◇帯広市緑ヶ丘の兵舎跡 ― 2012年10月25日 18時52分34秒
緑ヶ丘の兵舎跡
帯広の友人TSから、一枚の写真が届いた。
彼は散歩などの途中で撮影した、帯広の現在の姿と昔の名残の写真を送ってくれる。
故郷を遠く離れて暮らしている私にとっては、故郷がいつまでも記憶の中にある形でいてくれるのがうれしいが、現実はそうはいかない。
帰るたびに帯広のさびれ度は年々増していくし、古い建物は時間を止めたように相変わらず存在するのに、新しい建物がその風景に溶け込んでいかない。なんとも不思議な町である。
彼はそんな帯広の様子を、私に届けてくれるのだ。
今回の写真は、帯広緑ヶ丘にある古い建物。
この建物のある土地は、現在売地になっているらしい。
この建物は戦前に建てられ、今にも崩れ落ちそうだが、私の記憶にある40年ほど前から“今にも崩れ落ちそう具合”はあまり変わらないような気がする。
祖母の家が近くにあり、この建物は祖母の家へ行くバスの窓からいつも見えていた。
一度従姉妹と一緒にこの建物を見に行ったことがあるが、絶対に中に入らないように口うるさく言われた。
友人TSの話だと、この建物は戦時中の兵舎として建てられたもので、戦後は引揚者住宅として使用されたとのこと。
緑ヶ丘は開拓者住宅とか引揚者住宅とかが多く、私の祖母の家ももともとは開拓者住宅の長屋だったものを買い取り、一部リフォームして使用していた。
今のグリーンパークのあたりは今のようには整備されておらず、広い荒野の中でいつも誰かが一斗缶で焚き火をしていた記憶がある。
写真の建物は、緑ヶ丘小学校の近くにあるのだが、赤い屋根が印象的で、私はずっと農業用の建物だと思っていた。
このような歴史のある建物が、帯広のあちこちに廃墟になって残っている。
この建物は比較的原型を留めているほうだと思うが、帯広市はなぜこのような建物を保存するでもなければ処分するでもなく、ただただ長い時間放置してあるのか不思議だ。
帯広の歴史の一つとして、どこかに移築して保存すればいいのにと思うのだが、建物はずっと同じところにただ朽ち果てるのを待っているだけだ。
帯広の建物は、1980年代の比較的景気の良い時代であっても、古い建物が取り壊されることは稀だった。
商業地域であれば、通りに面したところだけがリフォームされ、見えないところはそのままというのがほとんどだった。
昔どうして表向きだけリフォームするのか、ずっと年上の人に聞いたら、「古いものを再利用するのが帯広の伝統だからだ」という返事が返ってきた。
21世紀に入って帯広の「まちなか」を歩くと、それらのリフォームを重ねてきた建物も未だに存在している。中には、地面との平行垂直が保たれておらず隣の建物に依存した建物や、戦後からずっとあるデパートや飲み屋街の建物なども残っている。
しかし、やはり徐々にこのような建物も姿を消す運命にあるようで、「あれ?」っと思ったら忽然と今までそこにあったものがなくなっていることがあったりする。
緑ヶ丘のこの建物も、たぶん土地が売れれば取り壊されてしまうのだろう。
古くからお馴染みだったこの建物が、次に帰省したときにはなくなっているだろうと思うと、ちょっとメランコリックになってしまうのだった。
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