◇元気です ― 2009年08月04日 04時05分31秒
友人から電話がかかってきたのに、留守をしていたので留守電にメッセージが入っていた。夜までそのことに気づかずにいたので、次の日電話を折り返すと、「無事だったのね~ よかった」と安堵の声。
なんのことかと思ったら、ブログが滞っているし、いつも家にいるのに電話に出ないので、病気かと思ったらしかった。
ブログが滞っているのは、書きたいことはいっぱいあるのに、時間と心の余裕がない。
つくづく、仕事中とオフのときのバランスの悪い私…。
仕事が入ると、他のことがどうでもよくなっちゃうのだ。仕事人としてはいいけど、家庭人としては最低だな。
ということで、私のことをご存知の方々。
ブログは滞っていますが、私は元気です。
仕事終わったら、またぼちぼち更新しますんで、飽きずに見に来てくださいませ。
なんのことかと思ったら、ブログが滞っているし、いつも家にいるのに電話に出ないので、病気かと思ったらしかった。
ブログが滞っているのは、書きたいことはいっぱいあるのに、時間と心の余裕がない。
つくづく、仕事中とオフのときのバランスの悪い私…。
仕事が入ると、他のことがどうでもよくなっちゃうのだ。仕事人としてはいいけど、家庭人としては最低だな。
ということで、私のことをご存知の方々。
ブログは滞っていますが、私は元気です。
仕事終わったら、またぼちぼち更新しますんで、飽きずに見に来てくださいませ。
◇冷夏 ― 2009年08月07日 00時05分42秒
去年の夏は暑かったので、非常に寝苦しく、朝いつのまにか冷房のある居間で寝ているということもしばしば。変な寝方をしていたので、秋口にひざが痛くなって、冬までしんどかった。
今年はそういうことないようにと、梅雨くらいに「涼しいシーツ」とか「冷感シーツ」みたいなものを物色していたけど、後になってあまり効果がないことが判明(つーか、ちょっと考えれば判るんだけど)。買わなくてよかったと安堵する。
それにしても、今年はいつまでも湿度だけが重いのに、気温はあまり高くない。梅雨のはじめや春先の方が暑かったかもしれない。
テレビの旅番組で、北海道千歳空港に降り立ったリポーターが、「涼しくない。乾いてない」と言っていた。
そういえば、冬は内地で降るような重い雪が降っていた北海道。とうとう温暖化は北海道に梅雨をもたらすのか?
そうなると、関東は亜熱帯化するのだろうか。
なかなかすっきりしない空の下、道路向こうのマンションの塀に、10cmはあるでんでん虫を発見。こんなの初めて見た。
これも生態系が変わっているということなのかしら。
年取ったら、涼しい北海道に移住しようか、それとも暖かいところに移住しようかと色々考えるけど、その頃には北海道は今のこの辺りと変わらない気候になっていたりして。
今年はそういうことないようにと、梅雨くらいに「涼しいシーツ」とか「冷感シーツ」みたいなものを物色していたけど、後になってあまり効果がないことが判明(つーか、ちょっと考えれば判るんだけど)。買わなくてよかったと安堵する。
それにしても、今年はいつまでも湿度だけが重いのに、気温はあまり高くない。梅雨のはじめや春先の方が暑かったかもしれない。
テレビの旅番組で、北海道千歳空港に降り立ったリポーターが、「涼しくない。乾いてない」と言っていた。
そういえば、冬は内地で降るような重い雪が降っていた北海道。とうとう温暖化は北海道に梅雨をもたらすのか?
そうなると、関東は亜熱帯化するのだろうか。
なかなかすっきりしない空の下、道路向こうのマンションの塀に、10cmはあるでんでん虫を発見。こんなの初めて見た。
これも生態系が変わっているということなのかしら。
年取ったら、涼しい北海道に移住しようか、それとも暖かいところに移住しようかと色々考えるけど、その頃には北海道は今のこの辺りと変わらない気候になっていたりして。
◇再会 陳光海(トラン・カン・ハイ)さん ― 2009年08月10日 03時11分08秒

↑旦那があげた極小口琴を演奏する、トラン・カン・ハイさん
ここのところ、外に出るのがおっくうだったが、旦那が「トラン・カン・ハイさんが高円寺の円盤でライブする」というので、重い腰を上げることにした。
ハイさんは、前回2004年に来日している。前の来日のときには、当日具合が悪くなって行けず、今回が約10年ぶりの再会になるはずだ(しかし、周囲は2004年に会っているというのだが、私にはその記憶がなかったりする)。
前の1999年に会ったときは、私は口琴のことはまだよく知らず、楽器店で“ボルネオの口琴”として売られていたと、その時持っていた口琴をハイさんに見せると、初対面でいきなりその口琴を手に取り、速攻で演奏して見せてくれた。そして、その口琴は日本人が作っていること。スタイルはフィリピンのものであることなどを、教えてくれたのだ。
しかし、あれから10年経っている。よもや、私のことなど覚えていないだろうと思っていた。
しかし、円盤に入るなりハイさんは私に近寄ってきて、握手とハグとほほにキスをしてくれ、再会を喜んでくれたのだった。とてもびっくりすると共に、覚えてくれていたことに感動してしまった。
ハイさんの演奏スタイルは、ホーミー、口琴、スプーンである。ホーミーもモンゴルスタイルではあっても、倍音部の音階を自在に変えられるという技は、当然ながら10年前より磨きがかかっていたし、スプーンも超絶技法と言えるほどのスピードと技で、会場は大喜びだった。
口琴は、サハの口琴の音の出方について説明をしていたようだったが、あまり英語がわからないので、実際どうなのかは不明。
それでも、ハイさんのフレンドリーな人柄があらわれた、アットホームなライブで、重い腰を上げてよかったと思った。
2004年のときのライブのキャッチコピーは、「東京振動」。演奏の途中に、実際に関東地方に震度4の地震が起きて、見ている人は一時騒然となっていたが、ハイさんはそんなことにはまるで気づかない様子で、説明を続けていた。
この日は、数年前にトゥバに行ったきりになっていたAさんが来ていて、「9月にまた行きます」と話していた。向こうでの生活は快適らしいが、数年に一度ビザの関係で帰国しなければいけないのが、なかなか大変らしい。
トゥバに行く前より多少ふっくらとした印象だったが、元がほそっこかったので、ちょうどいい大人の女性の雰囲気。休憩時間に声をかけてくれ、色々と話を聞かせてもらった。
帰りに、ハイさんとAさんと、それぞれに再会を約束して帰路についたが、久々に早く帰ってしまうのがもったいない夜だった。
ここのところ、外に出るのがおっくうだったが、旦那が「トラン・カン・ハイさんが高円寺の円盤でライブする」というので、重い腰を上げることにした。
ハイさんは、前回2004年に来日している。前の来日のときには、当日具合が悪くなって行けず、今回が約10年ぶりの再会になるはずだ(しかし、周囲は2004年に会っているというのだが、私にはその記憶がなかったりする)。
前の1999年に会ったときは、私は口琴のことはまだよく知らず、楽器店で“ボルネオの口琴”として売られていたと、その時持っていた口琴をハイさんに見せると、初対面でいきなりその口琴を手に取り、速攻で演奏して見せてくれた。そして、その口琴は日本人が作っていること。スタイルはフィリピンのものであることなどを、教えてくれたのだ。
しかし、あれから10年経っている。よもや、私のことなど覚えていないだろうと思っていた。
しかし、円盤に入るなりハイさんは私に近寄ってきて、握手とハグとほほにキスをしてくれ、再会を喜んでくれたのだった。とてもびっくりすると共に、覚えてくれていたことに感動してしまった。
ハイさんの演奏スタイルは、ホーミー、口琴、スプーンである。ホーミーもモンゴルスタイルではあっても、倍音部の音階を自在に変えられるという技は、当然ながら10年前より磨きがかかっていたし、スプーンも超絶技法と言えるほどのスピードと技で、会場は大喜びだった。
口琴は、サハの口琴の音の出方について説明をしていたようだったが、あまり英語がわからないので、実際どうなのかは不明。
それでも、ハイさんのフレンドリーな人柄があらわれた、アットホームなライブで、重い腰を上げてよかったと思った。
2004年のときのライブのキャッチコピーは、「東京振動」。演奏の途中に、実際に関東地方に震度4の地震が起きて、見ている人は一時騒然となっていたが、ハイさんはそんなことにはまるで気づかない様子で、説明を続けていた。
この日は、数年前にトゥバに行ったきりになっていたAさんが来ていて、「9月にまた行きます」と話していた。向こうでの生活は快適らしいが、数年に一度ビザの関係で帰国しなければいけないのが、なかなか大変らしい。
トゥバに行く前より多少ふっくらとした印象だったが、元がほそっこかったので、ちょうどいい大人の女性の雰囲気。休憩時間に声をかけてくれ、色々と話を聞かせてもらった。
帰りに、ハイさんとAさんと、それぞれに再会を約束して帰路についたが、久々に早く帰ってしまうのがもったいない夜だった。
◇お詫び ― 2009年08月11日 03時59分23秒
コメントくださった方々へ
サーバー操作のミスで、昨日投稿していただいたコメントが消失してしまいました。
せっかくコメントいただいたのに、ごめんなさい。
これに懲りず、また遊びにきてください。
サーバー操作のミスで、昨日投稿していただいたコメントが消失してしまいました。
せっかくコメントいただいたのに、ごめんなさい。
これに懲りず、また遊びにきてください。
◇横浜開港博に行く ― 2009年08月11日 21時41分32秒

↑横浜開港博ワールド・グルメ・レストランのY-150プレート
ドイツ在住のE夫妻が帰省されたので、横浜開港博に行くことに。
日曜日の時点での天気予報は、月曜日が雨で火曜日が晴れだったので、「火曜日に行きましょう」と約束した今日は、朝から大きな地震があって、しかも台風も近づいてきている。
これはお天気だめかもしれない、と思っていたが約束の12時半頃までは曇り空。電車はダイヤが乱れていて、なんとなく人通りが少ない感じ。
お昼を食べるのに、赤レンガ倉庫街に行き、ワールド・グルメ・レストランに行く。レストランの前には、各国のおみやげ物が売られているが、なんだかへぼいお祭り会場に来たみたい。
ワールド・グルメ・レストランも、町内会のお祭り会場に毛の生えた感じ。
時間は午後1時と、まだまだ昼時というのに、人影はまばらで閑散とした雰囲気。メニューも、夏フェスの屋台のほうがまだマシといった雰囲気。
それでもいろいろ食べたかったので、夫婦でY-150プレートというのを一つづつ注文する。
イギリスのフィッシュ&チップス、アメリカのホットドック、オランダのチーズ、ロシアのピロシキ、日本の黒船カレーが一つのプレートにのって1500円。
しかし、ホットドックもピロシキも冷凍物だったし、ポテトは冷めて固く、チーズにいたっては、給食のチーズのほうがまだましという感じで、うすっぺらいのが皿にへっぱりついている。
横浜開港博と銘打って、色々な国の文化を紹介しているとはいえ、これはちょっとひどすぎるかなと思ったり、がっかりしたり。
外に出ると、風は強いものの天気はだんだん回復してきている。
大桟橋を先っぽまで歩いて、中華街ローズホテルのビュッフェで一休み。ぐるっと買い物をして歩き、関帝廟でおまいりをして、おかゆの謝甜記弐号店で早めの夕食を取る。
中華街も大桟橋も、あまりの人の少なさにびっくりした。
ちょっと前に来たときは、老舗の小さなお店が狭い路地に追いやられた雰囲気だったが、それでも細々と営業しているのを見て、がんばってほしいと心の中で懇願してしまう。
これも、台風と地震の影響なのか、それとも開港博自体に人気がないのか…。これじゃあ、有料ブースに行きたいとは誰も思わないだろうなあ。
中華街も、日本人に迎合した店ばかりが派手に営業していて、中国の異国情緒が薄れてきている。外側ばかりでなく、内容もきちんと食文化として残ってほしいのだが。
それでもE夫妻も私たちも、あちこち歩き、たくさん話してとても楽しい時間をすごすことができた。天気が悪くなると覚悟して歩いていたけど、結局雨の降らず、猛暑になることもなく、適度に涼しい横浜の一日であった。
ドイツ在住のE夫妻が帰省されたので、横浜開港博に行くことに。
日曜日の時点での天気予報は、月曜日が雨で火曜日が晴れだったので、「火曜日に行きましょう」と約束した今日は、朝から大きな地震があって、しかも台風も近づいてきている。
これはお天気だめかもしれない、と思っていたが約束の12時半頃までは曇り空。電車はダイヤが乱れていて、なんとなく人通りが少ない感じ。
お昼を食べるのに、赤レンガ倉庫街に行き、ワールド・グルメ・レストランに行く。レストランの前には、各国のおみやげ物が売られているが、なんだかへぼいお祭り会場に来たみたい。
ワールド・グルメ・レストランも、町内会のお祭り会場に毛の生えた感じ。
時間は午後1時と、まだまだ昼時というのに、人影はまばらで閑散とした雰囲気。メニューも、夏フェスの屋台のほうがまだマシといった雰囲気。
それでもいろいろ食べたかったので、夫婦でY-150プレートというのを一つづつ注文する。
イギリスのフィッシュ&チップス、アメリカのホットドック、オランダのチーズ、ロシアのピロシキ、日本の黒船カレーが一つのプレートにのって1500円。
しかし、ホットドックもピロシキも冷凍物だったし、ポテトは冷めて固く、チーズにいたっては、給食のチーズのほうがまだましという感じで、うすっぺらいのが皿にへっぱりついている。
横浜開港博と銘打って、色々な国の文化を紹介しているとはいえ、これはちょっとひどすぎるかなと思ったり、がっかりしたり。
外に出ると、風は強いものの天気はだんだん回復してきている。
大桟橋を先っぽまで歩いて、中華街ローズホテルのビュッフェで一休み。ぐるっと買い物をして歩き、関帝廟でおまいりをして、おかゆの謝甜記弐号店で早めの夕食を取る。
中華街も大桟橋も、あまりの人の少なさにびっくりした。
ちょっと前に来たときは、老舗の小さなお店が狭い路地に追いやられた雰囲気だったが、それでも細々と営業しているのを見て、がんばってほしいと心の中で懇願してしまう。
これも、台風と地震の影響なのか、それとも開港博自体に人気がないのか…。これじゃあ、有料ブースに行きたいとは誰も思わないだろうなあ。
中華街も、日本人に迎合した店ばかりが派手に営業していて、中国の異国情緒が薄れてきている。外側ばかりでなく、内容もきちんと食文化として残ってほしいのだが。
それでもE夫妻も私たちも、あちこち歩き、たくさん話してとても楽しい時間をすごすことができた。天気が悪くなると覚悟して歩いていたけど、結局雨の降らず、猛暑になることもなく、適度に涼しい横浜の一日であった。
◇横浜の夕暮れ ― 2009年08月13日 03時20分53秒

ここ最近、横浜に行く用事が多い。
開港博も横浜市民でなければ関心も薄く、結局いつもの赤レンガ倉庫から大桟橋、山下公園を抜けて、中華街というのがお決まりになってしまっている。
最近は、クイーンズコートのあたりに、日本丸の博物館ができ、昔の横浜の歴史などを知ることができるのは、なかなか楽しかったりする。
この風景は旦那が撮影した、大桟橋から見た夕暮れのみなとみらい。
お天気のいい日にはっきり見えるランドマークタワーや、夜景のみなとみらいもいいけど、夏の夕暮れもとても美しい。
ロシア語教室に行かなくなって、とんとご無沙汰していた横浜だけど、イベントついでにぶらぶらしに来るのもいいかもと思ったりする。
◇禁煙250日突破と喫煙者減少のニュース ― 2009年08月14日 23時19分46秒
今年の人間ドックでの問診で、「禁煙に踏み切ったのはえらい」と医師にほめられた。
その時点で、禁煙の期間は半年くらいだった。
自分では、まだまだこれから落とし穴があるように思っているのだが、医師は「半年ももてば大丈夫」と言っていた。
いやいや、油断はならない。
三年禁煙して、あっさり喫煙者に戻った人を、私は知っている。
神奈川県は、喫煙防止条例に伴い、現在様々な調査が行われているらしい。
よく行く飲食店などでは、夜は飲み屋も兼ねるので困るというところも少なくない。
それ以前に、神奈川は本当にタバコのマナーが悪いと思う。
分煙されていないレストランで、よその子供が隣にいようが、平気でタバコを吸う人は、実は子連れファミリーだったりするというのも、めずらしいことではない。
歩きタバコや、自転車やバイクに乗りながらのタバコもよく見かける。
喫煙禁止区域であろうがなかろうが、あまり気にしていない風でもある。
もちろん、喫煙者全員がそうではないのも知っているし、マナーを守って喫煙している人が、そうしたマナーを考えない喫煙者に迷惑していることも知っている。
喫煙者だったときにも、マナーを守らない人のためにどんどんとタバコを吸う区域と、肩身が狭くなっていくのをひしひしと感じ、半ばあきれてもいたのだ。
8月14日の毎日.jp
http://mainichi.jp/select/today/news/20090815k0000m040013000c.html?link_id=RTH05
※上記リンク切れ(2010.02.10)
この記事によると、喫煙率は14年続けて減少傾向にあるらしい。増加傾向にあった女性の喫煙率も、3年ぶりに減少に転じたらしい。
私は、この減少1.0ポイントのうちの一人なのだ。
しかし、もっとおどろくべきはトルコの全面禁煙のニュースである。
http://mainichi.jp/select/world/news/20090718dde007030015000c.html
※上記リンク切れのため、下記のリンクを参照してください(2010.02.10)
海外新着情報 OTOA 社団法人日本海外ツアーオペレーター協会
http://www.otoa.com/news_detail.php?id=16160
水タバコを置いているバーやレストランも多くあり、世界中から集る観光客が多くいるイスタンブールのスルタンアフメット界隈では、トルコの人たちよりもヨーロッパのタバコ好きな人たちが、ここぞとばかりに喫煙を楽しんでいたのが印象的だったのだ。
トルコの人たち自身もタバコ好きな民族のようで、朝ホテルを出ると、道端のあちこちで、タバコをくゆらせながらのんびりと仕事の準備をする光景が見られた。
喫煙を「テロとの戦いと同じ」扱いで撲滅しようとするのは、非喫煙者にはありがたいことだ。しかし、喫煙天国が一転喫煙者には辛い町に変貌するのは、なかなか大変なことだろうと思ったりする。
喫煙率を減らすためには、これくらいやる必要があるのかもしれない。
日本で初めて、喫煙防止条例が施行される神奈川県も、商売に影響がある等々県民の顔色伺っているようじゃ、なかなか効果をあげるのは難しいかも。
まあ、それが日本のやり方なのかもしれないけど。
喫煙者を排除するのではなく、
5月31日のasahi.comの喫煙カフェのように
http://www.asahi.com/national/update/0531/TKY200905300259.html
※上記リンク切れのため、下記のリンクを参照してください(2010.02.10)
DAIAMOND Online
http://diamond.jp/series/brandnew/10191/
喫煙者と非喫煙者が、住み分けできれば一番いいと思う。
もちろん、喫煙者と非喫煙者が同じテーブルにつきたい場合もあるだろうけど、「喫煙者と非喫煙者は同じテーブルについて外食することはできない」が常識になれば、おのずとそこには新しいルールができてくると思うのだが…。
それとも、ルールができるくらいならとっくにできているか?
でも、これもやっぱりマナーとモラルの問題なのか。
その時点で、禁煙の期間は半年くらいだった。
自分では、まだまだこれから落とし穴があるように思っているのだが、医師は「半年ももてば大丈夫」と言っていた。
いやいや、油断はならない。
三年禁煙して、あっさり喫煙者に戻った人を、私は知っている。
神奈川県は、喫煙防止条例に伴い、現在様々な調査が行われているらしい。
よく行く飲食店などでは、夜は飲み屋も兼ねるので困るというところも少なくない。
それ以前に、神奈川は本当にタバコのマナーが悪いと思う。
分煙されていないレストランで、よその子供が隣にいようが、平気でタバコを吸う人は、実は子連れファミリーだったりするというのも、めずらしいことではない。
歩きタバコや、自転車やバイクに乗りながらのタバコもよく見かける。
喫煙禁止区域であろうがなかろうが、あまり気にしていない風でもある。
もちろん、喫煙者全員がそうではないのも知っているし、マナーを守って喫煙している人が、そうしたマナーを考えない喫煙者に迷惑していることも知っている。
喫煙者だったときにも、マナーを守らない人のためにどんどんとタバコを吸う区域と、肩身が狭くなっていくのをひしひしと感じ、半ばあきれてもいたのだ。
8月14日の毎日.jp
http://mainichi.jp/select/today/news/20090815k0000m040013000c.html?link_id=RTH05
※上記リンク切れ(2010.02.10)
この記事によると、喫煙率は14年続けて減少傾向にあるらしい。増加傾向にあった女性の喫煙率も、3年ぶりに減少に転じたらしい。
私は、この減少1.0ポイントのうちの一人なのだ。
しかし、もっとおどろくべきはトルコの全面禁煙のニュースである。
http://mainichi.jp/select/world/news/20090718dde007030015000c.html
※上記リンク切れのため、下記のリンクを参照してください(2010.02.10)
海外新着情報 OTOA 社団法人日本海外ツアーオペレーター協会
http://www.otoa.com/news_detail.php?id=16160
水タバコを置いているバーやレストランも多くあり、世界中から集る観光客が多くいるイスタンブールのスルタンアフメット界隈では、トルコの人たちよりもヨーロッパのタバコ好きな人たちが、ここぞとばかりに喫煙を楽しんでいたのが印象的だったのだ。
トルコの人たち自身もタバコ好きな民族のようで、朝ホテルを出ると、道端のあちこちで、タバコをくゆらせながらのんびりと仕事の準備をする光景が見られた。
喫煙を「テロとの戦いと同じ」扱いで撲滅しようとするのは、非喫煙者にはありがたいことだ。しかし、喫煙天国が一転喫煙者には辛い町に変貌するのは、なかなか大変なことだろうと思ったりする。
喫煙率を減らすためには、これくらいやる必要があるのかもしれない。
日本で初めて、喫煙防止条例が施行される神奈川県も、商売に影響がある等々県民の顔色伺っているようじゃ、なかなか効果をあげるのは難しいかも。
まあ、それが日本のやり方なのかもしれないけど。
喫煙者を排除するのではなく、
5月31日のasahi.comの喫煙カフェのように
http://www.asahi.com/national/update/0531/TKY200905300259.html
※上記リンク切れのため、下記のリンクを参照してください(2010.02.10)
DAIAMOND Online
http://diamond.jp/series/brandnew/10191/
喫煙者と非喫煙者が、住み分けできれば一番いいと思う。
もちろん、喫煙者と非喫煙者が同じテーブルにつきたい場合もあるだろうけど、「喫煙者と非喫煙者は同じテーブルについて外食することはできない」が常識になれば、おのずとそこには新しいルールができてくると思うのだが…。
それとも、ルールができるくらいならとっくにできているか?
でも、これもやっぱりマナーとモラルの問題なのか。
◇お盆の思い出 ― 2009年08月17日 03時09分33秒

近所の川で灯篭流しがあることを、今年初めて知った。
このあたりでは、お盆の13日には家の前で迎え火を焚き、16日にも送り火を焚く習慣がまだ根強くあるらしく、スーパーでも7月と8月の新旧のお盆の時期には、お盆グッズが売られている。
灯篭流しも、一時期河川の汚染につながると禁止される地区も少なくなかったようだが、流した後の灯篭を回収するということで、あちこちの川で夏祭りの一環として催されているところも多いらしい。
このあたりでは、きゅうりやなすの馬も作って、玄関先に飾っているのを見たりもするが、北海道の少なくとも私の周囲では、そういう風習を見かけたことはなかった。
きゅうりやなすの馬をお盆の時期に作るという話は、知識として知ってはいたものの、実際に見たのは関東に来てからだと思う。
北海道育ちの私は、お盆というと、小学校の校庭で盆踊りが催され、浴衣で参加したということか。あとは花火大会。
送り火などをするかどうかは、自宅に仏様がいるかどうかで違っていたのかもしれない。
自宅に仏壇のなかった我が家では、特に迎え火をしたりということはせず、父の実家に親戚一同集り、お経をあげて宴会をするというのが毎年の催しだった。
一度だけ、お盆に親戚が集る前に父の実家に行き、13日に畑の端にある先祖のお墓へ続く細い道へ、ちょうちんを下げて歩いた記憶がある。
街灯もない山の中の真の闇はとことん暗い。
目が慣れてくるにしたがって鮮明になる、畑の奥へ続く山の暗闇を、本当に本当に怖いと思った。
昔は、お盆に水に入ってはいけないと、プールや海や川に行くことを禁じられた。お盆は地獄の釜の蓋が開くので、水に入ると引っ張られると言われた。
なので、お盆帰省のニュースで、田舎で何をして遊んだかというインタビューに、子供が「川遊びをして楽しかった」とか、「海で遊んだ」などと答えると、ものすごく違和感を感じる。
16日の灯篭流しは、先祖の霊をお送りする送り火の役割を果たすのだろう。水の中にあるというあの世へ続く道へ、ご先祖様をお送りするという意味があるのだろうか。
私の生まれたところでは馴染みのない灯篭流しだけど、川に流れる光はお盆を感じさせるのに十分な美しさであった。
◇くめ納豆 事業譲渡のニュース ― 2009年08月22日 02時41分07秒
つくばに越して1年経った頃、とある研究所で働いていたときのことだ。
昼食時の話題に、納豆が取り上げられることが多くて驚いた。
「どこどこのメーカーの納豆は美味しい」とか、「どこどこのメーカーの新しい納豆を食べた?」など、普通にグルメ情報交換の話題なのだが、それが納豆に限定されているのだ。
その時のメンバーの一押しは、くめ納豆の「丹精」。これは満場一致だった。
それまでは、納豆のメーカーやブランドなど特に気にして購入したことはなく、その時安くて馴染みのあるものを購入していたのだが、この話題で納豆がそのメーカーやブランドで大きく味が違うことを知ったのだった。
その中でも、くめ納豆は地元茨城の企業で、とくに丹精は茨城産の小粒の大豆を用いて作った、いわばこだわりの一品。そのことは、くめ納豆のHPの「丹精」のコーナーを見ると、その力の入れようが判る。
くめ納豆 丹精HP
http://www.tansei-710.com/
価格は他の納豆よりも高めだが、豆の味が濃く納豆臭が少なく食べやすい。同じくめ納豆の「金印」や「味道楽」も、丹精ほどではないが大豆の味が濃く感じられる。
もちろん、小さなメーカーでよりこだわって作っている納豆と比較すれば、丹精だって「やっぱり大量生産で流通にのったものだから」と思ってしまう。でも、小さなメーカーが近くにあって、いつでもほしいときに納得の価格で購入できるのであれば別だが、それはなかなか難しい相談だ。
一度、スーパーの納豆コーナーで、くめ納豆以外のメーカーの納豆が試食販売されていた(納豆の店頭試食販売があるということだけでも、いかにも茨城だと思う。東京や神奈川では一度も見たことがない)。
試食の店員さんをスルーして、丹精に手を伸ばしたところ、その店員さんは「その納豆にはかなわないよ。それは本当に美味しい」と、自分が販売している納豆そっちのけで丹精を絶賛したのを聞いて、びっくりしてしまった。
地元の人たちの評判に違わない味に、我が家ではすっかりくめ納豆のファンになってしまった。
つくばを離れても、近所のスーパーで丹精を探して買っている。しかし、つくばにいたときほど、どこのスーパーにもおいてあるということではないようだ。
神奈川の鎌倉山納豆や、おかめ納豆のタカノフーズなども試してみた。しかし、最近では付属の納豆のタレを使わず醤油で食べるようになったせいか、より味がはっきりしてしまい、結局丹精に戻ってしまう。
一度「これ」と思ってしまったら、やはりなかなか変えられない。特に納豆のようにいつも近くにある食材ならば、なおさらのことである。
しかし、2009年8月2日付けの茨城新聞に、
「くめ納豆、事業譲渡へ 複数メーカーと交渉 業績低迷」
http://www.ibaraki-np.co.jp/47news/20090802_02.htm
という記事が掲載されていることを、丹精ファンの友人が教えてくれた。
茨城を離れ、探さないと丹精を食べることができない上に、会社自体がなくなってしまうというのはあまりにも悲しい。
くめ納豆のHPのプレスリリースにはまだ何も発表はされていないが、地元の新聞の1面記事になっているのだから、正式に方向性が見えた時点でなんらかの発表があるのだろう。
できることなら、いつも手軽に食べられる納豆だからこそこだわってきたという、くめ納豆の精神をも受け継いでくれる企業に後を継いでもらいたい。
できれば、これまで食べなれた商品を失くさない努力をしてほしいと、願わずにいられない。
くめ納豆HP
http://www.kume-natto.com/
昼食時の話題に、納豆が取り上げられることが多くて驚いた。
「どこどこのメーカーの納豆は美味しい」とか、「どこどこのメーカーの新しい納豆を食べた?」など、普通にグルメ情報交換の話題なのだが、それが納豆に限定されているのだ。
その時のメンバーの一押しは、くめ納豆の「丹精」。これは満場一致だった。
それまでは、納豆のメーカーやブランドなど特に気にして購入したことはなく、その時安くて馴染みのあるものを購入していたのだが、この話題で納豆がそのメーカーやブランドで大きく味が違うことを知ったのだった。
その中でも、くめ納豆は地元茨城の企業で、とくに丹精は茨城産の小粒の大豆を用いて作った、いわばこだわりの一品。そのことは、くめ納豆のHPの「丹精」のコーナーを見ると、その力の入れようが判る。
くめ納豆 丹精HP
http://www.tansei-710.com/
価格は他の納豆よりも高めだが、豆の味が濃く納豆臭が少なく食べやすい。同じくめ納豆の「金印」や「味道楽」も、丹精ほどではないが大豆の味が濃く感じられる。
もちろん、小さなメーカーでよりこだわって作っている納豆と比較すれば、丹精だって「やっぱり大量生産で流通にのったものだから」と思ってしまう。でも、小さなメーカーが近くにあって、いつでもほしいときに納得の価格で購入できるのであれば別だが、それはなかなか難しい相談だ。
一度、スーパーの納豆コーナーで、くめ納豆以外のメーカーの納豆が試食販売されていた(納豆の店頭試食販売があるということだけでも、いかにも茨城だと思う。東京や神奈川では一度も見たことがない)。
試食の店員さんをスルーして、丹精に手を伸ばしたところ、その店員さんは「その納豆にはかなわないよ。それは本当に美味しい」と、自分が販売している納豆そっちのけで丹精を絶賛したのを聞いて、びっくりしてしまった。
地元の人たちの評判に違わない味に、我が家ではすっかりくめ納豆のファンになってしまった。
つくばを離れても、近所のスーパーで丹精を探して買っている。しかし、つくばにいたときほど、どこのスーパーにもおいてあるということではないようだ。
神奈川の鎌倉山納豆や、おかめ納豆のタカノフーズなども試してみた。しかし、最近では付属の納豆のタレを使わず醤油で食べるようになったせいか、より味がはっきりしてしまい、結局丹精に戻ってしまう。
一度「これ」と思ってしまったら、やはりなかなか変えられない。特に納豆のようにいつも近くにある食材ならば、なおさらのことである。
しかし、2009年8月2日付けの茨城新聞に、
「くめ納豆、事業譲渡へ 複数メーカーと交渉 業績低迷」
http://www.ibaraki-np.co.jp/47news/20090802_02.htm
という記事が掲載されていることを、丹精ファンの友人が教えてくれた。
茨城を離れ、探さないと丹精を食べることができない上に、会社自体がなくなってしまうというのはあまりにも悲しい。
くめ納豆のHPのプレスリリースにはまだ何も発表はされていないが、地元の新聞の1面記事になっているのだから、正式に方向性が見えた時点でなんらかの発表があるのだろう。
できることなら、いつも手軽に食べられる納豆だからこそこだわってきたという、くめ納豆の精神をも受け継いでくれる企業に後を継いでもらいたい。
できれば、これまで食べなれた商品を失くさない努力をしてほしいと、願わずにいられない。
くめ納豆HP
http://www.kume-natto.com/
◇鶏皮と砂肝の醤油煮:レシピ ― 2009年08月22日 03時35分00秒

今年の夏は、なぜか焼き鳥が食べたくてしょうがない。もともと内臓系はそれほど好きではないのだが、なぜかもつや皮が食べたくてたまらない。
鶏の油は漢方薬にもなり夏バテにはもってこいだというが、今年の人間ドックで、夫婦そろってコレステロールがひっかかったので、最近特に油の摂取をできるだけ控えていたのだ。
しかし、こんなに焼き鳥が食べたいというのは身体が欲しているのだろう。
外に食べに行くとビールが飲みたくなってしまうので、自分で野菜いためにしたりしていたのだが、ちょっと涼しくなってきたので煮物にしてみることにした。
鶏モツといっても、近所のスーパーでは砂肝とレバーくらいしかおいていない。レバーは煮ると臭みが強くなるので、鶏皮と砂肝を使った。
■材料
鶏皮、砂肝、鶏肉(なくてもいいし、ももでも胸でもいい)、長ネギ、しょうが
日本酒、醤油
■手順
1.鶏皮、鶏肉は一口大に切る。砂肝は2個つながっているのを切り離し、それぞれ切り込みを入れる。
2.長ネギは3cmくらいの長さに切る。しょうがは皮をよく洗って、皮のまま薄くスライスする。
3.適当な鍋を熱し、重ならないように鶏皮を入れる。最初は鍋底にくっつかないように注意し、油が出てきたらできるだけ動かさない。火加減は強めの弱火で、鶏皮が自分の油で揚げ物になるくらいじっくりと油を出す。こげないように注意。
4.鶏皮の表面がカリカリになったら、鶏皮だけを一度皿に取り出し、鍋にたまった油を半分以下に減らす。
※油は別な炒め物に使えるのでとっておくと便利。酸化しないように保管する。
5.取り出しておいた鶏皮、砂肝、鶏肉、しょうがを鍋に入れて中火でさっと炒める。
6.長ネギを鍋に入れ、油を吸わせるように炒める。
7.材料の半分~8分目くらいまで日本酒を入れ、強火で一度沸騰させてアルコールを飛ばした後、蓋をしないで弱火で1~2分煮込む。
8.醤油を回し入れる。分量はスープを味見してちょっと薄味かな程度に。
9.火をとめ、鍋に蓋をしてしばらく放置しておく(5分くらい)。
10.皿に盛り付けてできあがり。好みで七味唐辛子をちらしても美味。
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思いついて適当に作ったのが思いのほか美味しかったので、分量は記載していません。
このときは、鶏皮と砂肝はそれぞれ150g程度。鶏肉は胸を一枚(スーパーの1パック分)使いました。
水は使わず日本酒で作るのがポイントですが、使う鍋で日本酒も醤油も分量が変わってきます。
また7の煮込みは、鶏肉の部位で煮込み時間が変わります。胸肉の場合は、煮込みすぎると固くなります。9で味をしみこませるために鍋を放置しますが、このとき余熱で肉が煮えるので、7ではあまり煮なくても大丈夫です。
日本酒の代わりに水でもできますが、そのときは砂糖を少し加えると味が丸くなります。また日本酒の代わりに、焼酎を使ってもおいしくできます。このときは少し水を加えるとこげにくくなります。
ねぎにしみた鶏油の味が最高です。
ポイントは、鶏皮から出た油をねぎにしみこませたのを醤油で煮ることなので、鶏皮とねぎがあれば、ハツでもレバーでも好みの部位を一緒に煮ると、また違った味が楽しめます。ビールのお供にもよく合い、安くて簡単です。
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