◇インプラントの手術をする ― 2008年06月09日 00時44分05秒
歯列矯正を始めて早2年3ヶ月。遅れに遅れていたインプラントの手術を先日受けた。
基はといえば、インプラントの手術を受けるための歯列矯正だったわけだが、インプラントの手術が遅れた理由としては、インプラントを入れる予定の奥の歯が予定よりも前に出てこず、最終的にインプラントを入れるのが一本になるのか二本になるのかがはっきりしなかったからだ。
私の場合、下顎左の第一小臼歯(5番)が生まれつきなく、その後第一大臼歯(6番)と第二大臼歯(7番)を虫歯のため欠損していた。左の下奥歯は、親知らずである第三大臼歯だけがぽつんと離れ小島のように存在していたのである。第三大臼歯をできるだけ前に出して、一本だけインプラントを入れる予定だったのが、歯がなかった期間があまりにも長かったため(第一大臼歯で17年ほどか?)、そこの骨がなくなってしまっているのが原因だった。
普通の人であれば、そこそこの骨の幅でカバーできたらしいのだが、私の場合人よりずっと歯の骨が細く、やわらかいらしい。歯の骨がやわらかいのは、歯列矯正では役にたった。同じ年代の人よりずっと歯の動きがよかったのである。しかし、インプラントを入れるときにはこれがネックになってしまった。
一番奥の第三大臼歯も、これ以上前に出せばいずれぬけてしまうだろうというぎりぎりまで前に出したが、結局インプラントは2本入れることになったのだ。
当初は、手術を二回に分けて、最初は一本インプラントの柱を入れると同時に骨がなくなっている部分に骨を造骨する種を仕込んで、三ヵ月後に造骨したところにもう一本の柱を入れるという手術をするという説明を受けた。しかし、造骨してももともと骨がやわらかいところに、造骨した骨がもつかどうかの強度の問題も大きく、柱の径と長さを小さなものにして手術を一度にするという選択が最終的にはとられたのだ。
いろいろ説明はされたが、結局は歯科医の決定したことに異を唱える理由もなく、とにかくさっさとこの恐ろしい手術を終わらせてくれることが、怖がりで痛がりで17年前に日本大学歯学部にて「デンタルフォビア(歯科恐怖症)」のレッテルを貼られた私にできることだったのだった。
インプラントの手術自体は1時間弱で終了したのだが、私には数時間に感じられた。その日私は風邪気味で、緊張も加わってかくしゃみが止まらず、手術中にくしゃみと鼻水がたれてきたらどうしようかという不安でいっぱいだった。
最初何度かに分けて局部に麻酔が注入され、下顎のほぼ半分の神経が麻痺したところで手術開始。手術には担当歯科医と口腔外科の医師が立ち会った。
顔に穴の開いたプラスチックの覆いをかぶせられ、数分でなんだか一番奥の歯をごりごりとけずっている様子(あとで気づいたが、これは歯をけずっていたのではなく、すでに切開されて骨がけずられていたらしい)。そのうちドリルでごりごりされて、なんだか細い棒のようなものを入れられた感覚があり、二度目は「硬いなあ」という歯科医の言葉と共に、「ちょっとがんがんするぞ」と言われてなんだかとんかちのようなものでがつんがつんと打ち込まれ、その後「ばっちし」という声と共に口に糸がはっていくのを感じて、「ああ、縫合しているのか」という安堵感があったのだった。
縫合しているとき、麻酔の境の唇の真ん中と歯茎の真ん中がつる感覚があったが、完全に縫合されてしまうとそれもなくなった。
手術中に痛みはほとんどなく、たまに顎の奥の方がじんと痛くなるような気がしたくらいだった。
その間、くしゃみは二回、鼻水をふいたのは5回ほどあったが、医師が別な作業中にそれらを行えたので大事には至らなかった。
しかし、家に戻って鏡を見ると見事なこぶとりおばさんである。局部はずっと冷やしているようにいわれたので、強冷のひえピタを購入して車を運転して家に戻ったのだが、その夜は体調が悪かったせいもあり喉の腫れ、鼻づまり、発熱に見舞われた。そのどれもが風邪のせいなのか手術のせいなのかはわからないが、夜中に鼻がつまり息が止まって初めて目が覚めるというのが何度となく繰り返された。喉が腫れているのと熱があるのとで口でも息ができなかったらしいのだ。
痛みが強くなりそうだったので、途中で痛み止めを一度だけ使用し、結局三日間熱で寝込んでしまった。おかげで一週間も早く生理もきてしまい、体調は最悪を通り越していたが、つらいのが一度にきてよかったかもとも後で思ったりする。
歯列矯正の医師とインプラントの医師は別々で、お互い情報交換をしながらの治療であったのだが、歯列矯正に関してはそのどちらの医師もが「よくここまできれいに動いたなあ」と感動してくれるほどきれいに動いているらしい。それまでは自分で物を噛んでいるつもりでも、まったく噛み合わせが悪かったらしいのだ。これでは虫歯も多いし、消化器系にも影響がでてくる。虫歯の影響で糖尿などにもなるというデータも最近あるようで、糖尿家系の私の家系から考えるとできることを今しておくののが最善であるようにも思えたので選択したインプラントだった。それなりに値段も高いしリスクもあるのも承知だったが、だったらまだ丈夫なうちに歯をきちんとしておくのも大切だと思ったのが2年前。自分でもよくがんばったと思う。
歯列矯正の器具はインプラントが完全に入るまでとることができないので(上の歯が下に下がってくるため)、今年の暮れまではもう少しの我慢だが、来年の正月には針金がなくきれいな歯並びで迎えることができそうで楽しみである。
基はといえば、インプラントの手術を受けるための歯列矯正だったわけだが、インプラントの手術が遅れた理由としては、インプラントを入れる予定の奥の歯が予定よりも前に出てこず、最終的にインプラントを入れるのが一本になるのか二本になるのかがはっきりしなかったからだ。
私の場合、下顎左の第一小臼歯(5番)が生まれつきなく、その後第一大臼歯(6番)と第二大臼歯(7番)を虫歯のため欠損していた。左の下奥歯は、親知らずである第三大臼歯だけがぽつんと離れ小島のように存在していたのである。第三大臼歯をできるだけ前に出して、一本だけインプラントを入れる予定だったのが、歯がなかった期間があまりにも長かったため(第一大臼歯で17年ほどか?)、そこの骨がなくなってしまっているのが原因だった。
普通の人であれば、そこそこの骨の幅でカバーできたらしいのだが、私の場合人よりずっと歯の骨が細く、やわらかいらしい。歯の骨がやわらかいのは、歯列矯正では役にたった。同じ年代の人よりずっと歯の動きがよかったのである。しかし、インプラントを入れるときにはこれがネックになってしまった。
一番奥の第三大臼歯も、これ以上前に出せばいずれぬけてしまうだろうというぎりぎりまで前に出したが、結局インプラントは2本入れることになったのだ。
当初は、手術を二回に分けて、最初は一本インプラントの柱を入れると同時に骨がなくなっている部分に骨を造骨する種を仕込んで、三ヵ月後に造骨したところにもう一本の柱を入れるという手術をするという説明を受けた。しかし、造骨してももともと骨がやわらかいところに、造骨した骨がもつかどうかの強度の問題も大きく、柱の径と長さを小さなものにして手術を一度にするという選択が最終的にはとられたのだ。
いろいろ説明はされたが、結局は歯科医の決定したことに異を唱える理由もなく、とにかくさっさとこの恐ろしい手術を終わらせてくれることが、怖がりで痛がりで17年前に日本大学歯学部にて「デンタルフォビア(歯科恐怖症)」のレッテルを貼られた私にできることだったのだった。
インプラントの手術自体は1時間弱で終了したのだが、私には数時間に感じられた。その日私は風邪気味で、緊張も加わってかくしゃみが止まらず、手術中にくしゃみと鼻水がたれてきたらどうしようかという不安でいっぱいだった。
最初何度かに分けて局部に麻酔が注入され、下顎のほぼ半分の神経が麻痺したところで手術開始。手術には担当歯科医と口腔外科の医師が立ち会った。
顔に穴の開いたプラスチックの覆いをかぶせられ、数分でなんだか一番奥の歯をごりごりとけずっている様子(あとで気づいたが、これは歯をけずっていたのではなく、すでに切開されて骨がけずられていたらしい)。そのうちドリルでごりごりされて、なんだか細い棒のようなものを入れられた感覚があり、二度目は「硬いなあ」という歯科医の言葉と共に、「ちょっとがんがんするぞ」と言われてなんだかとんかちのようなものでがつんがつんと打ち込まれ、その後「ばっちし」という声と共に口に糸がはっていくのを感じて、「ああ、縫合しているのか」という安堵感があったのだった。
縫合しているとき、麻酔の境の唇の真ん中と歯茎の真ん中がつる感覚があったが、完全に縫合されてしまうとそれもなくなった。
手術中に痛みはほとんどなく、たまに顎の奥の方がじんと痛くなるような気がしたくらいだった。
その間、くしゃみは二回、鼻水をふいたのは5回ほどあったが、医師が別な作業中にそれらを行えたので大事には至らなかった。
しかし、家に戻って鏡を見ると見事なこぶとりおばさんである。局部はずっと冷やしているようにいわれたので、強冷のひえピタを購入して車を運転して家に戻ったのだが、その夜は体調が悪かったせいもあり喉の腫れ、鼻づまり、発熱に見舞われた。そのどれもが風邪のせいなのか手術のせいなのかはわからないが、夜中に鼻がつまり息が止まって初めて目が覚めるというのが何度となく繰り返された。喉が腫れているのと熱があるのとで口でも息ができなかったらしいのだ。
痛みが強くなりそうだったので、途中で痛み止めを一度だけ使用し、結局三日間熱で寝込んでしまった。おかげで一週間も早く生理もきてしまい、体調は最悪を通り越していたが、つらいのが一度にきてよかったかもとも後で思ったりする。
歯列矯正の医師とインプラントの医師は別々で、お互い情報交換をしながらの治療であったのだが、歯列矯正に関してはそのどちらの医師もが「よくここまできれいに動いたなあ」と感動してくれるほどきれいに動いているらしい。それまでは自分で物を噛んでいるつもりでも、まったく噛み合わせが悪かったらしいのだ。これでは虫歯も多いし、消化器系にも影響がでてくる。虫歯の影響で糖尿などにもなるというデータも最近あるようで、糖尿家系の私の家系から考えるとできることを今しておくののが最善であるようにも思えたので選択したインプラントだった。それなりに値段も高いしリスクもあるのも承知だったが、だったらまだ丈夫なうちに歯をきちんとしておくのも大切だと思ったのが2年前。自分でもよくがんばったと思う。
歯列矯正の器具はインプラントが完全に入るまでとることができないので(上の歯が下に下がってくるため)、今年の暮れまではもう少しの我慢だが、来年の正月には針金がなくきれいな歯並びで迎えることができそうで楽しみである。
◇化学調味料とわたくし~味の素編~ ― 2008年06月10日 02時36分26秒
私は化学調味料が嫌いだ。
別にグルメぶるつもりもない。
食の安全だとか、スローフード推進的思考であるとか、そういうことはまった関係なくただ純粋に本能のままに嫌いなのだ。
なぜ突然こんなことを書き出すかといえば、化学調味料のことを考えているうちに昔のことを思い出し、私がどうして化学調味料を嫌いになったか残しておきたくなったからです。よくわからないけど、「食育」のひとつのヒントになるかもしれないので、参考にしたり笑ったりしてください。
化学調味料は子供のころから嫌いだった。
1970年代前半の頃、赤いキャップの某社の社名にもなっている化学調味料「味の素」が、少なくとも私の周囲の家庭にはどこにでも食卓の上に置かれていた。
それこそ、ラーメン屋にもデパートの食堂にも、食卓で味の素の赤いキャップを見ない日はなかったくらいだった。
さしみの醤油皿、ざるそばのつゆ、ラーメン、餃子のたれ、煮物、てんぷらのつゆ、カレー、シチュー…etc とそれこそありとあらゆるものにふりかけていたし、油断していると刺身の醤油皿に勝手にわさびを溶かれて出されるがごとく(当時これは当たり前の行為で、こうして出すのが親切だと思われていた)、当然のように化学調味料をふりかけたものを手渡されたりしていたのだ。
当時どこでどう流布された情報なのかは知らないが、「化学調味料を食べると頭が良くなる」ということをあちこちで聞いた覚えがある。
私も私の伯母にそういわれ、子供の食べるものに強制的に化学調味料を入れてくれたりしたものだった。
この頃からみのもんた的情報は主婦の主流だったようで、伯母はそれがどれだけ効力のあるものかを母に説明し、しかし悲しいことに私の母も小姑から得たその情報を鵜呑みにし、その後化学調味料の摂取を強要するようになってきたので、私はそれが普通の生活になってしまった。
最初は大人の言うことだし、反抗する理由もなかったので言われるままそれが当たり前のようになっていったのだった。
一時期は「頭が良くなるのなら」と自分から化学調味料を積極的に食べるようにしていた記憶があるが、しかし私にはどうしてもそれで食べ物が美味しくなったと感じることはできなかったし、かえって舌がしびれていやな気持ちになることもしばしばあった。
しかも、「化学調味料を食べると頭が良くなる」のなら、これだけあちこちにあるんだったらみんな頭が良くなっているはずではないのかと思い、そのことを大人に聞いてみるが、誰も納得できる答えをする人はいなかった。
「なぜ、食べるものに化学調味料を入れなければならないのか」ということを母に聞けたのはそれから数年がたってからのことだった(たぶん1970年代半ば)。このときのことは私ははっきりと覚えているのだが母はすっかり忘れているので、私の夢なのか現実なのかは定かではない。
このときの母の答えは「かければ美味しくなる」という答えだったように思う。
そこで私はテーブルの上にあった化学調味料を直接なめてみたのだ。食品にかけて美味しくなるものなら直接食べても美味しいはずだというのが、子供の頃の私の結論であった(今はどういうことで旨味を感じるのかはだいたい理解しているので、この行為自体そのような検証にはならないことを理解しているつもりだ)。
直接なめた化学調味料は非常にまずく、舌がしびれて気持ちが悪くなった。あまりに私が嫌うので母はそれ以上何もいわなくなったが、我が家から化学調味料がなくなることはなかった。
つづく
別にグルメぶるつもりもない。
食の安全だとか、スローフード推進的思考であるとか、そういうことはまった関係なくただ純粋に本能のままに嫌いなのだ。
なぜ突然こんなことを書き出すかといえば、化学調味料のことを考えているうちに昔のことを思い出し、私がどうして化学調味料を嫌いになったか残しておきたくなったからです。よくわからないけど、「食育」のひとつのヒントになるかもしれないので、参考にしたり笑ったりしてください。
化学調味料は子供のころから嫌いだった。
1970年代前半の頃、赤いキャップの某社の社名にもなっている化学調味料「味の素」が、少なくとも私の周囲の家庭にはどこにでも食卓の上に置かれていた。
それこそ、ラーメン屋にもデパートの食堂にも、食卓で味の素の赤いキャップを見ない日はなかったくらいだった。
さしみの醤油皿、ざるそばのつゆ、ラーメン、餃子のたれ、煮物、てんぷらのつゆ、カレー、シチュー…etc とそれこそありとあらゆるものにふりかけていたし、油断していると刺身の醤油皿に勝手にわさびを溶かれて出されるがごとく(当時これは当たり前の行為で、こうして出すのが親切だと思われていた)、当然のように化学調味料をふりかけたものを手渡されたりしていたのだ。
当時どこでどう流布された情報なのかは知らないが、「化学調味料を食べると頭が良くなる」ということをあちこちで聞いた覚えがある。
私も私の伯母にそういわれ、子供の食べるものに強制的に化学調味料を入れてくれたりしたものだった。
この頃からみのもんた的情報は主婦の主流だったようで、伯母はそれがどれだけ効力のあるものかを母に説明し、しかし悲しいことに私の母も小姑から得たその情報を鵜呑みにし、その後化学調味料の摂取を強要するようになってきたので、私はそれが普通の生活になってしまった。
最初は大人の言うことだし、反抗する理由もなかったので言われるままそれが当たり前のようになっていったのだった。
一時期は「頭が良くなるのなら」と自分から化学調味料を積極的に食べるようにしていた記憶があるが、しかし私にはどうしてもそれで食べ物が美味しくなったと感じることはできなかったし、かえって舌がしびれていやな気持ちになることもしばしばあった。
しかも、「化学調味料を食べると頭が良くなる」のなら、これだけあちこちにあるんだったらみんな頭が良くなっているはずではないのかと思い、そのことを大人に聞いてみるが、誰も納得できる答えをする人はいなかった。
「なぜ、食べるものに化学調味料を入れなければならないのか」ということを母に聞けたのはそれから数年がたってからのことだった(たぶん1970年代半ば)。このときのことは私ははっきりと覚えているのだが母はすっかり忘れているので、私の夢なのか現実なのかは定かではない。
このときの母の答えは「かければ美味しくなる」という答えだったように思う。
そこで私はテーブルの上にあった化学調味料を直接なめてみたのだ。食品にかけて美味しくなるものなら直接食べても美味しいはずだというのが、子供の頃の私の結論であった(今はどういうことで旨味を感じるのかはだいたい理解しているので、この行為自体そのような検証にはならないことを理解しているつもりだ)。
直接なめた化学調味料は非常にまずく、舌がしびれて気持ちが悪くなった。あまりに私が嫌うので母はそれ以上何もいわなくなったが、我が家から化学調味料がなくなることはなかった。
つづく
◇化学調味料とわたくし~ほんだし編~ ― 2008年06月10日 03時03分25秒
これは、私がなぜ化学調味料を嫌いになったかを書いた自分のための覚書です。最初に
『◇化学調味料とわたくし~味の素編~』
を読んでからお読みくださいm(_ _)m。
そのうち「化学調味料で頭が良くなる」などというのはガセネタであったということはなんとなく世の中に広まっていったが、当時一部の年寄りにはまだ信じているものも少なくなく、化学調味料を勧められ嫌だと言い、理由を聞かれて「まずいし舌がしびれて気持ちが悪くなる」というと「それは頭が悪いからだ」などと言われて傷ついたりしたこともあったのだ。
それでも当時はまだ化学調味料が、料理における旨味の補助的役割であったからよかった(少なくとも私の周囲では)。
それまでは昆布やかつお節でだしを取り、その上で調理中には「ハイミー」とか「いのいちばん」などを使用し、食卓では「味の素」などを使用するという感じだったのが、その後「ほんだし」の一般的普及で家庭でそれまでのように「ダシを取る」という行為が特別なものになってしまったのだ。
しかもそれは昔から行われてきたダシの取り方で抽出したものを、フリーズドライという新製法で粉末にしたというふれこみである(そう説明されたCMを今でも記憶している)。
その後かつおだしの濃縮液タイプだとか、さまざまな形で「ダシをとる」というわずらわしい行為からこれらの調味料は主婦(母)を解放してきたのだった。
これも母は忘れていて私が覚えているだけなので現実か夢かはわからないのだが、この「ほんだし」が我が家で常用されるようになったある日、私は母に「これと化学調味料とどう違うのか」と聞いたことがある。
このときにはすでに、化学調味料がダシ的役割をすることを知っていたのだ。これはたぶん1970年代後半のことだと思う。
この時の母の答えは、「フリーズドライはもともとのダシが原料で、化学調味料は石油で作られている」というものだった。
それにしても、これは大変わかりづらかった。
私はこの時「ほんだしも味の素が作っているのだから、味の素が入っているのではないか」という疑問があり、自分の嫌いなものを調理時に日常的に使っているのではないかと思っての質問だったからだ。
「ほんだしは本来昔からの製法で作られたダシをフリーズドライにすることで使いやすくしたのだから、もともとはダシ汁であるから大丈夫」と私の母は言いたかったに違いないが、この時私がどう認識したのかは実は覚えていない。
今から考えると、当時私の質問に母が「化学調味料は石油で作られている」と答えたということは、「ほんだし」などのフリーズドライのだしは化学調味料ではないという認識だったように思う。
しかも、(ほんとかどうかは知らないが)「石油で作られている」という疑惑を母が知っていたということは、少なからず「化学調味料は危ない食べ物」という認識もこの頃は世間一般にあったのではないかと思う。
しかも、当時は食品添加物に対する意識もいまと比較にならないほど低かったし、表示の義務も曖昧だったのかもしれない。少なくともそこまで気にする人は少なかったのではないかと思う。
これらを聞くにつれ、反抗期に差し掛かった当時の私は「子供の頃に頭の良くなる薬だと言っていたのはなんだったんだ」と怒りを覚えたが、それを告発したところで当時大人はみんな「そんなことあったっけ」と口をそろえていたのだった(今も)。
しかし、このフリーズドライ製法から発展した「ほんだし」の類は今でも普通に家庭にある。すたれることはないだろう。
今でもそうだがダシ用の昆布や干ししいたけ、かつお節、煮干などは決して安いものではないし、料理によっていくつも使い分けなければならない上に、場合によっては一晩以上水に漬けておかなければならななどの手間もかかる。
できるだけ手間とコストがかからず、しかも価格も安い商品があるのであれば、ヒットするのは当たり前なのだ。それは女性が社会進出して久しい今となっては、需要が落ちることなどないといえるのかもしれない。
しかし、本体は確かにかつおなどの抽出エキスなのかもしれないが、味を均一に調えるためにそこに化学調味料が入っていないはずがないと思ったりする。そもそも、そのエキスを抽出する際に化学的技法が使用されていないわけもないように思う。
そう思って調べてみたら、
グルタミン酸ナトリウムを生成する際には、発酵法であってもグルタミン酸を水酸化ナトリウムで中和する工程が含まれる。これを「化学的」とする見方もある。水酸化ナトリウムは中和目的での食品への使用が認められている。
日本における加工食品の原材料名としては、調味料として「調味料(アミノ酸等)」などと表示される。それ以外の目的(栄養目的等)では「グルタミン酸ナトリウム」あるいは単に「グルタミン酸Na」と表記される場合が多い。
Wikipedia「うま味調味料」参照
とあり、ここでは昆布だし等に使用されるグルタミン酸Naについて記述されているが、かつおだしなどのイノシン酸であってもこれは同じことがいえる。
もちろん、「化学的に抽出されたもの=危険 or/and まずい」という図式は必ずしも成り立たないとは思うし、少なくともフリーズドライ製法で作っていた当初は本当にきちんと抽出したエキスをフリーズドライしていたかもしれないし、今もそういう商品はあるのかもしれない。
でも、個人的には「化学調味料(味の素やいのいちばんみたいなものだけのダシ」よりはましだけど、うまくはないかもというのが感想でしかないのだ。
つづく
『◇化学調味料とわたくし~味の素編~』
を読んでからお読みくださいm(_ _)m。
そのうち「化学調味料で頭が良くなる」などというのはガセネタであったということはなんとなく世の中に広まっていったが、当時一部の年寄りにはまだ信じているものも少なくなく、化学調味料を勧められ嫌だと言い、理由を聞かれて「まずいし舌がしびれて気持ちが悪くなる」というと「それは頭が悪いからだ」などと言われて傷ついたりしたこともあったのだ。
それでも当時はまだ化学調味料が、料理における旨味の補助的役割であったからよかった(少なくとも私の周囲では)。
それまでは昆布やかつお節でだしを取り、その上で調理中には「ハイミー」とか「いのいちばん」などを使用し、食卓では「味の素」などを使用するという感じだったのが、その後「ほんだし」の一般的普及で家庭でそれまでのように「ダシを取る」という行為が特別なものになってしまったのだ。
しかもそれは昔から行われてきたダシの取り方で抽出したものを、フリーズドライという新製法で粉末にしたというふれこみである(そう説明されたCMを今でも記憶している)。
その後かつおだしの濃縮液タイプだとか、さまざまな形で「ダシをとる」というわずらわしい行為からこれらの調味料は主婦(母)を解放してきたのだった。
これも母は忘れていて私が覚えているだけなので現実か夢かはわからないのだが、この「ほんだし」が我が家で常用されるようになったある日、私は母に「これと化学調味料とどう違うのか」と聞いたことがある。
このときにはすでに、化学調味料がダシ的役割をすることを知っていたのだ。これはたぶん1970年代後半のことだと思う。
この時の母の答えは、「フリーズドライはもともとのダシが原料で、化学調味料は石油で作られている」というものだった。
それにしても、これは大変わかりづらかった。
私はこの時「ほんだしも味の素が作っているのだから、味の素が入っているのではないか」という疑問があり、自分の嫌いなものを調理時に日常的に使っているのではないかと思っての質問だったからだ。
「ほんだしは本来昔からの製法で作られたダシをフリーズドライにすることで使いやすくしたのだから、もともとはダシ汁であるから大丈夫」と私の母は言いたかったに違いないが、この時私がどう認識したのかは実は覚えていない。
今から考えると、当時私の質問に母が「化学調味料は石油で作られている」と答えたということは、「ほんだし」などのフリーズドライのだしは化学調味料ではないという認識だったように思う。
しかも、(ほんとかどうかは知らないが)「石油で作られている」という疑惑を母が知っていたということは、少なからず「化学調味料は危ない食べ物」という認識もこの頃は世間一般にあったのではないかと思う。
しかも、当時は食品添加物に対する意識もいまと比較にならないほど低かったし、表示の義務も曖昧だったのかもしれない。少なくともそこまで気にする人は少なかったのではないかと思う。
これらを聞くにつれ、反抗期に差し掛かった当時の私は「子供の頃に頭の良くなる薬だと言っていたのはなんだったんだ」と怒りを覚えたが、それを告発したところで当時大人はみんな「そんなことあったっけ」と口をそろえていたのだった(今も)。
しかし、このフリーズドライ製法から発展した「ほんだし」の類は今でも普通に家庭にある。すたれることはないだろう。
今でもそうだがダシ用の昆布や干ししいたけ、かつお節、煮干などは決して安いものではないし、料理によっていくつも使い分けなければならない上に、場合によっては一晩以上水に漬けておかなければならななどの手間もかかる。
できるだけ手間とコストがかからず、しかも価格も安い商品があるのであれば、ヒットするのは当たり前なのだ。それは女性が社会進出して久しい今となっては、需要が落ちることなどないといえるのかもしれない。
しかし、本体は確かにかつおなどの抽出エキスなのかもしれないが、味を均一に調えるためにそこに化学調味料が入っていないはずがないと思ったりする。そもそも、そのエキスを抽出する際に化学的技法が使用されていないわけもないように思う。
そう思って調べてみたら、
グルタミン酸ナトリウムを生成する際には、発酵法であってもグルタミン酸を水酸化ナトリウムで中和する工程が含まれる。これを「化学的」とする見方もある。水酸化ナトリウムは中和目的での食品への使用が認められている。
日本における加工食品の原材料名としては、調味料として「調味料(アミノ酸等)」などと表示される。それ以外の目的(栄養目的等)では「グルタミン酸ナトリウム」あるいは単に「グルタミン酸Na」と表記される場合が多い。
Wikipedia「うま味調味料」参照
とあり、ここでは昆布だし等に使用されるグルタミン酸Naについて記述されているが、かつおだしなどのイノシン酸であってもこれは同じことがいえる。
もちろん、「化学的に抽出されたもの=危険 or/and まずい」という図式は必ずしも成り立たないとは思うし、少なくともフリーズドライ製法で作っていた当初は本当にきちんと抽出したエキスをフリーズドライしていたかもしれないし、今もそういう商品はあるのかもしれない。
でも、個人的には「化学調味料(味の素やいのいちばんみたいなものだけのダシ」よりはましだけど、うまくはないかもというのが感想でしかないのだ。
つづく
◇化学調味料とわたくし~利尻昆布と沖縄料理~ ― 2008年06月21日 09時50分29秒
これは、私がなぜ化学調味料を嫌いになったかを書いた自分のための覚書です。最初に
『◇化学調味料とわたくし~味の素編~ 』
『◇化学調味料とわたくし~ほんだし編~ 』
を読んでからお読みくださいm(_ _)m。
食卓の上で醤油皿に化学調味料を入れる入れないで争っていたのとは次元が違い、すでに調理の段階で化学調味料が味の基本となってしまったら、いくら嫌だと言ったところで子供にはどうすることもできない。
その後、味噌や醤油などの調味料にも当たり前のように化学調味料が使われ、ダシがもともと入っているから美味しいなどと、いろいろな形で知らず知らずのうちに化学調味料を摂取するようになったので、私自身個人的に食卓で化学調味料をとらなくっても、「頭の良くなる食べ物」を自動的に摂取せざるをえなくなってしまったのだった。しかも、本人がそのことを知るのはずっとずっとずっと先のことなのだ。
その後私は貧乏だった。あまりに食べられず、栄養失調で職場で倒れたこともある(1980年代半ば)。この頃は、食べ物に化学調味料が入っているとかいないとかそんなこと考えてる余裕もなかったし、とにかくお腹が膨れればなんでもよかった。一日に一度、まるちゃんのダブルラーメン(東洋水産北海道限定商品。一袋に麺がふたつ入って、一袋分の値段とほぼ変わらないという画期的商品。当時は醤油味しかなかったが、今はバリエーションが増えているらしい)が食べられれば幸せだという毎日に、化学調味料云々を語る余裕はないのだ。
そのうち結婚したある日恐ろしいものが届いたのが、我が家で食品添加物、特に化学調味料に関することを考えるきっかけになったのだった。
姑がバイトをしたからと言って、数袋に分けたC級品の昆布を毎年のように送ってくるのだ。
ある年は根昆布のときもあるし、ある年はきちんとした昆布のときもあった。
当時の私は、化学調味料のことに無頓着だった。味の素の類はなかったが、あれほど嫌っていたほんだしを使用して毎日調理していたし、それが普通だと思っていたのだ。
当時私は、昆布などどう料理していいのか判らず、また母に聞いても昆布自体を料理する機会など正月くらいしかないので、昆布巻きや佃煮くらいしか思いつかず、姑に聞いてもやはり昆布巻きにするくらいしか思いつかず、結局数年間放置していた。
C級品とはいっても立派な利尻昆布である。昆布巻きにするにはでかくて厚くて大変だし、ただ佃煮にするにはもったいなさすぎる。
最初は昆布でだしをとって味噌汁を作るところからはじめたのだが、これだけ立派な昆布をただだしだけに使うのはもったいない。かといって、佃煮にしたりしても食べないだろうから、だったら小さくして味噌汁の具として食べちゃえということになったのだ。これが我が家ですでに10年近く続いている。
だしをとるといってもただ漬けておくだけである。
最初は一晩漬けていたのだが、私も当時は外で働いていて用意できないときもあったりする。
そのうち、はじめからお湯につけておけば短時間でだしが出ることに気づき、小さく切った昆布をお湯に10分ほど漬けておいてそのまま煮てしまうというのが現在の定番となっている。料理の本などを見ると、「昆布は鍋の中で長く煮ると、昆布の臭みが出る」と書かれているが、慣れてしまえばまったく気にならないし、料亭で使うみたいに一枚10cmくらいはありそうな立派な昆布を使うわけではないので、友人が来たときに聞いたりもするが、つけっぱなしでも臭いは気にならないそうだ。
昆布は、切った角から一番だしが出るので、最初にあらかじめ2cm角ほどに切って保存容器に入れておき、ふだんはそれを更に細い短冊状に切って味噌汁用の鍋に入れておく。もちろん長くつけられるときはそうするし、具によってかつおのだしを足したり、煮干のだしを足したりしていろいろ考えるのが楽しくなってきた。
そうしてすごしているうちに、ある日市販のブイヨンで簡単にダシをとったスープを作ったところ、美味しく感じなくなってきていることに気づいた。和風のダシは昆布を利用することでほとんど化学調味料の類を使わなくなっていたのだが、洋風のダシは時間とコストがかかるので市販のブイヨンを使っていたのだ。
ある年沖縄料理にはまったときに、豚肉を数時間煮込んでそのゆで汁を冷やし、ラードをとったものを利用したスープを作ったのだが、これがめちゃくちゃ美味しいことに気づき、そのときから洋風のだしも自分でとることにした。別に野菜くずを入れて数時間とかそんな凝ったことはしない。安いときに豚肉の塊を買ってきて、数時間煮込み、豚肉は小分けして冷凍し、ゆで汁は一晩おいてラードをとって密封できる袋に入れて冷凍するのである。シチューなどを作るときは、これを溶かして利用する。あとは、野菜などと煮込めば、自然と野菜のダシが出るのだ。
ブイヨンを利用するよりは味が単純だけど、素材の美味しさが素直に味わえるようになったと思う。
こうして、我が家では化学調味料的なだしが姿を消したのだった。
もちろん、「簡単」とかいってもほんだしやブイヨンを使うよりは手間がかかる。最近になって、スローフードが世間ではおしゃれな生活習慣だといわれたり、食品の安全性がうたわれ健康的な消費が推奨される中、我が家もその例にもれず「調味料くらいはいいものを」とか「化学調味料の味にがまんできない」などと言いたれたりしているのだが、だからといって外食が嫌いなわけでもなかったりするし、ファーストフードやインスタント食品なんて論外なんていうつもりはまったくない。
ただ、歳をとってくると食べられるものが多くなってくるのと同時にどうしても嫌なものも増えてくる。私の場合、それが化学調味料だったりするのだ。
今の私は自分の生活を自分で管理できる立場にいる。子供の頃のように大人の間違った知識に翻弄される必要はない。大人だけの家庭で嫌いなものが食卓に上ることがないように、うちでは化学調味料そのものが嫌いなので使わないだけである。
いやなものは食べたくないので、最近は納豆についているタレも使わなくなってしまったし、漬物も自分で漬けるようになった。
だからといって化学調味料を食生活の場からいっさいなくすなんて、ちょっと不可能に近い。そうとうの努力と財力が必要だと思う。どんなに気をつけていても外食したりしたときに知らず知らずのうちに化学調味料を食べていることは認識しなければならないだろうし、およばれした家でご馳走になるのに「これ化学調味料使っているので食べられない」などと言うのは愚の骨頂である。
しかも、私の好きな東南アジア料理や中華料理には微量か多量かの違いはあれど、必ずといっていいほど化学調味料は使用される。これらはもう「使用することが正しい調理法」だと思わないではいられない。あとは、それを選択するかどうかなのだ。
幸いうちは旦那が協力的なので、二人で楽しんで「家庭内化学調味料撲滅運動」を推進することができる。面倒なことのほうが多いけど、楽しい遊びだと思えばいいかという考え方である。
流行好きの母に翻弄された私にも確実に母の血は流れているので、いつまで続くかわからないが、化学調味料への幼児期の記憶はけっこう鮮明で、思い出すにつれてあのなめたときの感触が忘れられず、化学調味料を好きになることはまずないと思うので、しばらくはがんばれるだろうと思いたい。
おわり
『◇化学調味料とわたくし~味の素編~ 』
『◇化学調味料とわたくし~ほんだし編~ 』
を読んでからお読みくださいm(_ _)m。
食卓の上で醤油皿に化学調味料を入れる入れないで争っていたのとは次元が違い、すでに調理の段階で化学調味料が味の基本となってしまったら、いくら嫌だと言ったところで子供にはどうすることもできない。
その後、味噌や醤油などの調味料にも当たり前のように化学調味料が使われ、ダシがもともと入っているから美味しいなどと、いろいろな形で知らず知らずのうちに化学調味料を摂取するようになったので、私自身個人的に食卓で化学調味料をとらなくっても、「頭の良くなる食べ物」を自動的に摂取せざるをえなくなってしまったのだった。しかも、本人がそのことを知るのはずっとずっとずっと先のことなのだ。
その後私は貧乏だった。あまりに食べられず、栄養失調で職場で倒れたこともある(1980年代半ば)。この頃は、食べ物に化学調味料が入っているとかいないとかそんなこと考えてる余裕もなかったし、とにかくお腹が膨れればなんでもよかった。一日に一度、まるちゃんのダブルラーメン(東洋水産北海道限定商品。一袋に麺がふたつ入って、一袋分の値段とほぼ変わらないという画期的商品。当時は醤油味しかなかったが、今はバリエーションが増えているらしい)が食べられれば幸せだという毎日に、化学調味料云々を語る余裕はないのだ。
そのうち結婚したある日恐ろしいものが届いたのが、我が家で食品添加物、特に化学調味料に関することを考えるきっかけになったのだった。
姑がバイトをしたからと言って、数袋に分けたC級品の昆布を毎年のように送ってくるのだ。
ある年は根昆布のときもあるし、ある年はきちんとした昆布のときもあった。
当時の私は、化学調味料のことに無頓着だった。味の素の類はなかったが、あれほど嫌っていたほんだしを使用して毎日調理していたし、それが普通だと思っていたのだ。
当時私は、昆布などどう料理していいのか判らず、また母に聞いても昆布自体を料理する機会など正月くらいしかないので、昆布巻きや佃煮くらいしか思いつかず、姑に聞いてもやはり昆布巻きにするくらいしか思いつかず、結局数年間放置していた。
C級品とはいっても立派な利尻昆布である。昆布巻きにするにはでかくて厚くて大変だし、ただ佃煮にするにはもったいなさすぎる。
最初は昆布でだしをとって味噌汁を作るところからはじめたのだが、これだけ立派な昆布をただだしだけに使うのはもったいない。かといって、佃煮にしたりしても食べないだろうから、だったら小さくして味噌汁の具として食べちゃえということになったのだ。これが我が家ですでに10年近く続いている。
だしをとるといってもただ漬けておくだけである。
最初は一晩漬けていたのだが、私も当時は外で働いていて用意できないときもあったりする。
そのうち、はじめからお湯につけておけば短時間でだしが出ることに気づき、小さく切った昆布をお湯に10分ほど漬けておいてそのまま煮てしまうというのが現在の定番となっている。料理の本などを見ると、「昆布は鍋の中で長く煮ると、昆布の臭みが出る」と書かれているが、慣れてしまえばまったく気にならないし、料亭で使うみたいに一枚10cmくらいはありそうな立派な昆布を使うわけではないので、友人が来たときに聞いたりもするが、つけっぱなしでも臭いは気にならないそうだ。
昆布は、切った角から一番だしが出るので、最初にあらかじめ2cm角ほどに切って保存容器に入れておき、ふだんはそれを更に細い短冊状に切って味噌汁用の鍋に入れておく。もちろん長くつけられるときはそうするし、具によってかつおのだしを足したり、煮干のだしを足したりしていろいろ考えるのが楽しくなってきた。
そうしてすごしているうちに、ある日市販のブイヨンで簡単にダシをとったスープを作ったところ、美味しく感じなくなってきていることに気づいた。和風のダシは昆布を利用することでほとんど化学調味料の類を使わなくなっていたのだが、洋風のダシは時間とコストがかかるので市販のブイヨンを使っていたのだ。
ある年沖縄料理にはまったときに、豚肉を数時間煮込んでそのゆで汁を冷やし、ラードをとったものを利用したスープを作ったのだが、これがめちゃくちゃ美味しいことに気づき、そのときから洋風のだしも自分でとることにした。別に野菜くずを入れて数時間とかそんな凝ったことはしない。安いときに豚肉の塊を買ってきて、数時間煮込み、豚肉は小分けして冷凍し、ゆで汁は一晩おいてラードをとって密封できる袋に入れて冷凍するのである。シチューなどを作るときは、これを溶かして利用する。あとは、野菜などと煮込めば、自然と野菜のダシが出るのだ。
ブイヨンを利用するよりは味が単純だけど、素材の美味しさが素直に味わえるようになったと思う。
こうして、我が家では化学調味料的なだしが姿を消したのだった。
もちろん、「簡単」とかいってもほんだしやブイヨンを使うよりは手間がかかる。最近になって、スローフードが世間ではおしゃれな生活習慣だといわれたり、食品の安全性がうたわれ健康的な消費が推奨される中、我が家もその例にもれず「調味料くらいはいいものを」とか「化学調味料の味にがまんできない」などと言いたれたりしているのだが、だからといって外食が嫌いなわけでもなかったりするし、ファーストフードやインスタント食品なんて論外なんていうつもりはまったくない。
ただ、歳をとってくると食べられるものが多くなってくるのと同時にどうしても嫌なものも増えてくる。私の場合、それが化学調味料だったりするのだ。
今の私は自分の生活を自分で管理できる立場にいる。子供の頃のように大人の間違った知識に翻弄される必要はない。大人だけの家庭で嫌いなものが食卓に上ることがないように、うちでは化学調味料そのものが嫌いなので使わないだけである。
いやなものは食べたくないので、最近は納豆についているタレも使わなくなってしまったし、漬物も自分で漬けるようになった。
だからといって化学調味料を食生活の場からいっさいなくすなんて、ちょっと不可能に近い。そうとうの努力と財力が必要だと思う。どんなに気をつけていても外食したりしたときに知らず知らずのうちに化学調味料を食べていることは認識しなければならないだろうし、およばれした家でご馳走になるのに「これ化学調味料使っているので食べられない」などと言うのは愚の骨頂である。
しかも、私の好きな東南アジア料理や中華料理には微量か多量かの違いはあれど、必ずといっていいほど化学調味料は使用される。これらはもう「使用することが正しい調理法」だと思わないではいられない。あとは、それを選択するかどうかなのだ。
幸いうちは旦那が協力的なので、二人で楽しんで「家庭内化学調味料撲滅運動」を推進することができる。面倒なことのほうが多いけど、楽しい遊びだと思えばいいかという考え方である。
流行好きの母に翻弄された私にも確実に母の血は流れているので、いつまで続くかわからないが、化学調味料への幼児期の記憶はけっこう鮮明で、思い出すにつれてあのなめたときの感触が忘れられず、化学調味料を好きになることはまずないと思うので、しばらくはがんばれるだろうと思いたい。
おわり
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