◇謹賀新年2014 ― 2014年01月05日 06時48分31秒
謹賀新年
2014年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
皆様の2014年が素晴らしい一年でありますように。
本年もよろしくお願いします。
皆様の2014年が素晴らしい一年でありますように。
今年の元旦は、7時に初日の出を拝みそのまま近所の神社へ初詣に行き、近くを散策した後帰宅。
年賀状の整理をし、お昼ごろからおせち料理にお屠蘇がまわり、年末に録画していたあまちゃん10時間スペシャルを酒を飲みながら観て一日を過ごしました。
年末に作った煮物は里芋を忘れ、二日に食べたお雑煮はカシワとうずらの卵を入れ忘れました。
三日は着物を着て隣町までドイツから帰省している友人夫妻と待ち合わせをしましたが、帯がうまく結べず手間取ったのと電車が大幅に遅れていたため、30分の遅刻。
久々にぎゅうぎゅう詰めの満員電車を着物で味わいました。
友人夫妻の旦那様は、年末年始の疲れが出たためか、はたまた私たちが遅刻をしたことをお怒りなのか、終始不機嫌なご様子。
一時間ほど昼食をご一緒してすぐに帰宅されてしまい、前日から着物を用意したのが仇になって、がっかりして私たちもそのまままた混雑した電車で帰宅することに。
そんなこんなで、なんだかさえないお正月でありました。
親しい方には年賀状でお知らせしましたが、今月末には久々のビッグイベントが控えており、その準備も大変で、年末の大掃除で重曹とクエン酸とマイクロファイバーのぞうきんで荒れて腫れあがった手が休まることはしばらくなさそうであります。
今年の厄がお正月で落ちてくれたことを祈りつつ、私たちにとっても今年一年が良い一年であるよう心がけたいと思います。
◇猫のいない引越し ― 2014年01月08日 03時20分05秒

また引越しをすることになった。
結婚して20数年で6回目。生涯で数えると14回目の引越しである。
うちは転勤族というわけではないのだが、何故だかひとつところに長くいることができない運命のようだ。
今の集合住宅は10年目に入るので、私たちにとっては比較的長くここにいる。
ここのオーナーは大変良い人で、設備が壊れれば常に最新型に変更してくれるし、2週間に一度はきちんと共有スペースの掃除をしてくれるし、ネットも高速に対応してくれるのは早かったし、いたれりつくせりだった。
ペット可物件で、それまでの内緒で飼う緊張感からも開放されていた。
ドアから出たところの景色はとても気に入っていたし、天体観測にも適したとても住みやすい住居だった。
最初は米軍の飛行機の音にうんざりもしたが、10年も住んでいると慣れてしまう(だからといって、歓迎できる騒音ではないが)。
今から25年以上前。
上京して最初に住んだアパートで、3年半前に亡くなったうちの猫は私に保護された。
しかし、当時はペット可物件など皆無だった。
最初のアパートでは、たまたま不動産屋の立会いが入ることを知らずにいて、猫が部屋にいることがバレ、追い出されるような形で更新を拒否された。
それからペット不可物件でもずっと内緒で生活し、結婚するときも一緒に嫁入りした。
引越しが多かったせいもあるが、建物にあまり執着しない猫で、引越し先でも緊張していたのはせいぜい当日で、すぐに新しい環境に慣れる猫だった。
そして、うちの猫は今の住居で23歳の天寿をまっとうした。
思えば、上京してから猫と一緒でない引越しは、最初の学生寮から独立したときと、そこから出た引越しだけ。
それ以外はずっと猫と一緒だったのだ。
私は、年齢とともにアレルギー症状が重くなりつつあり、新たに猫アレルギーが発症するのが怖くて新しい猫を迎えられないでいる。
猫のいない生活には慣れたものの、猫との生活がまったくない家に住むのはあまりにも久しぶりだ。
今の住居には、猫と生活した思い出がたくさんあるし、いざ出るとなるとあちこちに猫の姿が思い浮かんでしまう。
いつも自分がいた部屋を確認してくれと、私を誘導する夢を何度も見る。
引越しがこんなに辛く感じるのは、上京したとき以来だろうか。
押入れを整理していると、昔猫が使っていた古いクッションが何個も出てくる。
猫の姿が目の端に見えてしまうので、なんとなく荷物の整理からも逃避してしまうのは、ただの言い訳かもしれないが。
◇新しい猫を飼わないもう一つのわけ ― 2014年01月08日 04時05分07秒
うちの猫が亡くなってから、早いもので3年半の月日が経つ。
猫のいない生活にも慣れたが、正直な話猫がいないという意識がほとんどなかったような気もする。
もちろん、トイレの掃除やごはんの用意などしなくなったのだが、なんとなくずっと猫は一緒にいたような気もするのだ。
それでも、猫が亡くなったばかりのときは、新しい猫を迎えたいといつも思っていた。
猫が亡くなった次の年に震災があり、被災猫を引き取りたいと考えたりすることもあったのだが、いつも二の足を踏んでしまうのは、亡くなった猫のことを忘れてしまうのが嫌だったのが一番の理由だ。
それでも、いくつかの団体にコンタクトをとったりもしたのだが、なかなか一緒に暮したいと思える猫と出会えなかったりする。
それ以上に二の足を踏ませているのが、里親ボランティアの制度だった。
新しい猫を迎えるなら、ペットショップで売られているようなものではなく、保護された猫を引き取りたいと思っていたので、そういう活動をしている人をお世話になった獣医さんに紹介してもらったのだ。
猫が亡くなって半年くらい過ぎた頃のことだ。
事前に紹介された方の所属される団体のホームページで制度と、現在保護している猫を確認してから連絡をとると、今住んでいる住居が自分のものかどうかと、地元の人間であるかどうか、保証人になれる人がいるかどうかを聞かれた。
賃貸住宅に住んでいるが、オーナーには事前に許可をとっている旨を伝えると、それでも賃貸では難しいようなことを言ってきた。
今までも20年以上猫を飼っていたと話すと、飼いかたなどを詳しく聞かれたので、外に出さずに生活をしていたこと、引越しは多かったが転勤族ではないことなどを伝えると、今度は出身地を聞かれた。
地元の出身ではなく、この周辺には親戚もいないと話すと、なぜそんな寂しい生活をしているのかと執拗に言われる。
私たちに何かあった際の保証人が必要であるということらしかったが、保証人以前に私たちが地元の人間でないことが気に入らない様子だった。
獣医さんに紹介していただいたときに、私がマンションに住んでいること、地元の人間ではないことなどを先方に伝えてもらっていたし、長く一緒に住んだ猫を亡くしたばかりなので、自分にあった猫と出会いたいと思っていることを伝えたが、それもその人には否定されてしまった。
彼女が言うには、自分は昔からここに住んでいて、猫を保護しているので常に10匹ほど猫と生活している。
あなたは猫が好きなら、なぜ今まで一匹しか飼っていなかったのか。
今までも保護猫と会っているのなら、何故引き取るようなことをしなかったのか。
近くに親戚がいないのなら、猫好きな友人にでも保証人になってもらえばいいじゃない。
地元の人じゃないから、そういう人もいないのかしら...
地元の人間でなければだめなら、最初からそう言えばいいことだ。
地元民でないことが、まるでだめな人間であるような言い方をされ、さすがにブチ切れてしまったのだ。
猫を保護する活動をしているのは立派だと思う。
里親制度を利用する人が、猫の命を粗末にするような人に猫が渡らないよう、気を配っていることも知っていた。
保証人が必要であることも、そういう制度であるならしかたないだろう。
しかし、地元出身者でないとか、近くに親戚がいないことなど、関係があるのだろうか。
猫を引き取ることで、ある程度のプライバシーを公開することに異論はないが、選民意識を丸出しにして差別的な意識で人と接するなら、保護した全ての猫を全部自分で面倒を見ればいいだろうとさえ思った。
保証人というのも、年齢が高齢であるとか、一人暮しであるとかなら理解できるが、猫を引き取ることで親戚縁者に迷惑がかかることがあるのであれば、引き取る側も躊躇してしまうのでないか。
保護している人は、一人でも里親を増やしたいと思っているはずなのに、なぜそこまで選民されなければならなかったのか疑問が残る。
また、里親制度では引き取る側がある程度のプライバシーをボランティアの人たちに公開するのだが、その管理体制にも疑問があるのだ。
プライバシーを預けるのであれば、それだけの知識が必要だと思うのだが、その旨の質問をするとその手の知識がまったくなく、自分はパソコンなどにうといからという言い訳をされ、挙句は「なぜ、そんなにボランティアをいじめるのだ」と逆切れされてしまった。
動物保護のボランティアをしている団体や個人、全てがこんなではないのだろうと思いたい。
たまたま出会った相手が悪かったのだろうと思いたい。
だが、猫に出会う前に人と出会わなければ猫と出会えないことや、その人間の考え方に同意しなければ猫を引き取ることさえできないというのが、非常に煩わしいと思ってしまったのだ。
関東にいたら、地方出身者であることで、差別されることなどよくあることだ。
10年ここに住んでいるが、地元民というのはいったい何年から地元民になるのだろうか。
一生賃貸暮らしで近くに親戚がいなければ、地元民にはなれないのだろうか。
このような形で差別されることは我慢ならない。
まして、引き取った猫の様子を報告するために、長い付き合いになる可能性があるのだから、引き取るのであれば気持ちよく引き取りたいと思うのは、ボランティアをしている側から見るとおかしいことなのだうろか。
そんなことがあって、結局新しい猫を飼えないでいるうち、アレルギーの危険性などが出てきて、そのままになっているのだった。
アレルギーがでてしまうと、やはり責任をまっとうできないだろうから、やはりこれで良かったのかもしれないと、自分に言い聞かせたりもしているのだ。
猫のいない生活にも慣れたが、正直な話猫がいないという意識がほとんどなかったような気もする。
もちろん、トイレの掃除やごはんの用意などしなくなったのだが、なんとなくずっと猫は一緒にいたような気もするのだ。
それでも、猫が亡くなったばかりのときは、新しい猫を迎えたいといつも思っていた。
猫が亡くなった次の年に震災があり、被災猫を引き取りたいと考えたりすることもあったのだが、いつも二の足を踏んでしまうのは、亡くなった猫のことを忘れてしまうのが嫌だったのが一番の理由だ。
それでも、いくつかの団体にコンタクトをとったりもしたのだが、なかなか一緒に暮したいと思える猫と出会えなかったりする。
それ以上に二の足を踏ませているのが、里親ボランティアの制度だった。
新しい猫を迎えるなら、ペットショップで売られているようなものではなく、保護された猫を引き取りたいと思っていたので、そういう活動をしている人をお世話になった獣医さんに紹介してもらったのだ。
猫が亡くなって半年くらい過ぎた頃のことだ。
事前に紹介された方の所属される団体のホームページで制度と、現在保護している猫を確認してから連絡をとると、今住んでいる住居が自分のものかどうかと、地元の人間であるかどうか、保証人になれる人がいるかどうかを聞かれた。
賃貸住宅に住んでいるが、オーナーには事前に許可をとっている旨を伝えると、それでも賃貸では難しいようなことを言ってきた。
今までも20年以上猫を飼っていたと話すと、飼いかたなどを詳しく聞かれたので、外に出さずに生活をしていたこと、引越しは多かったが転勤族ではないことなどを伝えると、今度は出身地を聞かれた。
地元の出身ではなく、この周辺には親戚もいないと話すと、なぜそんな寂しい生活をしているのかと執拗に言われる。
私たちに何かあった際の保証人が必要であるということらしかったが、保証人以前に私たちが地元の人間でないことが気に入らない様子だった。
獣医さんに紹介していただいたときに、私がマンションに住んでいること、地元の人間ではないことなどを先方に伝えてもらっていたし、長く一緒に住んだ猫を亡くしたばかりなので、自分にあった猫と出会いたいと思っていることを伝えたが、それもその人には否定されてしまった。
彼女が言うには、自分は昔からここに住んでいて、猫を保護しているので常に10匹ほど猫と生活している。
あなたは猫が好きなら、なぜ今まで一匹しか飼っていなかったのか。
今までも保護猫と会っているのなら、何故引き取るようなことをしなかったのか。
近くに親戚がいないのなら、猫好きな友人にでも保証人になってもらえばいいじゃない。
地元の人じゃないから、そういう人もいないのかしら...
地元の人間でなければだめなら、最初からそう言えばいいことだ。
地元民でないことが、まるでだめな人間であるような言い方をされ、さすがにブチ切れてしまったのだ。
猫を保護する活動をしているのは立派だと思う。
里親制度を利用する人が、猫の命を粗末にするような人に猫が渡らないよう、気を配っていることも知っていた。
保証人が必要であることも、そういう制度であるならしかたないだろう。
しかし、地元出身者でないとか、近くに親戚がいないことなど、関係があるのだろうか。
猫を引き取ることで、ある程度のプライバシーを公開することに異論はないが、選民意識を丸出しにして差別的な意識で人と接するなら、保護した全ての猫を全部自分で面倒を見ればいいだろうとさえ思った。
保証人というのも、年齢が高齢であるとか、一人暮しであるとかなら理解できるが、猫を引き取ることで親戚縁者に迷惑がかかることがあるのであれば、引き取る側も躊躇してしまうのでないか。
保護している人は、一人でも里親を増やしたいと思っているはずなのに、なぜそこまで選民されなければならなかったのか疑問が残る。
また、里親制度では引き取る側がある程度のプライバシーをボランティアの人たちに公開するのだが、その管理体制にも疑問があるのだ。
プライバシーを預けるのであれば、それだけの知識が必要だと思うのだが、その旨の質問をするとその手の知識がまったくなく、自分はパソコンなどにうといからという言い訳をされ、挙句は「なぜ、そんなにボランティアをいじめるのだ」と逆切れされてしまった。
動物保護のボランティアをしている団体や個人、全てがこんなではないのだろうと思いたい。
たまたま出会った相手が悪かったのだろうと思いたい。
だが、猫に出会う前に人と出会わなければ猫と出会えないことや、その人間の考え方に同意しなければ猫を引き取ることさえできないというのが、非常に煩わしいと思ってしまったのだ。
関東にいたら、地方出身者であることで、差別されることなどよくあることだ。
10年ここに住んでいるが、地元民というのはいったい何年から地元民になるのだろうか。
一生賃貸暮らしで近くに親戚がいなければ、地元民にはなれないのだろうか。
このような形で差別されることは我慢ならない。
まして、引き取った猫の様子を報告するために、長い付き合いになる可能性があるのだから、引き取るのであれば気持ちよく引き取りたいと思うのは、ボランティアをしている側から見るとおかしいことなのだうろか。
そんなことがあって、結局新しい猫を飼えないでいるうち、アレルギーの危険性などが出てきて、そのままになっているのだった。
アレルギーがでてしまうと、やはり責任をまっとうできないだろうから、やはりこれで良かったのかもしれないと、自分に言い聞かせたりもしているのだ。
◇寒すぎる ― 2014年01月10日 03時12分11秒
寒すぎる。
関東の冬の寒さでないような、痛い寒さだ。
今年は私より先に旦那が風邪でダウンした。
インフルエンザではないらしいのが、せめてもの救いである。
北側の仕事部屋にいると、
ストーブをつけていても足先や腿が痛い。
手先も冷え切っているし、
こんな寒さは関東では今まで経験したことがないような気がする。
大昔、北海道で氷点下25℃超えの中で、
飲んだ帰りに夜中にタクシーを求めてさまよったのを思い出すくらい寒い。
あの頃はそんな寒さが清々しくさえあったものだが、
歳をとるとそんな感覚もなくなって、
ただただ寒いだけなのがちょっと寂しい気もする。
関東の冬の寒さでないような、痛い寒さだ。
今年は私より先に旦那が風邪でダウンした。
インフルエンザではないらしいのが、せめてもの救いである。
北側の仕事部屋にいると、
ストーブをつけていても足先や腿が痛い。
手先も冷え切っているし、
こんな寒さは関東では今まで経験したことがないような気がする。
大昔、北海道で氷点下25℃超えの中で、
飲んだ帰りに夜中にタクシーを求めてさまよったのを思い出すくらい寒い。
あの頃はそんな寒さが清々しくさえあったものだが、
歳をとるとそんな感覚もなくなって、
ただただ寒いだけなのがちょっと寂しい気もする。
◇凍結した魚事件 ― 2014年01月13日 18時42分42秒
今日、家に一本の電話がかかってきた。
ナンバーディスプレイに表示された番号は、見覚えのない番号だったが、同じ県内のA市の市外局番だった。
電話に出ると、日本人らしくない発音だが、そこそこ聞ける発音の女性の声。
女性「今、凍結した魚を安く買えるんですけど」
私「凍結した魚?」
女性「マルハニチロで船に乗った凍結した魚を安く売っているんです」
私「マルハニチロ? あなたどなたですか?」
女性「凍結した魚を安く買えるので、私はご案内を郵送させていただきたいのですが」
日本語はそこそこ流暢なのだが、凍結した魚ってなんだろう、この女性は例の農薬入り冷凍コロッケの問い合わせか何かと間違えて電話をかけているのだろうか、などと考えていた私は、やっとここで間違い電話ではなく物売りだと確信した。
私「あなたは何故私の住所を知っているのですか?」
女性「住所は知りません。電話番号だけです」
私「私はあなたに心当たりがないのですが、あなたは何故私の電話番号を知っているのですか?」
女性「マルハニチロから電話をかけるように依頼されました」
私「私はマルハニチロと取引はありませんが」
女性「そこは会社ですか?」
私「普通の家ですが、マルハニチロに電話番号を知られるような買物はしていません」
女性「凍結した魚を買ってほしいので、案内を送りたいです」
私「取引した覚えもないところから突然電話がかかってきて、買物をしたいと思いますか?」
女性「そうですよね。失礼します」
ここで電話は切れた。
通信記録に残った電話番号をネットで調べてみると、5件ほど検索履歴がある。
念のためマルハニチロに電話で、「凍結した魚」を勧誘の電話で売っているかと問い合わせたところ、マルハニチロではそのような勧誘は一切行っていないとの返答だった。
他にこのような電話が他所のお宅にもかかってきているのかは知らないが、テレビの事件に乗じて詐欺まがいの勧誘をするなら、もっとテレフォンセールスのクオリティをあげないとリアリティがない。
「冷凍した魚」なら話は早いが、「凍結した魚」だと、この寒さで外にほっぽり出しておいた魚が凍ってしまったから、仕方なく安売りしているような印象である。
普通なら相手をせずに切るような電話だったが、マルハニチロが気の毒だったのと、凍結した魚にちょっと興味を持って相手をしてしまった。
しかし電話を切った後に、魚の種類はなんだったのか、確認すればよかったと、ちょっと後悔したのだった。
ナンバーディスプレイに表示された番号は、見覚えのない番号だったが、同じ県内のA市の市外局番だった。
電話に出ると、日本人らしくない発音だが、そこそこ聞ける発音の女性の声。
女性「今、凍結した魚を安く買えるんですけど」
私「凍結した魚?」
女性「マルハニチロで船に乗った凍結した魚を安く売っているんです」
私「マルハニチロ? あなたどなたですか?」
女性「凍結した魚を安く買えるので、私はご案内を郵送させていただきたいのですが」
日本語はそこそこ流暢なのだが、凍結した魚ってなんだろう、この女性は例の農薬入り冷凍コロッケの問い合わせか何かと間違えて電話をかけているのだろうか、などと考えていた私は、やっとここで間違い電話ではなく物売りだと確信した。
私「あなたは何故私の住所を知っているのですか?」
女性「住所は知りません。電話番号だけです」
私「私はあなたに心当たりがないのですが、あなたは何故私の電話番号を知っているのですか?」
女性「マルハニチロから電話をかけるように依頼されました」
私「私はマルハニチロと取引はありませんが」
女性「そこは会社ですか?」
私「普通の家ですが、マルハニチロに電話番号を知られるような買物はしていません」
女性「凍結した魚を買ってほしいので、案内を送りたいです」
私「取引した覚えもないところから突然電話がかかってきて、買物をしたいと思いますか?」
女性「そうですよね。失礼します」
ここで電話は切れた。
通信記録に残った電話番号をネットで調べてみると、5件ほど検索履歴がある。
念のためマルハニチロに電話で、「凍結した魚」を勧誘の電話で売っているかと問い合わせたところ、マルハニチロではそのような勧誘は一切行っていないとの返答だった。
他にこのような電話が他所のお宅にもかかってきているのかは知らないが、テレビの事件に乗じて詐欺まがいの勧誘をするなら、もっとテレフォンセールスのクオリティをあげないとリアリティがない。
「冷凍した魚」なら話は早いが、「凍結した魚」だと、この寒さで外にほっぽり出しておいた魚が凍ってしまったから、仕方なく安売りしているような印象である。
普通なら相手をせずに切るような電話だったが、マルハニチロが気の毒だったのと、凍結した魚にちょっと興味を持って相手をしてしまった。
しかし電話を切った後に、魚の種類はなんだったのか、確認すればよかったと、ちょっと後悔したのだった。
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