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◇6年ぶりの入院2016年03月12日 04時52分56秒


6年ぶりの入院である。
腸閉塞は相変わらず寒い時期になると、ちょいちょいその片鱗を見せてくれるのだが、あまりにも何度もなっているし、だいたい完全に閉塞することなく痛み止めで帰されることの方が多かったりするので、この時もそうだと思っていた。
夫が出張で留守のときに、フランスパンにおかずをはさんだパンを食べていたのだ。
食べ終わって「ああ、これはちょっとやばいかも」と思った。
食べ物が腸に到達するやいなや、順番に詰まっていったのが自分でも判ったからだ。
ブスコパンを飲んでしばらく様子を見るが、治まる気配がない。
1人で悶絶しているよりは、病院で痛み止めを点滴してもらったほうが治りは早い。でも、1人だからと悶々としているうちに痛みはひどくなっていく。
いつもはタクシーで行く余裕もあるのだが、この日は1人だったし救急車を呼んだのだ。

救急の担当医は女医さんだった。
いつもの経緯を話し、もう何度もイレウスになっていることを告げ、レントゲンと造影CTを受けるが、いつもだったら造影が終われば痛み止めを入れてもらえるのに、この日はなかなか痛み止めを入れてもらえない。
女医さんが来て、入院を勧められるが拒否する。
しかし、この女医さんが言うには、今回のイレウスは完全に詰まっている可能性があるので、胃管というのを入れて様子を見たほうがいいと言われた。
消化器内科の担当医も来て、今回は入院した方がいいと言う。
何度かの押し問答の末、問答無用で私の右鼻に管が入れられ、花粉症のせいでのどと鼻が腫れているところに違和感満載の管が入って、非常に不快だった。
搬送された救急担当の病院は、現在新しい病室に随時引っ越しの最中だった。
私はシックハウスのせいで、以前新しい外来病棟の待合にいることができなかったことを思い出した。
担当医にシックハウスであることを告げ、病室が新病棟であればここにいることはできないと告げると、2週間後に病室の引越しがあるが、それまでには退院させると約束してくれた。

痛み止め投与の後に帰る気満々だったのと、痛みがひどくて余裕がなかったせいか、私は携帯を家に忘れて来ていた。
タブレットとして使っているスマホは持っていたので、出張中の夫と北海道にいる両親にメールで連絡をする。
何も用意していなかったのでその日の夜は非常に不自由だったが、やっと点滴された痛み止めのおかげでゆっくり眠ることができた。



病室は4人部屋だった。
私は最初、日の光の入らない場所に充てられたが、隣の窓側の人が私が入った次の日に退院となり、「ここは暗いから替えてもらうといい」とアドバイスをしてくれた。
私は次の日ベッドを替えてもらうことができ、入院の間の数日間はずっと外を眺めて過ごすことができた。
晴れた日には雲をずっと眺め、うとうとと寝て、図書室で本を借りたり、買ったままずっと読んでいなかった「ブリキの太鼓」の文庫本全3巻を読みふけったりして過ごした。
雲を眺めて時間を過ごすなんてことは、本当に何十年ぶりのことだったりする。

病室には個々にテレビがあてがわれているのだが、入院中は一度もテレビを見ることなく過ごした。
そのかわりスマホは非常に活躍をしてくれ、ふだん5Gある容量のうち1Gも使うことなく終わるのだが、この時は3Gほど使用したらしい。
スマホでもテレビは見ることができるのだが、この地域は電波状況が悪くテレビの電波を拾わないので、このときも試すことなくテレビは見なかった。
以前は、病室で携帯やパソコンを持ち込むことは表向きは禁止されていたが、今は携帯やスマホもメールやネット閲覧だけならOKになっている。
充電用のコンセントを使用しても嫌な顔をされない。
6年のうちに随分と状況が変わったものだと思った。

腸がなかなか動いてくれない以外はすこぶる体調はよかったが、胃管からどんどん腹の中身が出てきて、なかなか止まってくれず、胃管生活は一週間続いた。
結局、3リットル強の内容物が腸から排出され、胃管がはずされた日の体重は救急搬送された日から6キロ減っていた。
食事が出て普通食に戻る頃にはその3キロはすぐに戻ったが、残りの3キロはなかなか戻らない。
寝てばかりいるので足がぽよぽよになってきたので、後半は簡単な筋トレをやったり歩き回ったりしていた。

私の向かいと隣のベッドは、検査入院の人や救急搬送された人が入ってきたが、私よりも後に入って私よりも先に退院していった。
その誰もが70歳以上の方ばかりだったが、検査結果を不安そうにしている人や、救急搬送されて家族と連絡がとれずしばらく何もなくて不自由していた人だった。
聞けば1人暮らしで唯一の親族である娘は遠くにいるのだという。
近所のお友達がいろいろ買出しなどに来ていたが、それでもその人に連絡がつくまでに3日ほどかかっていた。
その人の状況を見ていると、子供のいない自分の将来も、こんな風に誰も知っている人もおらずに病院で不安な気持ちでいるのだろうかと、少し寂しくなったりもした。

結局、私は11日間の入院生活を送ることになった。
イレウスは結局完治させることはなく、このまま様子を見るとのことだった。
もういいかげんなんとかしてほしいのだが、いろいろと婦人科との兼ね合いが面倒なこともあって手術をしてくれる医師がなかなかいない。
結局、また腸が詰まる爆弾をかかえながら、腹の中が一端リセットされたことですっきりした気持ちで、病室の引越しの2日前に退院したのだった。

◇寸詰まりのチューリップ2016年03月12日 05時35分43秒


購入3日目

近所のJAでチューリップの苗が売られていたので、なんとなく一個購入して平たい鉢に植えてみた。
最初から葉からつぼみのようなものが出ていたのだが、3日目から頭を出し始めた。
しかし、なんとなく私の知っているチューリップとは違う。
チューリップって茎が長いんだと思っていたのだが、どうもこれは茎がないようにさえ見える。
私が買ったのはクロッカスだったのだろうか?それにしてもおかしい。



購入4日目

購入4日目になると、つぼみはますます膨らんでいるのだが、茎らしきものがますます見当らない。
調べてみると、寒さに十分にさらされていないチューリップは、茎が短いまま花を咲かせてしまうようだ。
2月も後半は暖かかったせいか、このチューリップは十分に茎を育てることなく花が咲いているようだ。



購入5日目

5日目になると、本の少しだが茎らしきものが顔を出した。
しかし、十分な長さにならずに花を咲かせそうな勢いで成長をしている。



購入6日目

花が咲いたのだが、茎は短いまま。
なんかこれもまあかわいいといえばそうかもと納得することにした。


◇区切りの誕生日2016年03月24日 03時00分59秒

birthday (C)Google
googleのバースデー画像

今年の3月である区切りの誕生日を迎えた。
何日にいくつになったかは詳細は省くが(個人情報だし。知っている人はコメント欄で暴露しないようにお願いします。)、誕生日を迎えてパソコンを立ち上げたところ、ホーム画面にケーキが並んでいた。
私はホーム画面をGoogleにしているので、誰かの誕生日だろうかと画像をクリックしてみたら、自分の誕生日であった。

Googleで自分の誕生日に生まれた人は誰だろうと「誕生日の日付 誕生日」で検索をしたところ、最初に出てきたのは、私の誕生日に生まれた人の特徴というのが表示され、相性の良い誕生日と相性の悪い誕生日が2つづつ表示されている。
相性の悪い誕生日のところを見ると、昔付き合っていた人の誕生日がそれだった。
「へぇ、なるほどね」と思ったが、長く付き合いのある人だったので、それほど相性が悪かったとは思えない。
それでも、その人とは結婚しなくて本当に良かったと何度も思ったので、やはり相性は悪かったのだろうか。

私の誕生日の前日に、夫が花束を買ってきてくれた。
以前は、結婚記念日や誕生日などには必ず花束を買ってきてくれたのだが、ここ数年仕事の都合などで残業になったりでお店が開いてなかったとかで、結婚記念日にも誕生日にもホワイトデーにも花束がなく、今年は誕生日は覚えていたものの、ホワイトデーはすっかり忘れていたことが発覚したので、あるニュースのリンクをメールで送ったのだ。


ロケットニュース
「花をプレゼントしてくれない」と怒った女性 → 夫の睾丸を攻撃 → 中身が飛び出し大怪我

http://rocketnews24.com/2016/03/12/722948/


効果はてき面だったが、花束を渡すときの夫の少しだけ恐怖を感じている風の顔は、たぶん忘れないだろう。

先日6年ぶりに入院した話を書いたのだが、それを見た古い友人がお見舞いメールをくれた。
その友人は、学生時代からの友人だ。
すでにお互いに所帯を持ち、頻繁に会うこともなくなったが、何かの度に連絡をくれる。
その友人は私とは学年では1年違いだが、早生まれの私とは誕生日が1ヶ月しか違わない。
彼はそのことを覚えており、誕生日の日もおめでとうメールをくれたのはサプライズで嬉しかった。

それにしても、今年はある区切りの歳になったのだが、過去にあっただろう区切りの歳よりも実感がわかない。
自分が人生の半分はすでに消費しているであろうことは実感するが、自分が大昔に感じていた今の年齢は、もっともっとおばあさんな感覚だったからだ。
それでも、一回り歳の上の友人が、この区切りの歳を境に一気に老け込んでいったことを考えると、自分もそれほど楽観できる年齢ではないのだろうという自覚をもたなければならないと肝に銘じつつも、きっと自分に都合の悪いことは何も変わることはないのだろうなと思ったりするのであった。

◇夫の手作りクッキー20162016年03月24日 03時14分22秒

2016年のくっきー
2016年のクッキー


少し前の話になるが、今年のホワイトデーのクッキーも夫の手作りだった。
夫はホワイトデーをすっかり忘れていたらしく、前日になって「今年もクッキー作ってくれるの?」と聞くとびっくりした顔をして「忘れていた」と言った。
今年のホワイトデーは月曜日だったが、ちょうどその日は夫が出張で留守にしていたので、クッキーは13日に作られた。
レシピは今年もNHK BSプレミアムの「グレーテルのかまど」で見た『桐島かれん・洋子のフローズンクッキー』
去年は有塩バターを使用して更に塩を加えたせいか、少ししょっぱいクッキーだったが、今年は無塩バターをわざわざ買いに行ったらしい。

今年の変り種はのり+ゴマ。
これはなかなかのヒットで、焼きたてだとあまり感じないが、冷えてくると風味が楽しい。
それと、うちで採れた金柑のクッキーとココアクッキーの三種類。
去年の変り種は昆布だったが、のり+ゴマの方がいいと思う。

クッキー種は冷凍しておけるので、まだまだ楽しめるらしい。
写真のクッキーは13日ではなく2度めに焼いたときのもの。
13日のはうっかり写真を撮り忘れたのだった。

私も今年のバレンタインには、ガトーショコラを焼いてふるまった。
一度手作りしてしまうと、手作りの楽しさにはまってしまう。
自分のためと相手のために作るのは楽しい。



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