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◇夏のエアコン2010年08月08日 20時29分08秒

前回書いたムーディーブルースが、6月の終わりだった。
昨日8月7日は立秋なので、夏の間はまったく記事を書かなかったことになる。

7月の間何をしていたかというと、ひたすら猫の介護をしていた。
数週間前にすっかり自分で立つことができなくなり、寝たきりになってしまったのだ。
悩んだ末にスポイトで強制給餌に切り替え、熱中症にならないよう常に気を配る毎日である。
夜中も猫の水分補給と食事が気になり、夜中も数回目が覚め、朝は5時に起きるような早起きになってしまった。
おかげで、日中眠くてしょうがない。

梅雨から夏になると、北海道出身の私は故郷に逃げたくなる。
上京して20数年経つが、未だにこちらの夏の暑さには慣れない。
最近は、汗のアレルギーもでてきて、ちょっとの汗でも放置しておくと、あせもが一面にできてひどいことになる。
今年も足のすね一面にあせもができて、まだらな足を余儀なくされている。

といっても、故郷の帯広は前代未聞の暑さで、むしむししていて、まるでこちらの気候のようだと母は言う。
もともとからっとした気候が自慢の土地だったので、蒸した暑さはこたえるだろう。
それでも、お盆をすぎれば幕をひいたように秋が訪れる土地なので、この暑さもあと一週間ほどのことだ。

上京したてのころのことで今でも忘れないのは、まだビッグバードになる前の羽田空港で、夏休みで帰省して東京に戻ったときのこと。飛行機を降りて空港に入った瞬間、空港の到着ロビーがあまりの湿気と暑さで、銭湯の脱衣所の臭いがしたことだった。
今はすぐに空調の効いたロビーを移動することができるが、当時は空調も満足ではなく、北海道から戻るとそこは地獄だったのだ。

最初にエアコンを購入したのは、東京で就職して3年目の夏である。
当時東京都江戸川区の蔵前橋通り沿いの鉄筋マンションに住んでいたのだが、部屋が最上階の5階だったので、ひどく熱気がこもる部屋だった。
その年の東京都は記録的な猛暑で、梅雨も満足に雨がふらなかったせいか水不足が心配される中、夢の島でハエが大量発生したというのが話題であった。
それまで5階という立地のよさから、窓を開けっぱなしでしのいでいたのだが、西側の台所の窓は網戸がついておらず、虫が入ってくるのが悩みでもあった。

ある日ふと見ると、台所の白い壁に帯のように何かゴマのようなものがへばりついている。しかも大量である。
当時は仕事が不規則で、あまり台所で料理をするということがなかったので、タカをくくっていたのだが、そのゴマのようなものはハエの卵だったのだ。
夢の島から何キロも離れていない土地であるとはいえ、部屋の壁にハエの卵がびっしりなんて、悪夢以外の何モノでもなかった。

泣きながらそれを雑巾でふき取った後、私の耳に入ってきたのは、北海道出身のアイヌの若者が、この暑さで熱中症により死亡したというニュースであった。
ニュースキャスターが重ねて言うには、北海道出身の人は、体温を調節する機能が低い人が多いというようなことだった。

当時は、スポーツをしていても身体がだれるので途中で水を飲んではいけない、というような信じられない時代だった。
夏に暑いのは当たり前で、それで人が死ぬなんてことは誰も考えてもいなかったのだ。

上京してから、関東の信じられないような湿気と暑さにまいっていた私は、このままでは私も死ぬかもしれないと思い、一大決心をしてエアコンを購入したのだ。もちろん全額ローンである。

最初に買った東芝のエアコンは、結婚してからも新居で使用し、10年使い倒した末に、出たばかりのシャープの初代プラズマクラスターエアコンに買い換えた。
しかし、その初代のプラズマクラスターエアコンも、数年前から結露がひどくなり、「まだ使える」と言い張る旦那を無理やり家電屋に連れていき、三代目のエアコンを購入10年目にしてやっと買い替えたのだった。

しかし、世間では「今年は酷暑である」と言ってはいるのだが、個人的には「いつもより過ごしやすい涼しい夏」だと思っている。
涼しいといっても気温が低いということではなく、湿気が少なく風が多い夏のように感じるのだ。
少なくとも、朝方に全ての窓を開け放しておけば、日が暮れる頃まで部屋中に風が回って、快適な温度が保たれている。
洗濯物も午前中の早い時間に干しておけば、お昼頃には乾いている。
おかげで、新しいエアコンを買った夏だというのに、日中はエアコンを止めて生活しているのだった。

涼しいといっても、風を通しても部屋の温度は28度くらいである。
28度を快適であると感じられるということは、上京して20数年経ってやっとこちらの気候に慣れたということなのだろうか。
それでも、梅雨時などの湿気にはとても弱い。
今年の夏がすごしやすいのは、風の通りが我が家の窓と相性がよくて、乾いた気分で過ごせるからなのだろう。

20年ほど前の創刊したばかりのアエラに、十勝の話題が掲載されたとき、そこには「十勝は日本のカリフォルニアである。一年中お天気に恵まれ、乾いた空気に包まれている」と書かれていた。
日本のカリフォルニアが今年は湿気を含んだ熱気に悩まされているというのも、帯広出身の私にとっては非常に複雑な思いである。

それにしても、最近のエアコンは親切すぎてとても気持ちが悪い。
そこまで自動でなくてもいいのにと思ってしまうのは、たぶん私だけなのだろう。
それと、となりのおやじが毎朝ベランダに出てタバコを吸うのにも、我慢ができなくなりつつある。煙が全部こちらの部屋に入ってくるのだ。
気持ちはわかるが、ほたる族は夜だけにしてくれ、と切に願うばかりである。

◇クマに襲われた女性が2010年08月12日 00時55分10秒

最近、クマに襲われたというニュースをよく目にする。
これまでは山菜取りなどで山に入ってというのが多かったが、最近ではクマが里に下りてきて人を襲うケースも珍しくないようだ。

ちょっと前のことだが、クマに襲われた女性が腕などを引っかかれてケガをしたというニュースで、本人が顔を出さずにテレビのインタビューに答えていたのだが、その人が着ていた半そでのTシャツは、ピンク地にクマが服や帽子をかぶったファンシーな絵柄であった。
クマに襲われた人が、クマのTシャツを着て「とてもびっくりしました」などと話しているのが、不謹慎ながらとてもおかしかった。
当の本人は特に意識もしていなかったのだろうと思うが、周囲の人もちょっと何か言ってあげればいいのにと思った。

◇38度2010年08月17日 01時01分20秒

母に携帯メールで、「今年は帯広よりも涼しいかも」などと返信していたが、今日は特別暑かった。
というより、お盆に入って突然暑くなった感じ。
お盆までは、天気が良くても乾いた風がふいて、気温が高くても涼しい気分でいられたのに、お盆に入ると突然蒸してきたのだ。
朝、窓を開けると、熱気がむわっと部屋に入ってくる。
あのすごしやすい風はどこへ行ったやら。

車の温度計を見ると38度を表示していた。

◇悲しき60歳 / 坂本 九2010年08月19日 21時16分02秒


坂本九 「悲しき60歳・ズンタタッタ・カレンダーガール」


終戦65年。日航墜落事故から25年。
8月に入ってテレビやラジオでは、戦争や日航墜落事故関連の番組が目白押しだった。
終戦の年にはまだ産まれておらず、私たちの世代は「戦争を知らない子供たち」と呼ばれたものだったが、日航墜落事故は記憶にはっきり残っている。

このニュースが流れたときに、一番衝撃だったのは、歌手の坂本 九が犠牲者の一人であったことだった。
乗客のほとんどが身体がばらばらになって誰のものであるか判別がつかない状況の中で、信仰していた笠間稲荷のアクセサリーによって、坂本 九の遺体であることが判ったというニュースが、大変印象に残っている。
当時私は20歳になるかならないかという時期であったが、自分がそういう状況に遭遇した際、家族は何で私だと判断できるのだろうかと考えたのを覚えている。

テレビでは、わりと“今だから判明した事実”的な番組が多かったのに対し、ラジオでは改めて坂本 九の楽曲を楽しんで追悼しようという番組を耳にした。
時期的にお盆とも重なるので、音楽で追悼するというのは理にかなったものであるのだろうか。
車で移動中にカーラジオから聞こえる坂本九の歌声は、「上を向いて歩こう」「ジェンカ」「素敵なタイミング」というおなじみの選曲の中で、「悲しき六十歳」という曲に興味をひかれた。

この曲は1960年の楽曲で、坂本 九の初ヒットシングルらしい。
トルコの「ムスターファ」という曲のカバーで、歌詞はオリジナルの男性からの恋歌的な内容とはかけ離れ、日本語歌詞は「ムスターファという男が見初めた女性が奴隷だったことから、お金のないムスターファが一念発起し、トルコ一の大金持ちになる」という歌詞である。しかし、ムスターフアが奴隷を買えるような身分になったとき、彼女はすでに六十歳になっていたというオチもついている。
作詞は青島 幸夫。日本語歌詞はオリジナルのものらしい。

“悲しき○○”というのは、「悲しき雨音(カスケーズ)」「悲しき鉄道員(ショッキングブルー)」「悲しきハート(弘田 三枝子)」など、当時の曲名にはよく用いられいたような印象を受ける。

この「悲しき六十歳」、特に印象的なのは「ヤー ムスターファ」という歌詞である。
たぶん「俺の名前はムスターファ」というような意味なのだろうと思うのだが、この一人称がなぜ「ヤー」なのか。
「ヤー」を「私」という言語は、単純に考えるとロシア語ではないかと思うのだ。
それとも、この「ヤー」は「私」という意味ではないのか。

トルコ語で「私」は「ben」である。
また、トルコ語で「私の名前は○○」というようなときには、「アドゥム ○○(アドゥムの「ゥ」はトルコ語特有のアルファベット)」とか「ismim ○○」と言うと、私のトルコ語のガイドブックには書いてある。
ロシア語でも「私の名前は○○」という場合は、「ミニャーサヴート ○○」を使い、これらは「私を○○と呼んでください」という意味にあたるので、たぶんトルコ語もそういった意味に近いのではないだろうか。
英語で言うと、「My name is ○○」ではなく「Please call me ○○」に近い感覚らしい。

察するに、青島幸夫は「トルコという遠い国の言葉はよくわからないけど、英語とは違う言葉だとちょっと英語圏とは違うように聞こえるかも」くらいに使ったような気がしてならない。
たまたま知っていたのがロシア語の「私」である「ヤー」だったのかもしれない。
また、あの辺は旧ソ連のスラブ地域とも隣接していて、いろいろと入り乱れていたのかもしれない。

いずれにしても、この「ヤー ムスターファ」という言葉がとても印象的なのに、どうもこの言葉はトルコ語ではないようだというのが、国際化していない昔の日本の適当さを垣間見るような気がして、ちょっと脱力してしまうところなのだ。

それと更に気になるのは、奴隷としてトルコにいた彼女は、ムスターファの熱い想いを知っていたのか。
もし想いを知っていたのであれば、長い間待たされ、気がついたときには六十歳になっていたというオチに対して、ムスターファは六十歳になっても彼女を愛して自分の近くにおいたのか、それとも六十歳の老人(今であれば六十歳でも十分若々しくもいられるだろうが、当時の六十歳は今の八十歳くらいの感覚であろう)になったので、泣く泣く諦めたのだろうか。
もしムスターファが六十歳になった彼女を諦めたのであれば、彼女がムスターファの心を知っていたとき、ちょっとそれはないだろうと思ってしまうのだった。

ロシア語とトルコ語の違いが気になる以前に、歌詞の内容をじっくり聞いてしまい、しかも耳について離れなくなるというのは、最近の日本の曲のは少ない。
坂本 九の明るい歌声が世界に流れたのは、やっぱり彼の歌唱力のすばらしさにあるのだなと、再認識してしまう。
坂本 九の表現力と、青島幸夫の適度な脱力感が心地よい一曲だ。

(冒頭のYoutubeの動画は、携帯では表示しないので注意)

※2014年3月28日追記
先日調べ物をしていたとき、アラブ語で「開けゴマ」は「iftah ya simsim」。yaは掛け声であるとかかれているのを見て、「ヤー ムスターファ」の「ヤー」は単に「やあ、ムスターファさん」という感じなのかもしれないと思いました。ロシア語とはまったく無関係。
でも、この頃ロシア語をかなりまじめに勉強していたので、こういう考察は楽しかった。

◇国民の皆様がお許しにならない2010年08月22日 20時05分59秒

最近ニュースを見ていると、よく聞くフレーズ。

「国民の皆様がお許しにならない」

この「国民」っていったい誰のことだろう。
政治家の都合のいい人々=国民ってことなのか?

民主党の党首を選ぶ基準に、なぜ「国民の皆様の意見」が通るというのか。どうせ自分とこの身内できめる選挙に、いちいち国民がどうのこうの言うのは言い訳以外の何物でもないだろう。
そこまで言うなら、大統領選みたいに国民総選挙にしてしまえばいい。

何でもかんでも、「国民の皆様が」って言うのを言い訳にしていないで、正々堂々と政治家として意見を発し、行動してみたらどうなんだと、大きな声で問いたい。

国民を政治家の言い訳にするな!

◇猫介護生活:寝たきり2010年08月23日 03時33分04秒

うちの猫が寝たきりになって一ヶ月が経つ。
ある日突然、歩くことも立つこともできなくなった。
つい昨日まではよろよろしつつも元気に歩いていたのに、今日はささえながら立たせようとしても立たないという感じだった。
一度すっかり立たなくなると、二度と立てなくなるようで、足のひざの関節もすっかり伸びて、曲げると痛い様子だった。

人間には「ある日突然」のことだが、実はずいぶんと前から足がしんどかったのだろうと思う。猫は痛がらないというが、うちの猫は痛いときには痛いと意思表示をする猫だった。
でも、足の痛みに関しては普通にしていたので、もしかしたらずっと無理をしていたのかもしれない。

歩かなくなってからは、自分で食事ができなくなったので、強制給餌をすることにした。
市販の猫パウチ(シニア用のできるだけ高齢猫用の一般食)をすり鉢ですって、水を加えてどろどろにしたものを、スポイトで口に入れる。
介護食のようなものの方がいいのか獣医さんに相談したが、病院の介護食が嫌いなうちの猫には、好きなものを食べさせた方がいいという理由から、市販の餌を与えている。

うちの猫は3年ほど腎臓と肝臓の数値が良くなかったのに、ここ2年ほど数値が安定してきて、ほとんど問題ない数値にまで下がった。
毎週一回点滴に通い、毎日処方されたリバオールとウルデナシンを半錠づつと、ネフガード一錠と、ビオフェルミン(人用)を一錠づつ飲ませていた。
しかし、大変な病院嫌いで点滴に通うのがストレスになり、あまりに嫌がるので点滴をやめたところ、21歳にして数値が劇的に良くなったのだった。
もちろん、それまでの治療の効果あってのことだと思うが、必要のないストレスを与えて無理に長生きするよりは、すでに20歳を超えていのだし、ストレスは最低限にして快適に過ごせた方がいいだろうという判断から投薬と通院を辞めたのだった(もちろん、獣医さんと相談の上で)。

ピジョン「スポイトくすりのみ」

ピジョン「スポイトくすりのみ」
先が長いので切って使用。


スポイトは、普通のシリンダ、カテーテル用のシリンダ、スプーンなどいろいろと試したが、ピジョンの「子供用スポイトくすりのみ」が、必要以上に口の中にスポイトの口が入らないようストッパーもついていて非常に使いよく、現在は口先を少し切って短くして使っている。
口先を短くした理由は、口先がシリンダのように硬くなく、ふにゃふにゃのやわらかい樹脂でできているので、猫が犬歯で噛んで穴が開いてしまい、食べ物が吸い込めなくなったためだった。
樹脂部分は老猫が噛んだ程度では、すぐにちぎれることはない。子供が安全なように作られているためか、その点非常によくできていると思う。

ピジョン「はじめてのフィーディングスプーン」
ピジョン「食べるnoおうえん はじめてのフィーディングスプーン」
先が平べったいものは、強制給餌の際に非常に重宝した。


スプーンも新生児用のものを使っている。
最初は、コンビニなどでくれるプラスチックのスプーンを使っていたのだが、歯がまだ丈夫なので、下手をすると噛み切ってしまい危ない。
こちらも、ピジョンの「フィーディングスプーン」を使っている。
丸っこいのと平べったいのと2本セットなのだが、平べったいのはスプーンで給餌するときには、ストッパーのようなものがついているので必要以上に口に入らないので危なくない。
また樹脂はやわらかいので、犬歯が刺さってもすぐにちぎれることはなく、穴が開いてもふさがってしまうので、スプーンから食べ物がもれることはない。

おむつは近所のドラッグストアでしょっちゅうセールをしているという理由から、花王のメリーズの新生児用のものに、しっぽ穴をそのつど開けて使用している。
前にも書いたが、当初はペット用のおむつを購入していた。しかし、値段的にものすごい差があり、手間でも新生児用のものの方が得なのだ。
ペット用のものは、安くても30枚で1700円以上するので、一枚57円以上する。
しかし、新生児用のおむつは88枚で1280円で購入している。一枚14.5円だ。毎日4~5枚以上使用するので、この差は大きい。新生児用のおむつの高いものではパンパースがそうだが、それでも一枚18円弱である。

新生児用のおむつで大丈夫なのかと最初は心配だったが、やってみるとペット用のおむつよりも機能的で、吸収体もペット用よりしっかりしているのがよかった。
今回メリーズが売り切れていたので、ちょっと高いけどパンパースを購入してみたところ、その薄さに感動。腰周りもだんだんと細くなってきて、メリーズだとちょっとぶかぶかだったのが、パンパースはうちの猫にはちょうどいい感じだった。

しかし、はさみで手作業でしっぽ穴を開けるので、そこから高分子吸収体がぱらぱらと出てきてしまい、おしりの周りにくっついてつまってしまう。
また、床にぱらぱらと落ちたものや、作業をする私の手にもついてしまい、目に入ってしまい大変な思いをしたことが何回かあった。これが猫の目に入らないよう気をつけないといけない。

しっぽ穴は、サージカルテープなどで切り口をふさいで使用している。
サージカルテープはいろいろ試したが、紙のものよりはプラスチックの透明のものの方が使いやすかった。紙はしっぽ穴からおしっこがもれた時に溶けてしまうからだ。
12mmくらいのが一般的だが、少し高いが幅広いものの方がたてにも裂けるので、好きな幅に変えられて具合が良い。

それにしても、ペット用のおむつを出すくらいなら、人間用のおむつと共用できるグッズを作ってくれた方がよっぽどいいと思ってしまう。
一発でしっぽ穴が開いて、切り口もふさがってくれるものがあるといいのにと思う。
タイかどこかで、庭に高分子吸収体が落ちているのに気づかず、雨が降って飽和状態になったものが巨大なタピオカ状態で発見され、「UFOの落し物」などと話題になったと聞いた。
高分子吸収体は乾いた状態だと本当に小さいので、この扱いだけが難儀である。

今は目もあまり見えず、耳も良く聞こえていない様子。
寝ているときもまぶたが閉まらず、ずっと目を開けているので、目が乾いて目やにがべたべたになってしまう。
炎症を起こしているわけではなさそうなので、防腐剤の入っていない使いきりの目薬を一日に数回点眼する。

ずっと空を見つめて、ときおり私たちの顔を見て何か言いたげにしているが、寝たきりになってからは声を出すこともしなくなってしまった。
ときおり口をぱくぱくして、ご飯か水がほしいことをアピールする。
先日、血尿が出て病院に行った際、止血剤と抗生物質を注射したとき、「ぎゃっ」と言ったのが久しぶりの声だった。
あんなにおしゃべり好きで表情豊かだったのに、今はいつも空を見つめて、時折おしっこをするときだけ足をばたつかせるだけの姿を見ているのは、非常に切ない。

この状態が長く続くのも、飼い主としては精神的にも状況的にも辛い。
夫婦ともども実家が遠いので、この状態で帰省を余儀なくされると非常に困る。
今の状態では、負担が大きすぎて誰にも介護を変わってもらえないだろう。
かかりつけの獣医でも、たぶん断られるだろうと思うし、獣医は深夜無人になるのでちょっと心配なのだ。
そういう意味でも、精神的な負担と苦痛はかなり大きい。
ここまでずっと一緒に生活してきた家族であることはかわりないので、最期までできる限りお世話したいという気持ちに変わりはないのだが、あまりにも辛そうな姿に早く楽になってほしいと思ったり(こう思うこと自体、自分の都合のいいように考えてしまっているのだろうかと、苦悩することもある)、今日も無事に過ごせたと安堵したりと複雑である。

※2014年3月28日改訂。投稿日時は当時のまま。
※2015年7月6日改訂。投稿日時は当時のまま。

◇旅立ちのご報告2010年08月27日 01時42分14秒

我が家の猫が、8月24日午後6時過ぎに旅立ちました。
享年23歳(たぶん)。
亡くなった後も、本当にいつもと同じで寝ているようで、文字通り大往生でした。

この場をお借りして、我が家の猫が23年の間にお世話になった方々、猫介護を応援してくださった方々、このブログを読んでくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

猫との生活の中で感じたことなど、書きたいことはいっぱいありますが、今は何もいえる状況にありません。
普段の生活をすることで精一杯です。
もう少し落ち着いてから、徐々に整理していきたいと思っています。

(写真は、2009年8月16日撮影)



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