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◇20年前の帯広駅前2006年07月15日 04時43分58秒

1986年当時の帯広の北側駅前。
青い色の場所は、これまでの記事に登場した店。赤い色の場所は良く行った場所。
画像をクリックすると大きな画像が別ウインドウで表示され、当時のお店の説明がでてきます。

 

 
   
  2006年現在の西2条通り。
平日の夕方5時というのに、車も人もほとんどいない。
   

このblogをはじめた当初、自分の原点である帯広の町のことから書きはじめたのだが、懐かしく思うのに名前が思い出せないお店や、すっかり忘れていた場所などがかなりあることがわかった。それで、当時の記憶をはっきり思い出すヒントになるのではと思い、帯広図書館で1986年当時の帯広駅前の住宅地図を入手した。
 入手した地図をそのまま掲載すると簡単なのだが、著作権の関係からコピーするのにも、ページの半分までという規定があるらしい。その地図を起こした人と連絡をとるわけにもいかないので、自分で地図を起こしてみることにしたのだ。

帯広の町は、町を造るときに京都を参考にしたとされるだけあり、碁盤の目のような構造なので、比較的地図には起こしやすい。
 1986年当時はまだまだこのへんは「まち」と呼ばれていた地域で、一番の繁華街だった。
 帯広は、大手企業の新商品の販売モデルタウンにもなっており、商店街の形式もこの当時はショッピングセンターや百貨店形式の店鋪よりも、専門店が多いのが特徴とされていた。 入手した地図には、建物一つ一つのお店の名前が掲載されていたが、いちいち記入するのが面倒だったので、自分の思い出深い場所と、目印になるような場所だけ記入することにした。
 西1条通りの東側に大通りという国道が走っており、その東側は飲み屋街とホテル街、そして住宅街へと移行していく。
 中心地となる「まち」と呼ばれる地域は、西5条通りと南9丁目通りまでが繁華街で、その先は商店と住宅地が混在する地域になっていた。
 条のつく東西に延びる通りは、それぞれメインストリートになっており、その東側に裏通りがある仕組みである。駅からまっすぐ延びる西2条を中心として、西側には商店、東側と裏通りには飲み屋街が多く存在するのは、現在でもあまり変わらない。
 ただ違うのは、現在はメインストリートが閑散としていて、テナント募集のビルが目立ち、西2条通りには人がほとんど歩いていないのだ。20年前には、このへんは一般の企業も多く入っており、平日の夕方の5時頃には買い物帰りの人や学生が家路につくバスを待つ人でいっぱいだった。
 今でも、飲み屋街だけはにぎわっているようなので、もう少し遅い時間だと人が出てくるようになるのだろうと思う。

帯広は、線路を高架化すると共に、それまでほとんど何もなかった駅の南側の開発により、図書館やホテルが南側に移動してしまった。また、それまでは西2条通りで地味な存在だった長崎屋が、駅の南側に大きなショッピングモールを構えたため、帯広の「まち」は一気に南側に移行してしまったのだ。
 それに伴い、西5条にあったイトーヨーカ堂が南側郊外に移転したのをきっかけに、帯広市内の大手スーパーがこぞって郊外型ショッピングモールを展開し、買い物をするのにいちいち「まち」に出て行かなくても良くなってしまった。

学生時代は長期の休みに帰省することができたが、仕事をするようになると往復7万円近い交通費を捻出するのは難しく(当時は安い航空券がなかなかなかった)、しばらく帰らないでいるうちに帯広は私の知らない街になってしまった。
 人が大きく変わっていくのもちょうどこの時期で、その頃の私の故郷に対する喪失感は相当なものだったのを覚えている。
 このあたりは今でも「まち」と慣例的に呼ばれてはいるが、昔の「ちょっとおしゃれしてお出かけする場所」という意味ではなくなってしまった。
 今このあたりにいるのは、テレビを見て駅前のぱんちょうの豚丼を食べようとやってきた、観光客だけのような気がする。
1986年当時の地図を起こすにあたり、本当なら南8丁目あたりまで作りたかったのだが、あまりにも巨大な地図になりすぎるので断念した。
 西2条南8丁目周辺には、六花亭の本店もあるし、劇団しらかばの本拠地(?)であったスケアクロウもあったが、掲載することができず残念である。

 

 
今も昔も変わらない、かじのビルの入口   マルヒロセンター入口看板

 

 
現在のかじのビル外観  

それでも、すでになくなってしまっていると思われていた、かじのビルと「西2条通りの廉売」マルヒロセンターは未だ健在であった。しかし、かじのビルは一階には昔からあった食器屋一店があるだけで、1986年当時あった魚屋や乾物屋などの店鋪はもうなく、閑散とした中に「懐かしの昭和展」なるものを展示してあり、ちゃぶ台に茶箪笥、足付きテレビといった昭和当時の再現ディスプレイがあった。Piccoのあった2階はサラ金が入っているようだった。
 マルヒロセンターは、西2条に面した入り口に、昔からある博多屋という靴屋があるだけで、年寄りのおしゃれの店が並んでいた場所はほとんどテナント募集中であった。ところどころに、新しい飲み屋が入っており、マルヒロセンターを抜けて西1条の裏通りに出ると、最近帯広で話題だという屋台街に出る。屋台街には、昔ながらの一杯飲み屋風の店から、中国人による本格中華、イタリア料理屋、ブラジル料理屋(?)などめずらしいお店も並び、おいしそうな匂いがただよってくる。この次帯広で遊ぶ時間のあるときは、是非立ち寄ってみたいと思った。そして、ここを中心にまた帯広の「まち」が活気を取り戻してくれるといいと思う。
 マルヒロセンターも、この屋台街の延長として新しく変わろうとしている最中のようで、帯広の「まち」が誕生した当時からあるマルヒロセンターが、そのきっかけを作るかもしれないと思うと、なんとなく感慨深いものを感じた。




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