Copyright & 2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
 無断転載を禁ず
Google
WWW を検索 げきだんしらかば を検索


◇ドナ・サマー、ビージーズ ロビン・ギブの訃報2012年05月22日 15時27分56秒


Donna Summer - Hot Stuff


Bee Gees - Stayin' Alive

昨日、金環日食のブログを書いているとき、ラジオからロビン・ギブの訃報飛び込んできた。
最近のニュースはたいていネットのニュース配信で知ることが多いので、ラジオで最初のニュースを得たことが、なんだか新鮮だった。

その数日前には、1970年代後半のディスコ・ブームを牽引したドナ・サマーが、5月17日に亡くなった。
「昭和は遠くなりにけり」とはよく言うが、昭和の一時代を築いた人たちの訃報が続くと、やはり寂しくなってしまう。

ロビンのニュースはこのちょっと前に、持病が悪化してこん睡状態に陥ったが、数日後に回復したというニュースを見ていた。
1988年にビージーズとは別に活動していた末っ子アンディが亡くなったのは知っていたが、ビージーズのメンバーでロビンの双子の兄弟であるモーリスが2003年に亡くなっていたのは知らなかった。
昔は毎日ラジオで聞かない日はなかったビージーズも、今は遠い存在になっていたのだなと感慨深かった。
歌手として活動していたギブ兄弟のうち、アンディとモーリスが亡くなり、残ったうちのロビンが亡くなり、ビージーズは長兄のバリー一人になってしまった。

ホイットニー・ヒューストンが亡くなったのは、グラミー賞の前日のことで、彼女もその式典にゲストで出場することが決まっていたうちの死であり、その死因も謎に包まれていたりと、なかなかショッキングだったせいか、このニュースはしばらく話題になっていたが、ドナ・サマーの訃報はなんとなくさらりと行過ぎていった感触がある。
彼女のディスコ・ブームの中での活躍は、ホイットニーよりもずっと華やかだったような記憶があるのだが、やはり年月とは残酷なものなのだろうかと思ったりもした。


私が小学生の頃は、ビージーズの曲は毎日ラジオで流れていた。
ディスコ・ブームの火付けともなった「サタデー・ナイト・フィーバー」という映画をきっかけに、主人公のジョン・トラボルタの衣装とポーズは、私の両親さえもが真似をするほど流行したし、映画で使用されたビージーズの曲は、聞かない日がないほどヒットした。

ここで使用された曲は、ディスコチックなリズムにビージーズのファルセットヴォイスが印象的な曲なのだが、私はこの曲が当時嫌いだった。
彼らの粘りつくような高音が、何度も何度も聞いていくうちに、非常に耳障りに感じられたからだ。
特に中心にいたバリーは髭面で、「髭なんかはやしているのに、こんな高音で歌って信じられない~」と、意味不明な理由で嫌っていた。
彼らのファルセットが受け入れられないということから、オフコースも嫌いになったくらいだったので、オフコースにしてみれば小学生女子のファンを自らとは別な理由で失ったのだから、ちょっと迷惑なことだったかもしれない。

黒人風のディスコサウンド風のリズムの中で、黒人風のファルセットを、白人である彼らが歌うという設定も、なんとなく腑に落ちなかった。
曲調も黒人バンドのシックに似ているようにも感じていたし、当時はまだ音楽の中でも黒人差別がはっきりと存在していた時代だったので、そんなことを勉強したての小学生の私は、なんとなく許せないものを感じていたのかもしれない。


The Bee Gees 映画「小さな恋のメロディ」 Melody Fair

そんなビージーズが、1971年の「小さな恋のメロディ」という映画の中で、「メロディフェア」という曲を歌っていたのを知り、その曲を聴いたときはちょっとびっくりした。メランコリックな曲調に彼らの声がマッチして、とても美しい曲だと感じたからだった。
この曲は私の嫌いなファルセットヴォイスでは歌っていないし、彼らのハーモニーがとても美しく、聞きやすかったのだろうと思う。

空前のヒット曲となった「ステイン・アライブ」と「サタデー・ナイト・フィーバー」は嫌いだったが、「メロディフェア」は好きになった。
今聞くと懐かしさの方が先にたっているので、そんなに耳障りには感じられない。当時の時代を象徴する曲であったことは確かだし、嫌いだった曲だけど懐かしい。


ビージーズの曲が空前のヒットで毎日ラジオで流れる中、黒人のディスコクイーンであるドナ・サマーの大ヒット曲「ホット・スタッフ」が北海道のラジオでもかかるようになり、一時ラジオはディスコソング一色になっていく。
ディスコソングがあまり好きでなかった私には、歓迎する状況ではなかったが、ドナ・サマーの曲は好きだった。
当時の黒人女性歌手の多くは、アレサ・フランクリンのようなゴスペル風か、ティナ・ターナーのような力強い歌い方の印象的な人が多く、あまりに力が入りすぎていて、私は苦手だった。
でも、ドナ・サマーの歌は適度に力が抜けていて、とても聞きやすかった。聞きやすいといっても、彼女から黒人シンガーのパワーを感じなかったわけではない。当時、どこか押し付けがましささえ感じていたリキミのようなものが、彼女の歌からは感じられず、楽しく踊る歌というのが一番に感じられて好感が持てた。

当時は、ビージーズ以外はアバやオリビア・ニュートンジョンなどのポップスグループのヒット曲が主流だった。それまで苦手意識がった黒人音楽だったが、ドナ・サマーの登場で、その他の黒人ミュージシャンの曲もラジオで聴くようになった。いわば私の黒人音楽の入門的な人物だった。

1990年代に入り、ダンス・ミュージックの様相が一変するにしたがって、彼女のニュースも耳にしなくなり、そのうちその存在もだんだん薄くなってしまっていたが、彼女がやはり一時代を築いた人物であることは否めない。
彼女が亡くなったことで、あの時代を思い出す人は多いようで、例えマスコミの扱いが淡白だったとしても、人の心の中にはしっかりと根付いているのがネットでわかった。
これも時代の表れなのかもしれないと、やっぱり感慨深くなってしまう。

彼女が亡くなったというニュースを聞いて、彼女の一番のヒット曲「ホット・スタッフ」をYouTubeで聞いてみたら、私はとてつもない間違いに気づいた。
この曲のサビのところの歌詞を、「アイ ニード “マッチョ”」と言っているのだとずっと思っていたのだ(ビデオの1分10秒すぎくらいの箇所)。
当時、マッチョという言葉が流行りだした頃で、そういう要素が入っているのだと勝手に思っていたのだった。これも、小学校高学年~中学生女子の勝手な妄想である。
真実は、この曲のタイトル「HotStuff」と歌っているので、ちょっと考えればわかりそうなものだが、今の今まで気が付かなかったのだから、ちょっと恥ずかしい思い出である。

また、この話を旦那にしたところ、「ホットスタッフってどういう意味だろう」というので、真顔で「熱い従業員」と言って笑われた。それは「staff」でスペル違いである。
ディスコソング「熱い従業員」。踊れないかもしれない。

いろんな思い出を残してくれた彼らに、ご冥福をお祈りいたします。



Copyright ©2006 by makura GEKIDAN Shirakaba. All Rights Reserved.
無断転載を禁ず