。
そこまでするなら、それなりの番組作りを心がけてほしい。
“だけど払わにゃなるまいし”と、視聴者が思わない番組作りを目指すのが、国民から受信料をもらっているNHKの義務であるということを、NHKは肝に銘じなければならないと思う。

◇映画「ノルウェイの森」を観て2010年12月24日 03時17分36秒


映画「ノルウェイの森」予告編


私は村上春樹の小説を、一度も読んだことがない。
旦那は無類の村上春樹フリークで、小説は全て初版でそろえ、全集もうちにある。
私の周囲には、旦那を始めとして、村上春樹の小説が大好きだという人が多い。
そして、新刊が出るごとに作品の内容を話して聞かせてくれ、内容的にも大変興味深いものであることもあったのだが、それでも読もうと思わなかった。
旦那と結婚したときに、新婚の部屋の書棚に今まで私のふれたことがない本が並び、その中に村上春樹の本も当然あったので、結婚して十数年の間に村上春樹の作品を手にとろうと思えばできたのだ。
それでも、私は村上春樹の本を読もうとは思わなかった。

理由というと、「特にない」としか言いようがない。
村上春樹が特別嫌いなわけでもないし、周囲の人間の感想を聞く上では、興味深いとさえ思うのだから、たぶん読めば嫌いではないのだろうと思う。
だが、どこかで何かが私の中でストップをかける。
それが何かは、自分でもわからないのだ。

先日、映画「ノルウェイの森」を観た。
村上春樹関連の作品に触れたのは、たぶんこれが初めてのことなのだろうと思う。
映画を観た後、旦那は小説「ノルウェイの森」を読み返している。
なぜなら、私はこの映画を観ていろいろと不満を感じ、それを旦那にぶつけたからだ。
小説は旦那が読んでいるので、私は映画を観た後も小説を読んでいない。
だから、小説の内容を知らないで私はこれを書いている。

映画を観て一番気になったのは、時間経過だ。
直子とキズキとワタナベとの高校時代の時間、直子とワタナベが東京で過ごす時間、直子とワタナベが京都の山奥の療養所で過ごす時間、ワタナベと緑が東京で過ごす時間、そして玉山とワタナベが東京で過ごした時間、これらが直子とワタナベと緑の気持ちの変化の時間に伴っておらず、とてもアンバランスに配置されているように感じた。

この映画は、季節感がとても大事だと思う。
季節感は時間の経過が伴うもので、直子とワタナベの関係が深くなっていく過程や、その後の感情の変化には、もっと時間があってもいいと感じたのだ。
しかし、私が映画の画面から受けた時間は、とても早足で過ぎ去っていくような感覚だった。映画のセリフも、時間経過を示唆するセリフがいくつか存在するのだが、それらで計算してもつじつまがあわない。

季節感が大事だというのは、たぶん製作者側も意識していることで、シーンごとに季節を感じる効果がちりばめられている。
直子とワタナベの感情の流れはこの季節の効果と共に流れていき、ワタナベと緑の関係も季節と共に変化していく。

そして何より『残念』を決定付けたのは、エンディングのワタナベの最後のセリフの後の暗転後の解説だ。私はこの解説のセリフはいらないと思う。このセリフで、映画の中の物語が、ある一定の方向に流れてしまったように思った。
映画を観た後は、小説を読んだ人も読んでない人も、さまざまな感情のもとで会場を去るのがいいと思う。たとえ、原作と映画とは違うもので、映画は製作者の解釈を通したものであっても、映画を観た人の解釈は製作者の解釈とはまた違ったものであるべきだと思うからだ。

このセリフは、物語全体の軸になるものだと思う。だからこそ、最後にこのセリフを言ってしまうと、色々な方向から見た風景が、ただの一方向のものでしかなかったように思えてしまった。
そして、このセリフで時間経過の矛盾を決定付けてしまった。

衣装や舞台装置、細かい小道具に至るまで、1967年当時の風景をとても見事に再現し、話し方や当時の時代背景なども忠実に作られており、そういった細かいところを観るだけでも楽しめる。
当然、時間経過の感覚も凝って作られており、季節感をとても重要にセッティングされていることも感じ取れただけに、観た後の感覚がなんとなく腑に落ちない結果となってしまった。

あと、直子役として菊池凜子は少し年をとりすぎているように思えたのは、たぶん私だけではないだろう。
29歳の菊池凜子が多少ふけ顔で、38歳の霧島れいかが若く見えるということもあるのだろうが、直子がレイコ先生といっしょにいるところは、同じ年代の二人の女性にしか見えなかった。

フリーセックスを気取るとっぽい若者を気取った、緑役の水原希子が初々しく若々しい演技をしていたのに対して、菊池凜子は恋人を失い、恋人の友人と男女の関係になり、その中で生きていることを感じようともがくという難しい役どころなので、初々しい演技では話にならないのは理解できる。
しかし、相手役の松山ケンイチが60年代においての20歳くらいの若者にすっかり変貌していたことを考えると、もう少し髪型などに工夫があってもよかったのではないかと思う。

この映画を観た後、旦那は小説「ノルウェイの森」を読み返し、私の時間経過の指摘があながち間違ってはいないことを教えてくれた。
旦那の読了後、私が小説「ノルウェイの森」を読むかどうかはわからない。
でも、うちにはいつもこの本があるので、読もうと思えばいつでも読めると思うと、いつまでも読まないのかもしれない。

ただ一つだけ、学生時代の友人を早くに亡くしその後故郷を出て生活している私は、状況的にワタナベに非常に近い環境にいたように思う。その中で、この本を発売当初に読んでいたら、徹底的に村上春樹を嫌いになっていたかもしれない。
この作品に出会ったのが、いろいろなことを客観的にある程度見られるようになってからでよかったと思った。

映画「ノルウェイの森」公式HP
http://www.norway-mori.com/index.html



●2010年12月24日 追記
“村上春樹関連の作品に触れたのは、たぶんこれが初めてのことなのだろうと思う。”
と書いたが、映画としては大森一樹監督作品『風の歌を聴け』と市川準監督の『トニー滝谷』は観た事があるので、初めてではなかったようだ。
『トニー滝谷』はとても印象深い映画好きな映画だが、『風の歌を聴け』は正直わからなかった。
旦那は、「映画と小説は別物」を強調している。

◇ゆずとチェブラーシカ2010年12月25日 10時38分49秒

ゆずとチェブラーシカサンタ2010年映画「チェブラーシカ」「くまのがっこう」予告編


クリスマスイブに、茨城のYさんからたくさんのゆずをいただいた。
箱を開けると、ゆずの香りがいっぱいに飛び出してくる。
3~4キロあるので、柚子酢にしたり柚子味噌にしたりいろいろ使えそう。
茨城のYさん、ありがとう。

クリスマスなので、チェブラーシカのサンタ人形を飾ってあったのを、箱に入れてみた。
なんとなく、果物屋でオレンジの箱に入っていた、チェブラーシカ登場シーンのような感じ。
ただしこちらは、ゆずとサンタさんだけど。

今公開している、チェブラーシカの映画を観にいきたいけど、子供だらけかなあと思ったりして、DVDが出るまで待つか逡巡中。

◇風邪をひく2010年12月28日 23時21分21秒

今年は大掃除も12月中に順調に進み、年末はお料理だけで大丈夫なようにしたいと思って過ごしてきたが、土壇場になって大風邪をひいてしまった。
25日の日中からくしゃみ鼻水の嵐、その夜悪寒を訴えそのまま二日ほど寝込んでしまった。
おかげで、12月最後の日曜日が活動できなかったばかりか、年末はあと3日しか残っていない。
熱っぽさをおして年賀状を仕上げ、明日からは大掃除の仕上げにかからねばならない。
果たして今年も大晦日に泣くことになるのか否か。

皆様は、お身体に注意し、良いお年をお迎えください。



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