◇あと10日で禁煙丸一年の言い訳 ― 2009年11月21日 16時34分28秒

2009年11月21日現在の禁煙ブログパーツ。
禁煙開始からあと10日で丸1年になる。
禁煙を始めてから、あと10日で一年である。
正直、自分でもこんなにすっぱりタバコをやめられるとは思っていなかった。
しかし、実際にやめてみると、自分が本当にたばこを好きで吸っていたのか、ちょっと微妙である。
前にも書いたが、うちは二人家族で旦那はタバコの履歴のない非喫煙者である。
自分が喫煙者であるのに、外で食事をするときには他人のタバコの煙が許せないという状況を作り出し、極力外ではタバコを吸わないようにしてきた。
タバコを持ち歩かない、外出時にタバコを購入しないという習慣を10年近く続けていたため、家で仕事をするときだけ、決めた場所でのみタバコを吸うという生活になっていたのだが、禁煙が成功したのはこういう段取りがあってのことなのかもしれない。
どこでも自由にタバコを吸える環境にあって、家族も友達も喫煙者であるという状況だったら、たぶんタバコをやめようとも思わなかっただろうし、やめたとしても長くは続かなかっただろう。
幸い、私は近所にいる唯一の喫煙者の友人が、旦那様と一緒に禁煙にいどんだタイミングに便乗したので、外部からのタバコの誘惑はゼロに近かった。
しかし、体調がどんどん悪くなっているのに、無理してタバコを吸い続けていたというのも、やめた今となっては何に対して意地になっていたのだろうと思うことがある。
タバコをやめてからは、秋口から発症する擬似喘息やアレルギーの発作もふだんの年よりも劇的に軽度だし、痰がからんでいやな思いをするとかいうこともなくなった。逆流性食道炎の発作も少なくなった。
体調が悪く病院にかかったり健康法を試したりしているのに、常に身体に毒を入れていたのだから、良くなるはずがなかったのだ。
懸念していた体重の増加も、思ったほどではなかったのも幸いである(ちょっとは増えたみたいだけど)。
それでも、今でもパソコンの前に座る瞬間に、手がタバコを探していることに気づくことがある。
“パソコンの前に座るときはタバコを吸うときだ”と、頭では否定していても身体が覚えている感覚。これにはちょっとびっくりさせられる。
私の身体は、習慣として未だにタバコを欲しているのかもしれないのだ。
これは、無意識にリラックスしたいという意識をタバコに依存していたのかもしれないと、自己分析したりしている。
タバコをやめて困ったことといえば、タバコの副流煙がいやなのは以前通りだが、ヘビースモーカーの人、あるいはタバコを吸ったばかりの人がそばに来るのが嫌になった。
私の担当している美容師さんは喫煙者なのだが、タバコをやめてからはその人の休憩後の臭いが気になる。自分が喫煙者のときには気にならなかったのだが、タバコを吸った直後の服や髪についた臭いが、こんなにも周囲の人に影響のあるものなのだと、最近気がついた。
街中で喫煙者の人とすれ違っても、ヘビースモーカーの人はすぐにわかるようになった。
自分でできるだけ遠ざけようとする意識と、どこかで喫煙者にもどってしまうのではないかという不安が、必要以上にタバコの臭いに対して敏感になっているような気がしてならない。
タバコを吸ったばかりの人と話すと、タバコの臭いが気になって話に集中できないばかりか、だんだんと気持ち悪くなってくることもある。
もともと臭いには敏感なタチで、特にホルモン治療を受けている現在では、妊娠期に見られる臭いの反応に近い状況なのだ。自分の嫌いな臭いだと、吐いてしまうこともあるくらいの拒否反応を示す。
それが、タバコをやめてから反応が顕著になって、非常に困る場面も多い。
実家に帰ったときに、心臓病の手術を期に禁煙した禁煙歴10年の父がパチンコから戻ってきて、堪えられないタバコの臭気を平気で身にまとっていることに驚いた。
禁煙も長く続ければ、こんな臭いが蔓延して、それが自分を燻製している状態であっても平気になれるらしい。
喫煙者には肩身が狭い世の中になるつつある。
禁煙できたからといって、必要以上に喫煙者を責めるつもりはない。
ここまで喫煙者が責められる世の中で、タバコをやめない選択というのもあるだろうから、喫煙をやめた私がわざわざ「あなたもタバコをやめたら?」なんてさらさらいう気もない。
ただ、私のとった選択は禁煙しようということだっただけに過ぎない。
しかし、そういう気持ちと、実際にタバコ自体に直面したときの身体と心の反応は別なのだ。
こればかりは、喫煙者に理解してほしいというのも無理な話だし、禁煙した人にしか解ってもらえないだろう。
たとえ「禁煙に成功したからって」と喫煙者から白い目で見られようとも、身体は正直なのだ。
だから、私が今できることは、「喫煙者のそばにはできるだけ近づかない」ことと、「喫煙者のそばにいてもできるだけ平静を装える状態を作ること」である。
それをすることが、今までタバコを吸ってきた私の贖罪なのだろうと思うことにした。
これまでわたしが喫煙者であったときに接した、禁煙した友人の過剰とも思えた嫌煙の反応を、私自身ふりまくことだけはできるだけ避けたい。
(でも、どうしても我慢できないときは「すみませんが…」と言ってしまうが。)
これも前にも書いたが、禁煙一年目で周囲のタバコの煙の誘惑に負けた友人を知っている。
彼もタバコを憎みながら、どこかで身体がそこに戻りたがっていたのを感じていたと言っていた。そして、彼はその誘惑に負けたのだとも言った。
禁煙1年をあと10日にして、タバコを吸う生活にもどらなくていい意思と身体を、早く手に入れたいと思うばかりである。
禁煙開始からあと10日で丸1年になる。
禁煙を始めてから、あと10日で一年である。
正直、自分でもこんなにすっぱりタバコをやめられるとは思っていなかった。
しかし、実際にやめてみると、自分が本当にたばこを好きで吸っていたのか、ちょっと微妙である。
前にも書いたが、うちは二人家族で旦那はタバコの履歴のない非喫煙者である。
自分が喫煙者であるのに、外で食事をするときには他人のタバコの煙が許せないという状況を作り出し、極力外ではタバコを吸わないようにしてきた。
タバコを持ち歩かない、外出時にタバコを購入しないという習慣を10年近く続けていたため、家で仕事をするときだけ、決めた場所でのみタバコを吸うという生活になっていたのだが、禁煙が成功したのはこういう段取りがあってのことなのかもしれない。
どこでも自由にタバコを吸える環境にあって、家族も友達も喫煙者であるという状況だったら、たぶんタバコをやめようとも思わなかっただろうし、やめたとしても長くは続かなかっただろう。
幸い、私は近所にいる唯一の喫煙者の友人が、旦那様と一緒に禁煙にいどんだタイミングに便乗したので、外部からのタバコの誘惑はゼロに近かった。
しかし、体調がどんどん悪くなっているのに、無理してタバコを吸い続けていたというのも、やめた今となっては何に対して意地になっていたのだろうと思うことがある。
タバコをやめてからは、秋口から発症する擬似喘息やアレルギーの発作もふだんの年よりも劇的に軽度だし、痰がからんでいやな思いをするとかいうこともなくなった。逆流性食道炎の発作も少なくなった。
体調が悪く病院にかかったり健康法を試したりしているのに、常に身体に毒を入れていたのだから、良くなるはずがなかったのだ。
懸念していた体重の増加も、思ったほどではなかったのも幸いである(ちょっとは増えたみたいだけど)。
それでも、今でもパソコンの前に座る瞬間に、手がタバコを探していることに気づくことがある。
“パソコンの前に座るときはタバコを吸うときだ”と、頭では否定していても身体が覚えている感覚。これにはちょっとびっくりさせられる。
私の身体は、習慣として未だにタバコを欲しているのかもしれないのだ。
これは、無意識にリラックスしたいという意識をタバコに依存していたのかもしれないと、自己分析したりしている。
タバコをやめて困ったことといえば、タバコの副流煙がいやなのは以前通りだが、ヘビースモーカーの人、あるいはタバコを吸ったばかりの人がそばに来るのが嫌になった。
私の担当している美容師さんは喫煙者なのだが、タバコをやめてからはその人の休憩後の臭いが気になる。自分が喫煙者のときには気にならなかったのだが、タバコを吸った直後の服や髪についた臭いが、こんなにも周囲の人に影響のあるものなのだと、最近気がついた。
街中で喫煙者の人とすれ違っても、ヘビースモーカーの人はすぐにわかるようになった。
自分でできるだけ遠ざけようとする意識と、どこかで喫煙者にもどってしまうのではないかという不安が、必要以上にタバコの臭いに対して敏感になっているような気がしてならない。
タバコを吸ったばかりの人と話すと、タバコの臭いが気になって話に集中できないばかりか、だんだんと気持ち悪くなってくることもある。
もともと臭いには敏感なタチで、特にホルモン治療を受けている現在では、妊娠期に見られる臭いの反応に近い状況なのだ。自分の嫌いな臭いだと、吐いてしまうこともあるくらいの拒否反応を示す。
それが、タバコをやめてから反応が顕著になって、非常に困る場面も多い。
実家に帰ったときに、心臓病の手術を期に禁煙した禁煙歴10年の父がパチンコから戻ってきて、堪えられないタバコの臭気を平気で身にまとっていることに驚いた。
禁煙も長く続ければ、こんな臭いが蔓延して、それが自分を燻製している状態であっても平気になれるらしい。
喫煙者には肩身が狭い世の中になるつつある。
禁煙できたからといって、必要以上に喫煙者を責めるつもりはない。
ここまで喫煙者が責められる世の中で、タバコをやめない選択というのもあるだろうから、喫煙をやめた私がわざわざ「あなたもタバコをやめたら?」なんてさらさらいう気もない。
ただ、私のとった選択は禁煙しようということだっただけに過ぎない。
しかし、そういう気持ちと、実際にタバコ自体に直面したときの身体と心の反応は別なのだ。
こればかりは、喫煙者に理解してほしいというのも無理な話だし、禁煙した人にしか解ってもらえないだろう。
たとえ「禁煙に成功したからって」と喫煙者から白い目で見られようとも、身体は正直なのだ。
だから、私が今できることは、「喫煙者のそばにはできるだけ近づかない」ことと、「喫煙者のそばにいてもできるだけ平静を装える状態を作ること」である。
それをすることが、今までタバコを吸ってきた私の贖罪なのだろうと思うことにした。
これまでわたしが喫煙者であったときに接した、禁煙した友人の過剰とも思えた嫌煙の反応を、私自身ふりまくことだけはできるだけ避けたい。
(でも、どうしても我慢できないときは「すみませんが…」と言ってしまうが。)
これも前にも書いたが、禁煙一年目で周囲のタバコの煙の誘惑に負けた友人を知っている。
彼もタバコを憎みながら、どこかで身体がそこに戻りたがっていたのを感じていたと言っていた。そして、彼はその誘惑に負けたのだとも言った。
禁煙1年をあと10日にして、タバコを吸う生活にもどらなくていい意思と身体を、早く手に入れたいと思うばかりである。
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