◇秋の気配 ― 2006年09月01日 07時07分24秒
雲の様子も入道雲が我が物顔をしていた頃とは違い、少しづつ細かくなってきているように感じる。
夜などは、窓を開けると虫の鳴き声が静かに聞こえてきて、「夏も終わりだなあ」と思ったりするのだ。
夕べ、ビデオを返しに町を歩いていると、焼き芋屋の車が赤い看板の灯をつけながら走っていくのを見た。いくらなんでもまだ早いだろうと思ったが、営業はしている様子はなく、普通のスピードで通り過ぎていった。
これからの商売の準備かな?
昨日の月は半月で、あと半月すると名月なのだなあと思うと、すでに秋の入口にいることをしみじみと実感する。
◇下町の猫達 ― 2006年09月02日 03時50分25秒
![]() |
谷中ぎんざで買った招き猫 左は今戸焼き風の白土のもの。 右は日本のものではないような変な顔。 |
町中を歩いていて猫に出会うと、つい立ち止まってしまう。
たいていは、猫はこちらを気にもとめずそしらぬ顔をしていることがほとんどだが、こちらを気にせず「私はいつもここにいるのよ」という顔をしていたりするので、じっと見入ってしまったりもする。声をかけることもあるが、たいていは「なんだよ」という顔をして無視されたり、「うるさいなあ」といわんばかりに逃げられたりすることがほとんどだ。
8月に東京下町に行ったときも、たくさんの猫に出会った。
![]() |
![]() |
|
食事が終わって満足した黒猫 | 熱中症(?)の猫。 写真をクリックすると、 よだれの瞬間の写真が見られます。 |
日暮里から谷中ぎんざに入ってちょっと行ったところの休みの喫茶店の前に、園芸用の容器の中に大量の餌が用意されていて、黒猫が懸命に餌を食べている。一心不乱に食事中で、こちらが近付いていっても私なんかはいないも同然の様子。
それではと、写真をとらせてもらったが(ことわったわけではない)、カメラを持って近付いていってもそしらぬ顔で食事に専念し、一通り満足したかのようにこちらをちょっと見ながらのびをしてどこかに行ってしまった。
その横で、 グレーの猫が日陰で休んでいた。
本人(猫)は日陰にいるつもりのようだが、アスファルトから日ざしが反射するせいか半ば熱中症になっているかのよう。半眼を開けてよだれをたらし、犬のように舌をだしたままあらぬ方向を見ている。かなり近付いてみたが、私などは眼中にない様子でびくともしない。目の前に水が入った皿があるのにそれを飲もうとする気配さえない。
しばらく眺めていたが、ぴくりとも動かなかった。
谷中霊園を散策している間にも、墓地を根城にしているのら猫が道を横切ったりもした。この時期はお盆の墓参りの人が多かったので、猫達にとっては餌に不自由することはないのか、どの猫も忙しそうに足早に走り去っていった。
上野公園不忍池で出会った猫は、ボート乗り場の近くで餌をもらっている。
4匹いる猫はどれもトラ猫で、餌を与えている夫婦にはなついている様子だが、道行く人間を警戒しながら食事をしている。
たまに餌を食べる姿に立ち止まって「かわいい〜」と言う人に、猫達も餌係の夫婦も猫も困った顔をしていたので、写真をとることができなかった。
猫はどれも大きさにかわりはないが、4匹のうちの1匹が親のようだ。餌係の夫婦が守ってくれている中でも、親猫が子供が食事をしている周囲を警戒している。
![]() |
![]() |
|
鳩を狙う猫と、その横でそしらぬそぶりでグルーミングする猫。
|
不忍池の池の端付近では、鳩が人から餌をもらって集まってきている場所で、鳩のすきをうかがっている猫。そして、その横で別な猫が一心にグルーミングしている。
ハンター猫は、私が近付くと「じゃまするな」といわんばかりに睨み付け、またすぐにハンティングに精を出す。
グルーミング猫は、「あんなでかい獲物は無理じゃないの?」といわんばかりに、たまに鳩をちらっと見たりしながらまたグルーミングに精を出す。
下町の猫はどれもうまく人間や他の動物と共生しているようで、必要以上に人間に警戒心を持っている猫は少ないように思う。
狩をしたり、のんびりしたり、適当に人間に世話になったりして、毛並みもきれいで自由に暮らしている雰囲気。人通りの多い場所でも、必要以上に人間になつく姿も、物を食べている人間にこびを売る姿も見る事はなかった。ある意味、上野公園に集っているホームレスや観光客などの人間なんかよりも、ずっと都会のオアシス生活を満喫しているようにさえ見えた。
旅先のお土産物屋で招き猫を物色するのも楽しみの一つで、谷中ぎんざの中にある陶器の置き物などを売っている店で、今戸焼き風の手作りの白土招き猫を発見し、その表情に一目惚れしてしまった。ふと横を見ると、変な顔の招き猫もいる。どちらを買おうか大変迷うが、結局二つとも購入してしまう。
旅の一番最初の買い物がこれだったので、この後散策する間中重い荷物を持つはめになってしまった。
◇革製品のお手入れの思い出 ― 2006年09月06日 06時12分05秒
うちの旦那は、革製品の手入れが好きだ。
靴から鞄に至るまで、自分で使用する革製品は定期的に汚れを落とし、つや出しに精を出している。
たまに私の靴なども手入れしてくれるので、こういう趣味は歓迎したい。
しかし、つい昔あった恐怖の体験を思い出してしまうこともあるので、その度に背筋が寒くなるのだ。
まだ独身の頃なので、十数年前の話である。
当時、東海道線で藤沢から品川まで通勤していた時のこと。
その日の電車は満員とまではいかないまでも、適当に混んでいた。
川崎を過ぎたあたりで、4人掛けの椅子の前が空いたので、私はそこに移動してつり革につかまり立っていた。
私の隣には50代くらいの女性が立っており、私達の前にはくたびれた感のある会社員らしいおじさんが座っていた。
横浜を過ぎて、おじさんがおもむろに茶色の革の定期入れをかばんから取り出したので、私も隣の女性も「こいつは戸塚で降りるな」と思ったのだ。
すると、おじさんは鞄から取り出した定期入れの辺で顔をなぞりはじめた。ぞぞぞぞぞと定期入れで顔をなぞると、こんなに顔の脂が取れるものなのかと驚くほど、定期入れの端に脂がたまっていくのがわかる。脂取り紙なら一瞬にして透明になり、十枚やそこらでは取りきれないのではないかと思うくらいの量である。
そしておじさんは、定期にたまった脂を指で革になすりつけ始めたのだ。
左ほほ、右ほほ、額とまんべんなくなぞってはなすりなぞってはなすりしていくうちに、茶色の革の定期入れはみるみる黒くつやつやになっていく。
私がふっと隣の女性に目をやると、隣の女性も私の顔を見て「気持ち悪いわね~」といいたげな顔で苦笑した。私もつられてひきつった笑顔で応じたが、戸塚に着くやいなや隣の女性は笑いながら逃げるようにして電車を降りていってしまった。
定期を用意したおじさんは戸塚では降りず、私達のことなどはまったく気にする気配もなく、定期入れのお手入れに余念がない。
おばさんの後を追うようにして、私も別な車両に移動した。
藤沢で下車するとき、ちらっと見るとおじさんはまだ電車に乗っている。どこまで行くのかわからないが、その後そのおじさんに会うことはなかった。
革製品のお手入れを見ると、この時のことを思い出してしまう…。
◇稚内観光協会のハッピーゴマちゃん ― 2006年09月13日 03時03分44秒

マトリョーシカとストラップ。
つい最近のニュースで、キューピーから出ている「かけるパスタソースたらこ」のCMに出てくる「たらこキユーピー」が人気である、と書かれているのをちらほら見かける。世の中どうやらキグルミブームらしい。たらこキューピーのCMソングは、オリコンで2位になっているらしい。
あちこちの観光地では、数年前からお土産物屋でご当地キャラのキグルミを着たキューピーやキティちゃんなんかも見かけたりする。
北海道の阿寒湖だったら、まりもをかぶったキユーピーなんかもいたりする。
ちょっとほしいと思ったりすることもあるが、絶対に使うことはないだろうと思うので今までこの手のものを購入したことはない。
![]() |
|
![]() |
|
![]() ロシア語で「稚内へようこそ」と書いてある。 |
色は黄色と青とオレンジの三色。冬に稚内沿岸に姿を見せるアザラシが、ロシアとの国境の町でもある稚内のお土産物屋に必ずある、ロシアのこけし人形マトリョーシカのキグルミを着ている。そして、それぞれが大沼の白鳥、ゴマフアザラシ、稚内沿岸で見られるフウセンウオを持っているのだ。写真では見えないが、ちゃんとしっぽもついている。足の裏にはひらがなで「わっかない」と書かれている。
稚内市内でも、一部のホテルでしか販売していないらしく、市内のお土産物屋でも置いてある店はまだ少なく少し残念だが、このキュートさに悩殺されてしまい即効で購入した。色が落ちるため使うつもりは今の所ないので、茶だんすの上にかざってある。
稚内観光協会HPのブログによると、このキャラクターのグループ名を公募してこの一月に「ハッピーゴマちゃん」に決定したとのことだ。
ストラップは稚内観光協会のものらしいが、フェリー乗り場から市場へ向かう途中の新しくできた「うろこ市」なるお土産物屋で、ハッピーゴマちゃんマトリョーシカを発見した。人形は3体で、一番大きいのにゴマフアザラシ、二番目に白鳥、三番目がフウセンウオなのかどうか不明な魚を抱いている。抱いているというよりは、「貼り付いている」といった方が正しいかもしれない。一番大きい人形の裏にはロシア語で「稚内へようそこ」と書かれている。
察するに、これはハッピーゴマちゃんを模して、サハリンかどこかで作られたものらしい。顔の造形もストラップから見ると少し雑な感じもする。私が買ったハッピーゴマちゃんマトリョーシカは、ちょっと困った顔をしているように見えるが、これはこれでかわいらしいので許すことにした。
それにしても、このマトリョーシカがロシア製のまがい物だとすると、一月にグループ名が決定したばかりなのに、すでにコピー商品がでているとは恐るべしハッピーゴマちゃん。
稚内は、数年前までは東京からの冬期の飛行機がなかったり、旭川から北では電車が通らずディーゼルエンジンの汽車しか走っていなかったせいもあり、札幌からも汽車で8時間もかかっていた。私が最初に行ったときは、千歳からYS機(プロペラ機)が飛んでいて、落ちるのではないかという恐怖の振動とともに稚内に降り立ったのを覚えている。
今では一年を通して東京からの飛行機も飛んでいるし、札幌からも特急が走るようになったので、昔からくらべると格段にアクセスしやすくはなっている。
夏場は利尻・礼文の自然や北海道最北端の温泉を目当てにした観光客でにぎわっているが、それでも冬期には観光客は激減してしまう。冬場は北海道の内陸よりは気温的には暖かいものの、北緯45℃の冬の気温は内地(本州)からは比べ物にならないものだし、稚内の冬の地吹雪は下手をすると目の前が見えなくなるので、土地の人でも閉口するのだ。
それでも、流氷着岸の最北端の土地だったり、冬には海岸にあざらしが来たり、空港近くの大沼ではたくさんの白鳥が土地の人の努力で飛来するようにもなった。
個人的には、流氷以前に港の海自体が凍り付いているのもなかなかの見物だと思ったりする。
冬のかんかんに凍った空気の中で見る夜空はそれはそれは綺麗だし、月夜の日はしんとした空気の中で雪がかちかちと凍る音だけが響いて、月の光が本当に凍りながら落ちてくるようにさえ感じる。
冬の晴れた日には小高い丘からサハリンが見えたりもする。夏よりは冬の方が島影がはっきりと見えるようにも思う。
坂の下に行く途中の展望台から見る利尻富士も、冬の夕焼けの中で見る島影は冬は空気が澄んでいるせいで、夏とは比べ物にならないほどはっきりと見える。
稚内に限らず、北海道は冬が一番美しいと思うのだ。
数年前には、市で助成金を出して東京発の「タラバガニ食べ放題と日本最北端の温泉ツアー 一泊二日29,800円」というツアーもあったりしたが、やはり春や夏のようなさわやかさにかけるためか、いまいち成果は上がっていないのではというのが地元の人の見方らしい。
確かに冬の稚内は、観光客の姿はほとんど見えず、老人とロシア人ばかりが町中を歩いているのだ。
春や夏の花の季節の稚内もすばらしいが、ハッピーゴマちゃんの町起こしで冬の稚内にももう少し観光客が来ればいいのにと思ったりする。
稚内観光協会
ハッピーゴマちゃんグループ名決定
たらこキューピーCM
◇サハの口琴奏者 イヴァン アレクセイエフ ― 2006年09月18日 22時47分49秒
アレクセイエフは、旧ソ連の政策で一度廃れた口琴をサハで再び火をつけた人物で、サハでは「ホムス アイヴァーン(口琴イワン)」と呼ばれて最も尊敬されている人物である。
アレクセイエフとは、2000年に一度会っているので、6年ぶりの再会となる。挨拶をした時に、彼はそのときのことを覚えていると言ってくれ、とても嬉しかった。
12日のワークショップは、サハ式の口琴の持ち方や演奏方法などが、大変に詳しく丁寧に説明された。
特に注目したのは、演奏時の口琴の持ち方である。これまで何人かの著名な口琴奏者のワークショップに参加したが、演奏時の持ち方についての音響効果に注目し、丁寧に説明していたのは彼が初めてだったように思う。
15日のコンサートでは、旦那が休みをとったので二人で出向いた。コンサート前にアレクセイエフに挨拶をした時に、旦那が自作の口琴を彼にプレゼントして、大変喜んでくれた。
コンサートは2部に分かれ、前半は日本口琴協会代表の直川礼緒氏の演奏に始まり、アレクセイエフによるサハの英雄叙事詩の演奏がなされ、この日のゲストである大谷祥之氏の演奏があった。
いつも思うことだが、サハの口琴奏者の演奏は、とてもイマジネーションあふれる演奏だと思う。もともと、自然の風景をモチーフにした曲が多く、馬、鳥、トナカイ、風などの自然の模倣を主とした演奏がサハの口琴演奏の特徴なので、模倣した鳴き声や音を聞くことでイメージがしやすいということもあるのだと思う。
しかし、アレクセイエフの演奏は、直接的な表現方法をとらない個所でもそのイメージがものすごく強く伝わってくる。もともと北海道の自然の中で育ったのだから、そのイメージは生まれ育った北海道のものと重なる部分も多く、サハの人たちが実際にイメージしているものと私の頭の中にあるものとは異なるものなのだろうと思うが、その感覚がはっきりと感じられるのだ。
これに近い感覚の演奏者は、やはりサハのスピリドン シシーギンの演奏だと思うが、シシーギンの演奏はたとえば雪野原の中に風に吹かれて立っているときの感じだとすると、アレクセイエフの演奏は、冬の寒い日にストーブのたかれた温かい家の中で、窓から外を眺めていたり、昔話を聞いたりしているような感覚に近いものがあると思う。もっとも、この日に演奏されたものが英雄叙事詩だったので、そのように感じただけなのかもしれない。
後半はアレクセイエフによる、サハの口琴以外の小さな口琴の演奏で、最初に旦那がプレゼントした口琴を演奏してくれた。
旦那の作る口琴は、五寸釘などを利用しているので、必然的にサハの口琴よりはかなり小さなものになってしまう。アレクセイエフは、旦那の口琴が小さいものであることに感激してくれ、敬意を表してくれたのだ。
最後に、アレクセイエフと直川氏、大谷氏によるデュエットとアンサンブルで演奏は終了し、最後にサハの夏祭りに踊られるオフオカイの演舞を会場のみんなで踊って幕となった。
この日のゲストである大谷氏は、口琴に魅せられ口琴演奏に大変な精進をしている人だが、その演奏技術の向上は演奏を聞く度に目覚しいものがある。この日は尊敬するアレクセイエフとのデュエットもあって緊張していた様子だったが、演奏はすばらしかった。
12日と15日の両日、イベント終了後にみんなと食事に行き、12日は雨が降っていたので、アレクセイエフと相合傘で食事の場所に向かった。最初、ロシア語もサハ語もわかる人がいなく、アレクセイエフと意思の疎通ができなくて歯がゆい思いをした。
15日は、8月に行われたサハ語講座の生徒さんたちも一緒で、アレクセイエフも楽しそうにしてくれていた。アレクセイエフがサハの古い歌になぞらえ、「あなたをトナカイにのせてツンドラに連れていきたい」と私に冗談を言ったりして、食事の場所まで腕を組んで夜の町を歩いたりして楽しかった。
次に会うときまでには、せめてロシア語で少しは話しができるようになれていればいいなあと思う。
◇キユーピーたらこソース たらQ ― 2006年09月20日 21時09分44秒

放送されて間もなく、近所のスーパーのレジ付近で小学生くらいの姉妹が、赤い何かを持って騒いでいるのを目撃した。姉妹が持っていたのは、キユーピーたらこソースのCMに出てくる「たらQ」であった。旦那と二人で目が釘付けになり、その姉妹をとっつかまえてどこでそれを入手したか聞きたかったが、それだと非常に危ないおばさんになってしまうので、我慢したのである。
しばらくして、通っている鍼灸院の近くのゲームセンターの店頭で、たらこソースのCMがエンドレスで流されているのを見た。中に入ってみると、たらQのUFOキャッチャーがあるではないか。UFOキャッチャーは私の苦手なゲームの一つで、旦那が私に勝てるほとんど唯一のゲームと言っていいものである。しかし、苦手などとは言っている場合ではない。当然このUFOキャッチャーにチャレンジしないではいられなかった。
1000円札を両替し、500円で6回を2回計12回やったが、結局ゲットできずゲームセンターを後にした。この時UFOキャッチャーの中にはたらQが少ししか入っておらず、私は携帯ストラップ大の小さいのが欲しかったのだが、小さいたらQは10個くらいしか入っていなかった。お店の人に追加してほしいと言ったが、この商品はもうこれで終わりだと言われた。
その週末に、旦那と共にたらQゲットに向かった。私は歯医者があったので、治療の間にゲットしておくようにと指令を出したのだ。果たして、旦那は1000円使用後たらQゲットに成功したのである。
しかし、旦那がゲットしたたらQは、私の最初に見たたらQではなかった。私が最初に見たたらQはつるつるのボディで、CMに出てくるものと同じ感じだったのだが、旦那がゲットしたものはふかふかのぬいぐるみのようなボディである。見ると、“Vol.2”と書いてある。ゲーセンの店員さんが言ったのは、これにチェンジするということだったらしい。
この時ゲットしたのが、写真左の大きいたらQである。
それから半年以上たった最近になり、このたらQが巷で大人気で、ゲーセンのUFOキャッチャーにはたらQゲットに励む外国人がたくさんいるなどとニュースになった。「キグルミ」という少女2人のユニットでCDも出たのだ。初回限定盤は、たらQストラップ付きである。
UFOキャッチャーに2000円もかけたことを考えると、初回限定ストラップ付き1890円は安いのか高いのかと少し迷ったが、店頭で見かけてレジに走ってしまった。
たらQストラップは、旦那がゲットしたVol.2と同じタイプのぬいぐるみ型のたらQ。CDはキグルミによるCMソング「たらこ・たらこ・たらこ」と「ヘナチョコルール」そしてそれぞれのカラオケバージョンである。
「たらこ・たらこ・たらこ」はCMではオンエアされていない部分も当然あるが、くるくる回転するような曲はゲルニカの上野耕二作曲とのこと。なるほど、ゲルニカっぽいと強くうなづく。
そして、2番の途中に口琴の音が入っているのだ。ここはCMではオンエアされていない部分である。いろんな楽器が交錯する部分なので、口琴の音かどうか確認するためにカラオケバージョンを聞いたが、やはり口琴の音である。他の部分にもあやしい箇所は何ケ所かあるのだが、確信の持てる部分は一ケ所だけだった。
それにしても、上野耕二の楽曲はすばらしく、カラオケバージョンの方がずっと楽曲としては良く思った。ちなみにもう一曲の「ヘナチョコルール」も上野耕二作曲のもの。
CDをパソコンに入れると、キグルミのPVが流れる。赤いワンピースにたらこの帽子をかぶったキグルミは、そこらへんにいる普通の少女といった感じ。キグルミにより踊りは歌詞カードにも書いてあり、みんなで踊ろうということらしいが、キグルミの踊りも決して上手とは言いがたく、この素人臭さがかえってかわいらしい。おまけに落ちゲーもついていて、ある程度の得点を取るとたらQの壁紙をゲットでき、なかなか楽しめる。
たらこキユーピー公式サイト http://www.jvcmusic.co.jp/tarako/
キグルミHP http://www.kigurumi777.com/
◇ドクハラ? ― 2006年09月29日 14時47分37秒
発作がでたときは救急車のお世話になることが多いが、場合によっては病院に直接電話をして車で行くこともある。
つくば時代は、筑波大学直系の病院で色々と検査し、何年もかけて原因解明と東洋医学も含めた治療をしてきたのだが、三年前にここに引っ越すことになったとき、先の病院でこのめんどうな症例を受け入れてくれるかどうか不安だった。
つくばでも結局原因がわからず、とりあえず死ぬような症例ではないからとほっぽりだされることが多く、やっと「こういう事例ではないか?」という光明が見えてきた矢先だったからだ。
腹痛をおこしたときに、真っ先に疑われるのはクラミジアという性病である。最初にかかった婦人科の医師は、クラミジアに感染する経緯を性感染のみと説明したので、その可能性は薄いと反論すると、「どうせあんたの旦那が浮気でもしてるんだろう」と言った。病気の治療に来ているのに、なぜ個人の家庭生活のことまで揶揄されなければならないのか怒りを感じた。
そこで病院ボヘミアンがはじまり、結局当時住んでいた家の近くの総合病院に婦人科が新設されたので、そちらに通うことで落ち着いたのだ。その間5年が経っており、ひどいときには月に一度か二度のペースで病院に運び込まれるという事態があったのだ。
三年前に今の土地に来て、市で一番大きい市民病院につくばからの紹介状を持って行った。私の腹痛は婦人科的なものと消化器内科的なものが総合しているため、婦人科と消化器内科がある病院である必要があった。
ここの市民病院は、地域医療との連携を主とした病院であるとのことで、市内の小さな病院では扱えない症例を扱う病院とのことだったので、小さな病院に行くよりはよいとも思ったのだ。
婦人科ではその症状とは別な疾患もあったため、つくばでの治療をそのまま続けることができたが、消化器内科では現段階では婦人科での治療のみで様子観察とされた。それでも、最初に担当してくれたN医師は、きちんと私の腹を触診し、十分な問診の上でその結論を出したのだ。そのときN医師は、「すでにここで診察しているのだから、救急のときはすぐに来てください」と言ってくれた。
しかし一年後に、また同じような症状がおきたので市民病院に直接電話をすると、「今、重病人がたくさんいるから受け入れられない」というのだ。死ぬような病気ではないにしろ、私だって苦しいのだ。N医師の言葉を告げても、答えは一緒だった。しかたないので救急車を呼んだが、救急隊員への答えも同じだったらしく、私は別な病院に運ばれ入院することになった。
そういうことが2度ほどあったので、後日救急で運ばれた病院の紹介状を持って市民病院の消化器内科に行くと、N医師は退職されたとのことで、別な若い医師が担当になった。その若い医師は、紹介状をさっと見ただけで触診もなく、ろくな問診もしないまま薬を出そうとしたので、以前からこういう症状があり、N医師も痛くなったら来るようにといわれたことを告げると、「希望するなら検査をしてもいいですけどと言う。
検査というのは、医師が必要だと判断してするものではないのか? 「私の症状は検査が必要だと思いますか?」と質問すると、「腹痛くらいぼくでもなりますしね」というのだ。
この医師のまるで治療を拒否するかのような態度に頭にきたので、別な医師に担当を替えてもらい、胃カメラと大腸カメラの検査をしてもらったが、結局は癒着があるということがわかっただけで、特にどちらも異常はないとのこと。結局、大量の痛み止めと胃の粘膜を保護する薬を処方するのみだった。
今年に入り、人間ドックで腸の再検査にひっかかった。3月からはじめた歯列矯正のため、食べ物がうまくかめないせいもあり、胃の調子も悪い。再度市民病院の消化器内科に行き消化不良みたいで胃が重いと告げると、替えてもらった担当I医師は「歯列矯正の選択をしたのなら、胃の調子が悪くなるのはあたりまえ。歯が悪いならおかゆでも食べていればいい」と言う。成人の歯列矯正は子供と比べると期間が長い。私は全部終るのに4年と言われている。4年もおかゆだけで過ごすのか? それは痩せていいかもしれないが、栄養面で問題があったりしないのか?という疑問が頭をよぎる。
しょうがないので胃の薬がほしいと告げると、「胃液を抑える薬と粘膜を保護する薬とどちらがいいですか?」と私に聞くのだ。それがわからないから病院に来ているのだ。そんなことが判れば薬局に行く。「それは私が決めることなんですか?」というと、「ではとりあえず胃の粘膜を保護する薬を出しましょう。でも、胃の検査をしないとわからないので、胃カメラと大腸カメラをまたとることになります。あなたは癒着があるからリスクが普通の人よりも高くなりますが、それでもいいですか?」と言われた。確か、去年カメラをとったとき、カメラはリスクが大きいのでそんなにしょっちゅうするものではないと、私はI医師から説明されているのだ。
釈然としないまま、このときは言われるままに胃カメラと大腸カメラについての説明を看護士から受け帰宅したが、やはりずっと釈然としない。しかも、この時の診療についてI医師も私の身体には指一本も触れることはなかったし、問診にしても「胃がどのように痛むのか」などの質問は皆無だった。これで診察と言えるのだろうか。しかも、薬の種類や検査にしても、判断を患者に任せるのであれば、技術士がいればいいことで医師など必要ないのではないのか。
結局、この診察を不服にし、市民病院の消化器内科に見切りをつける形で、市民病院の医事に相談をして、去年救急車で運ばれて入院した、となりの市の国立病院に転院することにした。国立病院でも胃カメラの検査は必要だといわれたが、最初の問診のときに転院の経緯や、病状の経緯、触診など15分ほど診察が行われて、なぜこの検査が必要であるかきちんと説明をした上で検査となった。
今までいくつかの病院にかかったが、ここの市民病院は史上最低だと思うのは、私のエゴなのだろうか。リスクがあるからこそ、検査の必然性についての説明がほしい。触診も問診もなく、いきなり検査では納得がいかないのはあたまり前だと思うのだが。
しかも救急指定されているにもかかわらず。この三年間5回の救急要請にこたえてくれたのは一度だけだった。断る理由はひとつ「重病人患者がいっぱいいますから」。確かに救急の使命は「命の危ない人を一刻も早く救う」だろうが、命が危ないかどうか一般の人にわかるのだろうか。
そんなことわかるくらいなら、医師なんて必要ないと思うのは私だけか?
「人の命を救う職業」というだけで、どうしてこんなにえらそうにできるのだろうか。医師という職業は、「人の命を救う技術を売り物にしたサービス業」である必要があるのではないかと思う。医師というだけで、人の心を傷つけていい理由などどこにもないはずだ。
最近のコメント