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◇ひさしぶりだがなんだかバタバタしている。2012年03月02日 01時34分09秒

久しぶりの書き込みである。

去年の震災以降、なんだか得体の知れないもやもやしたものが、餅のように大きく膨らみ、なんだかそれに支配されてしまった。
それは正体のわからないもので、心のどこかに「でもなんとかなるさ」といつもあったものが、探さないと見えなかったり。
急激に地震の前と後では、心持ちがちがってしまった。

関東の西部で暮らす私の被災状況など、真の被災地に比べたら、別に「だからなに?」というようなものだ。
それでも、周辺に広がる放射能に対する反応や。
確信のない情報や、納得のいかない対応。
がれき処理のように、誰かが「みんなで助けよう」と言っても、簡単に首をたてにふれない周囲の状況。
みんなそれぞれ持っている苦悩が違うから、誘われても足並みをそろえることができない。
あれこれ

「絆」なんていってもどこかそらぞらしく、自分の周辺にあるものさえ信じられず、だからといってそれを説明できないもどかしさ。
そして一番は、結局は何もできない自分自身の非力さと、現実を受け止められない葛藤が問題なのだろうと思うのだ。
今でも、被災地の映像を直視できないくせに、それを毎日目の前にしなければならない人には、何もしてあげられない。


アタゴオルのヒデヨシみたいに、

『腹いっぱい空気をすいこみながら両手をあげ
よおしといいながら
片足を出し
両手をふりおろします

これを5・6回やれば
心の悩みなんかいっぺんでふきとんでしまいますよ』
(ますむら・ひろし著 アタゴオル物語「こちらはゴロニャオ」より)

となれればいいのだけど、
何回やっても、なかなかそういう心持にはならなかった。


なんちゃって被災者の私でも、震災の前と後では、すっかり見える風景も違ってしまったのだ。

少し落ち着いてきた頃、私の周囲を見ると、なんだか、同じような心持になっている人がたくさんいる。
自分で気が付いている人もいれば、まったく気づかず、でもその違和感に苦悩する人もいる。
そういう状況であることさえ、気づいていない人もいる(まあ、それが一番幸せなのかもしれないが)。

最近、自分のことを自分で見えるうちは、まだましかなと思う。
でも、自分で見ているものが、本当に真実であるかどうか、自分で判断できるのか、まだ不安だったりもする。
それでもまだ目が開いているうちに、見るべきものはきちんと見ておこうと思ったりする。
せめて自分と家族だけは、きちんと見ておきたいと思ったりする。
自分に何もできないのに、他人にあれこれ“施す”ことなど何もないのだ。
目をそらしていても、これだけは判る。

春というのにまだ寒く、今年は梅の花もまだ見かけない。
宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」にでてくる冷害の飢饉の前触れのようだと、なんだか不安にもなる。
ブドリは火山の研究をし、最後は住民の生活を守るためにその身を投じるのだ。

でも、運転免許の書き換えもあるし、確定申告やら、花粉症対策やらと、やはり現実は何かと忙しい。
忙しいのに、気がまぎれることもない。
それでも、期限までにのんびりと思っていたのだ。

一年ばかり、意識するのとしないのとで、ものごとをあまり考えないようにしてきた。
考えないようにしても、いろいろなことを考えざるをえない。
だから、なんとなく忙しくしないできた。
それがくせになって、なんだか身体も心も動かない。

そんな中、ちょっと大きな依頼があった。
依頼人は旧知の人物だ。
私が今までやってきたことと比較しても、感覚を最大限に使わなければできない内容。
友人の期待にも応えたいので、「のんびり」などとは言っていられない。
よそにふっても、それ相当のものはできるかもしれないが、私にしかできないものであると、自負することも必要だ。

春に覚醒するように、自分の感覚を研がなければ動けない。
感覚を覚醒させて、震災一年を迎える気持ちの準備もしなければならないのだと、自分に言い聞かせる。
新しい気持ちで、いろいろなものを見る目を開かないと、自分に対しても何もできないのだと、自分に言い聞かせる。

◇Way Of The World - Cheap Trick2012年03月04日 07時54分25秒


Way Of The World - Cheap Trick - 1979 Promo

AKB48の歌ではないが、気分がすぐれない時間が長いと、その間に無意識のうちに昔の曲が頭の中をヘヴィローテーションしていることがある。
理由はわからないが、ずいぶんと長いこと耳にすることもなかった曲が、ふっと頭をよぎったりする。
そして、そのままいつまでも頭の中を流れ、ときには口をついて歌っていたりもする。
たいてい、いつの間にかまた忘れてしまうのだが、時にはその曲を聴いていた頃に感じた感覚が、まざまざとよみがえってくることがある。
この曲は、そんな曲のひとつだ。

この曲を初めて聴いたのは、中学1年生のときだった。
Cheap Trickはラジオなどで聞いて知っていたが、この曲が収録されている「Dream Police」が初めて購入したCheap Trickのアルバムだった。

Dream Police以前のCheap Trickの曲は、埃臭いアメリカの雰囲気があり、メロディもそのイメージも、非常にわかりやすかった。
当時の他のアメリカンロックバンドとは異なり、男臭く汗臭いイメージが皆無だったのは、小学生女子には非常に入りやすかったと思う。
ヴォーカルとサイドギターのRobin ZanderとベースのTom Peterssonがルックス担当で、リードギターのRick NielsenとドラムのBun E. Carlosがキャラクター担当という雰囲気。
私のお気に入りはトムだった。修学旅行にもロック雑誌を持参し、海外ロックなどそれほど興味もない友人に無理やり見せて、「ロビンとトムとどっちがいい?」などと聞いていた。

面食いなのは今も変わらないが、Cheap Trickに関してはメンバーのルックスもさることながら、バンドの持っている雰囲気や、サウンドのバランスなど、ルックス以上に楽曲の方が身体に浸透しているような気がする。
当時「80年代のThe Beatles」などと騒がれ、彼ら自身もThe Beatlesの曲をカヴァーしたりもしているが、今改めて聞くと、ベタなアメリカンロックの中に、The WhoやThe Kinksなどの影響の方が色濃く感じられるような気がする。
The WhoもThe kinksもこの頃の私はまったく知らない存在であった。その後The Jamをはじめとしたモッズ系のバンドに傾倒することで、さかのぼってファンになるのだが、最初にサウンド主体で気に入ったバンドにもこの傾向が見られるのは、自分でも少し驚いたりもする。

この曲に最近再会したきっかけは、Van Halenにデイヴ・リー・ロスが戻ってきたというニュースを観たからだった。
YouTubeで当時の曲を探しているうちに、彼らの曲を最初に聞いた「レベルポイント」という映画のことを思い出したのだ。
この映画は帯広では上映されなかったのだが、Van HalenやThe Cars、Cheap Trickなど、当時話題になっていた新鋭のバンドがサウンドトラックに参加しているので、Cheap Trickだけでなく色々聞けるサウンドトラックのレコードとして、特に気に入っていた。
それで懐かしくなって、Van Halenからたぐっていくうちに、この曲にたどり着いたというわけだった。

実を言うと、Cheap Trickのアルバムで唯一持っているのはDream Policeだが、Dream PoliceはCheap Trickに失望したアルバムでもあった。
それまで持っていたCheap Trickらしさがなんとなく失われていて、どこかドラマチックで作り上げた感があったからだ。
しかも、このアルバムが発表された後、お気に入りのペースのトムが脱退してしまったのだ。

「Way Of The World」は、日本ではちょうどトムの脱退のニュースがあったかないかのタイミングでの発売で、私はDream Policeでシングルカットされた曲の中で、この曲だけシングルレコードを持っていない。
でも今聞くと、Dream Policeの曲の中では、この曲が一番当時の感覚を感じられる曲なのだ。
シングルカットされた「Dream Police」や「Voices」など別な曲のPVも見たが、なぜかこの曲に魅かれてしまう。

この映像はPVなので、音源はレコードの録音のものである(たぶん、シングルカットしたバージョンと思われる)。
でもこの映像は、当時「動くロックアーティスト」なんてほとんど見ることなど叶わなかった自分のイメージを、当時の印象をまったく損なうことなく映し出しているように思えたのも嬉しかった。

コーラスのところで、いちいちトムがメインマイクに入り込んでくるところが、ちょっとうざいと思ったりもするが、イケメン二人がメインマイクで歌う姿は、なんとなくセサミストリートのマペットのようだと思った(口がカパっと開くところが、なんとなく…)。
それと、ロビンのイギリス的でない素直なこぶし回しと伸びやかな声が、とてもすんなり発せられるところが、見ていて非常に気持ちいい。たまに彼の癖で、目を上にむけて歌う姿が、なんともなくかわいらしいと思えてしまう。
このPVを見ていると、ロビンののびやかな声と、再三挿入されるコーラス、それとわかりやすいサウンドが、初期のCheap Trickを彷彿させるのかもしれないと思ったりする。

この頃、自分の将来のことについていろいろと考えることが多くなり、漠然と音楽雑誌の編集者になりたいなどと思い始めていた。
雑誌の編集になるには、当然北海道を出る必要があったし、当時は女子は大学に行かず地元で仕事を見つけて結婚するというのが普通であり、多くの親がそれを望んでいたため、北海道を出て就職するなど夢のまた夢のようなことだった。
それでも、当時は毎日のようにレコードをかけて、音楽雑誌を読み漁り、音楽に携わる仕事をすることを夢見ていた。

Cheap Trickの曲は、ちょうどそんな時代に聞いていたバンドだ。
半分忘れかけていた曲が、昔の気持ちを思い起こさせる。
「Way Of The World」を聞いたとき、大げさなようだが、なんだか強烈な光のようにその頃の記憶がよみがえったのだ。
それは、自分にとっても大事に感覚だったのだと再認識させられる。
そういう音楽に出会えたことを、あの感覚を思い出せたことを、今は感謝したいと思う。

2012年03月14日改訂

◇やっと梅の花2012年03月13日 17時43分53秒

近所のしだれ梅の木
 
今年はなかなか梅が咲かないと思っていたが、ここ数日の陽気で民家の庭でもやっと花を見ることができる。

去年の震災の日。私は伊豆に、早咲きの桜を見に行っている。
桜はほぼ満開に近く、道端には菜の花が黄色い花を彩っていた。

それから比べると、今年は本当に花が遅い。
いつもの年だと、このあたりでも川べりの川津桜がそろそろ花をつけてもいい頃なのに、今年はまだ気配さえ見えない。

今年の冬はいつになく寒くて、北海道生まれの私たち夫婦が「冬らしい」と感じるような気候だった。
冬はいつまでも居座って、なんだかこのあたりの人の気持ちを反映しているかのようでもあった。

やっと暖かくなったことで、花粉症の症状も日に日にひどくなるけれど、今年くらい春が来るのが心待ちだった年はないかもしれない。

梅が咲いて、やっと春だなあと思える。

◇映画「レベルポイント」サウンドトラック(1978年)2012年03月14日 05時05分09秒

「レベルポイント」サウンドトラック 1978年

80年代はロックやポップスが映画のサウンドトラックに使用され、それがヒットするというのが定石な時代だった。映画用に作曲された曲ではなく、既存の曲を映画のイメージにあわせて使用するという時代だった。

レベルポイント(監督:ジョナサン・カプラン 1978年 アメリカ 原題「Over The Edge」」という映画のサウンドトラックを私は持っているが、実はこの映画は観たことがない。
当時、帯広では上映されなかったし、ネットで見てみると各学校で視聴禁止映画に指定されていたという話も聞く。
これまで見たことがなかったので、先日別な記事を書いたときに調べてみたのだが、マット・ディロンのデビュー作だったらしい。
内容としては、『親の束縛と古い価値観に反抗するティーンの辛口青春ドラマ』とあるので、この当時よくあったアメリカ映画らしい内容らしい。
そして、NirvanaのKurt Cobainが映画に影響を受け、「Smells Like Teen Spirit」のPVの元ネタになったというのも、ネットで初めて知った。

この映画のサウンド・トラックは、当時の流行のロックの曲がふんだんに使用されていて、80年代のロックと映画音楽の流行のさきがけだったのではないかと思う。
収録曲は、

Side one
Surrender -- Cheap Trick
My Best Friend's Girl -- The Cars
You Really Got Me -- Van Halen
Speak Now or Forever Hold Your Peace -- Cheap Trick
Come On (Part 1) -- Jimi Hendrix

Side two
Just What I Needed -- The Cars
Hello There -- Cheap Trick
Teenage Lobotomy -- Ramones
Downed -- Cheap Trick
All That You Dream -- Little Feat
Ooh Child -- Valerie Carter
(Wikipedia「Over the Edge (film)」より抜粋)

Jimi HendrixやLittle Feat、Ramonesなど、すでに人気があったものの中で、当時まだ新人といえるVan Halen、The Cars、そしてCheap Trickの曲がたくさん使用されている。
今聞けばどれも名曲揃いなのだが、当時の私の中に残ったのは新人の3バンドだった。

レコードを買ったきっかけは、ラジオの特集だったと思う。
まだ新人だったVan Halenの収録曲「You Really Got Me」がThe Kinksの曲だと知ったのは、ずいぶん後になってのことだったが、最初はこの曲が一番好きだった。

その後、ラジオを録音したテープを何度も聴くうちに、Cheap Trickにはまっていった。
最初に聞いたのは「Hello There」だったが、この短い曲の中にぎゅうぎゅうにつまった疾走感は、当時小学生女子だった私をぶち抜くには十分だった。
一番のお気に入りは「Surrender」。
このレコードには和訳された歌詞がついており、「Surrender」の歌詞にある“麻薬”だとか、“戦争”だとか、“パパとママがKISSでノリノリ”なんてことは、自分の日常にはまず存在しないことだったから、この映画の内容以前にこのような雰囲気がアメリカっぽいと勝手に想像していた。
しかも彼らは、「ロックバンドには美形もいて、しかもテクニックもあり、その演奏も楽しく魅せてくれるものなのだ」と認識させてくれるに足りるルックスとテクニックを有していた。そのバランスが絶妙だったのだ。

中学に入り、ロック雑誌を買い、シングルを可能な限り買い集め、出かける時は常にラジカセデッキ(もちろん、アナログ)を持ち歩き、Cheap Trickにはまっていった。
中学1年生のときに小学6年生のクラス会として、自転車で川にキャンプに行った。私はその時にもラジカセを持ち込み、自転車に乗っている間もイヤホン(もちろん、片耳のアナログのやつ)をつけてずっとCheap Trickを聞いていた。
小学生の頃は、洋楽を聞く人などクラスに誰もおらず、友達と音楽の話をすることもほとんどなかったのだが、中学に入ったことで洋楽好きの男子がキャンプの最中に話しかけてきて、初めて洋楽の話で盛り上がりとても楽しかったことを覚えている。

この印象が強烈だったせいか、私にとってはCheap Trickといえば、常に中学1年の夏の思い出とつながる。
レベルポイントの世界とは程遠い平和な日常だが、私にとっては忘れられない中学1年生の思い出なのだ。

レベルポイントのサントラの中で、今から思うと異色だと思えるのは、The Carsの曲だ。
The Carsは、今でこそ80年代のアメリカン・ポップスを象徴するようなイメージがあるが、当時はまだエレクトリックポップな曲とそうじゃない曲とが入り混じり、彼らのオリジナルアルバムを聞いてみると、一曲一曲で非常にイメージが違う。
ヴォーカルもギターのRic OcasekとベースのBenjamin Orrが相互に受け持っているのが当時は理解できず、The Carsの曲を聴くたびにイメージが分散されてしまい、なぜこんなに聞くたびにイメージが違うのだろうと不思議に思っていた。
このサウンドトラックで使用されている2曲は、どちらもダンスミュージックとしては秀悦なものだと思うのだが、やはり他の曲と比較すると非常に(当時として)現代的であり、異色な存在であると思える。


それにしても、いまや、このアルバムに収められているバンドのほとんどが、一線で活躍したバンドだ。
当時新人だった3バンドも、Benjamin Orrが2000年に亡くなったThe Carsは、彼を除くオリジナルメンバーで2010年に再結成され、Van HalenもオリジナルメンバーのヴォーカルDavid Lee Rothが復活。
Cheap Trickは一時ベースのTomが抜けたものの、早い段階で復活を果たし、今でもオリジナルメンバーで精力的に活動を続けている。
オリジナルメンバーがいずれかで一度抜けてしまったけれど、現段階で可能な限りのオリジナルメンバーが復活している点でも同じなのは、ちょっと面白い。

80年代におけるロックの映画音楽進出前夜の、1978年というアメリカンロックの成熟期に、このようなサウンドトラックが存在したのは奇跡にも近いものだと思うが、このサウンドトラックCD化されていないようで、現在は入手が難しい様子。

我が家にはまだレコードプレイヤーもあるし、やろうと思えばレコードからデータ化することも可能なのだが、データ化したいレコードは山のようにあり、なかなか手が回らない。
そのうちデータ化して、改めて聞きなおしたい一枚だ。

2012年03月14日改訂

◇エコノミー症候群2012年03月20日 18時03分39秒

ひざサロンパス

ものすごく短い期間だったけれど、海外行ってきた。
この数年、あまりにもいろいろありすぎて、オフィシャル以外の旅行に行く気持ちにもなれなかったが、気持ちが動き出したときが動くチャンスとばかりに行ってきたのだ。

ラグジュアリーな飛行機の座席など、JALの国内線Jシートくらいしか利用したことがないが、私の体型では国内線の普通席が限界なのだと、毎回思い知らされる。国際線のエコノミーは、国内線の普通席よりも狭く感じるのは、気のせいではないはずだ。
行きはまだいいのだが、帰りは必ず足がパンパンに腫れて、リンパ節を中心に湿疹ができ、身体のあちこちが悲鳴をあげる。
迷惑のない時間帯に、飛行機の通路で屈伸運動などしたりもするが、なかなか連続して時間をとることもままならない。

よく考えると、国内旅行のときは、レンタカーや公共交通機関をいかんなく利用できるし、観光地を歩くのもそこらで休むのも心置きなくできるが、海外だとそうもいかないことも多い。
しょっちゅう足を運ぶような土地だったり、旅なれているのであれば別だが、たまに短期間でしか行けない私たちの海外旅行は、ほとんどがやっつけ旅行だ。
旅行会社の過剰とも思える注意は素直に鵜呑みにしてしまうし、要注意とされているような場所では、常に気がはっている状態である。
カフェに入っても、水に注意したり、料理に注意したり、おまけに懐中物にも注意したりと、ホテルに戻るまではゆっくりもできない。
しかも、交通機関の状況が把握できなければ、頼りになるのは足だけだ。

だから、心も身体も解放される帰りの飛行機は、たとえ身動きとれない状況でも、身体中が旅行期間中の結果を反映させるのだろう。
帰りの飛行機では足だけではなく、身体中に湿疹ができ、右ひざがガクガクになっていた。
なにかの感染症にでもかかったのだろうかと疑いたくなったが、帰宅して風呂に入り、マッサージし、千年灸をし、サロンパスを貼ったら、湿疹はみるみるうちに治っていった。
やはり血行不良の湿疹だったのだ。

備忘録としての旅行記は、どこにいったのかも含めて、もうちょっとまとめてからぜひお披露目したい。

◇ベトナム旅行記01 ~行く直前まで~2012年03月24日 05時11分19秒

hotel nikko saigonロビー
hotel nikko saigonのロビー

最初はベトナムなど、まったく行く気はなかった。

家族で旅行に行こうと計画をたてはじめたのは、1月の終わり頃だった。
最初は、北斗星で函館にイカを食べに行こうと話していたのだ。
それがいつの間にか、広島の厳島神社に行こうという意見が出て、だったら一緒に愛媛に砥部焼きと今治タオルを見に行きたいという話になったが、3月の中国・四国の花粉状況が判らない。今年は関東の花粉も遅れている状況だったし、計画立案の時期はまだまだ寒い時期であったので、花粉の想像などしたくもなかった。

そこで何気なく見た海外ツアーで、東南アジアの3泊2日とかだと、国内のどこよりも安かった。
しかも、私たちが見たのは12月にホーチミンにできたばかりの、日航の新しいホテル「hotel nikko saigon」。
五つ星クラスのラグジュアリー、往復JAL利用(こちらはエコノミー)で、4万円台は魅力だった。

街中が気に入らなければ、ホテルを満喫すればいい。

ツアー概要を見たとき、そう思った。
たぶん、こんなすごいクラスのホテルなんぞ、ツアーについてない限りは利用することもできないだろう。
4万円クラスだったら、熱海か箱根の一流ホテルで一泊するくらいの値段である。それで海外で遊べるなら、安いほうだろうと思ったのだった。

東南アジアは憧れの地だが、しかし今の私の体調では不安要素の方が大きい。
旅行先で病院送りになるのは、香港返還でわいた十数年前に、上海ですでに経験済みだ。
ちょうど梅雨明けと重なり、強い日差しと蒸し暑い気候。そして、水と食べ物が合わず、ひどい下痢に見舞われ、上海で病院に行ったのだ。
強烈な腹痛の中で上海雑技団を観て、翌日楽しみにしていた黄河クルーズは中止し、病院に行って一日ホテルで寝ていた。

旅行案内には、たいてい空気と水の事情が悪い土地では特に気をつけろと言うが、空気と水に対してどうやって気をつければいいのか。
ベトナムの水は日本の水よりも硬いので、ミネラルウォーターは外国製のものを買うようにガイドブックやネットには注意書きがされている。
しかし料理などで使用される水が、必ずしも外国人向けの水が利用されている保障はない。バイクの交通量がハンパなく、道端でタバコを吸う人があちこちに見られる中で、どうやって空気と水に注意すればいいのか。

しかもきわめつけが、ベトナムのトイレ事情だった。
私が持っているガイドブックには、ホテルやレストランのトイレはまともだが、街中にある公衆トイレはたいてい便座がないと書いてあるのだ。
公衆トイレはチップが必要だが、トイレットペーパーがついていない場合があるようなことも書いてある。

タバコの気配を感じるだけで喘息の発作がおきることもある心配や、水が合わずに腹を壊してもトイレに自由に入れないどころか、じゅうぶんに臨戦態勢に入ることもできないかもしれないことを考えると、気持ちはどんどん暗くなっていった。

旦那はなんだか行く気まんまんで、ガイドブックを選ぶのも楽しそうだが、私はなんとなく行く寸前まで気が重かった。
ぎりぎりまでガイドブックを読む気もしなかったし、海外に行くのだから言葉などの準備も必要なのに、一週間前くらいまで何もする気にならなかった。

函館でイカとロシア料理と温泉の方がよかったなあとか、たまたまNHKのあさイチで愛媛の旅特集をしたりと、行く寸前まで心はベトナムになってはくれなかった。
こんなんで、実質2日しかないのに、ちゃんと楽しめるのかずっと不安だった。


つづく

◇ベトナム旅行記02 ~旅行の準備~2012年03月28日 18時30分30秒

■海外旅行保険
旅に行く直前まで気分がのらずにいたのだが、さらに気持ちを重くさせたのは、海外旅行保険だった。
格安の保険はいくつもあるのだが、私は喘息と婦人科の持病持ちなので、WEBの海外旅行保険の適用外だとはねられてしまう。
たかが4日の旅行で旅費も格安だというのに、1万円もするような保険は利用したくない。
かといって、私には過去に旅行先で病院に担ぎ込まれている経験もある。保険の大切さは、よく知っている。

そこで、WEBで格安の海外保険をまず探した。
当初検討したのは、損保ジャパンの「off」という商品。これは持病持ちの人は加入できないとある。
それと、AIUの持病持ちの人でも加入できるという商品。こちらは、電話か保険カウンターでの契約になるらしい。

とりあえず、持病について確認するために両社へ電話してみる。
AIUでは、持病に対する保険について詳しく説明をしてくれた。
手元にカタログを持っていたが、根本的な勘違いをしており、当初見積もっていた保険料より高額であることがわかった。
しかし、持病を持つ人用の保険としては、調べた結果AIUが一番格安であったので、とりあえず保険加入のための書類を取り寄せることにした。

損保ジャパンでも持病持ちの人向けに商品はあるので、当初そのことについて質問する予定だったが、WEB限定格安商品の「off」を検討していたことを話すと、持病について詳しく質問された。 その結果、私の持っている病気については、持病を保障外とすることで加入できると説明され、その電話で名前を告げることでWEBで加入申請したとき審査が通るように手配してくれたのだ。

旅行に一緒に行く旦那は持病がないので、家族向け商品にしてしまうと高くなってしまうため、私と旦那と別々に加入することを検討していた。
しかし、損保ジャパンのoffに加入できたことで、家族二人で3500円程度に収めることができた。
保険内容を確認するということは、自分の身に異常が起きたときだけだ。幸い今回の旅行でそれを実感するようなことは起きなかったが、保険内容も充実したものだったし、少なくとも短期間の旅行に高額な保険に加入するようなことなく利用できたので、これにはとても満足している。


■指差し会話帳

今回作ったベトナム語の指差し会話帳


旅に行くときには、指差し会話帳を持っていく。
しかし、これまでの旅行では中国圏はガイドがいたし、イスタンブールではほとんど英語でなんとかなった。唯一、台北ではほとんど言葉が伝わらないところもあったが、日本語が話せる学生さんがいたりと、あまり不便だったという記憶はない。

自分達で決めていることは、その土地の「こんにちは」とか「ありがとう」「ごめんなさい」などの基本の言葉は、発音がおぼつかなくても必ず覚えて行く。
中国語などは発音が違うだけで、違う意味の言葉になってしまうが、広大な国土の中で方言も多いため、多少発音が変でも相手が旅行者であれば、あいさつ程度はみんな笑顔で返してくれる(15年前の上海でだが)。

最初はガイドブックなどについている会話集や、指差し会話の本をそのまま持っていくこともあったが、最近は旅行先ではガイドブックをできるだけ開いて歩かないようにしている。「地球の歩き方」などを表紙も隠さずに持ち歩いていると、それだけで日本人だとわざわざ宣伝して歩いているようなものだ。
経済的に発展し、平和ぼけして危機感の薄い日本の人であるということは、外国では常に悪い人の標的であるといつも思う。旅行先で過剰に警戒するのも疲れるが、自ら危険を呼び込む必要もないとも思う。
もちろん、聞かれれば胸をはって「私は日本人です」と答えるし、日本語で話しかけられれば日本語で返す(イスタンブールで日本人であることをごまかそうとして、失敗した過去もあるし)。

市販の指差し会話集は確かに便利なのだが、書いてあることのほとんどは使わない。
一般的なシチュエーションがたくさん載っているが、ページを探すだけで大変なのだ。
今回は日程も短いことだし、「あいさつ」「買物」「道順」「ヘルプ」と大まかに項目を分けインデックスを貼り、ネットで会話を検索して自作した。
「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「どういたしまして」「ごめんなさい」「これはなんですか?」「安くしてください」「高いです」「お勘定をお願いします」「ここはどこですか?」「トイレはどこですか?」などなど。
ノートの裏表紙には、基本の発音の仕方と数字を貼り付けた。
その他のこまごましたものは、ガイドブックに載っていた便利な会話集のページをコピーして貼りつけた。
このノートは、逆側はメモとして使用する。両方から使いやすいよう、リング式の手のひらサイズのものを選んだ。
ガイドブックの指差し会話を貼り付けた手帳

今回購入したガイドブックは、JTBパブリッシングの『タビトモ ホーチミン』と『ララチッタ ホーチミン』の2冊。同じ出版社のものになったのは偶然だが、厚さや大きさが手ごろで持ち歩きやすかった。
特に、『タビトモ』の方は表紙のかえしと裏表紙の見開きに、シチュエーションに合わせた会話がピックアップされ一覧になっている。これがものすごく重宝した。
地図も本誌とは別に、一枚紙で主要観光地が裏表で印刷されたものがついていて、道を確認するときにガイドブックを取り出さなくてもよいようになっている。

私はこれの、「人を呼びかけるとき」と「食事編」「スパ・マッサージ編」「オーダーメイド編」をコピーして切って貼り付けたのだが、食事編は非常に便利に利用できた。
実際レストランで「ちぇっく ぷりーず」と呼びかけても、なかなか対応してくれないことがあったが、店員を呼んで「お勘定をお願いします」という項目を指差すと、笑顔で「オーケー」と言って対応してくれる。
外国人観光客の多い場所では、ある程度英語も通じるが、できるだけ現地の言葉でコミュニケーションした方が喜ばれた。
ただ、指差して声に出して言うと、「発音が違う」と正しい発音ができるまで教えこむ店員もいたのにはちょっとだけ閉口した。これも旅のコミュニケーションだ。

トイレなども、有料公衆トイレなどではほとんど英語が通じないので、場所が判りづらいときには「トイレはどこですか?」なども結構使った。

実際口に出して話したのは、「Xin chao(こんにちは)」と「Xin cam on(ありがとう)」が一番よく使ったし、「ありがとう」は伝わりやすかった。
「はい」と「いいえ」は実際使っても伝わらなかった。

ベトナム語は非常に難しい。同じ音でも声調(発音の仕方)で意味が異なるというのは中国語と似ているが、中国語よりも声調が多いし、しかもその区別が非常に微妙である。母音の数も多く、喉の奥でポコポコさせるような独特の発音はとっさにやろうとしてもできない。

発音方法なども含めて、今回お世話になったサイトは、以下のとおり。
言葉の発音が実際に聞けるものは、音声データをダウンロードしてスマートフォンに入れておき、いつでも確認できるようにした。

ウィキトラベル「ベトナム語会話集」

ネイティブな発音が聴ける - ベトナム語大辞典
シチュエーションにあわせた会話が多数掲載。現地の注意事項も確認できる。
(音声認識の一部で、FireFox10に対応していなかった。IE9は対応している様子。)

NNA.ASIA「会話の基本→インドネシア語→ベトナム語」
こちらは、音声とカタカナ+発音で確認できる。声調の説明もあり、理解しやすい。



■スマートフォンの翻訳アプリ
google翻訳の画面

言葉の面で今回の旅行では、スマートフォンの翻訳アプリが、非常に役に立った。
私が利用したのは、「google翻訳」。
私はAndroidユーザーだが、このアプリは旅行に行く前から利用していた。以前は別なトランスレーターを使用していたのだが、こちらの方が音声認識の対応言語が多く使いやすかった。
料金は無料でダウンロードできる。
実際、翻訳アプリはあちこちで大活躍した。
google翻訳ではベトナム語は音声で確認する機能はサポートされていなかったし、日本語で音声入力したくても、あせってしまったり、騒がしいところでは誤認識するため、音声に関しては使えなかった。
だが、文字入力することで、簡単な質問などは文字の拡大機能で十分こと足りた。

ホテルの近くのスーパーマーケットでハチミツを購入しようとしたところ、あきらかに「食用ハチミツ」と、パッケージに女性が肌をすべすべ触っている写真のあるハチミツとが並んでいた。
「これは食べるハチミツなのか? それとも肌に塗るものなのか?」と悩んだ末、通路で警備員が女性店員を口説いているところを割り込んで、最初は英語で聞いてみたが通じない。
そこでこのページの最初の写真の画面を見せて、食べるしぐさと肌に塗るしぐさをして必死で聞いたところ、警備員が笑いながら飲むしぐさをしてベトナム語と英語で説明してくれたので、やっとそれが食用であることを理解した。

ちなみに、Viet honeyというのはこのハチミツのメーカーの名前である。
後でホテルのスタッフを捕まえて説明書きを読んでもらったところ、これはお肌にいいとされるローヤルゼリーで、一日朝と晩に一回ずつティースプーンに一杯飲むとよいらしいとのこと。このメーカーのハチミツはとても品質がいいので、よい買物をしたと太鼓判を押してくれた。
もちろん注意書きは英語でも書いてあったが、あまりにも細かい文字のため、老眼が始まった私の目では読むことが難しかった。

食べるものか、肌に塗るものか、買うとき迷ったローヤルゼリー

しかし、会話に関しては、ちょっと注意が必要である。
後でパソコン版のgoogle翻訳で、旅行中に使用した単語を日本語から一度ベトナム語にし、さらに日本語に翻訳してみると、けっこうとんでもない結果が出ている。
例えば、上のスマホ画面の写真では「このハチミツは食用?」と聞いているが、「このハチミツは食べるものですか?」と聞くと、別な結果が出てくる。それをさらにベトナム語→日本語で翻訳してみると、「この蜂蜜を食べませんか?」という結果になり、これではハチミツをエサにナンパしているみたいだ。

ベトナム語と日本語のどちらが正しい結果かは判らないが、どこかで微妙に「てにをは」がずれたりして、別な意味に変化してしまうらしい。
これは基の日本語を工夫しないと、出た他国語の結果をとっさに確認することは難しいので、使い方を考えなければいけないと帰国してから思った。

文字入力での利用でベトナム語→日本語にするとき、ベトナム語は通常の英語のアルファベットと文字が少し異なるし、音声記号も表記してあったりするので入力は難しそうだと最初は思った。
しかし、見たままをそのまま通常のアルファベットにあてはめて入力することで、だいたいのものは意味が通じた。
醤油だけでもいろいろな風味のものがあり、オイスターソースなのかカキ醤油なのか、見ただけではわからなかったりしたのも、問題なく判断できた。


街中で見かけた看板。ドアにかかった看板を
「co ban ca phe nuoc ngot thuoc la, nuoc mia」と入力して翻訳してみると、
「持っている 新鮮なコーヒー、タバコ、サトウキビジュース」という結果が出た。


帰国後、街中を撮影した看板などを、PC版のgoogle翻訳で訳すと、それが何の看板であるのかがけっこう判って面白い。
サトウキビジュースの屋台では、コーヒーとタバコも売っているのだという事がわかったり、コカコーラのポスターには、「描画したいですか? すぐに撮影 コカコーラ」という結果がでたり、帰国してからの楽しみにも活用できる。


つづく



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