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◇50日のいろいろ2010年10月13日 03時13分09秒

昨日、うちの猫が死んで50日だった。
この50日は、半分は泣き暮らしていて、半分はなんとなくぼーっとしていた。
ぼーっとしている間にも、いろいろ考えたりお出かけしたりすることもちょっとあった。
忘れるので、覚えているうちに書き留めておこうと思う。


●9月18日土曜日 B-1グランプリ厚木に行く
あまりのふさぎようだったためか、旦那がどこかへ出かけようと誘ってくれ、9月18日の土曜日に厚木で行われたB-1グランプリに出かけたりした。
B-1グランプリ厚木公式ホームページ http://b-1gp.jp/

それまでは、介護のためにゆっくりお出かけするということができなかったが、当日はお天気も良く、久しぶりの長時間のお出かけに少しだけ心が晴れた。

しかし、楽しみだったのも最初だけ。
シャトルバスの降り場と会場とが異様に遠かったり(第二会場)、ものすごく待たされたり、食べたいものが思うように食べられなかったり、投票方法に疑問をもったりで、結局は行田ゼリーフライと、黒石つゆやきそばと、浜松餃子しか食べられなかった。

開場して最初にゼリーフライと浜松餃子ののぼりを見つけ、旦那と分散して並んだおかげで、並んで一時間以内にはそれぞれにありつけたものの、浜松餃子は手際が悪すぎて時間ばかりかかり、旦那が戻ってきた頃には、楽しみにしていた一番目当ての袋井宿「たまごふわふわ」の行列は会場グラウンドの端から端までに達しており、とても並ぶ気にはなれなかった。
グランプリをとった「甲府鳥もつ煮」も三位の「八戸せんべい汁」も最初に行った第二会場にあったが、とてもじゃないけど並ぶ状況ではなかった。

一品300円前後と安価なのはいいのだが、一皿の量はどれも少ない。しかも、どのブースも長打の列で、食べるまでにお腹がすいてしまうのと、会場間がかなり遠いので、別な会場に行けなくなってしまうことのほうが残念に思ったのだ。

それでも、B-1とは別に神奈川県のご当地グルメを集めた第三会場を間に挟んで、三つに分かれた会場の三番目(第一会場)に着いた頃には案の定ぐったり疲れ果ててしまい、チケットを余す形で第一会場では何も食べずに帰路についた。余ったチケットは、期間中であれば厚木の登録商店などでの使用できたので、駅前のコージーコーナーでケーキセットを食べて使い切った。
洋服もよれよれになったせいか、かばんのストラップでよれてはだけた喉元が、真っ赤に日焼けしてしまったりした。

行きに神奈中バスの案内の人に、本当に丁寧親切にバスの案内をしていただいたことだけが、良い思い出だった。


●10月5日火曜日 映画「樺太一九四五年夏 氷雪の門」を観る
旦那が病院に行くために休みをとったので、午後から横浜のミニシアターで上映されていた、「氷雪の門」を観た。
「氷雪の門」オフィシャルサイト http://www.hyosetsu.com/

『樺太1945年夏 氷雪の門』予告編
氷雪の門 オープニングと当時の情勢

これは、36年前にロードショー封切されたものの、当時のソ連の圧力で上映が中止されてしまった作品らしい(詳細は、オフィシャルホームページのイントロダクションを参照のこと)。
撮影は当時の稚内近郊で行われたらしく、私の旦那は小学校の頃に映画館での上映を学校の行事として観て、その後感想文を書いたと言っていた。

内容的には、いろいろと深刻に考えさせられる映画だった。
この映画の内容がどこまで真実であるのか、ソ連が真実と違うとクレームを入れたところが、ソ連の侵攻シーンのほとんどであるとすれば、この映画表現はかなり行き過ぎの感もあろうが、当時この事件を知っている人からすれば、これこそが真実といえる内容なのだろうと思った。
そして真実とは、立場によって大きく異なることなのだろうと、漠然と思ったりもしたのだ。

内容とは別に横道にそれると、ロシア語を知っているとちょっと「くすっ」としてしまうシーン(決して笑える内容の場面ではないのだが)とか、稚内の景色を知っていると、「ああ、あそこはあの駅の近くだ」とか「あそこはあの沼だ」などと見知った風景の昔の姿が出てきて、そういう楽しみ方もできる映画だった。

藤田弓子の肌がやけにつやつやしていたことや、最後のシーンの若林豪のふけ顔はあまり今と変わらないなあとか、二木ひとみと若林豪のデートシーンがいきなり札幌で、いくらなんでも祝言挙げて数日で戦地へ行った旦那と、新婚旅行とはいえ戦時中に樺太から札幌まで行くのはちょっと大変ではないのかとか、それともこれは婚前旅行か? いやいや戦時中でそれはありえないだろう、など、突っ込みどころも満載であった。

しかし、映画上映中の3分の1は泣いた。あまりに泣いたので、明るくなってから、となりに座っていたご婦人と顔を見合わせてお互いの泣き顔を確認したりした。
平日の昼間だったので、来客のほとんどは50歳以上とおぼしき人たちだった。40代と思われるのは私達夫婦と一人で来ていた男性だけで、若者と呼べる人は皆無だった。
100席強しかない小さなシアターで、加齢臭漂う中、久々に面白いと思える映画を見た気がした。

帯広でも稚内でも、全国のいたるところで、短い間にこの映画は上映されていたらしい。
横浜では、10月29日まで上映延長される。
最近にはちょっとない映画なので、機会があれば見てほしい。
ちょうど尖閣諸島のことで騒いでいるときに「氷雪の門」を見たので、領土問題ということを考えたりして、みんなが観るといいと思った。
領地を無条件で取られ、それは今もって返還されるどころか、日本側から返還要求さえ出されておらず、たぶんこれから先も日本には返還されることのないだろう土地で、昔たくさんの一般の日本人が戦火で亡くなったことを知ってほしいとも思った。


●ノーベル化学賞に日本人二人受賞のニュースを聞く
産経新聞2010.10.6 18:55のニュース
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101006/acd1010061854009-n1.htm


ノーベル化学賞の話題を聞いたのはNHKのニュースだったが、物理学賞をとったイギリスの人も、化学賞の日本人二人も、ものすごく昔の業績に対しての受賞だったので、ちょっとびっくりしてしまった。
もちろん、科学の功績というのは、ある程度の社会的実績が評価されないとならないので、時間がかかるというのは理解できるのだが、30年以上の業績に対しての評価というのも、「もうちょっと前に取らせられんかったんかい」と思ってしまったのだ。

日本は科学に対しては、欧米などの諸外国から比べるとかなり劣る予算の中で、これだけの業績を残してきた。
今までも少ない予算の中から、努力してこれだけの業績を上げてきたのだが、それを政治家はまったく理解しないでいるので、役に立つ研究に十分な予算が行かないようなシステムになっているばかりか、くそゴミみたいな研究もいっしょくたになってしまっているのが現状なのだ。
長い不況の中で、一般企業も研究開発に力を入れられない現実もある。

現・独立行政法人の研究に対しては、毎年毎年研究成果の報告がなされているのだから、それらに対してお役所仕事ではなく“ちゃんと審査する”機関を設け、役に立つ研究に十分な予算がいきわたるようにしていく必要がある。
そうでないと、役に立つ研究をする研究者など育たない。
研究にお金がかかることや、研究したことの全てが役に立つものになるかどうかわからないのは当たり前のことだ。

それが、予算削減のために行われた公開仕分けの席で、「2位では何故だめなのか」という発言が飛び出してくるあたり、せめて仕分けをする団体が、何を生業にしており、何が業務として重要であるかくらいは下調べしてからその席につくのが礼儀ではないのかと、民主党の新しい行動はその内容のなさを露呈してしまったように思えたのだ。
ただの素人考えと知識で、ただ単純に予算をどんどん削ればいいって話ではないのだ(もちろん、本当に無駄なものに対しては、きちんとした精査を行った上で、どんどん統廃合や廃止を行うべきであると思う)。

しかも、その発言の主は、その発言のおかげで政治家としての知名度を上げて、現在は大臣職についているタレント議員である。
なんかそれってとんでもない、とずっと思っていたのだった。

そんな中で、化学賞を受賞した鈴木章さんが、『2位で良いは論外である』と発言したニュースには、胸がすく思いがした。
Yahooニュース 産経新聞 10月9日(土)7時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101009-00000099-san-soci


しかし、過去の人が残した業績や、「いとかわ」の奇跡のように世間受けするものばかりではなく、今の日本に何が必要でどういう人材を育てるべきなのか、そして将来日本は何をウリとして国際社会に対して商売するつもりなのかを、きちんと知ってバックアップしていかないと、そのうち中国人や韓国人、インド人に全てをかっさらわれる日がくるのも、そう遠い話ではないと思う。



というようなことを、この50日間、行動したり考えたりしていた。
50日間でこれっぽっちもしていないので、たいした活動もしていないのだが、少なくとも頭の中が介護一色だった日々は終わったのだ。

今でも、私が昼寝をしていると、起きる時間くらいに寝室にとことこやっくるような気がして泣けてくるし、心をぐっとこらえていないと話もできないのだけど、猫がいなくなった生活には徐々に慣れてきた感がある。

そのうち、いないことが普通になるのかもしれないが、いまのところ「猫を触りたい」という欲求はあっても、「別な猫を飼いたい」という欲求は出てこない。
ペットショップで猫を触らせてもらっても、雑種だったうちの猫はショップに売られている猫ほど毛がふわふわではなかったし、なんとなくどの猫もどこか違うと感じてしまうのだ。
しぐさなどは同じでも、触ると明らかに違う。
これでは、うちの猫ではないという気持ちになってしまうのだった。
「猫を飼いたい」というよりは、まだまだ「うちの猫に会いたい」と思う気持ちの方が大きいようである。

50日間での一番の功績は、旦那にほぼ毎日弁当を持たせ、保存食などを工夫し、長年高めで今年のドックでとうとう要治療にひっかかったコレステロール値を、4か月後の検査には平常値まで下げたことだろうか。
しばらくこれを維持するのに、没頭することになるだろう毎日である。

コメント

_ glassy-apple ― 2010年10月13日 18時59分59秒

更新ありがとうございます。

予算仕分けの件では、さすがの私も疑問に思っていました。
研究機関の一般公開に行って、研究成果に触れたり、研究者の話を聞くと、研究って杓子定規な扱いはできない気がしていました。
今年は仕分けの影響なのか、一般公開がとても寂しかったです。

_ makura ― 2010年10月13日 23時56分16秒

>glassy-apple さん

つくばで働いていると、研究機関関連の仕事が多いので、働き場所である研究所の研究が、ものすごく身近に感じられますよね。
プロジェクトの仕事に事務職としてでも携わると、いやでも研究内容の一部は理解せざるをえないし、下手すると素人ながらも研究補助的な仕事も回ってくることもあります。
その仕事が将来大きな役割を担っていると思うと、まったく無関係の事務職でもちょっとわくわくしたりもする。

でも、逆に実はこの研究内容はすでに実用化を疑問視されているけど、予算の関係で中止することができないから、予算どりのためにでっちあげの報告書を作ってほしいといわれたとき、なんともいえないむなしさも経験しました。

外側から研究を補助する事務職では理解できない、しかも常勤的非常勤職員はまったくかやの外であったとしても、その状況のまっただ中にいるのは同じなんですよね。
できれば自分の携わった仕事が、まったくの無駄足にならないよう、審査委員会はきちんとした精査をお願いしたいと、民主党が政権とる前から思っていました。

まあ、審査する側もされる側も半分は公務員みたいなものだし…
常勤職員はまったくの公務員だから、それを是正しようという気持ちを持つ以前に、わがままな研究者とお上の板ばさみで、何人も病院送りになったのを見たし…

民主党のやった仕分けという作業は、まったく無意味ではなかったと思いたいけど、やっぱりもうちょっとやり方考えてほしかったと思います。

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