◇蛍族は殺人者になりたいのか?(怒) ― 2011年05月22日 06時44分33秒
■プロローグ
ここのところ、関東では朝晩は涼しいが、天気のいい日は日中25度を超す夏日になることもある。
私の住む集合住宅のうちの部屋は、風通しが良いせいか、南側のベランダと北側の窓を開けてやると、風が南から北に抜けるのでとても心地が良い。
今年は節電のためもあり、エアコンをつけるよりは窓を開ける家も増えるだろう。
我が家もできる限り、エアコンの使用は控えたいと思っている。
しかし、去年あたりから困った問題がおきた。
それは、我が家の周辺の部屋の人が、ベランダでタバコを吸うようになったからだ。
ここに越してきてから数年経つが、以前はそういうことはなかったので、ここ1~2年のことなのだ。
あるいは、約2年と4ヶ月以前は私自身喫煙者だったので、自分でそうとは気づかなかっただけなのかもしれない。
とにかく、平日は早朝に一服、心地の良い夕方に一服。休日ともなると、2時間おきに気配はやってくるのだ。
禁煙して身体から有害成分が抜けるに従い、タバコによってリアルタイムに悪かった症状がなくなったおかげで、喫煙当時からすでにタバコアレルギーであったことを、禁煙して知るところとなった。
症状の重い時期は、タバコをその時吸っていない喫煙者とすれ違っただけで息苦しくなり、動悸と頭痛が激しくなるようになった。
タバコの煙を察知するだけで、声がでなくなることもある。
症状の軽い時期でも、タバコの気配には、自分からは極力近づかないようにしている。
喫煙スペースが屋外にある場所など、外で気配を感じるときには、できるだけ息を止めて歩いたりもする。
嫌煙だとか以前に、自分の生死に関わる問題になってしまったからだ。
喫煙するお父さんの居場所がなくて、マンションなどの集合住宅でのベランダで喫煙するのが話題になったのは、1980年代後半のことだ。
当時はまだ国際的にも喫煙には寛容で、神経質な欧米社会の出来事だと思っていたが、いまやタバコ好き国民の中国やトルコのような国でも、タバコが歓迎されない時代となった。
今の時代、タバコに寛容な場所などほとんどないと言っていい。
蛍族と同時発生的に出てきた、「嫌煙家」の世界的な勝利と言っていいだろう。
■個人的見解
私は喫煙者だったので、喫煙者はタバコを購入することで非喫煙者よりも多くの税金を支払い、タバコを吸う吸わないは個人の自由であるということに、異論を唱えるつもりはない。
さらに、タバコを自分の家で吸うのを、他人にとやかく言われる筋合いではないだろう。
自宅に戻っても、喫煙者が自由に過ごせる場所は家族には認められないから、仕方なくベランダに出ているという理由もあるのかもしれない。
しかし、ベランダや集合住宅の廊下は、その建物の公共スペースである。
「公共スペース」は「自宅スペース」ではない。
たとえ、自分の部屋からのみ出入りができる場所であり、普段プライベートな洗濯物などが干され、プライベートな収穫物を育てるスペースだったり、敷地が広い場合はベランダに出てお食事なんてこともすることもあるような、とかくプライベート性の高いスペースであったとしても、ベランダは“自分の家”であって“自分の家”ではない。
集合住宅に住む住民は、「ベランダは公共スペース」であることを常に頭に入れて生活をしなければならないよう、入居時の契約書には必ず明記されているはずだ。
マンションのエレベーターが禁煙であるのと同じ理屈だ。
蛍族に関しての意見をネットを見ていても、「タバコ自体が合法だから自宅での喫煙に文句の言いようがない」とか、タバコと排気ガスを同等に論じられることも多い。
しかし、タバコが喫煙者と非喫煙者の相互のマナー意識や注意で、いかようにも被害を少なくすることができるのに対し、排気ガスは個人が車に乗らなかったとしても、路線バスや運送業のトラックなど、人が生活するうえで間接的に利用しているものも含まれているため、同一に論じるものでもないように個人的には思う。
同じ視点で論じるなら、アレルギー患者にとっては「0と1」と「0と100」はあまり変わらない現実がある。アレルゲンが存在するかしないかが問題だからだ。
もちろん、アレルゲンが少なければ、症状自体もそれなりに起こりにくかったり、軽かったりすることはある。
花粉症の人が、大気中の花粉の量で症状の軽減があるのと同じだ。
しかし、原因が1であっても発作が起こってしまえば重症化することもある。
車の排気ガスにアレルギーを持つ人がいたとしたら、車が100台走っていようが1台だけだろうが、やはり発作が起これば量は関係ないといえるだろう。
自分が車を持っていなくても、外を走る車にまったく関係しない人などほとんどいない。
生活をする上では流通は欠かせないものだし、車を持っていなければバスを利用する人だっている。それは、間接的に排気ガスを撒き散らしているのと同じだと思う。
排気ガスは、タバコのように、個人が注意をすることで防げるものではない。
ただの嫌煙なら、見方を変えればそういう論理も成り立つこともあるのかもしれないが(個人的にはナイが)、アレルギーは好き嫌いの問題ではない。
大気汚染の原因となる自動車や工場の煙などは、長い業界努力で、昔よりはだいぶましになってきた。
でも、タバコの煙は「少なくなった」とか「臭いが気にならない」というのはあるが、有害物質の量は、タバコの銘柄の問題になってしまう。
昔よりは軽いタバコが好まれるようになったとはいっても、自分の周囲を漂う煙の有害物質の量がどのくらいかは、やはり喫煙者個人の影響によるものが大きい。
タバコを目の敵にする人は、タバコや喫煙者の存在そのものよりも、喫煙者と吸殻の周辺に漂う副流煙とその臭いがいやなのだ。
中には喫煙所に行ってまで、嫌煙を声高に唱えるヒステリックな人もいるかもしれないが、タバコを吸う場所と吸えない場所をきっちり分けるのであれば、例え屋外に喫煙所があって周囲に煙と臭いが漂っていたとしても、その影響を受ける場所にわざわざいる嫌煙者が悪いとも思う。
(もちろん、灰皿の置いてある場所の問題もある。コンビニなどのように、入り口付近に灰皿があると、防ぎたくても防ぎようがないが。)
そういう意味では、「自宅」というパーソナルスペースに他人の影響が大きく関与するのは、あまり歓迎する問題ではない。それが健康被害に関係してくるなら、小さな問題でもないだろうと思う。
まともな感覚を持って集合住宅に住んでいるなら、騒音や臭いなど、隣近所に影響するようなものは、できるだけ個人個人で注意するのが住む人のマナーであり、集合住宅在住に限らず社会生活での最低限の決まりごとだ。
それはタバコだけの問題ではないだろう。
蛍族の問題に関しては、集合住宅での生活において個人が注意をすることで防げることであり、喫煙者と非喫煙者の一般的な論争と同じ位置づけをすること自体おかしな話だと思う。
部屋の中(自宅の占有スペース)でタバコを吸っていて、それが外に出て影響を受けているのとは訳が違う。
また、一家庭の中の喫煙問題は、個々の自宅スペースの中で解決する問題だ。家族の喫煙への反対だとか、自分の部屋が汚れるのを嫌うというのは、理由としては論外だ。
■でかい文字で赤く怒る
私はこれまで、このブログでも喫煙自体は否定しても、喫煙する自由を批判することは避けてきたつもりだ。
私自身の喫煙時代を言い訳すると、喫煙マナーが一般的な重要事項として認識してからは、外ではほとんど喫煙することはなかったし、タバコを持ち歩くことも稀だった。
喫煙していたのは自宅の仕事場がほとんどで、喫煙者である自分と非喫煙者(特に旦那)の健康と引き換えにしてきた。
長く禁煙できなかった理由としては、他の喫煙者とたいして変わらない。
自分自身タバコのアレルギーがあっても、自分が喫煙者であったからこそ、私には喫煙を批判しても、マナーを守る喫煙者までは批判できなかった。
しかし、自分の喫煙歴を棚に上げても、勝手だと言われても、これだけは許せない。
喫煙を許可した来客でもないのに、自分の家にいながらにして、個人的な理由で赤の他人から健康被害を受ける理由はないからだ。
だからあえて、でかい文字で赤く言いたい。
アレルギーは誰がどんな症状なのか、他人には理解してもらいづらいものも多く、それでも当の本人には死活問題である。
好きでこんな身体になったわけでは決してないが、元喫煙者にとってはタバコだけは「なるべくしてなった」と言われてもしょうがない。
だからといって、「それくらい我慢しろ」とか「元喫煙者なら、それはあんたの我侭だ」と言われるのは、「死ね」と言われることと同じことなのだ。
「自分の家さえクリーンで、自分の家族に害が及ばないなら、よその家に迷惑かけても関係ない」というなら、そいつは集合住宅に住む資格はない。
福島の原子力発電所の事故で飛散した放射性物質について、人体への影響(特に子供)が各地で問題になっているが、自宅にいながら意図しない副流煙が他人の家に入ることは平気なのだろうか。
だとしたら蛍族は、ベランダに生ゴミ放置するよりも、事故を起こした原子力発電所よりもタチが悪い。
生ゴミは臭いけど人体には影響はほとんどないだろうし、原子力発電所は人災といわれるが、事故自体は意図的に起こされたものではないからだ。
タバコをベランダで吸うということは、意図的に周囲に撒き散らしているのだから、蛍族は生ゴミ以下、原子力発電所以下ということだ。
今、放射性物質が気になるなら、タバコの人体への影響だってそれに匹敵するくらい大きい。
自宅に子供がいることが蛍族の理由で、隣近所に小さな子供がいるのであれば、自分の家の子供だけが助かればいいって話になるのではないか。
放射性物質が将来的に癌などの原因になる確率は、成分によってはタバコの害より低い。
まして、政府が言うところでは、放射性物質は「すぐに人体に影響はない」ということだが、アレルギー患者にとってタバコの煙は、「発作ですぐに死に至る危険あり」なのだ。
個人的には、マナーの守れない喫煙者に、子供の安全だとか放射能だとか言う資格なしとさえ思う。
喫煙者の多くは、「これだけ外で我慢しているのだから、家でぐらい好きにさせろ」と言いたいかもしれないが、あなたがタバコを吸う風下では、あなたの吐き出す煙で、すぐにでも死ぬ人がいるかもしれないことを知ってほしい。
それでなくても、駅などの公共施設の喫煙所が外にあるおかげで、どうしても風で被害を避けられない場合もあるが、タバコを歓迎しない人だって黙っているだけで我慢している。
今年は節電モードで、エアコンをつけるよりは窓を開ける家が増えるだろう。
タバコの煙がいやなら窓を閉めればいいという意見もあるかもしれないが、タバコの煙を家の中で感知したときには、すでに煙は外にはない。
先日は、南側のベランダからの風で、北側の部屋で臭いを感知することになった。それはすでに、家の中を煙が通り過ぎていることを意味するので、感知してから窓を閉めても無駄なのだ。
その証拠に、どこの誰が吸っているのか確認しようにも、煙を部屋で感知してベランダに出たときには、人影はよそのベランダにはない。
洗濯物を外に干せば、臭いだってつくこともある。
それに、今年が去年のような暑さであれば、エアコンなしで窓を閉めれば熱中症の危険だってある。
■エピローグ
ここまで喫煙を批判されても、こんなにタバコの税金が高くなっても、それでも「私は喫煙し続ける」という、ある意味強い意志があるなら、絶対的にマナーを守るという強い意志も同時に身に着けてほしい。
タバコ吸えないところでは、我慢するくらいの覚悟もてないなら、タバコ吸う資格さえないとさえ言いたい。
タバコ我慢したくらいじゃ、イライラするかもしれないけど、直接的に死ぬことはない。
「同じ穴のムジナだったくせに、禁煙に成功したからって偉そうなこと言うな」と思うなら、「世間の風潮に同調した情けないヤツ」だと思われてもかまわない。
禁煙したからって、喫煙者よりも偉いなんて、1μgも思ってはいないからだ。
喫煙者が禁煙者に山ほどの言い訳をするのは、どこかで後ろめたいと思っている証拠だ。
吸うと決めたなら、マナー守って堂々と吸えばいい。
家族が反対するなら、理解してもらえばいい。
それでも理解がないなら、せめて自宅では我慢する訓練をすべきだ。
私は逆で、外出したときは喫煙しなかったけど、それでも完全に禁煙するよりは辛くない。
職場や学校などが全面禁煙でも、外に出れば喫煙できるエリアも昔よりは多いと感じる。
喫煙する人も、嫌煙者にかたくなに言い訳したり、屁理屈言ったりするくらいなら、喫煙できる環境と、自分の喫煙サイクルを、自分の生活の中できっちり作る必要があるのではないか。
何も選択は「禁煙か、喫煙か」の二つしかないわけではない。
行政が、世間がって、他人のせいばかりにしていないでさ。
ここのところ、関東では朝晩は涼しいが、天気のいい日は日中25度を超す夏日になることもある。
私の住む集合住宅のうちの部屋は、風通しが良いせいか、南側のベランダと北側の窓を開けてやると、風が南から北に抜けるのでとても心地が良い。
今年は節電のためもあり、エアコンをつけるよりは窓を開ける家も増えるだろう。
我が家もできる限り、エアコンの使用は控えたいと思っている。
しかし、去年あたりから困った問題がおきた。
それは、我が家の周辺の部屋の人が、ベランダでタバコを吸うようになったからだ。
ここに越してきてから数年経つが、以前はそういうことはなかったので、ここ1~2年のことなのだ。
あるいは、約2年と4ヶ月以前は私自身喫煙者だったので、自分でそうとは気づかなかっただけなのかもしれない。
とにかく、平日は早朝に一服、心地の良い夕方に一服。休日ともなると、2時間おきに気配はやってくるのだ。
禁煙して身体から有害成分が抜けるに従い、タバコによってリアルタイムに悪かった症状がなくなったおかげで、喫煙当時からすでにタバコアレルギーであったことを、禁煙して知るところとなった。
症状の重い時期は、タバコをその時吸っていない喫煙者とすれ違っただけで息苦しくなり、動悸と頭痛が激しくなるようになった。
タバコの煙を察知するだけで、声がでなくなることもある。
症状の軽い時期でも、タバコの気配には、自分からは極力近づかないようにしている。
喫煙スペースが屋外にある場所など、外で気配を感じるときには、できるだけ息を止めて歩いたりもする。
嫌煙だとか以前に、自分の生死に関わる問題になってしまったからだ。
喫煙するお父さんの居場所がなくて、マンションなどの集合住宅でのベランダで喫煙するのが話題になったのは、1980年代後半のことだ。
当時はまだ国際的にも喫煙には寛容で、神経質な欧米社会の出来事だと思っていたが、いまやタバコ好き国民の中国やトルコのような国でも、タバコが歓迎されない時代となった。
今の時代、タバコに寛容な場所などほとんどないと言っていい。
蛍族と同時発生的に出てきた、「嫌煙家」の世界的な勝利と言っていいだろう。
■個人的見解
私は喫煙者だったので、喫煙者はタバコを購入することで非喫煙者よりも多くの税金を支払い、タバコを吸う吸わないは個人の自由であるということに、異論を唱えるつもりはない。
さらに、タバコを自分の家で吸うのを、他人にとやかく言われる筋合いではないだろう。
自宅に戻っても、喫煙者が自由に過ごせる場所は家族には認められないから、仕方なくベランダに出ているという理由もあるのかもしれない。
しかし、ベランダや集合住宅の廊下は、その建物の公共スペースである。
「公共スペース」は「自宅スペース」ではない。
たとえ、自分の部屋からのみ出入りができる場所であり、普段プライベートな洗濯物などが干され、プライベートな収穫物を育てるスペースだったり、敷地が広い場合はベランダに出てお食事なんてこともすることもあるような、とかくプライベート性の高いスペースであったとしても、ベランダは“自分の家”であって“自分の家”ではない。
集合住宅に住む住民は、「ベランダは公共スペース」であることを常に頭に入れて生活をしなければならないよう、入居時の契約書には必ず明記されているはずだ。
マンションのエレベーターが禁煙であるのと同じ理屈だ。
蛍族に関しての意見をネットを見ていても、「タバコ自体が合法だから自宅での喫煙に文句の言いようがない」とか、タバコと排気ガスを同等に論じられることも多い。
しかし、タバコが喫煙者と非喫煙者の相互のマナー意識や注意で、いかようにも被害を少なくすることができるのに対し、排気ガスは個人が車に乗らなかったとしても、路線バスや運送業のトラックなど、人が生活するうえで間接的に利用しているものも含まれているため、同一に論じるものでもないように個人的には思う。
同じ視点で論じるなら、アレルギー患者にとっては「0と1」と「0と100」はあまり変わらない現実がある。アレルゲンが存在するかしないかが問題だからだ。
もちろん、アレルゲンが少なければ、症状自体もそれなりに起こりにくかったり、軽かったりすることはある。
花粉症の人が、大気中の花粉の量で症状の軽減があるのと同じだ。
しかし、原因が1であっても発作が起こってしまえば重症化することもある。
車の排気ガスにアレルギーを持つ人がいたとしたら、車が100台走っていようが1台だけだろうが、やはり発作が起これば量は関係ないといえるだろう。
自分が車を持っていなくても、外を走る車にまったく関係しない人などほとんどいない。
生活をする上では流通は欠かせないものだし、車を持っていなければバスを利用する人だっている。それは、間接的に排気ガスを撒き散らしているのと同じだと思う。
排気ガスは、タバコのように、個人が注意をすることで防げるものではない。
ただの嫌煙なら、見方を変えればそういう論理も成り立つこともあるのかもしれないが(個人的にはナイが)、アレルギーは好き嫌いの問題ではない。
大気汚染の原因となる自動車や工場の煙などは、長い業界努力で、昔よりはだいぶましになってきた。
でも、タバコの煙は「少なくなった」とか「臭いが気にならない」というのはあるが、有害物質の量は、タバコの銘柄の問題になってしまう。
昔よりは軽いタバコが好まれるようになったとはいっても、自分の周囲を漂う煙の有害物質の量がどのくらいかは、やはり喫煙者個人の影響によるものが大きい。
タバコを目の敵にする人は、タバコや喫煙者の存在そのものよりも、喫煙者と吸殻の周辺に漂う副流煙とその臭いがいやなのだ。
中には喫煙所に行ってまで、嫌煙を声高に唱えるヒステリックな人もいるかもしれないが、タバコを吸う場所と吸えない場所をきっちり分けるのであれば、例え屋外に喫煙所があって周囲に煙と臭いが漂っていたとしても、その影響を受ける場所にわざわざいる嫌煙者が悪いとも思う。
(もちろん、灰皿の置いてある場所の問題もある。コンビニなどのように、入り口付近に灰皿があると、防ぎたくても防ぎようがないが。)
そういう意味では、「自宅」というパーソナルスペースに他人の影響が大きく関与するのは、あまり歓迎する問題ではない。それが健康被害に関係してくるなら、小さな問題でもないだろうと思う。
まともな感覚を持って集合住宅に住んでいるなら、騒音や臭いなど、隣近所に影響するようなものは、できるだけ個人個人で注意するのが住む人のマナーであり、集合住宅在住に限らず社会生活での最低限の決まりごとだ。
それはタバコだけの問題ではないだろう。
蛍族の問題に関しては、集合住宅での生活において個人が注意をすることで防げることであり、喫煙者と非喫煙者の一般的な論争と同じ位置づけをすること自体おかしな話だと思う。
部屋の中(自宅の占有スペース)でタバコを吸っていて、それが外に出て影響を受けているのとは訳が違う。
また、一家庭の中の喫煙問題は、個々の自宅スペースの中で解決する問題だ。家族の喫煙への反対だとか、自分の部屋が汚れるのを嫌うというのは、理由としては論外だ。
■でかい文字で赤く怒る
私はこれまで、このブログでも喫煙自体は否定しても、喫煙する自由を批判することは避けてきたつもりだ。
私自身の喫煙時代を言い訳すると、喫煙マナーが一般的な重要事項として認識してからは、外ではほとんど喫煙することはなかったし、タバコを持ち歩くことも稀だった。
喫煙していたのは自宅の仕事場がほとんどで、喫煙者である自分と非喫煙者(特に旦那)の健康と引き換えにしてきた。
長く禁煙できなかった理由としては、他の喫煙者とたいして変わらない。
自分自身タバコのアレルギーがあっても、自分が喫煙者であったからこそ、私には喫煙を批判しても、マナーを守る喫煙者までは批判できなかった。
しかし、自分の喫煙歴を棚に上げても、勝手だと言われても、これだけは許せない。
喫煙を許可した来客でもないのに、自分の家にいながらにして、個人的な理由で赤の他人から健康被害を受ける理由はないからだ。
だからあえて、でかい文字で赤く言いたい。
ベランダでタバコを吸う行為は、
殺人も同じ。
蛍族は殺人者になりたいのか?
殺人も同じ。
蛍族は殺人者になりたいのか?
アレルギーは誰がどんな症状なのか、他人には理解してもらいづらいものも多く、それでも当の本人には死活問題である。
好きでこんな身体になったわけでは決してないが、元喫煙者にとってはタバコだけは「なるべくしてなった」と言われてもしょうがない。
だからといって、「それくらい我慢しろ」とか「元喫煙者なら、それはあんたの我侭だ」と言われるのは、「死ね」と言われることと同じことなのだ。
「自分の家さえクリーンで、自分の家族に害が及ばないなら、よその家に迷惑かけても関係ない」というなら、そいつは集合住宅に住む資格はない。
福島の原子力発電所の事故で飛散した放射性物質について、人体への影響(特に子供)が各地で問題になっているが、自宅にいながら意図しない副流煙が他人の家に入ることは平気なのだろうか。
だとしたら蛍族は、ベランダに生ゴミ放置するよりも、事故を起こした原子力発電所よりもタチが悪い。
生ゴミは臭いけど人体には影響はほとんどないだろうし、原子力発電所は人災といわれるが、事故自体は意図的に起こされたものではないからだ。
タバコをベランダで吸うということは、意図的に周囲に撒き散らしているのだから、蛍族は生ゴミ以下、原子力発電所以下ということだ。
今、放射性物質が気になるなら、タバコの人体への影響だってそれに匹敵するくらい大きい。
自宅に子供がいることが蛍族の理由で、隣近所に小さな子供がいるのであれば、自分の家の子供だけが助かればいいって話になるのではないか。
放射性物質が将来的に癌などの原因になる確率は、成分によってはタバコの害より低い。
まして、政府が言うところでは、放射性物質は「すぐに人体に影響はない」ということだが、アレルギー患者にとってタバコの煙は、「発作ですぐに死に至る危険あり」なのだ。
個人的には、マナーの守れない喫煙者に、子供の安全だとか放射能だとか言う資格なしとさえ思う。
喫煙者の多くは、「これだけ外で我慢しているのだから、家でぐらい好きにさせろ」と言いたいかもしれないが、あなたがタバコを吸う風下では、あなたの吐き出す煙で、すぐにでも死ぬ人がいるかもしれないことを知ってほしい。
それでなくても、駅などの公共施設の喫煙所が外にあるおかげで、どうしても風で被害を避けられない場合もあるが、タバコを歓迎しない人だって黙っているだけで我慢している。
今年は節電モードで、エアコンをつけるよりは窓を開ける家が増えるだろう。
タバコの煙がいやなら窓を閉めればいいという意見もあるかもしれないが、タバコの煙を家の中で感知したときには、すでに煙は外にはない。
先日は、南側のベランダからの風で、北側の部屋で臭いを感知することになった。それはすでに、家の中を煙が通り過ぎていることを意味するので、感知してから窓を閉めても無駄なのだ。
その証拠に、どこの誰が吸っているのか確認しようにも、煙を部屋で感知してベランダに出たときには、人影はよそのベランダにはない。
洗濯物を外に干せば、臭いだってつくこともある。
それに、今年が去年のような暑さであれば、エアコンなしで窓を閉めれば熱中症の危険だってある。
■エピローグ
ここまで喫煙を批判されても、こんなにタバコの税金が高くなっても、それでも「私は喫煙し続ける」という、ある意味強い意志があるなら、絶対的にマナーを守るという強い意志も同時に身に着けてほしい。
タバコ吸えないところでは、我慢するくらいの覚悟もてないなら、タバコ吸う資格さえないとさえ言いたい。
タバコ我慢したくらいじゃ、イライラするかもしれないけど、直接的に死ぬことはない。
「同じ穴のムジナだったくせに、禁煙に成功したからって偉そうなこと言うな」と思うなら、「世間の風潮に同調した情けないヤツ」だと思われてもかまわない。
禁煙したからって、喫煙者よりも偉いなんて、1μgも思ってはいないからだ。
喫煙者が禁煙者に山ほどの言い訳をするのは、どこかで後ろめたいと思っている証拠だ。
吸うと決めたなら、マナー守って堂々と吸えばいい。
家族が反対するなら、理解してもらえばいい。
それでも理解がないなら、せめて自宅では我慢する訓練をすべきだ。
私は逆で、外出したときは喫煙しなかったけど、それでも完全に禁煙するよりは辛くない。
職場や学校などが全面禁煙でも、外に出れば喫煙できるエリアも昔よりは多いと感じる。
喫煙する人も、嫌煙者にかたくなに言い訳したり、屁理屈言ったりするくらいなら、喫煙できる環境と、自分の喫煙サイクルを、自分の生活の中できっちり作る必要があるのではないか。
何も選択は「禁煙か、喫煙か」の二つしかないわけではない。
行政が、世間がって、他人のせいばかりにしていないでさ。
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