◇流行を無視したヘアスタイルの戦い ― 2014年03月19日 23時42分33秒
ショートカットにした。
ショートにするのは十年ぶりくらい。
以前は三叉神経に帯状疱疹が出来て、泣く泣く髪を切ったのだった。
それからずっと髪をセミロングにして、ストレートにしたり、ゆるふわパーマにしたりしてきた。
しかし、それらの髪型は決して自分の好みのスタイルではなかった。
私が要望するスタイルは、最近の美容師さんはやったことがないから出来ないとぬかすのだ。
写真を持っていこうが、美容師さんの中でイメージができないようで、失敗を恐れて要望に応じてくれようとは決してしなかった。
そういうわけで、2000年に入ってから2013年くらいまでは、私は自分の気に入ったヘアスタイルにしたことがない。
もともと若い美容師さんに、自分の話しているイメージがまったく伝わらないということを感じていたので、40代の美容師さんがいる美容院に行くようになって、そこそこ自分のイメージが伝わるようになったのだが、その人はそこのオーナーではなかったので、失敗を恐れて冒険することはなかった。
そのうち、私のタバコアレルギーがひどくなり、彼女のヘビースモーカーが苦痛になって行けなくなってしまった。
1980年代は、パーマの技術やヘアスタイリング剤は今よりもずっとよくなかったが、流行する多様なヘアスタイルに対応すべく、帯広の田舎にいる美容師さんでも、カットの技術は非常に優れていた。
ヘアデザインに意欲を持つ人も私の出会った美容師さんには多く、ヘアカタログに載っていないようなデザインでも、アレンジしていろいろとチャレンジしてくれたりもした。
別に都会の最前線にいなくても、それくらいの技術を持っている人はたくさんいたのだ。
ところが、パーマの技術が発達し、ありとあらゆるヘアスタイリング剤が登場し、自宅で自由にヘアスタイルを自分でアレンジするのが主流になってくると、多くの美容師さんはそれに頼るようになってきたように感じるのだ。
とりたてて致命的なのは、スタイリストだのと適当な肩書きをつけて高い料金をとっているのに、自分なりの主張やイマジネーションを微塵も持ち合わせていない人が多いことだ。
ヘアカタログに載っている髪型は、どれも長いか短いか、アレンジを変えたりの違いで、基本的にはどれも同じ髪型だったりする。
そこから逸脱した髪型を希望すると、とたんにそれには対応できず、まったく違う場所に無理に誘導しようとするのだ。
そしてそれが違うと指摘すると、二の句は「これはヘアアレンジしているから」とくる。
この原因は、私がイメージしているものと、美容師さんがイメージしているものが違うのが原因で、それがたとえ希望の髪形のサンプル写真を提示したところで、そこに思い描いている到達点が違えば、おのずとそのイメージも異なってくる。
それは年代的なものも大きく左右してくるだろう。
80年代の美容師さんは、美容学校でありとあらゆる髪型を勉強したらしいが、その内容にも時代が現れているのだと同年代の美容師さんに教えてもらった。
40代後半のその人は、自分たちの時代は刈り上げ、レイヤー、ツーブロックはあたり前だったけど、最近はそういうのは教わってこないようだと言っていた。
80年代に流行っていた髪形を今やりたいと思っても、それを納得いくように再現するには、そういった技術を習得している美容師さんを探さなければならないらしい。
さらに、そのイメージをきちんと把握している人が必要なのだ。
The who 右から二番目がロジャー・ダルトリー(thewho.com)
2年前、私はロンドンオリンピックを見てロックな気分になり、The Whoのロジャー・ダルトリーの70年代の写真を持って美容室で「この髪型にしたい」と言って、25年ぶりくらいにほぼカーリーヘアにした。
ちょうどそれまで通っていた美容室に行けなくなったときで、新しい美容室に事前に電話で喫煙者かどうかを確認し、こういう髪型にしたいという要望をあらかじめ伝えて行ったのだ。
もちろん髪質の違いなどでまったく同じにならないことは理解しているが、担当した30代前半の美容師さんはかなりがんばって近い髪型にしてくれた。
しかし、その時の美容室のパーマ液は私には合わなかったらしく、パーマの後のかぶれがひどかったので、私はまた次の美容室を探しすことになる。
たまたまニューオープンで顧客開拓していた店で、ロジャーは全頭スパイラルでLed Zeppelinのロバート・プラントに変貌した。
その後、ロックの後はニューウェイヴだとワンレン全頭スパイラルの頭は、そのまま裾をざっくり切って茅葺屋根のひさしのようにしてもらった。
茅葺屋根(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴「茅葺屋根の民家」)
この髪型は非常に気に入ったのだが、それまでずっとデジタルパーマをして、その後全頭カーリー、全頭スパイラルと続き、エアウェーブパーマでもその傷みはいかんともし難い状態にまで陥り、とうとうシャンプーのときに指が入らないくらい傷んでしまったのだった。
あまりの傷みにストレートにするしかないといわれ、数ヶ月間ストレートで生活をした。
一年半ほどかなりきつめのパーマになれてしまっていたので、さらさらストレートヘアはなんの面白みも感じず、ひどくつまらない上に毛先は相変わらず傷んでいるし、これが切れる長さになったらショートにしようとずっと思っていた。
そしてその日がやってきたのだ。
「ブリキの太鼓」(TIN DRUM)/ JAPAN
(こころとからだがかたちんば「Japan & 坂本龍一 「Ghosts」(Live)'82」)
アン・ルイス(Pink Cloud の独りよがり「アン・ルイス「ラ・セゾン」 (シングル盤)」)
ニューウェイヴの次はニューロマンティックスだろうと、私は無謀にもJAPANのディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていった。写真は「ブリキの太鼓」のジャケット。
補足としてアン・ルイスの写真も提出した。
ただし、私だって45をとうに過ぎたおばさんがディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていったところで、ディヴッド・シルヴィアンになれないことは知っている。
実際には彼とはかけ離れた仕上がりになることくらいは予想していたのだが、予想ははるか上空を駆け上っていた。
今回担当した美容師さんは、30代後半。
カット技術よりはパーマの薬剤などに凝る美容用品オタク的な人だったが、茅葺パーマもきちんとイメージどおりにしてくれたし、彼の美容院で扱っている薬剤は肌にやさしいものを揃えているので、ちょっと高いけれど彼にまたお願いすることにしたのだ。
しかし、ニューロマンティックスをリアルで経験しない彼は、このニュアンスがわからない。
最近流行りのボブスタイルの変形から、髪の毛を根元から立ち上げるパーマではなく、髪の流れをつけるだけのパーマをほどこした。
仕上がりを見て、「なんかこれちょっとイメージと違う」と言ってディヴッド・シルヴィアンの写真をもう一度確認する。
彼はこの流れがこうで、ここはこうでと説明するが、もともとのカットがそもそも違うような気がする。
何故このようなカットにしたのか、今の私の顔に合わせたイメージだったのかディスカッションするのだが、結論から言うと美容師のお決まり文句「これはセットしているから」。
そんなことは知ってるよ。この髪型になるのに、どういったカットが必要なのかも、30年前に見て知っているよ。それがどうしてニュアンスが伝わらないのか。
しかし、これは仕方がないことなのか。彼はニューロマンティックスを知らない。
ディヴッド・シルヴィアンもアン・ルイスも知らない。
当然、この当時流行ったレイヤードカットや当時のツーブロックも知らないのだ。
そして仕上がった髪型は、楳図かずおの「のろいの館」に出てくる“たまみ”か、NHKのドラマで三上博史が演じた「実験刑事トトリ」のトトリ君のような頭だった。
「のろいの館」たまみ / 楳図かずお(時間だぜ!!薄汚ねぇピーターパン!!「はやく人間になりたい!!」)
「実験刑事トトリ」三上博史(c)2013NHK
(クランクイン!!「三上博史&高橋光臣の凸凹コンビが完全犯罪に挑む!『実験刑事トトリ』DVD化決定」)
美容師本人は、「かわいい感じでいいですよ」「おしゃれな感じ」と言うけれど、私はイメージと違うのでちょっとがっかり。 三上博史ならそりゃおしゃれだろうけど、私がしたらイタイおばさんじゃないか。
くれぐれもその路線は避けてくれとお願いしたのだが、もともとが無謀な要望だから仕方がないのだろうか。
私が「おしゃれと思わなければ、それは失敗ということではないのか」と思ったが、せっかくかけたパーマをここからやり直すには時間がない。
この美容院に入って、すでに6時間が経過していた。
イメージと違うと、服やスタイルをどう選んでいいのかまたな悩まなければならないのだが、それほど多岐に渡る服装をしているわけではないので、しばらく“トトリたまみ”として生活していくしかなさそうだ。
いやいやそれ以上に、こういう髪型にすると、母にそっくりな自分が顔を出して驚いてしまった。
それにしても、カットの技術は30年前よりも多様な技術があるのだろうと思うし、さまざまな表現ができるようになったと思うのだが、それがヘアカタログに載っている髪型のただ一方にだけ発揮されている現実は、非常にもったいないと思う。
昔の美容師は、ない技術の中でいかにさまざまな表現をしようかとがんばった。
今の美容師さんは、二の句を告げば「それはアレンジで」と言う。
自分のカット技術で表現しようとは思わないのだろう。それを逃げにしてしまえば、そこから先はないと思うのだが。
それとも、私のイメージの伝え方が下手なのか。
それとも、今の「スタイリスト」という肩書きの美容師さんは、クリエイターではないのだろうか。
イマジネーションを持たないクリエイターなど、ありえないだろうと個人的には思うのだが。
ただ、どんなに愚痴を言っても、ヘアカタログに載っていない流行を無視した戦いはこれからも続く。
ショートにするのは十年ぶりくらい。
以前は三叉神経に帯状疱疹が出来て、泣く泣く髪を切ったのだった。
それからずっと髪をセミロングにして、ストレートにしたり、ゆるふわパーマにしたりしてきた。
しかし、それらの髪型は決して自分の好みのスタイルではなかった。
私が要望するスタイルは、最近の美容師さんはやったことがないから出来ないとぬかすのだ。
写真を持っていこうが、美容師さんの中でイメージができないようで、失敗を恐れて要望に応じてくれようとは決してしなかった。
そういうわけで、2000年に入ってから2013年くらいまでは、私は自分の気に入ったヘアスタイルにしたことがない。
もともと若い美容師さんに、自分の話しているイメージがまったく伝わらないということを感じていたので、40代の美容師さんがいる美容院に行くようになって、そこそこ自分のイメージが伝わるようになったのだが、その人はそこのオーナーではなかったので、失敗を恐れて冒険することはなかった。
そのうち、私のタバコアレルギーがひどくなり、彼女のヘビースモーカーが苦痛になって行けなくなってしまった。
1980年代は、パーマの技術やヘアスタイリング剤は今よりもずっとよくなかったが、流行する多様なヘアスタイルに対応すべく、帯広の田舎にいる美容師さんでも、カットの技術は非常に優れていた。
ヘアデザインに意欲を持つ人も私の出会った美容師さんには多く、ヘアカタログに載っていないようなデザインでも、アレンジしていろいろとチャレンジしてくれたりもした。
別に都会の最前線にいなくても、それくらいの技術を持っている人はたくさんいたのだ。
ところが、パーマの技術が発達し、ありとあらゆるヘアスタイリング剤が登場し、自宅で自由にヘアスタイルを自分でアレンジするのが主流になってくると、多くの美容師さんはそれに頼るようになってきたように感じるのだ。
とりたてて致命的なのは、スタイリストだのと適当な肩書きをつけて高い料金をとっているのに、自分なりの主張やイマジネーションを微塵も持ち合わせていない人が多いことだ。
ヘアカタログに載っている髪型は、どれも長いか短いか、アレンジを変えたりの違いで、基本的にはどれも同じ髪型だったりする。
そこから逸脱した髪型を希望すると、とたんにそれには対応できず、まったく違う場所に無理に誘導しようとするのだ。
そしてそれが違うと指摘すると、二の句は「これはヘアアレンジしているから」とくる。
この原因は、私がイメージしているものと、美容師さんがイメージしているものが違うのが原因で、それがたとえ希望の髪形のサンプル写真を提示したところで、そこに思い描いている到達点が違えば、おのずとそのイメージも異なってくる。
それは年代的なものも大きく左右してくるだろう。
80年代の美容師さんは、美容学校でありとあらゆる髪型を勉強したらしいが、その内容にも時代が現れているのだと同年代の美容師さんに教えてもらった。
40代後半のその人は、自分たちの時代は刈り上げ、レイヤー、ツーブロックはあたり前だったけど、最近はそういうのは教わってこないようだと言っていた。
80年代に流行っていた髪形を今やりたいと思っても、それを納得いくように再現するには、そういった技術を習得している美容師さんを探さなければならないらしい。
さらに、そのイメージをきちんと把握している人が必要なのだ。
The who 右から二番目がロジャー・ダルトリー(thewho.com)
2年前、私はロンドンオリンピックを見てロックな気分になり、The Whoのロジャー・ダルトリーの70年代の写真を持って美容室で「この髪型にしたい」と言って、25年ぶりくらいにほぼカーリーヘアにした。
ちょうどそれまで通っていた美容室に行けなくなったときで、新しい美容室に事前に電話で喫煙者かどうかを確認し、こういう髪型にしたいという要望をあらかじめ伝えて行ったのだ。
もちろん髪質の違いなどでまったく同じにならないことは理解しているが、担当した30代前半の美容師さんはかなりがんばって近い髪型にしてくれた。
しかし、その時の美容室のパーマ液は私には合わなかったらしく、パーマの後のかぶれがひどかったので、私はまた次の美容室を探しすことになる。
たまたまニューオープンで顧客開拓していた店で、ロジャーは全頭スパイラルでLed Zeppelinのロバート・プラントに変貌した。
その後、ロックの後はニューウェイヴだとワンレン全頭スパイラルの頭は、そのまま裾をざっくり切って茅葺屋根のひさしのようにしてもらった。
茅葺屋根(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴「茅葺屋根の民家」)
この髪型は非常に気に入ったのだが、それまでずっとデジタルパーマをして、その後全頭カーリー、全頭スパイラルと続き、エアウェーブパーマでもその傷みはいかんともし難い状態にまで陥り、とうとうシャンプーのときに指が入らないくらい傷んでしまったのだった。
あまりの傷みにストレートにするしかないといわれ、数ヶ月間ストレートで生活をした。
一年半ほどかなりきつめのパーマになれてしまっていたので、さらさらストレートヘアはなんの面白みも感じず、ひどくつまらない上に毛先は相変わらず傷んでいるし、これが切れる長さになったらショートにしようとずっと思っていた。
そしてその日がやってきたのだ。
「ブリキの太鼓」(TIN DRUM)/ JAPAN
(こころとからだがかたちんば「Japan & 坂本龍一 「Ghosts」(Live)'82」)
アン・ルイス(Pink Cloud の独りよがり「アン・ルイス「ラ・セゾン」 (シングル盤)」)
ニューウェイヴの次はニューロマンティックスだろうと、私は無謀にもJAPANのディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていった。写真は「ブリキの太鼓」のジャケット。
補足としてアン・ルイスの写真も提出した。
ただし、私だって45をとうに過ぎたおばさんがディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていったところで、ディヴッド・シルヴィアンになれないことは知っている。
実際には彼とはかけ離れた仕上がりになることくらいは予想していたのだが、予想ははるか上空を駆け上っていた。
今回担当した美容師さんは、30代後半。
カット技術よりはパーマの薬剤などに凝る美容用品オタク的な人だったが、茅葺パーマもきちんとイメージどおりにしてくれたし、彼の美容院で扱っている薬剤は肌にやさしいものを揃えているので、ちょっと高いけれど彼にまたお願いすることにしたのだ。
しかし、ニューロマンティックスをリアルで経験しない彼は、このニュアンスがわからない。
最近流行りのボブスタイルの変形から、髪の毛を根元から立ち上げるパーマではなく、髪の流れをつけるだけのパーマをほどこした。
仕上がりを見て、「なんかこれちょっとイメージと違う」と言ってディヴッド・シルヴィアンの写真をもう一度確認する。
彼はこの流れがこうで、ここはこうでと説明するが、もともとのカットがそもそも違うような気がする。
何故このようなカットにしたのか、今の私の顔に合わせたイメージだったのかディスカッションするのだが、結論から言うと美容師のお決まり文句「これはセットしているから」。
そんなことは知ってるよ。この髪型になるのに、どういったカットが必要なのかも、30年前に見て知っているよ。それがどうしてニュアンスが伝わらないのか。
しかし、これは仕方がないことなのか。彼はニューロマンティックスを知らない。
ディヴッド・シルヴィアンもアン・ルイスも知らない。
当然、この当時流行ったレイヤードカットや当時のツーブロックも知らないのだ。
そして仕上がった髪型は、楳図かずおの「のろいの館」に出てくる“たまみ”か、NHKのドラマで三上博史が演じた「実験刑事トトリ」のトトリ君のような頭だった。
「のろいの館」たまみ / 楳図かずお(時間だぜ!!薄汚ねぇピーターパン!!「はやく人間になりたい!!」)
「実験刑事トトリ」三上博史(c)2013NHK
(クランクイン!!「三上博史&高橋光臣の凸凹コンビが完全犯罪に挑む!『実験刑事トトリ』DVD化決定」)
美容師本人は、「かわいい感じでいいですよ」「おしゃれな感じ」と言うけれど、私はイメージと違うのでちょっとがっかり。 三上博史ならそりゃおしゃれだろうけど、私がしたらイタイおばさんじゃないか。
くれぐれもその路線は避けてくれとお願いしたのだが、もともとが無謀な要望だから仕方がないのだろうか。
私が「おしゃれと思わなければ、それは失敗ということではないのか」と思ったが、せっかくかけたパーマをここからやり直すには時間がない。
この美容院に入って、すでに6時間が経過していた。
イメージと違うと、服やスタイルをどう選んでいいのかまたな悩まなければならないのだが、それほど多岐に渡る服装をしているわけではないので、しばらく“トトリたまみ”として生活していくしかなさそうだ。
いやいやそれ以上に、こういう髪型にすると、母にそっくりな自分が顔を出して驚いてしまった。
それにしても、カットの技術は30年前よりも多様な技術があるのだろうと思うし、さまざまな表現ができるようになったと思うのだが、それがヘアカタログに載っている髪型のただ一方にだけ発揮されている現実は、非常にもったいないと思う。
昔の美容師は、ない技術の中でいかにさまざまな表現をしようかとがんばった。
今の美容師さんは、二の句を告げば「それはアレンジで」と言う。
自分のカット技術で表現しようとは思わないのだろう。それを逃げにしてしまえば、そこから先はないと思うのだが。
それとも、私のイメージの伝え方が下手なのか。
それとも、今の「スタイリスト」という肩書きの美容師さんは、クリエイターではないのだろうか。
イマジネーションを持たないクリエイターなど、ありえないだろうと個人的には思うのだが。
ただ、どんなに愚痴を言っても、ヘアカタログに載っていない流行を無視した戦いはこれからも続く。
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