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◇訃報 - ムーンライダーズ かしぶち哲郎逝く2013年12月22日 15時57分27秒


MOONRIDERS - スカーレットの誓い

ムーンライダーズのドラマーで作詞作曲も手がけていた、かしぶち哲郎氏が、2013年12月17日に食道癌で逝去されました。

moonriders division「訃報です(2013/12/20 12:55)

個人的には、ムーンライダーズよりもはちみつぱいの方が好きだった。
それでもムーンライダーズはリアルタイムだったし、思い出がいっぱいある。

劇団白樺時代には、仲間のほとんどがライダーズファンだった。
夜中にドライブに行って、車の中で「スカンピン」や「彼女について知っている二、三の事柄」を合唱したりした。

ちょうどマニアマニエラが発売された当時。曲を作る人で雰囲気の異なるライダーズの楽曲の中でも、「スカーレットの誓い」は大好きだった。

パソコン通信をしていた頃も、参加していたフォーラムではみんながムーンライダーズが好きだった。
オフ会と称して、みんなで最後の晩餐ライブを観にいった。

かしぶちさん、たくさんの思い出をありがとう。
ご冥福をお祈りします。

◇R.I.P 20132013年12月24日 04時11分02秒

今年は大好きな人がたくさん亡くなった。

パティ・ペイジ(1月1日)歌手、「テネシーワルツ」
大島渚(1月15日)映画監督
Mr.デーブマン(1月24日)MC、ラジオDJ
田中宥久子(3月19日)美容家
坂口良子(3月27日)女優
三國連太郎(4月14日)俳優
田端義夫(4月25日)ギタリスト
牧伸二(4月29日)漫談家
レイ・マンザレク(5月20日)ミュージシャン、ザ・ドアーズのキーボードプレイヤー
中村誠(6月2日)グラフィックデザイナー
長門勇(6月4日)俳優
アマー G.ボーズ(7月12日)音響機器メーカー「ボーズ」創業者
コンガル-オール・オンダール(7月25日)トゥヴァのホーメイ歌手
戸井十月(7月28日)作家
山口冨士夫(8月14日)ミュージシャン、村八分のギタリスト
藤圭子(8月22日)歌手
ジュリアーノ・ジェンマ(10月1日)俳優、マカロニ・ウエスタンのスター
やなせたかし(10月13日)漫画家
天野祐(10月20日)コラムニスト
ルー・リード(10月27日)ミュージシャン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
島倉千代子(11月8日)歌手
井村淳(11月21日)人形劇俳優、NHK「できるかな」のゴンタくんの中の人
ネルソン・マンデラ(12月5日)元南アフリカ大統領
ピーター・オトゥール(12月14日)俳優、「アラビアのロレンス」
かしぶち哲郎(12月17日)ミュージシャン、ムーンライダーズのドラマー


たぶん、私が知らないだけでもっといるのかもしれない。
「巨星落つ」という言葉にふさわしい人が亡くなり、非常に寂しい気持ちにもなった。

ショックだったのは、ドアーズのレイ・マンザレクとヴェルヴェットのルー・リードが亡くなったこと。
ドアーズは、数年前のサマーソニックで観る機会があったのに観なかった。
ジム・モリソンのいないドアーズでも、レイの演奏を聴くべきだったと、今も後悔している。

コンガル-オール・オンダールは、トゥヴァの音楽のすばらしさを教えてくれた最初の演奏家だった。
彼の人懐こい笑顔が懐かしいが、亡くなった報せを聞いたのは秋だった。

山口冨士夫の訃報を聞いたのは、帰省中のテレビニュースだった。
彼の死のニュースを聞いたときに、なんとなく一つの時代が終ったような気がして、ルーが死んだときにその気分は決定的なものになった。

今年は個人的にも非常にせわしない一年だった。
亡くなった人のニュースに触れても、落ち着いてブログに思い出を綴ったりする余裕のなかった。
去年はインドやトゥヴァの本を一冊作って、今年はトゥヴァのCDを作った。
父の病気を診るために三回帰省し、その間に自らも階段から落ちて足首を怪我した。
年末になって大掃除をしつつも、今年亡くなった人たちのことを思い浮かべては、これからも知っている人の訃報を聞くたびに時代の区切りを感じていくのだろうなと、漠然と考えたりする。

今年亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

追記2014年1月5日:
2013年12月31日にはっぴいえんどの大滝詠一氏が亡くなられました。
2013年の最後にとてつもなく大きな星が墜ちて非常に残念な限りです。
ご冥福をお祈りいたします。

NHK NEWS Web
ミュージシャンの大滝詠一さんが死去 12月31日 17時19分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131231/k10014215111000.html

◇The Boomtown Ratsにはまる2013年12月26日 04時48分20秒


The Boomtown Rats - Someone's Looking At You

最近、やたらとThe Boomtown Ratsが聞きたくなる。
好きなバンドのレコードは、CDにおおかた買い換えたが、The Boomtown Ratsは何故か一枚もCDを購入してない。
ほしいと思った当時にCD化されていなかったせいもあるのだが、いまや初期のCDは絶版状態らしい。

The Boomtown Ratsというとボブ・ゲルドフであるが、The Boomtown Ratsのボブ・ゲルドフというよりは、バンドエイドのボブ・ゲルドフといった方が通りが良い。
彼が1984年にエチオピアの救済チャリティを始めるまでは、ほぼバンドは好調なように見えたが、実際は1979年のシングル「哀愁のマンデイ(I Don't Like Mondays)」以降はパッとせず、1980年「Mondo Bongo」以降はほとんど話題にのぼらなくなっていった。
上の曲は「哀愁のマンデイ」の後に発表された曲で、私は「哀愁のマンデイ」よりこちらの曲の方が好きだった。

デビューから三枚目のアルバム「The Fine Art of Surfacing (邦題『哀愁のマンデイ』)」までは、ビートの利いたドラマチックな曲調だったのが、4枚目の「Mondo Bongo」でファンカラティーナやスカを取り入れたアルバムを発表し、見事にすべったのだ。
シングルカットされた「Banana Republic」はそこそこ話題にはなったが、期待はずれの路線変更にひどくがっかりした記憶がある。
そしてそれは私だけではなかったらしく、彼等の話題はそれ以降聞かなくなっていった。
ちょうど時代もパンク/ニューウェイヴからさらに細分化していった時期でもあり、それまでもコアなファンのいた特色のある小さなレーベルが時代の主流に変わりつつあった時期だった。

1984年のバンドエイドは久々にボブ・ゲルドフの話題を聞いたのだが、バンドとしてはほとんど話題にはならず、数年後に忌野清志郎のバンドでキーボードのジョニー・フィンガーズを見かけたのがボブ以外のバンドメンバーの話題だった。

彼等は1980年に初来日を果たしているが、私の記憶違いでなければその演奏はNHKでテレビ放映された。
当時の音楽雑誌の記事で、日本の学ランがたいそうお気に召したようで、ステージでもメンバー全員が学ラン姿で演奏しており、ジョニーは普段からパジャマにソフトハットといういでたちだったため、その時はパジャマの上に学ランを着ていたのが印象的だった。

The Boomtown Ratsの曲は、当時を色濃く反映している。
パンクムーブメントからニューウェイヴへ時代は急速に変わっていくのだが、その過渡期のイメージがThe Boomtown Ratsなのだ。
派手でいい加減で雑だけど、キャッチーでキッチュなメロディライン。
白黒の市松模様や、肩パッドの入ったTシャツ、ソフトハット...
今彼等の曲をYouTubeなどで聞くと、ものすごい勢いで動いていく当時の時代を目で見ているような感覚に陥る。
バブル前で、まだまだ先行きはあやしいけれど、確実に何かが終結しつつある予感。
この時代が実は一番良い時代だったのかもしれないと、漠然と思ってしまう。

細くてひょろひょろの手足を振り回して、ステージを所狭しと駆け回り、前かがみで観客を煽る姿は、それまでのロックスターのイメージとは確実に異なっていた。
ギョロギョロした目を見開いて歌う姿は、ジョン・ロットンや同じアイルランド出身のU2のボノほどのカリスマ性は感じられなかったし、バンドメンバーの演奏も歌もお世辞にも上手だとはいえなかったが、何かひきつけられるものを感じていた。

彼等は最近また活動を開始しているらしい。
最近のステージの映像を観たが、思ったほど劣化していない。
ただ、当時のステージから転げ落ちそうな勢いはないし、過去の栄光をそのまま引きずったかつてのロックスターの姿でしかないのが悲しい。
でも、昔の彼等の映像は、今から見ても勢いあまってどこかに連れて行かれるような印象を未だに持っている。
そんな感覚にひかれてまた彼等の曲が聞きたくなっているのか、それともただのノスタルジーか。
たぶん、その両方とそれ以上なのかもしれないと思ったりする。

◇Buzzcocksに出会う2013年12月26日 05時13分31秒


Buzzcocks - I Can't Control Myself

ネットで音楽を探すようになってから、何故このバンドに今まで出会わなかったのだろうと思うのがある。
30年前に出会っていたら確実にはまっていただろう。
Buzzcocksもそういうバンドのひとつだ。

1976年デビュー。1981年に一度解散しているらしいが、1989年に再結成して未だ現役である。
パンクがまだ浸透していなかった時代に、マンチェスターにSexPistolsを招聘してマンチェスターにパンクを根付かせ、マッドチェスターの礎となったバンドだ。

1980年というと、私はまだまだ日本の音楽雑誌に普通に載っているそこそこメジャーなバンドしか知らず、マンチェスターのインディレーベル出身のバンドの音が私まで届く事はなかった。
ラジオなどで紹介されるのも限界があったし、当時のイギリスのヒットチャートを追いかけるのが精一杯な時期だった。

1989年はすでに上京してきており、お金がも時間もなかったので十分に音楽を追いかけることができていなかった時期でもある。
聞いていても、60年代70年代を遡って掘り下げるか、新しく出てきたハウスなどのクラブミュージックに興味をそそられていた。
Buzzcocksは、そんなこんなで私の音楽の谷間にすっぽりとはまって、出会うことなく過ごしてきたバンドらしい。

今から聞くと、音の雰囲気は初期のThe Jamとほぼ同じだし、映像を見ないで聞いていたらボーカルが違うくらいの違和感しかない。
The Jamと決定的に違うのは、ボーカルがド下手なのと、演奏がド下手なのと、いい男がいないことくらいだ。

Buzzcocksの名前くらいは知っていたが、その音が私に届いたのは30年経ってからのことである。
当時、超絶面食いだった私も、今なら冷静にその音を聞くことができるが、やっぱり30年前に聞きたかったと思ってしまう。

こういうバンドがあるから、新しく出てきた昔のニセモノに興味を持てないのだろうか。
当時のザラザラした雰囲気を持つバンドの方が、若くてツルツルしたバンドよりもずっと魅力的に感じるのは、やはりそういう時代を生きてきたせいなのだろうか。

まだまだ発掘すべき音楽は山のように存在すると、それはそれで楽しみなのだが。



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