◇講談社版「つげ義春大全」の第一回刊行物にふれて ― 2020年05月10日 19時00分28秒
復刊ドットコム つげ義春大全 第一巻 白面夜叉 涙の仇討
つげ義春の久しぶりの全集が刊行されるとあり、非常に楽しみにしていた。
幻とされていたデビュー作「白面夜叉」の完全掲載もさることながら、同じ講談社から刊行された水木しげるの全集の貸本時代のリマスター技術の期待感、価格も水木しげる全集と同程度のものだったせいもあり、やはりそれなりの内容を期待しないではいられなかった。
しかし、その仕上がりは疑問をもつばかり。
表紙の紙質、デザイン、今回復刻された「白面夜叉」のオリジナルとの写植の再現度、どれをとっても「大全」と呼ぶには残念すぎるものだと感じる。
同じ作品が何度も書籍として出ており、その内容はそらでセリフを再現できるほど読み込んでいる読者も多いだろうから、新しい資料的価値として、せっかくの作品を期待しない形でいじられることを歓迎するわけにはいかない。
また、幻の作品の生原稿が見つかったのであれば、それをオリジナルに近い形で目にしたいというのは、マニヤとしては共通する要望なのではないかと思う。
表紙のデザインに関していえば、第一巻の目玉である貸本時代のイメージは、この表紙からはみじんも感じ取れない。本編とは関係のない作品のコマを切り取ってならべただけで、タイトルを見なければこれが貸本時代の希少な作品が掲載されているとは誰もわからないだろう。
なぜ貸本時代の巻に、同時発刊の第十六巻にある「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」のイラストなのだろうか?
第三巻の「片腕三平/戦雲のかなた/熊祭の乙女」に、どうして「李さん一家」の奥さんがドラム缶風呂に入ってるイラストなのか?
今後刊行予定の表紙を見ても、なぜこの巻にこのコマのイラストが出てくる必要があるのか、首をかしげるばかり。
発行順もよくわからない。
2. 編年体(発表年代順)を基本として編集。 その時、つげ義春が何を考え作品を描いていたかが伝わる巻組!
講談社コミックプラス
とあるのだから、前期と後期をセレクトするにしても、順番に刊行すればいいのにと思う。
それをわざわざ第一巻と第十六巻を一緒に発送し、第十五巻は二回目の配送になる。
わざわざ第十五巻と第十六巻を入れ替えるのは、意図的なのだろうか。
「白面夜叉」の写植の打ち直しひとつとっても、当時のイメージを保全するという意識にかける仕事であるように感じられる。
古い生原稿のため、写植が剥がれ落ちているのは仕方がない。しかし、今のデジタル技術であれば、印刷物からリマスターして利用することだって可能だったはずだ。
確かに巻末の高野慎三氏の解題は、その時の意識的なものや影響を受けたものなど、照らし合わせて読むと興味深い。しかし、高野氏が作者と当時交流した記憶をもとにしたものが主で、本人の考えや詳細年表は最後の別巻に収録されるので、それを楽しみにするという企画なのだろう。
読者は最後の別巻をまたないと、作品の詳細を知ることができない。
これまでつげ義春の作品に対する考えをつづったインタビューやエッセイは、いろいろな形で発表されている。
今回、それを超える情報が出てくるのか? それともこれまでの集大成的な内容になるのか?
そのあたりは楽しみだが、このあたりも現段階の仕事をみると期待できなくなってしまうのが心情だ。
これがムック本レベルの簡易的な全集であるなら理解できるが、「大全」と銘打ちこの価格で刊行するのであれば、それに相応するデザインと内容でなければ納得がいかない。
水木しげる全集が、例え水木しげるを追悼する形で総力をあげたものだったとしても、書籍を編纂するあまりある愛情を感じる仕上がりなのに対して、これではあまりにもやっつけ仕事すぎて閉口してしまう。
全巻予約をしたけれど、この内容でこの価格であれば、今後の予約を検討しなければならないと逡巡してしまうのだ。
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