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◇日本のロックシーンの再現映画の是非について手前勝手に考える2009年09月25日 01時19分04秒


暗黒大陸じゃがたら

1970年代、イギリス マンチェスターで活躍したJoy Divisionのドキュメンタリー映画「JOY DIVISION」と、そのバンドのヴォーカルで23歳の若さで急逝したイアン・カーティスの生涯を描いた映画「CONTROL」を見て、旦那とこんな話をした。

こういう映画って、日本ではあまりないよね。
もし作るとしたら、どんな人が適当だろうか。

そういわれて見ると、国民的スターといわれる人たちの生涯を描いたテレビドラマは見るが、実際映画となるとあまり聞かない。美空ひばりや石原裕次郎でさえ、映画化されたという話は聞かない。
インディーズ的なところになると、1970年代後半に「東京ロッカーズ」として活躍した、S-KEN、ミラーズ、フリクション、ミスターカイトなどのライブ映像などを集めたビデオ作品はあるのだが、それでも当時の状況を告白しているようなインタビュー形式のものではないし、状況を演技しているものでもない。

もし、Joy Divisionのように一部の熱狂的なファンが存在し、その後の日本のシーンに影響を与えた日本のアーティストの映画を作るとしたら誰だろう。

じゃがたらファンである旦那は、「江戸アケミ」とすかさず言った。
確かに、アケミならコアなファンはまだ存在するし、彼らの発信していた危惧感は現実のものになりつつある。アケミの映画を作るのは、今がちょうどいい時期なのかもしれないとも思う。
しかし、アケミを映画化するとして、誰がアケミを演じるのか。
Wikipediaの「JAGATARA」の項にはこう書いてある。

『この頃は江戸の放尿、浣腸、脱糞、ニワトリやシマヘビを生きたまま食う、などのパフォーマンスでエログロ的な関心を集め……』

こんなことを実際演技で演じてくれる、アケミっぽい俳優なんているのか?
旦那は、「マチゾー(町田 康)がいいと思う」と言う。
しかし、すでに小説家として高名になったマチゾーが、いまさら演技でシマヘビ食ったりするだろうか。しかも、マチゾーはアケミがじゃがたらにいた時分には、パンクロッカーとして活動していたいわば同期の桜なのだ。

このときはちょうど外で食事をしていたので、あえて放尿、脱糞等の事項の話には触れないようにしつつも、アケミの映画化の話から「アケミのほかには誰がいるか」という話を食事が終わるまで続けていたが、食事が終わってしまったのでその話はその後までは続かなかった。



有頂天

しかし、この話は私の中では進行中なのである。あれからずっと考えているのだ。
個人的には1980年代半ばのインディーズシーンを支えたナゴムレーベルのドキュメント映画というのがあれば見てみたい。監督はもちろんナゴムの代表ケラこと、ケラリーノ・サンドロビッチ以外には考えられない。ナゴムで活躍していたバンドの一部は今でも現役で活躍している人が多いので、できればそういう人たちにも友情出演してもらいたい。でも、オオツキケンジはそのまま本人でもいいような気がするけど。

あとは、1960年代のインディーズシーンを支えたURCレコードのドキュメント。
発想はナゴムと同じだが、こちらは歴史的証人が少なくなりつつあるので、今のうちに当時の映像を交えたものがあると嬉しい。特に、当時の「日本語で歌う」という意味について、様々なアーティストが模索していった様子を描いてほしい。
ジャックスの周辺は、ドキュメンタリーではなくドラマ仕立てになっていると、見ごたえがあるように思う。ジャックスの歴史と情報をまとめた「定本ジャックス」が発売されてすでに20年近い月日が経つが、その中身を検証すると間違いである箇所が多々あり、ネット上でもその補足をする運動があったりもするのだ。活字として残す一方で、検証映画として残ると面白いと思うのだが、これも一部のマニア向きか。

一般的なものだとしたら、「ザ・タイガース物語」とか、「ザ・テンプターズ物語」などのGSのドキュメンタリー・ドラマ。
ジュリー役を誰が演じるかが見ものだな。

もう少し最近のものだと、ボ・ガンボスのどんとの映画。
ローザ・ルクセンブルグからボ・ガンボスに至るまでの前半と、彼が亡くなるまでのボ・ガンボスでの後半。

その他、1980年代前半の日本でのニューウェイブ・シーン、YMOからその後のプラスチックスや、ヒカシュー、チャクラといった人たちの音楽シーンを、宝島、ビックリハウスといったサブカルシーンを交えてとか、いろいろ考えた。

そして考えて気づいたこと。

インターネットの普及で、わざわざ映像にしなくても、知りたい情報のほとんどは入手でき、可能であれば昔の映像だって自由に見ることができる。
イアン・カーティスの痙攣ダンスを見たくても見ることができなかった、私のジレンマなどは現在には存在しないといっていいのだろう。
そういう意味では、わざわざ一部の作り手のフィルターを通り抜けた「映画」とか「ドラマ」という媒体よりは、みんなで情報を寄せ合うWikipediaやYouTubeの方がはるかに情報媒体としてはピュアであるのかもしれない。

また、昔のことを公開することで、聖域が侵される気がするというのも理解できる。
ドキュメンタリー映画にしても、その人の昔のことを公にすることで、すでに終わってしまったことをほっくり返してまた辛い気持ちになる場合もあるだろう。
それで見えてくるものもあるだろうが、それで更に見えなくなるものもあるだろう。

でも、忌野清志郎が亡くなったときに放送されたNHKの追悼ドキュメントでは、キヨシローが最後まで「日本語で歌う意味」を追求していたことがわかり、胸が熱くなったのだ。
ロックということだけで言うのであれば、日本のロックというものがどのように変換してきたのかということだけでも、日本語の歌詞が希薄になってしまった今の日本の歌謡界に警鐘を鳴らすことになるような気もしないでもないと思ったりする。




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