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◇トルコ旅行記 〜6月4日 客引きにあとをつけられる〜2007年07月15日 10時45分40秒

ホテルの部屋のバルコニーに来たすずめ。日本のすずめとちょっと違う感じ。

■洗濯をする


前の夜はちょっと曇空で月もおぼろで天気が心配されたが、4日目の朝も良い天気だった。前日Yahooの天気予報で確認したときは曇りのち雨の予報だったが、朝には雨の予報は解除されていた。朝7時半に目覚め朝食をとりに食堂へ行くと、エレベーターの外ドアを前日の夜に話し掛けてきた彼が開けてくれ、私が旦那と二人でいるのを見てちょっと苦笑いをしていた。
いつもの食事をすませ、前の日に買ったプディングを食べるためにチャイを部屋に運んで戻った。バルコニーに出て景色を眺めながらプディングを食べる。プディングは冷蔵庫で冷やしておいた。オスマンさん達にはカスタードプディングを持っていったが、私たちにはライスプディングとカスタードライスプディングを買ったのだ。甘さ控えめでとても美味。
プディングを食べながらこの日何をするかを話しているうちに、来る前にこちらの気候があまりよくわからなかったので、持ってきた服が足りないことが判明する。天気もいいことだし、思い切って洗濯をすることにした。

洗面台は洗濯をするには適した大きさで、持参した洗濯石鹸で下着や寝巻き、シャツなどをごしごし洗い、よくすすいでしぼった後バスタオルで巻いてさらにきつくしぼる。ここのホテルは経費削減のため毎日バスタオルを替えない。替えてほしいときは床に置いておくと替えてくれるが、できるだけ長く使ってほしいと注意書きがある。バスタオルも3日目でそろそろ替えてほしいので、ちょうどよかったのだ。
下着類はバスルームのタオル掛けにかけ、大きな衣類は外に干すことにした。物干しロープがバルコニーの幅に足りないので、椅子を重ねて固定してロープを張ることにした。外から見えないように下の方に干すのにちょっと苦労する。
外で洗濯物を干していると、すずめがバルコニーに遊びにきている。ふと下を見ると、線路を貨物車で戦車を運搬しているのが見えた。
洗濯をすませ、その日はエジプトバザールとガラタ橋に行くことにした。



 
前日の夜の夜景。
曇り空で月に雲がかかり赤くぼやけている。
  6月4日の朝の風景。
海にもやがかかっているが、良い天気。
     
   
カスタードライスプディングと食堂から勝手に持ってきたチャイ。
   


この日はいつも水を買う商店のあるレストラン街の通りからではなく、一本海沿いの道を歩いてみることにする。最初の日にレストラン街で見かけた赤い魚の看板の店がそこの通りにあることを発見し、あの日さんざん探し回ったのにこんなところにあったのかと驚く。その様子を見ていたトルコ人の老人が私たちを見てちょっと笑って通り過ぎていった。その老人のシャツが世界地図の模様で、すごくおしゃれだったのが印象的。

オスマンさんの店に行くと隣にエスニック風のシャツが並んでいるので、オスマンさんに朝の挨拶をした後「あの商品はオスマンさんの店のものか?」と聞くと、彼の店のものでもないのにわざわざ品物を選んでくれた。オスマンさんが隣の店にいるのを見て彼のお兄さんが戻ってくるように声をかけたので、「店に戻るからゆっくり見てって」とまるで自分の店のよう。薄手のシャツを買いたかったが、旦那が厚手の方がいいというのでそれを購入する。店員が19ドルと米ドルで値段の説明をするので、二つ買うからと言って35ドルに値引きしてもらう。トルコ製で生地はけっこうしっかりしているので、日本で買うと一枚4000円くらいはしそうだが、安いんだか高いんだか判らない。
オスマンさんに「今日はエジプトバザールにチャイポットを買いに行く」というと、「エジプトバザールの周辺の店の方が安いよ」と教えてくれる。彼は本当に親切だ。




アヤソフィアとプルーモスクの間にある噴水のある公園から撮影したブルーモスク。

■客引きにあとをつけられる

オスマンさんと別れ、フォーシーズンズホテルのわきにある商店で水を買う。通り向かいの旅行会社の人がそこにいて「どこから来たか」と聞かれたので「日本だ」と答える。そこの店の店主は立派な髭をはやした年輩のアラビア人のようなおじさんだったが、何故か客であるその男ばかりが私たちに話し掛けてくる。水のお金を払うときもその男が受け取ろうとするので、ちょっと躊躇して店主を見ると、その男が気を利かせて店主にお金を受け取るよう促した。結局店主とは一言も話をしなかった。

アヤソフィアの前の道に出てアヤソフィアとブルーモスクの間にある噴水のある公園までくると、ちょうど噴水がブルーモスクを背景にして綺麗に散水しているのを見て、思わず「すご〜い」と声をあげると、サングラスをした男が「すご〜い」と私の発した言葉を笑いながら復唱して声をかけてきた。
見るからにあやしげなその男はやはり「日本人?」と質問してくるので、「そうだ」と答えると日本語で「自分は日本に行ったことがある」と話し出した。

この男は客引きなのだが、客引きが日本人相手に話す常套手段として「日本に行ったことがある」というのがある。そのほかにも「自分の兄弟が日本にいて、日本に友達もいる」というのもある。日本に行ったことがあったり、日本に知り合いがいるということで安心させる手法なのだと思うが、客引きが毎回毎回同じ手口で話し掛けてくるので、「だからなんなのだ」という気持ちの方が強くなってきてしまう。客引きは総じて細身のイケメンだったりするのも、女性客の心証を良くする手口なのか。
その男は「自分は上大岡にいた」と言った。ずいぶんとマイナーな土地の名前が出てきたので、ちょっと驚いたりもした。
「自分の知り合いが絨毯屋をやっているので見にいかないか」と言うので「絨毯ならもう買ったからいらない」と言うと、「どこで買った?」と聞いてくる。「友達の店だ」と言うと「それはどこにあるのか」と執拗に聞いてくる。「ワン猫のいるオスマンさんという人の店だ」と言うと、「ワン猫はワンから出すとすぐに死んでしまうからワンから出してはいけないのに、彼はイスタンブールに連れてきている」とオスマンさんの悪口を言うのでむっとしてしまった。

そして男は「イスタンブール以外にはどこかに行くか」と聞いてくる。「どこにも行かない。イスタンブールだけだ」と答えると、「信じられない!! トルコにはイスタンブール以外にも良いところはあるのに」と言い出す。「私たちはイスタンブールが好きだし、街が好きだからイスタンブールだけで十分だ。だから他に行く予定を入れるつもりはない」と言うと、実は自分は旅行店の人間で私たちが水を買うのを見てつけてきたのだと話した。たぶん、水を買った店にいた男があとをつけるように言ったのだろうと、私は思った。しかし私たちがあまりにもきっぱりとした態度をとったので、男は勧誘を諦めたらしい。
旦那が「明日はビュユック島に行く予定だ」と言うと、ビュユックに行くための船の乗り場やビュユック島のトルコ語のつづりなどを教えてくれたりして、なかなか親切だったりもする。そして「良い旅を」と言って見送ってくれた。

ネットなどを見ると、トルコの客引きはかなりしつこく、困ってついていってしまうと、店の中で暴力的な脅しをかけられたりした人もいるようなことが書かれているのを見る。しかし、客引きが声をかけてくる場所は人通りの多い場所がほとんどなので(というか、人通りの少ない場所に行くこと自体危ないと思うが)、そのような場所で客引きを断ったからといっていきなり暴力的な扱いをすることはさすがにしないだろうと思う。イスタンブールの町中にはポリスの車がけっこう走っているし、トルコの人全てが客引きなわけではないので暴力を受けている観光客がいれば親切なトルコ人の中には助ける人も多いはずだ。他の観光地などでは勧誘を断ると「You are crazy」などと罵倒されたりすることもあったが、一番客引きに多く会ったこの公園ではそこまでひどい客引きはいなかった。だいたい22〜28歳くらいの若いイケメンで、流暢な日本語で「日本に行ったことがある」というのが常套手段。今日の客引きは上大岡だったが、新百合丘、蒲田など神奈川・東京都下の小さな町が多いのも面白い。

この公園で4回も会った赤いシャツの客引きは、最初は「絨毯を見に行かないか」というものだったが、次に会ったときは英語で話しかけてきて「自分は日本語あまり得意ではない」と言うので「この間会ったときは日本に日本語勉強しに行ったと言ったじゃないか」と言うと、最初は「初めて会う」と言い張っていたもののそのうち日本語が話せることがばれてしまいお互いに笑ってしまって客引き失敗。3回目は「おはよう」と声をかけてきて親し気にしていたが、「絨毯は見に行かないし、イスタンブールの他にどこにも行かないよ」と言うとちょっと悔しそうにしていた。4回目は最後の日でこの公園のベンチで煙草を吸っていると、遠くにいて別な観光客の客引きに失敗したところを見つけて手をふると嬉しそうに近付いてきて、「煙草は健康に良くない。ぼくは煙草嫌いだよ」などと説教くさいことを言う。「これから帰るのでこれが吸い納めだ、空港に行けばもう吸えないしね」と言うと「それは当たり前だ」と笑う。最後の最後で「絨毯見に来てよ」と懇願されたが「もう荷物を詰めてしまったので、これ以上荷物を増やすつもりはない」と言うと思いきりむっとしていた。それでも「もう会えないね」と言うと寂しそうにしてくれていたのが印象的だった。


トルコの客引きはしつこいし観光客と見るとあちこちで話し掛けられるが、少なくともこの公園で出会った客引きのほとんどは悪いやつではなかった。しかし、悪いやつではないからといって店についていけば、その先で何をされるかはわからない。客引きがいるからといって悪い店と限った話ではないのかもしれないが、「知らない人についていってはいけません」という親の言葉はここではしっかり守るべきだと思う。要はきっぱりとした態度で断ることが一番大切なのだろう。


つづく

◇トルコ旅行記 〜トイレ〜2007年07月11日 02時48分38秒

トイレの男女認識票。
トルコでトイレはTuvalet(トゥワレット)だが、だいたい文字では「WC」とでっかく表示されている。男女用の区別は男性はBay(バイ)女性はBayan(バヤン)と表示されていた。たまに、このようなおしゃれな絵で表示されているところもよく見かけた。ちなみにここのトイレは男性用/女性用とわかれているわけではない。

■トルコ式トイレの謎

この話の“心配”は、たぶん女性に限定した話ではないかと思う。男性にも共通する部分もあるのだろうが、私は男性用のトイレに入ることは稀なのでわからない。女性用限定として読んでいただきたい。

トルコに行くまで、一番心配だったのはトイレだった。トルコでは用を足した後は水で清潔にするのだが、この水で洗う方式が謎だったのである。
トルコでは、日本と同じように洋式とトルコ式の2スタイルのトイレがある。洋式はそれほど大差はないだろうと思ったのだが、問題はトルコ式のトイレだった。
トルコのことを説明する文章を読むと、トルコ式のトイレは日本と同様にしゃがんでする方式で、便器のそばに水道の蛇口と手桶があり、その手桶で水を汲んで左手でお尻を洗うというようなことが書かれているのだ。ものによっては「紙は使用しない」と書いてあったりもする。左手で洗うのはいいのだが、手桶の水はどう使うのか? 手桶から尻にかけるようにするのであれば、失敗するとズボンや下着がびしゃびしゃになってしまう。尻はいいが前はどう洗うのだろうか。手桶は共用のものだし、まさか手桶に手を突っ込んで水をすくって洗うわけではないだろうと思いたい。
誰かに聞きたかったが、トルコに行ったことのある知り合いはいなかったし、現地でうまく女性に聞くことができればいいのだが、英語もまんぞくに話せない私としてはどうしても一人にならざるをえないトイレで、果たして確認できるのだろうかというのが不安だったのだ。

イスタンブールに到着したとき、送迎案内人が女性だったことで私はこのチャンスを逃す手はないと思い、恥をしのんで彼女に聞いた。すると彼女はこう言った。
「トルコ式の古いトイレは今は田舎に行かないとみかけないからイスタンブールで使うことはまずないだろう。もしトルコ式のトイレに遭遇したとしても紙があるから大丈夫」と言った。結局このときわかったのは、「水で洗った後は紙でふく」ということと、「左手はお尻を洗う不浄の手なので、左手でご飯を食べたり握手をしたりするのはタブー」ということだけだった。
彼女によるとトイレの質問は誰もがしてくるものらしかったが、個人的にはこの答えでは私の疑問は晴れないのだ。私の知りたかったのは「手桶の水で具体的にどう処理するのか」だったのだが、結局この疑問は今でも謎のままだ。ただ「紙があるから大丈夫」という言葉は、少なからずイスタンブールでのトイレ生活を安心させるものだった。


■イスタンブールの公衆トイレ

イスタンブールを歩いていると、人の集まる場所には大抵公衆トイレがある。
トルコの公衆トイレは有料で、イスタンブールではだいたい1YTLのところが多かったがガラタ橋の地下通路のトイレは0.75YTL、ブルーモスクのトイレは0.5YTLだった。帰国後調べてみたら、トルコの公衆トイレはモスクが運営しているものがほとんどだという。町中いたるところにモスクのあるイスタンブールなので、トイレに困ることはほとんどなかった。唯一、エジプトバザールでトイレを探して歩き回ったくらいのものである。

入口に入ると料金所に人がいて、お金を払うと紙を渡してくれる。紙はレストランでテーブルの上においてある紙ナプキンと同じものが使用されていて驚くが、紙を便器の中に捨てず備え付けのゴミ箱に捨てるのでこれでいいのだろう。受付けのところにトイレットペーパーが備え付けてあり、自分で必要量をとるところもある。
料金所は、トイレの中にある場合と外にある場合がある。スルタンアフメットのアヤソフィアの前の公園の公衆トイレは、男女の入口が別々になっていてその中間地点に共用の料金所があったりする。料金所にいる人も、女性専用のときは若い女性だったり男女共用の場合はおじさんだったりおばさんだったりする。

トイレはだいたい清潔で綺麗だ。トルコ式のトイレで蛇口の栓が甘くて水がだだ漏れているところもあるが、床が水びたしにならないように設計されている。日本の公衆トイレのように、便器の外に用を足してそのまま放置されているなどというのは皆無だったし、もちろん落書きの類もみかけなかった。
イスタンブールでは、ホテルやレストランなどのトイレは大抵洋式トイレだった。公衆トイレでも外国人が多いせいか、いくつかある個室のうち必ず一つは洋式トイレが用意されていた。
最近日本でもどこにいってもお尻洗い装置がついたトイレが普及しているが、もともとお尻を水で洗うトルコではずいぶん以前から洋式トイレにもお尻洗い装置がついているらしい。ただ日本のそれと異なるのは、もともとノズルが後方にちょっとだけ固定して設置されており、用を足した後便器の横にある栓をひねって水を出す方式である。日本のように温水ではないので、お尻にあたると冷たくて一瞬びくっとしてしまう。水も前方にまっすぐでるため、自分で位置を調節しなくてはならない。水の勢いはけっこういいのでお尻は問題ないのだが、小用のときは位置調節がかなり難しい。それでも電動ボタンで水流を調節するデジタルな仕組みの日本のお尻洗い機と比べ、トルコのはアナログなので水流の微調節がきく。これは日本のより使い心地は良いと思った。

トイレはどこも水洗で、洋式のトイレは便座の後に日本の洋式トイレと同じように水のタンクが設置されているが、タンクに手を洗う装置はついていない。タンクの上には取っ手があり、それを上に引っ張ると水が流れて汚水を処理する仕組みである。取っ手を放せば水は止まるので、必要量のみ水を流すことができて大変合理的である。
水にしても紙にしても必要な分だけ使用する仕組みなので、物を大切にする習慣が根付いているのだなあと思ったりする。日本のように全部自動で流れたのか流れないのか確認しないでもいいというのは、もしかしたら逆に不便なのではないかと思ったりする。トイレの紙が紙ナプキン一枚ですむのだという認識のもとで、帰国後日本での紙の消費が自分の中で減ったのは収穫だった。


ブルーモスクのトルコ式トイレ。

■トルコ式トイレに挑戦

送迎案内人のセフギさんが言っていたのとはうらはらに、トルコ式トイレに遭遇したのは結構早く二日目のことだった。ブルーモスクに行った帰りモスクの敷地内にある公衆トイレを利用したのだが、ここのトイレはトルコ式だった。
ブルーモスクを出て「WC」とでっかく書かれた看板の先に行くと、パチンコ屋の換金所みたいな小屋があり、その左右に地下に続く階段がある。左が女性用右が男性用で、小屋の前におじさんが立っていて「0.5YTLだ」と教えてくれた。お金を払うと、紙ナプキンをそれぞれ一枚づつ渡された。こんな紙一枚で用を足せるのだろうかという不安はあったが、一応ポケットティッシュを持っているのでよしとする。

ブルーモスクのトイレは古いけど大変清潔だ。洋式のトイレは一つしかなかったので、これを利用しようとする外国人でここだけ行列ができている。私は日本人なのでしゃがんでするのには抵抗はない。迷わずトルコ式のところへ行くが、ないと言われていたトルコ式トイレの初挑戦にちょっとどきどきする。
一番奥の個室に入り、ドアに向かってしゃがんで用を足す。目の前に蛇口があり、その下に赤いプラスチックの手桶に水がすでに張られている。しかし、どう考えても使い方がわからず、結局受付けでもらった紙ナプキンを利用して終わりにすることにした。紙ナプキンは意外にしっかりしていて、一枚で事足りた。使用した紙を備え付けのゴミ箱に捨て、手桶に張られた水で便器の中を洗い流して終了。人の出入りの多い観光地のトイレなのにゴミ箱のゴミが外にあふれていることもなく、便器が汚れていることもない。かなり清潔な印象はあるが、どうしてもこの手桶で“洗う”ということは抵抗があった。

その後セフギさんの言ったことはまったくあてはまらず、行く先々でトルコ式のトイレに遭遇することになる。
レストラン以外の公衆トイレでの洋式の設置率は、6個個室があったらそのうちの一つくらい。外国人観光客も多く集まる場所のトイレではいつも洋式は並んでいるので、しゃがめるアジア人はトルコ式に躊躇なく入ることができる。それでなくても女性用トイレが混んでいるのは、世界のお約束である。さっさとすませることができるのであれば、そちらに入りたいと思うのは心理だろう。
そこで私は大きいのは洋式で、小用はどちらでもOKという決まりを自分の中で決めたのであった。

帰国後トルコ式のトイレのことを調べたところ、その昔、日本でもトルコ式のトイレを改良して生産していた会社があったらしい。用便後水でお尻や便器を洗うという方法は画期的で痔の発生率も少ないらしい。しかし昔から紙や布、ところによっては植物の葉などで用便後の処理をしていた日本人には水で処理をするという方法は馴染みづらかったようで、国鉄や公衆トイレなどに採用されていたにも関わらず今は姿を消しているという事実を知った。これが普及していたら、日本のお尻洗い装置の文化もちょっと違ったものになっていたかもしれないと思う。

Wikipedia「便所」内「世界のトイレ」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80


中国でもそうだが、用便後に使用した紙をトイレに流さないというのは、なかなか良い方法だと思う。紙を流すことで汚物を処理するための水の量がおのずと多くなってしまうからだ。いくら下水が発達していても、用のないものは流さないに限るように思う。
数年前にフジロックに行ったときに、簡易式のポータブルトイレが用意されており会場にいる人はそこで用を足すようになっていた。ポータブルといっても水を流して汚物を処理する方式なので、町にいるときのように下水で処理している感覚で使用していると、使用する量がはんぱではないのですぐにいっぱいになってしまう。この時、せめて紙を流さないようにするだけでも汚物のたまり具合は違うのではないかと感じたのだ。女性用の汚物入れは大きなビニール袋が設置されていたが、色々なものですでにあふれていて大変不潔だった。ここで用を足した後の紙を汚物入れに捨てたからといって何が違うのだろうとも思ったのだ。少なくとも、汚物をこまめに処理することでもっと快適にトイレを使用することができるはずなのに。日本のように使用した紙を便器に流す方式が本当に清潔なのか、環境に良いのかどうか、疑問に思ってしまった。
そういう意味では、トルコ式や中国式のトイレの方法は画期的とも言えると思う。


■トイレ待ちのマナー

日本にいてもたまに思うが、外国人が多く集まる場所ではトイレ待ちのマナーがそれぞれの国で異なることを痛感する。
トイレのような場所では、フォーク並びが有効だと思う。早く個室にしけこみたいのはみんな同じなので、個室の前にそれぞれ並ぶよりは来た人順の方が公平だからだ。ただ、この方法は非常な場合困ることもしばしばある。優先トイレもなくどうしても待ちきれない人は、列の人にその旨伝えて先に使わせてもらうのがいいと思うが、なかなかそれも勇気のいることだろう。特に外国のように自国の言葉が通じない場合は、理解してもらえない不安の方が大きいと思う。
中国などでは、急ぐ人はドアの前でズボンを下げて待つことで急いでいることをアピールする方法があると聞いたが、国際化の進む今の中国でそれが果たして有効なのかは判らない。10年前に上海に行ったときに一度だけそういうおばあさんを見かけたが、彼女はズボンを下ろした状態で列を横入りした後ドアの取っ手をしっかり握って待ち、個室が空いたらすかさず入室してドアを開けたまま用を足していた。

イスタンブールでは、やはり観光客が多いせいかフォーク並びをする人がほとんどだったし、混んでいるトイレではトイレを管理する人がフォーク並びをするよう誘導する姿もあった。ただ、フォーク並びをしているにも関わらず、列を無視して個室の前に来て入室する人の姿もないわけではない。その人の国ではフォーク並びの習慣が根付いていないのだと思ったりする。




公衆トイレが有料な国はトルコに限らず他の国でも多いと聞いているが、トイレの受付けを無視して入っていく人もいないことはない。受付けを無視してトイレに入っても、公衆トイレは紙が個室に備えつけられていないので後から困ることになると思うのだが、女性の場合彼女達がどう処理しているのかは不明だ。
トイレの受付けがただテーブルを置いただけのところは受付けの人が静止して事なきをえるが、トイレの受付けがガラス張りになっているところは、受付けの人が一度受付けのところから出て行かなくてはならないので、受付けが無人になって次に来た人が困ることになる。

日本でも新宿などの大きな駅の構内に、ワンコイントイレのような有料トイレがたまにある。清潔に利用でき、安全性も確保できるといううたい文句で最初は登場するが、数年たつと普通の公衆トイレとさほど変わらなくなるのは何故なのだろう。中国でもトルコでも公衆トイレは有料だが、中は常に清潔に保たれているし管理人がいるのでマナーも保持できる。日本人に公衆のものを綺麗に使うという道徳心がなくなってきていることも確かだが、わざわざ有料を選んで入って無料のとかわらない環境というのはほとんど詐欺に近いと思う。どうせなら全部一回10円とかにして、子供と優先トイレが必要な人は無料とかにすればいいのにと思うこともしばしばだ。それくらい日本の公衆トイレは汚いと思う。

スルタンアフメットのアヤソフィアの前の公園のトイレはよく利用したが、一度受付けのところに誰もいなく先に来ていた女性が困った顔をして立っていたことがあった。その時私は一刻の猶予もない状況だったので、受付けに1YTL放り出しトイレットペーパーをとって急いで個室に飛び込んだのだ。
終って出て行こうとすると受付けにおじさんが戻ってきていた。私がそのまま階段を上って出て行こうとすると、受付けの奥からおじさんが「金を払っていないぞ」と呼び止めた。お金はすでに払ってあるので、片言の英語で「あい わず ぷっと わんりら おん ざ かうんたー(「私は1リラをカウンターに置きました」と言っているつもり)」と言うと、「OK」と言って通してくれたのでほっとした。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月3日 思いがけず高価になった夕食〜2007年07月08日 21時31分07秒

魚の丸ごとグリルしたもの。なんの魚かは不明だが、鱒のような感じ。

■プディングショップで夕食をとる


この日の夕食はガイドブックに書いてあった、プディングが美味しいと評判のプディングショップに決めていた。この店はスルタンアフメット駅に近い観光地の商店街の中にあるが、最初に入ったロカンタを選ぶときに、どちらにしようか迷った店だった。数種類のプディングがあるので、それを楽しみにして行ったのだ。

客引きされる前に店に入ると、すぐに席に案内されメニューが運ばれてきた。「ショーケースから自分で選びたい」と話すと「自由に見ていい」という。前日の魚がちょっと失敗と思った私は、何がなんでも魚が食べたかった。店の隅に魚を焼く機械があり、そこで魚を丸ごと焼いている。旦那が「この魚はなんという魚か?」と聞いたが、その魚がなんなのかは結局わからなかった。価格はちょっと高かったが、どうしても魚を食べたいという私の主張でできるだけ小さめのものを注文することにする。
その他に、ぶどうの葉のドルマとナスのグリル、ケバブプレートを注文する。ビールを頼むと、EFESではなくVOLEというビールが運ばれてきた。
テーブルに運ばれてきたパンは、いつものバゲットとビニールの袋に入った丸いパンだった。この丸いパンは初めて見たが、バゲットよりもずっとやわらかくて美味しかった。


 
プディングショップ。   VOLEという名のビール。EFES同様しっかりした味で美味。
     
 
初お目見えの丸いパン。   左がなすのグリル、右がぶどうの葉のドルマ。ぶどうの葉のドルマは大のお気に入りとなった。
     
   
ケバブプレート。羊、チキン、ビーフと、羊の串焼きのセット。羊がメインのところがトルコ風か?。    


魚は直火であぶっているため、ぱりっとしている。素性は謎だが白身でさっぱりして美味しい。味付けは塩味だけなので、塩焼きといった感じだ。ケバブプレートは量がちょっと量が多かったが(魚を頼んだので肉は辞めてもよかったのだが、なんとなく頼んでしまった)、どれもやわらかくて特別に味付けをしているわけでもないのだが、肉の味がとても濃厚だ。ぶどうの葉のドルマもなすも、オリーブオイルをふんだんに使用しているのに、なぜこんなにさっぱりしているのか。

食後にチャイを注文したが、案の定これだけ食べると楽しみにしていたプディングの入る余地はない。甘いものは別腹とは言うが、別腹にはビールが入ってしまったようだ。「プディングを持ち帰りできるか」と聞くと、「OK」との返事。再びショーケースに案内されると、数種類の美味しそうなプディングが並んでいて、一つ一つ説明される。カスタードプディング、チョコレート味のカスタードプディング、カスタードのライスプディング、ライスプディングなどなど。買い物したものをオスマンさんに預けているのでオスマンさんのお店の人たちにもお土産にと思い、カスタードプディング3つとライスプディング、カスタードのライスプディングの5個注文すると、「そんなに食べるの?」と驚かれてしまった。
プディングを待っている間にふと前の席のインド人の家族連れを見ていると、デザートを勧められて「アイスクリームが食べたい」と言っている様子。この店のメニューにはアイスクリームはないので店員が困っていたが、「ちょっと待っていてくれ」と言って外に走って行ってしまった。しばらくして別な店で買ってきたアイスクリームを客に出して「問題ない」と笑っていたのには驚いた。そのアイスクリームは店で出すようにグラスにデコレーションされたものだったからだ。この通りでは商売敵でももちつもたれつなのか、それとも別な支店でもあってそこにアイスクリームがあるのかは不明。

しばらくしてプディングが皿にもられて5つ運ばれてきたので、びっくりして「あい うぉんと ていく あうぇい(持って帰りたいんだけど)」というと、ギャルソンはびっくりしてやっと5つの大量注文が腑に落ちた様子。「だってさっき持って帰りたいって言ったし〜」という英語のボキャブラリーは私にはなかったが、大変困った顔をした私を察してギャルソンは「問題ない」と英語で言って持ってきた皿を下げ、持ち帰り用の袋に入れたプディングを持ってきてくれた。この日の夕食の価格は89YTL(約8277円)。昼食も散財したことを考えると、この日の食事はかなり高額になってしまった。明日から少し締めてかからないとお金が足りなくなってしまう。



■イスタンブールの信号機

店を出て横断歩道を渡ろうとするが、旦那が歩行者用信号機を撮りたいと言い出す。イスタンブールの信号は私たちが見た限りでは、ほとんどがLEDで明るい。日本でも最近はLEDの信号機に徐々に変わりつつあり、歩行者用の信号機も全体に赤とか緑の色がついたものから、アイコンの人だけに色がついたものに変わってきている。
イスタンブールの信号もアイコンに色だけがついているのは日本と同じだが、青の「歩く人」が実際に歩いているように動くのだ。旦那はそれをデジカメのビデオモードで撮りたいというのだが、夜なので光が散乱して青い光がぼわっとしているようにしか撮れない。
しばらく信号機の周囲でうろうろしていると、通りすがりの地元の人が不思議そうに私たちを見ていた。昼間は観光客で賑わうこの辺りも、夜になると人影はまばらになる。車の通りもそれほど頻繁ではないので危なくはないのだが、やはり大の大人が道路で挙動不審というのはあまりよろしくない。結局撮影はできなかったので諦めて帰ることにする。
途中夜のパトロールをしている猫をひやかしながら、オスマンさんのお店に荷物を取りに行く。プディングを渡すが、その時初めてスタッフが4人いることに気づく。プディングは3つしか買っていないのでちょっとしまったなと思うが、しかたないのでそのまま渡す。
その日は10時頃ホテルに戻った。




■ホテルのロビーで深夜の会話

ホテルに着いてプディングは次の日食べようということにして、ルームサービスにチャイを注文した。ホテルのルームサービスのチャイでも、お店で飲むのと値段は変わらず一杯1YTL(約93円
)で安い。日本だとルームサービスは相場より高くなるのだが、チャイもビールも値段はレストランとかわらない。
チャイを飲んでしばらくしてから旦那はベッドに入ってすぐに眠ってしまった。私も疲れてはいたがなかなか寝付けず、0時頃パソコンを借りようとロビーに下りていった。ここのホテルは24時間チェックイン、ルームサービスOKなので、受付とバーのスタッフが起きていた。「パソコンを借りてもいい?」と英語で聞くと「どうぞ」との返事。
パソコンの画面はgoogleのトルコ語。その日撮影した写真をHDDとメモリを経由して自分のパソコンに移し、インターネットでメールのチェックする。
パソコンのキーボードはトルコ語配列で、「i」の位置にはトルコ語で「ウ」の文字である「I」がある。「i」は「}」のところにあるのが最初わからず、なかなかうまく入力できない。

しばらくして受付のスタッフはあがる時間なのか奥にひっこんでしまい、誰もいないロビーには私とバーのスタッフの二人だけになった。灰皿を頼むと「チャイを飲むか」と聞かれたので「ありがとう」と答えると、彼はチャイと灰皿を持ってきた後私の隣に椅子を持ってきて英語で話し掛けてきた。
「どこから来たの?」「結婚しているの?」と質問が続く。既婚者であることを告げるために「イエス」と答えつつトルコでの「既婚者です」という左薬指を指し示すボディランゲージをすると、「指輪がない」と言うので「小さくなった」と言うと笑っていた。
「子供はいるのか?」と聞かれたので、「いない」と言うと大変びっくりした様子。「結婚して何年経つのか?」と聞くので「15年くらい」と言うと「なんで子供がいないんだ」と言う。この質問には実際困惑してしまった。後で知ったが、トルコでは結婚したら子供をたくさんつくるのが常識で、子供がいないというのは欲しくないということになるらしい。だから、結婚している人に「子供は何人いるのか」という質問は「今日は天気がいいね」というくらい普通の質問らしいのだ。困惑したが理由を説明する英語のボキャブラリーは私にはないので「知らない、私が知りたい」と答えると、彼は笑っていたがこの笑いはどういう意味なのかは不明。悪い感じはしなかったが、もしかして結婚していること自体、警戒して嘘をついていると思われているのか?。

ここまで話すと私が英語があまり得意ではないことを彼も悟ったらしく、簡単な英語で話がすすんでいく。私のつたない英語力でもなんとか会話になっていることに驚く。チャイをもう一杯どうかと聞かれ、結局3杯もごちそうになった。
名前と歳を聞かれたので正直に話すと、若く見えたのか非常に驚かれてしまった。トルコ人は女性にも平気で年齢を聞く。年齢を聞くのも天気の話と同じくらい普通のことらしく、あちこちで年齢を聞かれた。こちららも彼の名前と歳を聞くと、「いくつに見える?」と聞かれた。トルコの男性は実際の年齢より上に見られることが多いらしく、そのことを非常に気にしているようで、自分の歳を聞かれると必ずこう言う。「26歳くらい」と言うと彼はとても喜んで「28歳だ」と言った。彼の名前も教えてもらったが、うまく発音できない。しかし、彼も私の名前をうまく発音できないのでおあいこなのだ。お互いにトルコ語と日本語で年齢をどう言うかを教えあったりしてここまでは楽しかった。

そのうち彼は私に「あなたは15歳くらいにしか見えない」と言いながら、マッサージだと言って腕をもんでくる。しかし、これはいくらなんでも言い過ぎだろうと思った。実際道端で客引きに歳を聞かれ「いくつに見える?」と質問したら、その客引きは私を「35歳」だと言ったのだ。マッサージも普段パソコンの前に座りきりの私には、ただ痛いだけなのだ。「すとっぷ べりーあうち(「やめて、とても痛い」と言っているつもり)」と腕もみをやめさせ、これは口説いているつもりなのかとちょっと警戒する。
「窓際の夜景が綺麗だから見に行こう」と誘われたが、窓際は暗がりで通路わきにあるため袋小路になっている。ここまでくるとちょっとまずいと思い丁重に断りたかったが、「ノー」という言葉しか思い出せない。久しぶりに若い男性に言い寄られるのは悪い気はしないが、ここでアバンチュールする気はまったくないのだ。何度か誘われたが時計はすでに2時をまわっているので「もう眠りたい」と告げると、「また話しに来て」と彼はあきらめたように自分の座っていた椅子を片付けた。「おやすみ」と挨拶をして部屋に戻った。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月3日 トプカプ宮殿3〜2007年07月06日 00時39分17秒

スルタンの嫡子のための割礼の部屋の前から時計展示室へ続く、大理石の長い廊下。

■トプカプ宮殿3


レストランから第四内庭に入ると、そこにはスルタンのためだけのいくつかの建物がありその中央に噴水が設けられている。建物の内部は見事なタイルで覆われており圧巻だ。このタイルはスルタンやスルタンの家族のために特別に作られたもので、継ぎ目などが目立たないよう細かい細工が施されている。各部屋にしつらえられたステンドグラスも特に見事で、外の日差しがガラスを通して美しく輝いている。床は大理石で、外は暑いけれど建物の中はどこもひんやりしていて気持ちがいい。思わず床にねそべってしまいたくなる。
トプカプ宮殿の一番端にあるバグダッドの館は、工事中で入れなかったのが残念だった。バグダッドの館から割礼の部屋に続くバルコニーの中心にある青銅の天蓋のついたイフタールのポーチからは、イスタンブールの町が一望でき、その下にはスルタンのためだけに作られた蓮が植えられた泉もある。スルタンがここで断食月の一番最初の日没後の食事をとった場所とのこと。たったこれだけのことで特別に場所が設けられていることに驚くが、イスラムでは断食は特別のことでイスラム教徒でない私たちにはたぶん理解できないくらいすごい日なのだろうと想像する。



 
イフタールのポーチ下の泉。
バグダッドの館の工事のため、資材が散乱していた。
  特別に作られたタイルの壁とステンドグラス。
     
 
特別な大理石で作られた小さな階段。   枢密院議事場の金色に輝く扉。


スルタン居住区を出て第三内庭を抜けて第二内庭に戻ると、時間はすでに3時近い。日差しは多少おだやかになって昼下がりの雰囲気だが、まだまだ暑いのはかわらない。あまりにも絢爛豪華でもうお腹いっぱいである。オーディオガイドを持つ手も疲れ果てて、なんだかもう説明も聞きたくない気分。

第二内庭の左手にある武具展示室で、昔の戦争の様子が描かれた絵画や武器、鎧などを見る。その一画に何故か日本の鎧が飾られていた。
その隣の枢密院議場に入り中のドームの装飾のすばらしさに圧倒された頃には、気分はもうへとへとで「ごめんなさい、もういいです」と心の中で叫んでいた。食事の時間30分を除いたとしても、すでに3時間半近くこれでもかというくらい豪華攻撃にあっているのだ。朝飲んだアミノバイタルとキューピーコーワゴールドのおかげか身体はそれほど疲れていないが、街中の喧騒がやけに恋しくなっている。チャイでも飲みながらのんびりしたい気分。自分が庶民の出であることを痛感する。
本当だったら別料金・大本命のハレムの中も見たいのだが、オスマンさんのところでワン猫を見せてもらい買い物もする約束をしていたので、少し休んでトプカプ宮殿を出ようということになった。

ハレムの入口のところに簡単な売店があったのでそこでチャイを頼むと、店員は「え〜、チャイ?」というような感じで笑い、コカコーラの看板の上にあった紙箱を取り出して私に見せた。中には色々な種類のティーパックが入っており、そこから好きなものを選べという。よくわからないので適当に二つ同じものをとって店員に渡すと、紙コップにお湯を入れてティーパックを突っ込んで渡してくれた。大抵トルコでチャイを頼むと砂糖をつけてくれるのだが、砂糖はくれなかったのが残念だったが、ふたつで1YTL(約93円)と格安だったので許すことにする。

枢密院議事場の前のベンチに座りチャイを飲みながら行き交う人を見ていると、アジア人が非常に多いことに気づく。韓国の団体さんは添乗員が韓国の国旗を目印に先導しているし、中国からきた人たちは常にしゃべっているのですぐわかる。アジア人のどの人たちも、日本人と見るとちょっと嫌な顔をするのが悲しい。アジア人といっても韓国、中国、日本以外の人はあまり見かけない。気づかないだけかもしれないが、非常に目立っているのはこの三カ国の人たちだ。まだ偽装ロシア人作戦を行っていたときに、客引きに国を訪ねられて「コリア」「チォイニーズ」「ジャパニーズ」と続くのでその都度首をふって否定したら、その次は「ベトナム?」「フィリピン」と続いたことがあったので、この三カ国以外の人たちも観光にはくるのだと思ったことがあった。でも、それを聞かれたのは一度だけだったので、あまり多くはないのだと思う。


トプカプ宮殿の第二内庭を出ようとしたときに、子猫が通りに座っていた。こんなところにも猫が迷い込んでいることに驚く。イスタンブールでは、猫はどこでもフリーパスなのか?と思いつつトプカプ宮殿を後にして、オスマンさんのお店に向かった。



 
行かなかったハレムの塔。   フリーパス(?)の猫。
     
 
第一内庭の壁。赤い花が咲き、つたがからまっていてかわいい。   ボスポラス海峡に面した城壁。敵の侵入をふせぐために強固に作られており、見張り塔もある。


オスマンさんのお店で昨日約束した通りワン猫を見せてもらい、キリムやお土産を物色した後チャイをご馳走になった。
チャイをご馳走になっていると、彼の友達だという日本人の男性と昨日イスタンブールについたという日本人女性がやってきた。彼女も今日トプカプ宮殿に行きやはり4時間かかったという話をしていると、オスマンさんが「それは普通だよ ちゃんと見ると6時間くらいかかる」と言われた。彼女はハレムをメインにしていたので、一番最初にハレムに行ったのだという。それはなかなか賢いと思った。
彼女は明日カッパドキアに移動すると言っていた。私たちがイスタンブールだけの旅行だと言うと、「それはすごくもったいない」と信じられない様子だった。
オスマンさんのところで2時間くらいおしゃべりをして、食事をするために街に戻ることにした。

つづく

◇トルコ旅行記 〜6月3日 トプカプ宮殿2〜2007年07月03日 20時10分41秒

トプカプ宮殿の厨房の遠景。大きな煙突がいくつも並んでいる。

■トプカプ宮殿2


とてつもなく広い厨房の見学を終えても、それ以上に広い宮殿の中のまだ半分も見ていない。
厨房の見学で面白かったのは、スルタンに仕える人々が食事で意思表示をしていたということだ。自分の仕事やその報酬に満足している場合は、食事をたくさん食べることで意思表示する。反対に仕事内容に不満がある場合や抗議したいときには、食事に手をつけないことでスルタンにその意思を伝えたらしい。ハンストとはよく言うが、実際にハンガーストライキが現実にスルタンとの交渉に用いられていたというのが興味深かった。また、トルコでは客人には食事をたくさん用意して歓迎の意を表すと何かで読んだが、昔のこういった風習が今でも残っているのだろうか。そうすると、客人も出された食事を充分に食べることで、歓迎に対する感謝の意思を伝えなければならないのだろうなと思ったりもした。


 
銀細工のミニチュア。細かい細工がすばらしい。   銀のお茶道具。
     
   
第二内庭の風景。木の幹に穴のあいた木が多く、その中に入って涼んだり写真を撮る人が多かった。
   


厨房が並ぶ第二内庭を抜けるとバービュスサーデット(白人かん官の門)に到着するが、見学者でごったがえしていてなかなか中に入れない。英語ガイドについて歩いている人たちのかたまりに続いて門の中に入ると、第三内庭に入る。この庭の中には、謁見するための建物や図書館、遠征隊の訓練学校などがある。かん官用のモスクもあり、遠征隊がここで全ての生活をまかなえるように作られている。
どこの国でもそうだろうが、スルタンおつきの軍隊ともなると当時は大変なエリートだったのだろう。このような絢爛豪華な場所で毎日を過ごすというのはどんな気分なのだろうか。
ここを歩いているときに、つくばにいたとき工業技術研究所(現 産業技術総合研究所)で働いていたときのことを思い出した。工技院ができた当時、つくばの町はまだまだ何もないところだったので、工技院の敷地の中は病院、スーパーマーケット、散髪屋、スポーツ施設まであらゆる設備が整っており、この中だけで生活ができるようにできていた。単身赴任の研究者の中には、ほとんど宿舎に帰らずここで大半の生活をまかなっている人もいたので、長くつくばに住んでいても町中のことをほとんど知らない人もいたりした。今も昔もエリートのいる場所というのは、どこか俗世とは違うのだなあと思ったのだ。

宝物殿に入ると、そこにはスルタンが各国から集めた宝の数々が展示されている。金や宝石などがちりばめられた杖や、ナイフ、壷、食器など大変きらびやかだ。近隣諸国からの貢物もあるが、オスマントルコは武力で国を広げていった経歴があるのでその結果集められたものも多い。これらの宝物を見て、一大帝国を築いた歴史が改めてうかがえる。
スルタンの肖像画が展示されている部屋には、立派な髭をたくわえた歴代のスルタンに会うことができる。



 
バービュスサーデッド(白人かん官の門)。   謁見の間の内側。ステンドグラスとタイルの装飾が涼しげで、中に入るとひんやりと気持ちがいい。
スルタンが来客の謁見をするための建物らしいが、スルタン自身が実際に使用することはなかったらしい。
     
   
外から見た謁見の間。屋根の装飾が見事。    



レストランから見たボスポラス海峡の景色。

■トプカプ宮殿のレストラン

順路に従って第三内庭の右側の見学が終ると、その先にカフェとレストランがある。時間も13時近くなっていたので、そこでやっとお昼をとる。
中は事務所も併設されており、建物の内側をぐるっと周ると展望テラスがありそこの一画がレストランになっている。入ると左がロカンタで右がレストランなのだが、案内が不十分で入口がどこかわからない。ぐるぐる同じところを二周していると、お店の人が「ランチ?」と聞いてきたので旦那が「イエス」と答えると強制的にレストランに案内されてしまった。席に着いてから「私はロカンタで好きなものを注文したかったのに」と文句を言うと、旦那はロカンタが見えていなかったらしい。左手に大きなショーケースがあって、ビュッフェ形式でみんな並んでいたというのに。すでにメニューがきてしまっておりいまさら「ここで食べたくない」とは言いづらく、あきらめてレストランで食事をとることにする。案内された席はボスポラス海峡と対岸の町並みが一望できる気持ちの良い席だったが、団体さんが多く様々な国の旅行会社の添乗員がでかい声で説明しているのがあらゆる言語で聞こえてくるので、中はけっこう騒がしい。

周囲の人はワインを楽しんでいるが、この陽気でアルコールが入ると絶対にだれてしまうのでアイラン(しょっぱいヨーグルトドリンク5YTL / 約470円)を注文すると、アルコールを強く勧めていたギャルソンはちょっとむっとした顔をした。メニューにチャイがないのが残念。
食事は、野菜のオリーブオイルグリル(16YTL / 約1500円)、ドネルケバブ(23YTL / 約2150円)、チーズプレート(16YTL / 約1500円)を注文する。サービス料込みで合計68.2YTL。おつりはチップにしたので70YTL(約6500円)支払い、昼食としてはかなりの出費。一品の量は町中のレストランと比べると少なく、料金は逆に高かった。
一番最初にお決まりのパンが運ばれ、その次にアイランがくる。ドネルケバブは付け合せの香辛料が四種類。フェンネル、バジル、唐辛子と何故か日本の「ゆかり」があった。これは私たちが日本人だからなのか、それとももともとこの料理の付け合せとしてここのレストランが利用しているのかは謎だが、試してみるとゆかりはけっこう羊のケバブに合っていて美味しかった。
重い油っぽいチーズの四種類。ねじってあるチーズが異様にしょっぱく、しかもどれもこってりと重いので残念ながらこれは半分残してしまった。



 
アイラン。パックのものよりヨーグルトが濃厚で美味だった。   野菜のオリーブオイルグリル。油たっぷりに見えるが、食べるとけっこうさっぱりしている。
     
 
ドネルケバブ。肉がやわらかくジューシー。少しだがピラウも付け合せについている。   ドネルケバブの付け合せ香辛料。一番奥のが「ゆかり」。
     
   
チーズの盛り合わせ。しょっぱくてこってり。
   


レストランのお客は団体観光客と年輩の人が多い。私たちの席の通路をはさんだ隣の大きなテーブルでは、アジア人の年輩の団体さんが食事をしていた。一番近い席にいた女性が「日本人?」と聞いてきたので「そうです」と答えると、私たちのテーブルにある料理を覗き込みなにやら周囲の人と話している。団体さんは団体用のお決まりメニューだったらしいのだが、私たちに話し掛けてきた女性の旦那さんとおぼしき男性が添乗員さんに交渉し好きなメニューも頼んでいいことに決まったらしく、添乗員さんがでかい声でその説明をしているのが非常に目立っていた。彼らは私たちが残したチーズ盛りがうらやましかったらしい。

そうしているうちに私たちの後の席に西洋人の家族連れが案内されるが、聞こえよがしに「日本人のそばに座りたくない」と英語で言っているのが聞こえてきた。他の席に案内されたが、そこはオーシャンビューの席ではなかったらしく、数分後に再び後の席に戻ってきた。その頃には隣の団体さんも食事を終えていなくなっていたので、個人客の私たちが日本人だとしても彼らとしてはOKだったのだろうか。
ふだん意識はしていなくても、この手の西洋人のアジア人に対するプチ差別はよく目にした。実際に私たちも「え〜」という目にあったりもしたが、たいした差別ではないので気にもせずに過ごすことができた。これはイスタンブールでの毎日が大変爽快で、そんな細かいことはいちいち気にする必要も感じなかったからだろうと思う。逆にトルコの客引きに話し掛けられても完全無視して通り過ぎる西洋人が多い中で、日本人ということで話し掛けられる率は多いものの、それを楽しむことができたことで「日本人としてトルコに来てよかった」と思うこともあったのだ。西洋人のこうした差別にも、「アジア人、日本人で何が悪いの?」という気持ちの方が強かったのは、私の中にも日本人としての誇りみたいなものがちゃんと存在していることを確認することでもありそれはちょっと嬉しかったりもしたが、そういうことを差別されないと判らないというのもかなり情けないとも思った。

帰り際にレジの前で0.5YTLのコインを拾ったのでレジの人に「落ちてました」と渡すと、受け取ったギャルソンはなにやら異様に喜んで周囲のスタッフに見せびらかしていた。
トイレに行くと女性用は長蛇の列。列の最後尾でトイレの管理人の女性が後からきた人に並ぶよう促している。トイレの入口はひどく狭くて、個室は3つしかない。私は歯磨きをしたかったので、管理人に歯磨きグッズを見せて歯磨きのボディランゲージで伝えると、中に入って良いというお許しが出た。列の最初に並んでいる人に同じことをすると快く道を空けてくれた。中に入り歯磨きをするが、洗面所もとても狭く手洗いの人のじゃまになってしまう。それでも歯列矯正中の私が懸命に歯磨きをしてるのを知ると、みんな「かまわないわよ」というように笑顔を向けてくれるので、とても嬉しかった。言葉を理解できるできないに関わらず笑顔というのは大変大切なのだと感じてしまう。
歯磨きを終えて外に出たがやっぱり用をすませておこうと思い、列に並びなおした。並んでいたときにさっき列の最初にいた西洋人の女性が洗面所で首を洗っており、それをぼーっと眺めていると私に向かって「混んでていやね」というようにちょっと笑ったので、私も同じように笑顔で応じた。

レストランの外のテラスに出ると、そこは大変良い景色。風も爽やかで気持ちがいい。ボスポラス海峡を航行する船が行き交うのが見える。この景色をバックに二人で写真を撮りたいが、なかなか頼みやすそうな人がいない。こういうときに二人旅行は困ったりするのだ。
ふと見ると、昭文社のガイドブックを広げてうろうろしているカップルがいる。こんな人ごみで日本語のガイドブックを広げて歩いているということは、「私は日本人です」と宣伝して歩いているようなものである。町中や観光地でガイドブックを堂々と広げているのも、たいていが韓国人か日本人だったりする。
私たちも聞かれれば「日本人だ」と答えはするが、積極的に日本人であることを宣伝して歩きたくはない。日本人は金を持っていると思われているので、スリや客引きに狙われやすいからだ。ガイドブックにも「人ごみや町中でガイドブックを広げると日本人だということがわかるので注意」と書かれていたし、ネットでも「地球の歩き方の表紙は遠くからでも大変目立つ」と書かれていた。それでも町中でどうしてもガイドブックを確認する必要があるので、私たちはホテルのフロントにあった英語のリーフレットで表紙にカバーをして持ち歩いていたのだ(まあ、旦那と二人で話しているのを聞けば簡単に日本人だとわかるのだけど、注意は必要だと思う)。
嫌味だとは思ったが思い切り日本語で「すみませんが、写真を撮っていただけないでしょうか」と声をかけると、その人たちは「日本人に声かけられちゃったよ。嫌だなあ」という顔をしつつもカメラを受け取って写真を撮ってくれた。その後、彼らがそのことに気づいてくれればいいと思ったが、わざわざ説明するのはもっと嫌味なので日本語でお礼だけ言ってお別れした。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月3日 トプカプ宮殿1〜2007年07月01日 12時29分47秒

ホテル近くのレストラン街の通りにはためく、サッカーチーム優勝を祝う旗。

■6月3日 のんびりした朝


三日目の朝は7時半に目覚める。朝食前にバルコニーに出ると、港の方から交響楽団の音楽と共に大きな船が入船するのが見えた。子供達が何かシュプレヒコールを言っているのも聞こえてくる。どこの船かはわからないが、何か式典が行われている模様。
空は日本晴れ(?)とも言える雲ひとつない青空。空気は乾いていてとても気持ちがいい。前の日の疲れはすっかりとれていたが、念のためアミノバイタルとキューピーコーワゴールドを飲む。この日は前日に行けなかった、トプカプ宮殿に行く予定。ガイドブックをチェックし、オーディオガイドがあるのでそれを利用して歩くことに決める。朝食をとって早く出発したかったが、ぐずぐずしているうちに時間が経ち10時頃ホテルを出た。

ホテルを出て、レストラン街の通りの角にある最初の日にタバコを買った商店で水を買う。着いた日から毎日ここで水を買っているので、お店の人とはすでに顔見知りである。外にある冷蔵庫から自分で水を取り出し、レジに0.5YTLを置くと「おはよう」と挨拶してくれた。
この時間、このレストラン街のお店は開店はしていてもほとんどお客の姿はない。お店の人も非常にのんびりしていて、お昼にそなえて準備をしたりしている。私たちの顔を見て「おはよう」と挨拶をしてくれる人も多いが、客引きする人はいない。たまに日陰で休んでいる人が「コリア?」と聞いてくるので、偽装ロシア人失敗で懲りた私たちは、すぐに「ジャパニーズ」と答える。「気をつけて」と笑顔で送ってくれるので、私たちも手を振って笑顔で別れる。

ホテルを出たばかりだが、行く前に英気を養いたかったので途中のカフェでお茶をすることにした。レストラン街の通りの中ほどにあるオープンエアのカフェに席をとり、トルココーヒーを注文する。トルココーヒーは鍋でコーヒー豆を煮出して入れる手法なので、砂糖もその時一緒に煮込む。砂糖の量を聞かれたので「少し」と答える。そのカフェでは店の一部を修理中で工事の音がうるさいから店の中に入らないかと言われたが、通りを見渡せるところにいたかったので「構わない」と答える。
この通りでは、道をまたがって大きな旗がいくつも掲げてある。風をはらんでいさましくはためく紺と黄色の旗はトルコの国旗ともちがうので不思議に思っていたのだ。コーヒーが運ばれてきたときお店の人に「この旗はなんの旗?」と聞くと、「トルコのサッカーチームの旗だよ。トルコのチームはチャンピオンになったので、そのお祝いだよ」と教えてくれた。サッカーのことなど何も知らないので、トルコのサッカー熱が非常に熱く街をあげて優勝をお祝いしていることをすごいと思う。
トルココーヒーは粉がきちんと沈んでいて、日本で飲むよりずっと飲みやすかった。値段はひとつ3YTL。チャイよりはちょっと高め。



 
トルココーヒー。綺麗なデミタスカップに入っていてかわいい。   カフェから見たレストラン街の風景。



トプカプ宮殿のミニチュア。

■トプカプ宮殿 その1


カフェを出てオスマンさんの店に寄って挨拶をし、トプカプ宮殿までは歩いて10分もかからず到着。前日こけそうになった坂道の上りもさほど気にならない。
トプカプ宮殿の門のところでは、清掃車が道を綺麗にしている横を観光バスが容赦なく突っ込んでくる。誰も誘導したり交通整理したりする様子もなく、それぞれで安全を確認しあっている。

一度撃沈した広い中庭を抜けると右手にチケット売り場があり、その横に公営のお土産物店とトイレのある綺麗な建物があるので、入る前にトイレをすませようとそこに入る。トイレは観光客で混み合っていて、トイレの個室のドアの鍵が壊れているため、使用中にも関わらず後から来た人がついそのドアを開けてしまったりするハプニングがあった。私は運悪くその個室に順番が来てしまったのだが、手でドアを押さえることに成功したので、用を足している途中でドアを開けられることはなかった。

トイレをすませてお土産物屋の建物を出ようとすると、出入り口のところに小さな窓口があり、切手を売っている様子。イスタンブールから実家の母にカードを送ろうと思っていたので、切手をここで買うことにした。
「あい せんど エアメール ポストカード とぅ じゃぱん.はうまっち?(「私はエアメールでポストカードを日本に送る。切手はいくらですか?」と聞いているつもり)」と窓口のおじさんに言うと、彼は「80」とだけ答えた。80YTL?(約7440円)ずいぶん高いなあと思い、しぶしぶ100YTL(約9300円)札を取り出すと、おじさんが非常に渋い顔をして私を見る。それを見ていた旦那が「0.8YTL(約74円)だよ」と言うので、やっと理解をして「つー すたんぷ」と言って2YTL出しなおし、切手を二枚購入した。旦那はいつも、でたらめな英語で平気で人とコミュニケーションをとろうとする私を冷や冷やして見ていたようだった。

10YTL(約930円)のチケットを購入し中に入ると、アヤソフィア同様荷物チェックのためX線の機械にかけられる。ガイドブックには英語ガイドが十数人単位で移動するため待たされると書いてあったが、オーディオガイドを利用すれば個人で動いてもいいらしい。入口の右手にあるオーディオガイドのレンタル所に行くと、日本語もあると書いてある。しかし利用料は一つ10YTL。旦那は一つでいいと主張するが、博物館を見るとき旦那と私の見るスピードや注目する場所がいつも異なるため、きちんと見たいなら二つ借りた方がいいと判断し二つ借りることにする。
借りるときに受付けのおじさんが「身分証明書を預けてください」と言う。私たちはその時パスポートを持参しておらず困っていると、「クレジットカードでもいい」と言う。私がクレジットカードを差し出すと、私たちの借りたオーディオガイドの番号札をつけて無造作に木の仕分け箱にしまってしまった。箱の中にはたくさんのクレジットカードの中に、赤い日本のパスポートかいくつかあった。旦那が不安そうに「クレジットカードを渡してしまうの不安でない?」と言ったが、もし何かあってもパスポートを無くしてしまうよりましである。トルコでは、何か借りるときに身分証明書を預けなければならない場合があると聞いていたが、実際自分たちがそうなることなど予想をしていなかった事実に自分で驚いたりする。

オーディオガイドの機械は、全長が15cmくらいで20年くらい前の日本の携帯電話の様相。そう重くはないが、首からかけていてもけっこうじゃまだったりする。PHS方式で音声を受信しているらしく、携帯電話のように受信圏の表示がある。展示してあるものの前に掲示されている番号を押してエンターキーを押すと、男性の声で説明が流れる仕組みである。NHKのアナウンサーのような流暢な口調だったが、説明自体はそれほど親切でもない。判らないことがあっても質問もできないので、結局説明だけ聞いてその場を去るしかないのだ。
私が渡された機械は0を押してもなかなか認識してくれず、旦那のものと交換してもらった。旦那が0を押すと普通に認識するので大変憎く思った。



    オーディオガイドの案内書。
 
 
オーディオガイドの機械。
20年前の携帯電話のようだが結構軽い。
  トプカプ宮殿の案内書。


トプカプ宮殿は、メフメト2世が18年ほどの月日をかけて1478年頃に完成した宮殿らしい。外壁内部の総面積は70万平方メートルと大変広大である。オーディオガイドのツアーリストも100〜344まである。入口右手には厨房があるのだが厨房だけでも長さ200mはある。その奥にさらに宮殿があり、左手には別料金となっているハレムもある。

Wikipedia「トプカプ宮殿」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%97%E3%82%AB%E3%83%97%E5%AE%AE%E6%AE%BF


厨房内では当時の厨房の様子や、スルタンの使った銀食器のコレクション、シルクロードを経て中国や日本から運ばれてきたという陶器の展示などがある。陶器のほとんどは中国のもので、ざくろやトルコ独特の模様が中国的に描かれていることから、スルタンに献上するために特別に作られたものだということがわかる。日本からのものは展示の最後の方に数点あっただけだったが、伊万里焼や有田焼の非常に壮麗な装飾が施された見事な大皿や壷が展示されており、その数は少ないけれど中国のものと比べて見劣りしないことが嬉しく思えた。中国産のものは磁器がほとんどなので、装飾は青い単色のものが多い。それに比べて日本の陶器は色をふんだんに使った見事なもので、一見すると久谷焼かと思ってしまうほどだ。
身の丈ほどもある中国の大きな大皿には龍の模様が描かれていたが、勘違いした西洋人が「ジャパニーズ!!」と叫んでいて「おいおいちがうだろ」と突っ込みたくなってしまった。



 
トルコの文様が描かれた中国製の磁器の大皿。   象の造形が見事な中国製の磁器の壷。
     
 
日本製の有田焼の大皿。19世紀のもの。   日本製の伊万里焼の壷。16世紀〜17世紀のもの。


トプカプ宮殿はとにかく広い。結局11時頃宮殿に入った私たちが厨房を見終わる頃にはお昼を回っており、しばらく休まなければならなかった。しかしこの辺りには休憩所はなく、中庭に面したところにはベンチもあるのだが、思い切り日向なので利用する気がしない。オーディオガイドは確かに便利だが、常に電話をかける体勢でいないといけないのが辛い。ふと見ると機械のお尻のところにイヤフォンジャックの穴がある。知っていればイヤフォンを持ってきたのだが、今ここにはないのが悔しい。
同じように疲れた観光客が中庭と厨房を隔てるゲートの間の日陰に腰をかけて休んでいるので、空いている場所を見つけてしばらく休むことにした。せめて入る前に水を買っておいてよかったと思う。
向かいに座ったスカーフをしたイスラム教徒のお母さんと子供の二人連れが、どこかのお土産物屋で買った恐竜の人形を広げて遊んでいるので、それをずっと眺めていた。

5分ほど休み、宮殿の奥にレストランがあるのでとにかくそこまで見学してお昼にしようということにした。



つづく

◇トルコ旅行記 〜イスタンブールで出会った友だち〜2007年06月27日 01時08分47秒

オスマンさんのお店の店長(?)。オッドアイのワン猫「ぷりちゃん」。



■オスマンさんとの出会い


今回のトルコ旅行では、当初ガイドブックを中心に調べていたので、ほとんどネットで調べるということをしなかった。ネットの情報はあたりはずれが多く、トルコのように状況が流動的な国ではサイトに掲載されている情報がその時は通用しないことも多いからだ。
とりあえず行ってみればわかるだろうと余計な情報を調べることをせず、行く2〜3日前に現地の注意事項だけをサイトで調べただけだった。

サイトで調べたときにひとつだけ非常に役に立ったサイトがあった。
危ない店や客引きにあったときの対処法などが判りやすく書かれており、必要なところだけプリントアウトして持っていった。このサイトはトルコに何度も個人旅行に行っている女性のサイトで、女性だけでトルコを旅する注意事項や簡単なトルコ語も書かれていて、ここで入手した情報のおかげで色々助かったこともあったのだ。 このサイトは「ぷるぷるトルコ」というところで、トルコを何度も旅行している「さやさん」という女性が運営しているらしい。

「ぷるぷるトルコ」 http://tabiatama.cool.ne.jp/turk/


スルタンアフメット地区のフォーシーズンズ・ホテルのすぐそばに、ARTEMiSというオスマンさんのお店がある。
彼は二度ほど日本に滞在し、流暢な日本語はその時覚えたとのこと。前述のさやさんとは友達で、mixiでトルコ関連のコミュニティを運営していたりする。「mixi知ってる?」との言葉に、まさかイスタンブールでmixiの名前を聞くとは思わなかった。

前の話でも書いたが、オスマンさんに出会ったときは「いつもの客引き」だと思った。彼に話し掛けられたとき、私は英語で「私達はこれからホテルに戻るところだから」と言ったつもりだったのだが、それを聞いたオスマンさんと旦那がびっくりして、あわてて旦那が何か訂正をしている。そして旦那が私に「その英語は違うよ」と言ったときに、オスマンさんが「ぼく日本語わかるんだよ」と言い出したのだ。このとき私は「私達と一緒にホテルに行きましょう」という意味のことを言ったらしい。「それは大変危ないよ」とオスマンさんは笑って日本語で話し出した。
旦那の前で堂々と逆ナンパする妻に旦那は半ば呆れていたが、オスマンさんが「日本語が話せる」と自分から言ってくれ私の間違いを笑って指摘してくれたことで、この人は悪い人ではないと思ったのだった。
そして、私がオスマンさんの飼い猫「ちびちゃん」に非常に興味を持ち猫が大好きだということを知ると、とても珍しい猫を飼っていることを教えてくれた。猫の非常に多いイスタンブールで、ちびちゃんは珍しく首にトルコブルーの鈴をつけていたので、一目で飼猫だとわかったからだ。他の猫は地域の人たちには大事にされているが首に飾りをつけている猫は皆無で、飼猫なのかのら猫なのかの区別がつかない。ちびちゃんを見たときに、飼猫と一目でわかるようにしていることがとても珍しく思えたのだ。

三日目の夕方、一通り観光をした後オスマンさんのお店を訪れると、店の前の隅にあるケージからちょっと毛足の長い白い猫を取り出して見せてくれた。猫はオスで名前は「プリンス」。「日本人はみんなぷりちゃんと呼ぶよ」と彼は教えてくれた。
この猫は、トルコのワンという地域にだけ生息する「ワン猫」という猫で、白く長い毛並みと右の目がブルー左の目がゴールドというオッドアイが特徴の猫である。非常に珍しい猫で、現在はワンからの持ち出しが禁止されている。オスマンさんは持ち出しが禁止される前にイスタンブールに連れてきたとのこと。実家のあるワンに帰ると、もっとたくさん飼っていると言っていた。
絨毯屋の前にしかれている見本の絨毯の上にぷりちゃんを放すと、ちびちゃんもやってきてじゃれ合う。見ると、ちびちゃんはお腹が大きいらしい。「ぷりちゃんの子供がもうすぐ生まれる」と言っていた。
ぷりちゃんとちびちゃんはこの通りの人気者らしく、絨毯屋の隣のレストランの店員はちびちゃんが店に来ると遊んであげたりしている。それを見てオスマンさんはちびちゃんをその都度呼び寄せて注意しているので、人気者ではあるけれどものすごく気を使っているのだなと思った。オスマンさんは、日本語で話をするときはちびちゃんを「ちびちゃん」と呼ぶが、トルコ語でのときは「チビゲ」と呼んでいる。「ゲ」がトルコ語で「ちゃん」なのか、それとも別な意味があるのかは聞きそびれてしまった。



 
オスマンさんが兄弟で経営する絨毯屋「ARTEMiS」。
店頭のじゅうたんで休んでいるのは、ちびちゃん。
  絨毯屋の向かいのお土産物屋「ARTEMiS」。オスマンさんの弟さんムスタファさんが、私達のためにチャイを運んでくれるところ。
     
 
オスマンさんとワン猫ぷりちゃん。
オスマンさんの顔が半分なのはご容赦ください。

  ちびちゃん。首のかざりがかわいい。現在妊娠中。
     
店頭のじゅうたんの上で和むぷりちゃんとちびちゃん。



この後私たちはオスマンさんのお店で買い物をし、「僕たちは友達だから」と言ってかなり値引きをしてくれた。後で別な店で同じ物を売っているのを見かけたが、オスマンさんは偽物の場合ははっきりと偽物だと言ってくれたので、こちらとしても安心して買い物をすることができたことになる。

イスタンブールではたくさんの客引きに出会ったが、二日目の朝に出会った一人の客引きが私たちがはっきり返事をするのをためらっているのを見て、日本語で「困ったなぁ〜」と笑いながら言ったのがとても印象に残っている。この客引きがなぜこんなことを言ったのかというと、たぶんこの客引きが出会った日本人の多くが吐いた「困ったなぁ〜」という言葉を何度となく聞いたからなのだとこの時思ったのだ。
日本人は「ノー」をはっきり言えない人種だと思われている。『買う予定はないけどちらっと見るくらいはしてみたい。話を聞くくらいならいいだろう』というのが日本での買い物の一つの方法であるからだ。日本でもそれを逆手にとった商法が問題になることもある。
多くの日本人は嘘が下手だし、はっきり断ることも苦手だ。だから客引きに親切にされてその代償にお店に行こうと誘われると、「いやです」とは言いにくいのだ。私たちがロシア人のふりをして失敗したように、嘘をついてもすぐにばれてしまう。向こうは何百人という観光客を相手にしている強者だ。「もう買ったから」と言っても実際に買っていなければ顔に出るのだろうと思う。

オスマンさんのところで買ったものは全てきちんとした説明があり、自分が納得した価格で安心して予定のものをあらかた購入できたことは大変ありがたかった。買い物のためにあちこち回る手間が省けたのも大きかったが、通りや大きなバザールに行って店の前を通って話し掛けられたとき「もう買ったからいらない」と堂々と言うことができただけでも、心の重荷がひとつおりたのだ。
堂々としていれば、向こうもそれ以上は突っ込んでこない。だます目的で話しかけてきた客引きでも、話にのるつもりがまったくない意思表示をはっきりすれば、トルコ人特有の親切が顔を出すことも多かった。その後は客引きに話し掛けられるのが怖くなくなり、逆に楽しむ余裕さえできてきたのだ。

私たちが買い物をした次の日にオスマンさんのところに遊びに行くと、オスマンさんの友達だというイスタンブール在住の日本人男性が知り合いの若い日本人女性旅行者を連れてやってきた。女性はオスマンさんのお店のすぐそばの商店の二階のドミトリーに泊まる予定とのこと。一泊1500円と言っていたのでかなり安い。普通、女性一人でドミトリーに泊まるのはかなり勇気のいることなので、オスマンさんが「女性なのに勇気がある」と感心していた。
彼女は次の日からカッパドキアに移動する予定だと言う。別れ際に「また会いましょう」と言ってくれたが、残念ながらその後彼女に会うことはできなかった。

その後私たちは滞在期間中ほとんど毎日オスマンさんのお店に出没し、チャイや果物をご馳走になったりした。オスマンさんは私たちが仕事のじゃまをしているのに嫌な顔一つせず、「もう友達だから」と言って歓迎してくれた。おじゃまだとは思いつつも、オスマンさんのところで過ごす時間がとても好きになり、このゆっくりと流れるイスタンブールでの時間を心地よく思った。

私達とお店の前でチャィを飲んでいる間も、彼は通りかかる観光客に声をかける。英語で話し掛けることが多かったが、フランス語のときもあればドイツ語のときもある。アジア人のときは韓国語、中国語、日本語を使い分ける。「通りかかった人がどこの人かわかるの?」と聞くと、「だいたいわかるよ」と言う。韓国人と中国人と日本人は、服装と顔でわかるらしい。ただ、西洋人の場合だいたい判るけどはずれることも多いらしい。これを聞いて私も通り行く人を観察してみた。アジア人は中国人は比較的わかりやすいのだが、韓国人と日本人の違いはなかなかわかりづらいものの、韓国人の女性は肌が非常に綺麗なのですぐにわかるようになった。
でも、思い返してみると彼は私達には最初から英語で話し掛けてきたのだ。旦那が「自分達にはどうして英語で話し掛けてきたの?」と聞くと、「あなたたちが英語で返事をしたから」と答えたがこれは答えになっていない。たぶんあの時私達はでかいサングラスをかけて帽子を目深にかぶっていたので、アジア人だということは分かっただろうがどこの国かを確信することができなかったのだろうと推察した。

滞在中彼は大変親切で、聞けば知っていることはなんでも教えてくれ、地元の人が利用するスーパーマーケットの場所や、プリンス諸島の見どころなどを教えてくれた。私達がプリンス諸島に行く前の日も、「大事なものだけど貸してあげる。必ず返してね」と言って、プリンス諸島に渡るための情報を書いた小冊子を貸してくれたりもした。
その日あったことを話してその中でトルコ人のいやなところがあったりすると、「そういう人たちがいるから日本人が警戒する。トルコ人として恥ずかしい」と悲しそうに言っていた。「日本人だって同じだよ」と言うと、「日本人はやさしいから」とかばってくれたりもしていた。
持参していった口琴を演奏してみせると、大変興味深く私たちの話も聞いていた。
オスマンさんのお兄さんやいつもチャイを運んでくれる弟さんたちとも顔見知りになり、いつも笑顔で迎えてくれた。
私たちが帰国する前の日にバックギャモンをしようと言って勝負したが、案の定めちゃくちゃに負けてしまった。「ぼくはゲームではとても非情だよ」と笑っていた。
短い期間だったけどオスマンさんのおかげでイスタンブールの旅行がとても有意義だったし、行くまでの怖く思っていたほとんどのことが楽しみに変わった。彼の親切ももちろんだが、彼にとっては普通の何気ないことでも私達は毎日いやされたわけで、本当に彼に感謝している。

最後の日は朝から雨だったが、空港へのピックアップの時間は午後だったので、午前中にお別れを言いにお店に行った。ホテルで友人になったドイツ人と日本人のご夫婦と4人でお店にうかがうと、オスマンさんは黒いジャケットにおしゃれなシャツを着ていて「今日はおしゃれをしているのね」と言うと「たまにおしゃれするんだよ」と笑っていた。
それまでずっと良いお天気だったので「最後の最後で雨に降られちゃった」と言うと、「あなたたちが帰るから空も泣いてる」と名残惜しそうにしてくれた。
私たちが彼のお店を出る頃には雨は上がり、いつものイスタンブールの青空が広がっていた。



つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 ロクムと魚のケバブ〜2007年06月22日 01時24分13秒

トルコのお菓子「ロクム」。
いちご味、メロン味、ぶどう味(?)、レモン味、ナッツ付きミルク味、チョコ味、ピスタチオまぶしなど。ここの店のロクムは粉砂糖とココナッツがまぶしてある。

■ロクムを買う

ブルーモスクから出てきたときは、すでに21時30分を過ぎていた。モスク前の公園にいる猫をひやかしつつ歩いていくと、行く前に入ったカフェでは別なステージが催されており、その前を通り過ぎたところにお土産物屋がある。ふと見ると、店の奥にロクムのケースが置かれている。
ロクムとはトルコのお菓子で、人によっては「
ぎゅうひ」だとか「ういろう」だとか言うが、私は「ゆべし」が一番日本のお菓子に近いのではないかと思う(味によっても質感が異なるが)。粉砂糖をまぶした固めのゼリー状のお菓子で、味はフルーツのものや、ミルク味の生地にナッツを練りこんだもの、チョコレート味のものと色々ある。大きさも色々でケースのある店は量り売りしてくれるが、大抵のお土産物屋ではあらかじめ箱詰めされたものが売られていることが多い。

 
  おいしいロクム屋店頭。本当はアクセサリーやお土産物がメインのお店。昼は年輩の男性が、夜は新婚で無愛想な若い男性が店番をしている。この二人が親子かどうかは不明。
   
その店はトルコ石のアクセサリーなどをメインに売る店で、一見すると昔の駄菓子屋にあった縦型のお菓子ケースのようなロクムのショーケースは、店の一番奥の方に目立たなくおいてある。店に入ると店員は非常にうれしそうに対応したが、私が「ロクム」と言うとちょっとがっかりしたような顔をして「500gで15YTL。どれがいいか選べ」と答えた。「ちょっとまけてほしい」と言うと面倒くさそうに「量でおまけする」と言う。この店でロクムだけ買う客など相手にしたくないのか、それともそういう客の方が珍しいのか。
ショーケースの中には色々な色や大きさのロクムがあり、店員は面倒くさそうながらも非常に丁寧にロクムの味の説明をしてくれる。「どれがいいのかわからない」と言うと「取り混ぜてやる」と言ってでかいスコップでざくざくとロクムを袋に入れて計ってみると1kg超えてしまった。「1kgでもいいか?」と聞かれたが、とりあえずちょっと試してみたいだけだったので「そんなにたくさんいらない」と言うと、一番大きくて一番お勧めだと彼が言ったロクムを一番最初に袋から取り出し、700gで15YTLにしてくれた。

フルーツ味のロクムは、昔年寄りの家で出されたオブラートに包まれたゼリー菓子のような感じ。素材ははっきりはわからないが小麦粉を練って作ったような感じで、ミルクやナッツのものは濃厚で非常に甘くて数個でお腹がいっぱいになってしまう。それでもこの素朴な味がやみつきになってしまうのだ。チャイの砂糖を控えめにしてロクムをお茶うけにするのが気に入ってしまう。
この後、エジプトバザールや新市街などでロクムに出会うが、ここの店のロクムはココナッツの粉がまぶしてあって一番おいしかった。

帰路の途中で、この旅の中で一番お世話になった絨毯屋とお土産物屋を兄弟で経営する日本語堪能なオスマンさんに出会うことになる。 彼の店の前で声をかけられ仲良くなり、ひょんなことからお茶に呼ばれたのでそのお礼に買ったロクムをお裾分けした。彼は「ぼくの店でもロクム売ってるけど、量り売りしているものの方が美味しい。このロクムは味がいいね」と言って、ロクムと引き換えに自分の日本製で日本語OSのノートパソコンを貸してくれた。




この日の遅い夕食。
魚のケバブとつけあわせのフライドポテトとサラダ。フライドポテトはトルコ料理のつけ合わせによく使われていた。サラダは日本でよく見るものと同じだったが、野菜の味が非常の濃厚で何もつけなくても美味しい。フリーのパンはバゲットタイプではなく、ナンのような平べったいパンだった。

■魚の干物のケバブ

オスマンさんのところを出た頃には小腹くらいの空腹が中腹くらいにはなっていたので、せっかくだし食事ではなくお酒でも飲もうということになった。
最初の日にチャイを飲んだレストラン街で、メニューをチェックしながら「魚を食べてみよう」とホテルから近い「OCEANS 7」というレストランに入る。ここは到着した日に、トルコの太鼓をたたいて歌を歌っていたお客がいた店だ。長髪イケメンの黒いシャツの男性に路上の席を案内され、魚のケバブとワインを一本注文する。ワインはトルキッシュ・エアの機内で飲むことができるワインと同じもので、辛口だけどフルーティでさっぱりした口当たりだった。


 
  この日飲んだワイン。
辛い白ワインは苦手だが、このワインはとても飲みやすかった。
   
ワインはすぐにきたが、食事がなかなかやってこない。トイレに行きたくなり席を立ち、戻ってみると旦那がごちそうの前で私を待っていた。私がトイレに立ったすぐ後に食事がやってきたようで、その間5分くらいのことだったのだが、路上の席だったせいかパンもケバブも少しさめてしまっていた。
ケバブは白身魚のようだが、鱈の干物を焼いたような感じ。ちょっと冷めているせいか固い。味はほとんどついていないので、テーブル上の塩コショウで好きに味付けするようだ。
海町で育って魚好きの旦那は「うまい」と言っていたが、私はもともと鱈のぱさぱさした感じが好きではなく(この魚が果たして鱈なのかどうかは不明だが)、固い上に細かくなった魚が歯の針金の隙間にもれなくはさまってしまい、歯列矯正中には非常に辛い食べ物だった。

つけあわせにレモンが半個ついていたのだが、このレモンが大変美味だった。日本でもこの手の料理にたいていレモンがついてくるが、私はいつももったいないと思ってしまう。でも、日本のレモンはワックスがついていたり、輸入のものだと危険な薬がついていたりするので、皮ごと食べるのを躊躇してしまう。トルコは野菜の自給率が100%だし、食べる野菜や果物はどれも非常の味がいいので、レモンも大丈夫だろうとかじってみると、すっぱいが刺激のあるいやなすっぱさではなく、甘みがあって非常においしかった。皮もかじったがほろにがくて美味だった。

この日OCEANS 7は非常に空いていてお客は私たちだけだったのだが、私たちの席の近くにお店の店員とその友人が座って談笑をしていた。
トルコ出身の世界的スター「タルカン」の出現の影響か、トルコ人の若い人は非常におしゃれな人を多く見かける。高橋由佳利の「トルコでわたしも考えた」では「トルコ人は禿げている人が多く、髭をはやすのが一般的」というようなことが書かれていたが、若い人で髭をはやしている人はそれほど多くないし、禿げている人もあまり見かけない。特に若い女性はものすごくおしゃれですきがない。
でも、観光客相手に働く多くのトルコ人の男性はお世辞にもスタイルがいいとは言いにくく、どちらかというと日本人と似たような体型の人が多い。若い人でも身体は痩せていてもお腹がぷっくり出ている人が多く、背もそれほど高くないし足も長くない。みんな非常にラフなスタイルをしている。そういう中で、この店の若い店員はみんな長髪で、髪もきちんとスタイリングされており、おしゃれなシャツを着て痩せていてイケメンである。腹も出ておらず、一昔前に六本木や赤坂でうろうろしていた若い人のような感じ。途中で髪を金髪に染めた女性がやってきたが、この人も非常にスタイルが良くて美人である。
私が魚のケバブと格闘をしていると、美人が私をちらっと見てにこっと微笑んで小さく手を振ってくれた。近づきがたい雰囲気だったのに、やっぱりトルコ人はフレンドリーなのだと思った。

0時を過ぎたので、お会計をして店を出る。ケバブとワインで33YTL(3000円)ほど。
前の日にタバコを買った店で水を買い、写真の整理をしてその日は早く寝てしまった。



つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 メヴレヴィー教団の旋舞とブルーモスク〜2007年06月19日 04時51分49秒

メヴレヴィー教団の旋舞のステージ。
※クリックすると、WindowsMediaPlayerのムービーを別ウインドウで見ることができますが、一部のバージョンでは見られない場合もあります。

■メヴレヴィー教団の旋舞を見る

以前「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」という映画で、モスクの中でトルコのイスラム教神秘主義教団の一つメヴレヴィー教団の旋舞のシーンがあり、旦那はそれが大変印象深かったと言っていた(私は途中で寝てしまったので、うすぼんやりしか覚えていない)。男性が白いスカートを着て、すそを広げながら音楽に合わせてくるくると回って踊ることが祈りとなるというものらしい。
イスタンブールではガラタ・メヴラーナ博物館がその教団を知るための施設なのだが、この博物館でも旋舞を見ることができるのは月に一度とガイドブックには書いてあり、旋舞は見られないかもとあきらめていた。イスタンブールの中には、旋舞を見ることのできるレストランなどもあるようだったが、どこも高い値段だったので行く予定はまったくしていなかった。

トプカプ宮殿見学を諦めベッドに横になって3時間ほどで目が覚めると、比較的身体がすっきりとしていた。私が寝ている間に旦那は観光計画の見直しをしていたらしく、歩いてすぐのブルーモスクは夜でも見学が可能なのでこれから行こうということになった。

アラスタバザールに入って朝とは逆に右に行くと、ブルーモスクのまん前の公園に出る。アラスタバザールでは相変わらず揚琴の演奏が行われていて、水タバコのための練炭が階段に置かれていた。
ホテルを出た時間は19時すぎ。そのまま行けばモスクの夜の祈りの時間を避けて行くことができたのだが、ブルーモスクから公園をはさんだ正面にオープンエアのカフェがあり、そこから笛と太鼓で演奏されるトルコの古い音楽が聞こえてくる。カフェの前に観光客がむらがっていたので見てみると、店の奥の小さなステージでメヴレヴィー教団の旋舞が披露されていた。
カフェの前で入ろうかどうしようか躊躇していると、中から店員が出てきて「前の方の良い席が空いている」と教えてくれる。チャイは一杯トルコ式のグラスで1.5YTL。それほど高い値段ではなかったので、チャイでも飲んで舞踊を見ることにした。

ちょっと小腹がすいていたので、チャイの他に「バクラヴァ」というトルコのめちゃくちゃ甘いナッツ入りパイ菓子、トルコ名物のアイスクリーム「ドンドルマ」を注文した。
注文したドンドルマは昔日本で流行った「のびるトルコ風アイス」ではなかったが、ベリー味とバナナ味とチョコレート味のトリプルで、溶け始めるとそれが微妙にまざりあって美味だった。しかし、ナッツ入りの日本で食べたのより数倍は甘いバクラヴァと一緒に食べるのは非常にヘヴィーで、結局チャイをもう一杯注文しなければならなくなった。


 
ダンスを披露していたカフェの看板。トルコの古代の音楽家の名前が店名の由来のようだ。   トルコのアイスクリーム「ドンドルマ」と頭がきんきんするほど甘いパイ菓子「バクラヴァ」。
ドンドルマは、舞台に夢中になって最初に写真を撮るのを忘れ、気づいたときにはちょっと溶けていた。


ダンサーの男性は一曲おきに旋舞を披露する。あやしげに両手をあげて、物憂い表情でただひたすら片足をじくに回転する。白い衣装のスカートのすそが綺麗に広がり、ただ回っているだけなのに非常に幻想的である。振り返れば夕暮れの中、幻想的に浮かぶブルーモスクが一望できる。

20時30分にはモスクから町中にコーランが流れ、ブルーモスクでは21時までは礼拝の時間だったため、カフェの舞台は20時30分前に終了した。それまで舞台にいたダンサーは、ステージを降りた後私たちの左前方のテーブルに座ってコーラをらっぱ飲みしていた。舞台では非常にうつろで無表情だったが、椅子に座ったとたん明るいトルコの青年の表情に戻る。
私たちがブルーモスクに向かうために席を立つと、彼は私たちに気づいて手を振ったので私も笑顔で手を振って挨拶をした。会計はチャイ4杯とドンドルマ、バクラヴァとサービス料込みで29YTLだった。

Wikipedia「メヴレヴィー教団」:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%95%99%E5%9B%A3





夜のブルーモスク。
夜景モードで撮影。金色に輝いてとても幻想的。

■ブルーモスク

カフェ前の公園を抜けてブルーモスクへ行くと、モスクの前にある水道で礼拝者が足などを洗っている。この洗い場は大きな建物の前に必ずあり、それらは現在使用されているのかどうかわからない感じなのだが、建物の中に入るときは身を清める習慣があったのかもしれない。モスクの入口にあるものは古くても現役で、塀の一部が奥まっていくつか蛇口が並び、礼拝者はそこに並んでそれぞれ身を清めるのだ。形は違うが、日本で神社に入るときの手水のようなものなのだろうと思う。

ブルーモスクへ入ると、礼拝堂の入口に「現在礼拝中につき、信者以外は入れません」という看板が置いてあった。入口付近は観光客と礼拝者であふれている。観光客の中には巡礼者も多く、暑いのに黒い服で顔まで隠している女性や、スカーフをしている女性を多く見かける。
割礼式の帰りの巡礼者もいて、スルタン風のかっこいい衣装に身を包んだ子供連れの家族もいた。子供の写真を撮りたかったが、場所が場所なので言い出せなかった。

モスクの広い中庭の向こうに、黒い猫がいて観光客を眺めていたので写真を撮りに行く。真っ黒の顔に鼻のあたりだけ白い毛足が長く目も切れ長の猫。白いエプロンをしているようでかわいい。イスタンブールの猫は人が近づいても逃げる様子もなく、カメラを向けてもお構いなしなので、猫好きな私には大変嬉しい。
礼拝が終るのを待っている間に陽もとっぷり暮れて、モスクの塔には金星が見えてくる。その横を飛行機雲が走っていくのが見える。



 
信者以外立ち入り禁止の看板。さまざまな言語で書かれている。   夕暮れのモスクの塔。金星の上に飛行機雲が走る。
     
 
ブルーモスクの中にいた猫。
じゃりんこチエの小鉄のよう。
  礼拝堂の入口。礼拝が終わるのを待つ観光客と、礼拝に訪れた信者がごった返している。


21時が過ぎ、礼拝の人と入れ替えに観光客の入場を許可される。私はスカーフを持参していったが、多くの女性は入口でスカーフを借りている。レンタルのスカーフは微妙に色味は違うがどれもトルコブルーだった。もともときちんとスカーフをしている女性は巻き方がとてもかっこ良いが、観光客はにわかイスラム教徒になるためスカーフをしてもどこかだらしなくなってしまう。

ブルーモスクの内部はひんやりとして静まり返っており、礼拝を終えていない信者が奥のほうで祈りを続けている。観光客の話し声はみんなひそひそしていて、さすがに大声で話してる人はいない。キリスト教や仏教の寺院のように信仰の対象となる神様の像のようなものはどこにもないが、内部に流れている空気は神の存在を知らしめるような清浄な空気で満ちあふれている。
昼間に来ると外の採光が中のタイルに反射してブルーに見えることから「ブルーモスク」の名前がついているらしいが、夜に見ると白を貴重にした壁が黄色の電球に照らされ、ベージュを基調とした内装に見える。さまざまなタイルで彩られた独特の模様が大変美しい。
端の方には、昔のブルーモスクの銀細工でできたミニチュアが展示されており、その横には控え室で礼拝を終えたお坊さんが休んでいるのが、部屋のガラス越しに見えた。

ロシア人らしいカップルがお互いに写真をとりあっていたので、「めいあいへるぷゆー?」と声をかけると、一瞬伝わらなかったような顔をしたがすぐにわかってくれて、「Thank you. Please.」といって持っていたカメラを渡してくれた。それで「あふたー みーとぅ」と言うと「no problem」と言ってくれ、へぼへぼの私の英語が通じたことに驚いた。
しばらくすると、黒いイスラムの衣装を来た年輩の女性がボディランゲージで「写真を撮ってあげよう」と声をかけてくれた。カメラを渡して写真を2枚撮ってもらい、返してもらうときに「どこから来たのか?」と英語で聞かれたので「じゃぱん」と答えると、「Welcome to Istanbul」と笑顔で答えてくれたので、笑顔で「てしぇっきゅれでりむ、さんきゅーべりーまっち」とトルコ語と英語でお礼を言った。
でも、その人も英語はあまり話せない様子だったのでそれ以上会話はできなかったが、ボディランゲージで足が痛いのだというようなことを言っていた。その女性が座っていたところには「座ってはいけません」と書かれていたのでたぶんそれを見逃してほしかったのだろうと思い、にっこり笑ってその場を離れた。


30分ほど見学をし外に出るとあたりはすでに真っ暗。ブルーモスクに入る前にいたカフェでは新しいステージが行われている様子で、前とは趣向の違う音楽が流れている。ブルーモスク前の公園を抜けるところで、芝生の中に猫を見かける。自分では人間に気付かれていないつもりのようだったが、写真を撮ろうとするとめずらしく逃げてしまい、茂みの中から顔だけだしてこちらを伺っていた。


 
礼拝堂の中。照明の関係で黄色っぽく見えるが、昼間は外の採光でブルーに見えるらしい。   礼拝堂の隅に展示されていた、昔のブルーモスクのミニチュア。銀で非常に細かい細工が見事だった。


つづく

◇トルコ旅行記 〜6月2日 作戦失敗〜2007年06月17日 04時48分25秒

6月2日のお昼ご飯。
左の皿がほうれん草炒め、中央上の皿が巨大なナスとチキンのチーズ焼き、中央下の皿がドマテス・ドルマス、右中央の皿がトマト味のピラウ、どんぶりにはジャジュク、右の籠はフリーのパン。

■ロカンタでお昼を食べる。

トラムヴァイの通りまで戻ると、西に向かって右手にはレストランが軒を連ねている。気軽なケバブ屋もあれば、ロカンタも多い。私たちのトルコ旅行の一番の楽しみは食事で、高級なレストランよりもロカンタに入るのが楽しみだった。ロカンタとは惣菜食堂のようなもので、すでに調理済みの食べ物が店頭のショーケースに並べられておりそれを自分で選んで注文するシステムの食堂のことだ。もちろんメニューもあるのでそこから注文しても良いが、目の前にごちそうが並んでいるとお店の人に好みなどを伝え、料理の説明などを受けながら注文するのが楽しい。だが、これは目がほしくなってついたくさん注文してしまう心理作戦のような気もする。日本にも似たようなシステムの食堂があるが、最近はなかなか姿を見かけなくなった。
たくさんある店の中からひときわショーケースの大きな店をちらっとのぞくと、中からかっぷくの良いおじさんが現れ、すでにお約束の質問となった「どこから来たのか?」と聞く。「日本からだ」と答えると、「スタッフには日本語の話せる人がいるから、安心して中に入って食事ができる」と日本語ができるというスタッフを指差し店に誘導する。
ご馳走を目の前にしてもう迷っている場合ではなかったので、そこに入ることに決める。そこはアヤソフィアからすぐのトラム沿いにあるジャン・レストランというロカンタだった。

日本語ができるというスタッフは「メルハバ」とトルコ語の挨拶をした後、片言の日本語で料理の説明を簡単にしてくれ、お勧めを聞きながら「シェアして食べるから」と一皿づつ注文する。
きゅうりをヨーグルトとにんにくで和えたトルコ風ヨーグルトスープ風サラダ「ジャジュク」、トルコのご飯「ピラウ」はトマト味のものを、トマトに米やひき肉を詰めて焼いた「ドマテス・ドルマス」、巨大なナスとチキンのチーズ焼き、ほうれん草炒めなどを注文するが、私たちはここで大きな間違いをおかした。
トルコのレストランは、席につくともれなくパンがサービスされる。おかずの量に関係なく、テーブルに着くと一番最初にパンが大量に運ばれてくるのだ。私たちはこのことを事前に学習して知っていたはずなのに、このときはあまりの空腹とイスタンブールで最初のまともな外食だったせいか、パンを自分たちの許容量に入れて計算していなかったのだ。米もよく使われているが、米はトルコでは野菜として扱われるため、ピラウを頼んでも主食はあくまでパンである。 帰国後、トルコの人たちのロカンタでの食事風景を録画していたビデオで確認したところ、みんなだいたいスープとおかずだけなど1品か2品程度注文しそれをおかずにパンを食べるというスタイルらしく、みんなけっこう簡素に食事をしている。
いくら空腹でもこれはちょっと欲張りすぎだろうと、旦那と二人でテーブルに並べられた料理を見て苦笑してしまった。一人前によそってくれる量もけっこうあるので、二人とは言ってもこの量は多すぎである。

それでも、テーブルに並んだ料理は空腹を度外視しても大変美味である。世界一美味しいというトルコのパンは非常にもっちりしていて、トルコの料理にとてもよく合う。特に自給率100%という野菜は素材そのものの味が良く、ナスの味は最高だった。トマトは大きくて皮が厚いためか、詰め物をして焼いても日本のトマトのように形が崩れることはないらしい。香辛料を使ってはいるが、味付けは非常にシンプル。素材の味を十分に堪能できるのが嬉しい。
なんとか全て完食したが、案の定お腹はみちみちになってしまった。食後にトルコの紅茶チャイを注文し、午後にそなえて500mlの水を一本持ち帰りで注文する。会計は、29.5YTL(記憶不確か。日本円で約2650円)くらい。
トルコ式にチャイには砂糖を入れて多少元気になったが、長時間の歩き疲れは前日にあまり眠っていないせいもありなかなか改善されなかった。




トプカプ宮殿の庭から見たボスポラス海峡の景色。

■撃沈する。

食事を終え、アヤソフィアの前を通り抜けてトプカプ宮殿へ向かう。
アヤソフィアからトプカプ宮殿への道のりはスルタンアフメット地区一番の観光のメッカである。行き交う人はほとんど外国人で、通り沿いにはトルコやイスタンブールのガイドブックや、トルコ名物のゴマパン、洋服やスカーフ、お土産物などを売っている露店が続く。

途中でナザールボンジュなどを売る店があったのでひやかしに覗いてみると、お店の兄ちゃんが小さな椅子に座ったまま声をかけてきた。トルコでの外国人への第一声はきまって「どこから来たか」の確認である。
観光初日の私たちは、この手の客引きを異常に警戒していたため、「日本人ではないということにしよう」という取り決めをしていた。私はほんの少しだけどロシア語を話すことができるし、旦那は英語ができるから、ロシアからの観光客だということにしていたのだ。広いロシアの中には、私たち日本人と顔かたちが似ている民族がたくさんいる。広大なロシアのたくさんある連邦国からあまり名前の知られていない国を選べば、トルコ人から見れば本当に日本人なのかどうかは判らないだろうという作戦だ。
最初に「コリア?」と聞かれて首を横にふると、「チャイニーズ?」と聞くので再び首を横にふる。「ジャパニーズ?」と聞かれて再度首を横にふる。「じゃあどこから来たんだ?」と聞かれて、「ロシア」と答える。しかし、慣れない嘘はつくものではない。
店の兄ちゃんを半分無視して店の品物を見ていると、兄ちゃんがいきなり日本語で「おばさ〜ん」と私に向かって叫んだのだ。そして私は不覚にも、その言葉に思い切り反応してしまったのだ。思わず振り向いた私を見てお店の兄ちゃんは「やっぱり日本人だ〜」と笑ったので、私たちはしまったとばかりふきだしてしまった。あまりにも体裁が悪いので、早々にその場を立ち去るしかなかった。

トプカプ宮殿の入口の門には、両側に一人づつ兵士が銃を持って立っている。私たちが門に着いたときには、左側に金髪で碧眼の兵士、右側にアラブ系の顔立ちの兵士が無表情に立っていたが、門は南を向いているのでどちらの兵士も顔が真っ黒に日焼けしている。ちょうど交代の時間だったのか、私たちが門を通りぬけた直後にさきほどまで門に立っていた兵士が足早に談笑をしながら追い越していった。立っているときは姿勢を正して微動だにしていなかったので、こういう人たちも休憩に入るときはリラックスして笑うのだなと思った。


トプカプ宮殿の庭で、疲れ果てて景色を眺める私(-_-)。
 
トプカプ宮殿は外門から広大な庭を抜けてその先にチケットゲートがある。門からチケットゲートまでは300mほどの距離。このとき私たちはガイドブックをよく読んでいなかったせいもあるのだが、その先にある宮殿内部はいくつかの建物や博物館にわかれており、どんなに足早に見ても2時間〜3時間はかかるらしいことを初めて知る。また、宮殿内を案内するガイドを利用する場合は、ある程度の人数を集めて移動するので待ち時間がある場合もあるとのこと。このときすでに15時をまわっており、閉館までに宮殿を全て周ることができるのかという疑問が頭をよぎる。
チケットゲートに入る前に情報をチェックしようと芝生の木陰に腰掛けたら、あまりにも景色がいいのと帰路に着く人の顔がどの人も疲労困憊しているのを見て、腰をあげる気力がなくなってしまった。
芝生の中では、大きな犬が木陰で昼寝をしていた。猫はどこでも見かけるが、犬はトルコに着いて初めて見た。よく見ると耳に何か確認票のようなものをつけている。

10分ほど休憩して「この体力では宮殿見物は無理だから、一度ホテルに帰って休みたい。トプカプ宮殿はまた違う日にしよう」と旦那に訴え、この日の宮殿見物は中止にすることになった。
この時には旦那はすでにトプカプ宮殿とホテルの位置をきちんと把握しており、最短のルートでホテルに戻ることができたが、トプカプ宮殿からホテルまでは歩いて10分ほどしかかからなかった。

帰りの下りの坂道で道路の整備の悪いところに足をとられてけつまずき、その様子を見ていた観光バスを誘導するおじさんが「マダ〜〜ム、大丈夫か?」と心配して声をかけてくれた。しかも日本語ではないにしろ私はここでもおばさん扱いであり、疲れきった意識の中で国際的にも私はおばさんなのだと自己認識してちょっとへこむ(まあ、当然といえば当然なのだが)。

ホテルに戻ると、二人のトルコ人男性が玄関前の外テーブルでチャイを飲みながらバックバャモンをしている。バックギャモンは20年程前にはまったが、その後プレイできる人に恵まれずここ数年はネットプレイだけで我慢しているゲームである。
興味深げに遠くから覗き込もうとすると、「チャイをごちそうするから是非テーブルに座って見ていきなさい」と笑顔で誘われる。見たい気持ちはやまやまだが今は身体を休めるのが先決なので返事に困っていると、旦那がすかさず「彼女はとても疲れている」と説明する。ゲームをしていたのはホテルのスタッフらしく私が興味を示したことを非常に嬉しく思っている様子で「待っているから部屋に荷物をおいて戻ってこい」と言うが、旦那が「とても無理そうだ」と言ったので彼等はとてもがっかりしてしまった。私が「しーゆーあげん」と手をふったら、彼等も笑顔で手をふってくれた。

出るのが遅かったのにくたくたに疲れ果ててものすごく早くホテルに戻ったためか、ロビーカウンターのスタッフが私たちを見てびっくりしている。鍵を受け取り部屋に戻ると、ベッドカバーが部屋の隅においてある状態で、まだ部屋の清掃が完全にすんでいなかったらしい。汗だくの身体で直接シーツの中に入るのは嫌だったので、ベッドカバーを自分でベッドに広げてその上に横になるとほどなくして眠ってしまった。



つづく



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