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◇暑さ寒さも彼岸までというのに2007年03月22日 05時12分49秒

春分の日の今日は大変天気が良かったので、うちの旦那は一人でバイクで箱根に行ってきたらしい。私は朝方まで起きていたので、午前中はずっと寝ていたのだが、起きてみたら旦那はいなかった。
昼頃のこのこ帰ってきて、ゴールデンオレンジという黄色く小さなみかんを買ってきてくれた。

午後はパソコンで遊んだりしていたので、居間の方はストーブをつけずにいたのだが、北側に面するパソコン部屋は寒かったので、旧式の電気ストーブをつけていた。
うちの猫が居間のストーブをつけろと何度も催促に来ていたのだが、猫のためだけにストーブをつけるのはもったいないので無視を決め込んでいたら、パソコン部屋の電気ストーブのあたりがなんだかこげくさい。
いつのまにか猫がストーブの前にぴったりくっついていて、毛がこげていたのだ。当の本人はまったくそのことに気づいている様子もない。急いで猫をストーブの前から追い払ったが、毛の一部が茶色くこげてしまった。
こげたあたりを触っても痛がる様子はないので、被害は毛だけですんだようだが、それにしても熱いという感覚がないのだろうか。
今日はそんなに暖かくもなかったけれど、ストーブの前でこげるほどあぶって気づかないほど寒くもないはずなのに。

今年で19歳。そろそろ感覚もにぶくなってきたのだろうか。

◇ムーンライダーズの思い出2007年03月22日 05時23分38秒

ムーンライダーズの30年: ミュージックマガジン増刊
ムーンライダーズの30年: ミュージックマガジン増刊

書店で「ムーンライダーズの30年: ミュージックマガジン増刊」という本を見つけたので購入した。

ムーンライダーズは、劇団白樺のメンバーの一番のお気に入りのバンドで、当時メンバーの溜まり場だったY姉弟の家でレコードをかけては一緒に歌ったりした。当時洋楽にどっぷりはまっていた私としては、10代後半の日本のバンドの中では一番印象深いバンドである。

当時は、音楽は常に自分のそばにあるものと思っていて、自由に好きなレコードを買えるほどお金があったわけではないけれど、なんとなくいつも音楽を聴いていることが普通だと思っていた時期だった。
ムーンライダーズは、自分から好きになったわけではなく、そんな生活の中でなんとなくいつもそばにあったようなバンドだった。

東京に出てきてからは、自分から聞いたりすることもなくなってしまったが、20年近く前にパソコン通信をはじめて、参加したフォーラム(当時は、各パソコン通信会社が運営する中で、それぞれテーマに沿ったフォーラムというものがあり、決められた場所で思い思いの意見を発表したりするのが主だった)で親しくなった人たちも、何故かみんなムーンライダーズが大好きだった。私より年上の人たちは、はちみつぱいの頃からのファンの人も多かった。
「最後の晩餐」が前のアルバムから6年経過した後に発表された1991年頃、そのフォーラムの仲間とみんなでムーンライダーズのライブを見に行ったこともある。

当時はレコードからCDに入れ替わって久しかったが、CDプレイヤーを購入するお金もなかったので、自分から音楽を追及したりすることから少し離れていた時期だった。自分が生涯で一番好きな音楽家のコンサートがあっても、それに足を運ぶこともできずにいた。
パソコン通信をはじめて音楽好きな仲間とめぐり合い、そこにいた人たちの知識量のすごさに影響され、CDプレイヤーを購入し、その中にあったたくさんの情報と、自分の中にあった枯渇した音楽への欲求が爆発するように、ありとあらゆる音楽を聴きまくっていた時期でもあった。
当時見たムーンライダーズの最後の晩餐ライブは、やっぱり自分は音楽と共に生活したいという気持ちを再確認するものだったのだろうと思う。
60年代~70年代の日本の音楽が好きだったこともあって、はちみつぱいを勧められて聞いたりもした。
いつも自分からは求めないでも、何かしらムーンライダーズは誰かがそっとそばに置いていってくれる届け物のような形で私のそばにあったのだ。

1998年か1999年に、つくばで糸井重里と鈴木慶一があるイラストレーターのイベント応援に駆けつけた時も、やはりそのライブハウスの常連さんの一人が熱狂的なムーンライダーズファンで、最初は最近の曲を演奏したりしていた鈴木慶一も、私たちが古い作品のCDを持ち出し(常連さんは火の玉ボーイを、私はマニラマニエラを)、サインをねだったりしたものだから、後半はマニラマニエラにある糸井重里と鈴木慶一の作品である「花咲く乙女よ穴を掘れ」を歌ってくれたり、はちみつぱい時代の曲を演奏してくれ、感激でふだんはあまり仲良くもないその常連さんと、手を取り合って歓んだりしたのだ。

パソコン通信からインターネットに移行するにつれ、パソコン通信のフォーラムにもいかなくなり、そこにいた友人達も少しづつそこから離れていって会わなくなってしまったが、参加していたフォーラムで最後に見たのは「ムーンライダーズ20周年記念特設会議室」だったように記憶している。
あれから10年。そのフォーラムで知り合った人と結婚し、つくばのライブハウスで鈴木慶一と会ってから、ムーンライダーズからもなんとなく離れていたけれど、思えばムーンライダーズはずっと私のそばにあったのだなあと、購入した本を読むとその時期その時期の出来事とオーバーラップして思い出されたりする。



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