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◇豆腐と相対性理論とウォーキング2007年05月01日 01時23分20秒

天気がよかったので、大山に行ってきた。
大山は大山阿夫利神社を拝する古くからの霊山で、大山阿夫利神社はお酒の神様を奉ってあり、水がおいしいことでも知られている。
独楽と豆腐も名物で、山頂へ行くケーブルカーの駅までの参道では、大山名物の独楽や、地元の特産品やお土産のほかに、豆腐を食べる食堂などが多く軒を並べている。

家を出発したのが遅かったので、大山阿夫利神社の下社まで行ってお参りし、ケーブルカーの下りの最終に乗って山を降りた。お楽しみの豆腐は帰りに食べようと思っていたのだが、ケーブルカーの最終時間になると、お店はどこも閉める準備をはじめてしまう。くいっぱぐれるのを危惧し、参道途中にある豆腐会席を楽しめる旅館で、ちょっと早い夕食をとることにした。

広間に通されると、そこには1組の家族連れと1組の50代くらいの夫婦らしい二人連れがこれから食事をとるところだったが、私たちが注文する頃には、夫婦らしい二人連れだけになっていた。
男性は豆腐が嫌いらしく、「豆腐は味がしない」などとでかい声で色々言っていて、豆腐を楽しみにしてこれから食事をしようとしているのに、なんて配慮のない男なのだと最初は思ったのだ。

そのうち、男性の方が相対性理論について論じ始めた。女性の方は物理的な知識はあまりないようだが、その話を適当に興味がある風に話を合わせている。男性の話はどんどんと熱をおびてきて、広間中に響くような大きな声で相対性理論とはなんぞやという話をしている。会席料理なので料理が次々と運ばれてくるが、そんなことはお構いなしに図を書きながら説明をしている。

相対性理論の話を始める前までは、その二人連れが夫婦なのかどうなのか怪しい内容で、「六本木あたりの○○ちゃんには、俺はもてた」とか、引き上げ湯葉の豆乳が薄くてなかなか湯葉ができない(そんなことは決してなく、濃厚な味の良い豆乳だった)などというような話をしていたのだ。それなのに、唐突になんの脈絡もなく「それじゃあ、相対性理論の話でもしようか」と前置きまでして話は始まった。
その男性は、私たちが食事をはじめてから終るまでの45分の間、30分は相対性理論について語っていた。彼らは私たちよりも先に食事を始めたはずなのに、私たちが席を立つ頃には相対性理論の話は一段落ついたのか、冷めてしまった煮物を男性が口にしていて、「そろそろ帰ろうか」などと言っていた。

大山は豆腐が有名であるので、大山で食事をしようとすると豆腐がらみのメニューになる。特に食事をした旅館は、豆腐会席しかメニューになく、他のメニューは予約制になっているので、入口のメニューには豆腐会席しか書かれていない。
豆腐が嫌いなのに、なぜそのようなところに入って豆腐料理に文句をいっていたのかというのも謎だが、豆腐を食べながらなぜ相対性理論についてとうとうと語らなければならないのかも不明である。
会話の内容も妙で、果たしてあの二人は夫婦なのか。それにしては、会話の内容が女性の方がわざわざ「旦那と結婚して私は幸せだったのよね」などと言ったりして、別に旦那と思える男性がいるかのようでもある。
不倫の食事の内容にしては、食事のときに図解してまで相対性理論…。
強制的にそれらの会話を聞かされている私たちの意識も、アンドロメダまでぶっとびそうなくらい理解不能だった。


その二人連れに先立って、人のいなくなった参道を降り、車のいなくなった駐車場に行くと、ピンクのエプロンをしたつっかけのおばさんと、サンダル履きのおじさん、中学生くらいの娘さんが三人で駐車場の内側のはしっこをくまなくぐるぐる歩いていた。
三人は夕餉の団欒でもしているかのように、明るく会話をしながら、娘さんはお父さんの肩に手をかけ、半分もたれかかるようにして歩いている。
ウォーキングにしては、つっかけ、サンダルというのも妙である。しかも、観光客のいなくなった参道は地元の人しかいないので、ウォーキングをするなら道を歩けばすむ話である。
その駐車場はすでに車が一台もなく、停まっていたのは私たちのバイクだけで、時間が過ぎたらバイクが通れる通路から出ていいと入庫のときに言われていたので、駐車場を監視していたというわけでもなさそうだ。
私たちがバイクの準備をしている間に、彼らは駐車場の内側を一周し、更にもくもくと一周するために私たちから遠ざかり、私たちが出発の準備が追えた頃には、三周目をもくもくと楽しそうに歩いていた。


この日はずいぶんとまた不思議な人たちに出会う日だと、なんとなく狐につままれでもしているかのような気分でバイクにまたがり、春のおぼろ月の昇った大山を後にした。

◇自動車試乗体験談4~ハイブリッドカー~2007年05月12日 06時36分48秒

車を選定するにあたって今までセダンは避けてきたのだが(でも、レクサスには乗ったが)、ハイブリッドカーには興味があったので、トヨタのプリウスとホンダのシビックを試乗してきた。

プリウスは、今回いろいろ試乗しまくっている中で、比較的早く試乗した車のひとつだ。
ハイブリッドカーならプリウスという印象が強く、ハイブリッドカーとしての性能もシビックよりも数段上という意見も多い。
以前一度試乗したときは、プリウスはセダンだったが、数年前のモデルチェンジでハッチバックに変更になったようだ。セダンとハッチバックの違いがいまいち理解していなかったのだが、見た感じは「普通の車」という印象が強かった。

試乗して見ると、意外に軽い。トヨタの走り特有のものなのだろうか、ふわっとした乗り心地である。だが、悪く言えばなんだか手ごたえがない。車を運転しているというよりは、動いているブリキ缶に乗ってふわふわ移動しているような印象。遊園地の電気カーに乗っている感じだ。
エンジン音が静かなのはいいのだが、ガソリン駆動と電池駆動がひっきりなしに切り替わっているようで、その切り替え音がヒョワーンと耳につく。
車内中央にあるナビゲーションシステムと一体になっている制御システムパネルで、駆動の状況などを色々と事細かく見ることができるが、「いや、こんなことまでいちいち報告しなくていいよ」という感じもしないでもなかった。
ハイブリッドカーとしての性能は、電池優先でできるだけガソリンを使わないような走りなので、これに関してはそのよさを実感できる気がした。

気に入らないのは、オーディオやナビゲーションシステムの選択肢がないこと。
車内中央にあるパネルモニターは、車の制御モニターと連動しているので、ナビゲーションシステムもオーディオもエアコンも全てここで制御することになり、専用のハードでしか動かない。そして、これがこの先変更がきかないらしいのだ。
ナビゲーションシステムのソフト自体は必要に応じて更新できるにしても、これから先ハードの性能を上げたくなったときに、対応できないのがいやだ。

連休明けて、シビックに試乗した。
日産、トヨタ、マツダ、ダイハツ、スズキと試乗してきて、国内三大メーカーのひとつであるホンダを最後にしたのは、実は私はホンダの車をほとんど知らないのである。ホンダの車と言われて思いあたるものがない。もともと車のメーカーと車種が一致しないどころか、車の車種もほとんど知らないので、ホンダがハイブリッドカーを出していることは知っていたが、それがシビックだということは、トヨタでハイブリッドカーの説明を受けたときに、シビックとの比較をされて初めて知ったのだった。

シビックというと、ものすごく昔の車という印象しかなかった。ハッチバックでさえない感じが今でもあるが、現在のシビックはハイブリッドタイプもそうでないのもセダンになっている。
形は最近の頭が丸っこい感じのデザインで、そう悪くはない。
運転してみると、普通のガソリン車とあまりかわらない。1300ccと排気量は少ないが、力がないという感じはまったくない。発進のときや坂道などはぐいぐいと走っていき、プリウスと比較してかなり力強さを感じる。
プリウスとの違いは、プリウスはどちらかというと電池優先なのに対して、シビックはガソリン優先ということらしい(違うかもしれない。説明を聞いた限りではこう解釈したのだが)。車を運転する中で、特に力が必要とされるときに電池の力が発揮され、余分なガソリンを使わないようにするというのがシビックらしい。プリウスが遊園地の電気カーであれば、シビックは電動アシスト自転車という感じだろうか。

シビックの嬉しいところは、電池とガソリンとどちらが使用されているかなどのアナウンスが、前面のパネルに小さく表示されているだけで、ほかに余分な説明がいっさいない。不親切といえば不親切だが、いちいち「今電気で走ってますよ~」とか車に説明されて嬉しいのは最初だけだろうと思う。どっちで走っていようが、とりあえず安全に動いて目的地につけばいいのである。
ナビゲーションシステムもオーディオも、普通の車と同じように好きなメーカーのものを好きなように設置できるのが嬉しい。
ただ、メーカーオプションがセットになっていて、そのセット以外の組み合わせには応じられないらしく、安全オプションはカーテンエアバック、横滑り防止システムなどまでほしいなどというと、フルオプションしか選択肢がなく、細かいオプション設定ができないのが難点である。


「ハイブリッドカーに乗って、車を運転するけど環境にも一応配慮したい」というのであれば、プリウスだと思う。ただ、プリウスには「車を運転して楽しい」という感覚は希薄だ。あれは車の形をした別な乗り物だと思う。
「車の運転を楽しみつつ環境にも配慮したい」というのであれば、シビックの方が「車感」は大きいと思う。

今乗っているデミオを買った後に、「次に買うときはハイブリッドがいいね」などと思っていたが、「車を運転する」というのを無意識に楽しむようになってしまっていることが、今回の試乗ではっきりと自覚してしまった。
これは、マツダの車が非常にやんちゃなことに端を発しているのだろうと思う。国産車・輸入車共にいろいろ試乗したが、マツダの車はどれも「車を運転している」という感覚を強く感じる。国産メーカーの車の中では、一番「車感」が強いようにも思う。よくも悪くもやんちゃで不親切なのだ。これに慣れてしまうと、トヨタや日産の車はどれも親切すぎて物足りない。
車に詳しい人であれば、トルクがどうとか、エンジンがどうとか説明がつくのだろうが、私は感覚的なことしかわからないので、マツダの車が他の国産メーカーと性能的にどう違うのかは説明できない。

そういう意味でいうと、プリウスはトヨタの車の中では「一番親切な車」といえそうな気がする。試乗をしまくっているうちに、「私はやっぱり車を運転しているという実感がほしい」と痛烈に感じるきっかけになったのも、プリウスだった。
プリウスの性能とコンセプトには敬意を払うが、たぶん今回プリウスを買うことはないだろう。
もしハイブリッドカーを購入するならシビックだと思うが、オプションが細かく設定できないのと、試乗の最後に車庫入れさせてもらってやっぱりセダンは運転しづらいと思ったので、シビックもたぶん買うことはないだろう。

ということで、今回の私たちの車購入計画から、ハイブリッドカーは候補から消えたのだった。

◇免許の更新講習を受ける2007年05月15日 18時41分15秒

先日、免許の更新をした。
ゴールド免許施行後、初めてゴールド免許だったのだが、こちらに引越してきたばかりの時に、時間で進入禁止になっている踏み切りに時間切れあと5分というところで進入してしまい、その先でトラップをはっていたおまわりさんにつかまってしまったのだ。
その後違反はなかったので点数は元に戻ったが、今回の更新ではブルー免許になってしまった。

更新の期日は誕生日の前後一ヶ月計二ヶ月間だったのだが、ゴールド免許に更新したときにはまだ誕生日当日が更新期限で、その後免許の期限が誕生日後一ヶ月に変更になったので、使用期限の期日が古いままになっており、いつが本当の期日なのかわからずちょっとひやひやした。誕生日前にちゃんと更新手続きに行っていればよかったのだろうが、なんとなくもたもたしているうちに誕生日が過ぎてしまったのだ。

最寄の警察署に更新手続きに行くために、今回用意した写真は、デジカメで自分で撮影したものを肌質や顔の輪郭を多少修正したものを用意していった。前の写真は警察署で撮影したものだったのだが、とれかかったパーマと化粧をしていない顔でひどいものだったのだ。
書類を出すときにちょっとひやひやしたが、別に何も言われず受理されてラッキーと思った。

ただし、即日発行の警察署ではなかったので免許はすぐには発行されず、別な日に別な会場に行って講習を受けなければならないという。以前違反のあったときは、窓口の横にあったテレビを見てちょっと説明程度の講習を受けただけだったのだが、最近は厳しくなっているらしい。
更新前の免許の裏に「期日延長」のはんこをでかでかと押され、一ヶ月後の講習日まで新しい免許はお預けとなった。住所変更などの記述もあったので、栄光のゴールド免許の裏はやけににぎやかだった。

一ヵ月後に講習が行われた会場は、コンサートなどを行う市の小ホールだった。ここは席数がは600もあるのだが、参加していた人は30人程度。この程度の人数なら、何もわざわざ市のホールなど借りなくてもいいのではないだろうかとも思う。借りるにしたって、会議室程度でいいのではないか?

講習会では、警察署の人の挨拶の後、東映製作によるドラマ仕立ての交通事故の映画が上映されたが、渡辺いっせいや前田耕陽などテレビでよく見る俳優さんが演じる、火曜ワイド劇場風のかなりまともなドラマであった。あまりにもよくできたドラマだったので、事故の悲惨さよりもそのストーリーにはまってしまい、いまいち事故の怖さが伝わってこない。これなら、いつも警察署で見る実際の事故現場のビデオの方が臨場感があり、事故は怖いと思うのではないかとも思った。

配布された資料は3冊ほどあったが、そのうちのひとつは「ちびまるこちゃん」の桜家の家族があちこちでナビゲーションするイラストが入ったもので、子供向けの資料も兼ねているのかもしれないが、キャラクター使用料を使うような資料なのだろうかとも思ったりする。

会場、映画、資料とずいぶんと無駄に金を使っているものだなあと思った。
その割には、所轄の県内の昨年の事故数などを説明する際は、パワーポイントなどではなくいまどきOHPを使用していたりして(大変見づらい)、節約しているんだかなんだかよくわからない。

最後に、講習には会場費が発生するため、次回からは参加料を徴収することになるので、是非違反等のないようという訓示を述べるなど、訳がわからないのである。
節約するならもっとすべきところがあるのではないか?という疑問を残しつつ、一時間程度の講習を受けて新しい免許を受け取った。

全員の免許配布が終ってから、古い免許に穴をあけてもらい、それももらって帰った。古い免許は今までずっととってある。思えば最初の免許は白黒写真であった。
サイズも最初のものから比べるとずっと薄く、小さくなっている。財布に入れてもじゃまにならないサイズは嬉しいが、白黒写真のときの方が顔のアラが目立たなくてよかったよな、としみじみとしてしまったのであった。

◇文法の違いは2007年05月17日 06時01分21秒

外国人の人と日本語で話していると、たまに面食らうことがある。
私の文章を見てもわかると思うが、私は話の主要なものを最後にもってくるタチである。簡潔にすればいいとはわかっていても、これも説明した方がいいとかいろいろ考えると、つい長くなってしまう悪い癖なのだ。

文章なら最後まで読む時間があれば、話の内容はおのずと理解してもらえるにしても、話すときもこうだと話を最後まで聞いてもらえず、結局いいたいことがきちんと伝わらないということがままある。
外国人に限らず日本人でもせっかちな人だと、話半分に聞いてとんちんかんな誤解をしてしまう人もいたりする。一度誤解されてしまうと、その誤解を解くのがまた面倒だったりして、どうでもいい話の場合はそのままやりすごすこともある。
こういうことがないように、話すときは簡潔に頭の中で整理してから話せばいいのだろうが、昔からなかなかこれが直らなかったりする。

話している相手の母国語、あるいは日本語以外の共通語で話すときは、私があまりにもつたない語学力しか持ち合わせていないため、相手も最後までゆっくり話を聞いてくれることが多い(あるいは、話が通じない相手とみなされ、最初から相手にされないかのどちらか)。

最初に「外国人と話すとき」と断ったのは、英語を初めとする多くの外国語は、話の要になる言葉が文章のわりと最初の方に出てくることが多いので、話を最後まで聞かなくてもある程度理解できることが多いのに対して、日本語は主要な事柄が後の方ににくる場合が多いためなのではないかと思う。
外国人の人と話すときは、できるだけ話を簡潔にするよう特に心がけるようにはしているが、人によってはなかなか主旨が伝わらない場合もある。

これはたぶん、私も日本語で話している安心感から、相手の話を最後まで理解しないうちに判断して話しているせいもあるのかもしれないと、最近思うようになった。
そうなると、日本人と話しているときも相手の話を最後まできちんと聞かずに、自分の話を話し出してしまっているのかもしれないと危惧してしまう。
反省しなければならないことは沢山あるなあと改めて思うと共に、他人とのコミュニケーションはいくつになっても難しいと痛感する。

◇初老の初コンタクト2007年05月22日 06時01分26秒

これまでいくら勧めてもコンタクトにしようとしなかった旦那が、バイクの運転を機にコンタクトを試してみようという気持ちになったらしく、眼科に行くと言い出した。
旦那は近視が強く、30代の後半くらいから眼鏡を作ってもすぐに度が変わってしまうので、これまで仕事用と遠くが良く見える用と、二つの眼鏡を使い分けていた。
しかし、バイクに乗るようになると、後を確認したりするときなどヘルメットで眼鏡の動きが制限されてしまい、よく見えないということらしい。

私は旦那に、2週間で交換するタイプの使い捨てコンタクトを勧めた。ある程度の年での初コンタクトということもあり、今後老眼が入ってくると更に度の変化は顕著になるだろうし、そういう意味では定期的に眼科に通ってその都度、視力のあったものを装着するようにした方がいいと思うからだ。
仕事もデスクワーク中心で、ずっとパソコンのモニターを見ているような仕事なので、年に一度パソコン使用者健康診断を受けているとはいっても、ちゃんと眼科に通ってくれた方が安心だともいえる。

待合室で待っていると、旦那が試用のコンタクトをつけて出てきた。
そのときあらためて、「年取ったよなあ」としみじみしてしまった。普段眼鏡で目立たない目じりのしわとか目のクマが、眼鏡をとるはっきり判るのだ。
私も眼鏡をとって近くにいるのは見慣れているにしても、遠くにいる旦那を見るのは久しぶりなので、こんなにも年をとったのだと確認するような形になったのだ。

試用のコンタクトをつけながら、二週間タイプにして遠くを見やすくし眼鏡で近くを矯正するか、一日タイプにしてバイクを乗るときだけコンタクトにするか旦那は迷っている様子だった。
私はしばらく待合室で待っていたが、途中で具合が悪くなってしまい、車のキーを旦那に預けてタクシーで先に帰宅した。

帰宅した旦那によると、結局一日タイプのものにして普段のバイク通勤時と仕事中は眼鏡を使用し、バイクで遠出するときだけコンタクトにすることにしたらしい。
私としてはせっかくコンタクトにするのだから、毎日装着して慣れたほうがいいのではないかと思うのだが、今まで眼鏡をはずした自分の顔はぼやけてはっきり見えなかったのが、コンタクトをつけてはっきり見たときに愕然としたらしい。私がしみじみしたことを、旦那もはっきりと自覚したのだ。
眼鏡がトレードマークとも言えるほど眼鏡をかけている旦那が普通の姿なので、いきなり眼鏡を取って通勤し仕事をするとなると、そのギャップが辛いらしい。もともと見た目が若いので、会う人会う人に「お若いですね~」などと普段からちやほやされているのも大きな要因なのだろう。

しかも医者の診断によると、旦那の目はすでに老眼が入っているらしいとのこと。それと、通常50代過ぎないと現れない目の老化傾向が見られるとのことで、それらを聞いて旦那はかなりショックを受けていた様子だった。
私としては、老化傾向もこのまま放っておけば失明の危険もあったらしく、それも薬を飲むことで進行を抑えられるとのこと。コンタクトにすることで早めに気づいてくれてよかったと思ったりもする。



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