◇トルコ旅行記 〜6月2日 作戦失敗〜 ― 2007年06月17日 04時48分25秒
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6月2日のお昼ご飯。 左の皿がほうれん草炒め、中央上の皿が巨大なナスとチキンのチーズ焼き、中央下の皿がドマテス・ドルマス、右中央の皿がトマト味のピラウ、どんぶりにはジャジュク、右の籠はフリーのパン。 |
■ロカンタでお昼を食べる。
トラムヴァイの通りまで戻ると、西に向かって右手にはレストランが軒を連ねている。気軽なケバブ屋もあれば、ロカンタも多い。私たちのトルコ旅行の一番の楽しみは食事で、高級なレストランよりもロカンタに入るのが楽しみだった。ロカンタとは惣菜食堂のようなもので、すでに調理済みの食べ物が店頭のショーケースに並べられておりそれを自分で選んで注文するシステムの食堂のことだ。もちろんメニューもあるのでそこから注文しても良いが、目の前にごちそうが並んでいるとお店の人に好みなどを伝え、料理の説明などを受けながら注文するのが楽しい。だが、これは目がほしくなってついたくさん注文してしまう心理作戦のような気もする。日本にも似たようなシステムの食堂があるが、最近はなかなか姿を見かけなくなった。
たくさんある店の中からひときわショーケースの大きな店をちらっとのぞくと、中からかっぷくの良いおじさんが現れ、すでにお約束の質問となった「どこから来たのか?」と聞く。「日本からだ」と答えると、「スタッフには日本語の話せる人がいるから、安心して中に入って食事ができる」と日本語ができるというスタッフを指差し店に誘導する。ご馳走を目の前にしてもう迷っている場合ではなかったので、そこに入ることに決める。そこはアヤソフィアからすぐのトラム沿いにあるジャン・レストランというロカンタだった。
日本語ができるというスタッフは「メルハバ」とトルコ語の挨拶をした後、片言の日本語で料理の説明を簡単にしてくれ、お勧めを聞きながら「シェアして食べるから」と一皿づつ注文する。
きゅうりをヨーグルトとにんにくで和えたトルコ風ヨーグルトスープ風サラダ「ジャジュク」、トルコのご飯「ピラウ」はトマト味のものを、トマトに米やひき肉を詰めて焼いた「ドマテス・ドルマス」、巨大なナスとチキンのチーズ焼き、ほうれん草炒めなどを注文するが、私たちはここで大きな間違いをおかした。
トルコのレストランは、席につくともれなくパンがサービスされる。おかずの量に関係なく、テーブルに着くと一番最初にパンが大量に運ばれてくるのだ。私たちはこのことを事前に学習して知っていたはずなのに、このときはあまりの空腹とイスタンブールで最初のまともな外食だったせいか、パンを自分たちの許容量に入れて計算していなかったのだ。米もよく使われているが、米はトルコでは野菜として扱われるため、ピラウを頼んでも主食はあくまでパンである。 帰国後、トルコの人たちのロカンタでの食事風景を録画していたビデオで確認したところ、みんなだいたいスープとおかずだけなど1品か2品程度注文しそれをおかずにパンを食べるというスタイルらしく、みんなけっこう簡素に食事をしている。
いくら空腹でもこれはちょっと欲張りすぎだろうと、旦那と二人でテーブルに並べられた料理を見て苦笑してしまった。一人前によそってくれる量もけっこうあるので、二人とは言ってもこの量は多すぎである。
それでも、テーブルに並んだ料理は空腹を度外視しても大変美味である。世界一美味しいというトルコのパンは非常にもっちりしていて、トルコの料理にとてもよく合う。特に自給率100%という野菜は素材そのものの味が良く、ナスの味は最高だった。トマトは大きくて皮が厚いためか、詰め物をして焼いても日本のトマトのように形が崩れることはないらしい。香辛料を使ってはいるが、味付けは非常にシンプル。素材の味を十分に堪能できるのが嬉しい。
なんとか全て完食したが、案の定お腹はみちみちになってしまった。食後にトルコの紅茶チャイを注文し、午後にそなえて500mlの水を一本持ち帰りで注文する。会計は、29.5YTL(記憶不確か。日本円で約2650円)くらい。
トルコ式にチャイには砂糖を入れて多少元気になったが、長時間の歩き疲れは前日にあまり眠っていないせいもありなかなか改善されなかった。
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トプカプ宮殿の庭から見たボスポラス海峡の景色。 |
■撃沈する。
食事を終え、アヤソフィアの前を通り抜けてトプカプ宮殿へ向かう。
アヤソフィアからトプカプ宮殿への道のりはスルタンアフメット地区一番の観光のメッカである。行き交う人はほとんど外国人で、通り沿いにはトルコやイスタンブールのガイドブックや、トルコ名物のゴマパン、洋服やスカーフ、お土産物などを売っている露店が続く。
途中でナザールボンジュなどを売る店があったのでひやかしに覗いてみると、お店の兄ちゃんが小さな椅子に座ったまま声をかけてきた。トルコでの外国人への第一声はきまって「どこから来たか」の確認である。
観光初日の私たちは、この手の客引きを異常に警戒していたため、「日本人ではないということにしよう」という取り決めをしていた。私はほんの少しだけどロシア語を話すことができるし、旦那は英語ができるから、ロシアからの観光客だということにしていたのだ。広いロシアの中には、私たち日本人と顔かたちが似ている民族がたくさんいる。広大なロシアのたくさんある連邦国からあまり名前の知られていない国を選べば、トルコ人から見れば本当に日本人なのかどうかは判らないだろうという作戦だ。
最初に「コリア?」と聞かれて首を横にふると、「チャイニーズ?」と聞くので再び首を横にふる。「ジャパニーズ?」と聞かれて再度首を横にふる。「じゃあどこから来たんだ?」と聞かれて、「ロシア」と答える。しかし、慣れない嘘はつくものではない。
店の兄ちゃんを半分無視して店の品物を見ていると、兄ちゃんがいきなり日本語で「おばさ〜ん」と私に向かって叫んだのだ。そして私は不覚にも、その言葉に思い切り反応してしまったのだ。思わず振り向いた私を見てお店の兄ちゃんは「やっぱり日本人だ〜」と笑ったので、私たちはしまったとばかりふきだしてしまった。あまりにも体裁が悪いので、早々にその場を立ち去るしかなかった。
トプカプ宮殿の入口の門には、両側に一人づつ兵士が銃を持って立っている。私たちが門に着いたときには、左側に金髪で碧眼の兵士、右側にアラブ系の顔立ちの兵士が無表情に立っていたが、門は南を向いているのでどちらの兵士も顔が真っ黒に日焼けしている。ちょうど交代の時間だったのか、私たちが門を通りぬけた直後にさきほどまで門に立っていた兵士が足早に談笑をしながら追い越していった。立っているときは姿勢を正して微動だにしていなかったので、こういう人たちも休憩に入るときはリラックスして笑うのだなと思った。
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トプカプ宮殿の庭で、疲れ果てて景色を眺める私(-_-)。 | |
チケットゲートに入る前に情報をチェックしようと芝生の木陰に腰掛けたら、あまりにも景色がいいのと帰路に着く人の顔がどの人も疲労困憊しているのを見て、腰をあげる気力がなくなってしまった。
芝生の中では、大きな犬が木陰で昼寝をしていた。猫はどこでも見かけるが、犬はトルコに着いて初めて見た。よく見ると耳に何か確認票のようなものをつけている。
10分ほど休憩して「この体力では宮殿見物は無理だから、一度ホテルに帰って休みたい。トプカプ宮殿はまた違う日にしよう」と旦那に訴え、この日の宮殿見物は中止にすることになった。
この時には旦那はすでにトプカプ宮殿とホテルの位置をきちんと把握しており、最短のルートでホテルに戻ることができたが、トプカプ宮殿からホテルまでは歩いて10分ほどしかかからなかった。
帰りの下りの坂道で道路の整備の悪いところに足をとられてけつまずき、その様子を見ていた観光バスを誘導するおじさんが「マダ〜〜ム、大丈夫か?」と心配して声をかけてくれた。しかも日本語ではないにしろ私はここでもおばさん扱いであり、疲れきった意識の中で国際的にも私はおばさんなのだと自己認識してちょっとへこむ(まあ、当然といえば当然なのだが)。
ホテルに戻ると、二人のトルコ人男性が玄関前の外テーブルでチャイを飲みながらバックバャモンをしている。バックギャモンは20年程前にはまったが、その後プレイできる人に恵まれずここ数年はネットプレイだけで我慢しているゲームである。
興味深げに遠くから覗き込もうとすると、「チャイをごちそうするから是非テーブルに座って見ていきなさい」と笑顔で誘われる。見たい気持ちはやまやまだが今は身体を休めるのが先決なので返事に困っていると、旦那がすかさず「彼女はとても疲れている」と説明する。ゲームをしていたのはホテルのスタッフらしく私が興味を示したことを非常に嬉しく思っている様子で「待っているから部屋に荷物をおいて戻ってこい」と言うが、旦那が「とても無理そうだ」と言ったので彼等はとてもがっかりしてしまった。私が「しーゆーあげん」と手をふったら、彼等も笑顔で手をふってくれた。
出るのが遅かったのにくたくたに疲れ果ててものすごく早くホテルに戻ったためか、ロビーカウンターのスタッフが私たちを見てびっくりしている。鍵を受け取り部屋に戻ると、ベッドカバーが部屋の隅においてある状態で、まだ部屋の清掃が完全にすんでいなかったらしい。汗だくの身体で直接シーツの中に入るのは嫌だったので、ベッドカバーを自分でベッドに広げてその上に横になるとほどなくして眠ってしまった。
つづく
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