◇英断するも後悔先にたたず ― 2020年04月19日 05時55分48秒
この3月の初めに、あくまでも個人的な用事で2週間帯広へ帰省する予定だった。
いろいろなことに出会うため、相手と場所と交渉し、日程を調整して楽しみにしていた。
自分だけの用事で帰省することは、結婚してからはほとんどなかったので、本当に楽しみにしていた。
新型コロナの騒ぎが一般的になったのは、2月の始め頃だっただろうか。
ここ20年くらいは自宅で仕事をしていたのに、心機一転外に仕事を求め、2月からバスと電車で通勤していた。
職場には外国人もいて、花粉や風邪の季節ということもあり、咳やくしゃみをしている人も多い。
当初は若い人は症状がでにくく、老人に感染すると重篤化しやすいといわれていた。
自分が陽性かどうか判断がつかない中、実家に帰って年老いた母や周辺の老人に移すかもしれないという危機感がぬぐえなかった。
母と妹は、もし感染するとしたら私がいてもいなくても関係ないだろう。
私から感染するのならそれはそれと言っていた。
しかし、その他に約束していた人は、年齢が高い人が多かったせいかキャンセルされた。
35年ぶりに会う約束をしていた友人だけが、気にしないので来たらいいと言ってくれていた。
当初帯広は1名の感染者が報告されているだけで、母も友人も対岸の火事を見るような雰囲気だった。
北海道は、2月の終わりに日本で最初に緊急事態宣言が発令され、北海道行きの飛行機が飛ばないのではないかという噂がたった。
約束をしていた友人も、はっきりは言わないものの、日を追うごとに難色を示すようになってきた。
妹に相談し、本音としてはやはり心配だということで、私は3月の帰省を断念した。
帰る口実も理由もなくなってしまったからだ。
あれから1か月半。
コロナの猛威はすでに国をゆるがす大事になっている。
東京の知人が3月の始めに帯広入りしたときは、自分は感染しないようなことを言っていた。
しかし、いざ首都圏に具体的な危機感が走り出した途端、毎日のようにFBに危機を煽る記事を引用するようになった。
無理をしても、口実なんてなくても、3月の始めに帰ればよかったのかもしれないと、頭の片隅で自問する。
少なくとも、友人に会うだけでもよかったじゃないかと思う。
ずっと会いたくて、やっと再会にこぎつけた人だった。
私がいかないことを告げた後、理由は別にあったのかもしれないが、なんとなく距離をおかれて疎遠になってしまった。もう会うこともないだろう。
例えウイルスの蔓延が収束したとしても、感染のリスクが収束するのはまだ先の話だろう。
特効薬の臨床が進んでいるとはいえ、今後私が実家に帰ることができるのは、たぶん数年後のことだろう。
11月には父の三回忌がある。
母は出席できなくても気にしなくていいと言っているが、あれだけ長女だからと言われて育ったのに、父の三回忌にその責任を果たせないだろうことが、母の簡単な言葉ではぬぐい切れないほど無念でならない。
テレビでは、ベルリンの壁崩壊のドキュメンタリーをやっている。
私はまるで、ウイルスという壁にはさまれて会いたい人に会えないベルリン市民のようだと思った。
気分転換に映画館に行ったり、美術館や博物館に行くこともできない。
楽しみにしていた上映や企画展は、会期中誰も足を運ばないまま終了している。
大昔、ペストが流行したときには、経済の変化に伴い常識も大きく変化した。
誰もが楽しみを謳歌し気軽に移動する時代は、この3月で終了したのかもしれない。
そんなことしか考えられないほど、現在の私の中の絶望は大きい。
いろいろなことに出会うため、相手と場所と交渉し、日程を調整して楽しみにしていた。
自分だけの用事で帰省することは、結婚してからはほとんどなかったので、本当に楽しみにしていた。
新型コロナの騒ぎが一般的になったのは、2月の始め頃だっただろうか。
ここ20年くらいは自宅で仕事をしていたのに、心機一転外に仕事を求め、2月からバスと電車で通勤していた。
職場には外国人もいて、花粉や風邪の季節ということもあり、咳やくしゃみをしている人も多い。
当初は若い人は症状がでにくく、老人に感染すると重篤化しやすいといわれていた。
自分が陽性かどうか判断がつかない中、実家に帰って年老いた母や周辺の老人に移すかもしれないという危機感がぬぐえなかった。
母と妹は、もし感染するとしたら私がいてもいなくても関係ないだろう。
私から感染するのならそれはそれと言っていた。
しかし、その他に約束していた人は、年齢が高い人が多かったせいかキャンセルされた。
35年ぶりに会う約束をしていた友人だけが、気にしないので来たらいいと言ってくれていた。
当初帯広は1名の感染者が報告されているだけで、母も友人も対岸の火事を見るような雰囲気だった。
北海道は、2月の終わりに日本で最初に緊急事態宣言が発令され、北海道行きの飛行機が飛ばないのではないかという噂がたった。
約束をしていた友人も、はっきりは言わないものの、日を追うごとに難色を示すようになってきた。
妹に相談し、本音としてはやはり心配だということで、私は3月の帰省を断念した。
帰る口実も理由もなくなってしまったからだ。
あれから1か月半。
コロナの猛威はすでに国をゆるがす大事になっている。
東京の知人が3月の始めに帯広入りしたときは、自分は感染しないようなことを言っていた。
しかし、いざ首都圏に具体的な危機感が走り出した途端、毎日のようにFBに危機を煽る記事を引用するようになった。
無理をしても、口実なんてなくても、3月の始めに帰ればよかったのかもしれないと、頭の片隅で自問する。
少なくとも、友人に会うだけでもよかったじゃないかと思う。
ずっと会いたくて、やっと再会にこぎつけた人だった。
私がいかないことを告げた後、理由は別にあったのかもしれないが、なんとなく距離をおかれて疎遠になってしまった。もう会うこともないだろう。
例えウイルスの蔓延が収束したとしても、感染のリスクが収束するのはまだ先の話だろう。
特効薬の臨床が進んでいるとはいえ、今後私が実家に帰ることができるのは、たぶん数年後のことだろう。
11月には父の三回忌がある。
母は出席できなくても気にしなくていいと言っているが、あれだけ長女だからと言われて育ったのに、父の三回忌にその責任を果たせないだろうことが、母の簡単な言葉ではぬぐい切れないほど無念でならない。
テレビでは、ベルリンの壁崩壊のドキュメンタリーをやっている。
私はまるで、ウイルスという壁にはさまれて会いたい人に会えないベルリン市民のようだと思った。
気分転換に映画館に行ったり、美術館や博物館に行くこともできない。
楽しみにしていた上映や企画展は、会期中誰も足を運ばないまま終了している。
大昔、ペストが流行したときには、経済の変化に伴い常識も大きく変化した。
誰もが楽しみを謳歌し気軽に移動する時代は、この3月で終了したのかもしれない。
そんなことしか考えられないほど、現在の私の中の絶望は大きい。
◇新型コロナウイルスで ― 2020年03月13日 00時04分51秒
ここ一か月のニュースは、新型コロナウイルスばかり。
イベントはもちろん、ふだんの生活にまで支障が出る状況に、世界中が対応し、翻弄され、株価も一気に急降下している。
各国政府の対応が正しいのか否か、たぶんジャッジがくだるのは数年先の話。
今はこの状況に冷静に対処する姿勢が必要だと感じる。
不安なのは自分だけじゃなくて、たぶん世界中の人が不安。
個々が騒いだからといって、この不安から逃げられるわけでもないことだけは自明の理かと。
イベントはもちろん、ふだんの生活にまで支障が出る状況に、世界中が対応し、翻弄され、株価も一気に急降下している。
各国政府の対応が正しいのか否か、たぶんジャッジがくだるのは数年先の話。
今はこの状況に冷静に対処する姿勢が必要だと感じる。
不安なのは自分だけじゃなくて、たぶん世界中の人が不安。
個々が騒いだからといって、この不安から逃げられるわけでもないことだけは自明の理かと。
◇観劇のマナーを守れない人は劇場に入る資格はないと感じる ― 2017年04月29日 02時23分33秒
ここ数年、演劇や映画を観る機会が増えている。
隣り町の小さな映画館で、昔の観たかった映画が続けざまに上映されたり、ここ一年ほど地元の演劇鑑賞会に参加しているからだ。
演劇鑑賞会は演劇を観続けることが目的で、自分で観る演目はあらかじめ前の年に決められているので、自由な演目を観ることはできない。
しかし、大きな劇場で公演することがだんだんと難しくなってきている昨今、若い演劇人を育てる環境も厳しく、こういう地方の演劇鑑賞会と相互に協力しながら劇団が育っていくことを参加して知った。
個人的には前衛演劇の方が好みだったりするのだが、新劇も改めて観ると面白いものも多い。毛嫌いしていたミュージカルやオペラも、悪くないと思えてしまう。
こういった鑑賞会に参加することで、今まで知らなかった心境地が開拓できるのも面白いと思えるのだ。
好きな演目かどうかを度外視して、純粋に演劇を観続けるという会に参加する人というのは、当然演劇が好きな人なのだろうと私は思っていた。
そういう人は、演劇という文化を大切にしたい人なのだと思いたい。
それなのに、観劇中に必ず光るブルーライト、そして携帯電話の呼び出し音。
観劇するのに、何故そんなものが必要なのか。
最近はモバイル機器を時計がわりにしている人も多いが、時間もすでに一年も前から決められているのだし、観劇中に時間を気にしなければならない理由もわからない。
そういうマナーの欠如が、演劇をだいなしにしていることが理解できないのなら、それは演劇に対する冒涜であると思う。
そういう人には演劇を観てほしくないとさえ思ってしまう。
去年は最悪な人が隣に座ったことがあった。
二幕目が始まってから遅れて入場したその人は、俯瞰で舞台全体を観たくて後ろの席に座っていた私の横の席に座った。
走ってきたのか息が切れていて、フーフーいっている(これはまあ、仕方がないのかも)。
スーパーの袋をガサガサならしながら、ペットボトルの水を探す音がうるさい。
私は一幕から観ているので冷房の入った会場が寒いのに、扇子をバタバタさせて隣の私まで冷やしてくれる。
あげくに携帯が鳴ると、そのまま出て話し出す始末。
「いい加減にしてください」と思わず声が出てしまった。
この間も友人と映画を観ていたら、友人の隣の人がスマホを取り出して何かを調べている。
画面はLINEの画面だったりする。
友人の隣の隣なのに、目の横がいやにまぶしくて気になって仕方がない。
私の隣の人は、映画の後半の半分たっぷりしくしく泣いて涙と鼻水の洪水と闘っているし(いや、それは仕方がない)、後ろの席の人はいつまでもポップコーンをガサガサしているし、まったく興ざめしっぱなしだった。
演劇鑑賞会のお題目としては、演劇を通じて大切なことを未来につなげていきたいという想いがあるようだが、参加する人がマナーを守るという最低限のことが守れない人が一人でもいる限り、舞台で大切なことを謳っていても意味は半減してしまうということを知るべきだと思う。
それはたとえお金を払って観ている客だとしても、舞台の意味を台無しにする権利などひとつもないのだから。
隣り町の小さな映画館で、昔の観たかった映画が続けざまに上映されたり、ここ一年ほど地元の演劇鑑賞会に参加しているからだ。
演劇鑑賞会は演劇を観続けることが目的で、自分で観る演目はあらかじめ前の年に決められているので、自由な演目を観ることはできない。
しかし、大きな劇場で公演することがだんだんと難しくなってきている昨今、若い演劇人を育てる環境も厳しく、こういう地方の演劇鑑賞会と相互に協力しながら劇団が育っていくことを参加して知った。
個人的には前衛演劇の方が好みだったりするのだが、新劇も改めて観ると面白いものも多い。毛嫌いしていたミュージカルやオペラも、悪くないと思えてしまう。
こういった鑑賞会に参加することで、今まで知らなかった心境地が開拓できるのも面白いと思えるのだ。
好きな演目かどうかを度外視して、純粋に演劇を観続けるという会に参加する人というのは、当然演劇が好きな人なのだろうと私は思っていた。
そういう人は、演劇という文化を大切にしたい人なのだと思いたい。
それなのに、観劇中に必ず光るブルーライト、そして携帯電話の呼び出し音。
観劇するのに、何故そんなものが必要なのか。
最近はモバイル機器を時計がわりにしている人も多いが、時間もすでに一年も前から決められているのだし、観劇中に時間を気にしなければならない理由もわからない。
そういうマナーの欠如が、演劇をだいなしにしていることが理解できないのなら、それは演劇に対する冒涜であると思う。
そういう人には演劇を観てほしくないとさえ思ってしまう。
去年は最悪な人が隣に座ったことがあった。
二幕目が始まってから遅れて入場したその人は、俯瞰で舞台全体を観たくて後ろの席に座っていた私の横の席に座った。
走ってきたのか息が切れていて、フーフーいっている(これはまあ、仕方がないのかも)。
スーパーの袋をガサガサならしながら、ペットボトルの水を探す音がうるさい。
私は一幕から観ているので冷房の入った会場が寒いのに、扇子をバタバタさせて隣の私まで冷やしてくれる。
あげくに携帯が鳴ると、そのまま出て話し出す始末。
「いい加減にしてください」と思わず声が出てしまった。
この間も友人と映画を観ていたら、友人の隣の人がスマホを取り出して何かを調べている。
画面はLINEの画面だったりする。
友人の隣の隣なのに、目の横がいやにまぶしくて気になって仕方がない。
私の隣の人は、映画の後半の半分たっぷりしくしく泣いて涙と鼻水の洪水と闘っているし(いや、それは仕方がない)、後ろの席の人はいつまでもポップコーンをガサガサしているし、まったく興ざめしっぱなしだった。
演劇鑑賞会のお題目としては、演劇を通じて大切なことを未来につなげていきたいという想いがあるようだが、参加する人がマナーを守るという最低限のことが守れない人が一人でもいる限り、舞台で大切なことを謳っていても意味は半減してしまうということを知るべきだと思う。
それはたとえお金を払って観ている客だとしても、舞台の意味を台無しにする権利などひとつもないのだから。
◇ミュージアムレストランで凍死の危機に瀕する ― 2015年10月21日 03時27分19秒
美術館が好きだ。
気に入った展示なら一日中でもいることができる。
ミュージアムショップが充実していて、併設のレストランが美味しくて、カフェが手軽ならなおのこといい。
企画展とコラボして、レストランで展示にちなんだ料理を楽しむのもいい。
そんな展示のある美術館に行けるのは、年にそう何度もないことなので、その機会に恵まれたときは非常に楽しみなのだ。
箱根のポーラ美術館は、天気が良ければテラス席に座ると、箱根の自然を楽しみながら食事ができる。
鳥のさえずりや山を巡る風を感じての食事は、季節がよければ時間が経つのを忘れてしまう。
横須賀美術館のカフェレストランも、海が一望できてとても素敵だ。
それほどお腹がすいていないときは、スープの屋台を利用しつつベンチに座って景色を楽しむこともできる。
先日、六本木の国立新美術館で行われたマグリット展に行ってきた。
展示は3月からやっていたが、なかなか日程が合わず6月に行ったのだ。
梅雨に入るか入らないかの時期だったが、天気に恵まれて気持ちの良い初夏の陽気だったが、建物の中に入ると寒く外を歩くとちょっと汗ばむような感じだった。
日本での回顧展は13年ぶり。
その日は、夫が休みをとったので、平日にゆっくりと見るのを楽しみにしていた。
六本木界隈は詳しくないし、いちいち禁煙のレストランを探すのも面倒なので、ランチを美術館内のレストランでとって、午後からじっくり見る予定だった。
11時頃到着し、3階のレストラン「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」でランチをいただく。
お昼前なので、まだ混雑していないのが幸いだった。

国立新美術館HPより ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ
ここのレストランは、1階から吹き抜けの空間に円形にかたどられたコンクリートの床が空中に浮かんでいるかのような作りをしている。
席に座ると、総ガラスブロックの壁面を眺めながら食事ができるのだ。
東京のど真ん中のレストランで、有名シェフの名前を冠したレストランなので、ランチといえども、そこそこなお値段である。
案内された席は、入口から1.5メートルほど離れた席だった。
私たちの両脇には、年配の女性の2人連れと、親子と思われる女性の2人連れが食事をしていた。
建物全体と比較しても、レストランの内部は冷房が効いていて寒いくらいだった。
ここのレストランは床に空調の吐き出し口が設置されており、テーブルや椅子はその上に置かれている。
私の座った席の下には吐き出し口が2つもあって、食事を決める頃には歯がガチガチとかち合うほどに寒かった。
その様子を見て隣のご夫人が「寒いわよね」と声をかけてくれたが、メニューを聞きに来た給仕はその様子を見てもしらんぷり。
絶えかねて給仕を呼んでひざ掛けを貸してもらえないかと言うと、板を2枚と毛布を持ってきた。
板で吐き出し口を塞ぎ、私たちはその上にテーブルと椅子をセッティングしなおしてもらった。
私たちの両隣のご夫人方は、その様子を見てびっくりしていた。
彼女達は食事中なのに、こきたない板が自分達の横を通り過ぎて床に設置される様子はお世辞にもほめられたものではないだろうし、そもそも不快でしかないだろうとも思った。
私は1枚ぽっちの毛布ではまだ歯がガチガチとなるほど寒く、食事が運ばれてきた頃にはスープもメインも冷たく感じるほどで、味などこれっぽっちもわからず、デザートのホットコーヒーが天国の飲み物のようにさえ感じるくらいだった。
しかも私は急激な寒さに弱く、このときは具合が悪くなる寸前だった。
食事を運んできた給仕は、板を持ってきた給仕と同じ人だったが、私が具合悪そうにしていても意を関せずといったところ。
お会計をするときに堪り兼ねて苦言を呈したところ、「それでも暑いという客もいるし、展示室はもっと寒いですよ」と客の過ごしやすさなどどうでもいいといった感じで、謝罪の言葉もらえなかった。
展示室が寒いのは知っている。
だからこそ展示室に長くいられる準備もしてきたし、マグリット展では展示室が寒いのを見越して入口でポンチョ型の毛布が配布されていた。
私はその毛布を3枚借りて、冷え切った身体を展示室で温める形になった。
給仕の言う「それでも暑いという客もいるから」というのは理解できるが、「展示室はもっと寒い」というなら、寒さ対策がとられた展示室よりもレストランの方が寒いというのはどういうことだろう。
そもそも、レストランは展示室と比較するような場所なのだろうか。
客の居心地を提供するのもレストランの役割なのではないだろうか。
そのへんの手軽な食事処ならば、多少の居心地の悪さも我慢しよう。
だが、巨匠の名を冠したそこそこの値段のする名の知れた美術館のレストランで、それはないだろうと思いたい。
少なくとも、食事の味が良いとか悪いとか以前の問題だろう。
国立新美術館は、日本でも大きな美術館の一つだし、建物の作りも凝っていて、企画展示もそれなりの大きなものが催される。
年に1、2度利用するが、たぶんここのレストランはもう2度と利用することはないだろう。
大きな美術館で、美術館全体を楽しむのが好きな私としては、ここのレストランほど残念な場所はない。
このときは、マグリット展がことのほか素敵で、帰りにプリントの絵を購入して額に入れて部屋に飾るほどよかったのがせめてもの救いだった。
国立と名を冠していて、誰でも気軽に利用してもらたいと少しでも思うのであれば、客の苦情に多少なりとも耳を傾ける度量と、客をもてなす心を持ち合わせてほしいとせつに願うばかりである。
気に入った展示なら一日中でもいることができる。
ミュージアムショップが充実していて、併設のレストランが美味しくて、カフェが手軽ならなおのこといい。
企画展とコラボして、レストランで展示にちなんだ料理を楽しむのもいい。
そんな展示のある美術館に行けるのは、年にそう何度もないことなので、その機会に恵まれたときは非常に楽しみなのだ。
箱根のポーラ美術館は、天気が良ければテラス席に座ると、箱根の自然を楽しみながら食事ができる。
鳥のさえずりや山を巡る風を感じての食事は、季節がよければ時間が経つのを忘れてしまう。
横須賀美術館のカフェレストランも、海が一望できてとても素敵だ。
それほどお腹がすいていないときは、スープの屋台を利用しつつベンチに座って景色を楽しむこともできる。
先日、六本木の国立新美術館で行われたマグリット展に行ってきた。
展示は3月からやっていたが、なかなか日程が合わず6月に行ったのだ。
梅雨に入るか入らないかの時期だったが、天気に恵まれて気持ちの良い初夏の陽気だったが、建物の中に入ると寒く外を歩くとちょっと汗ばむような感じだった。
日本での回顧展は13年ぶり。
その日は、夫が休みをとったので、平日にゆっくりと見るのを楽しみにしていた。
六本木界隈は詳しくないし、いちいち禁煙のレストランを探すのも面倒なので、ランチを美術館内のレストランでとって、午後からじっくり見る予定だった。
11時頃到着し、3階のレストラン「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」でランチをいただく。
お昼前なので、まだ混雑していないのが幸いだった。

国立新美術館HPより ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ
ここのレストランは、1階から吹き抜けの空間に円形にかたどられたコンクリートの床が空中に浮かんでいるかのような作りをしている。
席に座ると、総ガラスブロックの壁面を眺めながら食事ができるのだ。
東京のど真ん中のレストランで、有名シェフの名前を冠したレストランなので、ランチといえども、そこそこなお値段である。
案内された席は、入口から1.5メートルほど離れた席だった。
私たちの両脇には、年配の女性の2人連れと、親子と思われる女性の2人連れが食事をしていた。
建物全体と比較しても、レストランの内部は冷房が効いていて寒いくらいだった。
ここのレストランは床に空調の吐き出し口が設置されており、テーブルや椅子はその上に置かれている。
私の座った席の下には吐き出し口が2つもあって、食事を決める頃には歯がガチガチとかち合うほどに寒かった。
その様子を見て隣のご夫人が「寒いわよね」と声をかけてくれたが、メニューを聞きに来た給仕はその様子を見てもしらんぷり。
絶えかねて給仕を呼んでひざ掛けを貸してもらえないかと言うと、板を2枚と毛布を持ってきた。
板で吐き出し口を塞ぎ、私たちはその上にテーブルと椅子をセッティングしなおしてもらった。
私たちの両隣のご夫人方は、その様子を見てびっくりしていた。
彼女達は食事中なのに、こきたない板が自分達の横を通り過ぎて床に設置される様子はお世辞にもほめられたものではないだろうし、そもそも不快でしかないだろうとも思った。
私は1枚ぽっちの毛布ではまだ歯がガチガチとなるほど寒く、食事が運ばれてきた頃にはスープもメインも冷たく感じるほどで、味などこれっぽっちもわからず、デザートのホットコーヒーが天国の飲み物のようにさえ感じるくらいだった。
しかも私は急激な寒さに弱く、このときは具合が悪くなる寸前だった。
食事を運んできた給仕は、板を持ってきた給仕と同じ人だったが、私が具合悪そうにしていても意を関せずといったところ。
お会計をするときに堪り兼ねて苦言を呈したところ、「それでも暑いという客もいるし、展示室はもっと寒いですよ」と客の過ごしやすさなどどうでもいいといった感じで、謝罪の言葉もらえなかった。
展示室が寒いのは知っている。
だからこそ展示室に長くいられる準備もしてきたし、マグリット展では展示室が寒いのを見越して入口でポンチョ型の毛布が配布されていた。
私はその毛布を3枚借りて、冷え切った身体を展示室で温める形になった。
給仕の言う「それでも暑いという客もいるから」というのは理解できるが、「展示室はもっと寒い」というなら、寒さ対策がとられた展示室よりもレストランの方が寒いというのはどういうことだろう。
そもそも、レストランは展示室と比較するような場所なのだろうか。
客の居心地を提供するのもレストランの役割なのではないだろうか。
そのへんの手軽な食事処ならば、多少の居心地の悪さも我慢しよう。
だが、巨匠の名を冠したそこそこの値段のする名の知れた美術館のレストランで、それはないだろうと思いたい。
少なくとも、食事の味が良いとか悪いとか以前の問題だろう。
国立新美術館は、日本でも大きな美術館の一つだし、建物の作りも凝っていて、企画展示もそれなりの大きなものが催される。
年に1、2度利用するが、たぶんここのレストランはもう2度と利用することはないだろう。
大きな美術館で、美術館全体を楽しむのが好きな私としては、ここのレストランほど残念な場所はない。
このときは、マグリット展がことのほか素敵で、帰りにプリントの絵を購入して額に入れて部屋に飾るほどよかったのがせめてもの救いだった。
国立と名を冠していて、誰でも気軽に利用してもらたいと少しでも思うのであれば、客の苦情に多少なりとも耳を傾ける度量と、客をもてなす心を持ち合わせてほしいとせつに願うばかりである。
◇交番と警察署がタバコ臭くて閉口する ― 2014年11月01日 23時28分45秒
先日、駅前の交番に用事があって立ち寄った。
交番におまわりさんの姿はなく、パトロール中の印が出入り口に示されている。
用事のある人は机の上の電話で最寄の警察署に電話をしてくれと、アナウンスがされている。
私はその電話を利用しようと交番の中に一歩足を踏み入れて、そのまますぐに踵を返してしまった。
交番の中があまりにもタバコ臭くて、中に入ることができなかったのだ。
以前からここに書いているが、私はタバコのアレルギーである。
タバコのアレルギーなんて存在しないという人もいるし、学術的にそれが正しいことも知っているが、私の持っている病気のせいで、直接的ではないにしろアレルギー性の発作がおきて最終的には救急車のお世話にならなければならないのは同じである。
タバコのアレルギーは存在しなくても、タバコが起因する発作というのは存在するのだ。
嫌いとか好きとかのレベルではなく、タバコの臭いに触れるとまず咳が出て、気管が収縮し、声がでなくなる。涙が流れ、呼吸困難に陥り、動悸が激しくなって下手すると人事不省になる。あまりのストレスで、その場でイレウスを起したこともある。
自分でコントロールできるのは、タバコの臭いを感知した時点でそれ以上タバコの臭いに触れないようにすることだけだ。
外の喫煙所などは呼吸を止めるなどして、走ってその場を立ち去ればすむことだ。
しかし、交番のような閉ざされた空間で、その場にとどまらなければならない場合は、その場所を拒否するしか方法がない。
その時は交番に入らず、自費で携帯から警察署に電話をして、用事をすませることができた。
しかし困った事は交番だけに限らない。
私の地域の警察署は、もちろん人の出入りがある場所は禁煙となっているのだが、建物があまりに古く、蓄積されたタバコの臭いがとれずに存在している。
以前、免許の更新をしたときはまだこのような病気になる前だったので、さほど気にもとめていなかったのだが、先日別な用事で警察署を訪れたときには、中にいるのが困難であった。
公共の場所であるはずの警察署が、なぜこのようにタバコ臭いのか。
副流煙さえ存在しなれけば、それは問題外のことなのか。
昔から使用している施設で、昔は禁煙ではなかった場所でもここまで臭くない。
しかも、タバコの臭いをまとっている警察官に、私がタバコのアレルギーであるからそれ以上近づかないでくれと言うと、嫌がらせのように近寄ってきたのを何度も体験している。
警察官にタバコの害益に対しての意識が希薄というよりは、嫌煙者に対しての反発をこういうところで行っているようにしか思えない。
東京オリンピックに向けて喫煙防止条例を徹底させるとか言っているが、副流煙どうこう以前に、潜在的なタバコの臭い自体をなんとかしてほしい。
私の病気は直接的にタバコがアレルギーではないにしろ、タバコの成分の臭いを吸引すると発作が引き起こされる。これは残留臭にも身体に影響がある証拠ではないのだろうか。
タバコが好きだという人でも、古いタバコの臭いを好きだという人はあまり多くないと思う。
閉鎖された喫煙所に入ると具合が悪くなると言う喫煙者に何人も会った事がある。
私がバブルの頃、禁煙教室のインストラクター助手をしていた頃、その教科書には「閉鎖された場所で喫煙をして、吸ったタバコを水の入った瓶に入れ、そのまま放置しておく」という方法があった。
喫煙するときはその場所以外では吸わないようにし、喫煙する前にその瓶の臭いをかいでから喫煙するという方法だ。
水を吸収したタバコは悪臭以外の何物でもない。また、閉鎖された場所についたヤニは時間が経つにつれ、悪臭を放つようになる。
そうすることで、そんな悪臭を自分が吸っていることに嫌気がさして喫煙を辞められるという方法が、本気でテキストに書かれていた。
その方法が本当に禁煙につながるのかどうかは不明だが、私がテキストの実験台になったときは、一度瓶の臭いをかいだだけでギブアップした。
私の町の警察署や交番は、その時の臭いそっくりの建物なのだ。
いずれにしても、私は警察署で運転免許の更新を行うことは不可能であると確認してしまった。
違反切符は切られないよう気をつけるにこしたことはないが、万一そういう状況になった場合どうすればいいのか。
それ以前に、みんなが利用する場所をなぜ清潔に保てないのか、警察署は利用責任をどう思っているのか一度聞いてみたことがあるが、なぜそんなことで文句を言われなければならないのかという対応だった。
交番におまわりさんの姿はなく、パトロール中の印が出入り口に示されている。
用事のある人は机の上の電話で最寄の警察署に電話をしてくれと、アナウンスがされている。
私はその電話を利用しようと交番の中に一歩足を踏み入れて、そのまますぐに踵を返してしまった。
交番の中があまりにもタバコ臭くて、中に入ることができなかったのだ。
以前からここに書いているが、私はタバコのアレルギーである。
タバコのアレルギーなんて存在しないという人もいるし、学術的にそれが正しいことも知っているが、私の持っている病気のせいで、直接的ではないにしろアレルギー性の発作がおきて最終的には救急車のお世話にならなければならないのは同じである。
タバコのアレルギーは存在しなくても、タバコが起因する発作というのは存在するのだ。
嫌いとか好きとかのレベルではなく、タバコの臭いに触れるとまず咳が出て、気管が収縮し、声がでなくなる。涙が流れ、呼吸困難に陥り、動悸が激しくなって下手すると人事不省になる。あまりのストレスで、その場でイレウスを起したこともある。
自分でコントロールできるのは、タバコの臭いを感知した時点でそれ以上タバコの臭いに触れないようにすることだけだ。
外の喫煙所などは呼吸を止めるなどして、走ってその場を立ち去ればすむことだ。
しかし、交番のような閉ざされた空間で、その場にとどまらなければならない場合は、その場所を拒否するしか方法がない。
その時は交番に入らず、自費で携帯から警察署に電話をして、用事をすませることができた。
しかし困った事は交番だけに限らない。
私の地域の警察署は、もちろん人の出入りがある場所は禁煙となっているのだが、建物があまりに古く、蓄積されたタバコの臭いがとれずに存在している。
以前、免許の更新をしたときはまだこのような病気になる前だったので、さほど気にもとめていなかったのだが、先日別な用事で警察署を訪れたときには、中にいるのが困難であった。
公共の場所であるはずの警察署が、なぜこのようにタバコ臭いのか。
副流煙さえ存在しなれけば、それは問題外のことなのか。
昔から使用している施設で、昔は禁煙ではなかった場所でもここまで臭くない。
しかも、タバコの臭いをまとっている警察官に、私がタバコのアレルギーであるからそれ以上近づかないでくれと言うと、嫌がらせのように近寄ってきたのを何度も体験している。
警察官にタバコの害益に対しての意識が希薄というよりは、嫌煙者に対しての反発をこういうところで行っているようにしか思えない。
東京オリンピックに向けて喫煙防止条例を徹底させるとか言っているが、副流煙どうこう以前に、潜在的なタバコの臭い自体をなんとかしてほしい。
私の病気は直接的にタバコがアレルギーではないにしろ、タバコの成分の臭いを吸引すると発作が引き起こされる。これは残留臭にも身体に影響がある証拠ではないのだろうか。
タバコが好きだという人でも、古いタバコの臭いを好きだという人はあまり多くないと思う。
閉鎖された喫煙所に入ると具合が悪くなると言う喫煙者に何人も会った事がある。
私がバブルの頃、禁煙教室のインストラクター助手をしていた頃、その教科書には「閉鎖された場所で喫煙をして、吸ったタバコを水の入った瓶に入れ、そのまま放置しておく」という方法があった。
喫煙するときはその場所以外では吸わないようにし、喫煙する前にその瓶の臭いをかいでから喫煙するという方法だ。
水を吸収したタバコは悪臭以外の何物でもない。また、閉鎖された場所についたヤニは時間が経つにつれ、悪臭を放つようになる。
そうすることで、そんな悪臭を自分が吸っていることに嫌気がさして喫煙を辞められるという方法が、本気でテキストに書かれていた。
その方法が本当に禁煙につながるのかどうかは不明だが、私がテキストの実験台になったときは、一度瓶の臭いをかいだだけでギブアップした。
私の町の警察署や交番は、その時の臭いそっくりの建物なのだ。
いずれにしても、私は警察署で運転免許の更新を行うことは不可能であると確認してしまった。
違反切符は切られないよう気をつけるにこしたことはないが、万一そういう状況になった場合どうすればいいのか。
それ以前に、みんなが利用する場所をなぜ清潔に保てないのか、警察署は利用責任をどう思っているのか一度聞いてみたことがあるが、なぜそんなことで文句を言われなければならないのかという対応だった。
◇流行を無視したヘアスタイルの戦い ― 2014年03月19日 23時42分33秒
ショートカットにした。
ショートにするのは十年ぶりくらい。
以前は三叉神経に帯状疱疹が出来て、泣く泣く髪を切ったのだった。
それからずっと髪をセミロングにして、ストレートにしたり、ゆるふわパーマにしたりしてきた。
しかし、それらの髪型は決して自分の好みのスタイルではなかった。
私が要望するスタイルは、最近の美容師さんはやったことがないから出来ないとぬかすのだ。
写真を持っていこうが、美容師さんの中でイメージができないようで、失敗を恐れて要望に応じてくれようとは決してしなかった。
そういうわけで、2000年に入ってから2013年くらいまでは、私は自分の気に入ったヘアスタイルにしたことがない。
もともと若い美容師さんに、自分の話しているイメージがまったく伝わらないということを感じていたので、40代の美容師さんがいる美容院に行くようになって、そこそこ自分のイメージが伝わるようになったのだが、その人はそこのオーナーではなかったので、失敗を恐れて冒険することはなかった。
そのうち、私のタバコアレルギーがひどくなり、彼女のヘビースモーカーが苦痛になって行けなくなってしまった。
1980年代は、パーマの技術やヘアスタイリング剤は今よりもずっとよくなかったが、流行する多様なヘアスタイルに対応すべく、帯広の田舎にいる美容師さんでも、カットの技術は非常に優れていた。
ヘアデザインに意欲を持つ人も私の出会った美容師さんには多く、ヘアカタログに載っていないようなデザインでも、アレンジしていろいろとチャレンジしてくれたりもした。
別に都会の最前線にいなくても、それくらいの技術を持っている人はたくさんいたのだ。
ところが、パーマの技術が発達し、ありとあらゆるヘアスタイリング剤が登場し、自宅で自由にヘアスタイルを自分でアレンジするのが主流になってくると、多くの美容師さんはそれに頼るようになってきたように感じるのだ。
とりたてて致命的なのは、スタイリストだのと適当な肩書きをつけて高い料金をとっているのに、自分なりの主張やイマジネーションを微塵も持ち合わせていない人が多いことだ。
ヘアカタログに載っている髪型は、どれも長いか短いか、アレンジを変えたりの違いで、基本的にはどれも同じ髪型だったりする。
そこから逸脱した髪型を希望すると、とたんにそれには対応できず、まったく違う場所に無理に誘導しようとするのだ。
そしてそれが違うと指摘すると、二の句は「これはヘアアレンジしているから」とくる。
この原因は、私がイメージしているものと、美容師さんがイメージしているものが違うのが原因で、それがたとえ希望の髪形のサンプル写真を提示したところで、そこに思い描いている到達点が違えば、おのずとそのイメージも異なってくる。
それは年代的なものも大きく左右してくるだろう。
80年代の美容師さんは、美容学校でありとあらゆる髪型を勉強したらしいが、その内容にも時代が現れているのだと同年代の美容師さんに教えてもらった。
40代後半のその人は、自分たちの時代は刈り上げ、レイヤー、ツーブロックはあたり前だったけど、最近はそういうのは教わってこないようだと言っていた。
80年代に流行っていた髪形を今やりたいと思っても、それを納得いくように再現するには、そういった技術を習得している美容師さんを探さなければならないらしい。
さらに、そのイメージをきちんと把握している人が必要なのだ。

The who 右から二番目がロジャー・ダルトリー(thewho.com)
2年前、私はロンドンオリンピックを見てロックな気分になり、The Whoのロジャー・ダルトリーの70年代の写真を持って美容室で「この髪型にしたい」と言って、25年ぶりくらいにほぼカーリーヘアにした。
ちょうどそれまで通っていた美容室に行けなくなったときで、新しい美容室に事前に電話で喫煙者かどうかを確認し、こういう髪型にしたいという要望をあらかじめ伝えて行ったのだ。
もちろん髪質の違いなどでまったく同じにならないことは理解しているが、担当した30代前半の美容師さんはかなりがんばって近い髪型にしてくれた。
しかし、その時の美容室のパーマ液は私には合わなかったらしく、パーマの後のかぶれがひどかったので、私はまた次の美容室を探しすことになる。
たまたまニューオープンで顧客開拓していた店で、ロジャーは全頭スパイラルでLed Zeppelinのロバート・プラントに変貌した。
その後、ロックの後はニューウェイヴだとワンレン全頭スパイラルの頭は、そのまま裾をざっくり切って茅葺屋根のひさしのようにしてもらった。

茅葺屋根(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴「茅葺屋根の民家」)
この髪型は非常に気に入ったのだが、それまでずっとデジタルパーマをして、その後全頭カーリー、全頭スパイラルと続き、エアウェーブパーマでもその傷みはいかんともし難い状態にまで陥り、とうとうシャンプーのときに指が入らないくらい傷んでしまったのだった。
あまりの傷みにストレートにするしかないといわれ、数ヶ月間ストレートで生活をした。
一年半ほどかなりきつめのパーマになれてしまっていたので、さらさらストレートヘアはなんの面白みも感じず、ひどくつまらない上に毛先は相変わらず傷んでいるし、これが切れる長さになったらショートにしようとずっと思っていた。
そしてその日がやってきたのだ。

「ブリキの太鼓」(TIN DRUM)/ JAPAN
(こころとからだがかたちんば「Japan & 坂本龍一 「Ghosts」(Live)'82」)

アン・ルイス(Pink Cloud の独りよがり「アン・ルイス「ラ・セゾン」 (シングル盤)」)
ニューウェイヴの次はニューロマンティックスだろうと、私は無謀にもJAPANのディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていった。写真は「ブリキの太鼓」のジャケット。
補足としてアン・ルイスの写真も提出した。
ただし、私だって45をとうに過ぎたおばさんがディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていったところで、ディヴッド・シルヴィアンになれないことは知っている。
実際には彼とはかけ離れた仕上がりになることくらいは予想していたのだが、予想ははるか上空を駆け上っていた。
今回担当した美容師さんは、30代後半。
カット技術よりはパーマの薬剤などに凝る美容用品オタク的な人だったが、茅葺パーマもきちんとイメージどおりにしてくれたし、彼の美容院で扱っている薬剤は肌にやさしいものを揃えているので、ちょっと高いけれど彼にまたお願いすることにしたのだ。
しかし、ニューロマンティックスをリアルで経験しない彼は、このニュアンスがわからない。
最近流行りのボブスタイルの変形から、髪の毛を根元から立ち上げるパーマではなく、髪の流れをつけるだけのパーマをほどこした。
仕上がりを見て、「なんかこれちょっとイメージと違う」と言ってディヴッド・シルヴィアンの写真をもう一度確認する。
彼はこの流れがこうで、ここはこうでと説明するが、もともとのカットがそもそも違うような気がする。
何故このようなカットにしたのか、今の私の顔に合わせたイメージだったのかディスカッションするのだが、結論から言うと美容師のお決まり文句「これはセットしているから」。
そんなことは知ってるよ。この髪型になるのに、どういったカットが必要なのかも、30年前に見て知っているよ。それがどうしてニュアンスが伝わらないのか。
しかし、これは仕方がないことなのか。彼はニューロマンティックスを知らない。
ディヴッド・シルヴィアンもアン・ルイスも知らない。
当然、この当時流行ったレイヤードカットや当時のツーブロックも知らないのだ。
そして仕上がった髪型は、楳図かずおの「のろいの館」に出てくる“たまみ”か、NHKのドラマで三上博史が演じた「実験刑事トトリ」のトトリ君のような頭だった。

「のろいの館」たまみ / 楳図かずお(時間だぜ!!薄汚ねぇピーターパン!!「はやく人間になりたい!!」)

「実験刑事トトリ」三上博史(c)2013NHK
(クランクイン!!「三上博史&高橋光臣の凸凹コンビが完全犯罪に挑む!『実験刑事トトリ』DVD化決定」)
美容師本人は、「かわいい感じでいいですよ」「おしゃれな感じ」と言うけれど、私はイメージと違うのでちょっとがっかり。 三上博史ならそりゃおしゃれだろうけど、私がしたらイタイおばさんじゃないか。
くれぐれもその路線は避けてくれとお願いしたのだが、もともとが無謀な要望だから仕方がないのだろうか。
私が「おしゃれと思わなければ、それは失敗ということではないのか」と思ったが、せっかくかけたパーマをここからやり直すには時間がない。
この美容院に入って、すでに6時間が経過していた。
イメージと違うと、服やスタイルをどう選んでいいのかまたな悩まなければならないのだが、それほど多岐に渡る服装をしているわけではないので、しばらく“トトリたまみ”として生活していくしかなさそうだ。
いやいやそれ以上に、こういう髪型にすると、母にそっくりな自分が顔を出して驚いてしまった。
それにしても、カットの技術は30年前よりも多様な技術があるのだろうと思うし、さまざまな表現ができるようになったと思うのだが、それがヘアカタログに載っている髪型のただ一方にだけ発揮されている現実は、非常にもったいないと思う。
昔の美容師は、ない技術の中でいかにさまざまな表現をしようかとがんばった。
今の美容師さんは、二の句を告げば「それはアレンジで」と言う。
自分のカット技術で表現しようとは思わないのだろう。それを逃げにしてしまえば、そこから先はないと思うのだが。
それとも、私のイメージの伝え方が下手なのか。
それとも、今の「スタイリスト」という肩書きの美容師さんは、クリエイターではないのだろうか。
イマジネーションを持たないクリエイターなど、ありえないだろうと個人的には思うのだが。
ただ、どんなに愚痴を言っても、ヘアカタログに載っていない流行を無視した戦いはこれからも続く。
ショートにするのは十年ぶりくらい。
以前は三叉神経に帯状疱疹が出来て、泣く泣く髪を切ったのだった。
それからずっと髪をセミロングにして、ストレートにしたり、ゆるふわパーマにしたりしてきた。
しかし、それらの髪型は決して自分の好みのスタイルではなかった。
私が要望するスタイルは、最近の美容師さんはやったことがないから出来ないとぬかすのだ。
写真を持っていこうが、美容師さんの中でイメージができないようで、失敗を恐れて要望に応じてくれようとは決してしなかった。
そういうわけで、2000年に入ってから2013年くらいまでは、私は自分の気に入ったヘアスタイルにしたことがない。
もともと若い美容師さんに、自分の話しているイメージがまったく伝わらないということを感じていたので、40代の美容師さんがいる美容院に行くようになって、そこそこ自分のイメージが伝わるようになったのだが、その人はそこのオーナーではなかったので、失敗を恐れて冒険することはなかった。
そのうち、私のタバコアレルギーがひどくなり、彼女のヘビースモーカーが苦痛になって行けなくなってしまった。
1980年代は、パーマの技術やヘアスタイリング剤は今よりもずっとよくなかったが、流行する多様なヘアスタイルに対応すべく、帯広の田舎にいる美容師さんでも、カットの技術は非常に優れていた。
ヘアデザインに意欲を持つ人も私の出会った美容師さんには多く、ヘアカタログに載っていないようなデザインでも、アレンジしていろいろとチャレンジしてくれたりもした。
別に都会の最前線にいなくても、それくらいの技術を持っている人はたくさんいたのだ。
ところが、パーマの技術が発達し、ありとあらゆるヘアスタイリング剤が登場し、自宅で自由にヘアスタイルを自分でアレンジするのが主流になってくると、多くの美容師さんはそれに頼るようになってきたように感じるのだ。
とりたてて致命的なのは、スタイリストだのと適当な肩書きをつけて高い料金をとっているのに、自分なりの主張やイマジネーションを微塵も持ち合わせていない人が多いことだ。
ヘアカタログに載っている髪型は、どれも長いか短いか、アレンジを変えたりの違いで、基本的にはどれも同じ髪型だったりする。
そこから逸脱した髪型を希望すると、とたんにそれには対応できず、まったく違う場所に無理に誘導しようとするのだ。
そしてそれが違うと指摘すると、二の句は「これはヘアアレンジしているから」とくる。
この原因は、私がイメージしているものと、美容師さんがイメージしているものが違うのが原因で、それがたとえ希望の髪形のサンプル写真を提示したところで、そこに思い描いている到達点が違えば、おのずとそのイメージも異なってくる。
それは年代的なものも大きく左右してくるだろう。
80年代の美容師さんは、美容学校でありとあらゆる髪型を勉強したらしいが、その内容にも時代が現れているのだと同年代の美容師さんに教えてもらった。
40代後半のその人は、自分たちの時代は刈り上げ、レイヤー、ツーブロックはあたり前だったけど、最近はそういうのは教わってこないようだと言っていた。
80年代に流行っていた髪形を今やりたいと思っても、それを納得いくように再現するには、そういった技術を習得している美容師さんを探さなければならないらしい。
さらに、そのイメージをきちんと把握している人が必要なのだ。

The who 右から二番目がロジャー・ダルトリー(thewho.com)
2年前、私はロンドンオリンピックを見てロックな気分になり、The Whoのロジャー・ダルトリーの70年代の写真を持って美容室で「この髪型にしたい」と言って、25年ぶりくらいにほぼカーリーヘアにした。
ちょうどそれまで通っていた美容室に行けなくなったときで、新しい美容室に事前に電話で喫煙者かどうかを確認し、こういう髪型にしたいという要望をあらかじめ伝えて行ったのだ。
もちろん髪質の違いなどでまったく同じにならないことは理解しているが、担当した30代前半の美容師さんはかなりがんばって近い髪型にしてくれた。
しかし、その時の美容室のパーマ液は私には合わなかったらしく、パーマの後のかぶれがひどかったので、私はまた次の美容室を探しすことになる。
たまたまニューオープンで顧客開拓していた店で、ロジャーは全頭スパイラルでLed Zeppelinのロバート・プラントに変貌した。
その後、ロックの後はニューウェイヴだとワンレン全頭スパイラルの頭は、そのまま裾をざっくり切って茅葺屋根のひさしのようにしてもらった。

茅葺屋根(フリー素材無料写真 森の父さん花鳥風穴「茅葺屋根の民家」)
この髪型は非常に気に入ったのだが、それまでずっとデジタルパーマをして、その後全頭カーリー、全頭スパイラルと続き、エアウェーブパーマでもその傷みはいかんともし難い状態にまで陥り、とうとうシャンプーのときに指が入らないくらい傷んでしまったのだった。
あまりの傷みにストレートにするしかないといわれ、数ヶ月間ストレートで生活をした。
一年半ほどかなりきつめのパーマになれてしまっていたので、さらさらストレートヘアはなんの面白みも感じず、ひどくつまらない上に毛先は相変わらず傷んでいるし、これが切れる長さになったらショートにしようとずっと思っていた。
そしてその日がやってきたのだ。

「ブリキの太鼓」(TIN DRUM)/ JAPAN
(こころとからだがかたちんば「Japan & 坂本龍一 「Ghosts」(Live)'82」)
アン・ルイス(Pink Cloud の独りよがり「アン・ルイス「ラ・セゾン」 (シングル盤)」)
ニューウェイヴの次はニューロマンティックスだろうと、私は無謀にもJAPANのディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていった。写真は「ブリキの太鼓」のジャケット。
補足としてアン・ルイスの写真も提出した。
ただし、私だって45をとうに過ぎたおばさんがディヴッド・シルヴィアンの写真を持っていったところで、ディヴッド・シルヴィアンになれないことは知っている。
実際には彼とはかけ離れた仕上がりになることくらいは予想していたのだが、予想ははるか上空を駆け上っていた。
今回担当した美容師さんは、30代後半。
カット技術よりはパーマの薬剤などに凝る美容用品オタク的な人だったが、茅葺パーマもきちんとイメージどおりにしてくれたし、彼の美容院で扱っている薬剤は肌にやさしいものを揃えているので、ちょっと高いけれど彼にまたお願いすることにしたのだ。
しかし、ニューロマンティックスをリアルで経験しない彼は、このニュアンスがわからない。
最近流行りのボブスタイルの変形から、髪の毛を根元から立ち上げるパーマではなく、髪の流れをつけるだけのパーマをほどこした。
仕上がりを見て、「なんかこれちょっとイメージと違う」と言ってディヴッド・シルヴィアンの写真をもう一度確認する。
彼はこの流れがこうで、ここはこうでと説明するが、もともとのカットがそもそも違うような気がする。
何故このようなカットにしたのか、今の私の顔に合わせたイメージだったのかディスカッションするのだが、結論から言うと美容師のお決まり文句「これはセットしているから」。
そんなことは知ってるよ。この髪型になるのに、どういったカットが必要なのかも、30年前に見て知っているよ。それがどうしてニュアンスが伝わらないのか。
しかし、これは仕方がないことなのか。彼はニューロマンティックスを知らない。
ディヴッド・シルヴィアンもアン・ルイスも知らない。
当然、この当時流行ったレイヤードカットや当時のツーブロックも知らないのだ。
そして仕上がった髪型は、楳図かずおの「のろいの館」に出てくる“たまみ”か、NHKのドラマで三上博史が演じた「実験刑事トトリ」のトトリ君のような頭だった。

「のろいの館」たまみ / 楳図かずお(時間だぜ!!薄汚ねぇピーターパン!!「はやく人間になりたい!!」)

「実験刑事トトリ」三上博史(c)2013NHK
(クランクイン!!「三上博史&高橋光臣の凸凹コンビが完全犯罪に挑む!『実験刑事トトリ』DVD化決定」)
美容師本人は、「かわいい感じでいいですよ」「おしゃれな感じ」と言うけれど、私はイメージと違うのでちょっとがっかり。 三上博史ならそりゃおしゃれだろうけど、私がしたらイタイおばさんじゃないか。
くれぐれもその路線は避けてくれとお願いしたのだが、もともとが無謀な要望だから仕方がないのだろうか。
私が「おしゃれと思わなければ、それは失敗ということではないのか」と思ったが、せっかくかけたパーマをここからやり直すには時間がない。
この美容院に入って、すでに6時間が経過していた。
イメージと違うと、服やスタイルをどう選んでいいのかまたな悩まなければならないのだが、それほど多岐に渡る服装をしているわけではないので、しばらく“トトリたまみ”として生活していくしかなさそうだ。
いやいやそれ以上に、こういう髪型にすると、母にそっくりな自分が顔を出して驚いてしまった。
それにしても、カットの技術は30年前よりも多様な技術があるのだろうと思うし、さまざまな表現ができるようになったと思うのだが、それがヘアカタログに載っている髪型のただ一方にだけ発揮されている現実は、非常にもったいないと思う。
昔の美容師は、ない技術の中でいかにさまざまな表現をしようかとがんばった。
今の美容師さんは、二の句を告げば「それはアレンジで」と言う。
自分のカット技術で表現しようとは思わないのだろう。それを逃げにしてしまえば、そこから先はないと思うのだが。
それとも、私のイメージの伝え方が下手なのか。
それとも、今の「スタイリスト」という肩書きの美容師さんは、クリエイターではないのだろうか。
イマジネーションを持たないクリエイターなど、ありえないだろうと個人的には思うのだが。
ただ、どんなに愚痴を言っても、ヘアカタログに載っていない流行を無視した戦いはこれからも続く。
◇凍結した魚事件 ― 2014年01月13日 18時42分42秒
今日、家に一本の電話がかかってきた。
ナンバーディスプレイに表示された番号は、見覚えのない番号だったが、同じ県内のA市の市外局番だった。
電話に出ると、日本人らしくない発音だが、そこそこ聞ける発音の女性の声。
女性「今、凍結した魚を安く買えるんですけど」
私「凍結した魚?」
女性「マルハニチロで船に乗った凍結した魚を安く売っているんです」
私「マルハニチロ? あなたどなたですか?」
女性「凍結した魚を安く買えるので、私はご案内を郵送させていただきたいのですが」
日本語はそこそこ流暢なのだが、凍結した魚ってなんだろう、この女性は例の農薬入り冷凍コロッケの問い合わせか何かと間違えて電話をかけているのだろうか、などと考えていた私は、やっとここで間違い電話ではなく物売りだと確信した。
私「あなたは何故私の住所を知っているのですか?」
女性「住所は知りません。電話番号だけです」
私「私はあなたに心当たりがないのですが、あなたは何故私の電話番号を知っているのですか?」
女性「マルハニチロから電話をかけるように依頼されました」
私「私はマルハニチロと取引はありませんが」
女性「そこは会社ですか?」
私「普通の家ですが、マルハニチロに電話番号を知られるような買物はしていません」
女性「凍結した魚を買ってほしいので、案内を送りたいです」
私「取引した覚えもないところから突然電話がかかってきて、買物をしたいと思いますか?」
女性「そうですよね。失礼します」
ここで電話は切れた。
通信記録に残った電話番号をネットで調べてみると、5件ほど検索履歴がある。
念のためマルハニチロに電話で、「凍結した魚」を勧誘の電話で売っているかと問い合わせたところ、マルハニチロではそのような勧誘は一切行っていないとの返答だった。
他にこのような電話が他所のお宅にもかかってきているのかは知らないが、テレビの事件に乗じて詐欺まがいの勧誘をするなら、もっとテレフォンセールスのクオリティをあげないとリアリティがない。
「冷凍した魚」なら話は早いが、「凍結した魚」だと、この寒さで外にほっぽり出しておいた魚が凍ってしまったから、仕方なく安売りしているような印象である。
普通なら相手をせずに切るような電話だったが、マルハニチロが気の毒だったのと、凍結した魚にちょっと興味を持って相手をしてしまった。
しかし電話を切った後に、魚の種類はなんだったのか、確認すればよかったと、ちょっと後悔したのだった。
ナンバーディスプレイに表示された番号は、見覚えのない番号だったが、同じ県内のA市の市外局番だった。
電話に出ると、日本人らしくない発音だが、そこそこ聞ける発音の女性の声。
女性「今、凍結した魚を安く買えるんですけど」
私「凍結した魚?」
女性「マルハニチロで船に乗った凍結した魚を安く売っているんです」
私「マルハニチロ? あなたどなたですか?」
女性「凍結した魚を安く買えるので、私はご案内を郵送させていただきたいのですが」
日本語はそこそこ流暢なのだが、凍結した魚ってなんだろう、この女性は例の農薬入り冷凍コロッケの問い合わせか何かと間違えて電話をかけているのだろうか、などと考えていた私は、やっとここで間違い電話ではなく物売りだと確信した。
私「あなたは何故私の住所を知っているのですか?」
女性「住所は知りません。電話番号だけです」
私「私はあなたに心当たりがないのですが、あなたは何故私の電話番号を知っているのですか?」
女性「マルハニチロから電話をかけるように依頼されました」
私「私はマルハニチロと取引はありませんが」
女性「そこは会社ですか?」
私「普通の家ですが、マルハニチロに電話番号を知られるような買物はしていません」
女性「凍結した魚を買ってほしいので、案内を送りたいです」
私「取引した覚えもないところから突然電話がかかってきて、買物をしたいと思いますか?」
女性「そうですよね。失礼します」
ここで電話は切れた。
通信記録に残った電話番号をネットで調べてみると、5件ほど検索履歴がある。
念のためマルハニチロに電話で、「凍結した魚」を勧誘の電話で売っているかと問い合わせたところ、マルハニチロではそのような勧誘は一切行っていないとの返答だった。
他にこのような電話が他所のお宅にもかかってきているのかは知らないが、テレビの事件に乗じて詐欺まがいの勧誘をするなら、もっとテレフォンセールスのクオリティをあげないとリアリティがない。
「冷凍した魚」なら話は早いが、「凍結した魚」だと、この寒さで外にほっぽり出しておいた魚が凍ってしまったから、仕方なく安売りしているような印象である。
普通なら相手をせずに切るような電話だったが、マルハニチロが気の毒だったのと、凍結した魚にちょっと興味を持って相手をしてしまった。
しかし電話を切った後に、魚の種類はなんだったのか、確認すればよかったと、ちょっと後悔したのだった。
◇新しい猫を飼わないもう一つのわけ ― 2014年01月08日 04時05分07秒
うちの猫が亡くなってから、早いもので3年半の月日が経つ。
猫のいない生活にも慣れたが、正直な話猫がいないという意識がほとんどなかったような気もする。
もちろん、トイレの掃除やごはんの用意などしなくなったのだが、なんとなくずっと猫は一緒にいたような気もするのだ。
それでも、猫が亡くなったばかりのときは、新しい猫を迎えたいといつも思っていた。
猫が亡くなった次の年に震災があり、被災猫を引き取りたいと考えたりすることもあったのだが、いつも二の足を踏んでしまうのは、亡くなった猫のことを忘れてしまうのが嫌だったのが一番の理由だ。
それでも、いくつかの団体にコンタクトをとったりもしたのだが、なかなか一緒に暮したいと思える猫と出会えなかったりする。
それ以上に二の足を踏ませているのが、里親ボランティアの制度だった。
新しい猫を迎えるなら、ペットショップで売られているようなものではなく、保護された猫を引き取りたいと思っていたので、そういう活動をしている人をお世話になった獣医さんに紹介してもらったのだ。
猫が亡くなって半年くらい過ぎた頃のことだ。
事前に紹介された方の所属される団体のホームページで制度と、現在保護している猫を確認してから連絡をとると、今住んでいる住居が自分のものかどうかと、地元の人間であるかどうか、保証人になれる人がいるかどうかを聞かれた。
賃貸住宅に住んでいるが、オーナーには事前に許可をとっている旨を伝えると、それでも賃貸では難しいようなことを言ってきた。
今までも20年以上猫を飼っていたと話すと、飼いかたなどを詳しく聞かれたので、外に出さずに生活をしていたこと、引越しは多かったが転勤族ではないことなどを伝えると、今度は出身地を聞かれた。
地元の出身ではなく、この周辺には親戚もいないと話すと、なぜそんな寂しい生活をしているのかと執拗に言われる。
私たちに何かあった際の保証人が必要であるということらしかったが、保証人以前に私たちが地元の人間でないことが気に入らない様子だった。
獣医さんに紹介していただいたときに、私がマンションに住んでいること、地元の人間ではないことなどを先方に伝えてもらっていたし、長く一緒に住んだ猫を亡くしたばかりなので、自分にあった猫と出会いたいと思っていることを伝えたが、それもその人には否定されてしまった。
彼女が言うには、自分は昔からここに住んでいて、猫を保護しているので常に10匹ほど猫と生活している。
あなたは猫が好きなら、なぜ今まで一匹しか飼っていなかったのか。
今までも保護猫と会っているのなら、何故引き取るようなことをしなかったのか。
近くに親戚がいないのなら、猫好きな友人にでも保証人になってもらえばいいじゃない。
地元の人じゃないから、そういう人もいないのかしら...
地元の人間でなければだめなら、最初からそう言えばいいことだ。
地元民でないことが、まるでだめな人間であるような言い方をされ、さすがにブチ切れてしまったのだ。
猫を保護する活動をしているのは立派だと思う。
里親制度を利用する人が、猫の命を粗末にするような人に猫が渡らないよう、気を配っていることも知っていた。
保証人が必要であることも、そういう制度であるならしかたないだろう。
しかし、地元出身者でないとか、近くに親戚がいないことなど、関係があるのだろうか。
猫を引き取ることで、ある程度のプライバシーを公開することに異論はないが、選民意識を丸出しにして差別的な意識で人と接するなら、保護した全ての猫を全部自分で面倒を見ればいいだろうとさえ思った。
保証人というのも、年齢が高齢であるとか、一人暮しであるとかなら理解できるが、猫を引き取ることで親戚縁者に迷惑がかかることがあるのであれば、引き取る側も躊躇してしまうのでないか。
保護している人は、一人でも里親を増やしたいと思っているはずなのに、なぜそこまで選民されなければならなかったのか疑問が残る。
また、里親制度では引き取る側がある程度のプライバシーをボランティアの人たちに公開するのだが、その管理体制にも疑問があるのだ。
プライバシーを預けるのであれば、それだけの知識が必要だと思うのだが、その旨の質問をするとその手の知識がまったくなく、自分はパソコンなどにうといからという言い訳をされ、挙句は「なぜ、そんなにボランティアをいじめるのだ」と逆切れされてしまった。
動物保護のボランティアをしている団体や個人、全てがこんなではないのだろうと思いたい。
たまたま出会った相手が悪かったのだろうと思いたい。
だが、猫に出会う前に人と出会わなければ猫と出会えないことや、その人間の考え方に同意しなければ猫を引き取ることさえできないというのが、非常に煩わしいと思ってしまったのだ。
関東にいたら、地方出身者であることで、差別されることなどよくあることだ。
10年ここに住んでいるが、地元民というのはいったい何年から地元民になるのだろうか。
一生賃貸暮らしで近くに親戚がいなければ、地元民にはなれないのだろうか。
このような形で差別されることは我慢ならない。
まして、引き取った猫の様子を報告するために、長い付き合いになる可能性があるのだから、引き取るのであれば気持ちよく引き取りたいと思うのは、ボランティアをしている側から見るとおかしいことなのだうろか。
そんなことがあって、結局新しい猫を飼えないでいるうち、アレルギーの危険性などが出てきて、そのままになっているのだった。
アレルギーがでてしまうと、やはり責任をまっとうできないだろうから、やはりこれで良かったのかもしれないと、自分に言い聞かせたりもしているのだ。
猫のいない生活にも慣れたが、正直な話猫がいないという意識がほとんどなかったような気もする。
もちろん、トイレの掃除やごはんの用意などしなくなったのだが、なんとなくずっと猫は一緒にいたような気もするのだ。
それでも、猫が亡くなったばかりのときは、新しい猫を迎えたいといつも思っていた。
猫が亡くなった次の年に震災があり、被災猫を引き取りたいと考えたりすることもあったのだが、いつも二の足を踏んでしまうのは、亡くなった猫のことを忘れてしまうのが嫌だったのが一番の理由だ。
それでも、いくつかの団体にコンタクトをとったりもしたのだが、なかなか一緒に暮したいと思える猫と出会えなかったりする。
それ以上に二の足を踏ませているのが、里親ボランティアの制度だった。
新しい猫を迎えるなら、ペットショップで売られているようなものではなく、保護された猫を引き取りたいと思っていたので、そういう活動をしている人をお世話になった獣医さんに紹介してもらったのだ。
猫が亡くなって半年くらい過ぎた頃のことだ。
事前に紹介された方の所属される団体のホームページで制度と、現在保護している猫を確認してから連絡をとると、今住んでいる住居が自分のものかどうかと、地元の人間であるかどうか、保証人になれる人がいるかどうかを聞かれた。
賃貸住宅に住んでいるが、オーナーには事前に許可をとっている旨を伝えると、それでも賃貸では難しいようなことを言ってきた。
今までも20年以上猫を飼っていたと話すと、飼いかたなどを詳しく聞かれたので、外に出さずに生活をしていたこと、引越しは多かったが転勤族ではないことなどを伝えると、今度は出身地を聞かれた。
地元の出身ではなく、この周辺には親戚もいないと話すと、なぜそんな寂しい生活をしているのかと執拗に言われる。
私たちに何かあった際の保証人が必要であるということらしかったが、保証人以前に私たちが地元の人間でないことが気に入らない様子だった。
獣医さんに紹介していただいたときに、私がマンションに住んでいること、地元の人間ではないことなどを先方に伝えてもらっていたし、長く一緒に住んだ猫を亡くしたばかりなので、自分にあった猫と出会いたいと思っていることを伝えたが、それもその人には否定されてしまった。
彼女が言うには、自分は昔からここに住んでいて、猫を保護しているので常に10匹ほど猫と生活している。
あなたは猫が好きなら、なぜ今まで一匹しか飼っていなかったのか。
今までも保護猫と会っているのなら、何故引き取るようなことをしなかったのか。
近くに親戚がいないのなら、猫好きな友人にでも保証人になってもらえばいいじゃない。
地元の人じゃないから、そういう人もいないのかしら...
地元の人間でなければだめなら、最初からそう言えばいいことだ。
地元民でないことが、まるでだめな人間であるような言い方をされ、さすがにブチ切れてしまったのだ。
猫を保護する活動をしているのは立派だと思う。
里親制度を利用する人が、猫の命を粗末にするような人に猫が渡らないよう、気を配っていることも知っていた。
保証人が必要であることも、そういう制度であるならしかたないだろう。
しかし、地元出身者でないとか、近くに親戚がいないことなど、関係があるのだろうか。
猫を引き取ることで、ある程度のプライバシーを公開することに異論はないが、選民意識を丸出しにして差別的な意識で人と接するなら、保護した全ての猫を全部自分で面倒を見ればいいだろうとさえ思った。
保証人というのも、年齢が高齢であるとか、一人暮しであるとかなら理解できるが、猫を引き取ることで親戚縁者に迷惑がかかることがあるのであれば、引き取る側も躊躇してしまうのでないか。
保護している人は、一人でも里親を増やしたいと思っているはずなのに、なぜそこまで選民されなければならなかったのか疑問が残る。
また、里親制度では引き取る側がある程度のプライバシーをボランティアの人たちに公開するのだが、その管理体制にも疑問があるのだ。
プライバシーを預けるのであれば、それだけの知識が必要だと思うのだが、その旨の質問をするとその手の知識がまったくなく、自分はパソコンなどにうといからという言い訳をされ、挙句は「なぜ、そんなにボランティアをいじめるのだ」と逆切れされてしまった。
動物保護のボランティアをしている団体や個人、全てがこんなではないのだろうと思いたい。
たまたま出会った相手が悪かったのだろうと思いたい。
だが、猫に出会う前に人と出会わなければ猫と出会えないことや、その人間の考え方に同意しなければ猫を引き取ることさえできないというのが、非常に煩わしいと思ってしまったのだ。
関東にいたら、地方出身者であることで、差別されることなどよくあることだ。
10年ここに住んでいるが、地元民というのはいったい何年から地元民になるのだろうか。
一生賃貸暮らしで近くに親戚がいなければ、地元民にはなれないのだろうか。
このような形で差別されることは我慢ならない。
まして、引き取った猫の様子を報告するために、長い付き合いになる可能性があるのだから、引き取るのであれば気持ちよく引き取りたいと思うのは、ボランティアをしている側から見るとおかしいことなのだうろか。
そんなことがあって、結局新しい猫を飼えないでいるうち、アレルギーの危険性などが出てきて、そのままになっているのだった。
アレルギーがでてしまうと、やはり責任をまっとうできないだろうから、やはりこれで良かったのかもしれないと、自分に言い聞かせたりもしているのだ。
◇最近のNHKは番組企画をなめてるのか ― 2010年12月21日 01時32分35秒
「NHKに捧げる歌」(1969年)作詞:柏倉秀美 作曲:早川義夫
NHKの番組企画は最近、企画の流用と焼き直し、そして本放送時間の再放送がやたら多い。
ブラタモリはシーズン2が始まったと思ったら、いきなりシーズン1の再放送ばかりだし、番組たまごから本放送に昇格した洋楽倶楽部80sは、5回放送後に再放送が続き、その後アジア大会で放送自体11月中は休み、再開されたと思ったら3回で終了。
アサイチは試してガッテンとのコラボ企画とかで、そのときの企画の半分くらいはガッテンの内容そのままのことも多い。
そして、12月20日に放送された「地球イチバン」。
これは、2009年にBShiで放送された、プレミアム8<紀行>シリーズの「地球一番紀行」の焼き直し番組である。
この番組も番組たまごから昇格番組なのかはわからないのだが、前回はオランダ・グローニンゲンの「世界でイチバンの自転車の街」を放送した。
そして、今回はBShiの「地球一番紀行」の中から「世界で一番標高の高い街」を、司会をナインティナインの矢部を据え、三輪明宏、兼高かおるをコメンテーターとし、実際に現地レポートした大高洋夫のトークを交えた番組構成になっている。
前回のオランダを見なかったので、この番組は最初はどういう構成だったのかは知らないが、現地のレポートだけを重点的に放映したBShiの「世界一番紀行」に比べると、50年前に同じ地を訪ねた兼高かおるのコメントや、レポートの実際の裏話などを交えて、よりバラエティ色の強い構成であり、これはこれで楽しめるものだと思う。
だが、番組にあたって過去にBShiで放送された内容であることなどの説明は一切なく、まるでこの番組のためにレポートされた内容のような雰囲気。
内容を流用するのなら、そういう説明はきちんとあった方がいいと思うのは私だけなのか。
番組内容が面白かっただけに、それはそれでちょっと腑に落ちなかったりする。
それにしても、NHKのこの流用の多さと再放送の多さは、どういうことなのか。NHKは番組企画をなめてるのかといいたいくらい。
BSのスペシャル番組などを何度か再放送するというのはアリだと思うが、総合の週1番組の再放送を本放送時間に放映するというのは、あきらかに手抜き以外のなにものでもないように思う。再放送なら、別な時間帯にするのが筋ではないのか。
NHKスペシャルやBSの番組は内容もとてもいいし、バラエティなども民放のただただ騒ぐだけの芸人が大勢出るような内容のないものに比べればはるかにましだと思う。
しかし、NHKはNHKなのだ。
崇高な番組ばかりに金をかけて、視聴者になじみやすい番組を増やして民放に対抗しつつも、あたった企画を再編成しても結局は再放送ばかり、という視聴者をなめきった番組内容というのは、受信料を払っている側としてはとうてい納得のいくものではない。
しかも地デジ移行に伴い、NHKは自分とこの不祥事を棚に上げて、B-casと連動することで受信料の徴収を増やしているはずなのだ。
早川義夫の歌ではないが、“押し売り”と揶揄された受信料徴収も、現在ではデジタル化されつつあるようだ。“押し売り”どころか、NHKを見ているかどうかを自動的に管理されているということになる。
そこまでするなら、それなりの番組作りを心がけてほしい。
“だけど払わにゃなるまいし”と、視聴者が思わない番組作りを目指すのが、国民から受信料をもらっているNHKの義務であるということを、NHKは肝に銘じなければならないと思う。
◇ブログの調子が悪い ― 2010年11月24日 01時47分45秒
11月の第二週の週末に、本当に久しぶりに旅行に行ったので、一泊二日の旅行に大旅行記をアップしようとしたところ、なんだかブログの調子が悪い。
旅行記みたいなのはHTMLで作るのだけど、アップすると別な記事の文字やツールバーが太字になったり、バックの白やツールバーが消えたりする。
記事を単独で表示すると、ちゃんと表示するのだが…。
せっかく作ったけど、しばらくお蔵です。
朝日ネットにメール送ったけど、直るかな。
旅行記みたいなのはHTMLで作るのだけど、アップすると別な記事の文字やツールバーが太字になったり、バックの白やツールバーが消えたりする。
記事を単独で表示すると、ちゃんと表示するのだが…。
せっかく作ったけど、しばらくお蔵です。
朝日ネットにメール送ったけど、直るかな。
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