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◇父のレコード2015年02月23日 01時47分14秒

父のレコード

父のレコード(一部)

父が仕事を辞めることになり、引退後に普段家で何をするかが課題になっていたのだが、昔好きだったジャズなどを楽しみたいらしいことが判り、微力ながらミニコンポをプレゼントした。
もっと良いシステムを購入してあげたかったが、それまで父が聞いていたのは、ラジカセのカセがなくなったようなものだったので、まず手軽に聞ける音をとそこそこのコンポを購入したのだ。
それに伴い、私が上京した際に勝手に持ってきたレコードが十数枚ほどあり、それをCD化して家で聞けるようにしようということで、我が家は現在その作業に追われている。

父が昭和45年前後にステレオを購入した時のことを、私は今でもはっきり覚えている。
昭和45年は妹が産まれた年で、私にとっては家にステレオと妹がやってくるという、大きな変化があったからだ。
何もなかった座敷に、大きなビクターのステレオセットが置かれたことは、もしかしたら妹が家に来た以上に嬉しかったかもしれない。
そのステレオセットは、小学5年生以降は私の部屋で占有され、私が上京するまで私が独占していた。

我が家にステレオセットが来るまでは、従姉妹の家にポータブルのレコードプレイヤーがあり、そこでレコードを聴かせてもらっていた。
歳近い従姉妹達は、自由に自分達が所有するレコードをかけては楽しんでいた。
当時流行していた平田隆夫とセルスターズの「ハチのムサシは死んだのさ」とか、フィンガー5のレコードなどがあり、従姉妹達は得意になってかけていたのを羨ましく思っていた。
家に来たステレオはポータブルの子供用のプレイヤーとは違い、音もしっかりしていたし、レコードが終わったら針が自動で元に戻るというのがかっこよく思えた。
しかし当時、、そのステレオを私が触らせてもらえることはなかったし、最初の頃は父が子供用のレコードを購入してくれることもなかった。
その頃は、父は1人でヘッドフォンをかけてレコードを聴いたり、ギターを弾いていたのを覚えている。


鈴懸の径 - 鈴木章治 1980

コンポをプレゼントする際に、どんな音楽を聞くのか父と話したときは、原信夫と鈴木章治、そしてカウント・ベイシーという名前が出てきた。
カウント・ベイシーはかろうじて知っているが、原信夫も鈴木章治も私は知らなかった。
ジャズは何度かライブなどにも足を運んだが、馴染めるものと馴染めないものの差が大きく、私にはあまり得意な分野ではない。
詳しく聞いてみると、日本のビッグバンド、デキシーランドジャズ、スゥイングジャズなどのいわゆるスタンダードなジャズが好きだという。
若い頃、渡辺貞夫と日野皓正のライブを母と観にいったという話を、子供の頃にさんざん聞かされたのだが、渡辺貞夫も彼のオリジナル曲は好きではなく、スタンダードナンバーを演奏する渡辺貞夫が好きらしい。

しかし、父の持っていたレコードでそのようなものはなく、ジャズのトランペット演奏の名曲集が一枚あるだけ。あとはギターの教則レコードと映画音楽のレコードがあったので、たぶんそのレコードでギターの練習をしていたのだろう(映画音楽のレコードには、ギター教則曲の王道「禁じられた遊び」が収録されている)。
そして、父のレコードのほとんどが、レコード会社が配布していたシングルの見本盤LPだった(いわゆる白ラベルというやつ)。

見本盤のLPは、そのレコード会社がその月の配布するシングル曲がランダムに収録されているもので、曲によっては途中で途切れてしまっているものもある。
昔は、レコード店でお客に配布していたらしいのだが、ほとんどレコードを持っていない父が、なぜこのように見本盤ばかり持っているのかは不明である。
レコード会社はフィリップス、ビクター、RCAレコードの三社。ほとんどが昭和45年の秋頃のものだ。
もしかしたらステレオを購入した際に、おまけにたくさんつけてもらったのかもしれないが、詳細は父に聞かないとわからない。

レコードの内容はというと、精力的にモータウン系の曲ばかり入っているものもあれば、歌謡曲とジャズがまざって収録されているものもあるし、ジャズとクラシックが収録されているものもある。
ビートルズなどの人気曲をイージーリスニングにアレンジしたものも多く、ポール・モーリアなどもあることから、当時のイージー・リスニング人気がうかがえる。

歌謡曲ばかり入っているものは、今でも名前を聞く人もいれば、これはいったい誰だろうとググっても出てこないような人まで様々。
元歌がはっきりと確認できるようなパクり曲も多く、それはそれで当時の時代背景が垣間見れて面白い。

私が高校時代によく聞いていたのは、ビクター・ワールド・グループの昭和45年9月新譜シングル見本盤で、レア・アースの「ゲット・レディ」とジャクソン・ファイブの「ABC」が入っている。
曲目一覧には曲の紹介文が簡単に書かれている。


rare earth - get ready 1973

ゲット・レディGet Ready
レア・アース
レーベル:レア・アース
時間 2:46 モータウンのマイナー・レーベル“レア・アース”と同名アーティストが贈るビッグ・ヒット!!原曲は21分30秒の大作。テンプテーションズのヒット曲。
6月27日付C.B誌 2位



Jackson 5 - ABC

ABC
ジャクソン・ファイブ
レーベル:モータウン
時間 3:11
リクエスト殺到!!
ジャクソン5もアメリカでは悲鳴をあげています。
若者のハートに鋭く突き刺さった“ABC”

このレコードには、ザ・ドアーズの「ランド・ホー」スティービー・ワンダーの「涙をとどけて」などが収録されている、なかなかレアなレコードだ。
私が高校を出る頃までは、一昔前の音源を聞くことのできる手段が少なかった。
レコードはよほどの人気曲でない限りは、すぐに店頭から見なくなってしまう。
そういう意味で、これらの見本盤は、私にとっては宝の山だった。

ちょっと検索してみると、1970年当時大学の初任給が25000円~30000円という時代に、LPは一枚2000円前後していたらしい。
EPは1975年頃に私が最初に買ったときには、500円か600円だった。
当時の父の給料がどのくらいだったかは知る由もないが、妹も生まれたばかりで、余裕がない時にステレオなど購入したわけで、レコードを買う余裕まではなかったのかもしれない。
しかし、これらの節操のない選曲にあふれた見本盤を、父がどこまで聴いていたのかは定かではない。

それにしても、昔の曲というのは、ほとんどの有名曲が聞いたことのある曲ばかりだ。
良い曲はイージーリスニング化され、スーパーや喫茶店のBGMなどでもかかっていたので、嫌でも耳にしていた曲も多い。
映画音楽でも流行歌でも、歌詞は知らなくても口ずさむくらいはできる。
音楽が人や生活に大きな影響を与えていた時代を痛感してしまう。

よく考えてみると、1990年代までは当時の音楽を聞いて「ああ、この頃はどうだったか」と思い出せるものも多いが、2000年に入ったあたりからそういう記憶のある曲は少なくなった。
好きで聞かなくても耳に入って覚えている曲というのは、ほとんどなくなったような気がする。
もちろん、人の記憶が昔のことの方が鮮明だったりするせいもあるのだろうが、21世紀に入って音楽にしてもファッションにしても、文化的な流行のあり方が大きく変わったような気がする。
私達が恐れていた20世紀の世紀末に失ったものは、実はものすごく大きなものだったのかもしれないなどと、勝手なことを思ったりしつつ、今日もイージーリスニングな夜はふけていくのだった。

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