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◇鬼怒川水害のお見舞いを申し上げます。2015年09月15日 04時07分56秒

十数年前、茨城県つくば市に住んでいたときのこと。
自治体のパソコン技能推進事業の講師を請け負い、水海道市で講習会を行った。
生徒さんは30人弱ほどで、このときの授業は非常に楽しく、数回の講義の後、生徒さんからも楽しく授業を受けられたと手紙をくださった方もいらした。
私が楽しく授業をすることができたのが、生徒さんも同じ気持ちで受講していたことを知りとても嬉しかったので、このときのことは今でも時折思い出す。

水海道市はその後、自治体の統合によってその名を失い、現在は常総市という名前になっている。
今回の水害のニュースで、最初は常総市がどこにあるのかわからず、地図で確認してびっくりした次第だ。
つくば周辺には、すでに疎遠になった人もいるけれど、それでも知人が多く暮らしている。
水海道のパソコン教室の生徒さんとはあれきりのお付き合いだったが、それでも災害があったと知れば、みなさんご無事だろうかとあの時の教室の様子が目に浮かぶ。

鬼怒川の水害で被災された方が、一日も早く生活を取り戻せますよう、お祈り申し上げます。

追記:
この十年ほとんど交流のなかった遠方の知人の方から、つくば市は大丈夫だったか、水害地域が近いから心配したと電話をいただいた。
後で笑い話になったものの、長く交流がなくともこうして心配してくださる方がいらっしゃるのは、とてもありがたいことだ。
それでも、すでにつくば市にいない私たちのために無駄なご心配をおかけするのは心苦しいので、改めてすでにつくば市から転居しており、ご心配にはおよばないことをご報告いたします。

◇筑波山で龍に再び会う2009年11月24日 23時56分40秒


筑波山ロープウェイ入り口

三年ぶりに、筑波山に紅葉狩りに行った。同行したのは、前回と同じ友人Hさん。
「前に来たのはいつだったっけ、二月だったっけ」と時期を失念していたが、ブログの書き込みを調べたらちょうど三年前だった。

三年前に来た時は、紅葉はまだちょっと早いかなという感じだったのだが、今回は二週間ほど遅いせいか、筑波山の紅葉は見ごろだった。
神社前の参道や、ケーブルカーの駅に向かうハイキングコースの入り口など、緑から黄色、オレンジ、赤にうつろうグラーデーションが見事。
これでお天気が良いともっと美しいだろうけれど、今日は生憎の曇天模様。

筑波山もみじ
左上:参道 右上:すいかの像前
左下:ハイキングコース入り口 右下:アップ


ケーブルカーの駅に到着すると前の便が行ったばかりなので、ソフトクリームを食べながら待つことに。
筑波山神社のロープウエー駅のソフトクリームは、栗と柿とバニラの三種。柿と栗を迷うが、栗にする。
モンブランのようで美味。

ロープウエーで山頂に行く。
三年前はちらっとした見えなかったもみじが、ロープウエーに沿った形で美しい紅葉を楽しませてくれる。
神社の前で「山頂よりも下の方が綺麗だわね」というハイカーの声を聞いたが、ロープウエーに乗っている間は十分にもみじを楽しむことができる。
人もそれほど混んでいないので、快適だ。

頂上に到着し、お約束の回転展望台に上って、山からの全景を眺める。
微妙に床が回転していて気持ちが悪いのだが、ここからが一番山肌などを眺めることができる。
筑波山の筑波側と反対側の山肌は、山頂付近はすでに冬の様相を呈しており、裏側は陽が当たらないせいか紅葉の気配さえない。つくば・土浦側の陽の当たる側は裾野が紅葉でとても綺麗だ。
多少霞はかかっているが、霞ヶ浦や牛久沼まではっきりと見ることができた。

三年前にここに来た時、山肌を龍の形をした雲が滑り降りていった(◇筑波山で龍に会う 2006年11月9日参照)。
今年も龍に会えるだろうかと期待して行ったら、それらしき雲が筑波山上空を泳ぎながら消えていく。

筑波山で見た龍雲

こじつけといわれればそうだろうけれど、私はなんとなく今回も龍が姿を現してくれたのではないかと、嬉しくなったのだった。(下の縮小した赤枠内の写真の赤い線が、龍に見える箇所。遠くに見えるのは霞ヶ浦)
龍は、三年前とは反対に上空を飛んで、山の上で周囲の雲にまぎれていった。

一度ならず二度までも、同じ場所で竜神様に遭遇したと思える体験をしたことは、本当にありがたい。
次にここにくるまで、私達を守ってくださいますように。

龍雲が去った後には、雨雲が後ろに控えていたので、最終の一本前のケーブルカーで下山した。
暖かい日と寒い日が混合しているせいか、道端にはすでにつつじが咲いていたり、梅が咲いていたりしたかと思えば、さざんかが満開だったりと季節がぐるぐるになっているような光景を目にする。

山を降りて、筑波大学近くの昔よく通った韓国料理屋「高麗」で腹ごなしをして、つくばを後にした。
有明をすぎる頃には、西からやってきた雨と遭遇し、神奈川に入る頃にはすっかり雨になってしまった。
久しぶりのつくばは、一部はすでに私の知らない町と化していたけど、変わらない場所もあったりと、年月の移り変わりを感じてしまう。
それでも、また龍に会いに筑波山に行きたいと思ってしまう。

◇筑波山で龍に会う2006年11月09日 02時33分40秒

筑波おろしの龍?

先週、久しぶりにつくばに行って来た。

私の主たる目的は野菜と納豆と醤油の買い出しだったが、同行した友人はつくばが初めてとのことで、ハイキングコースにもなっている筑波山に是非登りたいと言う。しかし、ジャズダンスやエアロビクスで常日頃身体を鍛えているフィジカル系の彼女につき合う体力はないので、ロープウェーで展望台まで行ってそこから山頂まで登ることで勘弁してほしいと頼んだ。

つくばについて、老舗のフレンチレストラン「かきのき亭」で地元の素材を味わい、野菜の買い出しなどを堪能しているうちに筑波山についた頃は陽が傾きはじめていた。山頂まで登るとロープウェーの下りの最終に間に合わない。とりあえず展望台までは行こうということになり、ロープウェーの駅に向かった。友人は残念そうだったが、私は片道2時間強の運転の後だったこともあり、正直胸をなでおろした。

ロープウェーから見た途中の樹々はまだ紅葉前といった感じ。一部かえでなどは赤くなっていたが、まだまだピークは先だろうか。
筑波山は双子山で女体山と男体山が並んでいる。展望台は女体山にあり、男体山にはそこから歩いて行くのだが、今回は時間がないので断念。
展望台からの景色は、晴れた日には関東平野が一望でき、霞ヶ浦まで一望できるのだが、この日は晴れているにもかかわらずあいにく雲がかかってよく見えない。霞ヶ浦さえどこにあるのかわからない程だった。それでも、男体山の山頂から登山道に沿って雲がせまってくるのは圧巻だった。

コマ式のくるくる回る展望塔に登って景色を見ていたら、男体山の山肌から雲が麓に向って流れて行く。この雲が龍の頭のような形をしているのだ。
これを見てすぐに「筑波おろし」という言葉が頭にうかんできた。

つくばや土浦などの筑波山麓の町では、筑波山から降りてくる風を「筑波おろし」と呼ぶ。天候の変わりやすいこの土地で、筑波山から降りてくる風はなかなか強烈なのだ。
江戸時代、筑波や水戸は江戸からは鬼門にあたるため、徳川幕府は筑波山からくる龍を鎮めるために筑波山神社の信仰を欠かさなかったという話を以前聞いたことがある。そのため、徳川幕府では鬼門である水戸からは将軍を出さないようにしていたらしい。15代将軍は水戸から初めて出たが、結局水戸から出た将軍で徳川幕府は終わりを迎えたのだ。

筑波山は昔からの霊山なので、霊山で龍を見るというのは何か意味があるのかもしれない。この雲が「筑波おろしの龍」だとしたら災いの元になる可能性もあるはずだが、雲は不思議と筑波山神社の上あたりで消滅してしまった。
不思議をこじつけたらきりがない。
それでも、なんとなく昔聞いた「筑波おろし」の話を思い出さずにはいられなかった。

◇waiwai2006年06月03日 05時26分57秒

上京して最初に生活したのは、JR総武線の下総中山だった。
駅前に鬼子母神信仰の総本山があり、東京へのアクセスがいい場所とはいっても、1986年当時はものすごく田舎感にあふれた町だった。

駅前の商店街を抜けて10分ほど歩いたところに、店の前に植物がうっそうと生い茂り、一見そこが何の建物なのかわからない飲み屋があった。
近くにはデザインの専門学校の学生寮などがあったが、私がそこに住んでいた当時は、そこの学生をその店で見かけることは稀で、近所の人や地元の出身者が足を運ぶ店だった。
客の職業はまちまちで、カメラマン、美容師、ミュージシャンの卵、ディスコの黒服、土方の人など、おおよそ共通点などないような人たちだったが、常連客はみなマスターの人柄にほれて集っているようだった。

ここの目玉は、マスターの作る焼きそばだ。
直径20cmはある木の皿に大盛りに作ってくれる。
この焼きそばを食べたら、お腹いっぱいで酒など飲めなくなるのではないかといつも思った。

ネットで調べたら、2002年にはまだ健在だった様子だが、今でもあるのかは不明。



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