◇帯広の老舗バー建て替え ― 2015年04月20日 22時06分05秒
黒んぼの看板〈写真提供TAM〉
帯広の西三条というと、メインの西二条よりはマイナーなイメージで、個人的には「裏通り」という感じだった。
しかし、その「裏通り」には見逃せない老舗が目白押しで、黒んぼもそんな店の一つだった。
私が帯広のまちで遊んでいた頃ですでに、この看板はまちなかで異彩を放っていた。
しょんべん臭いガキには敷居が高い佇まいを見せ、私は年上の飲み仲間の友人に連れられて、一度しかこの店に入ったことがなかった。
落ち着いたカウンターに本格的なジャズが流れる店内は、特に店自体が入りづらいということではなかったし、お店の人も非常に親切だったのだが、背伸びしきっていた当時の私には1人で訪れる勇気はなかった。
所詮、ポップスカルチャーが似合う青二才だったのだ。
黒んぼの店内〈写真提供TAM〉
それから30年近い月日が経つが、私はあの後一度もお店に行った事がない。
あの懐かしい佇まいの看板や、お店の雰囲気がずっと気になっていたし、古い帯広の友人とも話題になることはあっても、一度も足を運ぶことがなかった。
今回、お店をリニューアルするというニュースが、十勝毎日新聞に掲載された。
十勝毎日新聞『ジャズ響く59年 名店に惜別 バー「黒んぼ」建て替え』
http://www.tokachi.co.jp/news/201504/20150404-0020721.php
お店の開業は1956年昭和31年らしいが、建物自体は築80年とのこと。
ジャズが好きな父に聞くと、若い頃はたまにお店に行ったとのこと。
当時はおばさんがお店にいたが、最近は二代目になっているのではないかということらしい。
新聞記事ではお孫さんが2004年に後を継がれたとのことで、今は三代目。
私がお店に行ったときは、男性がお店にいたので、私がお会いしたのは二代目だろう。
父の記憶がどこまで鮮明かはわからないが、あの当時黒んぼの近くには大きな電気店があり、プロレス中継を店の前で見ていたという話や、アメリカ軍の放出品を扱うお店があったり、焼きラーメンのお店(数件先のラーメンあざみのことらしい)があってとても美味しかったという話など、懐かしそうに話してくれた。
黒んぼは、昼は喫茶店だったが、夜はジャズが流れるバーで雰囲気と居心地のいいお店だったとのこと。
父が黒んぼに行っていたのは、結婚する前後のことらしいので、1964年昭和39年前後の話だろうと思われる。
ラーメンあざみ
ここもすでに営業はしていないが、お店だけが残っている。
父が黒んぼに行ってから50年、私から30年以上の月日が経ち、帯広のまちなかも閑散として、なじみの建物もお店も姿を消していっている。
30年も経っているのだから、すでになくなっていたって仕方がないのだが、なんとなくずっと存在していたものは、これから先も当然のようにあるのだろうと思いたい願望の方が先にたつ。
お気に入りの黒んぼの看板も、2011年に撮影したときは、もうだいぶ黒っぽくなっており、上のほうに書かれているニッカウヰスキーの文字も見えにくくなってしまっていた。
この看板も、リニューアルしてもう見ることがないのかもしれないと思うと、これだけ長い間気になっていたのだから、ジャズが聴ける年齢になってタバコが平気なうちに一度くらいは足を運びたかったと思ったりしている。
タバコアレルギーの私には今はまだ敷居の高いお店だが、そのうちリニューアルしたお店を訪れることができるといいなと思う。
その時には、あの懐かしい看板もデザインはそのままで、綺麗にリニューアルしているといいのにと願いばかりである。
夜の黒んぼの看板〈2011年8月18日撮影〉
◆2015年4月22日更新
TAM氏より、黒んぼの写真を提供いただいたので、写真の差し替えと一部記事を修正しました。
帯広の西三条というと、メインの西二条よりはマイナーなイメージで、個人的には「裏通り」という感じだった。
しかし、その「裏通り」には見逃せない老舗が目白押しで、黒んぼもそんな店の一つだった。
私が帯広のまちで遊んでいた頃ですでに、この看板はまちなかで異彩を放っていた。
しょんべん臭いガキには敷居が高い佇まいを見せ、私は年上の飲み仲間の友人に連れられて、一度しかこの店に入ったことがなかった。
落ち着いたカウンターに本格的なジャズが流れる店内は、特に店自体が入りづらいということではなかったし、お店の人も非常に親切だったのだが、背伸びしきっていた当時の私には1人で訪れる勇気はなかった。
所詮、ポップスカルチャーが似合う青二才だったのだ。
黒んぼの店内〈写真提供TAM〉
それから30年近い月日が経つが、私はあの後一度もお店に行った事がない。
あの懐かしい佇まいの看板や、お店の雰囲気がずっと気になっていたし、古い帯広の友人とも話題になることはあっても、一度も足を運ぶことがなかった。
今回、お店をリニューアルするというニュースが、十勝毎日新聞に掲載された。
十勝毎日新聞『ジャズ響く59年 名店に惜別 バー「黒んぼ」建て替え』
http://www.tokachi.co.jp/news/201504/20150404-0020721.php
お店の開業は1956年昭和31年らしいが、建物自体は築80年とのこと。
ジャズが好きな父に聞くと、若い頃はたまにお店に行ったとのこと。
当時はおばさんがお店にいたが、最近は二代目になっているのではないかということらしい。
新聞記事ではお孫さんが2004年に後を継がれたとのことで、今は三代目。
私がお店に行ったときは、男性がお店にいたので、私がお会いしたのは二代目だろう。
父の記憶がどこまで鮮明かはわからないが、あの当時黒んぼの近くには大きな電気店があり、プロレス中継を店の前で見ていたという話や、アメリカ軍の放出品を扱うお店があったり、焼きラーメンのお店(数件先のラーメンあざみのことらしい)があってとても美味しかったという話など、懐かしそうに話してくれた。
黒んぼは、昼は喫茶店だったが、夜はジャズが流れるバーで雰囲気と居心地のいいお店だったとのこと。
父が黒んぼに行っていたのは、結婚する前後のことらしいので、1964年昭和39年前後の話だろうと思われる。

ここもすでに営業はしていないが、お店だけが残っている。
父が黒んぼに行ってから50年、私から30年以上の月日が経ち、帯広のまちなかも閑散として、なじみの建物もお店も姿を消していっている。
30年も経っているのだから、すでになくなっていたって仕方がないのだが、なんとなくずっと存在していたものは、これから先も当然のようにあるのだろうと思いたい願望の方が先にたつ。
お気に入りの黒んぼの看板も、2011年に撮影したときは、もうだいぶ黒っぽくなっており、上のほうに書かれているニッカウヰスキーの文字も見えにくくなってしまっていた。
この看板も、リニューアルしてもう見ることがないのかもしれないと思うと、これだけ長い間気になっていたのだから、ジャズが聴ける年齢になってタバコが平気なうちに一度くらいは足を運びたかったと思ったりしている。
タバコアレルギーの私には今はまだ敷居の高いお店だが、そのうちリニューアルしたお店を訪れることができるといいなと思う。
その時には、あの懐かしい看板もデザインはそのままで、綺麗にリニューアルしているといいのにと願いばかりである。
夜の黒んぼの看板〈2011年8月18日撮影〉
◆2015年4月22日更新
TAM氏より、黒んぼの写真を提供いただいたので、写真の差し替えと一部記事を修正しました。
◇帯広:衣料の有沢にあった懐かしいロッテガムの自販機 ― 2015年04月22日 21時50分48秒
有沢デパートのロッテガム自販機。2011年8月18日撮影。
帯広西1条南9丁目にあった、帯広の老舗中の老舗である有沢デパートが、リニューアルのために一時店舗を閉店した。2015年4月15日のことである。
新規オープンは7月を目指しているとのことだが、有沢のHPには「後日、移転オープンする予定」と書かれている。
有沢の会社略歴を見ると、明治39年(1906年)に今の西帯広で呉服の行商から起業し、大正6年(1917年)には西2条南1丁目に初めて帯広市内に店舗を構えたとある。
その後、昭和13年(1938年)に西2条北1丁目に移転。昭和18年(1943年)に戦争のため一時閉店したものの、昭和23年(1948年)には営業を再開。
昭和26年(1951年)に法人化され大通り南8丁目に移転。
昭和44年(1969年)10月に、先日まで営業していた西1条南9丁目の店舗になったらしい。
(有沢HP会社略歴より引用)
http://www.arisawa-obihiro.co.jp/kaisya%20ryakureki%2001.html
有沢デパートの看板(2015年4月撮影/写真提供TAM)
西帯広の呉服の行商から109年。今の店舗で45年半という、節目でもなんでもない時期に何故リニューアルをするのかはわからないが、こうしてみると有沢は戦前戦後の帯広をずっと眺めてきた稀有な存在であることがわかる。
洒落物で見栄坊な帯広のおしゃれをずっと支えてきたのだ。
そんなデパートの一角に、懐かしい自販機がひっそりと置かれていた。
2011年8月に撮影した冒頭の写真には、自販機に貼り紙がしてあった。
8月18日(水)HBC放送(TBS系)朝8時30分
からの「はなまるマーケット」で当社のロッテガム自販機が
全国版で放映されました。
貴重な自販機です。
衣料の有沢
まさにこの写真を撮影したその日に、全国放送でこの自販機が紹介されたのだった。
友人TAMは、何度もこのガムの自販機の足を運んで様子を見ていたらしいが、有沢が移転リニューアルすることで、この自販機の行方が気になるところだ。
有沢自身が「貴重である」と断言しているのだから、自販機も新店舗で新しい人生を歩んでほしい。
ちなみに、2011年8月時点でのガムのラインナップは、左からブルーベリー、歯につきにくいガム、ミントブルー、クールミント、グリーンガム、梅ガムの6つ。価格は100円だ。
ロッテガムの価格変遷を見てみると、1970年当時グリーンガムは一個30円だった。1974年~80年当時で50円だったので、100円と紙を貼ってあるその下は30円か50円だろうか。
TAMが送ってくれた2015年4月現在の自販機の中身は、左からフリーゾーン、ブルーベリー、ミントブルー、クールミント、グリーンガム、梅ガムである。価格はやはり100円。
2015年4月現在のガムのラインナップ〈写真提供TAM〉
定番のグリーンガムやクールミントは理解できるが、梅ガムが変わらぬラインナップであるところが面白い。
梅ガムを食べたのは何年前だろうか。すでに30年は経っているような気がする。
今年7月にリニューアルされる、新生衣料の有沢。
その店舗でもこの自販機がおかれていたら、迷わず梅ガムを購入したい。
帯広西1条南9丁目にあった、帯広の老舗中の老舗である有沢デパートが、リニューアルのために一時店舗を閉店した。2015年4月15日のことである。
新規オープンは7月を目指しているとのことだが、有沢のHPには「後日、移転オープンする予定」と書かれている。
有沢の会社略歴を見ると、明治39年(1906年)に今の西帯広で呉服の行商から起業し、大正6年(1917年)には西2条南1丁目に初めて帯広市内に店舗を構えたとある。
その後、昭和13年(1938年)に西2条北1丁目に移転。昭和18年(1943年)に戦争のため一時閉店したものの、昭和23年(1948年)には営業を再開。
昭和26年(1951年)に法人化され大通り南8丁目に移転。
昭和44年(1969年)10月に、先日まで営業していた西1条南9丁目の店舗になったらしい。
(有沢HP会社略歴より引用)
http://www.arisawa-obihiro.co.jp/kaisya%20ryakureki%2001.html

西帯広の呉服の行商から109年。今の店舗で45年半という、節目でもなんでもない時期に何故リニューアルをするのかはわからないが、こうしてみると有沢は戦前戦後の帯広をずっと眺めてきた稀有な存在であることがわかる。
洒落物で見栄坊な帯広のおしゃれをずっと支えてきたのだ。
そんなデパートの一角に、懐かしい自販機がひっそりと置かれていた。
2011年8月に撮影した冒頭の写真には、自販機に貼り紙がしてあった。
8月18日(水)HBC放送(TBS系)朝8時30分
からの「はなまるマーケット」で当社のロッテガム自販機が
全国版で放映されました。
貴重な自販機です。
衣料の有沢
まさにこの写真を撮影したその日に、全国放送でこの自販機が紹介されたのだった。
友人TAMは、何度もこのガムの自販機の足を運んで様子を見ていたらしいが、有沢が移転リニューアルすることで、この自販機の行方が気になるところだ。
有沢自身が「貴重である」と断言しているのだから、自販機も新店舗で新しい人生を歩んでほしい。
ちなみに、2011年8月時点でのガムのラインナップは、左からブルーベリー、歯につきにくいガム、ミントブルー、クールミント、グリーンガム、梅ガムの6つ。価格は100円だ。
ロッテガムの価格変遷を見てみると、1970年当時グリーンガムは一個30円だった。1974年~80年当時で50円だったので、100円と紙を貼ってあるその下は30円か50円だろうか。
TAMが送ってくれた2015年4月現在の自販機の中身は、左からフリーゾーン、ブルーベリー、ミントブルー、クールミント、グリーンガム、梅ガムである。価格はやはり100円。
2015年4月現在のガムのラインナップ〈写真提供TAM〉
定番のグリーンガムやクールミントは理解できるが、梅ガムが変わらぬラインナップであるところが面白い。
梅ガムを食べたのは何年前だろうか。すでに30年は経っているような気がする。
今年7月にリニューアルされる、新生衣料の有沢。
その店舗でもこの自販機がおかれていたら、迷わず梅ガムを購入したい。
◇雨の日の交差点 ― 2015年04月22日 22時33分40秒
今日は、夕方から雨降りだった。
駅前の交差点を車で左折したところ、横断歩道で女性が急に視界に入ってきた。
女性は横断歩道を渡ろうと、一歩車道に足を踏み入れたところだった。
白っぽいコートに白っぽい傘を差したその女性の前を、私はギリギリ通過する形になった。
目立ついでたちなはずなのに、私は横断歩道の前でその女性を認識できていなかったのだ。
車にぶつかった感触はなかったが、何かあったらいけないと思い、ヒヤヒヤする気持ちで交差点の先で路肩に車を停めた。
バックミラーを見ると、その女性は再び横断歩道を渡ろうとしていたが、車が再び進入してきたので、道路を渡るのを思いとどまってるのが見えた。
車が途切れたのを見て、横断歩道の方に歩いて行くと、その女性が「大丈夫ですよー」と声をかけてくれた。
すでに横断歩道を渡ってしまったかと思い、反対側を見ていた私は、女性がまだそこにいることに安堵した。
走りよって「お怪我はないですか?」と声をかけると、「ギリギリ大丈夫だったから」と笑顔で応対してくれたのを見て、涙がこみ上げてきてしまい、泣きながら謝罪し、無事を確認できたことで本当に安心できた。
本来なら相当に怒られても仕方がない状況で、私が泣き出してしまったことを心配し、笑って許してくださったその女性の懐の深さにも感激してしまった。
本当に感謝してもしきれない上に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それ以上に、女性に怪我もなく無事だったことがなによりだ。
雨の日の視界の悪い中とはいえ、交差点ではもっと注意をしなければならないと、改めて気持ちが引き締まる想いだ。
駅前の交差点を車で左折したところ、横断歩道で女性が急に視界に入ってきた。
女性は横断歩道を渡ろうと、一歩車道に足を踏み入れたところだった。
白っぽいコートに白っぽい傘を差したその女性の前を、私はギリギリ通過する形になった。
目立ついでたちなはずなのに、私は横断歩道の前でその女性を認識できていなかったのだ。
車にぶつかった感触はなかったが、何かあったらいけないと思い、ヒヤヒヤする気持ちで交差点の先で路肩に車を停めた。
バックミラーを見ると、その女性は再び横断歩道を渡ろうとしていたが、車が再び進入してきたので、道路を渡るのを思いとどまってるのが見えた。
車が途切れたのを見て、横断歩道の方に歩いて行くと、その女性が「大丈夫ですよー」と声をかけてくれた。
すでに横断歩道を渡ってしまったかと思い、反対側を見ていた私は、女性がまだそこにいることに安堵した。
走りよって「お怪我はないですか?」と声をかけると、「ギリギリ大丈夫だったから」と笑顔で応対してくれたのを見て、涙がこみ上げてきてしまい、泣きながら謝罪し、無事を確認できたことで本当に安心できた。
本来なら相当に怒られても仕方がない状況で、私が泣き出してしまったことを心配し、笑って許してくださったその女性の懐の深さにも感激してしまった。
本当に感謝してもしきれない上に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それ以上に、女性に怪我もなく無事だったことがなによりだ。
雨の日の視界の悪い中とはいえ、交差点ではもっと注意をしなければならないと、改めて気持ちが引き締まる想いだ。
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