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◇トルコ旅行記 〜イスタンブールで出会った友だち〜2007年06月27日 01時08分47秒

オスマンさんのお店の店長(?)。オッドアイのワン猫「ぷりちゃん」。



■オスマンさんとの出会い


今回のトルコ旅行では、当初ガイドブックを中心に調べていたので、ほとんどネットで調べるということをしなかった。ネットの情報はあたりはずれが多く、トルコのように状況が流動的な国ではサイトに掲載されている情報がその時は通用しないことも多いからだ。
とりあえず行ってみればわかるだろうと余計な情報を調べることをせず、行く2〜3日前に現地の注意事項だけをサイトで調べただけだった。

サイトで調べたときにひとつだけ非常に役に立ったサイトがあった。
危ない店や客引きにあったときの対処法などが判りやすく書かれており、必要なところだけプリントアウトして持っていった。このサイトはトルコに何度も個人旅行に行っている女性のサイトで、女性だけでトルコを旅する注意事項や簡単なトルコ語も書かれていて、ここで入手した情報のおかげで色々助かったこともあったのだ。 このサイトは「ぷるぷるトルコ」というところで、トルコを何度も旅行している「さやさん」という女性が運営しているらしい。

「ぷるぷるトルコ」 http://tabiatama.cool.ne.jp/turk/


スルタンアフメット地区のフォーシーズンズ・ホテルのすぐそばに、ARTEMiSというオスマンさんのお店がある。
彼は二度ほど日本に滞在し、流暢な日本語はその時覚えたとのこと。前述のさやさんとは友達で、mixiでトルコ関連のコミュニティを運営していたりする。「mixi知ってる?」との言葉に、まさかイスタンブールでmixiの名前を聞くとは思わなかった。

前の話でも書いたが、オスマンさんに出会ったときは「いつもの客引き」だと思った。彼に話し掛けられたとき、私は英語で「私達はこれからホテルに戻るところだから」と言ったつもりだったのだが、それを聞いたオスマンさんと旦那がびっくりして、あわてて旦那が何か訂正をしている。そして旦那が私に「その英語は違うよ」と言ったときに、オスマンさんが「ぼく日本語わかるんだよ」と言い出したのだ。このとき私は「私達と一緒にホテルに行きましょう」という意味のことを言ったらしい。「それは大変危ないよ」とオスマンさんは笑って日本語で話し出した。
旦那の前で堂々と逆ナンパする妻に旦那は半ば呆れていたが、オスマンさんが「日本語が話せる」と自分から言ってくれ私の間違いを笑って指摘してくれたことで、この人は悪い人ではないと思ったのだった。
そして、私がオスマンさんの飼い猫「ちびちゃん」に非常に興味を持ち猫が大好きだということを知ると、とても珍しい猫を飼っていることを教えてくれた。猫の非常に多いイスタンブールで、ちびちゃんは珍しく首にトルコブルーの鈴をつけていたので、一目で飼猫だとわかったからだ。他の猫は地域の人たちには大事にされているが首に飾りをつけている猫は皆無で、飼猫なのかのら猫なのかの区別がつかない。ちびちゃんを見たときに、飼猫と一目でわかるようにしていることがとても珍しく思えたのだ。

三日目の夕方、一通り観光をした後オスマンさんのお店を訪れると、店の前の隅にあるケージからちょっと毛足の長い白い猫を取り出して見せてくれた。猫はオスで名前は「プリンス」。「日本人はみんなぷりちゃんと呼ぶよ」と彼は教えてくれた。
この猫は、トルコのワンという地域にだけ生息する「ワン猫」という猫で、白く長い毛並みと右の目がブルー左の目がゴールドというオッドアイが特徴の猫である。非常に珍しい猫で、現在はワンからの持ち出しが禁止されている。オスマンさんは持ち出しが禁止される前にイスタンブールに連れてきたとのこと。実家のあるワンに帰ると、もっとたくさん飼っていると言っていた。
絨毯屋の前にしかれている見本の絨毯の上にぷりちゃんを放すと、ちびちゃんもやってきてじゃれ合う。見ると、ちびちゃんはお腹が大きいらしい。「ぷりちゃんの子供がもうすぐ生まれる」と言っていた。
ぷりちゃんとちびちゃんはこの通りの人気者らしく、絨毯屋の隣のレストランの店員はちびちゃんが店に来ると遊んであげたりしている。それを見てオスマンさんはちびちゃんをその都度呼び寄せて注意しているので、人気者ではあるけれどものすごく気を使っているのだなと思った。オスマンさんは、日本語で話をするときはちびちゃんを「ちびちゃん」と呼ぶが、トルコ語でのときは「チビゲ」と呼んでいる。「ゲ」がトルコ語で「ちゃん」なのか、それとも別な意味があるのかは聞きそびれてしまった。



 
オスマンさんが兄弟で経営する絨毯屋「ARTEMiS」。
店頭のじゅうたんで休んでいるのは、ちびちゃん。
  絨毯屋の向かいのお土産物屋「ARTEMiS」。オスマンさんの弟さんムスタファさんが、私達のためにチャイを運んでくれるところ。
     
 
オスマンさんとワン猫ぷりちゃん。
オスマンさんの顔が半分なのはご容赦ください。

  ちびちゃん。首のかざりがかわいい。現在妊娠中。
     
店頭のじゅうたんの上で和むぷりちゃんとちびちゃん。



この後私たちはオスマンさんのお店で買い物をし、「僕たちは友達だから」と言ってかなり値引きをしてくれた。後で別な店で同じ物を売っているのを見かけたが、オスマンさんは偽物の場合ははっきりと偽物だと言ってくれたので、こちらとしても安心して買い物をすることができたことになる。

イスタンブールではたくさんの客引きに出会ったが、二日目の朝に出会った一人の客引きが私たちがはっきり返事をするのをためらっているのを見て、日本語で「困ったなぁ〜」と笑いながら言ったのがとても印象に残っている。この客引きがなぜこんなことを言ったのかというと、たぶんこの客引きが出会った日本人の多くが吐いた「困ったなぁ〜」という言葉を何度となく聞いたからなのだとこの時思ったのだ。
日本人は「ノー」をはっきり言えない人種だと思われている。『買う予定はないけどちらっと見るくらいはしてみたい。話を聞くくらいならいいだろう』というのが日本での買い物の一つの方法であるからだ。日本でもそれを逆手にとった商法が問題になることもある。
多くの日本人は嘘が下手だし、はっきり断ることも苦手だ。だから客引きに親切にされてその代償にお店に行こうと誘われると、「いやです」とは言いにくいのだ。私たちがロシア人のふりをして失敗したように、嘘をついてもすぐにばれてしまう。向こうは何百人という観光客を相手にしている強者だ。「もう買ったから」と言っても実際に買っていなければ顔に出るのだろうと思う。

オスマンさんのところで買ったものは全てきちんとした説明があり、自分が納得した価格で安心して予定のものをあらかた購入できたことは大変ありがたかった。買い物のためにあちこち回る手間が省けたのも大きかったが、通りや大きなバザールに行って店の前を通って話し掛けられたとき「もう買ったからいらない」と堂々と言うことができただけでも、心の重荷がひとつおりたのだ。
堂々としていれば、向こうもそれ以上は突っ込んでこない。だます目的で話しかけてきた客引きでも、話にのるつもりがまったくない意思表示をはっきりすれば、トルコ人特有の親切が顔を出すことも多かった。その後は客引きに話し掛けられるのが怖くなくなり、逆に楽しむ余裕さえできてきたのだ。

私たちが買い物をした次の日にオスマンさんのところに遊びに行くと、オスマンさんの友達だというイスタンブール在住の日本人男性が知り合いの若い日本人女性旅行者を連れてやってきた。女性はオスマンさんのお店のすぐそばの商店の二階のドミトリーに泊まる予定とのこと。一泊1500円と言っていたのでかなり安い。普通、女性一人でドミトリーに泊まるのはかなり勇気のいることなので、オスマンさんが「女性なのに勇気がある」と感心していた。
彼女は次の日からカッパドキアに移動する予定だと言う。別れ際に「また会いましょう」と言ってくれたが、残念ながらその後彼女に会うことはできなかった。

その後私たちは滞在期間中ほとんど毎日オスマンさんのお店に出没し、チャイや果物をご馳走になったりした。オスマンさんは私たちが仕事のじゃまをしているのに嫌な顔一つせず、「もう友達だから」と言って歓迎してくれた。おじゃまだとは思いつつも、オスマンさんのところで過ごす時間がとても好きになり、このゆっくりと流れるイスタンブールでの時間を心地よく思った。

私達とお店の前でチャィを飲んでいる間も、彼は通りかかる観光客に声をかける。英語で話し掛けることが多かったが、フランス語のときもあればドイツ語のときもある。アジア人のときは韓国語、中国語、日本語を使い分ける。「通りかかった人がどこの人かわかるの?」と聞くと、「だいたいわかるよ」と言う。韓国人と中国人と日本人は、服装と顔でわかるらしい。ただ、西洋人の場合だいたい判るけどはずれることも多いらしい。これを聞いて私も通り行く人を観察してみた。アジア人は中国人は比較的わかりやすいのだが、韓国人と日本人の違いはなかなかわかりづらいものの、韓国人の女性は肌が非常に綺麗なのですぐにわかるようになった。
でも、思い返してみると彼は私達には最初から英語で話し掛けてきたのだ。旦那が「自分達にはどうして英語で話し掛けてきたの?」と聞くと、「あなたたちが英語で返事をしたから」と答えたがこれは答えになっていない。たぶんあの時私達はでかいサングラスをかけて帽子を目深にかぶっていたので、アジア人だということは分かっただろうがどこの国かを確信することができなかったのだろうと推察した。

滞在中彼は大変親切で、聞けば知っていることはなんでも教えてくれ、地元の人が利用するスーパーマーケットの場所や、プリンス諸島の見どころなどを教えてくれた。私達がプリンス諸島に行く前の日も、「大事なものだけど貸してあげる。必ず返してね」と言って、プリンス諸島に渡るための情報を書いた小冊子を貸してくれたりもした。
その日あったことを話してその中でトルコ人のいやなところがあったりすると、「そういう人たちがいるから日本人が警戒する。トルコ人として恥ずかしい」と悲しそうに言っていた。「日本人だって同じだよ」と言うと、「日本人はやさしいから」とかばってくれたりもしていた。
持参していった口琴を演奏してみせると、大変興味深く私たちの話も聞いていた。
オスマンさんのお兄さんやいつもチャイを運んでくれる弟さんたちとも顔見知りになり、いつも笑顔で迎えてくれた。
私たちが帰国する前の日にバックギャモンをしようと言って勝負したが、案の定めちゃくちゃに負けてしまった。「ぼくはゲームではとても非情だよ」と笑っていた。
短い期間だったけどオスマンさんのおかげでイスタンブールの旅行がとても有意義だったし、行くまでの怖く思っていたほとんどのことが楽しみに変わった。彼の親切ももちろんだが、彼にとっては普通の何気ないことでも私達は毎日いやされたわけで、本当に彼に感謝している。

最後の日は朝から雨だったが、空港へのピックアップの時間は午後だったので、午前中にお別れを言いにお店に行った。ホテルで友人になったドイツ人と日本人のご夫婦と4人でお店にうかがうと、オスマンさんは黒いジャケットにおしゃれなシャツを着ていて「今日はおしゃれをしているのね」と言うと「たまにおしゃれするんだよ」と笑っていた。
それまでずっと良いお天気だったので「最後の最後で雨に降られちゃった」と言うと、「あなたたちが帰るから空も泣いてる」と名残惜しそうにしてくれた。
私たちが彼のお店を出る頃には雨は上がり、いつものイスタンブールの青空が広がっていた。



つづく

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