◇ロンドンオリンピック閉会式を見て、いろいろな溜飲を下げるが、やっぱりストレスたまりまくり ― 2012年08月13日 12時59分00秒
The Who - My Generation
ロンドンオリンピック終了。
開会式と同じく、朝4時半起きで閉会式の放送に臨む。
今回の閉会式は「英国音楽のシンフォニー」ということで、歴代のロックスターが出演するのだろうと楽しみにしていた。
ハイド・パークでは、閉会式とは別にBlurやThe Specials、NewOrderなどが出演するステージが予定されていたりして、結婚20周年の記念にどこかに旅行に行こうと計画をしていたブリティッシュ・ロック家族の我が家としては、なぜ閉会式だけのロンドンツアーを計画しなかったのか、閉会式を見ながら絶叫する。
The Who - Wont Get Fooled Again
閉会式のカウントダウンと同時に、The Whoの「Wont Get Fooled Again(無法の世界)」のイントロが流れる。
開会式の記事を調べたときに、Led ZeppelinやRolling Stonesといった大物に軒並み断られたという記事を目にし、70年代にすでに亡くなっているドラムのキース・ムーンにロンドンのオリンピック委員会から正式なオファーがあったという話を聞いて、The Whoの出演は鉄板だろうなと思っていた。
何しろメンバー全員生粋のロンドン子だし、ロンドンオリンピックのテーマが「Inspire a generation(世代を超えたインスピレーション)」であれば、エンディングはあの曲しかないだろうと思っていたからだ。
ただ一つだけ難点といえば、「年寄りになる前に死にたい」という歌詞だけか?
閉会式のプレイリストを必死でメモしたが、こちらのサイトが詳しい様子。
【速報】閉会式をプレイリストに沿って再現!英ミュージック50年史!スパイスG、クイーン他多数登場
Our House - Madness
ロック・ポップス勢の最初のステージは、意外にもMadnessの「Our House」だった。80年代を通過した日本人の耳には、「ホンダ・ホンダ・ホンダ・ホンダ」の「in the city」の方が馴染みがあるが、脱ツートーン路線で発売した1982年のこの曲が意外にもイギリス人にはお馴染みだったのだなあと、大合唱になっていることに驚く。
でも、当時ツートーンとして好きだったのはThe Specialsで、Madnessはどちらかというとイロモノな目で見ていたが、路線が変わったことに興味を覚えて買ったアルバムが、「Our House」の入ったアルバムだった記憶がある。
1992年に再結成しているはずだが、ヴォーカルのグラハム・マクファーソンは声が出ていなかったなあ。
次はblurの「Parklife」がかかるが、パフォーマンスだけで本人達は出場なし。当然だが、フィル・ダニエルズの姿もなし。 (追記参照。)
次はPet Shop Boysの「West End Girls」。
この二人、ヴォーカルのニール・テナントばかりが目だっているので、すぐに一人になるだろうと出てきた(デビュー)当時は思っていたが、意外に長く続いているのでびっくり。ついでに、彼の高音があまり衰えていないのにもびっくり。
正直に言うと、後から出てくるFatboy Slimのノーマン・クックと見分けが付かなかったりするのだが。
次に出てきたのは、2010年結成平均18歳という、One Directionというボーイズ・グループ。最近のイギリスはこの手のアイドルがチャートを席巻しており、それ以外は往年のビッグスターのリマスターばかりと聞くが、この閉会式でも1990年代以降はぱっとしなかったりする。
まったく知らないのでスルー。
Kinks - Waterloo Sunset
次に登場したのが、The Kinksのレイ・デイビス「Waterloo Sunset」。
レイのステージは、苗場での最初のフジロックで見たが、あんな感動的なステージはなかった。今回もイギリス紳士的に黒い昔のジャガー風の車で参上したのは感動的だった。
だが、会場にあった車のどれひとつとしてイギリスの車でなかったのは、ちょっと驚きだった。ジャガーもいまやインドの車だし、オースチンは中国だしなあ。
日本も徐々にそうなっていくのであろうか。
もし2020年に東京でオリンピックが開催されることになったときに、東京を走る車もバイクも、どれも日本製でなかったとしたらと考えると、ちょっと怖いと思った。
この後各国の国旗が入場し、選手も入場してくる。
このときかかっていたのは、Elbowのライブで「One Day Like This」「Open Arms」。しかし、NHKはほとんど曲の紹介もバンドの紹介もせず、旗手の吉田選手の様子やコメント紹介に終始して、映像もちらっとしか見られなかった。
その後バックでかかっていたのは、Madnessの「Our House」、blurの「Parklife」、Pet Shop Boysの「West End Girls」の録音盤が繰り返しかかる。
その後のパフォーマンスでは、Kate BushやQueenなどがかかるが、「Imagine」でのジョン・レノンの扱いの大きさには、ちょっとびっくり。なんかブロックみたいので顔を形作るパフォーマンスまで登場し、破格の扱いだと感じた。
それにしても、男子マラソンの表彰式で、花を手渡す係の黒人紳士の花束のぞんざいな扱いにもびっくり。人に手渡す記念の花束を、花の方をわしづかみして手渡す姿を初めてみた。
後半はライブパフォーマンスの間に挨拶があったり、オリンピック旗の掲揚があったりしたが、その最初に出てきたのはGeorge Michael(ジョージ・マイケル)。
George Michael - Freedom 90
「Freedom」「White Light」の2曲を歌うが、この後出てきた1990年代のアイドルTakeThatと比較しても、Wham!の頃の印象は微塵も残っていなかった。ゲイとしてカミングアウトしたり、大病したりといろいろあったが、今でもその声だけは健在なんだなあと思ったりもする。
この人、「Freedom」という歌をWham!時代にも歌っているが、今回ライブで披露したのは「Freedom 90」のほう。でもこの歌って、ゲイの解放の歌でなかったっけか?
ドーピングの問題と同時に、男女の性の問題が浮上したオリンピックで、この歌をわざわざセレクトしたのはどういう理由からなのか、ちょっと意味深に感じる。

出典EveningStandard
その後会場に流れたのは、The Whoの「Pinball Wizard(ピンボールの魔術師)」。会場には、モッズ・デコレーションしたスクーターがたくさん入ってきて、いよいよいここでThe Whoの登場か?と思った。実際、ヴォーカルの声はちょっとロジャー・ダルトリーに似ていたりしたのでてっきりと思ったが、実際はKaiser Chiefsだったのでびっくり。
会場はピンボール仕様になって、さながらピンボール・チャンピオン決定戦2012って雰囲気。実際、映画「Tommy」のピンボールの魔術師のシーンで、リーズ大学でのライブの様子がそのまま使用されているが、今回オリンピックの練習場などにリーズ大学が使用されていることからも、このセレクトはなかなかのものだと思った。
でも、Kaiser Chiefsは自分たちの曲は演奏しなかったので、ちょっとがっかり。
それと、スクーターのモッズ・デコレーションもちょっと地味でないか?
後でよく考えると、モッズで登場したなら「四重人格」からの曲の方がよかったのではないかと思ったりもした。なんかこのへんの甘さも感じつつ次へ。
David Bowie - Fashion
ブリティッシュ・ファッションのシーンでは、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)のメドレーが紹介。彼の一番かっこいい時代のピンナップ紹介もあったが、やっぱり本人が出てきてほしかった。
メインでかかっていたのは、「SCARY MONSTERS」に入っていた「Fashion」。
ナオミ・キャンベルは、最近ハゲが進行しているという記事を読んだばかりだったので、名前を聞いたときにちょっと心配だったりしたのだが、彼女の女王様然とした姿を見たときは、一緒に登場したケイト・モスなんかと比較しても、やっぱり格が違うよなと感じてしまったのだった。
Annie Lennox - Little Bird
その後Russell Brandのパフォーマンスの後、Annie Lennox(アニー・レノックス)が巨大な船に乗って登場。やっぱりかっこいいぞ、この人は。こういうオフィシャルにもカジュアルにも映えるアーティストって、実はあまりいないような気がする。
一時期は引退状態だったと聞いていたので、The Tourist時代からのファンとしては、健在ぶりを拝見できてうれしかった。

出典fuckyeahpinkfloyd
アンの後、若いアーティスト代表としてEd Sheeranのステージがあったのに、NHKは完全スルー。まったく聞こえないじゃないか!。
(Ed Sheeranの名前のほかにいろいろなアーティストの名前が羅列していたので調べたら、Pink Floydのニック・メイスンがドラムだった。曲は「Wish You Were Here(炎~あなたがここにいてほしい))」。綱渡りパフォーマンスで、綱の先にいた人形が“炎”を上げて燃えたのもそういう意味があったのだ。)

出典www.mydaily.co.uk
この後、ド派手なバスがタコに変身してFatboy Slimの登場。曲は「Right Here Right Now」「Rockafeller Skank」。
その後、なんとなくJessie JやラップのTINIE TEMPAH、Taio Cruzに変わってしまって、Fatboy SlimことNorman Cookはタコの上に乗ってなんとなく退場してしまった。
Spice Girls - Wannabe
その後、デコレーションしたロンドンタクシーに乗ってSpice Girlsの登場。
なんだかんだいっても、世界的ヒットしたイギリスのアイドルはこの5人が最後ではと思える。好き嫌いは別にして、やっぱり懐かしいって思ってしまうのもご愛嬌。
5人ともちゃんと当時の雰囲気残してるところは立派。でも、5人揃うとやっぱりベッカムの嫁さんは地味に見えてしまうんだよな。いまやこの5人の中で一番のセレブなはずなんだけど。
登場した頃は、5人ともタイプの違うビッチにしか見えませんでした。
oasis - Wonderwall
5人が退場して、ステージでは元Oasisのノエル以外のメンバーで結成されたBeady Eye。でも、もう“元Oasis”って言葉もいらないくらいビッグになっているのだけど。
でも、曲はOasis時代の「Wonderwall」。
次のステージはMuseの五輪の公式ソング「Survival」。
そのわりには、演奏中NHKはどうでもいいことしゃべりまくり、五輪の公式ソングであることはひとつも触れぬまま。大丈夫か?NHK。
コメントがあまりにも無知すぎて、鈴木アナに呆れることしかり。
でもこれ、渋谷陽一がラジオで「Queen風」と評価していた。私はThe Mars Volta風だと思っていたのだけど、この後モニターにFreddie Mercury(フレディ・マーキュリー)が映し出されて、フレディのステージでも掛け声に会場中が反応。
We Will Rock You (Queen Rocks)
その後、現Queenのギタリストのブライアン・メイが、いかにも彼が好きそうな衣装でバリバリのギターソロで登場。ヴォーカルにフィギアスケートの衣装みたいな服のJessie Jを迎えて、競技中もずっとかかっていた「We Will Rock You」。会場大コーラス。
QUEEN & DAVID BOWIE: Under Pressure
このオリンピックの最中、実際Queenの曲は一番よく聴いたような気がする。
特に気になったのは、柔道の選手入場のときにかかっていたと思う「Under Pressure」。
この曲のPVの一番最初に映っているのは、昔の日本の中央線のラッシュアワーの風景。その他は、世界恐慌中の「Under Pressure」な映像と、映画「カリガリ博士(だと思う。記憶不確か)が映し出されている。
オリンピックにこの曲のイントロをずっと聴いていて、オリンピックの裏にあるそれぞれの選手が持つ「Under Pressure」をなんとなく考えないでなかった。
今回のオリンピックでは、これまで女性のスポーツが認められなかった国からの出場もあり、イスラムの国々のこれからの流れの中では、非常に意味のあるオリンピックになったと思う。
でも、そこにある「Under Pressure」は、まだまだ大きなものなのだろうなと思ったりもしたのだ。
次期オリンピック開催国のブラジルのラテンなセレモニーが終わり、Take Thatが登場したときは、「えー、もしかしてこれでラストか?」と思い込む。
1990年代に一世を風靡した彼らもおっさん化には逆らえないのか。こうしてみると、日本の熟年アイドルってすごいのかもしれないと、なんとなく思った。

出典mail online
アートを強調しているわりには、ロイヤルバレエ団が出てこないのを不思議に思っていたが、ここでバレエの登場。
ああ、こういうアカデミックなもので終るのだなと思っていたが、「Baba O'Riley」のイントロが。
旦那は「えー、ちがうだろ」って顔をしていたけど、ステージにはちゃんとThe Whoが立っていた。
NHKの説明では、「The BeatlesやRolling Stonesと同世代のグループ」とのこと。まあ、確かにそうなんだけど、これまでのパフォーマンスの中で、The Whoのエッセンスがちりばめられていたことを考えると、この紹介はちょっとどうなの?
それに、ドラムたたいているのは、The Beatlesのリンゴ・スターの息子で、キース・ムーンのドラムの遺伝子を受け継いだザック・スターキーである。ジョンをあれだけ持ち上げておいて、ちゃんとそこんとこはっきり説明しろよ~! NHK。
「Baba O'Riley」のあとは「See me feel me / Listening to you」。そして、やっぱり最後は「My Generation」。
「Inspire a generation(世代を超えたインスピレーション)」にふさわしいエンディングで、イギリス人らしい韻に韻を踏みまくったエンディングだというのに、NHKは関係ない選手のコメント読みまくり、途中で打ち切りの上に、演奏中はほとんどステージを映さず選手団の映像ばかり。
選手のコメントなんて、後の番組でいくらでもやればいいのにと思う。
「うるせーよ! よけいなアナウンスいれてんじゃねーよ!」と、早朝のテレビの前で怒りまくるわたくし。
でも、そう思ったのは私だけではなかったらしい。
ロケットニュース24 2012年8月13日
『オリンピック閉会式のNHK解説に批判殺到! 視聴者「アナウンサー黙れ!」「起きてた時間を返せ!!」』
今回のオリンピックは、いろいろと考えさせられる場面が多かった。
審判のミスが多かったのは言うまでもないが、その対象の多くがアジア選手に対するものだったりする。とりわけ、日本と韓国への風当たりが強く感じたのは、私だけなのだろうか。
特に、イギリスと対戦する韓国のサッカーチームへの嫌がらせのニュースも聞こえてきて、自国のことではないにしろ決していい気分ではなかった(ただし、ニュースの出所ははちょっとあやしい配信元なんだけど)。
2012年08月04日12時28分[(c) ISPLUS/中央日報日本語版] 『<五輪>本当に紳士の国? 英国が韓国サッカー代表を妨害』
ロケットニュース24 2012年8月3日 【ロンドン五輪】これは本当にひどい! レフェリーが「超ずさんな判定」で追放される事態に / 誤審というレベルではない
競技によっては、審判への抗議で判定が覆ったりすることもあり、事実男子体操団体などは、抗議がなければ日本はメダルさえとれなかった。
あの場面を見ていて、一時は銅メダルと発表されたウクライナチームの涙する姿が忘れられない。
開会式で、Mr.ビーンはズルをして炎のランナーに競り勝つ。よもやこれがこのオリンピックの全てを物語っていたと考えたくはないのだが、ちょっと疑ってしまう部分もあったりする。
抗議できるものはするものの、抗議に対しての日本と韓国の対応がほとんど真逆だったのも興味深かった。
イギリスはオリンピックの少し前からスコットランドの独立問題を抱えていたせいか、開会式でも閉会式でも、スコットランドのアーティストに非常に気を使っているような場面が目立つような印象があったはの気のせいか。
オリンピック大会中にも、スコットランド独立の熱は高まっていたようで、日本と韓国の竹島をめぐるバトルの裏で、こっそりそんなニュースが流れてきていた。
ロイター 2012年 08月 9日 11:04 JST
『ロンドン五輪で思わぬ余波、スコットランド独立論が過熱』
日本でも、男子サッカーと女子バレーボールの3位決定戦のどさくさにまぎれて、韓国の大統領が竹島を訪問するとかしないとか発表し、オリンピックの試合がさながら両国の代理戦争のような感覚で見ていた人も少なくないような気がするのだが、サッカーの試合後に韓国の選手が、それを決定付けるようなプラカードを持ってピッチを走ったので、問題はさらに大きくなってしまったような感もある。
YOMIURI ONLINE 2012年8月11日23時22分 読売新聞
『韓国サッカー選手、ピッチで竹島領有メッセージ』
どこの国でも、多かれ少なかれ領土や民族の問題を抱えている。
イギリスだって、フォークランドやアイルランドの問題を長年抱えているし、中東は変化の過程の火の中から選手が出場しているところもある。
イギリスが獲得したメダルの1/4はスコットランド出身選手のものであることから、もし彼らが「スコットランドに自由を」なんてプラカードを持って観客席にアピールをしたら、イギリスのオリンピック委員会は立つ瀬がなかったんじゃないだろうか。
逆に韓国選手は、日本が負けた腹いせに「竹島は日本の固有の領土である」なんてプラカードを持っていたら(絶対にそんなことをするとは思いたくないが)、どんな反応をするのだろう。
いろいろと言い訳も多いが、決まりは決まりでその間に自国の感情や個人的な感覚を挟む余地は1μもないと知るべきだろうと思う。
どんなに言い訳されても看過しがたいものがあり、その前後の政治的な流れも含めて最後の最後で非常に不愉快な気分になったのだ。
でも、これもオリンピックに隠れた「Under Pressure」なんだろうなと思った。
気分は悪いが、最後にThe Whoを見ることができたのでよしとしよう。
8月13日午後10時30分
追記その1:
ハイド・パークで行なわれたライブのほうでは、blurのライブでパークライフでフィル・ダニエルズが登場したらしい。
blurのライブレポートは、Rockin'onの児島さんのブログでプレイリストと映像のリンク込みで確認できます。
9月1日発売のrockin'onではライブレポートもあるらしい。
ちょっと楽しみ。
追記その2:
写真の出典とか入れるの忘れていましたので、ついでに気になったところを修正しました。
8月17日午前7時30分
追記その3: 「すたん ― 2012年08月14日 00時49分12秒」のコメントより。
すたんさんのご指摘により、The Whoの演奏曲の曲名の間違いを修正しました。
その他いろいろ間違いを修正しました。
すたんさんには、オリンピック閉会式のThe Whoの映像もご紹介いただきました。
ここにたどり着かれた方は、ぜひそちらもご覧ください。
私は感動して涙が出てきました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18602568
2015年8月19日
追記その4 細かい修正を行いました。
◇ロンドンオリンピック 雑念 ― 2012年08月13日 22時48分06秒
そういえば今気づいたが、ビートルズの初期はほとんどアイドルバンド状態だったわけだが、開会式・閉会式でビートルズから80年代のワム!のジョージ、90年代のTakeThat、2010年代のOne Directionといったアイドル勢も紹介されたのなら、70年代のベイ・シティ・ローラーズがスルーされたのはなぜか?
スコットランドのタータンチェックを全面モチーフにしているからか?
彼らがスコットランドのエジンバラ出身だからか?
スコットランド出身アーティストに気を使っていると思ったのは、気のせいだったのだろうか。
やっぱり、開会式の「地下鉄の出会い」のところで「二人だけのデート」が聞きたかったかも。
スコットランドのタータンチェックを全面モチーフにしているからか?
彼らがスコットランドのエジンバラ出身だからか?
スコットランド出身アーティストに気を使っていると思ったのは、気のせいだったのだろうか。
やっぱり、開会式の「地下鉄の出会い」のところで「二人だけのデート」が聞きたかったかも。
◇帯広の砂糖の話 ― 2012年08月20日 14時39分55秒
私の生まれたのは北海道帯広市だが、帯広では十勝毎日新聞(かちまい)をみんな読んでいる。北海道新聞や大手の朝日、毎日、読売などの新聞をとっていても、必ず別にかちまいをとっているのだ。
北海道では7割の家庭で北海道新聞をとっているらしいが、道内では唯一十勝でだけはトップシェアをうばえないでいるらしい(Wikipedia「十勝毎日新聞」より)。
その十勝毎日新聞では、道外在住者でも登録すれば十勝の主要記事を閲覧でき、メールでお知らせしてくれる「十勝メール」というサービスを行なっている。
http://www.tokachimail.com/
見たい地域のニュースを一覧にしてくれているので、「ああ、今地元ではこんなニュースがあるのだな」とか、「お祭りが終ったのだな」とか、地元のニュースに触れることができる。
先日届いたニュースの中に、こんなニュースがあった。
以下「十勝メール」帯広版より抜粋-----------
http://www.tokachimail.com/obihiro/
2012年8月15日の記事
フレンチドッグは砂糖?ケチャップ?
お祭りの露店などでつい食べたくなるのがフレンチドッグ。十勝では砂糖を付けて食べる人が大半だが、実は全国的には「アメリカンドッグ」の名でケチャップやマスタードを付けて食べるのが一般的だ。砂糖を付ける“風習”も主に道東圏のようだが、実際はどうなのか探ってみた。
親の代からフレンチドッグを扱って約40年という北海道街商協同組合の泉聖一理事長代理補佐(50)=美唄市=によると、砂糖を付けるのは十勝をはじめ釧路、根室など主に道東。この地域では8割近くが砂糖で、妻の美雪さん(54)は「1日で1キロ以上は使う」という。
なぜ道東圏で砂糖が多いかについては定かではないが、「十勝はお菓子が豊富だから。(釧路、根室など)浜の人は甘い物を好むからと聞いた」と美雪さん。しかし、港があっても苫小牧や小樽、稚内などで砂糖文化はないという。
(中略)
アメリカンとフレンチ。いずれもソーセージに小麦粉ベースのミックスを付けて揚げるものだが、同組合十勝帯広地区の村田絹枝代表によると魚肉ソーセージがフレンチで、豚肉などのソーセージがアメリカン。全道に魚肉ソーセージをフレンチ用として出荷する小樽市の玉屋食品でも「創業者の代から半世紀以上そう扱ってきている」という。
起源は定かではないものの、十勝など道東で根強い砂糖のフレンチドッグ。あなたは砂糖派? ケチャップ派? (高田敦史)
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すでに帯広から離れて暮す年数が、帯広で生活した年数を超えたが、フレンチドックの摂取に関しては、帯広で生活していた時期の方が多いと断言する。
しかし、私は砂糖をつけて食べるのは初めて聞いて、ショックを受けた。
しかも、それが帯広や釧路など、道東の定番であるとまで書いてあるのだ。
いや、初めてではないかもしれない。
幼い頃から「夜店のフレンチドックにはケチャップ」が当り前であると思っていた私の中に、平原祭りでフレンチドックの屋台の店頭に、紙箱に盛られた砂糖がおいてあるのを記憶しているからだ。
当然ケチャップと思っているところに、当然のように砂糖をぴっしりまぶされて、泣いて母親に抗議したような記憶がフラッシュパックのようによみがえるが、今私の頭の中で作り上げたものかもしれないし、真偽は定かではないが、なんとなくそんな記憶があるようなないような。
ああ、そういえばケチャップは当時高級品だったので、夜店ではおいていない店も多く、砂糖以外の選択肢がないと「なにもつけない」フレンチドックを食べることになっていた。
私は砂糖はありえなかったので、いつも何もついていない寂しいフレンチドックを食べていたような気がする。
ケチャップが普通に夜店に常備されたのは1970年代に入ってからのことで、それでもからしはフレンチマスタードではなく練った和辛子だったから、ケチャップに非常にあわなくていやだった記憶がある。
フレンチドック自体それほど大昔からある食べ物ではなく(いや、十分大昔だろうけど、100年とかそういう年月ではないという意味で)、家庭で簡単にドーナツが作れるような時代の産物であろうから、最初の頃は夜店で買っても「砂糖つけますか?」と聞かれたのであろうと思う。
砂糖が“常識”ではなく、砂糖という選択肢があり、ケチャップの登場まではそれが基本形だったということか?
何もついていない寂しいフレンチドックの当時、母はホットケーキミックスにプロセスチーズを入れて、丸いドーナツに揚げたおやつをよく作ってくれた。
大通りに住んでいた頃も、西二条の帯広千秋庵(現在の六花亭)の喫茶室でこっそりピザを食べるような母であった。
まだ1960年代後半頃の話であるので、母は非常に新し物好きであったのであろうと思う。
よその家で似たようなドーナツを食べたとき、中に何も入っておらず、周囲に砂糖がびっしりとまぶされたものが出されて、非常に違和感を持った。
当時のホットケーキミックスは、いまのものよりもずっと甘い味がついていたので、いつもは甘い生地にしょっぱいチーズの味が定番だった私には、甘いだけのドーナツは考えられなかった。
まして、生地が甘いのに、さらにそこに砂糖を加えるのが不思議だった。
あんぱんもあんドーナツは嫌いだったし、なんでも砂糖をつけるということに小さい頃から抵抗があった記憶があるので、この記事は非常に衝撃をもって読んだのだ。
この文化が帯広から釧路など道東に集中したものであることから、「浜の人は甘いものが好きだから」と、この取材された人は分析しているようだが、十勝は砂糖の生産もある土地なので、砂糖をつける文化はそこからきたのではないだろうかと私は推測する。
十勝は西隣が日高山脈でさえぎられているため、日高山脈を境に文化の断絶がしばしば見られる。
帯広名物と言われる豚丼だって、ほんの数十年前までは札幌の人に聞いても「なに?それ、しらな~い」としか言われなかった。
内陸の帯広は、海のものはおのずと釧路や根室と交流をもつことになる。
しかし釧路で砂糖を作る文化はあまり聞かないので、帯広独自のものであると私は感じる。十勝で産出された砂糖が、浜で働く人の身体を温めるためそのまま定着したと考えるほうが自然だろう。
同じ道内でも官庁が違い、距離としては帯広から東京~仙台ほどの距離のある稚内生まれの私の旦那は、たぶん100%の確率で「えー(;゚д゚)」と言うだろう。
もしかしたら「気持ち悪い」「浜とか一緒にしないでほしい(゚ε゚)」とさえ言うかもしれない。
昔は砂糖は高級品だったし、その高級品の砂糖をたっぷりつけて食べる外国文化の象徴のようなフレンチドックは、なんとなく豊かな文化に見えたのではないだろうか。その名残なのか、帯広にはそういう風習がけっこう多い。
上京した当初、他県出身の友人と集まって食事をする機会のときに、煮物や鍋の味付けで大喧嘩したことも何度かある。
我が家は比較的甘くない味付けであったが、それでも他県の人間には甘く感じたらしい。青森や秋田出身の友人でも、甘すぎると言われてショックだった。
特に十勝の人が甘いもの好きであるというのは、地元を離れて初めて痛感したものである。煮物でもすきやきでも、ラーメンのスープでも、十勝の食べ物は甘い味付けのものが多いようにも思う。
冬は零下20℃以上になることも頻繁にあったし、夏は30℃超えもしばしばあったから、砂糖の甘みは生命線であったのだろう。
しかし、今はそうでもないが、砂糖大根(ビート)からとった砂糖は、当時は上白糖とグラニュー糖では、その味わいに雲泥の差があった。
上白糖は今よりもべったりと重く、胸が焼けるように強烈に甘かった。グラニュー糖は上品な甘さだったが高級品だった。
子供のおやつにチーズドーナツを食べさせるような母でも、家ではコーヒーにグラニュー糖ではなく上白糖を入れて飲んでいた。喫茶店ではグラニュー糖が普通においてあるので、なぜグラニュー糖にしないのかと聞いたら、「高いから」という答えが返ってきたのを覚えている。
かわいい砂糖壷に上白糖が普通に入っている家庭も多く、よその家で紅茶などを出されて、喫茶店のような感覚でスプーンに2つ砂糖を入れると、喫茶店の紅茶よりも格段に甘くなっていやだった。
単純に砂糖の量を減らしても、上白糖の味とグラニュー糖の味はまったく別物だったので、紅茶も当然別な飲み物になっていた。
今の上白糖は昔のと比較しても、甘さがかなり軽減されている。べったりした食感も少なくなっている。グラニュー糖にいたっては、甘みがさっぱりしすぎているくらい。
料理研究家の人の中では、きびの砂糖よりもてんさい糖は甘さが控えめとか言う人もいるくらいだ。
この記事の写真の砂糖は、今のグラニュー糖がたっぷりまぶっている。
これも昔は上白糖だったはずだから、今のものと昔のものとでは味が違うのだろうと推測する。
砂糖の甘さは変わってきているけど、砂糖をつけて食べるという行為だけは定着して残ったということなのだろう。
それにしても、今はそうでもないが、昔は十勝のおはぎは甘すぎて嫌いだった。どこの家庭でも上白糖や三温糖が大量に使用されていて、べったりと甘くて胸が焼ける。
当時は、帯広名物の甘納豆も甘すぎて嫌いだった。
北海道のお赤飯は、ささげのかわりに甘納豆を入れる家庭も多い。
甘い味付けのお赤飯に追い討ちをかけるような甘納豆の応酬に、閉口することもあった。
今から考えれば、あそこまで甘くする必要はどこにあったのだろうと思うが、いま食べたら「懐かしい」と思うのかもしれない。
豚肉ソーセージがアメリカンで、魚肉ソーセージはフレンチというのは、かなり無理やりだが多少は納得できるものでもある。
私はコッペパンを縦に割いて、そこに豚肉ソーセージとキャベツやレタスなどの野菜をはさんだのが「アメリカンドック」で、ソーセージの種類は別にしてソーセージを衣で全体をくるんで油で揚げたものが「フレンチドック」だと思っていた。
夜店ではフレンチドックが主流で、アメリカンドックを売るお店は当時はなかったはず。
私の思う「アメリカンドック」に、さすがの帯広の人でも砂糖をぶちまけて食べる人は少ないだろうと思うが、実際のところはどうなのだろうか。
だいたい、魚肉ソーセージ単体を食べるときには砂糖はつけないのに、何故フレンチドックになると砂糖なんだろう。
なんとなくだが、アメリカンドックは「食事」と「おやつ」の中間みたいな感じで、「フレンチドック」はあくまで「おやつ」な感じだからだろうか。
あくまで推測だが、この答えはみんなが子供の頃食べていた、ホットケーキミックスの揚げドーナツにヒントがあるような気がする。
まだ帯広にファーストフードのお店がなかった頃、改装前の昔の帯広の駅ビルの地下に、スタンド方式で軽食を供してくれるお店があった。
そこのアメリカンドックはコッペパンを縦に割いて、そこにキャベツの千切りを入れてマヨネーズをのせ、その上にソーセージをせてオーブントースターで軽く焼き、ケチャップとマスタードをのせてくれるというものだった。
当時マヨネーズとケチャップを一緒に食べるという発想がなく、しかもマヨネーズを温めて食べるという発想もなかったので、衝撃的に美味しかったのを覚えている。
帯広の古い駅がなくなる前に、大人になってから一度食べてみたが、その時は最初の感動が不思議に思うようなものだった。
当時はなんとなく、洋風なものがかっこよく美味しいと思い込んでいた。
上京当時に他県の人たちと喧嘩してからは、料理をしても砂糖を使うことは少なかったが、今は隠し味や味にふくらみを出すために常備している。
さとうきびの砂糖、黒糖、砂糖大根のてんさい糖と常備し、用途ごとに使い分けている。
しかし、作ったものに砂糖をまぶして食べることは、やはりすることはない。
逆に、ケチャップもマヨネーズもうちの冷蔵庫にはない。いつの間にか使わなくなったので、買うのを辞めたからだ。
食材の幅が広がったせいで、マヨネーズもケチャップも、私にとっては心躍るものではなくなってしまった。
今もしフレンチドックを食べるとしたら、フレンチマスタードだけたっぷりつけて、まっきっきにして食べるだろうと思う。
北海道では7割の家庭で北海道新聞をとっているらしいが、道内では唯一十勝でだけはトップシェアをうばえないでいるらしい(Wikipedia「十勝毎日新聞」より)。
その十勝毎日新聞では、道外在住者でも登録すれば十勝の主要記事を閲覧でき、メールでお知らせしてくれる「十勝メール」というサービスを行なっている。
http://www.tokachimail.com/
見たい地域のニュースを一覧にしてくれているので、「ああ、今地元ではこんなニュースがあるのだな」とか、「お祭りが終ったのだな」とか、地元のニュースに触れることができる。
先日届いたニュースの中に、こんなニュースがあった。
以下「十勝メール」帯広版より抜粋-----------
http://www.tokachimail.com/obihiro/
2012年8月15日の記事
フレンチドッグは砂糖?ケチャップ?
お祭りの露店などでつい食べたくなるのがフレンチドッグ。十勝では砂糖を付けて食べる人が大半だが、実は全国的には「アメリカンドッグ」の名でケチャップやマスタードを付けて食べるのが一般的だ。砂糖を付ける“風習”も主に道東圏のようだが、実際はどうなのか探ってみた。
親の代からフレンチドッグを扱って約40年という北海道街商協同組合の泉聖一理事長代理補佐(50)=美唄市=によると、砂糖を付けるのは十勝をはじめ釧路、根室など主に道東。この地域では8割近くが砂糖で、妻の美雪さん(54)は「1日で1キロ以上は使う」という。
なぜ道東圏で砂糖が多いかについては定かではないが、「十勝はお菓子が豊富だから。(釧路、根室など)浜の人は甘い物を好むからと聞いた」と美雪さん。しかし、港があっても苫小牧や小樽、稚内などで砂糖文化はないという。
(中略)
アメリカンとフレンチ。いずれもソーセージに小麦粉ベースのミックスを付けて揚げるものだが、同組合十勝帯広地区の村田絹枝代表によると魚肉ソーセージがフレンチで、豚肉などのソーセージがアメリカン。全道に魚肉ソーセージをフレンチ用として出荷する小樽市の玉屋食品でも「創業者の代から半世紀以上そう扱ってきている」という。
起源は定かではないものの、十勝など道東で根強い砂糖のフレンチドッグ。あなたは砂糖派? ケチャップ派? (高田敦史)
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すでに帯広から離れて暮す年数が、帯広で生活した年数を超えたが、フレンチドックの摂取に関しては、帯広で生活していた時期の方が多いと断言する。
しかし、私は砂糖をつけて食べるのは初めて聞いて、ショックを受けた。
しかも、それが帯広や釧路など、道東の定番であるとまで書いてあるのだ。
いや、初めてではないかもしれない。
幼い頃から「夜店のフレンチドックにはケチャップ」が当り前であると思っていた私の中に、平原祭りでフレンチドックの屋台の店頭に、紙箱に盛られた砂糖がおいてあるのを記憶しているからだ。
当然ケチャップと思っているところに、当然のように砂糖をぴっしりまぶされて、泣いて母親に抗議したような記憶がフラッシュパックのようによみがえるが、今私の頭の中で作り上げたものかもしれないし、真偽は定かではないが、なんとなくそんな記憶があるようなないような。
ああ、そういえばケチャップは当時高級品だったので、夜店ではおいていない店も多く、砂糖以外の選択肢がないと「なにもつけない」フレンチドックを食べることになっていた。
私は砂糖はありえなかったので、いつも何もついていない寂しいフレンチドックを食べていたような気がする。
ケチャップが普通に夜店に常備されたのは1970年代に入ってからのことで、それでもからしはフレンチマスタードではなく練った和辛子だったから、ケチャップに非常にあわなくていやだった記憶がある。
フレンチドック自体それほど大昔からある食べ物ではなく(いや、十分大昔だろうけど、100年とかそういう年月ではないという意味で)、家庭で簡単にドーナツが作れるような時代の産物であろうから、最初の頃は夜店で買っても「砂糖つけますか?」と聞かれたのであろうと思う。
砂糖が“常識”ではなく、砂糖という選択肢があり、ケチャップの登場まではそれが基本形だったということか?
何もついていない寂しいフレンチドックの当時、母はホットケーキミックスにプロセスチーズを入れて、丸いドーナツに揚げたおやつをよく作ってくれた。
大通りに住んでいた頃も、西二条の帯広千秋庵(現在の六花亭)の喫茶室でこっそりピザを食べるような母であった。
まだ1960年代後半頃の話であるので、母は非常に新し物好きであったのであろうと思う。
よその家で似たようなドーナツを食べたとき、中に何も入っておらず、周囲に砂糖がびっしりとまぶされたものが出されて、非常に違和感を持った。
当時のホットケーキミックスは、いまのものよりもずっと甘い味がついていたので、いつもは甘い生地にしょっぱいチーズの味が定番だった私には、甘いだけのドーナツは考えられなかった。
まして、生地が甘いのに、さらにそこに砂糖を加えるのが不思議だった。
あんぱんもあんドーナツは嫌いだったし、なんでも砂糖をつけるということに小さい頃から抵抗があった記憶があるので、この記事は非常に衝撃をもって読んだのだ。
この文化が帯広から釧路など道東に集中したものであることから、「浜の人は甘いものが好きだから」と、この取材された人は分析しているようだが、十勝は砂糖の生産もある土地なので、砂糖をつける文化はそこからきたのではないだろうかと私は推測する。
十勝は西隣が日高山脈でさえぎられているため、日高山脈を境に文化の断絶がしばしば見られる。
帯広名物と言われる豚丼だって、ほんの数十年前までは札幌の人に聞いても「なに?それ、しらな~い」としか言われなかった。
内陸の帯広は、海のものはおのずと釧路や根室と交流をもつことになる。
しかし釧路で砂糖を作る文化はあまり聞かないので、帯広独自のものであると私は感じる。十勝で産出された砂糖が、浜で働く人の身体を温めるためそのまま定着したと考えるほうが自然だろう。
同じ道内でも官庁が違い、距離としては帯広から東京~仙台ほどの距離のある稚内生まれの私の旦那は、たぶん100%の確率で「えー(;゚д゚)」と言うだろう。
もしかしたら「気持ち悪い」「浜とか一緒にしないでほしい(゚ε゚)」とさえ言うかもしれない。
昔は砂糖は高級品だったし、その高級品の砂糖をたっぷりつけて食べる外国文化の象徴のようなフレンチドックは、なんとなく豊かな文化に見えたのではないだろうか。その名残なのか、帯広にはそういう風習がけっこう多い。
上京した当初、他県出身の友人と集まって食事をする機会のときに、煮物や鍋の味付けで大喧嘩したことも何度かある。
我が家は比較的甘くない味付けであったが、それでも他県の人間には甘く感じたらしい。青森や秋田出身の友人でも、甘すぎると言われてショックだった。
特に十勝の人が甘いもの好きであるというのは、地元を離れて初めて痛感したものである。煮物でもすきやきでも、ラーメンのスープでも、十勝の食べ物は甘い味付けのものが多いようにも思う。
冬は零下20℃以上になることも頻繁にあったし、夏は30℃超えもしばしばあったから、砂糖の甘みは生命線であったのだろう。
しかし、今はそうでもないが、砂糖大根(ビート)からとった砂糖は、当時は上白糖とグラニュー糖では、その味わいに雲泥の差があった。
上白糖は今よりもべったりと重く、胸が焼けるように強烈に甘かった。グラニュー糖は上品な甘さだったが高級品だった。
子供のおやつにチーズドーナツを食べさせるような母でも、家ではコーヒーにグラニュー糖ではなく上白糖を入れて飲んでいた。喫茶店ではグラニュー糖が普通においてあるので、なぜグラニュー糖にしないのかと聞いたら、「高いから」という答えが返ってきたのを覚えている。
かわいい砂糖壷に上白糖が普通に入っている家庭も多く、よその家で紅茶などを出されて、喫茶店のような感覚でスプーンに2つ砂糖を入れると、喫茶店の紅茶よりも格段に甘くなっていやだった。
単純に砂糖の量を減らしても、上白糖の味とグラニュー糖の味はまったく別物だったので、紅茶も当然別な飲み物になっていた。
今の上白糖は昔のと比較しても、甘さがかなり軽減されている。べったりした食感も少なくなっている。グラニュー糖にいたっては、甘みがさっぱりしすぎているくらい。
料理研究家の人の中では、きびの砂糖よりもてんさい糖は甘さが控えめとか言う人もいるくらいだ。
この記事の写真の砂糖は、今のグラニュー糖がたっぷりまぶっている。
これも昔は上白糖だったはずだから、今のものと昔のものとでは味が違うのだろうと推測する。
砂糖の甘さは変わってきているけど、砂糖をつけて食べるという行為だけは定着して残ったということなのだろう。
それにしても、今はそうでもないが、昔は十勝のおはぎは甘すぎて嫌いだった。どこの家庭でも上白糖や三温糖が大量に使用されていて、べったりと甘くて胸が焼ける。
当時は、帯広名物の甘納豆も甘すぎて嫌いだった。
北海道のお赤飯は、ささげのかわりに甘納豆を入れる家庭も多い。
甘い味付けのお赤飯に追い討ちをかけるような甘納豆の応酬に、閉口することもあった。
今から考えれば、あそこまで甘くする必要はどこにあったのだろうと思うが、いま食べたら「懐かしい」と思うのかもしれない。
豚肉ソーセージがアメリカンで、魚肉ソーセージはフレンチというのは、かなり無理やりだが多少は納得できるものでもある。
私はコッペパンを縦に割いて、そこに豚肉ソーセージとキャベツやレタスなどの野菜をはさんだのが「アメリカンドック」で、ソーセージの種類は別にしてソーセージを衣で全体をくるんで油で揚げたものが「フレンチドック」だと思っていた。
夜店ではフレンチドックが主流で、アメリカンドックを売るお店は当時はなかったはず。
私の思う「アメリカンドック」に、さすがの帯広の人でも砂糖をぶちまけて食べる人は少ないだろうと思うが、実際のところはどうなのだろうか。
だいたい、魚肉ソーセージ単体を食べるときには砂糖はつけないのに、何故フレンチドックになると砂糖なんだろう。
なんとなくだが、アメリカンドックは「食事」と「おやつ」の中間みたいな感じで、「フレンチドック」はあくまで「おやつ」な感じだからだろうか。
あくまで推測だが、この答えはみんなが子供の頃食べていた、ホットケーキミックスの揚げドーナツにヒントがあるような気がする。
まだ帯広にファーストフードのお店がなかった頃、改装前の昔の帯広の駅ビルの地下に、スタンド方式で軽食を供してくれるお店があった。
そこのアメリカンドックはコッペパンを縦に割いて、そこにキャベツの千切りを入れてマヨネーズをのせ、その上にソーセージをせてオーブントースターで軽く焼き、ケチャップとマスタードをのせてくれるというものだった。
当時マヨネーズとケチャップを一緒に食べるという発想がなく、しかもマヨネーズを温めて食べるという発想もなかったので、衝撃的に美味しかったのを覚えている。
帯広の古い駅がなくなる前に、大人になってから一度食べてみたが、その時は最初の感動が不思議に思うようなものだった。
当時はなんとなく、洋風なものがかっこよく美味しいと思い込んでいた。
上京当時に他県の人たちと喧嘩してからは、料理をしても砂糖を使うことは少なかったが、今は隠し味や味にふくらみを出すために常備している。
さとうきびの砂糖、黒糖、砂糖大根のてんさい糖と常備し、用途ごとに使い分けている。
しかし、作ったものに砂糖をまぶして食べることは、やはりすることはない。
逆に、ケチャップもマヨネーズもうちの冷蔵庫にはない。いつの間にか使わなくなったので、買うのを辞めたからだ。
食材の幅が広がったせいで、マヨネーズもケチャップも、私にとっては心躍るものではなくなってしまった。
今もしフレンチドックを食べるとしたら、フレンチマスタードだけたっぷりつけて、まっきっきにして食べるだろうと思う。
◇inovator 手帳復活&2013年カレンダー ― 2012年08月31日 03時48分10秒

今年復活したinnovatorダイアリー(by株式会社デザインフィル)
ある日、こんなメールが舞い込んできた。
イノベーターの手帳2013年復活!
メールをくださったのは、私のinnovatorのカレンダーの記事を以前見てくださった方とのこと。
情報ありがとうございます。
このメールには去年に続く朗報が綴られていた。
去年復活したinnovatorのカレンダーに続いて、長年愛用者が多かった手帳も2013年版から復活したという情報だ。
去年からinnovatorのカレンダーを引き継いだ株式会社デザインフィルのinnovatorのサイトに行ってみると、すでにカレンダーと手帳の販売は始まっている様子。
株式会社デザインフィル
innovatorカレンダー&ダイアリー
くだんの手帳は、「日曜始まり」「月間ブロック」タイプのビニールカバーのスリム。
「月間ブロック/週間+メモ」「月曜始まり」のゴムバンド付きの、A6ハードカバーとペンホルダー付きのA6縫製カバーの3タイプ。
以前、カレンダーがなくなったときの記事に、手帳についてのコメントがあり、「week表示がある手帳が少ないので、ないと困る」と書いていた方がいた。
week表記については私もそれまで知らなかったのだが、ちらっと調べたところ、ISO8601の日付と時刻に関する国際規格にのっとったものであり、ヨーロッパの方では日付よりも一般的に使用されているらしい。
その年の最初の木曜日を含む週がその年の第一週であるとの規定に基づき、一年の中でその週が第何週であるという表記によって、時期の確認などを行なうらしい(認識がちがっていたらすみません)。
去年カレンダーが復活したときに、カレンダーにはweek表記の記載があったので、「ああ、これがそうか」と納得したのだった。
デザインフィルのダイアリーの説明にweek表記(週表記)の説明はないようだが、年間スケジュールの画像を見ると、右端のほうに数字の列があるので、これがそうなのではないかと思ったりした。
必要な方は、ぜひ確認していただきたい。
個人的には、やはり日曜始まりのスリムに魅力を感じる。システム手帳を使用していた当時も、必要のないリフィルでやたら分厚くなってしまったのだが、私の傾向としては月間スケジュールしかほとんど使用しないので、月間ブロックのスリムで内容的にも十分だと思う。
でも、店頭で見たら縫製カバーのA6タイプとかグラッとくるんだろうな。

innovator壁掛けカレンダーL黒(by株式会社デザインフィル)
ところで、カレンダーだが今年は黒地のLサイズカレンダーが登場した模様。
innovatorのカレンダーはポップな色合いと書き込みやすさが魅力だが、これはそれとはまた違った魅力で、日付の文字も白地のものより大きい。
一応その日がなんの日なのかの表示はあるようだが、画像を見る限りではweek表示はない様子。
しかし、ポップなデザインは部屋の中でかなりの存在感を発揮しそうで、書き込みしない派の方にはお勧めかも(?)。
私はいつもの通り、白地の書き込みできるカレンダーを注文した。
今年は直売ストア「ミドリオンラインストア」で購入すると、B7サイズのノートが先着順でもらえるらしい。
毎年変わる土曜日の色は、今年は蛍光黄緑かな?
届くのが楽しみだ。
それにしても、去年「innovatorのカレンダー復活」の情報をお寄せいただいたのは、9月の半ば頃の話。今年は情報が届いたのが8月である。
まだ暑い中で、来年のことを考えるのもなんだかすごいなと思いつつ、今年いっぱいの仕事が大詰めであることを考えると、夏ばてでダウンしている場合ではない気持ちになってしまう。
たまに聞かれるのだが、私はinnovatorや株式会社デザインフィルとはなんの関係もないので、ご了承いただきたい。
私は確かにデザインの仕事なども行なっているが、特にデザインフィルの広報をしているわけでもないし、仕事で関係があるとか取引先であるとかでもない。
このブログの記事についてもちろんお金なんかもいただいていないし、これからもそんなことはないだろう。
たまたま2010年にinnovatorの日本代理店だった村田合同という会社が倒産したことにより、多くの愛用者の悲しみの中で一時期販売がストップしてしまったinnovatorのカレンダーの愛用者で、たぶんここのブログに来てくださっているみなさんと立場的には同じなのだ。
なんとなく情報発信地みたいになっていて、私にとってもこれらの情報はとても嬉しいものなので記事にしているが、アフィリエイト的なことで記事にしているわけではないことを、ここではっきり宣言する。
情報を寄せてくださっている方々も、みなさんinnovatorのカレンダーと手帳を愛している方々であることを信じている。
そして、これらのカレンダーや手帳に関しての問い合わせを私のところにいただいても、私にはなんらお答えする立場にはいないこともご理解いただきたい。
商品に関する問い合わせは、発売元の株式会社デザインフィルへどうぞ。
もちろん、今後も私のブログでinnovatorのカレンダーと手帳に関するコメントをいただくのは大歓迎だし、情報もどんどんお寄せいただいて、ここにくればとりあえずちょっとした情報がわかるというような利用をしていただければと思う。
カテゴリ一覧にも、「innovator」を一番最後の行においてみたので、ぜひご利用いただき、今後も情報をお寄せいただけると幸いです。
innovator復活までの過去の記事も、カテゴリ一覧の「innovator」からご覧いただけます。
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