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◇マイ箸2008年10月08日 00時05分13秒

一條 裕子の「わさび」(小学館)という漫画の中の、第二集、燕の段、「父、割り箸について大いに語る」という話である。
家主が蕎麦屋に入ったはいいが、割り箸を前にして逡巡している。注文した汁そばはすでにテーブルに置かれているが、家主は割り箸を手にすることはない。
家では、奥さんがお手伝いさんに、駅前の蕎麦屋にすぐに箸を届けるように頼んでいる。その日家主はマイ箸を忘れてしまったのだ。「のびるから早く」という奥さんの言葉に、お手伝いさんは「急いだってのびますってば」と、廊下に家主の家主のマイ箸を手にして独り言を言うのだ。
蕎麦を前に、いつまでも手をつけない客に向かって、蕎麦屋の主人はいぶかしげに「お客さん、のびちまいますよ」と言うと、家主はこう答える。
「家人が箸箱に箸を入れ忘れたらしくてね…」
蕎麦屋の主人は、不思議そうに尋ねる。
「なんで? ワリバシやなの?」
それに対する家主の答えは
「…すまん、亭主…… 実は私は割り箸に価する客ではないのだ」

マイ箸などという言葉が一般化する、ずっとずっと前の作品である。

数年前に、一緒に中華料理屋に入った友人が、割り箸を断りマイ箸を持っていたときに、この漫画の話を彼女にすると、彼女は「なるほど」と言って笑っていた。
この時でさえ、外食時に自分の箸を使うなどという行為は一般的ではなく、彼女の行為を賞賛しはするものの、自分がそれに習おうとはしなかった。

台湾料理や沖縄料理、韓国料理屋に行くと、当たり前のように普通の箸が出てきたときでも、どうして他の食堂でこの方式を取り入れないのだろうかと不思議に思うことはあっても、外食用に箸を持ち歩くことはしてこなかった。

最近、マイ箸が静かなブームとなってきて、あちこちで持ち歩き用の箸袋や箸箱などを見かける。お弁当用のかしゃかしゃと音がなるようなものではなく、布袋に箸先だけプラスチックの容器が設定されているものや、プラスチックの中容器があるものまでさまざまだ。

これまで外食時の割り箸に多少の違和感を感じつつも、箸を持参した方がいいということもわかってはいてもしてこなかった私たちだが、世の中がそういう動きならばマイ箸があってもいいかもしれないと思い始めている。
しかし、なんとなく市販の箸袋は使い勝手が悪いように見える。
これまでマイ箸を持ち歩くきっかけはいくらでもあったはずなのだが、持ち歩こうとしなかった理由(言い訳)はいろいろある。その最大の理由は、使用した後の箸を汚れたまま持ち歩くの抵抗があったからだ。
食後に手洗いに行き、そこに洗うような場所がある食べ物屋ならいいのだが、中には手を洗うのでさえどうかと思うような手洗い場しかない場合もある。駅のトイレで洗うのはなんとなく抵抗があるし、かといってそのまま家に持ち帰るのはいやだったのだ。

そんな感じで、マイ箸を持ち歩こうかと思いつつも、なんとなくそのままですごしていたら、最近食べ物屋の方が変わってきた。
食堂のような場所でも、普通の塗り箸が置かれているのが多くなってきているのだ。
高校時代、ステーキハウスでバイトをしていたとき、その店では数日に一度、カラトリー類を鍋で煮沸消毒していたのを見た。その時お店の人は、「箸はこれができないから」と言っていたのが印象に残っている。
今は食器洗い機を使う店が一般的だと思うが、家庭用の食器洗い機の中には蒸気やオゾンなどで最後に殺菌する機能がついているのもあるくらだから、業務用のものにこういうのがついていればいいのにとずっと思っていた。
いや、もしかしたらついているのかもしれないが、箸は素材を選ぶし、規格的に入れづらい構造になっているのかもしれないなどと考えていたのだ。

しかし、お店側で割り箸の使用をやめてくれるのであれば、これはある意味個人的にはありがたい。お店の箸立てや箸箱に入っているのが、割り箸であってもそうじゃなくても、別に使えれば支障はないからだ。フォークやスプーンと一緒で、お店できちんと洗ってあるのなら問題はないと言える。

もっとこういうお店が増えてくれるといいなあと思いつつ、外食の度に出てくる割り箸に対して、そろそろ腹をくくる頃なのだろうと、最近は自分で箸袋を作ってしまう計画をたてたりしているのだった。

◇国際口琴フェスティバルin東京「月」に行く2008年10月15日 03時26分22秒

※画像をクリックすると拡大します。


10月12、13日に行われた、国際口琴フェスティバルin東京「月」に参加した。
今回は、印刷物とWEBの作成と物販要員。
日本口琴協会のイベントを手伝い始めて10年弱になるが、こんなにも口琴人口が増えているのだとびっくりするほどの人が集まったように思う。
今回は、ロシア連邦サハ共和国からアヤルハーン、イタリアのシチリアからイペルクッソーニチが来日し、アイヌ民族の口琴演奏者11名と、キルギスのカリマンと石阪さんのユニット、そして日本国内から口琴演奏者が24組、口琴製作者が9名(鹿児島の長瀬さんは欠席)集合しての、口琴のイベントとしては大変に大掛かりなものだった。

サハのアヤルハーンは、2000年にメンバーのアリビナと来日したオリガが来ていて、当時14歳だった少女が22歳になりすでに結婚もしているということでびっくり。すっかりきれいなお姉さんになってしまっていた。それでも彼女は8年前のことを覚えていると言ってくれていた。
アリビナとは何度も会っていて、会話はできなくてもいつも「ありがとう、あなたは私の友達です」と言ってくれるので、今回はロシア語を勉強して少しでも話ができればいいと思っていたのだが、いざとなるとまったく単語が出てこない。頭の中でこれまで覚えた単語がぐるぐるしてしまい、何も話せなかった。それでも彼女は「会話はできなくても、気持ちが通じていると思う」と言ってくれてうれしかった。
2000年のときに一緒に来日していた、フェドーラ・ゴーゴレヴァが昨年亡くなったという話を聞いていたので、彼女の話をして二人で手を取り合って泣いてしまった。

彼女たちの演奏は、自然の造詣を声と口琴で表現するというものなのだが、その力量にはものすごく圧倒されてしまう。プレステージとして11日に東中野のポレポレ坐での演奏は、マイクなしの演奏にも関わらず壁がびりびりするほど。
鳥の声、馬のいななき、ギャロップの馬蹄の音など、今まで聞いた演奏から更にグレードアップして圧倒されて、涙が出てきてしまうくらいすばらしかった。

イタリアのイペルクッソーニチのメンバーは、非常にフレンドリーで明るい。日本食や日本の文化に非常に興味を持っていて、和柄の足袋ソックスと日本料理の本をあげたら、ものすごく喜んでくれていた。
そして、その演奏は非常のエネルギッシュでリズミカルで楽しい。シチリアの太鼓とディジリドゥ、口琴だけの演奏なのに、リードボーカルで紅一点のアリーチェの唄がこれらの楽器をまとめてどんどん客をひっぱっていく。思わず踊りだしたくなってしまうのだ。
フェスティバルの最後のステージをちらっと見たとき、宗教色の強いメロディをモチーフにして歌ったときは、最初仏教の声明を聞いているような錯覚に襲われたが、マリアの名前が歌詞に出てきたので、これはキリスト教のものなのだと気づいた。このあたりの表現方法が心地よく、なんとも不思議な気分だった。
帰り際に挨拶したとき、メンバーから「18日にもここでまた演奏するから来て欲しい」といわれたのだが、17日は病院で20日は歯の手術を控えているので来られないというと、とても残念そうにして投げキッスで見送ってくれた。


物販の手伝いはいつものことなのだが、今回は物販システムがいつもと違っていたので、大変手間取ってしまった。
最近のイベントでは口琴をすでに持っていて、買い増ししたい人やコレクターズアイテムとして購入する人が多かった。しかし、今回は口琴を初めてて購入するという人が思いのほか多く、「口琴の音を聞かせて欲しい」とか、「演奏方法を教えてほしい」などの要望が多く、二つあるイベント会場のひとつに隣接していた物販ブースは人だかりが絶えず、演奏中でもその手の要望は多く、途中で食事をとるのもままならない状態。口琴の物販でこんなに大変な思いをしたのは初めてだった。

それでも、口琴仲間(?)で久しぶりに会った面々が勢ぞろいし、ゆっくり話はできないものの、顔を見て「久しぶり」と声をかけてもらえたのはうれしかった。
中には、なんとなく疎遠になってしまった人や、ちょっとしたことがきっかけでなんとなく話しづらくなってしまった人もいたのだが、そういう人とも気軽に声をかけあい、昔のように話ができたのは収穫だった。

あまりにも物販に人が絶えず、物販ブースから見えるはずのステージもまったく見ることができず、別な会場のステージは最後にイペルクッソーニチのステージをちょっと見る程度でしかなかったのが残念。最初の約束で「見たいステージのときには物販を抜ける」ということだったのだが、状況は許してはくれなかった。
それでも、こういうイベントにスタッフとして参加できたことは光栄で、口琴好きな私たち家族にはうれしいことなのだと思う。
でもあまりにもいろいろありすぎて、ここ数年思っていた「そろそろ身体と心がつらいかな」という思いが、このイベントで強くなってしまったのも確かかも。

国際口琴フェスティバルin東京「月」
http://www.koukin.jp/IKFT1moon/

◇歯列矯正の器具がはずれる(下だけ)2008年10月17日 21時59分04秒

今日、歯列矯正の器具がはずれた。ただし下顎だけ。
インプラントの手術がのびのびになってしまったため、下顎の歯のない部分の上顎の歯が下りてくるのをふせぐため、矯正期間は終了したものの、器具自体はずっとつけっぱなしだったのだ。

6月にインプラントの土台を埋める手術をし、来週インプラントの土台に歯冠をつける器具をつける二次手術を受けるので、下顎はプレートごと器具がはずされた。

インプラントの手術を受ける前に、3D-CTスキャンをとるために一度針金をはずしたときもそうだったのだが、2年半も口の中に入っていて唇に常にあたっていたものがなくなると、なんとなく心もとない気分だった。
今回、プレートごとはずされ、2年半ぶりに自分の歯をまともに見た感じは、なんだかあまりにもきれいにそろっていて、入れ歯を見ている気分。
そして、いつも唇にあたっていたものがそっくりなくなっているのが、スキャンを受けたときにも増して、なんとも心もとない気分なのだ。

しかし、食事をしてみると「ああ、まともな食事ってこんな感じだった」と感動する。
いつも食べ物を噛んでも、歯と唇の間に入った食べ物が、針金がストッパーになって口の中に戻ってこず、常に唇と歯の間に食べ物がはさまってしまうのが、なんの違和感もなく口に戻ってきてくれる。
なまじ、上顎の針金がまだ健在なので、その差がありありと口の中で比較されて、「やっとここまできたのね」としみじみしてしまう。

正直、成人矯正を最後までやりとげられるのか、最初は自信がなかった。針金で歯がぎしぎし痛みを伴って音をたてて、普通にしていてもうずうずと歯が痛く、食事をするのが苦痛でしかたがなかった。
矯正経験者の中には、あまりの痛さに途中でリタイヤしたという話も聞いた。
本当に、最初は最後までやり遂げる自信がなかったのだ。

しかし、いつのまにか痛みにもなれてしまった。最後の方では針金できつくしめられても、さほど痛みも感じることはなく、ただぎしぎしと歯が移動しているのを感じるだけにまでなった。
口の中に針金が入っているのが当たり前になっていて、食後の歯磨きが常習化されたのも収穫のひとつ。

インプラントの歯冠が入れば、上の器具もとることができる。そして、やっとリテーナーの期間に入れば、少なくとも食事のときには快適に物を噛むことができるのだ。

やっとここまできたことに、今日はちょっと感動したのだった。

◇インプラントの二次手術終了2008年10月27日 22時10分43秒

インプラントの二次手術が終わった。
一次手術は6月のはじめにあり、インプラントの歯根を歯骨に埋めてから4ヶ月。再び歯肉を開いて、今度は歯冠をはめるための準備をする手術である。
一次手術のとき、「稀に歯根を埋めても、石灰化がうまくいかず、歯根と歯骨がくっつかない人がいるので、その時はもうちょっと時間がかかる」と言われていたのだが、歯肉を開いて確認した結果はきちんと石灰化が行われて、歯根と歯骨がくっついていると言われ一安心。手術自体は15分程度で終了した。

一次手術のときは、骨をけずったりという作業があり、仕事があって徹夜続きで睡眠不足だったのと、風邪気味だったせいか、手術の後熱を出して3日間寝込まなければならなかった。食欲もなかったため、栄養ゲルで食事をすましていたのだが、今回の手術ではそういうこともなかった。
ただ麻酔の後歯肉の腫れがなかなか治まらず(手術後一週間経つが、まだちょっと腫れている)、手術をした箇所の隣の歯がうずうずと痛い状態が続いているが、それも徐々に回復しているのを感じる。抜糸のため今日歯医者に行ったところ、まだ腫れてはいるが経過は良好とのことだった。

一次手術の際に、予定がなかなか取れず日程がのびのびになってしまい、予定より半年遅れの手術となったが、来月中には歯冠をはめて終了となる。そのタイミングで上の歯の歯列矯正の金具がとれる。
それでもまだ、仮歯の箇所を治療したりとすべて終了したわけではないのだが、少なくとも口の中がうざったい状態であることはなくなるのだ。
早くその日がくるのが待ち遠しくて仕方がない。



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