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◇小さな一人旅2009年11月20日 03時42分55秒

帯広美術館前の坂から見た、雑木林越しの夕日
帯広美術館前の坂から見た、雑木林越しの夕日

4年ぶりの帰省は、一人旅だった。
特別帰らないことを意識していたわけではなかったが、飼い猫が21歳(人間の歳だと100歳らしい)になり、今までのように家で留守番させるのが困難な状況が続いているため、帰る理由もみつからないまま4年が過ぎた感じだった。
気が付けば4年だったのである。

今回の帰省の理由としては、今年に入り親戚に不幸が続いたのがきっかけだった。
旦那と一緒に帰りたかったが、仕事の都合がつかないのと、猫を一人にはできないので一人で帰ることにしたのだ。
4年前にも一度一人で帰省したときに、釧路に行こうと思っていて行けなかったことがあった。
せっかくなので、帯広に行く前に釧路の叔母のところに行くことにした。そして、これが初めての小さな一人旅になった。

釧路空港へ降りる頃には、北海道の大地はすでに闇の中だった。
気流が悪く、数回旋回した後10分遅れで着陸したので、釧路市街への阿寒バスは時間ぎりぎりだった。
外は風が強く、バスの中にいても肌寒い。旅行かばんの中にコートを入れていたのだが、大きな荷物は一番の座席に置くよう指示され、私は一番後ろの座席にいたので、コートを出すことができない。

釧路空港を出たばかりの道は、街灯もまばらで真の闇が広がっているようで、久しぶりにこういう闇を見た気がした。
つくばにいる頃も、ちょっと中心地から離れた裏道を走ると、やぶから何か出そうな生ぬるい闇が続くのだが、北海道の初冬の闇は何もかも凍りつかせてしまうような冷ややかさがあり、何も気配がないのがかえって怖いような気がしたのを思い出す。
昔はわざとこういう闇の中にいて、感覚を研ぎ澄ましているのが好きだった。どこまでも続く闇は、どこにも向かっていないようで、不安な気分になる。それらの感覚は、今は求めても得ることができない。しかし、その片鱗でも思い出すことができたことにちょっとだけ驚く。

バスの終点で叔母に会い、ホテルで食事をして、叔母の家に着く。
私の記憶にある家より新しいので聞くと、叔父が亡くなる数年前にリフォームしたとのこと。私はそんなことも知らずにいた。
8時すぎに、思いがけず従姉妹が会いに来てくれた。彼女と会うのも、彼女の父親が亡くなって以来のこと。今回の帰省で、彼女の母親のお見舞いに行く予定をしているので、そのお礼に来てくれたのだ。
その日は、従姉妹が帰った後も叔母とあれこれ尽きない話をして、2時近くなってから眠った。

次の日は、叔母と二人で釧路市立博物館の展示を見に行く。こじんまりしていて、良い博物館だ。
昔は、博物館のすぐ近くにあった科学館に、叔母によく連れてきてもらった。今はその科学館は移設されて、昔の建物は今は利用されていないらしい。

博物館の内部は、螺旋階段を中心にこじんまりとした展示がなされている。
4階が釧路湿原とアイヌ「サコ
ベ」の展示。
釧路湿原のパノラマルームの展示が、天井がドームになっているので本当に湿原に立っているかのような気分になる。アイヌの展示もまとまっていて、阿寒だけでなく釧路周辺のアイヌの出土品や個人のコレクションの寄贈などを展示してある。
3階がなく2階が釧路の先代史の展示。ここでは、叔母が昔実際にこういう道具を使っていたと、展示してある道具について説明をしてくれた。
そして、1階は釧路の自然の展示。マンモスの標本や、北海道の大地に生きる生き物や植物などを紹介している。

その後、駅前に移動して釧路の市場で遅い昼食を取る。
市場で珍味を買いたかったが、なんとなく食指が伸びない。
夕方のタイムセール中というのに、建物の中は人気がまばらで活気がない。
思えば、釧路の駅前も人気がまばらで、シャッターが閉まるお店も多い。ここでも商店街の人離れが止まらないのだと言う。
寒い時期は観光客もこないし、余計なのだろう。
市場の中に叔母の親戚がやっているお店があり、そこでほっけや筋子などを購入して自宅に郵送してもらった。

汽車の時間が近づいたので、16時17分発の特急おおぞら12号に乗るため、駅で乗車券を購入する。自由席か指定席か聞かれたが、自由席に。
しかし自由席はほぼ満席で、ぎりぎり席に着くことができた。車内アナウンスでは指定席は満席であるとのことで、利用者の多さにちょっと驚く。
駅のホームで、寒い中叔母が時間までずっと見送ってくれた。昔と違って窓が開くわけではないし、席を離れると取られてしまうので、話すこともできずそこを動くことができなかったのが心残りだった。

特急おおぞらは根室本線から石勝線に続く路線である。
特急だと釧路から帯広まで約1時間半で着く道のりが、鈍行だと3時間以上かかる。昔は、釧路の叔母の家に行くときに必ず汽車に乗ったのだが、3時間以上かかっていたような記憶がある。

目をこらして暗い窓の外を見るのだが、車内の電気が明るすぎて外が見えない。延々と続く冷たい闇の中、ときたま街や車の明かりが見えるが、ほとんど何も見えない。
窓に顔をつけてやっと見えた景色は、線路際ぎりぎりに波が打ち寄せる暗い海であった。 そういえば、昔こんなに線路ぎりぎりに海があって、汽車が海の中に入ってしまわないのだろうかと思った記憶がある。
白糠に近づくにつれ海は線路から遠ざかり、池田に入る頃にはすっかり内陸の何も見えない暗い景色に変わっていくが、釧路を出てからしばらく海が続く景色が昔はとても好きだった。
暗い海が続く景色の中で、ときおり停車しない駅前の風景に人の気配を感じるが、そのどれもがモノクロームの冷たい世界で、つげ義春の旅日記を思い出し、一人でいることがものすごく寂しいような、清清しいような気分になってくる。
今度来るときも一人なのか、あるいは旦那と二人なのかはわからないが、次は明るい時間に汽車に乗ろうと思う。

帯広駅に着き、父が駅まで迎えにきて私の一人旅は終了した。ここからは帰省旅である。
行く前に、旦那は「カメラを持っていっていいよ」と言ってくれたのだが、一人でカメラを持ち歩くことがなんとなくためらわれて、カメラを持っていかなかった。
だが、これは後で後悔に変わった。
うまく写らなくてもいいから、あの線路際に続く暗い海の写真を撮っておけばよかったと思った。

今回は、帯広に着いてからも仏さん参りやお見舞いで、友達に会う時間がとれなかった。
唯一、帯広百年記念館と美術館で開催されていた、ロシアの博物館にあったアイヌの資料を展示した大掛かりなイベントを、半日かけてゆっくり見ることができたのが収穫だった。
もう少しゆっくり時間をとろうと思えばとれたのだが、体調も芳しくなく、実際帯広にいる間謎の湿疹に悩まされ(これは、ヒートテック素材の下着が原因か? できるならカニでないように)、こちらに戻ってからも大変だったので、この期間が限界だった。
それに帯広の友人は喫煙者が多いので、実際今の私の体調では5分と一緒にいられないだろう。
友人には会いたいが、今はタバコの臭いだけで気持ちが悪くなってしまうので、タバコが平気になった頃にまた連絡できたらいいと思う。

コメント

_ 庭師 ― 2009年11月21日 07時03分29秒

帰って来てたのかい?一目会いたかったな~!残念
でも、時間がとれなかったのはしょうがないね。

次回、帰省のさいは連絡ほしいな。

_ makura ― 2009年11月21日 16時05分46秒

>庭師

ごめんねー。
前に会ったときは、突然お家におしかけちゃって(^^;)。お子さんも大きくなったでしょうね。
次のときには、みんなに会える時間をとりたいです。
そのときは是非、お時間いただけると幸いです。

海といえば、庭師には十勝太によく連れていってもらったけど、あそこには自分で行けといわれてもたぶん行けないと思う。
あの風景は今も健在なのかなあ。

老舗の豚丼が食べたくて鶴橋に行ったら、代替わりしてお店も新しくなったみたいね。味は先代と同じだったけど、肉が異様に薄くなってちょっとがっかりでした。

_ 庭師 ― 2009年11月21日 23時58分12秒

子供は大きくなったよ^^
長男はかみさんの背を抜いて生意気盛りさ!

十勝太はたまに行くけど、あそこの風景て変らないん
だよね。
いいノスタルジーに浸れるばしょだよ。

次回は案内させてね。

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